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2013年11月28日木曜日

参議院選の無効判決についてー一票の格差は何倍程度まで許されるか?ーー

 今日(11月28日)のニュースによると、広島高裁岡山支部で、 7月の参議院選挙が無効であるとの判決があった。 一票の格差が4倍以上とあまりにも大きいのがその理由であり、当然の判決だと思う。民主主義の国で、表題の「一票の格差は何倍程度まで許されるか?」という疑問文が存在しうる国は、日本以外には無いのではないか。少なくとも西欧先進国には無いと思う。地方自治体の区分けを超えて、出来るだけ一票の格差を小さくすべきである。上記質問文に関連して良く言われるのは、「地方の声を国政に生かすには、一票の格差が多少あっても仕方が無い」というものである。今回の件を報道するテレビニュースでも、このような意見を吐く参議院議員が映っていた。この詭弁に騙されてはならない。地方の声も都会の声も同じ重みを持つのが民主主義政治である。
 一つの国で、地方と都会の役割分担があるのは確かである。山間地は、都会に住む人の水源であるので、治山治水事業は大切である。田園地帯を維持することは、食料生産という意味で当然大切である。しかし、それらは田舎の人だけが考えることではなく、都会の人も当然考えるべきことであり、実際に考えていると思う。国民が国政に参加する時に、都会の人を軽く扱い田舎の人を重視する根拠は何処にも無い。考えられる理由は、田舎選出の現職議員達そして彼らが主に所属する政党のエゴイズムのみである。
 国政の課題には、治山治水や農業など第一次産業の他、教育、経済、国防、外交、など多くの分野に課題が山積している。英知を集めてこれら諸問題を解決するには、都会の知性も田舎のそれ同様に大切な筈である。一国の機能全てを考えて、都会の人も田舎の人も、政治に参加する場が国政選挙である。従って、田舎の人の一票は都会の人の一票に等しくなくてはならない。もし、田舎無視の国政になるとしたなら、その報いは都会の人を含めて国民全てに及ぶのである。
 戦後の国政においては、田舎選出の議員の所為とばかりは言えないが、熊やイノシシしか通らない国道建設や、役立たないダムなどのコンクリート工事などで、国民の貯金を国債で吸い上げ使って来た。また、多くの田園地方において、狭小な田畠を統合不可能な形で、補助金を使って(中小農家の所有のままに)温存して来た。このような国政の歪みが、一票の格差と無縁では無い筈である。最高裁判事らは、今回の岡山高裁支部の件が上告された際には、不要な行政への諂いを止め、真に三権分立の原則をプライドをもって貫くべきである。(注2)
注釈: 1)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131128/k10013403131000.html。 2)最高裁が、2012年の衆議院選挙の一票の格差に関する訴訟において、「違憲状態(選挙結果は有効)」と「違憲(つまり選挙が無効である)」とを使い分け、当選した議員の職を護った。このような非論理的な判決文を書くことが可能なのは、恐らく出来の悪い日本語のせいかもしれない。日本語の問題ではなく、日本文化の問題だと言う反論があるだろうが、私は、両者は同根であると思う。

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