2017年10月21日土曜日

宗教の発生と目的:雑感

今日は、宗教をどう考えるかについて、現在の考え方をまとめてみました。有限の知識を自分なりに活用して、一つの回答を出しているつもりです。(補足1)間違いを指摘してくださる方があれば、批判をお願いします。

1)宗教は、人が生きる道を見つけるための一般的な考え方(補足2)として創造されたと思う。その考え方は、人がどのような情況にあり、どこで人生の袋小路に入り込むかにより異る。宗教が対象とするのは、個人の場合もあるが、一定の土地に住む一群の人、つまり部族も対象にするのが普通である。勿論、人間が社会を作って生きる以上、比重に差があっても個人と集団の両方を対象とするのは、当然である。

自然の中で命には、一般にいろんな試練が待ち受けている。考えることを運命づけられた人間は、その生をどう考えれば良いのだろうか。具体的には、“死の恐怖”をどう克服するかとか、有限な食料と有限な自分の能力という拘束された条件をどう生きるかという類の問題への回答が無くては生きるのは困難になる。

その問題に対して、仏教は“色即是空”という答えを用意したと思う。形あるものは本質のない虚しいものであるという意味である。従って、形あるものに拘泥してはならない。自分の生もその一つである。本質としての精神の救いとは、形あるものへの拘泥からの解放である。滅びこそ救いであるとして、死に対する恐怖を克服する。つまり、入滅とは涅槃の境地であり、それは悟りを開いた人の死である。

形あるものは本質的でないが、本質的な永遠の存在は否定できない。それを否定してしまえば、混沌と蒙昧の中に落ちるだけだからである。もし人に精神という本質があるのなら、他の形あるものにも類似のもの、つまり本質的で永続的なものが有る筈だと考えるのは不思議ではない。

2)人よりも、人に生きる場、そして幸せと試練とを与えてくれる自然は、もっと偉大で本質的な存在である筈だと考え、それを崇拝するのがアニミズムだろう。その一つが、日本の神道である。神道では、白山や御嶽山などの偉大な自然を神として崇める。神道では他に、あらゆるものが神となる。大きな杉の木であったり、巨大な熊であったり、岩であったりする。

大きな自然災害が頻繁に発生する日本では、神道を信じている人が殆どであり、それが日本文化の基礎であると思う。この国では、言葉にも霊が宿るので、“不吉な言葉”はなるべく避ける方が無難であると、無意識に信じている人が殆どである。(補足3)無意識に信じているため、特別に他の宗教を持たない日本人は得てして、自分は無宗教だと考えがちだが、決してそうではない。

仏教とアニミズムの発生の順番は、アニミズムが先であると思うが、説明の都合で順番を逆に論じた。因みに、アニミズムと仏教を統一したような文学が、深沢七郎の名作「楢山節考」である。これについては、既に書いた。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html

3)自然やその一部である自分自身に対峙する宗教として、アニミズムや仏教を例として上に説明したつもりである。アニミズムは最も古い形の宗教であるというのは宗教学者の一致した考えのようである。一方、有史後に生じた仏教の誕生と普及には、一定の条件があり、それに合致する地域は限られるだろう。つまり、生きる上での主な問題が、自分と家族の生命維持、およびそれらの死との対峙である場合である。その四苦八苦(補足4)のみと対峙して生きるのは、世界史的には比較的恵まれた地域の人たちだろう。

例えば、農業技術などの発展と伴に、より大きなグループを作るようになると、小さな島、或いは移動や移住が比較的困難な場所では、そのグループが地域を満たすことになり、その段階でグループ外の部族や民族による日常的な襲撃は無くなる。従って、部族や民族の団結を目的とした宗教はそれらの地域では発生しなかっただろう。

一方、生きる上での一番の問題が、匪賊や他民族の襲撃である地域では、別のタイプの宗教が必要だろう。それは、自分の属する部族や民族の団結に寄与するタイプの宗教である。

広い大陸では、多少グループが大きくなったとしても他地域からの侵略略奪行為が大規模且つ一層悲惨な形になるだけで、完全に自由になる方法は、侵略者の殲滅以外にはあり得ない。そのような地域では、一人の偉大なリーダーによりその民族を束ねるための宗教が発生しただろう。

ユダヤ教がそのタイプの代表だろうと思う。大きなグループ(民族)が厳しい環境に置かれたことが、偉大なリーダーを生むことに繋がったのだろう。大きなグループであったことの証として、一般民に与えた指針が今尚類を見ないほどの偉大な聖典となっている。他宗教の信者でも、創世記の創造神話が神の啓示により書かれたと言われれば、それをなかなか否定できないだろう。(勿論、それ以前の神話や伝承に似たものがあるかもしれないが、私はその知識に欠けるので、何とも言えない。)

4)原始時代では、戦争は他の部族を殺すことであっただろう。しかし時代が進み世界史の主人公が、部族から民族、そしてそれらを超えた国家という単位になった時には、戦争の目的は他の国家を支配下に置くことに変質した。つまり、隣接部族以外には、元々不倶戴天の敵という関係では無いから、憎しみによる殲滅よりも、利益の為の支配に変質して行ったと思うのである。

そのような時代になり、支配者と被支配者の関係のなかで、被支配者であっても尊厳を保ち強く生きることを示したのがキリスト教ではないだろうか。そこで、「爾の敵を愛せよ」という“昇華された愛”が始めて示されたのだろう。この当たりについては、パウロについての解説書(補足4)を読んでから、再度考えてみたい。

因みに、日本の皇室の起源と繋がる“伊勢神道”は、オリジナルの神道を太陽神である天照大神とその子孫という神格化した英雄とを信仰する宗教に変質させたものだと思う。また、伊勢神道から生じたのが、国家神道であり靖国神社だろう。しかし、伊勢神道までは日本民族固有の宗教(補足5)だと考えても、国家神道と靖国神社とは一線を画したい。勿論、両者は非常に近いのだが、皇室は日本のシンボルであり、オリジナルな日本民族・文化の範囲内だが、靖国神社は江戸末期以降の過ちの日本史の産物であり、受け入れる必要はない。(編集18時30分)

補足:

1)知識ばかり集めて、結局多論併記型の文章しか書かない類の評論家は、道具ばかり集めて何も独創性のある研究が出来ない研究者と同じである。
2)個人の具体的な問題を対象にしていては、人生相談のファイルの様になってしまう。一般的というのは、具体的な問題に対処する考え方という意味である。
3)「言霊」というと、そんな馬鹿なと言下に否定する人が多い。それほど“深い信仰”なのである。何故、語呂合わせで日柄を決めるのですか?街角の至る所になる「ポイ捨て追放」とか、「美しい街〇〇市」とかいう看板は、何の為にあるのですか?と言っても、尚わからないだろう。 政治の分野では言霊も深刻な影響をもたらしている。現在のGHP民政局が作った憲法に「平和憲法」という名前をつけた人の作戦通り、日本は60年間憲法改正が出来なかったのである。
4)キリスト教を考える鍵は、聖書とパウロの生涯だろう。ユダヤの民を支配していたローマまで、信徒にしてしまったプロセスについて知りたいと思う。パウロと彼によるキリスト教(布教)を批判したのが、ニーチェ著の「アンチクリスト」である。
5)オリジナルな神道とは別である。オリジナルな神道は個人的なもので、朝、太陽を拝み手を合わせる老人の姿に見ることができる。伊勢神道は、お伊勢参りと皇室崇拝の日本の伝統であり、民族的なものである。

2017年10月20日金曜日

北朝鮮問題の落ち着き先は、米中露関係により決まる。日本は自律的に日米同盟を考えるべき時である

1)日本は選挙戦たけなわである。マスコミも、誰それの戦いだの予想獲得議席だのと、その話題でもちきりである。しかし、その光景はタイタニック号での船中ゲームの様に感じる。氷山が近づきつつあるのに、そんなバカな議論をしていても日本号は大丈夫なのか?

不気味に静まる金正恩と政争真っ只中の中国、その後の展開が非常に気になる。以下の動画での宮崎正弘氏の考えたシナリオは恐ろしいが、一定の説得力がある。https://www.youtube.com/watch?v=9Yh_Y9VJyIc&t=15s
それは、戦争に疲れた米国に東アジアの面倒を見る余裕はなく、中国に全てを任すのではないかというものである。

北朝鮮問題の解決を中国に任すかどうかは、米国が今後の米中露関係をどのように考えるかに強く依存する。民主党政権時代以降、クリミヤ問題などで米ロ関係は最悪である。就任直後のトランプ大統領は、どちらかと言うと中国よりもロシアとの関係を親密(補足1)に考える様子だったが、政権交代後も米国政府の路線は、北朝鮮問題の深刻化の為か従来の親中路線のままであり、ロシアとの関係も従来通りのままに見える。米国での大統領の力は思ったほど大きくなく、大統領の考えだけで米国を大きく動かすことは出来ないと解釈すべきなのか、それとも大統領の考えが変化してきたのか、どちらか分からない。

この北朝鮮問題においては、現状、米国は中国と密接に交渉するが、ロシアの力を殆ど借りようとはしない。その結果、北朝鮮は中国よりもロシアを頼りにしている様子である。

北朝鮮問題を中国に任すとは、中国の習近平政権が、北朝鮮の金正恩政権を潰して、中国の傀儡政権をそこに立て、核兵器の管理を中国がするということになると言う話である。その様な大規模な干渉を中国にやってもらうことになると、米国は現在以上に親中国的姿勢を今後取る必要がある上に、具体的な相当のメリットが中国になければならない。

宮崎氏は、その筋書きの背後にある米国の覚悟とは、韓国を見捨てて米軍が朝鮮半島から撤退することであるという。つまり、中国が朝鮮半島を完全に支配下に置くことに同意するという、大きな利権を米国が中国にプレゼントするという話である。

2)そのような大胆なことを米国はやるだろうか?
それは結果として、米国が、中国のこれまでの主張である「太平洋を米国と二分して管理しよう」という提案をそのまま飲むことになる。つまり、韓国からの米軍撤退の先にあるのは、短い時間内での東アジアからの完全撤退である。それは取り残された日本にとっては最悪のシナリオであるが、ただ宮崎氏はそこまでは言わなかった。(言うまでもないということかも)

しかし、そのシナリオは間違っている可能性がある。これから世界において米国のライバルとなるのは、ロシアではなく中国であるという視点が抜けているのではないだろうか。

冷戦が終わった後、米露或いは米中の新冷戦が始まっているという考えが、現在の国際政治の専門家の間で支配的である。現在、ロシアと中国は親密な関係にあることや、世界最強国家が米国である限り、米国対中露の対立が深刻となり、且つ、人口の大きさや中国のあからさまな米国への挑戦の姿勢などから考えて、米中の対立が新冷戦の最も大きな構造だと思う。http://www.mag2.com/p/news/316788

あからさまな挑戦とは、AIIBの創設と一帯一路構想を進めることで、「人民元」を世界(の一部)の基軸通貨としようという考えである。(補足2)そもそも、朝鮮戦争を温存してきた(補足3)のは、東西冷戦に対応するために米国の支配圏の中に日本と韓国を置くためであった。それならば、新冷戦に備えて、それを維持する筈だと思う。米国がそれを諦めるのは、米国経済が斜陽から破綻に至る時だろうと思う。

しかし、それ以上の課題が中東にあると、宮崎氏は考えているのだろう。石油が国内生産できる今、米国にとって中東が何故それほど大事なのだろうか?米国政治に大きな力を隠然と持つイスラエルとの関係かもしれない。(補足4)その当たりについては、私には良くわからない。

米国が中国との対立の姿勢を崩さないのなら、当てにするのは日本の軍事力だろう。日本は、米国の韓国を見棄てる路線、その次の日本を見棄てる路線を獲らせないようにするつもりなら、日本が中国の太平洋第一列島線以東への進出を食い止めるために積極的役割を担当する姿勢を示さなければならないだろう。それと同時に、米国との連携を失うことが日本国にとって致命的となることを、日本国民に対して明確に示さ無ければならない。
http://mikitogo.at.webry.info/200907/article_14.html
それ以外のより可能性の低い、そして、多分より危険な選択は、緊密な同盟関係の相手を米国からロシアにかえることである。それは、中国の支配下に入るのとたいして変わらないような、日本にとっては苦難の歴史となる可能性がある。中ロ関係がもし緊密であり続けるとすれば(あまりあり得ない状況かと思うが)、第二列島線の近くに線を引き、北の方をロシアの支配下におき、南西の方を中国の支配下に置くようなところまで行く可能性があると想像する。

3)何れにしても、習近平の独裁体制が誕生するのなら、これからの数十年は中国の拡大の歴史となる可能性大である。(補足5)既に、第二列島線上に基地となる場所を確保しつつあるという。グアムやパラオなどの島々にホテルなどを建設している。民間資本といっても、中国の場合は便衣兵みたいなもので、正体は共産党政府の手先だろう。北海道の土地を買い占めているのも、ヨーロッパへの北極海ルートの確保を意識しているという解説を聞くと、空恐ろしくなる。

日本の本当の情況は、常に上記のような二つの帝国的国家(補足6)を隣国に持っているということである。もう一つの世界一の大国と、それら二つの帝国との関係を日本の問題として自分で考える時代が来ている。それを北朝鮮が我々に知らせてくれたのである。その当たりの議論が、選挙というのなら、本当の政治家にしてほしいことである。短期間にそこまで日本が成長しなければ、「ひよわな花」の国は滅びる運命にあると思う。

現在の自民党にはそれが出来ない。現在の情況を考える時、江戸末期を想像してしまう。国難の時、徳川慶喜はあっさりと大政奉還した。しかしその後も、孝明天皇は江戸幕府の統治及び外交能力を高く評価して、それに頼ろうとした。確かに江戸幕府の方が圧倒的に能力が高かった。しかし、もし倒幕がなければ、近代的な国民国家はできなかっただろう。それと同じように、自民党以外は頼りないだろう。しかし、自民党が破壊されなければ、政治が上記のような根本からの思考をしないと思う。

本当は、政治のリセットが日本再生に向けた大事なプロセスのような気がするが、もうおそすぎる。蒸気船はたった4杯で太平の眠りを覚ますことができたのに、北朝鮮の核搭載ミサイルは、それにも劣る位の覚醒効果しかないのか?或いは、日本はそれほど深い眠りについているのか、それとも麻酔にかけられているのだろうか?

補足:

1)国際政治の場面では、「親密である」という言葉は、「その国と協力すれば今後多くの利益が得られる」と考えているが第一の意味だろう。そして、第二に文化的、歴史的、人種的な親近感があるという意味が加わる。そのように考えるべきだと、多くの専門家が言っていたと思う。勿論、第二の意味の方が、基礎的長期的(下部構造的)な意味があり、重要だという考えもあるだろう。
2)シルクロードに沿って、経済協力を行い、インフラ投資を国々にさせる。その工事を中国企業が請負、その支払をそれらの国々に貸し付けた元で行うのである。そこに中国人を移住させて同化させ、深部から中国の影響下にそれらの国々を置くという政策である。
3)東アジアに足場を置く理由として朝鮮戦争を必要としてきたと明言する米国要人の言葉を、本ブログで紹介した。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43411999.html
尚、マッカーサー将軍が朝鮮戦争の完全勝利を目指した作戦をトルーマン大統領に進言したが、それが都合が悪いと考えた大統領に解雇されたという。(馬渕睦夫著、「国難の正体」参照)
4)イスラエルを訪問したトランプ大統領の嘆きの壁でのパーフォーマンスは印象に深い。また、娘夫婦はユダヤ教信者である。
5)中国経済は崩壊寸前であるとの話をされる方が多い。しかし、一度経済破綻しても、共産党の一党独裁体制は変わらないだろう。
6)中国やロシアを帝国と呼ぶのは言い過ぎだろう。しかし、その色彩を明確に持つことは事実だろう。

2017年10月18日水曜日

日本の政治は、保守とリベラルの対立か?

現在の政党を保守とリベラルという区分で議論することが多い。しかし、保守とリベラルの定義を明確にした上での議論は少ない。昨日の読売新聞の論点スペシャルに、“日本の「保守」「リベラル」とは”という表題で二人の学者の方の意見をまとめた記事が掲載されている。

1)東大教授で法哲学が專門の井上達夫氏は以下のような定義をしている。 自国の伝統的な宗教や文化を守るために個人の自由や権利を制約するのが保守で、政教分離や表現の自由など市民的・政治的人権を強調するのがリベラルである。

日本の政治では、
保守の自民党は、靖国神社公式参拝、選択的夫婦別姓反対、特定秘密保護法、テロ等準備罪などに見られるように、伝統保持や秩序維持のために市民的・政治的人権をある程度制限する。それを批判するのが立憲民主以下の「リベラル野党」である。

「」付きなのは、真のリベラルが日本に無いからで、その理念を定義している。リベラリズムの根本原理は、対立する人々の公正な共生の枠組みを為す正義の理念にある。

もう一人の学者は京都大社会思想史が専攻の名誉教授、佐伯啓思氏である。佐伯氏も具体的に日本の政治における昭和からの動きを説明している。冒頭に、保守とリベラルという対決の図式で日本の政治は語られてきた。しかし今、この対立は意味を失っている。(その一つの要因なのだろう、)日本には本当の意味での保守政党がない。せめてもっと大きな枠組みで憲法や安全保障について議論がしたい。

そのように二人の学者は言っている。(この記事は、記者が聞き取りまとめたものだろう。従って、二人の学者の考えが、正しく伝達されているかには多少疑問が残る。)

2)どうやら、日本政治の対立の図式を「保守とリベラル」という枠組みで考えるのは困難な様である。自民党=保守と二人の方も考えておられるが、自民党を英語で言うと、Liberal Democratic Partyである。つまり、自民党はリベラルを名乗っている。日本に真の保守はないという佐伯氏の指摘は、保守と思われている党の党名から(1955年から)既に明らかである。

保守とは何かというと、引き合いに出されるのが、保守主義の父と言われるエドモンド・バークの考えである。私が理解した「保守」は、社会を構成している「現在の人の知恵や知識」よりも、過去から現在まで其処で生きた遥かに多くの人により作られた「現在の社会」を重視する立場である。

そこでは人が社会を作って生きてきた間に出来た自然のルールを重視する。日本では、江戸末期に外国の影響を強く受け、暫定的に国民国家体制が急いで作られた。更に、海外進出と国家の背骨まで破戒された先の戦争での敗戦あと、10年して出来たのが自由民主党である。その経緯を考えれば、日本に本当の保守など存在するわけがない。有史以来日本に自然と根付いた慣習や法律(コモン・ロー)などは全て、明治から昭和の敗戦で完全に破壊されたのである。

つまり、日本の政治は急ごしらえの国民国家と、それによる大きな歩幅での歩みと転倒を経験したあと、未だに混乱の中にあると思う。日本の政治が、本来の保守やそれに対立するリベラルを形成するには、幕末からの外国の強い影響と日本のそれによる変化を出来るだけ事実に基いて評価及び消化吸収して、独立国日本を取り戻すのが第一に必要なことである。

しかし、現在の政権と政府は、それを拒否している。それは、その間日本を指揮した人たちの後裔が未だに日本を率いいているからなのか、誤りを指摘するのは日本の伝統に反することなのか、わからない。少なくとも、日本は今尚民主国家ではない。民は口をきかないし、口をきかないのが美徳の国なのだから。

井上氏は上記のように、「保守の自民党は、靖国神社公式参拝、選択的夫婦別姓反対、特定秘密保護法、テロ等準備罪などに見られるように、伝統保持や秩序維持のために市民的・政治的人権をある程度制限する」と書いている。しかし、靖国神社や国家神道など、江戸時代の伝統的な日本には無かったのであり、それを支持する政党など従って保守でもなんでもない。靖国は、混乱の中での建造物に過ぎないと私は思う。

2017年10月17日火曜日

東アジアに定着しない西欧の政治経済文化:レベルの低い日本の政治家とレベルが高い中国の政治家

1)読売新聞10月9日の論点スペシャルで、元衆議院副議長の渡辺恒三氏が、「失敗しない政治家選びは何か」というテーマについて書いている。そこで現在の政治家のレベルの低さは、政党助成金と小選挙区制が原因だろうと書いている。政党助成金の制度は、金欲しさに五人以上集まって党をつくる様にした。小選挙区制で、議員はサラリーマンのようになり侍がいなくなったという。(補足1)前者は小さい政党に、後者は自民党議員に当てはまるだろう。

また、記事の中で、「今は地域社会で暮らしていく上で、政治家が不可欠な存在ではなくなった。昔は、町や村を歩くと、あの橋を直してくださいとか、体育館をつくってくださいとか言われた。今は全部できたので、政治家にお願いすることが減った」と書いている。 なんと言う政治家論だろうか。政治家のレベルが低いのは、今に始まったことではない。

その一方で、今朝、たまたま中国チャイナセブン(中央政治局常務委員)の王岐山(順位は6位)の経歴を調べた。元共産党幹部の息子であり(太子党)、渡辺恒三氏と血筋と言う点では似ている。しかし、その経歴の凄さと能力の高さを見ると、それと比較した日本の政治家の経歴の浅さとレベルの低さは、渡部恒三氏自身の上記評で語りきれないと感じる。

一流の経済学者の王岐山は、アジア通貨危機の際に香港や広東省全体の経済立て直しを指揮して成功させた。一帯一路構想も歴史も専門とする王岐山の影響があるとされているという。また、李克強(中央政治局常務委員の序列第2位)の秀才ぶりは夙に有名である。

日本の政治家も、安倍総理を始め中国流にいえば太子党が多い。その中に一人でも、習近平や王岐山のような下放という試練の時を経た人がいるだろうか?また、その中で実績を上げた人がいるだろうか?また、閣内に李克強のように独自に経済指数(李克強指数)を考案するようなレベルの知識人がいるだろうか?(補足2)

2)日本の政治家や財務官僚の其々幹部のレベルは、国の財政と家計との違い(補足3)さえわかっていないと、高橋洋一氏(元財務官僚)に悪口を言われる程度である。https://www.youtube.com/watch?v=sqa_zdUjov0

そのような行政トップの陣容で、サラリーマン化した国会議員たちの議論で、消費税を上げるとか上げないとか言っているのが、現在日本の政治の実態である。今朝のテレビでは、新潟4区と北海道11区の女の戦いが話題になっていた。演説の中身も本当に下らない。

一方、中国では明日から5年に一度の党大会である。習近平は権力を自分に集中すべく、これまでの主席とは違った身分に自分を置く可能性がある。一帯一路構想は、自分を毛沢東に並ぶ中国の指導者に位置づけるための神話作りのひとつだという説もある。

しかし、それでは中世への逆戻りではないかと思うが、中国で生き残ることはそれだけ困難なのだろう。中国の幹部は、一族を米国に留学などの形で逃がして、本国は出稼ぎの場所という感じである。国家の幹部が蓄財し、それを本国ではなく海外に持ち出すという状況では国の発展はない。(補足4)

中国と日本は、180度異なった国である。智者であり猛将である中国の政治家と腐敗した中国社会、遥かに劣った日本の政治家と公正さにまさる日本社会。何故、このような対局の国ができたか?それは恐らく、西欧生まれの政治経済の文化が、東アジアに受け入れられたが、定着出来ずに藻掻いている姿なのだろう。

以上、愚痴の書きなぐりのような文章でした。

補足:
1)同じ政党から一人だけ立候補するので、選挙において党内にライバルがいない。野党は非現実的でないことを言っているので、所詮ライバルになり得ない。
2)それでも、経済の中に支配層の欲と名誉があまりにも強く入り込んでおり、また、秀才の李克強や王岐山も所詮人間であり、最終的には大崩壊もあり得るだろう。素人には、中国の過剰設備、不動産バブル、信用の低い金融などの問題の規模はわからないが。
3)要するに、国の子会社的な中央銀行が貨幣の発行権を持っている。米国でも日本でも、結局貨幣という債務の裏にある資産は国債である。
4)中国には公という考え方がほとんど無い。その結果、国民は国家を信用しない。幹部も、できるだけ富と家族を海外へ移そうとする。薄煕来は、腐敗撲滅を政策に上げて習近平とトップを争ったが、習近平に破れた。その薄煕来を支持していた周永康は、周近平の不正蓄財を暴露しながら、逆に同じ罪名で周近平の手に落ちた。
http://www.recordchina.co.jp/b105578-s0-c10.html
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20140804/269590/

2017年10月15日日曜日

希望の党幹部の内部留保金課税に関する話はおかしい

一週間程前のテレビ放送で、小池百合子都知事が会社の内部留保が300兆円もあり、それに課税すべきだと言っていた。更に、「もし2%課税するとしても、6兆円の財源ができる」と数字を上げての具体的な発言であった。今朝のテレビでも、共産党の人(確か小池晃氏)が企業の内部留保が400兆円もあると言っている。だれでも一寸聞いた範囲では、そんなに金を溜め込んでいるのなら、課税すべきだと考えてしまうのではないだろうか。

そこで、少し考えてみた。内部留保金とは、会社の純益の内使わずにストックしたお金のことだが、課税などを考える場合その課税対象金額を計算するのは結構厄介だろう。何故なら、貸借対照表(BS)にはあからさまには現れないからである。

企業が、設備投資にも、配当にも、給与にも回さないで利益を溜め込んでいるというのだが、ストックされた金額はすぐには出ない。考え方としては、BSの債務の中の利益剰余金に一番近いのだろうが、利益剰余金は投資などに回しても、当然その額は変化しない。

もし、どうしても内部留保に課税するのなら、その年度の粗利益から給与など一般管理費等経費を引き、更に法人税と配当を引いた額を対象にするしかない。それから、企業規模や業種などにより調整した一定額の控除後の金額に課税をするのである。その場合、ストックに対するものではないので、希望の党の小池氏が言うような計算はできない。

希望の党の小池氏の2%でも6兆円という言葉は、企業の会計について何の知識もないか、或いは有権者を騙すための発言かのどちらかである。共産党の言う400兆円の内部留保に課税するという台詞も同様である。

確かにそのような課税を行えば、配当金や一時支給の形の給与が増加するだろう。しかし、そのような場合、企業買収や大規模投資などに向けて内部留保を蓄積するようなことが出来なくなるので、企業経営の方針に対して税務署が介入するようなことになる。日本の企業は、日本人一般と同じく将来不安を感じる経営者が多いから(補足1)、一定の金融資産を溜め込んでいるのだろう。そうなら、何かあったときに倒産などの危険性も増す。

兎に角、内部留保課税は二重課税という重要な問題がある上に、企業の体質を弱めることになる。日本がダイナミックな経済の国になるような、人材育成や規制緩和、更に、長期的には企業経営者レベルを含めた労働の流動性増加などが実現される方向への経済慣習の改質などが大事だと思う。利益が出たからと、法人税以外の方法で毎年それを吐き出させるのは、異常である。

それよりも何故、所得税に対する累進課税を考えないのか。日本のジニ係数0.379は米国を除く先進国では最も大きいと言って良い。(補足2)それを西欧諸国と同等の0.30付近まで下げる位の累進所得課税を考えるべきだと思う。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42992721.html

この方面に詳しい方の議論を是非頂きたい。

補足:
1)つまり、実力のない人が日本特有の企業文化のなかで出世して、社長などになっているということである。S-bankとかいう会社を起業した人のように、劣後債というような社債を兆円レベルで発行しても尚、高い信用と株価を実現している人は、日本の企業では非常にマイナー(優秀な)な存在である。(追記:劣後債の金額ですが、桁を間違えました。ただ、会社が発表している2018−2019年の予定額が1.1兆円です。10・15・19:00)
2)日本は、0.379で非常に高い。ドイツ0.27フランス0.31、イギリス 0.32、スウェーデン0.23など。

2017年10月14日土曜日

「藪の中」の真相:芥川龍之介の小説の粗筋と謎解き

芥川龍之介の「藪の中」の謎解です。既に下記サイトに簡単に感想を書きましたが、より詳細に謎を解き明かします。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/05/blog-post_90.html 結論は同じです。この謎がこれまで解き明かされなかったようにウィキペディアなどに書かれているのが不思議です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD#cite_note-6

§1。あらすじ:
山科の薮の中で、夫婦が盗人(多襄丸)に襲われ、縛れれた夫の前で女房はレイプされる。翌日樵(きこり)により現場に残る夫の死骸が発見され、その近くに縄(ロープ)と櫛が落ちていた。殺されたのは金沢の武弘26歳で若狭の国府の侍、女房の名は真砂で19歳である。母親の証言から、真砂は男にも劣らぬ位勝気な女である。母親は同時に金沢の武弘を優しい気立ての男と証言している。

盗人の多襄丸は女房を載せていた馬を奪い逃走するが、途中で落馬し下級の役人(放免)に搦め捕られる。多襄丸、妻の真砂、そして巫女の口から語られる殺された武弘の死霊が事の顛末を語るが、それらは自分の立場を守るために嘘を含んでいて、当然互いに異なっている。そして、真実は「薮の中」だということになる。しかし、著者は謎解きの解答を当事者の証言の中に用意している。

この出来事に関係した人たちの証言の要点を以下にかく。

A) 第一発見者の樵の証言:死骸は水干に烏帽子を被ったまま、仰向けに倒れていた。近くに縄と櫛が落ちていた。死骸の周りの草や竹の落ち葉が一面に踏み荒らされていたので、その男は殺される前によほど手痛い働きでもしたのだろう。

B) 多襄丸を捕らえた放免(下級の係官)の証言:多襄丸という男は女好きの盗人で、昨年も寺の後ろ山で物詣にきたらしい女房が童女と一緒にころされていたのは、この男の仕業だと思われている。

C) 嫗(妻の真砂の親)の証言: 男は若さの国府の侍で、26歳の金沢の武弘という気立ての優しい男である。娘の真砂は19歳で、男にも劣らない位勝気な女である。

D)多襄丸の証言:男を殺すことはわけないが、その時はできるだけ男は殺さずに、女を奪おうと決心した。二人に近づき、山の中の古墳から多くの宝をみつけ、山の中に埋めてある。安い値でよいから譲りたいといって、男をその気にさせ薮の中にさそった。そこで杉の木のあるところで素早く男を組み伏せて、杉の木に縛り付け、口の中に笹の落ち葉をいっぱい押し込んで喋れないようにした。道のところに馬とのこった女に夫が急病で倒れたから来て欲しいと連れ込んだ。

縛られた夫をみると、女は小刀を引き抜いて襲って来た。女ながら非常に手強い相手だったが、その小刀を振り落として、思いを遂げた。その場を去ろうとすると、女が縋り付き、二人の男に恥を見せるのは死ぬより辛い。どちらにしろ、生き残った方に連れ添いたいといった。そこで、その男を猛然と殺したくなった。しかし、卑怯な殺し方をしたくないとおもい、男の縄をきって太刀打ち(決闘)しろと男にいった。

私は男が倒れると同時に、女の方を振り返ったが、あの女はどこにもいなかった。ことによると、あの女は人の助けを呼ぶために薮をくぐってにげたのかもしれない。私はそう考えると、すぐさま山路に出た。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っていたので、その馬にのり逃げた。

E)女の懺悔:盗人は私を手ごめにしたあと、夫を嘲る様に笑った。思わず夫に駆け寄ろうとしたが、盗人に蹴倒された。その時夫を見ると、私を蔑む冷たい目を向けていた。それを見た時我しれず何かを叫んでその場で気を失ってしまった。気がついた時泥棒は去っており、再び夫を見た時、夫の目の色は全く変わっていなかった。「あなた、こうなった以上、もう御一緒にはいられません。私は一思いに死にます。あなたも私の恥をご覧になりましたので、お一人残すわけには参りません。」 

足元の小刀をひろい、こう夫に言いました。「ではお命を頂かせてください。私もすぐにお供します。」夫の唇の動きからその言葉を覚りました。「殺せ」と一言いったのです。夫の胸を一刺ししたあと、再び気を失いました。気を取り戻したとき、私は泣きながら、死骸の縄を解き捨てました。 そうして私はどうなったかは、申し上げる力もありません。いろいろな事もして見ましたが、死に切れませんでした。 

F)巫女の口を借りた死霊の物語:盗人は妻を手ごめにすると、腰をおろして妻を慰めだした。その間目配せして、この男のいうことを真にうけるなと伝えたいと思った。
「一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲間も折合うまい。自分の妻になる気はないか?」
何と妻は返事をしたか?「ではどこへでもつれて行って下さい。」
盗人に手を取られながら、薮の外に出ようとする時、「あの人を殺して下さい。わたくしはあの人が生きていては、あなたといっしょにはいられません」 この言葉は嵐のように、遠い闇の底へ、俺を吹落とそうとする。

それを聞いた盗人は返事をしない。そして次の瞬間、妻は竹の落ち葉の上に蹴落とされた。盗人はおれに眼をむけ、「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 俺はこの言葉だけでも、盗人の罪は赦してやりたい。妻は、俺がためらう内に、何かひとこと叫ぶが早いか、薮の奥に走り出した。盗人は咄嗟に飛びかかったが、取り逃してしまう。その後俺の縄を一箇所だけ切り、その場を去った。

あたりは静かになった。いや、まだ誰かの鳴き声がする。縄を解きながら耳を澄ますが、気がついて見れば俺自身の泣き声だったのではないか?おれは妻がのこした小刀を手に、自分の胸を刺した。 その後、日陰薄れていくなか、忍び足に俺に近づくものがある。誰か?その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口のなかには、もう一度血潮が溢れて来た。

ここまでは、事件の概略と証言の形で再構成した要約ということになる。

§2。解釈:

上記証言のうち、盗人多襄丸、女房の真砂、夫の金沢の武弘の証言が一致する部分は事実と考えられる。また、上記三人以外の人物の証言も事実と考えて良い。従って、女房が盗人に手ごめにされたこと、夫が木に縛られたこと、現場の踏み荒らした様子(証言A)から、決闘のようなことがあったことなどは、事実である。また、盗人の多襄丸は女好きで、童女も殺す位であり(証言B)、人の命を考えるというような人間ではないことも事実である。しかし、何故この夫を殺さずに真砂を手に入れようとしたか?それは、現場近くに来た時には真砂を女房にしたいと強く思ったからだろう。

真砂を手ごめにした後、多襄丸は真砂を慰めて自分の妻にしようとする。それを聞いて、真砂は「決闘して勝った方に添うことにする(結婚する)」と言ったと仮定すると全ての謎が解ける。何故、そのように言ったのか? 夫が殺されることは前後の状況から明らかであるが、その間に逃げることができると冷静に判断したのだろう。重要な点は、真砂にとっては「最低と言っていい二人の男ども」から逃げるためである。

男勝りの勝気な真砂は、事件の前に既に夫武弘を低く評価していたと考えられる。そして、盗人の「古墳を見つけて出土品を隠してあるので、それらをを安く売りたい」という話に簡単に乗ってしまう夫を、心のなかで軽蔑していた。(補足1) その軽蔑の気持ちは、女房を野盗から守るという夫の最低限の義務を果たせなかったことで、激しい怒りにまでなっていたと考えられる。 多襄丸は自分の腕に自信があったので、そして、真砂にそれを見せつけるためにその提案の飲むのである。その言葉は証言の中には現れない。夫はその言葉を聞いて女房への憎しみに狂う。死靈の言葉にそれが現れている。

男にも優る勝気な女である真砂は、盗人よりもはるかに冷静に計算付くの言葉と行動で、逃げることに成功したのだ。女房を野盗から守ることに失敗した上に、女房の恥かしめを受ける姿をみて、こともあろうか女房を蔑む男など、今後の人生には不要であると冷静に考えたのだろう。その夫の最後を見る必要があるのは女房以外には考えられない。死霊の証言の最後の部分は真実であり、そこで自分の落とした小刀を回収することになる。

その推理を頭に置いて上の証言を読むと、事件の全貌が理解できると思う。解けるように作られた謎であると私は思う。

補足:
1)その証拠に、妻の真砂は道外れの出土品を隠してあるという場所には行かず、馬とともに道脇に待機している。

2017年10月13日金曜日

今回の選挙は民進党解体だけの国際的恥さらしの選挙で終わるのか、それとも選挙後保守大再編が行われ歴史の節目を迎えることになるのか?

1)安倍総理は国難へ向かうにあたって、国民の意見を確認する意味で衆議院を解散したのだろう。その選挙戦を見ていると、野党第一党の民進党から候補者が公認されず、希望の党に多数流れたことや、党首討論での野党の貧弱な議論など、国難の真っ只中にある国の選挙だとは思えない。まるで、悲喜劇(喜悲劇と呼ぶべきか;補足1)を見ているような気がする。

更に、このような状況になっても尚、国民の関心は北朝鮮や中国の核兵器には全く向かっていない。信じられないことだが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した(憲法前文)」という文章をそのまま信じているのかもしれない。(補足2)

しかし、小池百合子氏や前原誠司氏らが、かなり真面目に日本の将来を考えて動いたという解釈もあり得る。下に引用した動画前編で26分頃からの議論だが、馬渕睦夫氏が言う様に「選挙後に希望の党なども含めた保守の再編」が行われれば、それが証明されたことになる。勿論、最初から前原氏や小池氏が最初そのように考えていたとは思えないが、選挙の結果と日本の置かれた状況から考えて、保守再編路線に導かれる可能性はかなりある。それが日本の安全保障を考えると、より良い方向だろうと思う。
(前篇)https://www.youtube.com/watch?v=vT91VGyxHzg 
(後編)https://www.youtube.com/watch?v=7TGAdW1uT7E

2)冷戦中には現実的政党としては、自民党一党しかなかった。そのため、かなり幅広い考えを持った人たちが自民党を形成してきた。冷戦の終結で社会党がなくなり、自民党からはなれるた人たちなどが集まって民主党が作られ、その後みんなの党や日本維新の会など様々な政党ができては消えるなど、政党再編がまだ終わっていないのである。

今回民進党の前原氏が党への支持があまり期待できないことが切っ掛けで、大胆な工作を行った。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43427828.html その工作を小池氏に持ちかけたことから、野党の大規模な再編がスタートし、馬渕氏の考えによれば、それが選挙後に自民党にまで及ぶだろうというのである。

元々この再編は、民進党で右派を形成していた前原氏が、民進党の左翼的政治姿勢(安保法制反対など)では、今回の選挙に勝てないと思ったことと、小池氏が元々憲法改正を考えており、前原氏とは比較的近い考えの政治家であったことが背景にあって起こったことである。それを考えると、今回の選挙により希望の党が数十人の当選者を得て、憲法改正を9条第二項の完全な書き換えという形で行うことで、世界に日本もまともな国家になりつつあるとの印象を与えるチャンスが到来するかもしれない。(補足3)

3)憲法改正の為に、国民投票で過半数を得るには、国民が夫々の属する社会において真面目に議論する事が大事である。NHKが今年3月に調査員の訪問によって行った世論調査によれば、憲法改正が必要だと答えた人の割合が43%あり、世論の動き方次第では過半数を得ることは可能である。https://www3.nhk.or.jp/news/special/kenpou70/yoron2017.html

朝日新聞など左翼系メディアに対して、同様のメディアを通しての宣伝だけでは、国民は自分の意見を持つに至らないだろう。現在もっとも有効だと私が思うのは、全国に張られた自治会ネットワークを用いて、防災訓練のような形で議論することである。そこでは、外部の人間を一切除き、純粋に住民だけで議論してもらうのが良い。危機感を持ち、十分な時間をとって議論すれば、まともな結論に至る筈である。

国民の意見をまとめるに当たって、深刻な障害となっているのは憲法学者達の反対である。日本の憲法学者の殆どが憲法9条に賛成だという、非常に奇妙な状況にある。私も既に、東大の憲法学の石川教授が、憲法9条を改正して独自軍を持つことに反対していることは、非常に奇妙なことであると既に指摘している。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/06/blog-post_21.html

上記動画の後編(三節目に引用の二つ目のサイト)で高山氏が、その理由は憲法9条に賛成しなければ、まともな憲法学者と学会に認められないからだと言っている。つまり、憲法学会が未だにGHQの洗脳政策と左翼政党支援策の影響下にあり、まともではないのである。この種の問題は、法学の学会も国際的に開かれたものとして、海外との交流を十分行っておればおこらなかっただろう。日本は、今当に大改革の時期とすべきである。

補足:
1)悲喜劇というのは、最終的にはハッピーエンドの悲劇と喜劇を融合させたフィクション作品だそうである。今回のケースは、ハッピーエンドとは思えない。
2)京都大学の哲学教授であった田中美知太郎氏が、「憲法に平和を唱え挙げて平和がもたらされるというなら、台風は日本に来てはならないと憲法に記すことだけで台風が防げるか」という趣旨の言葉を何かに書いているという。これは、この種の議論で引用される有名な言葉のようである。
3)憲法9条の第一項と第二項をそのまま残して、第三項として「自衛隊を置く」という文章を入れるという案が安倍総理によりだされている。しかし、それは明らかに第二項と矛盾する。