2017年5月27日土曜日

昨日のブログ記事の修正&韓国及び各国における戦時性奴隷の例

昨日のブログ記事の修正&韓国及び各国における戦時性奴隷の例昨日の記事に不十分な箇所が見つかったので、直接記事を修正することなく保存し、ここに改めて修正点とその解説を記す。

修正箇所: 3)二番目の改行後の最後の文章:
これはナチスのホロコーストと日本の慰安婦を同列に扱いたいという思惑が、米国の政治勢力の中にあることを示している。 =>これはナチスのホロコーストと日本の戦時残虐行為を同列に扱いたいという思惑が、米国の政治勢力の中にあることを示している。

理由:米国が問題にしているのは、前のIWG作成の資料の紹介するブログで書いたように、4つの残虐行為がある。それらは、1)日本のアジア一般における戦時残虐行為、2)戦争捕虜や市民労働者の虐待(mistreatment)、3)生物兵器や科学兵器に関するもの、4)所謂慰安婦に対する強制売春であった。

追加:

詳細を議論しなくなった後世を考えると、最も記憶に残るのが4)である。その為、同様の行為を行った国々は決した謝罪などしないのである。

それらの例として、韓国関係に限っても:ベトナム戦争中に韓国が行ったベトナム人女性の強制連行し性奴隷としたこと;韓国が朝鮮戦争中に置いた日本軍が設置したのと同様の売春宿を置いたこと;更に、在韓米軍の為に自国民女性に慰安婦行為を強制し、元慰安婦により告発されているなど、様々なケースがあり、どの面下げて(関西弁)日本の慰安婦制を執拗に攻撃し、慰安婦像を外国に立てているのかと言いたい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6 

また、ドイツが第二次大戦中に占領地の女性を街角から拉致し連行したケースがあるようだ。戦時売春婦(或いは性奴隷)は34000人以上いたようである。https://en.wikipedia.org/wiki/German_military_brothels_in_World_War_II 第二次大戦時の満州でのロシア軍による日本人女性を拉致して強姦したケースは、作家五木寛之さんの新聞記事でも生々しく紹介されている。 http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150804-OYT8T50215.html

2017年5月26日金曜日

韓国出身旧慰安婦の対日請求権

1)ある米国在住と思われる方のブログ記事を読み、加瀬英明氏が代表となっている「慰安婦の真実」国民運動というグループが日本にあることを知った。https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/folder/519863.html このグループの活動を非難する記事の中で、ブログの主は「真の国益という立場に立てば、日本政府に韓国政府との慰安婦補償問題の解決交渉に応じるように運動することであろう。」と書いている。私には、韓国政府が直接補償を要求する法的根拠がわからない。

勿論、「日韓両国が協力してその事実を解明すべきである」と言うのならわかる。歴史学あるいは社会学の一つとして、戦争と性の問題を研究するのは一つの学問分野になり得ると思う。東西冷戦時(補足1)やイスラム圏での内戦(補足2)などでも、多くの悲惨なケースがあったし現在も存在する。しかし、大戦前の韓国人慰安婦への補償を日本政府に要求する法的根拠は、韓国政府にはない。また、事実関係を実証しうる場合を除き、韓国の元慰安婦の方々にもないと思う。しかし、戦後に生きる我々と関係国政府は、戦争で悲惨な経験をしたその他の人たちを含め、謝罪(道義上)と補償をできるだけ行うべきであると思う。以下にそれについて私の意見を書く。素人なので、文章の内容に間違いがあれば指摘してもらいたい。

2)日韓基本条約とそれに付随する日韓請求権並びに経済協力協定で、ほとんどの両国間の補償問題は解決済みの筈である。勿論、後者の第3条には協定の執行時における紛争には、仲裁委員をたててその決定に委ねると書かれている。しかし、元慰安婦の方々がその条文の規定により補償を要求するには、慰安婦となった経緯と慰安婦としての日常において、日本軍兵士及び当時の大日本帝国政府による違法行為の立証がなければならない。

その場合立証が比較的簡単な不法行為は、官憲による強制連行ということになる。これは明確な法律違反である。また、逃亡の力による防止や行為の強制であるが、これが慰安所経営の業者によるものなら、不法性と責任(大日本帝国の)の立証はより困難な作業となる。従って、一般的な謝罪と慰安婦の方の特定以外の事実究明を必要としない形での補償を行う方が、より双方に受け入れ安い(つまり法的な複雑性がなくなる)だろう。

日本、朝鮮、台湾など多くの国から慰安婦として参加せざるを得ない情況に追い込まれ、その結果として人生を台無しにされた慰安婦の方々に対して、関係諸国がヒューマニズムの観点からお詫びの気持ちを表明し、基金を設立して道義的責任に基づく補償金を手渡すのは必要なことだろう。勿論、韓国が独自にそれらの方々に年金などを支給するのは、好ましいことだと思う。

日本政府は、韓国政府や韓国世論の意向を受けて、独自の判断でアジア女性基金を設立した。アジア女性基金は、韓国女性の他に、インドネシアでのオランダ女性を日本軍兵士が拉致し暴行したケースが戦後の軍事裁判で明らかになっているので、その被害者にも補償を行なっている。同基金は、必要と思われる補償をすませとして、2007年に解散している。

以上のように人道的見地から慰安婦に対して補償を行うのは、戦後に生きる人間としての義務だろう。そして、戦争行為以外において(戦争との関連で)悲惨な境遇に追い込まれた人たち一般にも、同じ根拠で補償を行うことが必要だろう。しかし、残念ながら、このような補償ができるほどどこも余裕がないようである。

3)戦後補償には慰安婦関連の他にも色々あると思うが、それらのケースを政治的に利用することは厳に慎むべきであると思う。慰安婦問題に関連して一部の人間が、慰安婦像と称するモニュメントを米国など外国にまで建てていることは、日本人として非常に腹立たしく思う。我々日本人には、日本国と日本国民とを侮辱するネットワークの国際的構築を目的にしている様にも感じる。何にしても、その動機は明らかに政治目的である。(補足3)

この件、米国の一部の思惑と一致する様である。つまり、米国は2000年12月にナチスの戦争犯罪資料省庁連携ワーキンググループを改組し、ナチス戦争犯罪及び日本帝国記録省庁連携グループを作った。これはナチスのホロコーストと日本の慰安婦を同列に扱いたいという思惑が、米国の政治勢力の中にあることを示している。

慰安婦問題の本来の当事者は、元慰安婦の方々と大日本帝国の軍人と彼らが所属する大日本帝国である。しかし、大日本帝国は無くなったので、現在の当事者は元慰安婦の方々とこの問題を継承した日本国政府である。韓国政府は1945年以前には存在しなかったのだから、元慰安婦の方々の現在の所属国として元慰安婦の方々の代理で権利を主張すると言う限定的な意味でのみ当事国であり得る。

つまり、韓国国民は慰安婦とその親族以外は直接の当事者ではない。従って、韓国人一般の心情は理解できるが、慰安婦問題で日本国を非難する権利(法的な)はない。 一方日本国民は、日本政府が一定の責任を持つ以上、この問題の当事者である。それ以外の第三者(例えば米国人など)などには、このケースで政治的活動をする法的根拠はないし、補償を主張する場合にも、言論の自由以外の根拠はない。(15:35; 21:25編集)

補足:
1)ベトナム戦争のとき、韓国軍がベトナム人女性を強制連行し性奴隷にした犯罪についてはよく知られている。そのほか、ウィキペディアの記事に詳しい記述がある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6
2)このケースは我々部外者には更に異常かつ悲惨に見える。詳しくは例えば、http://tocana.jp/2014/01/post_3563_3.html
3)昨年韓国の挺対協は、旧慰安婦に日本からの補償金を受け取らない様に圧力をかけた。

2017年5月24日水曜日

善と悪への分類は人により情況により変わる

先の文章の意味が支離滅裂だと仰る方がいたので、敢えて再度アブストラクトを書きます。

何が善で何が悪か、それは分類する人の都合による。つまり、その人が推奨したいのが善であり、撲滅したいのが悪である。それが全く解っていないが如く外交を展開している国が、現在世界を牛耳っている米国である。解っていないふりをしているのか、解っていないのかわからない。マッドマンの理論とビッグスティックの外交は彼らの得意技だからだ。自分たちの善悪の分類を守りたいだけかもしれない。

生物が有限の空間で生きるとき、必然として争いが生じる。AとBが争う場合、BはAにとって悪であり、AはBにとって悪である。Aの内部ではBを殲滅することが善として語られる。AとBを含む大きな視野を持つものがあったとしたら、その善と悪の分類には意味がない。つまり善悪は相対的なものである。

善は味方が団結するために味方のメンバーとその行為につけるマークであり、悪は敵を殲滅するために敵と敵の行為につけるマークにすぎない。

人類普遍の善と悪の定義が可能だと考える傲慢な連中がいる。最近良く聞く「テロは人類の敵だ」という台詞に傲慢さを感じないとしたら、それはその傲慢さによるか、知性が無いかのどちらかである。その台詞の中の「テロ」とは敵による攻撃であり、「人類」とはテロという言葉を発する自分たちとその味方のことにすぎない。

第二次大戦での民間人への残虐行為が、双方の国の軍により行われた。講和が成立した後も尚、敗戦国とその国民に対して人道に反する罪を犯した者の国とその子孫として侮辱する人がいる。善と悪が状況により相手によりことなることが解っていない身勝手な人たちと、彼らがつくる国家(政府)である。

2017年5月23日火曜日

慰安婦は残虐な性奴隷であったと、平和時に欧米が日本批難する資格を持つのか?1)

1)現在何人かと幾つかのサイトで、日本軍の慰安婦問題に関して議論している。その中には、日本軍が韓国など旧植民地の女性を性奴隷にしたと批難される方もいるし、比較的日本軍に”甘い人”もいる。客観的に記述すると、先刻投稿した米国政府の「Nazi War Crimes andJapanese Imperial Government Records Interagency Working Group」報告にあるように、強制売春でありどの程度の強制や残虐性があるかについては、未だ未解明であるということになるのだろう。

私は、慰安婦の制度にたいして、少数の元慰安婦の方の証言を信用して、性奴隷というのが実態であると、旧日本軍の行為とそれを正しく謝罪しない日本政府の姿勢を激しく批判される方に対して、「自分を事件から全く離れた場所において、悪行をひはんするのは簡単です。」と批判的な意見を返したところ、以下の反論をもらった。「自分の信念(例えばクリスチャンとして)にもとづいて、悪行を批判するのは簡単なことでしょうか?悪行が批難されるのは当然である。そうでなければどうして社会に正義をもたらすのですか?」というものである。そこで、それに対する答えを対話風に以下記述する。

2)善と悪の問題ですが、その前に日本人の宗教について一言書きます。日本人は決して無宗教ではありません。日本人は人格神を信じていませんが、自然そのものを神として崇めています。それ(神道)には教義はありませんから、日本人は誤って無宗教と言ってしまう癖があります。むしろ神道は強く日本人の心に根付いているため、本人すら気がついて居ないのです。

原爆投下の件で米国をきつく追求しないのは、自分たちが下手なことをやってしまったのも原因の一つだと感じているからです。原爆資料館の碑文をご存知かと思います。そこには、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」と書かれています。つまり、頭の何処かに天罰的であると考えている部分があるのです。分かり易く言えば、碑文を書いた人にはそのような情況に追い込まれてしまったという感覚があるのです。それと同時に、同じ程度に米国の将軍は、そしてエノラ・ゲイの搭乗員は、原爆を落とす運命というか役回りになったのだと感じているのです。しかし、断定は出来ません。

どのような悪事についても、その原因を突き止めるように(突きとめられるように)問題を明確に立てて(単純にたてて)、その犯人として一人の名を上げるという、問題の単純化には、日本人は躊躇するのです。何故そう言えるか、それは戦争責任者たちも全て戦後国民の署名で名誉回復し、靖国神社に祀ったことでおわかりかと思います。(勿論、対米戦開戦時の首相の東条英機の人気は極めて低いですが)

この非論理的な対応が良いと言っているのではありません。それではこの厳しい国際社会を生き残れないでしょう。その理由ですが、日本人は個別の問題をその時の情況など全体の運動の結果のように捉えるからだと思います。つまり、西欧の方の正義とその実現という姿勢は極端に問題を単純化し、自分勝手に回答を出していると考えるのです。

自分の信念に基いて悪行を批判する能力があるのなら、何故米国のエノラ・ゲイの搭乗員は原爆投下を拒否しなかったのですか?米国の司令官はエノラゲイの搭乗員にそのような過酷な命令を出したのですか?それともジャップという猿を退治するだけだと割り切ったのでしょうか?それでも弱者や貧しいものを擁護するキリスト教徒でしょうか?

つまり、善と悪のラベルを個人の行動につけるのは、難しいというか困難である、或いは無慈悲であると考えます。キリスト教徒のように神の判断により善と悪が決定され、その悪を犯した人間の置かれた情況が如何なるものであっても、それとは無関係であると考えることは出来ません。否、多くのキリスト教徒も実はそうはしていません。キリスト教徒であれ何教徒であれ、悪を非難しますが、自分は悪を為す立場にならないように、或いは、悪を為したと避難されない立場になるように知恵を使っているに過ぎないと思います。

そのような情況に追い込まれた時、人はあたかもコンピュータが計算した通りのように、悪を行う場合が殆どです。それが「戦争犯罪者」の真の姿です。平和な日常では明るい優しいお父さんであり、お兄さんであった人が、あの情況下で戦争犯罪者になったのです。日本人は、そのような情況は、自然の流れというか運命によりもたらされると考える傾向があります。それが他の企みによるとは考えない傾向があります。原爆資料館の記念碑の碑文にある通りです。

本当は、自分がそのような情況に追い込まれる前に注意深く情況を把握し、悪に追い込まれる情況を他人に押し付ける人が、善人の顔をして生き残っている場合が多いのです。

3)「親鸞」を書いた五木寛之さんは、終戦後南進して暴虐の限りをつくすロシア軍兵士から逃れる為に朝鮮から日本に逃げ帰ります。五木さんは無事逃げ帰れたのですが、多くの人が強姦されたり殺されたりしましたし、生き残った人も大勢がシベリアに送られて死にました。

その際、情報を早く握った軍の幹部たちは素早く逃げていたのです。そして五木さんは結論します。悪人が生き残るのだと。

現在、日本はロシアと国後島や択捉島などの共同開発の話を初めています。熊のように日本女性を強姦し、多くの日本人男性を殺すかシベリアに送った人の国を相手にしての共同開発です。何故そのような話を進めるのか?そのロシア人たちも、平和な時には優しい面白い人達であることを我々は知っているのです。

あの悪行を批難する資格があると信じる人は、すれば良いでしょう。私は心の中では、そのような資格をこの地球上の人の殆どに与えません。「心の中」とか「殆ど」とかいう言葉を用いたのは、私にはそのように決めつける自信がないからです。

補足:
1) 欧米に居る人に、欧米の韓国人日本人2世も当然含まれます。

米国省庁連携機関による慰安婦等戦争犯罪の調査結果(続)

前回紹介した”日本の戦争犯罪資料研究:小論(Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays)の全体についての簡単な紹介と第一章と第二章に書かれた慰安婦に関する部分を訳して紹介します。詳しくは原文をみてください。内容に対する責任は持ちませんが、間違いの指摘、意見等は歓迎します。

§1:全体について簡単な説明
Researching Japanese War Crimes:Introductory Essay は米国の国立情報局(NationalArchives and Records Administration;NARA)による240頁ほどの日本の戦争犯罪について書かれた解説書で、研究者が公開された戦争犯罪に関する資料を調べる時の入門書である。2006年にNARAにより公開された。

目次:第1章:イントロダクション;第2章:日本の戦争犯罪の証拠書類と研究:中間評価;第3章:日本の戦争犯罪について国立情報局で新しく公開された資料;第4章:日本の戦争犯罪に関する国立情報局資料の調査起点;第5章:アジア太平洋戦域における戦時通訳通信記録1978-1997; 第6章:没収及び差し押さえられた戦争犯罪資料の利用について、1942-1945; 第7章:没収及び差し押さえられた日本の資料の返却に関して;第8章:その他情報(正確な情報としては以下の原題を見て下さい:Chap.8 The Intelligence that Wasn’t: CIA Name Files, the U.S. Army, and IntelligenceGathering in Occupied Japan

第二章は戦争犯罪の定義に始まる。ここでは、戦争犯罪とは比較的新しい概念であるという文章から始まる。(補足1)

この資料においては、日本の戦争犯罪を4つのカテゴリーで取り上げている。1)日本のアジア一般における戦時残虐行為、2)戦争捕虜や市民労働者の虐待(mistreatment)、3)生物兵器や科学兵器に関するもの、4)所謂慰安婦に対する強制売春、である。

残虐行為として南京大虐殺についてかなりの頁を割いている。一言だけ紹介すると、「少なくとも数万という便衣兵が日本兵により上官の命令に従って殺戮された。そして、1980年代中期に日本の退役軍人の会である偕行社の代表が、この件に関して中国国民に対して謝罪をおこなった。」(原文:補足2)

§2:慰安婦問題

第1章に短い慰安婦に関する記述がある。その概略は以下の通りである。

戦場の売春宿で若い女性に売春行為を強制したとされる日本軍のシステム(慰安婦の件)を巡って、論争が特に韓国で湧き上がっている。1994年にGeorge Hicks著の“慰安婦:第二次世界大戦時における日本の野蛮な強制売春制度”(The comfort women: Japan’s Brutal Regime of Enforced Prostitutionin the Second World War II)が初めて英文でこの件を紹介し、その強制された婦人が日本に補償を求めていると書いた。1990年代の終わりになると、慰安婦の苦境が米国のフロント頁に踊りでて、婦人の権利の主唱者などが日本政府に戦争時の人権無視にたいする責任を認めるよう要求した。

第2章の最後に、“From Mass Rape to Military “Comfort Women”というセクションが設けられ、2ページほどの記述がある。その概略を以下に書く。(この部分の原文はこの翻訳文の後ろに掲載します)

中国や東南アジアでの性的暴力行為が頻繁に起き、それが日本軍の評判を貶すことになった。それに気づいた日本軍は少数の日本兵を軍法会議で処罰する一方、1932年ころから民間の業者と慰安所(comfort stations)設置の契約を行った。

連合国はこの事実を知っていたが、一件を除いて犯罪として把握して戦後裁判で裁くことはなかった。その一件とは、インドネシアにおいてオランダとその他ヨーロッパの若い婦女子を多数に対し、日本人に性的サービスを強要した事件である。この件の日本人責任者は戦後オランダ当局者により処罰された。

1970年に入り、日本の2、3人の著述家が日本帝国軍人の犯罪として取り上げた。(補足3)広く注目されるようになったのは、1990年代の始めに一人の韓国人女性が公開の場で軍での売春を強要されたと証言してからである。彼女の証言は“慰安婦”の件における活動家を元気付けた。(原文:Her account galvanized activists around the “comfort women” issue.)

初期には日本語と韓国語での著述がほとんどだったが、現在無数の英語の著述も発表されている。他の戦争犯罪を圧倒する程国際的注目を集めたのは、一つには女性に対する性暴力に関する基準と人間としての権利に対する関心が新たになったからである。(補足4;全文は後半に掲載しています。その英文をご覧ください)

最初、日本政府は公的な関与を否定していた。その後、吉見義明氏が防衛省資料館において当時の政府の直接関与を示唆する書類を発見したとして大きく報道された。彼はその後次々とそれらを一次資料集として、連合国通訳部門の報告書などを含めて発表した。一般の圧力の下、日本政府は慰安婦問題への関与を認め、私的な財源を用いて元慰安婦への償いのためのアジア女性基金(AWF)を設立した。

AWFは1996年に歴史委員会を設立し、日本、米国、オランダ、台湾から有効な資料の収集に努め、さらに歴史家にインドネシアとフィリピンの元慰安婦からの聞き取り調査を依頼した。それらの資料は複数刊の資料集及び網羅的な文献集として結実している。吉見氏によるとそれでも不十分であり、他に多くの政府資料や私的記録が失われたか未公開になっているという。例えば、麻生徹男医師の日記などが防衛省歴史資料館に保存されているが、プライバシー保護の理由で公開されていない。

慰安婦に関して、日本では未だにホットに議論されている。例えば慰安婦の数についても大きな開きがある。この件について朝鮮史の専門家でAWFの歴史委員でもある高崎宗司氏は、日本の工場へ働きに出された朝鮮人女子挺身隊員と慰安婦の区別を明確にすべきであると強調している。彼が指摘したように、多くの韓国(朝鮮)活動家がこれらを混同して、慰安婦の数を過大に見積もっている。

この件のより大きな問題は、残虐性と政府の関与がどの程度であったかということである。一部から、元慰安婦の方の証言の信ぴょう性と公衆の前での証言の動機に関する疑問が呈されている。例えば秦郁彦氏は多くの著述などで知られているが、彼は慰安婦制度は売春であり他の多くの国に見られるものと同一であるとしている。一方で、彼は他の学者から慰安婦の悲惨さを軽く見すぎていると批判されている。

4章にもこの件が少し書かれています。改めて取り上げる必要を感じた時には、それも紹介する予定です。

補足:

1)戦時国際法は、戦争を外交の範囲に含める西欧の考え方(クラウゼビッツら)に由来し、そしてジュネーブ条約やハーグ陸戦協定という条約の形で具現化している。その場合でも戦勝国側が敗戦国側を一方的に裁くには無理がある。国際法に一定の権威を与える権力が未だに不在だからである。これは、インドのパール判事の言い分であると理解している。また、「東京裁判」を国際法によって戦争犯罪を裁く裁判であると考えても、「人道に関する罪」は事後法であり、その判決に法的根拠はない。しかし、日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れている。従って、東京裁判も先の戦争に含まれると考えるのが、正しい考えだと思う。ただし、この場合その時インドとは戦争状態には無かったことになる。

2)At least tens of thousands of disarmed Chinese soldiers wereexecuted by Japanese troops a the order of their commanders. As a result, inthe mid-1980’s, a representative of the veteran group “Kaikosha” offered anapology to the Chinese people on its behalf. (p30; 第2章文献43参照)

3)千田夏光著「従軍慰安婦」双葉社1973&三一書房1978
  金一勉著「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」三一書房1976

From MassRape to Military “Comfort Women”


The rape ofChinese women by Japanese soldiers has long been identified with Japan’s waratrocities in China. Reports by American missionaries during the Rape ofNanking in late 1937 provided a glimpse into the extent of sexual violencecommitted by the Japanese Army. Numerous other incidents in China and later inSoutheast Asia further tarnished the reputation of the Japanese forces. epostwar trials, however, largely considered rape to be part of a more general violationof law or inhumane treatment, and not a war crime per se.

Japaneseauthorities were aware of the problem during the war. In fact, Japanese recordsshow that orders were issued to deal with the problem and that a small numberof Japanese soldiers had been tried by Japan’s own military courts during thewar for rape or other crimes against civilians.97 In part to reduce local resentment againstJapan and in part to prevent the spread of venereal disease among its ranks,the Japanese military contracted private vendors to set up “comfort stations”for the troops as early as 1932.

Again, thispractice was known to the Allies but no criminal charges were filed at thetrials. There was one exception. After Japan occupied the Dutch East Indies(present-day Indonesia), the Japanese military forced many youngwomen—including Dutch as well as Eurasian—into providing sexual service to theJapanese. Those Japanese responsiblewere punished by the Dutch authorities after the war on account of the abuse ofthe Dutch women.

In the 1970s, afew writers in Japan began treating the subject as a crime committed by theImperial Japanese Army.98 It was not until the early 1990s that thecase of the military “comfort women” (ianfu) began to attract wideattention, following the first public testimony of a Korean woman who had beenforced into military prostitution for the Japanese. Her account galvanizedactivists around the “comfort women” issue. Most publications on the subjectinitially appeared in Korean and Japanese. Numerous works have been alsopublished in English.99 Gathering extensive oral histories, SuZhiliang, a historian from Shanghai, published the most comprehensive work onthis topic in China and set up a Center for the Study of Chinese Comfort Womenat his university.100 In terms of scope and impact, perhaps noother Japanese war crime has reached the level of international publicity sincethe 1990s as that of the military “comfort women,” a phenomenon helped by newinterest in human rights and standards regarding sexual violence toward women.101

Initially, theJapanese government denied official involvement in the operation. YoshimiYoshiaki, a leading Japanese scholar on Japanese war crimes, made headlines bydiscovering documents in the Japanese Self-Defense Agency’s library thatsuggested direct military involvement. He went on to publish them in acollection of primary documents, which included numerous ATIS reports fromNARA.102 Underpublic pressure, the Japanese government admitted its complicity and set up theAsian Women’s Fund (AWF) to compensate former “comfort women” from privatesources. AWF established a History Committee in 1996 to gather and examinerelevant documents in archives in Japan, the United States, Holland, andTaiwan. Historians hired by the AWF also interviewed former “comfort women” inIndonesia and the Philippines. Their work resulted in a multi-volume collectionof documents and a comprehensive bibliography on the subject.103

Many are not fullysatisfied, however. As Yoshimi points out, numerous Japanese governmentdocuments were either lost or remain classified. Among them are police recordsbelonging to the former Home Ministry that allegedly had been destroyed.104 Private records,such as the journal of army doctor Aso Tetsuo, contributed much to theunderstanding of conditions in the comfort stations in China, but many othersheld by the Self-Defense Agency War History Department Library remained closedto the public for privacy reasons.105

Many issuesconcerning the “comfort women” are still hotly disputed in Japan. e number ofwomen victims remains a subject of disagreement; popular accounts frequentlygive the figure of 200,000. Takasaki Shohji, an expert on Korean history andchair of the AWF History Committee, emphasized the distinction between theKorean women’s volunteer corps (teishintai), who were sent to work infactories in Japan, and “comfort women.” As he noted, these two terms had beenconfused by many Korean activists and had led to an inflated estimate of thenumber of Korean “comfort women.”106 A bigger issue concerns the degrees ofcoercion and government involvement. Some also question the veracity of thetestimony provided by former “comfort women” as well as their motivation totestify in public. Hata Ikuhiko, for one, has taken the lead and published manyessays as well as a major work on this subject. Hata essentially equates the“comfort women” system with prostitution and finds similar practices during thewar in other countries.107 He has been criticized by other Japanesescholars for downplaying the hardship of the “comfort women.”

References:
98) Senda Kakō, Jūgun ianfu [Military comfort women] (Tokyo:Futabasha, 1973; San’ ichi
shobo, 1978; Kim Il-myon, Tenno no guntai toChōsenjin ianfu [Emperor’s army and Korean comfort women] (Tokyo: Sanichishobō, 1976).
99) In English, see George Hicks, ComfortWomen: Japan’s Brutal Regime of Enforced Prostitution in the Second World War (NewYork: Norton, 1997); Keith Howard and Korean Council for Women Drafted forMilitary Sexual Slavery by Japan, True Stories of the Korean Comfort Women (NewYork: Cassell, 1995); David Andrew Schmidt, Ianfu–The Comfort Women of theJapanese Imperial Army of the Pacific War: Broken Silence (Lewiston, NY:Edwin Mellen Press, 2000); Sangmie Choi Schellstede and Soon Mi Yu, ComfortWomen Speak: Testimony by Sex Slaves of the Japanese Military (New York:Holmes & Meier, 2001).
100) Su Zhiliang, Weianfu yanjiu [Astudy of comfort women] (Shanghai: Shanghai shudian chubanshe, 2001).

101) See Chapter 4: “Why did the US forcesignore the comfort women issue?” in Yuki Tanaka, Japan’s Comfort Women:Sexual Slavery and Prostitution During World War II and the U.S. Occupation (London:Routledge, 2001), 84–109.
102)Yoshimi Yoshiaki, Jugun ianfushiryōshū [Historical materials on the military comfort women] (Tokyo:Ōtsuki shoten, 1992).

103) Ajia Josei Kikin (AWF) comp., “Ianfu”mondai kankei bunken mokuroku [Bibliography of materials on the “comfortwomen” issue] (Tokyo: Gyōsei, 1997). It also published a collection of reportsof investigation by commissioned historians into documents relating to “comfortwomen” in 1999. In addition, an updated version of the bibliography can befound online at http://www.awf.or.jp/. See also Ōnuma Yasuaki, ed., “Ianfu”mondai to Ajia Josei Kikin [ e “comfort women” issue and the Asian Women’sFund] (Tokyo: Tōshindo, 1998).
104) Yoshimi Yoshiaki, “Sensō no kioku,sensō no kiroku: ‘Jugun ianfu’ kankei kiroku no mondai o reitoshite,” (Memoryof war, records of war) Archives no kagaku (1) (Tokyo, 2003): 276–96. AJapanese newspaper reported, however, that large quantities of Home Ministrymaterials were discovered in a building marked for demolition. Mainichishimbun (Nov. 16, 1994). Some of these documents were included in AWF, Seifuchōsa: “Jugun ianfu” mondai shiryō shūsei [Compilation ofgovernment-collected documentary materials relating to wartime “comfort women”](Tokyo: Ryūkei shosha, 1997–1998). According to Professor Nagai Kazu, thesedocuments revealed that even Japan’s local police were shocked by the operationto recruit “comfort women,” which was ordered by the military.
105) Tetsuo Aso, From Shanghai ToShanghai: e War Diary of an Imperial Japanese Army Medical O cer, 1937–1941, trans.Hal Gold (Norwalk: EastBridge Books, 2004).

106)Takasaki Sōji, “’Hantō jōshiteishintai’ ni tsuite” [Concerning the “peninsula women’s volunteer corps] in “Ianfu”mondai chōsa hōkoku [Reports of investigation into documents relating to“comfort women,”] (1999): 41–60.
107) Hata Ikuhiko, Ianfu to senjo no sei [Comfortwomen and sex in the battle eld] (Tokyo: Shinchōsha, 1999). A shorter essay ofhis has been translated into English and published as “ e Flawed UN Report,” JapanEcho (Autumn 1996), 66–73.


2017年5月21日日曜日

米国省庁連携機関による慰安婦等戦争犯罪の調査結果

このシリーズの第一回目はすでに書いた”性奴隷などなかったという米国政府の調査報告”である。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43277864.html この産経新聞の記事では信用できるかどうか分からないので、できるだけ一次資料に近づく努力をしてみたい。今回はその最初である。

上記新聞記事にはもとの史料は引用されていない。そこで検索して探したところ、それを含めた慰安婦問題に触れた米国発の記事が出て来た。それはミドルメディアの一種と思われるRocketNewsの2015年に出された記事である。それが、The IWG Report: Japanese Comfort Womenとの題で発表された記事で、以下のサイトにある。http://www.rocketnews.com/2015/03/the-iwg-report-japanese-comfort-women/

この中での記述はおおよそ客観的であり、慰安婦問題では強制連行にたいする疑問もとりあげている。次回にその概要を書きたいと思う。

その記事の中に、上記産経新聞の記事にあるオリジナルな文献の在処がかかれている。それが2000年12月にナチスの戦争犯罪資料省庁連携ワーキンググループ(Nazi War Criminal Records Interagency Working Group)から改組された、ナチス戦争犯罪及び日本帝国記録省庁連携グループ(Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group)の最終報告である。

メリーランドにある国立資料館で閲覧可能なそれらオリジナルな資料は、膨大なためIWGでは二つのガイドとなる資料を作成している。一つは”電子資料検索案内(electronic records finding aid;1717頁)"でありもう一つは”日本の戦争犯罪資料研究:小論(Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays;240頁)”である。

後者についても出来るだけ中身を紹介したいが、私の英語能力はあまり高くないので、英語が読める人は見ていただいた方が早い。ただ、キーワードで検索して見ることは簡単である。

後者のIntroductory Essayでは、慰安婦(comfort women)については24頁ヒットするが、強制連行(abduction)でヒットするのは一箇所であり、その文章は強制労働に関するののだけであった。つまり、Japanese abduction of Chinese forced laborers fromNorth China(p50)という文章だけであって、慰安婦絡みでは出てこない。

一方、finding aidの方では、comfort womenはなく、comfort girlは一つの文献が紹介されている。abductionは二箇所出て来るが、何れも韓国や中国とは無関係であり、comfort girlとは別の箇所である。売春宿(brothel)は11箇所出て来るが、これもabductionやcomfort girlとは 別のページにある。

以上、慰安婦関係で強制連行があったとする資料は無いという産経新聞の記事は信憑性があると判断される。

2017年5月18日木曜日

朝鮮問題を解決する第一歩は、米国が踏み出す義務を持つ

北朝鮮情勢の雲行きが怪しくなってきた。北朝鮮は、ICBMに一歩近づくミサイル実験をAIIBの会議が始まった時に行い、習近平の怒りを買ったということである。この北朝鮮問題だが、日本のマスコミではこれが朝鮮戦争の延長上にあることから議論をスタートすることが少ない。それは真実を報道したくないという明確な意思があるとしか思えない。つまり、マスコミはマスゴミというより国民の洗脳機関である。

朝鮮戦争の休戦協定への署名は国連軍つまり米軍、中国軍、そして北朝鮮軍のそれぞれ最高司令官の間で、1953年7月27日にされた。休戦協定であるから、「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」と規定している。しかし、「最終的な平和解決」(平和条約)は未だ成立していない。ウイキペディア参照

休戦協定の第IV条には、“平和的に朝鮮問題の解決のために、この協定が発効したのち3ヶ月以内に、関係国政府代表によるより高いレベルで、朝鮮からの外国軍の撤退などの問題解決のための協議の開始を勧告する”と書かれている。http://news.findlaw.com/cnn/docs/korea/kwarmagr072753.html

1954年4月に開かれたジュネーブでの政治会談は外国軍撤退問題で成果なく破局した。米国は休戦協定後の1953年10月に米韓相互防衛条約をむすんで、今日まで米軍が韓国に駐留している(補足1)。一方、中国は1958年10月に全軍の撤退を完了している。

また、休戦協定第二条(13節)には、損傷した装備の再配備以外には新しい武器は持ち込まないと規定されているが、アメリカはその協定を無視して、ミサイルや核兵器を持ち込み、北朝鮮代表団に、その協定を無視すると表明した。

国連安全保障理事会(1996)は、休戦協定は有効だと言いながら、現場の国連軍の名をもつ米軍は上記のように休戦協定を無視している。 https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1955-57v23p2/d240 更に、米韓両軍の大規模演習は北進を前提としており、その開催ごとに北朝鮮側は休戦協定に束縛されないと表明している。

以上のプロセスを見ると、朝鮮戦争を終結する平和協議の第一歩は米国と韓国によりなされるべきことは明確である。日本のマスコミの報道は全く偏向している。

補足:
1)休戦協定の3ヶ月以内に政府間の話し合いを開始するのではなく、休戦協定の規定とは全く逆の行動、今後も朝鮮半島に居座るという根拠を米国は創ったのである。