2018年2月20日火曜日

オリンピックと愚民化政策

1)大衆に対する警句として屡々用いられることばに、「パンとサーカス」がある。大衆が愚民化すれば、政治も文化も退廃し国家も危うくなる。この言葉の原典は、古代ローマのユウェナリス(西暦60−130)が古代ローマ社会の世相を揶揄して書いた詩篇である。権力者から無償で与えられるパン(食料)とサーカス(見世物)によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。

市民とは市民階級の人たちであり、その下で働いていたのが奴隷である。奴隷といっても知的に優れたものは医師や会計士となって働いたというから、市民権を得ていない外国人(ギリシャ人)だったらしい。(以上、ウィキペディアによる。)その市民ですら、或いは、そのような市民だからこそ、差し当たり平穏なら頭を使わず単なる動物としての本能しか働かせないのである。

奴隷として外国人を働かせていた以上、外国人の反乱は十分考えられる。また、外国からの侵略があれば、自分たちも奴隷のような身分になる可能性もあり得る。また、ローマ内部の政治的混乱などもあり得る。ユウェナリスの生きた時代、ローマは現在のイスラエルまでも支配していた時代であるが、この詩人には尚その国の危うさが見えていたのだろう。

2)ここ数日、オリンピック報道がテレビのバラエティー番組を占領している。日本人による金メダル等獲得のニュースは素晴らしい。その演技や記録(タイム)は人間業とは思えないレベルなのは、彼等、例えばフィギュアスケートで金メダルをとった羽生さんや銀メダルの宇野さん、ハーフパイプで銀メダルを取った平野さんらすべてが、幼少期より練習に励んでいるからである。

詳細は分からないが、その影でオリンピック出場資格を目指しながら得られず、オリンピック開催前30歳の若さで、自室で死亡した人の話も聞く。かれらの競技に挑む姿勢からみて、それらはスポーツというよりも仕事或いは人生そのものである。それら競技が仕事や人生そのものとなり得るのは、テレビ等の宣伝媒体と一体となることで、高い経済価値を生むからである。つまり、これらの競技はまさに「パンとサーカス」のサーカスである。日本人のメダル獲得を素直に喜ぶだけでは、済まされないように思う。

スポーツの英語訳であるSport(s)を再び英和辞書で見ると、スポーツ、娯楽、楽しみ、冗談のような日本語訳が書かれている。更にスポーツ(sport)の語源を調べると、disport(=遊び興じる)である。(補足1)そのスポーツを一部の人たちの仕事或いは人生にしてしまう現在社会は、正常なのだろうか。或いは、オリンピックの競技をスポーツと呼ぶのは正しい言葉の使用法なのだろうか。

スポーツがテレビなどと結びついて資本主義経済の宣伝媒体となって久しい。そのスポーツにたいして高い権威付けをしているのがオリンピックであり、その権威付がオリンピック選手達の演技に高い価値を与え、選手たちの社会的地位を上げる根拠となっている。

オリンピックが平和の祭典というのは、古代ギリシャの話に過ぎない。現在、オリンピックは資本主義経済&政治の祭典である。オリンピック競技に高い経済的利用価値を付与すると同時に、選手を国籍分けにして競争させ、世界の人々の心のなかにナショナリズムを高揚させるという大きな政治的役割を果たしているからである。

3)今回のオリンピックの特徴は、北朝鮮問題に関する国際政治の緊張が、ピークに達している時期に開催されたことである。この問題に最も深刻に係るのは北朝鮮、韓国、そして日本の三カ国である。その深刻な時期にも拘らず、日本のマスコミは国民にその問題の議論よりも、オリンピックの熱狂を煽っている。

グローバル資本主義世界の意図は、国民の関心をそらして政治的白痴化の世界に持ち込み、自分たちの政治目的を達成することである。それは、政治と経済における世界支配である。明らかに、オリンピックは資本主義経済、更に、世界政治において人々の愚民化政策の道具になっている。マスコミもその戦略に協力している。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U (政治に目覚める大衆をおそれる、ブレジンスキー米国元米国大統領補佐官の言葉)

氷の上の宙返りや踊り、そして、昔は刑罰であったと言われるスキージャンプ(補足2)などのサーカスを見て興じる人々の姿は、やがて氷山にぶつかるタイタニックの上での華やかなレセプションに興じる姿に重なる。タイタニック乗組員は、その華やかな初航海の雰囲気の中で、氷山群が近づいているという無線連絡を聴き逃したか無視したのである。

人の一生は短い。従って、人類が高度な文明を築くためには、知性ある人々は専門家として各専門を受け持ち、それを正常に総合的につなぐ必要がある。そのつなぎ目を受け持つのが、やはり専門家としての政治家とその下の官吏であり、その経緯を検証するのが歴史家の役割である。その政治と歴史検証を、自分たちの望む方向に導いているのが、一部の巨大利益と人類支配を目論む人たちではないだろうか。(補足3)その道具として、オリンピックが少なくとも結果として利用されている。

多くの知性ある人々の力は、専門家としての地位を維持するために消費され、更に、愚民化された一般大衆の中に希釈されて、政治的な力が消されている。そして、政治と歴史を自分たちの望む方向に導く一部の支配層のシナリオを容易にしている。(補足3)その道具として、オリンピックが(少なくとも結果として)利用されている。

元々スポーツは実践するためのものである。それを教える為の教員は必要だろうが、見世物としてのスポーツはローカルなものに留めておくべきだと思う。それを華やかな国際社会の主舞台に持ち込んで、ナショナリズムを高揚させるために用いたりするのは邪道であり、止めるべきである。

今回の第二次大戦以後最大の危機と言われる中、華やかに開催されたオリンピックを観ての感想である。
(以上の考えは、随分と僻んだ見方だと思われることは覚悟の上である。ただ、スポーツの世界がなんとなく異常に見えてきたので、それを指摘する方向に論点を決めて書いた。オリンピック賛美論のアンチテーゼである。)

補足:

1)disportはdis + portであり、disは除く、離れるなどを意味する接頭語で、portは港、或いは基点である。つまり、仕事等の正規の場所や行為から一時的に離れることを意味する。

2)この説は広く伝わっていたが、現在では否定する話も多い。ただ、昔刑罰は見世物になったという歴史は、三条河原の死刑だけでなく、世界に広く存在する。そう考えると、スキー・ジャンプは人類の考えそうな刑罰ではないだろうか。人類の歴史のうち汚い部分に蓋をしようとする勢力が力を増している現在、それを隠そうとするのも自然な成り行きである。http://www.sankei.com/west/news/140126/wst1401260080-n1.html https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%AE%E5%89%A5%E3%81%8E%E3%81%AE%E5%88%91

3)政治支配と歴史の捏造は密接に関連している。それを指摘する意見は方方に有る。

https://www.youtube.com/watch?v=Dy5rpz2hu4k&t=387s https://www.youtube.com/watch?v=LEqCjvTvutc&t=795s 4)北朝鮮問題が第二次朝鮮戦争に繋がり、東アジアに大量の死者を出す可能性が危惧されている。http://webronza.asahi.com/politics/articles/2017090800003.html

2018年2月18日日曜日

北朝鮮問題を議論するなら、日本の将来の核戦略も一緒に議論すべきである

NHK日曜討論を、事情があって最後の数分だけ視聴した。北朝鮮の核問題についての考えを一人30秒で最後に喋って番組が終わった。そのなかで、本来肝心な日本の対応として、何も具体的なものは無かった。それが本当に意外でありそのまま見過ごせないと思ったので、一言ここに書く。彼等は本当に、この種の番組に出る資格があるのだろうか。(補足1)

つまり、日本が議論すべきは、米国と北朝鮮の関係の詮索、韓国と北朝鮮の関係の観測などではない。北朝鮮の核問題は、日本にとっては核戦略の問題であり、日本の独自核武装論を除いて議論しても仕方ないのである。昨年秋のBSフジのプライムニュースで石破氏による4つ日本の核戦略が紹介されていた。https://www.youtube.com/watch?v=xCEOu6epepY

中国も米国もロシアも、北朝鮮の核武装をどう解除するかを考えながら、日本の核戦略に対する動きに注目していると思うのである。つまり、日本の政府や国会において将来の核戦略の話が全く生じないのであれば、そしてただ米韓朝の動きを観測しているだけなら、時間はかかるが核武装した統一朝鮮ができるだろう。それはコンドリーサ・ライスが昨年示唆したシナリオである。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2018/01/blog-post_6.html

それにもかかわらず、日本政府はそしてそのまわりに居る人達、例えば今日のNHKの日曜討論の出席者達は、米国と北朝鮮、韓国と北朝鮮、韓国と米国の関係ばかり議論している。ひどい外交音痴が外交評論家を名乗っているのではないだろうか。

拉致問題を出しているピンぼけ評論家もいたが、外交で解決できる問題であったのは、小泉内閣の時が最後である。今の時点でそれを解決する手段は、原則論としては北朝鮮との軍事衝突を覚悟の折衝以外にないと思う。そのためには、日本の核戦略の議論をまずすべきであり、それ以前に何を議論しても意味がない。(補足2)

日本が現時点ですべきことは、核武装した統一朝鮮が出来上がることを前提に、独自の核戦略をたてるべく、周囲の大国と話し合いを持つことであり、安倍内閣にそれが出来ないのなら、例えば石破内閣と交代すべきであると思う。

補足:

1)最後の30秒のまとめの話は、それまでの議論のエッセンスである。したがって、そこからそれまで話し合われた内容が大凡わかるとの前提で本文を書いた。
2)自国民を拉致されても、それに防衛力を使わないのでは、国家としての体を為さない。憲法前文および憲法9条を全面改訂に反対する人たちには、「拉致被害者は見捨てることになるが、それが正当だと考えるのですね」と念を押すべき。

(13:20編集&補足2追加)

2018年2月17日土曜日

人間世界は歴史のゴミ山に築いた都市である :ライダイハン(韓国ベトナム混血児)像建立計画について

東京に夢の島という区域がある。東京湾岸で都市ゴミの最終処分場として利用された区域であり、その埋立地には公園(夢の島公園)など公共施設が建設されている。現在ゴミ処分場の面影はないが、掘り返せば多量のゴミが出てくるだろう。そして、その地域の歴史に夢の島という名前で封印することに、非常に複雑な説明しきれないものを感じる。

ライダイハンを報じる記事を読んだとき、人間の歴史とその結果である現代の世界は、「夢の島」に似ていると思った。そして、ベトナム人混血児(Lai Dai Han)の苦しみを考慮することなく歴史の中にゴミとして捨てながら、慰安婦問題を掘り出し腐臭を付けて世界に宣伝することで日本攻撃する韓国の姿に、世界標準の人類の姿を見た思いである。なぜなら、一つには世界中がこの“夢の島”のような歴史を持ち、この種の問題は山のように存在するからであるし、更に、米国は手元に温存しておいた李承晩を戦後韓国の大統領とし、そのような反日政権を韓国に期待したからである。

ライダイハン(Rai Dan Han)とは、韓国(Dan Han)との混血(Rai)を指す言葉で、ベトナム戦争のとき、韓国軍によりレイプされ続けたベトナム人性奴隷に生まれた子どもたちのことである。子どもたちは、南ベトナムが存在する間は韓国軍の存在もあり差別は無かったが、北ベトナムがベトナム全土を統治するようになり、「犬の子」と呼ばれ差別されたという。

英国のインデペンデント紙がその時の様子を以下のように記述している。http://www.independent.co.uk/news/world/asia/vietnam-war-women-seek-justice-mothers-raped-south-korean-soldiers-war-untold-stories-a7940846.html

For many Vietnamese, 30 April 1975 marked a joyous day after 20 years of death and destruction at the hands of both indigenous and foreign fighters. But for a significant number of children fathered as a result of rape by South Korean soldiers, it was the start of a living hell.

(多くのベトナム人にとって1975年4月30日は、国内の兵や外国兵による死と破壊の20年の後の喜びの一日となった。しかしその日は、韓国軍兵士によるレイプの結果として生まれたかなりの数の子どもたちにとっては、生き地獄の始まりであった。)

性奴隷として扱われたベトナム人女性とその子どもたちに賠償要求されながら、韓国はそれを無視し続けてきた。その事実を知ったイギリスの市民活動家ピーター・キャロル氏の呼びかけで昨年9月、ロンドンで民間団体「ライダイハンのための正義」が設立された。そして、ベトナムの韓国大使館前に「ライダイハン母子像」の建立を計画しているという。

同団体メンバーのシャロン・ヘンドリー氏は、レイプ被害者やライダイハンの子供たちへの聞き取り調査を英国Independent紙(上に引用した記事)に寄稿した。そこでは、調査で現れた事実を具体的にレポートしている。ヘンドリー氏は、「韓国政府は決して韓国兵が行なった行為を認めず、調査すらしない」と、韓国政府の姿勢を批判している。(補足1) http://www.news-postseven.com/archives/20170926_615821.html

韓国は、歴史の中のゴミを漁ることで、自分たちの腐臭に満ちたゴミに掘り出してしまったのである。権力、性奴隷、戦争などのキーワードで語られる歴史上の話は山ほどあるが、それを知らない韓国人は居ないだろう。韓国の歴史にも、未だに生々しく残っているからである。https://www.youtube.com/watch?v=YBYETIqyQ08&app=desktop

最初に引用したINDEPENDENT紙の2017/9/11のネット記事には、興味深い内容を含んだコメント欄が付属している。そのなかで、secularhuman(俗人の意味だろう)を名乗る人物が、以下のコメントを書いている。

Horrific.You must admit, the world we have inherited is an awful place. I don't know how we could make it better, but returning to the past is surely only a way to make it worse.

恐ろしい話だ。我々が引き継いでいる世界は(実は)恐ろしいところなのだ。どうすれば良くなるのか私は知らない。ただ、過去に戻ることは現在の世界をより悪くすることだけは確かだ。

歴史を掘り返して、現在の政治に利用することは、まさに過去に戻ることだろう。韓国がまともな政権を持ち、過去を精算する方向に向かうことに期待したい。

補足:

1)米国兵によるレイプや性奴隷の被害にあったベトナム人女性も多くいたのは事実である。米国はそれを認め、1987年にアジアと米国の混血児の帰国に関する法律を制定した。その結果、21000人の混血児51000人以上の家族らが、米国に移った。(上記INDEPENDENT 紙の記事)米国は、やはり現実主義に徹した大人の国家である。

2018年2月13日火曜日

ビットコインというインチキ(2):不換紙幣は紙幣の進化であり堕落ではない(補足0)

1)堀江貴文「みんなビットコインの仕組みを知らなさすぎる」という動画がyoutubeにアップロードされている。https://www.youtube.com/watch?v=wi2CKOerY1Q 

しかし、堀江氏が本当に仮想通貨を分かっていっているのか怪しいと思う。つまり、もし仮想通貨に希少性があるのなら、これまでの金本位制、つまりゴールドが貨幣となる通貨制度、と似た通貨制度として世界での普及は可能である。しかし、仮想通貨はいくらでも作れる。2月中に数十の仮想通貨のICO(initial coin offering)が行われることを、彼は知らないのだろうか。https://jp.cointelegraph.com/ico-calendar(アクセス出来なければ、cointelegraph ico-calendarで検索すれば出てくる。)

つまり、仮想通貨を合法とするのは、通貨偽造を認めるようなものである。勿論、偽物でも本物らしく見えるものは一定の評価を得て、値崩れの前には流通するかもしれない。しかし、何れ価値は0になるだろう。この場合は紙くずも残らない。

この人達は、電子マネーと仮想通貨とブロックチェイン技術の区別が出来ていないのではないだろうか。ブロックチェイン技術を用いた、ディジタル円とか、ディジタルドルとか、ディジタルSDRを用いれば良い。しかし、それは仮想通貨ではなく、ディジタル通貨である。ブロックチェイン技術については、IMFの総裁も興味を示している。

仮想通貨を擁護する人たちに共通しているのは、現在の不換紙幣に対する不審感である。そして、兌換紙幣から不換紙幣への変化を通貨の堕落と考えていることである。しかし、私は素人ながら、金本位制は時代に合わないので、貨幣制度を国家の信用とリンクさせる制度に進化させたと見るべきだと思う。勿論、それが成立するためには、その国家が節度ある金融政策をするという前提がある。

それは、中世の都市国家から領域を定めた主権国家への歴史の変化と同様であると思う。以下は耳学問ではあるが、30年戦争後に定まったウエストファリア体制が現在まで続いている。この主権国家体制と調和する貨幣制度は、金本位制ではなく現在の国家の信用とリンクする貨幣制度だと思う。

この現在の国家体制と調和する貨幣制度への移行は、ニクソンにより兌換紙幣としての米ドルの廃止により始まったのだと思う。もし、金本位制に戻すことが必要なら、何時でもできる。ただし、その時、金の値段は1グラム数十万円というとんでもない値になるかもしれない。(補足1)それでも、何の本来価値(intrinsic value)もないbitcoinよりもしっかりとした制度になるだろう。

2)金本位制は、物々交換の延長であり、金(ゴールド)の価値は物としての価値から貨幣としての価値に変化した。それでも、金の価値は、いまでも貴金属中最高の価値を持つロジウム(金より高価)や同じく触媒として使われるパラジウムなどとたいして変わらない。つまり、金の物としての価値と貨幣としての価値に大差ない。つまり、金本位制は原始時代の物々交換の時の貨幣制度と本質的に同じである。(追加2/13/18:30 この部分で、現在でも金を一定の範囲で通貨として観ているのは、西欧諸国などが、外貨準備として金を保持しているからです。)

勿論、金の預り証から紙幣ができた時に、一定の進化があっただろう。しかし、英国ロスチャイルド家のネイサン・ロスチャイルドが英国での貨幣発行権を独占することで、近代の銀行制度の大きな変化があった。紙幣は金と交換可能だが、何時でも金と交換できるという信用が兌換紙幣の価値を決めるようになった。つまり、金の総量が紙幣の金額の総量よりも少なくても、その比が一定値以下なら、必要な時には金に交換できるという信用で貨幣制度は維持されたのである。

20世紀後半になって世界経済が大きくなり、世界の基軸通貨であった米ドルの発行量と連銀(FRB)の倉庫の中の金の総量(約8000トン)との比が一定上になってしまったので、米ドルの金への交換を止めることになった。それがニクソンショックである。その原因として、連銀の倉庫にが本当は空っぽになったという説を唱える人もいるが、そうではないだろう。しかし、もしその時代にある国が、その国が持つ米国債を全てドルに換えて金と交換するように依頼すれば、直ちに連銀倉庫は空になり米ドルは紙くずになった筈である。(補足2)ニクソンの決断は当然だったと思うし、世界の貨幣制度も既にそれを織り込んでいなかった筈はない。

世界経済の拡大は、より多くの基軸通貨を必要としたのである。その要求には、米国が紙にドル札のデザインを印刷し、それを世界の欲しいものと交換すれば対応できる。それは差し当たり米国にとって嬉しいことだが、それは後々米国の経済感覚を不健全にしたのだと思う。現在、米国連銀は不健全な債券を資産から無くす苦労をしている。

3)国家の信用とリンクする貨幣は、国家のあり方と調和する。

金を貨幣として用いる場合には、金の偏在があれば経済活動は円滑にはいかない。しかし、金の預かり証になれば、紙と証明印があれば何時でも発行できるので、経済活動をより円滑に行える。更に現在、クレジットカード、プリペイドカード、電子マネー、更にアップルペイなどの技術で、支払う際の手続きの簡素化が進んだ。

しかし、その支払いは全て政府保証の通貨である。行政機関と金融を分離するのは、放漫財政に陥るのを防止するためであり、中央銀行は私企業というより政府の一部門と考えるべきである。実際、米国FRBでも日本銀行でも、そのトップは政府が承認(あるいは任命)し、剰余金は政府に譲渡される。日本銀行では、株式は公開されているがその99%は財務大臣が保有している。

ここで、全くの素人だが、個人周辺のお金の流れについて少し考えてみた。次の図は、それを図示したものである。法人の間の取引などを省いているので、GDPなどの統計とは無関係である。国民一般(政府や法人の構成員も含む)は、仕事に対して給与をもらう。それを使って、法人から財やサービスを購入し(①)、政府等から行政サービス(②)をうける。余ったお金は貯金という形で、法人である銀行に渡し、その代わり通帳に預金額をプラスしてもらう(③)。

ここで、図中の式:給与=企業に支払う物やサービスの代金(①)+税金(②)+預金等(③)となる。

この図に無いのは、労働とそれに対する賃金という往復の矢印である。その矢印の太さが、国民が支払う代金の総和の矢印(①+②)より少し太くなるように、国の内部で決めているということである。(補足3)この部分が預貯金の部分(青い線)であり、ちょっと異質に見える理由である。

この20年間日本国民は金融資産として1700兆円も持っていると言われている。会社も債務超過を避ける意味で、利益剰余金などを溜め込んでいる。一体、そのお金とはどういう意味があるのだろうか。

金融資産は単に預金通帳の上の数字であったり、株券や債券という紙切れであったりする。株券や債券は企業の債務であり、貯金は銀行の債務であり、現金は国家の債務である。つまり、金融資産は企業とか政府の債務であり、それは将来それらが提供する財やサービスの購入に用いることができるという法的権利を示したものである。その権利獲得の具体的な意味は、それまでに会社が行なった設備投資や国家が行なったインフラ整備や施設の建設などへの貢献である。

従って、それらは全てその義務を負うものが明確に存在することが必須である。それを欠いているデジタル仮想通貨の発行が、詐欺的行為でなくて何なのか。つまり、預金額として1700兆円あると言っても、そのお金に相当する工事や工作機械など物品の購入は全て既に行われているのである。マネーストックと言っても、それに相当する物としてのストックなど殆ど0に近いのだ。(補足4) なお、一部は外国に対する債券として存在するが、それはこの議論の補正項であり別途いつかその意味は考えることにする。

健全な家計や健全な企業は、債務超過ではない。従って家庭や銀行を含めた企業の正味の預金&現金の合計は、近似的に日銀を含めた日本国の債務である。そうであるのなら、お金が国家の保証する法定通貨、つまり国家の債務を切り分けたものであるべきだというのは、必然ではないのか。そして時々日本国の債務残高が非常に大きいことを問題視する発言が政治的意味をもって発せられるが、それは国民が異常に多くの貯蓄を持つことが問題であると言うことと等価だということである。

国家の純債務が0に近く、国民が多額の貯蓄を持つのが正しい国家のあり方だというのは、エゴイズムである。何処かに借金大国がなければ成立しない論理だからである。そのような世界のエゴイズムを引き受けてきた国があったとしたら(事実米国はそれに近い)、その国はちゃぶ台返しの様に一旦財政破綻をして、新ドルを発行すると言っても非難できないことになる。


以上は理系人間の素人考えであり、社会科学系の方の反論等期待します。

補足:
0)前回の記事に書いたように、ビットコインは金ににている。それらを貨幣に用いるのは、最新技術を用いているものの、貨幣制度の退化である。
1)連銀の倉庫に8000トンの金があるのなら、そしてマネタリーベースに相当する金を保有するとした場合、1g = 500ドルの金価格でドルは兌換紙幣になり得る。
2)8000トンの金は、約2.6億オンスであり、それを当時のレート35ドル/onceで計算すると、わずか91億ドルとなる。これは少なくとも2年後の日本の外貨準備より少ない額である。現在の金の市販価格は、1オンス(約31.1g)あたり1300ドルである。
3)労働と賃金の具体的な形と量は社会全体で決める。労働に客観的な本来価値があるわけではない。我々人間が一人一生かかっても、テレビ一台作る能力などない。我々はスイッチを推したり、ツマミを回したりするだけの行為を仕事と呼び、それにより過去の人類が築いた社会によって養われているのである。その自覚が現代人には欠けている様に、私には見える。
4)物品としての在庫は多少ある。しかし、それはここで本質的な意味を持つものではなく、企業の投資の一形態として存在する。

2018年2月10日土曜日

デジタル仮想通貨はグローバリストの新兵器か?

1)昨年秋、竹中平蔵氏が仮想通貨を推奨する発言を、Coin Choise というサイトでしている。「通貨決済の手段として、国の権威などのお墨付きがなければ安心できなかったのだけれども、新しい技術を駆使することによって、そうじゃなくできる様になった。」ただ、「今後発展し続けるためには、やはり決済に使えるしっかりした基盤が必要です。」とも述べている。
https://coinchoice.net/takenaka_heizo_bitcoin1/(竹中平蔵、仮想通貨をキーワードに検索すれば出てくる)

竹中平蔵氏は、ビットコインなど仮想通貨が今後広く決済に使われる基盤を、国家のお墨付き以外に手に入れることが可能だと言っているのである。この意見に対して、内閣参与の藤井聡京大教授は、竹中氏の仮想通貨擁護論を詐欺的行為に近いと批判している。https://www.youtube.com/watch?v=145_psmN2C4

藤井氏は、ビットコインが通貨として相応しくない点として、①他者(国家や店舗など)に通貨として受け取りを要請する権威はない、②金融政策が効かない点(価値の変動が大きい)、③ハッキングなどに弱い、などの点を挙げている。通貨としての権威が本来ビットコイン等に無いのか、それとも現状無いだけなのかについては、藤井氏は明言していない。それ以外の点では藤井氏の意見が正しく、竹中氏の発言は経済学者として異常だと思う。

竹中氏の頭脳は優秀である。小泉政権の時に経済財政政策担当大臣や金融担当大臣を歴任している。竹中、小泉という二人は、忠実な米国追従派であり、所謂グローバリストたちのエージェント的人物であると私は思う。竹中氏のこの記事を読み、私は仮想通貨とはグローバリストたちが繰り出した、新しい国境を破壊するための武器なのかもしれないと思った。

最初は共産主義を用い、次に経済障壁の撤廃という方法で、国境をなくす努力をしているグローバリストたち。しかし、共産主義政治は政治的不安定を世界にもたらし、膨大な犠牲者をだしている。次の経済障壁の撤廃は、貧富の差の拡大を世界にもたらした。仮想通貨も彼ら金融を支配する人たちの企みだと思う。それは、世界経済を大混乱に導く罪深い行為のような気がする。

2)ネット上でビットコインを擁護するのは、竹中氏だけではなかった。MAG2NEWSというネットマガジンで、「なぜ仮想通貨まで叩かれる? 新しい技術の登場を拒絶する日本」と題して、冷泉彰彦という人が日本での仮想通貨批判を批判している。http://www.mag2.com/p/news/348415?l=qux0596bfd ただ、この冷泉を名乗る人物の批判はナイーブなものではある。

これら仮想通貨擁護派の人たちの共通認識は、「貨幣としての信用は皆がそう信じることで生じ、貨幣となるものの本質的属性によるわけではない」という思想である。その思想については、数日前にビットコイン研究所を名乗る機関の記事を当ブログでも紹介した。http://doublehash.me/bitcoin-enten/

ビットコインの推薦者は、これら仮想通貨が金つまりゴールドのように皆がその価値を幻想すれば、世界通貨となり得ると考えている。つまり、金に本来値打ちなどないのだから、ビットコインも現代版の金通貨となり得るという意見である。しかし、現代の通貨は金と同じではない。

ニクソンショックの時に、通貨は金の裏付けを無くした。しかしそれは通貨の質的低下というよりも、「国家が保証する通貨」という通貨の新しい時代が始まったと考えるべきだろう。通貨が原始的な金の質札から、国家の下部組織である“中央銀行の債務を切り分けたものとしての紙幣”になったと見るべきだと思う。

もし金が普遍の貨幣たり得るのなら、兌換紙幣に戻せば良いだけである。金が幾ら高価になろうとも、数百も出来ていて、もはや希少性があるとは言えない仮想通貨の価値を信じるよりは、1gで10万円の金の価値を信じる方が世界の人々にとって容易である。

3)しかし、法定通貨に問題がないわけではない。基軸通貨である米ドルの信用が、米国の節度のない経済的姿勢により、低下している点である。それを指摘した記事が米国の仮想通貨応援サイト(cointelegraph.com)に出され、日本語に訳されている。記事の題名は、「もしも米ドルが仮想通貨だったら?」である。

https://jp.cointelegraph.com/explained/what-if-us-dollar-was-just-another-cryptocurrency-expert-blog-jpより引用

上図は最近の米国のマネーストック統計である。15年ほどの間に2.6倍ほどになっている。つまり、お金(ドル)をドンドン使って、その借金を貨幣としてバラまき、それが米国に還流する際には、ドル立ての資産(外貨準備や債券など)となり肥満児の脂肪のように全世界に溜まり、また一部は基軸通貨として流通し続けているのである。(補足1)

上図は対外純資産を主要国について示した図である。2016年末に1000兆円近い対外債務を米国は持っている。つまり、これ以上の対外債務を蓄積することができないので、新たに仮想通貨の発行で、米ドルの回収をやっているのではないのか。

重要な点は、米国が世界の基軸通貨を発行して巨万の利益を得ている以上、それを正しく運営する責任を果たすべきであるということだと思う。しかし、放漫な経済感覚により、更に赤字を垂れ流す体質に悪知恵がプラスされたのが、今回の仮想通貨だろう。

その米国経済を牛耳る人たちの節度のなさは、数多くの新しい仮想通貨の発行が予定されていることでもわかる。2月10日以降でも30近くの仮想通貨の発行が予定されているが、推測だが、多くは米国での発行だろう。https://jp.cointelegraph.com/ico-calendar

仮想通貨については、3月のG20で何らかの規制がかかる可能性が高い。しかし、G20の中で圧倒的力を持つ米国は、その規制をなるべく弱くする方向で諸国に圧力をかけるだろう。

補足:
1)この脂肪分を完全に取り去ることが、強大な軍事力を持つ米国ならできる。その方法は、財政破綻とドルの紙くず化である。どこかでトランプは、破産も米国の選択肢だと言ったような気がする。

2018年2月9日金曜日

歴代自民党政権の朝鮮半島に対する無策

平昌五輪が始まり、北朝鮮の対韓国&対米外交攻勢が始まった。金正恩の妹はなかなか知性に優れているようで、韓国の世論を味方につけるべく微笑外交を開始した。単純な米国民も安倍総理のしかめっ面よりも金与正の笑顔を歓迎するだろう。大衆の知性とはその程度であり、特に誤った情報で洗脳された米国の大衆なら尚更である。

マティス副大統領は言葉を選んで喋るだろうが、安倍総理は北朝鮮に圧力をかけるべきだとか、北朝鮮は核廃絶すべきだとか吠えて、米国の犬の役を果たすだろう。マティス副大統領はその犬をあやして、まあまあここは抑えてとか何とか言って、最終的には何も重要な発言なしに帰るだろう。

トランプ大統領はもともと米兵の犠牲を払ってまで、北朝鮮を攻撃する気持ちなど毛頭ないだろう。ただ、産軍共同体への発注額の増加に役立ち、かつ被害の少ない方向、つまり日本や韓国が被害の大半と相当の軍備増強を受け持つのなら考えるだろう。韓国の文在寅政権は必死にそのシナリオを避けようとしているが、日本の政権は何も考えていない。

日本は朝鮮戦争に直接関係ないのだから、まともな独立国なら、米国に朝鮮戦争の終結と和平の提案を1975年の国連総会での決議の繰り返しでも良いから、主張すべきだった。自民党の政治屋連中は対米従属路線に安住して、日本国民から将来の安定を奪った犯人である。池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎など長期政権を担当できたのは、単に米国の犬だったからだ。

今回の北朝鮮問題では、最後に日本ははしごを外されて、米国と中国の二大派遣国の谷間の緩衝国になるだろう。両方から利益を吸い取られるための国となり、日本民族消滅の危機がおとづれるような気がする。

米国が恐れるのは、ロシアと中国であり、北朝鮮ではない。北朝鮮の核兵器は、金正恩が言っているとおり、対米抑止のためであり対米攻撃の為では無い。もちろん、対日脅しの役割は十分果たすので、北朝鮮との基本条約のときにはたんまりむしり取るための道具になるだろう。

米国支配層が憎いのは日本であり、北朝鮮ではない。第二次大戦では米国は勝ったものの予想外の被害を被った。広島と長崎に原爆を投下したが、それは米国にとっては忘れたい過去の悪行である。そのトラウマは、日本憎しの大合唱を東アジアで起こすことで多少とも薄めることが可能である。

そのために、朝鮮半島に慰安婦問題など反日感情を醸成し、中国には南京大逆殺の捏造を進言した。李承晩はそれを忠実に実行したし、アイリス・チャンはベストセラーとなる本を書いた。彼女がその後直ぐ死んだのは、証拠隠滅だろうという噂もある。長期政権を誇った自民党議員たちは、そのような話をしらないのなら馬鹿だし、承知していながら対米従属路線を撮り続けたのなら国賊である。

明治維新いらいの薩長土肥の者たちは、日本を二度潰すのだろう。一度目は何の戦略もなく、満州から中国侵略に移行して、虎の尾を踏んだ第二次大戦であり、二度目はこれからの米国による日本封じ込め戦略の完成だろう。

以上内容の多くは、元外交官の馬渕睦夫氏や孫崎享氏、米国在住の伊藤貫氏らの受け売りかもしれないが、そして、これまでのブログに何か新しい内容を加えたわけでもないが、世界の政治が動く時期かもしれないので敢えて書いた。

2018年2月6日火曜日

西部邁氏の自死の意味

西部邁氏(補足1)が多摩川に身を投げてから、2週間経った。そして、自分で自分の命を閉じる「自裁死」という言葉が日本中に投げかけられた。佐伯啓思という方が追悼文を書いている。それによると、 佐伯氏が東大大学院時代、赴任した西部教授が学生たちとの議論のなかで絶えず問いかけた言葉は、「お前は何を信条に生きているか、それを実践しているか」であったという。 https://digital.asahi.com/articles/DA3S13328671.html?_requesturl=articles%2FDA3S13328671.html&rm=150

恐らく、それは西部氏が自分自身へ日々問いかける言葉でもあったのだろう。その問いかけの答を実践するかのように、西部氏は先月21日(2018/1/21)自分で自分の命を閉じた。つまり、その日西部氏が自問し出した答えが、最後の仕事として「その問いかけ」を日本中に投げかけることだったのだろう。一人の生と死のストーリーとして、見事という他ない。以下、西部氏の言葉を反芻したい。

西部氏の言葉は聞く人により意味が異なるだろう。しかし、最も重要な対象は、日本国の大衆だったと思う。そしてその問いの意味は、「人間にとって死は相対的で、選択肢の中にある筈でしょう?」ということになると思う。(補足2)つまり西部さんの自裁死は、自分のそして家族の安全とか健康とかに無限の価値をおく現在の日本社会の風潮と、それがもたらす日本の将来を危惧した警鐘だと思う。

民主政治が純粋過ぎる形で存在する日本(補足3)では、大衆の考えは日本政界における思考方向を支配する。日本には40年前にも、「人の命は地球より重い」という言葉で、憲法も法律も論理も無視するような決断をした総理大臣がいた。そして現在、健康や医療が大衆の視野の大半を占め、将来の国家を危うくするような事態の兆しなど、視野の片隅にもない状況を生み出している。

昔、武士は死ぬべき時と場所を考えた。自分の命を民族の繁栄など「義」のために使うという発想で、死を乗り越えた人たち。その死は、武士という誇りと表裏をなすと考えられる。誇り高い人がほとんど居なくなり、且つ、そのような人はむしろ嫌われる今日である。

大衆の「人(つまり自分)の命は地球より重い。健康(自分の)こそ最優先課題」という“傲慢”は、イナゴの大群が米を食い荒らす様に、日本の将来をも食い荒らしているのではないか? それが西部氏の遺言の様な気がする。

補足:

1)西部邁氏は東大経済学部卒の経済学者で評論家。代表的著作に「大衆への反逆」がある。(なお、「大衆の反逆」は西部氏がよく引用するオルテガの著作題名である。)最近では、伊藤貫氏との討論が印象に残った。https://www.youtube.com/watch?v=t63ddMF5BSs

2)人間以外の動物は自分が死ぬ存在であることを自覚していない。従って、動物にとって自分の命は絶対的である。しかし、人間は唯一自分が死ぬことを知る存在である。それは、非常に小さい確率かもしれないが、死が人間個人の選択肢の中にあることを意味している。

小説の中で先ず思い出すのは、①深澤七郎の小説「楢山節考」である。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html そして私は、②山崎豊子作「大地の子」の中で、主人公の陸一心が養父母とともにチャーズ(それは生死を別ける関門だった)をくぐり抜ける時の様子を思い出す。陸一心が残留日本人孤児であると疑った監視兵の尋問に対して、養父が「自分はここに残るので、この子を母と共にくぐり抜けさせてくれ」と言って、誤魔化したのである。いずれも、自分の命を相対化することで、人の義を示したのだと思う。

3)これについては何度か書いた。例えば“政治大国は民主政治を採用しない :民主主義はモルヒネである”: http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/09/blog-post_9.html