2017年6月26日月曜日

憲法改正を困難にしてきた自民党世襲議員たち

日本国民の政治的知識は極めて貧弱である。それは明治維新以来、薩長の下級武士出身者が政治を独占したことと関係が深いと思う。知識のない国民に憲法改正を叫んでも、その声は届かない。その件について、以下考える。

1)明治維新の初代は、改革の時代を生き抜いた者たちであったが、それ以降政治を担当した世襲の政治貴族の質は、低下するのが必然である。そして、欠点を多く持つ明治憲法を聖書のように受け取ってしまったのが、昭和の敗戦に繋がったのだと思う。(補足1)

ダイナミックな世界の姿に接した明治政府の初代の構成員が次第に消え、緊張感に欠け能力にも劣る2代目以降が政治貴族と化し、政治情報を独占するのが伝統化したのが日本政治の姿である。独占が必要なのは、公開してしまえば、自分たちの無能がバレて、政治貴族の地位を失うからである。

昭和憲法のケースも同様である。マッカーサー憲法が制定され、長州の吉田茂とその手下(吉田学校卒業生)という官僚的人間が政治を独占したために、昭和憲法が聖書化された。パージされた党人政治家たちが早期に復帰して、日本の政治を立て直しておれば、あるいは防げたかもしれない。それを邪魔した吉田茂らの罪は深い。(補足2)それを戦後の名宰相と考える政治評論家も、超保守的な日本の悲劇を演出する一派である。(補足3)

2)安倍総理は、流石に憲法改正の必要性を感じて、「臨時国会が終わる前に、衆参両院の憲法審査会に自民党案を提出したい」と述べ、秋から年内までを想定する臨時国会の会期中に、党改憲案を提出する方針を示した。https://mainichi.jp/articles/20170625/k00/00m/010/040000c

しかし、その必要性について国民に知らせる努力を政府はこれまで、実質的な意味でほとんどしてこなかった。つまり、国民は憲法改正の必要性を実感していないのである。北朝鮮問題は確かに大きな問題である。しかし本当の巨大な脅威は中国であり、現在の38度線の緊張が、いわゆる第一列島線に移動し中国の勢力下に入った統一朝鮮と対峙する時代がそこまで来ているのである。

北朝鮮のノドンミサイルは日本のほぼ全域を射程にいれているが、そこに核兵器を搭載するまでには至っていないだろう。しかし、中国の東風21という核ミサイルは既に24基、北朝鮮の近くに配備されて日本列島の主なポイントに照準を合わせている。(補足4)

中国は、核兵器を保持していない日本に照準を合わせ、核ミサイルを24基も配備している

のである。あのロシアでさえ、エリティン大統領の時代に、日本を核ミサイルの照準から外したと表明しているのである。

その事実をどれだけの日本人が知っているのか、また、日本国政府は知らせているのか? それらの事実を早い時期に知らされて、危機感を国民が持っていれば、憲法改正の必要性を自覚していただろう。喉元に包丁を突きつけられていることを知れば、日本人も生き物なら自衛手段が必要だと感じる筈だ。

自民党政権幹部や自民党議員たちは、国家のことよりも自分たちの子供や孫の仕事を考えて、簡単で楽な国会議員という職業をまるで貴族の地位のように世襲してきた。KGBのスパイとして働いて来た野党議員(何名かは判明している)たちも売国奴だが、彼らも同様に売国奴ではないのか。

補足:
1)天皇に陸海軍の統帥権を置いたのは、「明治政府は、薩長の田舎侍と下級貴族たちではなく、天皇が直接治める」という形を作りたかったからだろう。30年ほど経って、薩長の下級武士たちも立派な明治の元勲に見えて来た時に、憲法を改正して議会と内閣が政治の実権を持つ形に改憲すべきだったと思う。それは、明治天皇と明治の元勲たちの力関係が反転する前にやらなくては永久にできない。
2)朝鮮戦争の時には日本からも義勇兵が出ているし、国際的な緊張感があったと思う。それがなくなる前に憲法改正すべきだったと思う。李承晩の反日政策の時には、憲法改正の話はでなかったのだろうか?
3)6/25放送の「そこまで言って委員会NP」で橋本五郎とかいう読売系の政治評論家が、吉田茂や中曽根康弘らの歴代総理の業績を評価していた。第一位が中曽根康弘で第二位が吉田茂だった。吉田茂は、マッカーサーの言いなりになって、鳩山一郎や石橋湛山のパージに協力し、更にその復帰を遅らせ、その間に官僚たちを政治家にして自分の力を拡大しようとした(吉田学校)、とんでもない政治家だ。彼が一位にあげた中曽根康弘の自伝”自省録”の中に正にその様な吉田茂の評価が書かれている。読んでないのか?
4)DRC中国研究会、「日本が中国になる日」、光人社(2008)参照。

2017年6月25日日曜日

韓国と北朝鮮の今後について:米中の干渉と半島統合のプロセス

1)文在寅氏が韓国大統領になり、一部の政治評論家は南北朝鮮の統一を予想している。大統領に当選直後の文在寅には、日米との関係を正常に保つような姿勢があったが、徐々に本来の方向に進みつつある。統一の具体的な動きがあったとしても、そのプロセスについては、予想困難である。

そのような中で、先月末に米軍によるTHAADミサイルの追加搬入が行われたが、それが国防省から大統領府に報告がなかったとして、文在寅大統領は調査を指示した。http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM30H6Z_Q7A530C1FF1000/

また、昨日(6/24)ソウル都心において、THAAD反対集会が開かれた。全国から3000人があつまり、米国大使館前をデモ行進した。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170625-00027732-hankyoreh-kr これらの動きは、文在寅大統領の思惑通りだろう。

同じく昨日のニュースだが、テコンドーの世界選手権の開幕式に出席した文在寅大統領が、来年2月に開催される平昌五輪で南北統一チームをいくつかの種目で結成することを呼びかけた。

また、国際オリンピック委員会(IOC)の北朝鮮代表委員を務める張雄氏が23日、2018年平昌冬季五輪の南北共同開催案について、IOC会長と話し合うと明かした。この点については、韓国側はその動きを否定している。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170624-00000015-jij_afp-spo

このオリンピックを巡る動きは、韓国と北朝鮮との接近をどのように世界が捉えるかについての観測気球的なものだろう。

2)先月末のチャネル桜で、朝鮮半島情勢と日本を考える討論が放映された。その席で西岡力氏が、南北朝鮮の両方でレジームチェンジが起こりつつあると言う話をした。以下にその話を取り入れて、私の考えを紹介する。https://www.youtube.com/watch?v=i2HCA2ay4mE

北朝鮮の金日成はチリのアジェンデ政権(1970)の成立を見て、選挙でも革命が可能だと考えて韓国で工作を開始した。朴槿恵政権は、それらの勢力が浸透した韓国の中で孤島の様に浮いた存在であった。朴槿恵は、いくつかの具体的対応を行なったが、最終的に破れた。これが、朴槿恵大統領弾劾の真相だという。(補足1)

つまり、朴槿恵元大統領が一民間人である崔順実氏に国家機密を漏洩したと言う疑惑で逮捕収監された事件は、実は北朝鮮の勢力が浸透した韓国で、革命が始まろうとする(深層での大きなうねり)際の序曲的な現象だというのである。つまり、文在寅政権誕生はその大きなうねりの第一波ということになる。

また西岡氏は、脱北者で現在韓国情報関係の幹部職員をしている人の話として、現在の北朝鮮一般民における金正恩の支持率は30%程度であるという推測を紹介した。因みに、金日成時代は100%であり、次の 金正日時代は70%位の支持率だったという。

金正恩はトップではあるが、若くて専門的知識にも欠けるという劣等感を持っているという。幹部たちもそれを知っていて、専門的知識を披露して金正恩に何か進言することが、命の危険に繋がると考えているという。金正恩は未だに国家のトップの席に余裕をもって座っている状態ではないのである。

つまり、金日成の計画がまさに成就すると言う段階になったにも拘らず、金正恩は北朝鮮を崩壊の危機に落としいれようとしているというのである。現在、北朝鮮の幹部たちは、やがて改革開放の時代がくるので、それに備えて外貨を持っておこうと考えているという。従って、金正恩が文在寅の信号を上手く利用して、韓国を飲み込む形での統一達成は困難だろう。

一方、文在寅が目指すのは、韓国を米国の軛から解放すると同時に半島統一を韓国主導で行うことだろう。しかし、全ての準備を米国にも漏れないように行い、半島統一のシンボル的現象:ベルリンの壁崩壊のような象徴的な出来事を一晩でやり遂げる位のスピードがなければ、米国の干渉で実現しないだろう。ただ、大国の干渉を除けば、統一の壁は両方の歩み寄りが起こるレベルまで下がっていると思う。それを暗示しているのが、オリンピックを巡って揃ってきた両国の歩調だろう。

通常の遅いプロセスでことが進むのなら、朝鮮半島のことでありながら、実質的に決定権をもっているのは米国と中国だと思う。トランプは一定期間のモラトリアムを習近平に与えたが、一向に半島情勢に改善(米国の視点からの)がないので、再度米中の首脳会談が行われると思う。

川添恵子氏が言っているように、中国では未だに(水面下での)習近平と江沢民派の抗争があるとすれば、この秋のチャイナセブンの入れ替えなどで今後どの様に習近平の勢力基盤が変化するかが、朝鮮半島情勢を考える上で非常に重要だと思う。もし、北朝鮮と接する北部戦区も完全に習近平の支配下になれば、文在寅の思惑と違って北朝鮮がしっかりとした反韓国の国家として再出発することになると考えられる。(補足2)その場合、文在寅政権は短命に終わるのではないだろうか。

この遅いプロセスで事が運べば、日本もそれほど大きな被害はない。しかし、上で述べた電光石火の三十八度線消滅が起これば、核保持国としての統一朝鮮ができる。これは日本にとって悪夢の始まりだろう。

(以上は素人のメモです;20:30編集あり)

補足:
1)統合進歩党を解散させたり、全教組の非合法化、国定教科書を再開したりしたということが、その戦いの具体例として紹介された。全教祖については以下の記事を参照:http://japanese.donga.com/List/3/all/27/294395/1
2)川添恵子氏によれば、北部戦区は江沢民派の牙城だということである。

2017年6月23日金曜日

日本民族と日本国民、そして憲法の中の天皇

1)先日、勝谷誠彦著「ディアスポラ」を読み、民族とは何かについて考えた。上記小説の中で、ある組織の研究員の言葉として、次のような内容のセリフが書かれている。 “海にかこまれているという地理的理由から、「日本人」という考え方は自然に成立していた。しかし「民族」という概念は19世紀になって初めて出来たのである。近代になって、国家として島から外に押し出していくにあたり、まとまりを作ろうと慌てて作ったのが「民族」なる言葉なのだ。”

ここで、「日本人」と「日本民族」との違いは何なのだろうか。「日本人」と言う言葉は、言語学的には日本列島に住む人たちの意味で理解されているだろう。近代になって、「国家」「国民」という概念が出来、日本国籍を持つ者の意味が加わった。一方、「日本民族」という言葉は明確ではなく、それを言い出した人には単一民族であるという確認をその構成員に要求し、そこに意識を向けさせるという政治的意図があったと思う。

明治以前には、倭人とかアイヌ人という言葉はあったが、日本民族という言葉は無かった。「民族」という言葉自体、英語nationの翻訳語として1880年代に作られた言葉である。(補足1)学者が作った日本民族の構成図は以下のような6つの人種からなるものである。

つまり、天皇を頂点とする日本民族という思想は、明らかに明治維新以降の日本の国家としての統一(及び海外進出)のためと考えられる。これが、我々が天皇を考える時に最も重要なポイントである。江戸時代までは天皇はまさに天上の存在であった。しかし、明治以降は日本民族の頂点という人間の世界の存在となったとも言える(現人神)。つまり、新政府は天皇と一般国民とを接触可能な同じ空間に置き、しかも強固な上下の関係にあるとすることで、一般国民を天皇の為に働く存在にしたと思う。そのための具体的な装置が靖国神社である。

2)日本国が独立国としての軍隊をもち得るように憲法を改訂するには、日本国民に国家の意思決定の権利と責任が無ければならない。国家の意思がどこにあるのか、誰が日本軍の軍事行動の責任を取るのかが明確でないような国のまま軍隊を持てば、周辺諸国に迷惑な存在であると言わしめる根拠を与えてしまうことになる。

日本国の意思は日本国民の意思であるべきであり、それは上図の曖昧な定義しかない日本民族の意思で有ってはならないと思う。何故なら、外国から日本に帰化した人や自分がマイノリティーだと意識する人は、日本民族とは言えない可能性が高いからである。一方、過去の歴史において天皇に取り入った一部の人たちが、天皇の意思が日本民族(=日本国民)の意思だとして国家を動かしたことに十分注意すべきである。(補足2)

自民党の憲法草案の第一条に「日本国の元首は天皇である」と明確に書かれている。(補足3)国家の意思は元首の意思であるので、日本国民が選挙で選ぶことの出来ない天皇の意思が、国家の意思となる。内閣は天皇の権威の下で政治を行うことになり、内閣総理大臣が一旦政権をとると天皇の権威を着て国民の前に現れることになる。それは戦前と同様の無責任体制を生む可能性が高い。そのような企みが成立する以上、自民党草案の第一条は危険である。憲法改正にはその点を慎重に議論してもらいたい。

つまり、国民の意思で選ばれた、国会議員が総理大臣を選ぶ段階では、総理大臣は国民の意思を代表すると考えられなくもない。しかし、その後天皇の認証を経てその権威を着ることになれば、それは天皇の意思のincarnationである。この「日本民族」と「日本国民」の違いと、天皇の存在との関係を議論し明確にしていないところが、国論のねじれの原因になっているのではないだろうか。

我々日本人は独自軍を持ち、出来れば諸外国から一定の承認を得て核武装すべきである。そのためには、この国家の権力と責任の在り処を明確に国民におく憲法の制定が必要である。そして、その必要性を明確に意識するためには、明治維新以降の近代史の総括がなければならないと思う。

補足:
1)日本人内部の民族意識と概念の混乱、岡本雅亨、福岡県立大学人間社会学部紀要2011, vol19, 77-98. http://www.fukuoka-pu.ac.jp/kiyou/kiyo19_2/1902_okamoto.pdf
尚、ウイキペディアの民族の項目に以下の注意が書かれている。
日本語の民族の語には、近代国民国家の成立と密接な関係を有する政治的共同体の色の濃いnation の概念と、政治的共同体の形成や、集合的な主体をなしているという意識の有無とはかかわりなく、同一の文化習俗を有する集団として認識されるethnic group(ジュリアン・ハクスリーが考案)の概念の双方が十分区別されずに共存しているため、その使用においては一定の注意を要する。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%97%8F
2)明治維新は中央集権的な日本国家の創造であった。外様の薩長がその中心に位置するには、天皇の錦の御旗が必要だった。そして日本国での求心力を天皇に頼ったのである。中央集権国家の内閣や議会の権威が高まったところで、陸海軍の統帥権を内閣に戻さなかったことが、その後の大きな困難の原因となった。一定の時期が経過すれば、薩長が天皇の権威の遥か下になってしまうことは判っていた筈である。時期を逸すれば、何もできなくなるのである。
3)第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。 因みに、今上天皇が昨年のテレビ放送で「象徴としての天皇のあり方」という言葉を何度も使われたのは、この自民党草案では駄目であると意識された結果だと想像する。

2017年6月22日木曜日

民族のアイデンティティーとは何か:勝谷誠彦著「ディアスポラ」の感想

1)ディアスポラは、撒き散らされたものの意味で、普通世界中に散らばったユダヤ人のことを指す。西暦70年のローマとの戦争でユダヤ人の大半が殺され、残ったユダヤ人は世界中に散らばった。本のカバーにはこのユダヤ戦争の絵が使われている。

先づ一言だけ、全体の印象について書いておく。これは非常に野心的な作品だが、設定と話の進行がかなり強引であり、ついていけない読者が大半だろうと思う。小説ではあるが、「民族」、「ナショナリスト(民族主義)」、そして「右翼」などを考える上でも、非常に参考になると思った。

この小説の設定は、以下の様である。原発の爆発事故か何かの大災害が起こり、日本人は最早日本列島には住めなくなる。そこで、生き残った人たちが難民として世界中に散らばることになる。国連の斡旋で一部が中国に受入てもらうことになり、一部は西チベットの高地で暮らすことになった。中国政府がチベット人の村メンシイの一角を強引に日本人キャンプとして提供したのである(補足1)。

管理人兵士を含めた漢人たちやチベットの現地の人たちと一緒に住み始めた日本人は、10数世帯であった。事故で亡くなった人の初盆が近づき、避難民たちもその準備を考えるところから話が始まる。

国連とも非常に太いパイプを持つ秘密組織から、国連職員として調査に送り込まれた諏訪という日本人が語り手である。諏訪の表向きの上司である国連職員のダヤンはユダヤ人であり、ユダヤ人としての話を時に応じてする。話の中心は、諏訪と親しい関係になった内田家の両親と18歳の娘の撫子である。

貧しいが比較的平穏な日々が続いてきたのだが、事の成り行き次第では日本人キャンプの住人全てにかかわる可能性が高い事件が起こる。重い高山病(補足2)に苦しみながら、帰国に備えて飲食店で不許可のアルバイトをしていた母親が、漢人の札付きに殴り殺され財布を盗られたのである。

真相が日本人キャンプを管理する二人の漢人兵士に知れ、犯人の漢人が重く裁かれることになった場合、漢人の援助で生きる日本人キャンプの住人全てに大きな困難が降りかかることになるだろう。最初に知った娘の撫子はそう考え、高山病の急激な悪化で死んだと考える事も出来るので、事件を伏せて死亡したことだけを漢人の係官に報告するつもりだと、諏訪や現地で得た男友達のナムゲルに告げる。そして、父親にも正確な話をしないと決める。諏訪は、撫子が日本にいたなら決してこのような逞しい若者にはならなかったであろうと思いながら、決心した後の彼女の涙に自分の袖を濡らす。

撫子は、年上のチベット人ナムゲルと付き合い始め、この地で漢人の下で生きる上での知恵を学んでいたのである。そして、母の受けた暴力を自分一人と、やがてナムゲルと結婚すれば生まれるだろう自分の子供が引き受けると覚悟を決めたのである。撫子はナムゲルの協力を得て、母親をチベットの風習に従ってあの世におくる決心をする。鳥葬である。(補足3)

2)国連職員として調査に送り込まれた諏訪が、日本人たちの様子を秘密裏にリポートするのだが、その秘密組織は日本民族が再び集まった時に、求心力を持つことができるかどうかに関心があるという。(補足4)当然のこととして、世界にばら撒かれながら2000年という長期間、民族のアイデンティティーを保持したユダヤ人達と比較される。

この本の主題は「民族」とは、そして「民族のアイデンティティー」とは何か、という問題である。語り手の諏訪とユダヤ人の国連職員ダヤンとの対話が参考になる。その部分を以下にピックアップする。

そもそも「民族」とは何なのか。その答えは、諏訪をチベットに送り込んだ組織の主任研究員の言葉として語られている。民族という概念は19世紀になって初めて出来たのである。海にかこまれているという地理的理由から、「日本人」という考え方は自然に成立していたが、近代になって、国家として島から外に押し出していくにあたり、まとまりを作ろうと慌てて作ったのが民族なる言葉なのだと。

では、ユダヤ人の場合はどうなのか? 強いユダヤ信仰についての型どおりの話のあと、ダヤンは本音を言う:「我々の神様だって、そんなに力があるわけじゃない。そのことだけで、民族としての結束が保たれてきたと思うほど私は単純じゃない」と。そして、ユダヤの民も北宋の時代に大勢中国にやってきたことがあるが、水に落とした塩のように消えてしまったと語る。

中国は元々は鷹揚な国であり、清の時代まではチベットには漢人は住んではいけなかったという位であった。そのような環境では、ユダヤの信仰もそれほど必要ではなかったのである。つまり、大事な信仰だからそれを護り通したと言うよりも、周囲(同じ一神教の貧しい人たち)の抑圧から自分たちを守るための団結の印として、その教えを彼らは堅持したということなのだろう。 現在国際政治の場面で話題になっている強固な信仰も、豊かで障害のない日常が彼らに約束されたなら、徐々に消え去るのだろう。

3)宗教や民族のアイデンティティー、更に民族ごとの伝統も、人が協力して困難を乗り越えて生きるための「他の人との間に懸ける橋」のようなものだと思う。あらゆる困難がなくなれば、それらは全て必要がなくなるだろう。しかし、人間としてのアイデンティティーとは、実はその「人と人の間に懸ける橋」にある。

豊かで平和な時代になり、そして全てをデジタル技術とロボットが担当する時代になった時、他人との協力が無くても生きられる。その結果、人は人間ではなくなるのではないだろうか。既にその時代は始まっている。この小説を読み、そのように私は思った。

補足:
1)場所は西チベット国道219号上の小さな町メンシイである。その近くにチベット仏教の信仰の山カイラス山がある。標高6638mの美しい独立峰である。(グーグルマップでの写真<=Click 時間がかかります。)
2)標高約4500mのこの村での酸素濃度は平地の約半分であり、慢性化した高山病は低地に移らなければ治らないとのこと。肺水腫になっていたと書かれている。
3)早朝、山の上の決まった場所に遺体を運ぶ。僧侶がお経を上げた後、死体の処理人が少し離れた場所に遺体を運び、そこでバラバラに解体するのである。処理人が去ったあとは、集団となって舞い降りてくる禿鷹の仕事である。
4)p34に、「世界中に散った日本人たちの集団の中に、新たなる「核」が生まれつつあるのか。“組織”の彼らは少なくともそれが知りたいのだ」「核を見つけ出して日本人を一つにまとめようとする意図と、それに対してどこかから莫大な資金が出ているらしいことに、きな臭い匂いを感じる」という記述がある。私にはこの部分の意味が今一つわからない。
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2017年6月20日火曜日

政治の舞台を演出する極少数の人たち

1)岡田英弘の「歴史とはなにか」に、歴史は科学ではなく文学であると書かれている。その言葉は、“人類に生じた事実の時系列的整理とそれらの相互関係の解明”が、①どのような事実を取り上げるのか;②相互関係の解釈をどう記載するか、という二つのバリエーションに対応して、無数の歴史が存在しうることを示している。

学校教育では、時の権力(政府)が認めた事実とその物語を教えている。時の権力の意向に沿った歴史を「正史」といい、私的な解釈で作り上げた歴史を「外史」というが、ほとんどの人は一生、“正史の歴史観”から抜け出すことはないだろう。つまり、歴史教育は歴史に関する洗脳とも言える。

太古の人類に起こった出来事が対象の場合(つまり、考古学)、それらを見る視線の方向に、その時代(近現代)の民族や国家に起因する違いはない。しかし、現存の民族や国家がプレイヤーとなっている過去の出来事に関する物語(つまり歴史)は、それを語る国家や民族毎に、それらの名誉と利益を毀損しないように作り上げられる。

例えば、アジア最古の歴史書の史記は、武帝の正統性を語るという明確な目的の下に書かれた物語、つまり正史(の世界最古のもの)である。それに他民族の視点での“事実”が書かれている保証はない。それは日本書紀も同じであり、古代日本の真実がわかると考える方々の姿勢は滑稽である。

この正史の性質と役割は、近現代史でも同じだろう。つまり、現在我々日本人が知る世界の出来事は、日本及び同盟国(米国)の権力により選別と解釈を経たものであり、将来「正史」に組み込まれる“出来事”のみだろう。それらをそのまま信じていては、世界の動きの真相は見えない。(補足1)

以下に近代の歴史的出来事について、正史からのバリエーションの例をあげる。日本の正史において、高く評価されている吉田茂元総理の話、そして、もっと広く近現代史全体の流れについてである。

2)吉田茂は、占領軍に対しても卑屈でない国士であったという「正史」ができ上がっているように思える。しかし最近読んだ、鬼塚英昭著の「白洲次郎の嘘」には全く違うことが書いてある。吉田茂が部下として重用していた白洲次郎は、外国人(ジャーディン・マセソン商会;補足2)の操り人形であったと書かれている。また、吉田茂の父(吉田健三)は、そのユダヤ系の会社の番頭であったという。彼らは、GHQの政策に協力する一方、GHQを利用して自分たちと上記外資の利権確保のために働いたと書かれている。

GHQは占領政策として、日本の無力化を徹底して行うために、優秀な政治家や官僚を公職から追放(パージ)した。吉田と白洲は、それに乗じて自分たちの権力保持のために、鳩山一郎等有力政治家のパージに協力的に振る舞ったと書かれている。GHQのパージの理由は、将来の日本のことを考える政治家が日本政府の中にいると、占領政策が円滑に進まないことである。吉田茂は新憲法制定時の総理大臣(第一次吉田内閣)であったが、憲法条文などにほとんど注文など付けなかった。つまり、GHQの思惑通り、ことが運んだのである。

吉田茂は、戦後日本の再生に最も大事なサンフランシスコ講和条約(1951/9/8署名)の前後6年間(1948/10〜1954/12二次〜五次吉田内閣)にも総理大臣であったが、日本の骨格作りに尽力しなかった。これらの指摘は、著者の偏見でも筆者の思い込みでもない。例えば、当時官僚として働いていた中曽根康弘元総理の自伝「自省録」に、上記内容と整合性のある吉田評:「吉田茂は狡猾で、鳩山一郎などの公職への復帰を嫌がっていた」が書かれている。(補足3)

3)日露戦争において日本が勝ち、ロシアではその戦争への疲弊もあって共産革命が起こった。更に、第二次大戦後、中国では毛沢東が蒋介石を追い出し、共産中国ができた。そして、共産圏と自由主義圏との冷戦の時代が数十年続いた。これらの世界史の流れは、正史では“個別の主体性を持った国家とその勢力が衝突して、未知の領域に進んだ結果”という歴史観で書かれている。しかし、実は複数の歴史のプレイヤー(国家など)を操る別の存在があった、つまり一定の部分については計画があったという解釈が存在する。

日露戦争の資金調達に米国に向かった高橋是清の努力の結果、日本は米国ユダヤ系資本家のヤコブ・シフから多額の軍資金を借りることに成功し、米国大統領の仲介もあって、やっとのことでロシアに勝利することができた。その融資の理由も、帝政ロシアを潰す意思を持った勢力が金を貸した側にあり、その思惑通り日本が動いたというのである。その後のロシア革命も、同じく裏の権力者の計画どおりだったというのである。

鬼塚英昭著「20世紀のファウスト」は第1章で、米国ユダヤ資本のソ連革命への資金的援助が書かれている。また、マルクス他、レーニンやスターリンなど主なロシアの革命家も全てユダヤ人だったと書かれている(83頁)。中国の共産革命も、それまであった蒋介石への強力な援助がなくなったのが理由であり、それも歴史の表面でのプレイヤー(毛沢東と蒋介石が代表する両勢力)とは別の勢力の計画があったというのである。もちろん、何もかも予定通りに進むわけはないが。

4)正史の裏で歴史を動かすのは、お金と人のネットワークである。資金は何よりも大きな力の源泉であることを疑う人はいないだろう。(補足4)しかし、日本のメディアに出る代表的評論家たちは、秘密組織やユダヤの人脈などを持ち出して歴史を解釈するのは陰謀論であり、陰謀論に嵌るのは知的頽廃であると語る人が主流である。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42023202.html

しかし、例えばイエール大学という米国の名門大学の秀才のみ(毎年15名と言われる)に限られた、スカル&ボーンズ(秘密結社)の意味が分からなければ、近現代史の詳細な解釈は出来ないだろう。世界に多く存在する秘密結社や秘密の人脈に対して目を閉じる態度こそ、知的頽廃ではないのか。

スカル&ボーンズの入会儀式は、その“墓(The tomb)”とよばれる部屋の中で行われる不可解なもの、死と蘇生の儀式である。そのメンバーの顔ぶれの大きさは、背後の力としてその役割が想像される。例えばジョージ・ブッシュ(父子とも)元大統領、CIAの母と呼ばれるジェームズ・アングルトン、前国務長官のJohn Kerry、TimeやFortuneといった雑誌の創刊者、巨大資本Morgan Stanleyや最大の物流会社FEDex などの設立者、などなどである。その存在はよく知られているが、その会員たち(Bones)からは何も聞けない組織なのである。

2004年の大統領選では民主党からの候補JohnKerryもSkull & Bonesの同窓会メンバーだった。GeorgeW. Bushは自伝のなかで、大学4年の時に会員になったが、それ以上は言えないと書いている。有力大統領候補の二人ともBonesmenだったことの意味を問われて、ケリー氏は「Not much,because it’s a secret」(多くは喋れない。それは秘密だから)と答えた。

以上、スカル&ボーンズに限って少し紹介したが、世界には数多くの政治的私的組織がある。英米をまたぐエリザベス女王をパトロンとするピルグリムソサエティーもその一つである。それらと、正式な国家組織であるNSA、CIA、FBIなどと密接な関係がある可能性もある。それらを無視した正史とは、民主社会で主権者のワッペンを貼った凡庸なる大多数の市民を誤魔化すための装置であり、その装置を動かすのはテレビなどによく出る例えば元官僚の評論家たちである。

補足:
(1)イスラム教圏とキリスト教圏の争い、例えばアラブの春とかイスラム国の報道は、キリスト教圏特に英米の視点での報道に我々は接している。そして以下の紹介記事にあるような何か変だなということがあっても、大手の報道には現れない。 https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42995339.html
https://blogs.yahoo.co.jp/mohkorigori/56807658.html
(2)中国広州に設立された英国の会社。アヘン戦争に深く関わっている。アヘン貿易で財を築き、現在も国際コングリマットとして存在している。
(3)中曽根氏の自省録49〜50頁にはこのように書かれている。「(吉田茂は)狡猾な人で、様々な局面でマッカーサーの虎の威を借りていることがあからさまでした。」「我々青年将校だけではとても国は支えられないから、急いで追放解除を実現してもっと老練な政治家を復帰させて日本を再建しようと、追放解除運動をやったことがあります。しかし、吉田さんは追放解除をかなり嫌がっていました。」「重光さんや鳩山さんが自主防衛とそのための憲法改正を主張すると、それに対抗するために当時の左翼的雰囲気に迎合して安易な方向に行った。吉田さんの本質はオポチュニストでした。」
(4)明治維新も類似の資金が流れてこなければ、失敗しただろう。長州に最新式のスナイドル銃やスペンサー銃を買う金など元々なかったのだから。同様に、最近の北朝鮮のミサイルのお金がどこから流れているかが、その背後に隠れている勢力を明らかにする鍵である。
(5)https://en.wikipedia.org/wiki/Skull_and_Bones

2017年6月17日土曜日

理系人間と文系人間の考え方と日本の弱点

1)日本での話だが、理系人間と文系人間は考え方にかなりの差がある。それを強く感じるのが、最近の豊洲問題や放射線被曝事件における報道等を見たときである。

この国の行政や各種団体の管理運営などの担当者等には圧倒的に文系の人が多い。彼らの考え方には一定の特徴があり、そして、その考え方が出身大学の学部等(文系)とかなり相関があるのなら、それは文系人間の思考パターンといえるのではないだろうか。以下は、それらと筆者の思考が理系パターンであると考えて導きだしたものである。

もちろん、世の中の人間を理系と文系に分類するのはあまりにも大雑把である。以下は、人間の思考パターンをいくつかあげて、それらが人の群の中に偏在し、その偏在は職業や受ける教育課程などとも強い相関があるという話である。以上を承知のうえ、あえて文系と理系という言葉を用いる(補足1)。

先ず、私が考える理系人間と文系人間の思考パターンを要約してみる。
①理系人間は、自然現象への理解を通して、因果関係、相関関係、集合論的関係などを意識して前面に出した思考パターンをとる。
②文系人間は、人の心理や社会文化に対する思考を通して、人と人の繋がり、社会と個人の関係などを前面に出した思考をする。
③文系人間の視点は自己から他に向かって広がり、思考は各論的且つ現実的である。反対に理系人間の視点は原点に向かい、思考は原理的且つ理想的である。

また③は、理系人間は前提を置かない思考、つまりゼロ(原点)からの思考が得意であるが、それは既に存在している前提を看過する傾向がある。そこから、大きな間違いにつながる可能性がある。それを避けるには、上記以外の知性の部分としての想像力や直感力、そして美的感覚が大切である。

以前のブログで知的能力を、1。記憶力、2。論理・分析力、3。想像力、4。直感力、5。空間的時間的感覚、6。美的感覚、に分けて、それらは生命体としての能力の一面であると書いた。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42404287.html 上記の①〜③は、知的能力の1。と2。に焦点を当てた分類である。因みに、大学などの入試も現状ではほとんど、記憶力と論理分析力に関してなされている。

一方、文系人間は、原点からの思考がなく、これまでの前提を不可避の条件と考える知的怠慢の傾向がある。それでは欧米の感覚での普通の改革すらできない可能性がある。改革には常に飛躍が伴うからである。それは、憲法改正や社会の構造改革の問題などに手間取る日本の姿の原因なのではないかと思う。

2)幼少期にはだれもが自然に対する関心を持つが、成長に伴い人と人が作り出した文化に関心を持つようになる。理系人間は、自然に対する関心が自然に対する理解に進み、その深まった興味と理解の正のFeed Back Loopにより、自然科学的な分野を自分の進路に選ぶことになる。自然の成り立ちと運動は、人間とその集合のそれらよりも理解しやすく、比較的容易にそれらを支配する法則に到達できる。論理的能力は、基本的仮説(法則)から自然現象を頭のなかで再構成する際に必須である。以上が、上記①の思考傾向の由来である。

原点から多くの思考の階段を登る際、途中に考慮すべき束縛条件(捕捉2)などへの注意が欠けると、結果として極端で間違った判断に到達する可能性がある。その際、原点から最後の結論まで見通すには、直感力を必要とする。それに欠ける場合、自己の優れた思考力への過信から過激な原理主義に走る可能性がある。

連合赤軍を牛耳っていた、坂東國男と永田洋子やその他の中心メンバーに理系が多い。また、東大闘争の全共闘代表の山本義隆は東大物理学科でも秀才だった。彼らは、遠くを見通す直感力や想像力にかけていたと思う。

文系人間の犯した間違いというか社会の停滞は、既に上に書いた。最近の例では、豊洲市場問題などもその典型である。問題の出発点にあったのは、ベンゼンによる地下水の汚染に対して「人体に対する危険性の定量的把握」という視点が全く都知事に欠けていたことである。

地下水中の環境基準(飲用としての適性)の77倍のベンゼンの危険性を正しく理解するためには、他の多くの危険性と定量的に比較検討することが必須である。この経緯を見ていると、そのような原理的及び論理的考察の形跡がほとんどない。その結果、地下水中の少量のベンゼンという小さな危険(補足3)と、長期間の努力と多額の出費をして建設した豊洲市場への移転を延期するという大きな危険とを交換してしまったのである。

3)幼少〜青少年期に特別な教育が行われなければ、知能に優れた子供は最初理系人間に向かうのではないだろうか。人間は、元々自然の中で生きる動物だからである。一方、高度な社会の中で生きる知恵を、特別なレベル、つまり社会のリーダーに必要なレベルにまで育てるには、早期にその目的を意識した教育が必要であると思う。(捕捉4)

つまり、幼少期に出会う自然の理解と興味の正のfeed back loop から、子供を一旦取り戻す教育の文化がなければ、優秀な国家のリーダーとなるような人材を育てるられないと思う。日本の弱点は、この優秀なる社会のリーダーを育てるメカニズムがほとんどないことだと思う。

補足:
(1)大学の学部への所属数から、理系文系の人数を文部科学省のサイトから拾ってみる。学生を文系(人文、社会科学系)、理系(医歯薬含む)、そのほか(家政、体育、芸術など)に分けた場合の人数比は、平成15年のデータで、理系が28%、文系が55%、その他17 %である。http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/04011501/002/001.htm#1
(2)束縛条件とは最適化問題や運動の問題を考える際に、変数に与える条件のことである。
(3)飲料に供するレベルまで豊洲の地下水を浄化する必要などない。この件、昨年の9月30日詳細に論じた。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42994605.html
(4)米国は階層社会であり、上層部にはグロートン校などの全寮制名門校からアイビーリーグの名門大学に入るコースがある。グロートン校の卒業生には、アチソン国務長官(トルーマン政権下)、ジョセフ・グルー(元駐日大使)、アベレル・ハリマン(元ソ連大使、“桂ハリマン協定”のハリマンの息子)など歴史上の人物も多い。

2017年6月14日水曜日

憲法9条改正に反対する憲法学の権威

1)日本の知性のトップ層を育成するのは、主に東京大学を筆頭とする有名大学である。その東大の憲法学の教授は、日本が憲法9条を改正して独自軍を持つことに反対している。その根拠であるが、実に異常な論理展開を経て導きだしている。この最高学府の憲法学教授や低い質の政治家などから、日本全国の文系学部のレベルが非常に低いのではないかという危惧を抱く。(補足1)

上記東大の石川教授は、国家の防衛と国民の生命を守ることが政治の責任であり、憲法を守ることに優先することが解っていないのか、日本国民に悪意を持つのかの、どちらかである。正式な軍隊と十分な防衛能力がないのだから、準緊急時である現在、憲法を拡大解釈して集団的自衛権行使を可能にするのは至極当然である。

石川教授は、下に引用する討論の中で安倍政権の安保法制はクーデターだと言っている。そうだとしても、その責任は行政にはない。憲法を変更しなかった立法と、自衛隊が違憲だという判断をしなかった司法の責任である。(補足2)別の切り方をすれば、憲法を現状のまま固定化しようとする勢力の責任である。マクロにみれば、それは無知な国民の責任なのだが、更に視野に時間の座標も入れて4次元に拡大すれば、その原因として日本の不幸な歴史が存在する(補足3)。

2)東大の憲法学の石川教授の憲法感を以下に考察する。

石川氏の憲法に関する考えは、毎日新聞2017年5月3日(東京)の記事に討論の形で掲載されている。https://mainichi.jp/articles/20170503/ddm/004/070/044000c

上記記事の中から要点をピックアップすれば、以下の用になると思う。
①自衛隊創設については違憲論が有力だが、法解釈をやっている人間から言えば、政府の合憲論も導き出せないことはない。
②状況は変遷したが、同盟政策を排除する9条の規範があったおかげでアメリカに「あまり要求しないで」と言えたし、危険な状況に日本が陥らずに済んだ面がある。

(E・H・カーは著書「危機の二十年」において、国際政治におけるユートピアニズムとリアリズムの両方を意識することの必要性を論じている。その指摘のあと以下の様に述べている。)
③生存権の憲法25条も戦争放棄の9条も、そうしたユートピアを制度化したものである。現実とは距離のある観念を(現行)憲法はあえて置く。ユートピアニズムが制度化された中での、より強靱なリアリズム。戦後の国際政治、安全保障がめざすべきはそれであって、安易な同盟政策のリアリズムではないように思う。

この3つの意見とも、私は間違っていると思う。
①最初の法解釈学的に自衛隊は憲法9条に違反していないという意見は、言語もそれを用いた論理も否定している(補足4)。自衛隊はどう見ても戦力であり、自衛の為に戦うことは「国の交戦権」の発動である。中学生でもできる日本語の自然な解釈である。

②9条があったお陰でアメリカの要求を排除できたというが、それは本来の独立国になることを自ら放棄する論理である。「子供ですから強盗と戦っている人にも協力できません」と言っているに過ぎない。

③理想主義を憲法に書くべきとは、恐らくE.H.カーは言っていないだろう(私はまだ読んではいないが、想像はつく。(補足5))。理想を憲法に書いてしまえば、それは理想でなく不自由な現実になる。それが現在の日本の姿である。(馬鹿だこの教授は)

周辺諸国が現実主義で動いてきた歴史を考えれば、ユートピア思想で国家を縛ることは、民族の滅亡につながる。石川教授は、マオリ族にほとんど全滅させられたモリオリ族(平和主義的)の悲劇を知らないのか、日本がモリオリ族の様になることを希望しているかのどちらかだろう。

補足:
1)日本では、大学のポストはレベルの低い教授の恣意的基準で補充されている。しかし、自然科学分野では学問そのものが国際化されているため、例えば米国の学会誌などに論文が投稿できなければ、研究者として評価されない。その淘汰メカニズムがかろうじて大学人のレベルを維持していると思う。一方、文化系学部では、厳格な国際的物差しがないため、理系部門以上に大学のレベルが低下するのだろう。
2)最高裁は、行政に阿り自衛隊が憲法9条2項に違反しないという判断を示した。それを立法は利用して、改憲の議論という自分の国会での椅子をかけた仕事をしなかった。つまり、日本では三権分立など有名無実化しているのである。
3)米国の占領から独立を回復して、もう65年になる。しかし、未だに米軍が駐留し、日本には独自軍が憲法上存在しない。そのテイタラクの原因は、独立後の最も大事な10年程の間に、売国奴的政治家が日本の舵取りをしたのが原因の一つだろう。人の誕生後も、最初の10年ほどは人格の大枠ができるので非常に大事である。戦後の売国奴的政治については、例えば、鬼塚英昭著「白洲次郎の嘘」を参照。その歴史の直視など、国家も国民も全くできていない。
4)キリスト教では、言語は論理であり、神である。(ヨハネによる福音書冒頭)
5)この本は読んでいない。私は、国際政治が一つの標準的規範を作るには、構成国が現実主義の他に理想主義を強く意識する必要があると思う。その意識を最も強く持っているのが日本国であり、日本国を取り巻く大国の内、日本の安全に最も重要な影響を与える中国には、その意識が希薄だと思う。米国は理想主義を意識しているが、力の政治にうったえる傾向の方が強い。