2014年7月31日木曜日

拉致問題の解決という疑似餌で安倍内閣をつり上げるという劇の脚本は、中国作ではないのか?

 安倍総理が自分の任期の間に北朝鮮に拉致された人を日本に取り返す様に、交渉を続けている。北朝鮮も拉致被害者などの調査委員会として、日本が信頼感を持つレベルに組織をつくり、順調に交渉が進んでいる様に見える。しかし、拉致された人が数十人特定され、その返還交渉が始まったとすると、大きな困難に出会う筈である。
 北朝鮮は無条件で拉致された人たちを返還するという形はとるものの、その後の、国交回復と日本からの経済協力金(実質的には戦後賠償金)を支払う協定の案をほぼ確定した形で要求することになると思う。その経済協力金の額は一説によると一兆円にも達すると言われており、その金が支払われたのなら、北朝鮮の核兵器開発に向かうことは必定である。そして、絶対に米国はそのような協定を許さない。
 本当の北朝鮮の狙いは、拉致問題の解決を餌にして、日本から一兆円の戦後賠償金をとることではないと思う。それは米国などの反対で、元々不可能なこととして読んでいる筈である。本当の北朝鮮の狙いは、そこまで安倍政権をこの交渉に引きつけることにある。そして、安倍内閣と米国との関係がぎくしゃくするタイミングを、中国にプレゼントすることが彼らのシナリオだと思う。
 つまり、そこで中国が尖閣諸島に上陸するのである。つまり、拉致問題の解決という疑似餌で、安倍内閣を北朝鮮が一瞬であれ拉致するのである。  中国と北朝鮮の関係がぎくしゃくしている様に見せているが、北朝鮮への経済援助の90%は中国からである。http://www.xinhua.jp/socioeconomy/economic_exchange/389917/ その中国との関係を危うくするようなことは、金ジョンウンもその側近も考えている筈は無い。
日本の安倍内閣はその様な考え方もあると考えに入れているか心配だ。(7/31/18:46)

2014年7月30日水曜日

佐世保の高校での殺人事件:生徒に対してすべき説教

 佐世保での高校一年生女子による残忍な殺害事件は、友人で同級生でもある女学生が被害者であったこと、及び、遺体の切断を行なったことなど、非常にショッキングな事件であった。
 その後、その女学生が所属していた学校で、生徒に命の尊さを改めて説く(注釈1)、先生方の愚かさも、何時もながらがっかりする出来事であった。ガザ地区で千人の子供を含む市民が、邪魔者として殺されている現実が報道され、テレビで視聴している子供達に、どのように命の尊さを説くのか?テレビの前に居るであろう一般市民を意識して、括弧つけても仕方ないだろう。
 すべき説教は:
1)自分の命が、他人にとって殆ど価値がないと看做されることが、非常に低い確率であるが現実に起こりうること。
2)社会の安全と人々等(注釈2)の間の信頼感は、国にとって非常に大きな財産であり、日本国は未だ、その点において、世界のトップにあること。
3)最後に、その信用度の高い日本社会を守るのが、現在の政治の責任(注釈3)であり、未来の君たち若者であることである。
 「命の重さは地球より重い」というフレーズを繰り返しても、現実には、紙のように軽く扱われることが起こる以上、頭には何も残らない。
  補足:
1)道徳としての命の尊さは、儒教のおしえ”己の欲せざる所は人に施す勿れ”として、既に小学校などで教わっている。また、法的な意味では”全ての国民は自由と安全を享受する権利を有すること(憲法11, 12条)”として恐らく中学校で教わっている。ただ、最後の箇条書きの2)”安全が国家の財産であること”は、あまり教わっていないが、社会として非常に大切なことである。
2)人々等とは、人々、法人、行政などを指す。 3)この事件、犯人の女子生徒の異様性に、異なる文化を感じる。ひょっとして、家畜などを屠殺解体を普通の事として行なう文化の下で育ったのではないだろうか。この件は当初から書くべきかどうか迷っていたが、今朝決断した。政治の責任の注釈としたのは、将来の移民受け入れに関する議論を意識したからである。

2014年7月29日火曜日

政府により静かに勧められる弱者イジメ

差し当たり思い付くままに箇条書きに書く。
1)太陽光で発電した電気の売却価格を、太陽光発電を設置できない者へ転嫁する政策により今後益々、定収入家庭の電気代負担を増加させる。現在2.5%程度、電気代が増加しているが、電力会社の発電コスト上昇による通常の値上げと消費税の増加により、その負担は相当大きくなっている。原発反対を大声で叫んでいる連中のかなりの部分は、彼ら太陽光発電関係の人間であると思う。

2)年金支給年齢を上げることや、支給額を削る政策
年金資金の国内株への投資枠を上昇させることで、株価引き上げとそれによる現内閣の人気維持を行なっている。外資系投資家の投資動向は、例えばこの一週間売りが買いを相当上回っているが、株価は大きく上昇を続けている。外資は年金資金での株価引き上げを利用して、利益確定売り、又は、空売りを行なっている様である。年金資金の買いが細くなると、株価が下落する可能性が高いと思う。その損害は全て、将来の年金額の減少に繋がる。そして、利益は外資に流れ込む。

3)厚生労働省は、大病院での初診には、個人病院などの紹介状が無い場合には、保険適用しない制度の導入を考えているらしいが、これは等しく先進医療をうける権利を国民から奪う暴挙だろう。急病でも救急車を呼ぶほどでないと考えてしまった場合には、ホームドクターの下で無駄に時間を費やすことになりかねない。また、その制度は健康保険制度の危機を早めるだろう。何故なら、個人病院での過剰診療をチェックするシステムがないから、医療費総額が上昇するだろうからである。更に、一般に開業医の方々は総合内科の経験がないので、ホームドクターとしての役割を十分果たすことが出来るか疑問である。
 患者の立場に立てば、医師不足や病院の混雑解消は簡単に解決できる。それは医学部の定員増である。それに反対しているのが開業医の団体である、日本医師会である。彼らは、地方の名士であり、集票マシンとして自民党に協力して、弱者苛め政策に協力している。何故なら、最新医療を学んだ若い医師が増加すると、高齢でも高収入が得られる彼らの地位があぶないからである。

美とは何か

 “美”という言葉或いは概念は不思議なものだと思う。“美人”の美と“美しい光景”の美を同じ美という漢字で表わしている。何故なんだろうか?本当に同じ美と言う言葉で良いのだろうか?その点について少しかんがえてみた。

 今道友信という方の「美について」という新書が本棚にあった。一寸めくってみると、その第一章“美の発見(11-34頁)”に、幾つかの美の定義らしき文章があらわれる。出現順で、“真と善と美は人間の文化活動を保証し、且つ、刺激してやまない価値理念である”、更に、“存在するかぎりのものは、何らかの意味で美しい”とか、“知性の転機とも言われる思春期の前後から、芸術への開眼も生じ、深い美についての理解が始まる”と最初の数頁に書かれている。そして、美は、“理性により発見される、とか、知性により十分味わうことが可能になる”、という記述を見て、手に取ったこの本は再び本棚に戻ることになった。(1)

    そして、ガイドブックを失った迷える羊は、自分で美について考えることになった。しばらくして、次のような回答を得た。  つまり:美は、ある存在に於ける、幾何学的、機能的、文化的、性的、健康的などの側面から得た、視覚的、聴覚的に感じられる“良きもの(2)の証”である。例えば、女性の“美”は、男性にとって良い恋愛の相手であり、健康で聡明な子孫を残すであろうと、本能的に視覚などの感覚器で得る、女性の顔やかたちに貼付ける“良きものの証”である。一方、ピカソのゲルニカは、見る人に第二次大戦で経験した独裁者による圧政を思い出させることで、平和の価値と未来への希望を想起させる(上記新書32頁)。従ってその美は、ゲルニカが人々に与えたそのインパクトに対して、人々の感覚が与えた“良きものの証”である。
 
   つまり、美女に与えられた“美”と、ゲルニカに与えられた“美”は、全く異なる分野の二つの存在に対する、その分野における“良きものの証(或いはしるし)”である。繰り返しになるが、美は本質ではなく、認識の対象となる存在が“良き本質”を主張して獲得する、”良きものの証”なのだと思う。
 この考え方は、ひょっとして最近読んだ三島由紀夫の金閣寺の中に出てくる、放火犯溝口の友人柏木による美の定義を変形したものかもしれない。柏木は、「美的なもの、君の好きな美的なもの、それは人間精神の中で認識に委託された残りの部分、剰余の部分の幻影なのだ」と放火直前の溝口にいった。剰余の部分の幻影と”よきものの証又はしるし”は、評価としては違うが、剰余の部分と言う点では一致していると思う。 ”良きものの証”の方がよりポジティブな評価であると思う。
 
  注釈: 
(1)つまり、著者の論理を、一読者として評価できないということ。
(2)”良きもの”も曖昧な言葉である。ここでは、”大多数の共通の感覚において、自分が近づきたい感覚を持つもの”と定義する。”悪しきもの”は、その逆で”感覚の主が、遠ざかりたい感覚をもつもの”となる。一神教の世界では定義は簡単で、”良きもの”は、”神が誉めたたえるもの”である。どのようなものを良きものと神が評価されるかは、聖書にかかれている。創世記に第一章の最後に、”神は造った全てのものを見られたところ、それは、はなはだ良かった。”とある。
(2014/7/29;午前初稿、7/31/21:40修正)
美とは、感覚器官で認識したものに対し、良きもの(自分側に置きたいもの)と評価した場合につける、しるし(標、証)のようなものである。

2014年7月26日土曜日

日本語の奇形:高島俊男著「漢字と日本人」(文春新書2013)の記述を参考に。

 ホームページに日本語と英語を比較して、日本語の使い難い特徴や、日本語が今の形になったプロセスについて我流解釈を書いた。http://island.geocities.jp/mopyesr/kotoba.html
それから一年ほどして、表題の本が出版された。今年になってそれをたまたま本屋で見つけ購入して、通読したところ、我流解釈がかなり当たっていることを知った。そして、日本語の特殊性について書いたが、今一つ本質的なことが十分言い得ていない様に思うので、小文を以下に書く(1)
 
 日本語は世界で唯一奇形的な言語である(終章243頁)。具体的には、日本語は恐らく世界で唯一、文字の裏付けを待たなければ意味を持ち得ない言語である。つまり単語に割り振られた音声は、単に漢語を探すための符牒である場合が多いのである。そして会話において、その符牒を元に単語を探し当てる作業を同時進行的に行なうのである。その原因は、元々の日本語は文字を持たなかったこと、そして、日本語が未発達の段階にあった時に、中国から多量に漢語とその文字である漢字とを輸入することになったことである。漢語の輸入により本来の日本語は発達を止めてしまったが、その段階での”音節”の数がせいぜい100程度しかなく、受け入れた言葉を表記するのに十分ではなかった。また、明治時代に西欧から多量の概念を輸入して、それを漢語で表現したが、その際には全く元々の日本語にたいする配慮はなく、西欧語を我流漢語に翻訳し(つまり漢字の意味を組み合わせて西欧語を翻訳し)、それを日本語で発音することになった。そのため、多数の同音異義語を持つことになった。明治時代には、”発音(音声)は単語の符牒に過ぎない”という日本語の奇形にたいする配慮は一切なかったようである。
 もし漢字が輸入されていなかったなら、日本語は恐らく本来の発達をとげ、音声と意味が直接対応する本来の言語になっていただろう。つまり、漢語の流入は日本語にとって非常に不幸なことであったのだ(24頁)。世界には文字を持たない言語はいくらでもあるし、文字なき言語は決して不備な言語ではないのである。

 この漢字による日本語の変形は、漢字崇拝という日本の外に学ぶという文化的な特徴を作ってしまったようである。そして、江戸時代の学問とは、「字を覚えて漢籍(漢語の本)を読むこと、そして、聖人(通常孔子)が明らかにした真理を知ること」であったのだ。一方的に&無批判に中国文化を真理として受け入れる、卑屈な対外精神が定着したのである。ごく少数の学者のみがこの愚かさを指摘するに過ぎなかった。新井白石や本居宣長である。明治以降は、単に漢語を英語などの西欧語に置き換え、聖人をギリシャの哲人から近代の西欧学者までに入れ替えるだけで、本質的には何もかわっていない。
 
 このような説得力ある説明を持ってしても、尚、日本の言語学者には、「日本語はなんら特殊な言語ではない。極ありふれた言語である」と言う人が多いそうである。筆者は、彼らは西欧でうまれた言語学の手法で日本語を分析するから、そのような結論になるのであると言っている。
 日本では異端のみが正統でありうるということか。
注釈: 1)この本のエッセンスを書くが、自分の従来の解釈も混じっているので、オリジナルな高島俊男氏の本の内容に興味のある方は、購入してよまれることを勧めます。

2014年7月25日金曜日

舛添はいったい何の為に朴大統領に会ったのだ?

 舛添氏が韓国へ行き、朴大統領と会談をした。ニュースによれば、会談で朴大統領の一方的な(日本の認識では間違った)歴史認識を聞き、根拠のない要望を受けという。会談後の記者会見で、「大統領は歴史認識をしっかりすることが親善の第一歩と述べられたので、安倍(晋三)首相にきちんと伝えると応えた」(注釈1)という。舛添は韓国の為に御用聞きにソールへ出かけた様に見える。
 しかも会談の中で、日本国総理を一部政治家と言う形で引用され(注釈2)て、黙って聞いていたようだ。私は、安倍総理をそれほど買っている訳ではないが、現在日本国総理である安倍総理を、外国において一部政治家という言い方で言われたなら、バカにするなと言うだろう。
 あの男は、表舞台で振る舞っている自分の姿がテレビで報道されることを目的に、何処へでも出かけ、誰とでも会う人間である。
 舛添を選んだのは東京都民である。東京都民の方々はその責任を考えて、リコール運動を始めるべきである。
注釈1)報道ステーションでは、菅官房長官が舛添に依頼したと言っていた。菅はアホだ。
注釈2)朴氏は「一部政治家の言動で両国関係で難しさが出ているが、正しい歴史認識を共有しつつ、関係を安定的に発展できるよう努力をお願いする」という発言をNHKの午後7時のニュースでは、流さなかった。この発言を省くことで、NHKは真実を報道する放送局でないことを表わしている。従って、報道機関として失格であり、我々が聴取料を支払う理由はない。(20:05追加)

日本政府は慰安婦問題に対し明確且つ最終的な対応をすべき

 先日、日本政府は河野談話の作成経緯を発表したが、それと、現内閣が河野談話を継承することは矛盾している。国連により指摘された矛盾のひとつだと思う。(1)折角、河野談話の作成に韓国との打ち合わせがあったと発表したのだから、そして、それにも拘らず(今後外交の場に持ち出さないとの約束に反して)韓国が慰安婦の件で日本攻撃を続け強化しているのだから、河野談話を継承しないと明確化すべきだった。
   要するに中途半端な対応は、事態を益々悪化させるのだ。多少米国との間にぎくしゃくすることで国益を損なうとしても、将来予想される大きな損害を打ち消す為には仕方ないだろう。既に述べた様にこの件は今回こそ、韓国とは徹底的に対峙すべきである。そして国連に対して、中立的な国から歴史学者を選んで調査団を組織して、この件を徹底究明するように進言するのが良いと思う。
 ただ、その際日本の政府には、国連事務総長が韓国人であることを忘れるなといいたい。
 このような失態を演じたのは、日本は論理より和を重んじる文化があり、河野談話のような配慮が韓国にも通じると考えたことである。しかし、そのような考え方は国際標準ではない。日本のセクハラ裁判と同じで、やって居なくても一旦その場の空気を意識して、曖昧な供述をしてしまえば、やったに違いないと決めつけられる。そして、居りもしない目撃者を原告側が探して来て、怪しげな態度だったと証言させるのである。実際に自分にはやましい気持ちが全く無かった訳ではないし、”謝っておけば丸く収まる”と日本的に考えるのは間違いで、その後は全ての罪を背負わされて、賠償や刑事罰が待っているのだ。  ただ、程度の差はあるが日本も韓国も似た様な嘘とごまかしの文化圏にあるので、既に提案したように一度徹底的に中立的且つ真面目な諸外国の学者を組織してもらい、日本と韓国の研究者を加え、真相究明をプロジェクトとしてやれば良い。それまで、韓国との和は一旦棚上げにすべきである。
補足(8/10)この投稿の題目に、「国連の指摘を受けて、日本政府は慰安婦問題に対し明確且つ最終的な対応をすべき」となっていましたが、内容はそのままに題名中の国連の指摘を受けてを削除します。「国連の指摘を受けて」が最初どのような意味で書いたのか私にはわかりません。 注釈:
1)国連の指摘した矛盾はここではないようである。中央日報によれば、特に「慰安婦が強圧など本人の意思に反して募集されたとしながらも、強制的に国外に送ったものではないと主張する日本の立場は矛盾だ」と批判したとなっている。ただ、盗んだのに食べなかったというのは矛盾だという批判は、論理の飛躍がある。何度も言うが、後ろ向きではあるが、兎に角真実究明を国家プロジェクトとして行なうべきである。「第二次大戦調査研究所」のような独立行政法人を作ったらどうか。国連は「独立的で公正な調査が行なわれるべき」としているが、日本国はそれ以上の精密さで調査を国家プロジェクトとして行なうべきである。何故なら、国連そのものが既に独立且つ公正とは言えないからである。
将来の日本の死活を左右する可能性のある問題にまで大きくなった様に思う。注1)は22時に追加;7/26修正

2014年7月22日火曜日

新しい技術には常に恐ろしい応用がつきまとう

 遺伝子操作を植物動物に組み込むことで、薬品をつくる技術の開発が進んでいる。今朝のモーニングサテライトで、イチゴで薬品を製造する研究が紹介されていた。遺伝子組み換えについては、病害虫に強い植物をつくる方法位にしか考えてこなかったが、新しい応用が始まったようである。革新的で便利な技術だが、見る角度をちょっと換えれば非常に恐ろしい技術でもある。 何故なら、薬でなく毒を含むイチゴの栽培も可能なことを示しており、イチゴも警戒して食べなければならないからである。
 原子力発電と原爆が同じ20世紀に開発され、現在人類の脅威として君臨しているように、遺伝子操作や遺伝子解析は、21世紀に大きく進歩し、商用レベルで実用化されるだろう。そして、人間不信を社会の隅々まで植え付け、社会を破壊する脅威として、新しく君臨するかもしれない。現在、遺伝子検査だけでも、既に親子関係に歪みを与えており、フランスなどでは裁判所の決定がなければ、遺伝子検査で親子関係の確認は出来ないようである。
 遺伝子操作の発展と普及は、闇の世界では人間に応用されるだろう。頭の良い美人を作る為の遺伝子操作、凶暴だが指令に従順な兵士を作る為の遺伝子操作など、恐ろしい応用は考えれば幾らでも出てくる。韓国のように顔の整形手術に何の抵抗も感じない文化の下では、人工受精の際に美人遺伝子の組み込みをやれば良いという発想が出てくるだろう。
   時代の流れには逆らっても無駄だろう。人類の誕生、文明の発展、グローバル社会の形成、文明の歪み、バブルの崩壊、文明の崩壊、という壮大なドラマの粗筋は、既に神によって書き上げられていたのかも知れない。

2014年7月21日月曜日

日本の政治は、世襲制から脱却出来るだろうか?

 日本社会で世襲制が静かに広がっている。最も顕著なのは政治の世界、芸能界、経済界(1)である。それらは、現代の貴族階級となりつつある。そして、無能なもの達が社会の第一線に顔を揃えることで、日本国は三流国家になりつつある。高学歴層も世襲制である。遺伝的ファクターが若干影響するものの、大学入試レベルの能力は、所詮教育投資で決まる範囲だからである。
 世襲制になり得ないのは、門戸が広く開かれたスポーツの世界である(2)。過去日本で最も人気があったスポーツは、野球である。例えばバッターでは、ミリ秒レベルの時間でのミリメートルレベルの正確なバットコントロールが要求される。そこでは世襲制の入り込む余地はない。実際に、一流選手の子供でもそれほど活躍するには至らなかった。
 一方、政治の世界や芸能界では、世襲の門がその入口となっている場合が殆どである。大衆の前で演説し票を獲得することで政治家になれるので、自己主張が悪とされる文化の日本国では、元々”裏口に門があるような特殊な世界”である。世界的にみれば政治家は、例えばハーバード大やエール大学出身で、”正門から堂々と入るエリートの世界”の住人という感じであるが、日本では残念ながら、慶応大学レベルの世襲議員が多い。官僚出身者でも、元々消去法で出世した人(3)が残るので、政治家になった人には優秀な人は居ない。実際、風見鶏風の人やET風の秀才が居たものの、大きな改革の出来る人はこれまで出なかった。
 従って、日本の政治的貧困の原因として、この世襲制が第一番目にくると思う。日本の政治家をエリート的な人にするかは、日本文化に大きな変化が今後ないとした場合、残念ながらかなり困難である。

注釈:
1)経済界の場合、株主としての立場を相続して経営に参加する場合は、問題にはならない。それ以外の場合は、株主総会を充実させる方向で解決できるだろう。
2)相撲界の様に、門戸が狭い場合で基本的な運動能力に関係するものでは、世襲の因子が残る。
3)能力の在る人よりも、問題の無い人が選ばれる。

2014年7月20日日曜日

SOSホットラインをつくったらどうか=何らかの大きな困難に直面している人の為に=

 先週、ある20歳の男性が無関係な50代の男性を刺して逮捕された。「死刑になりたかったので、男を刺した」と、犯罪の動機を喋った。刺された男性は病院に運ばれたが重傷である。その20歳の男性は、警備会社を首になり、その会社の寮をでて数日間野宿生活だったという。
 あまり大きく報道されなかったこの事件であるが、考えさせられる事件である。刺された人は非常に気の毒であるのは勿論だが、20歳で犯罪者となり将来を無茶苦茶にしてしまった犯人も又気の毒に思える。直ぐ切れる感情は、幼少期の育ちに関係があるのかもしれない。もしそうなら、劣悪環境に幼少期を過ごすことになったその若者に、同情を覚えるのは私だけだろうか。現金もなく、故郷から遠くはなれていて、親身になってくれる様な相談相手もなければ、やけくそになる人は多い筈である。荒んだ心に都会の風が寒々と吹き込んだ末の犯罪だろう。
 そのようなケースを出来るだけ無くする方法として、SOSホットライン(例えば、999番)を設けたらどうだろうか。簡易宿泊施設などを設置し、24時間対応で、当面の相談相手をする係官(警察官などの経験者)を置いて対応すれば、このような犯罪は相当減少するのではないだろうか。そして、都会の安全性を高めることや人心を和らげる上で、大きく寄与すると思う。

最近の日本語は変だ

日本語は非論理的な言語であると、山本七平氏はいった。以下に上げたのは最近の変な日本語用法である。

1。美人すぎる。。。など「。。過ぎる」と言う表現。今日は、黒すぎる物質(http://news.livedoor.com/article/detail/9060932/)という表現を見た。
普通、美人すぎる弁護士などと使う。そんな弁護士は、裁判官の感情を動かす可能性があるので、首にしたらどうか? 美人すぎる研究員も、上司の感情をあらぬ方向に動かす可能性があるので、採用すべきでなかった

2。してあげる; 最近、この“してあげる”が気になっている。先ず、じっくり焼いてあげて下さい。その後、レモンの絞り汁をかけてあげると、美味しく召し上がれます。殺されて焼かれる魚の霊があったら、どう思うだろうか? それとも、上げる先が違うのだろうか?

3。環境にやさしい;日本語に定着しているが、人が環境(地球)に優しいというのは、思い上がりも甚だしい。

4。慚愧に堪えない、胸襟を開く、矜恃を守り抜く、など、テスト問題用に作られた様な日本語。
 一つの単語が独立した一つの意味を持ち、且つ、全ての単語は言語空間に均一に分布して一つのセット(体系)をなすことが、良い言語の要件であると思う。更に、語源が明確で、発音が容易であることが望ましい。慚愧の夫々の漢字の意味が言える人が、果たして日本中に何人いるだろうか?

5。パワハラ、セクハラ、ワンセグ、スマホ、など外来語の省略形。便利なようだが品位にかける。また、意味が定義されないうちに広がり、最初はある層のみで、それを用いた会話が成立する。時間が経てば、全部の層に広がり国語の中で定着するが、その時には訂正不可能になっている。 その結果、例えば、セクハラなどは、犯罪的行為なのか単なる迷惑行為なのか解らなくなっている。ほとんど全ての外来語はこの種のプロセスで定着する。ロードマップ、マニフェストなどは、政治や官界から広がったもの。

6。メッチャ、何何ジャン、キモイなどの若者ことば。これも意味もなにも考えずに短縮したことばである。4。よりも劣悪な印象を与えるので、使わない様に学校でしっかり教育すべきである。

7。交換、好感、公館、交感、交歓、鋼管、公刊、好漢、巷間など、あまりにも同音異義語が多すぎる。これは最近のものではなく、パソコンで文章を打ち込む時にしみじみと実感することになった例である。

8。戦略的互恵関係、日本固有の領土などの政治用語:アホの一つ覚えに聞こえます。
 前者:その表題は解るが、どのような戦略で、どのような恵みを互いに実現するか、それを聞いているのだ。
 後者:何時代からの話か?日本列島は日本人固有の領土か? 歴史は領土の取り合いだったし、現在もその歴史の延長上にある。“固有”など何の意味もない。国民に誤解を与えるだけだ。
ついでに、一つ追加「めだまやき」: 目玉と言えば、人間として外界を認識する最も大切であり、また、最も敏感な臓器。「めだまやき」なんて気味悪い表現をよく平気でつかうなと思う。(7/20 am; edited at 6 pm)

丹羽氏は中国に取り込まれている 

 時事放談をみている。今日のゲストとして、前の中国大使の丹羽氏が出ている。 中国の(増加し続ける)軍事費は、米国のそれより十分小さく、それほど脅威でないと言う発言、中国の経済は十分成長しているなど、不可解な発言が多い。
 中国の軍事費は米国の数分の一程度であると丹羽氏は言うが、共産党独裁の国であるというファクターを考えると、増加を続ける中国の軍事費は、日本にとって大きな脅威であると思う。また、安倍氏の集団的自衛権行使を可能にすること(1)は、日本の対中国抑止力に役立たないと言う発言、米国と中国は世界経済一位と二位の国であり、経済的依存が密であり、紛争などあり得ないという発言など、歴史的な視点がある人の発言とは思えない。
 原発問題でも、「規制委員会の責任にして、再稼働するのは良くない。政治が責任をとらないといけない。」という発言だが、原発問題は専門性の高い問題であるから、政治が原子力規制委員会を設けているのである。政治の下にこの委員会があるのは最初から明らかである。
 丹羽氏は名古屋大学の時代、60年安保闘争を率いた人物だということである。だいたい、安保反対と学生運動をやった連中にロクなのがいない。70年安保の時には私は大学にいたので、ある程度解る。60年安保が、その時と同様の運動であったとしたら、安保闘争は反米運動であり、そして、同時に反政府的(或いは、反権力)運動だったと思う。それを主導した連中は、ほとんど全員バランス感覚や直感力に欠陥があったと思う。
 更に、あの反日騒動のとき大使であったこの方は、中国にまともにものを言ったのか? 兎に角、この方の発言を聞くときには、注意が必要である。

注釈:
1)憲法解釈で強引に集団的自衛権行使を可能にするのは良くないと思う。憲法改正すべきである。

2014年7月19日土曜日

最高裁が、初めて外国人は日本国民に含まれないという判断=生活保護費の話だが。。。???

 最高裁が初判断「外国人は生活保護法の対象外」というニュースを見た。

 最高裁判所は「法律が生活保護の対象とする『国民』に外国人は含まれない」とする初めての判断を示したという。日本在住の中国人が起こした裁判で、福岡高裁は「生活保護を必要とするこの外国人(中国人)は、生活保護法が対象とする国民に含まれる」という判決を出したため、国側が上告していたのである。

そこで、生活保護法を見た。 第一条:  この法律は、日本国憲法第二十五条 に規定する理念に基き(注釈1)、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

 最高裁の判決の根拠は、これで十分である。福岡高裁の判事は、おそらく日本語がわからないのだろう。
地方自治体は、一般に財源に乏しいので、日本人が申請してもハローワークを紹介されて終わりになる場合も多いが、外国人の場合はスンナリと支給されることが多いと聞く。外国人に生活保護費を与えていることが不思議だったが、法律がそのようになっているのだろうとこれまで思っていた(注釈2)。地方自治体の担当者が、業務怠慢の一つとして、日本国民の中に日本在住の外国人を含めて来たということになる。こんな所にも、全く訳の判らない行政があったのだ。

 この判決に反発した原告側弁護士は、「外国人は日本で生活してはいけない、働いてはいけないということに結論的にはなる。」という反論をしている。 日本で働かないから生活保護費の申請をした筈なのに、この言いぐさは何だ? この弁護士は「日本国民には、外国人はふくまれない」という日本語が解らないのか。福岡高裁の判事もこの裁判の原告側弁護士も、司法試験を通っているかどうか審査した方がいい。何せ、日本語が理解できていないようだから。

 さて、すこし真面目に議論すると、この判決は、外国人移住者を受け入れる可能性を考えて、流石の最高裁もそう判断せざるを得なかったのだろう。今後、日本国民である住民が地方自治体等を、税金の不正使用などの理由で訴えるケースが増加するだろう。
このニュースはNHKのサイトには7月18日午後7時45分の発信になっているが、今朝7月19日の中日新聞朝刊には全く記載されていない。恐らく、朝日新聞も東京新聞も同様だろう。
おめでたい国、日本、万歳。

注釈:
1)日本国憲法25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とある。日本国民の定義は、国籍法にある。
2)当然、人道的配慮や治安の悪化防止などが考えられる。ただ、生活保護費の大半が在日外国人に支給されていること、ポルシェに乗りながら生活保護費を貰っている外国人の存在など、多くの問題が指摘されてきた。

2014年7月18日金曜日

広い世界と文化、日本人には受け入れられない文化も多い=移民は受け入れない方が良い

 現在だいたい有名になった音楽はyoutubeで聞ける。今日、rolling stonesが選んだbest 500というリストがあることを知った。その内のベスト10が、以下の曲である。イマジンなど比較的解り易い曲があるものの解り難い曲が多い。
Best 500 music selected by Rolling Stones;
  1. ライク・ア・ローリング・ストーン, ボブ・ディラン
  2. サティスファクション, ローリング・ストーンズ
  3. イマジン, ジョン・レノン
  4. ホワッツ・ゴーイン・オン, マーヴィン・ゲイ
  5. リスペクト, アレサ・フランクリン
  6. グッド・ヴァイブレーション, ザ・ビーチ・ボーイズ
  7. ジョニー・B.グッド, チャック・ベリー
  8. ヘイ・ジュード, ビートルズ
  9. スメルズ・ライク・ティーン・スピリット, ニルヴァーナ
  10. ホワッド・アイ・セイ"(en), レイ・チャールズ

 この中で、"スメルズ・ライク・ティーン・スピリット"( ニルヴァーナ)は9位であるが、1億7000万回に近い他を圧倒するアクセス数をみると、多くの人の共感を得ているものと思う。しかし、この曲は、独特のリズムと雰囲気があるものの、非常に暗い犯罪的な曲であると感じる。作者は意味が無いと言うが、歌詞には人種差別と殺戮の意味がある様だ。この曲だけで判断するのは勿論早計だが、私はこの曲とそのアクセス数の多さに少なからずショックをうけた。日本人には想像を絶する社会が、世界には地域によるだろうが多く存在する。我々は、中庸で均質な文化を形成し、平和に暮らしている。この日本国を大切にし、外国人一般を移民などで受け入れない方が良いと思う。  下にこの曲の歌詞の和訳をしてみた。難解だが元の英語に出来るだけ忠実に行なったつもりである。誤りがあれば、指摘して欲しい。
ニルバーナは涅槃の境地という意味の他に、生け贄という意味があるそうである。

最高裁判断はおかしい。現在同居の生物学的父親に親権を移動すべきである。埋め合わせは、民事訴訟で解決すべき。

 昨日の最高裁で、子の親権は民法772条の規定を優先し、遺伝子検査などの結果を考慮しないという判断が示された。その結果、現在親権を持つ前の夫から、遺伝子検査で父親の確率が99.99%であり、且つその子供と現在同居中の生物学的父親に親権を移すことが出来ないということになった。時代の変化を無視した判断だと思う。

 民法772条の規定に、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する。」とある。この“推定する”という言葉の意味を、通常の言語感覚で解釈するのなら、推定された親から検査により決定された親に親権が移るのは、自然なことである。
 最高裁の判断は、「推定した結果が間違っていても、そして仮に、現状の家族構成に合致する方向でも、訂正してはならない。」である。従って、「法による決定は真実に左右されない」ということになり、法律至上主義的である。

 他に、関係者に問題を解決させる方法として、民事訴訟がある。数年間実子と信じて養育していた民法上の父親の無念は想像に難くない。その問題は、民事訴訟で賠償金という形で解決し、親権のあり方とは別にすべきであると思う。金(かね)での解決は汚いとされている。しかし、金でしか解決出来ないこともある。金での解決は問題の本質的解決のベクトルとは45度位違うだろう。しかし、45度の違いで解決出来るとしたら、金の力は偉大である。  対人関係で権利義務的トラブルが生じるのは社会生活をしている以上、避けられない。45度の解決は、双方が同程度の我慢をする有力な解決方法である。

2014年7月17日木曜日

語り手は真実を語るか?金閣寺の主人公と芥川龍之介の「地獄変」の語り手

 最近「金閣寺」の感想を投稿した(最初のものはここ)ので、ついでに数年前読んだ地獄変に関する短いコメントを書く。これを書いた理由は、前回の金閣寺に出てくる禅問答の解釈とそれに対する主人公の反応から、主人公の心理を考えるという趣旨のブログで、語り手は必ずしも本心を語らないと書いた。その例として、地獄変の語り手を取り上げたからである。

金閣寺の語り手である主人公溝口も、狂人でなかったのなら、もっとも肝心なところで嘘を言っている可能性が高い思うからである。つまり、柏木から紹介された美女との関係が、あと一歩というところにきて、金閣寺の幻影が現れて妨害するというところである。実際は、柏木が初めて美人と関係をもちそうになったとき、気おくれして何もできなかったという話が紹介されているが、それと同じ状態であった可能性がある。そう考えると全編に亘る緻密な語りと、金閣寺の幻影に人生を邪魔されると言う話(つまり、嘘だろう)が、同一の人物から出て来たことに納得がいく。

 地獄変に戻って、語り手として世俗的な大殿に使えていた人間を想定している。大殿の人物評などに嘘が多く、それを本当だと信じると訳がわからなくなる。例えば、語り手が怪しい声などを聞いて、(絵師の娘が可愛がる)猿に曵かれて現場に近づいたとき、娘が逃げて飛び出てくる場面である。あのとき、語り手は絵師良秀の娘の部屋に忍び込んだ大殿の姿を見た筈であるが、誤摩化した様な表現が使われている。その語り手の設定に気付くことで、堀川の大殿が表向き善人ぶっていても、影では何でもできる恐ろしい人間であることがわかる。

絵師は天才的であるがプライドが高く、大殿であっても安易に諂うことがない。娘を焼かれた絵師に出来る仕返しは、鬼気迫る絵を仕上げることである。大殿との闘いに勝っても、命を捨てることで娘への愛情を示したのである。

 世の中にある解釈芸術至上主義云々は、間違っている。この種のコメントを書く方の理解法の中で欠けているものがあると思う。それは、良秀も芸術家である前に人の親である点である。そして、恐らくコメントを書いた方も人の親であるだろうが、その自分を原点にして”小説に書かれた出来事”を考えず、世の中に流布されている説やその小説の語りの解釈(小説家の作為的な)を出発点にしてしまうことである。(興味ある議論がここにもあるが、やはり、本質を欠いている。  反論を期待する。(7/17; 7/18一部追加)

2014年7月15日火曜日

最高裁判所は第二の与党

 昨日の最高裁判決で、沖縄密約があったと立証する責任は市民側があるとした。従って、政府が密約を隠し通せば、国民の側からは永久に見えなくなる。それは政府の外交に関して、国民にとってその是非を判断することが不可能になることを意味し、民主主義の原則に反する。(間接)民主主義においては、選挙により選ばれた政治家に国家の運営を委託するのであるから、選挙の際に過去に何を行なったかが、将来何をするかと同様大切な判断基準となる。都合の悪いことは全て密約で済ませば、与党が常に選挙の際圧倒的に有利になる。
 密約そのものはその時点で不可避と判断されれば、仕方が無い。しかし、その密約の必要性を説明する準備が出来るであろう一定期間後には、それは公開すべきである。そして、その是非を国民が判断して次の選挙の参考にする。その一定期間は、次の選挙までが本来の民主主義であるが、米国などもそのようにはなっていない。この期間は、現実の国際政治に多大な影響を及ぼさなくなる期間として良いと思う。米国が既に公表しているのなら、当然公表すべきであるし、上記立証責任は国家にあると思う。
 兎に角最高裁判所の判事達は、三権分立の原則よりも、職確保の為に政府側につくことでせいいっぱいなのだろう。一票の格差という民主主義の原則に関する問題でも最高裁は与党を支持する側にまわった。最高裁は第二の与党である。最高裁判事の国民審査の際に全ての判事にXをつける様、市民運動を展開すべきである。

2014年7月12日土曜日

北朝鮮政策に関して協調する米中と離反する日本:安倍政権に外交ビジョンはあるのか?

 拉致問題に関する北朝鮮との交渉が進んでいるらしいが、それが米国や中国の対北朝鮮政策と真っ向から対立しているように思う。そう思ったのは、日本が独自制裁の一部を解除した5月29日に、米国が北朝鮮に対してニューヨーク連銀でのドル決済を停止したからである。また、最近の日経ニュースでは、中国が北朝鮮への原油をストップしたという。これらは米中が連携した北朝鮮崩壊のシナリオではないだろうか?
 この様な情況を見ると、日本外交は完全に迷路入りしているような印象をうけてしまう。拉致問題があるにしても、米国や中国と反対方向の政策をとること、靖国参拝で、韓国と中国の連携を深める手助けをしたことなどは、安倍内閣の外交政策が一定のビジョンを描いて、それに向かって進んでいるという印象が全くない。
 集団的自衛権行使を憲法改正無しに可能にすることは、米国へ媚を売ることになっても、信頼感を得ることにはならないのではないか。
 この夏は非常に不安な夏になりそうである。

引用サイト:
1) http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/05/blog-post_6146.html
2) http://tanakanews.com/140530japan.htm
3)http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20140629/267727/?P=2&mds
4)http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/12/blog-post_26.html

蚊は絶滅させるべき:製薬会社は?

 6月10日のNature Communicationsに遺伝子操作で蚊を絶滅させることが可能であるという報告があった。生まれてくる雌雄の比を5:95にできるというのである。これが95:5なら絶滅しないところが、雌雄の差の面白いところである。その理由は、中学か高校でならった等比数列を思い出せば簡単に思い付くと思う。

 この朗報にも拘らず、厄介なことを言う人があらわれて、その方法の適用が躊躇されているとのこと。蚊を食べて生きている生物も居て、生態系全体の変化を予測できないというのである。おそらく、その懸念は払拭されるだろうが、大声で生態系生態系と唱える人種が大勢居ることは事実である。G−ピースを思い出す。

 生態系に変化を与えることは事実だろう(1)。しかし、それは一定の範囲におさまり、やがて殆ど元の生態系に戻るだろう。高等動物、例えばアホードリ、が絶滅しても生態系にたいした影響はない。しかし、下等動物が絶滅した場合、食物連鎖にかなりの影響を及ぼす可能性があるのは事実である(2)。蚊を餌にする昆虫やその昆虫を餌にする鳥や魚に影響を与えるからである。しかし、忘れてはならないのは、自然は常に何らかの刺激に対して、そこから遠い関係にあるところへは影響が小さくなり、そして、それもバイパス現象などで時間とともに小さくなる、“緩衝作用”があることである。例えば、蚊が減れば、蚊とライバルだった昆虫が増加し、蚊を食べられなくなった他の生物は、その増加した昆虫を食べることになる。そのような緩衝作用が至る所で起こり、人間に対する影響は恐らく小さいだろう。

 ただ、マラリヤが無くなった時には、製薬会社が直接大きな影響を受けるだろう。その関係者が、蚊の絶滅から生態系への影響を心配する振りをして、反対しているのだろう。この種の策略は人間の世界では常套手段であり、自然の生態系よりこの種の人間の生態に注意すべきだろう。

注釈:
1)生態系で一番大きな影響を受けるのが、生存競争の相手に当たる昆虫である。そして、そこから関係が遠くなるに従って、影響が小さくなる。人間が最も気を配るべきは、直接或いは極近くで影響を受ける昆虫に、厄介な病原菌を媒介するものが居ないかどうかである。
2)その理由の第一は、個体数が多いことである。そして、幼虫時に大半が他の昆虫などの餌になり、成虫となるのは極一部である様な場合、かなりの影響が生態系に出る可能性がある。たとえば魚では、イワシなどが絶滅すると、海の生態系に大きな影響が出る可能性が高い。

2014年7月10日木曜日

小説「金閣寺」の感想(2):禅問答と小説”金閣寺”

  歴史上でも現代でも、真理を偽っていいかげんなことを語り、悟ったふりをして人を惑わす者が大勢居る。日本語が論理展開に不向きな言語であるため、そのような言葉のマジックが可能になる。その代表が、禅問答である。禅問答は公案と言われる訳の判らない問題を”解く”際のやり取りのことである。公案のほとんどは意味のないなぞなぞの類いで、無理会話と言われることもある。
 
 三島由紀夫の「金閣寺」を最近読んだが、その中に“南泉斬猫”という公案が出てくる。その話は以下のようである。「山寺に一匹の美しい猫があらわれた。東西両院の僧達はその猫をめぐって争った。それを見ていた南泉和尚は、その猫の首をつかんで、草刈鎌を擬して、こういった。“大衆道ひ得ば即ち救い得ん。道ひ得ずんば即ち斬却せん”(道は言に同じらしい)衆から答えは出なかったので、南泉和尚は猫を斬って捨てた。日暮れになって、高弟の趙州が帰って来たので、南泉和尚は事の次第を述べて趙州に質した。趙州は、履いていた靴を脱いで、頭の上にのせて出て行った。南泉和尚は嘆じて言った。“ああ、今日お前が居てくれたら、猫の児も助かったものを”と。」 

 このような公案を解釈するのが禅の修行の中の必須科目なのだという。現在でも、幾つかの公案が住職への就職試験につかわれるとのこと。もちろん、模範解答があってそれを暗記して答えるだけだろう。形式的にやるだけだろうが、馬鹿げているとしか言い様が無い。
 
 小説金閣寺では、終戦の時の和尚の講和のなかで“南泉斬猫”が出てくる。元々回答不可能な公案であるから、和尚も適当な解釈を開陳しただけである。小説の中で重要なのは、二度目と三度目に出てくる、主人公溝口の友人である柏木の“南泉斬猫”解釈である。内飜足の柏木は、その美しい猫を「美そのもの」と捉え、それへの憎しみを込めて「美は単に厄介なもの(虫歯のようなもの)」として解釈している(1)。
 そして、柏木は認識の剰余的なのものの幻影として美的なものを捉え(2)、何とか自分の醜い姿と同居しているが、その議論の中で、金閣寺を放火した主人公は「美的なものは怨敵なのだ」と白状している。美に恵まれない者は、美を無価値と看做して無関心を装うか、美を敵と看做して戦うかのどちらかである。柏木は無関心或いは諦め(趙州の態度)を、溝口は敵対(南泉和尚の態度)を選んだ(3)。二人とも、あまりにもプライドが高い為に、自分の醜なる一部にこだわり、それが壁となって隔たりを感じる一般社会を、敵とすることで自分の醜と心理的バランスをとって生きている。解脱にはほど遠い禅僧見習いである。
   小説金閣寺の解釈には色んな意見があるが、病理心理学的見方をしない多くの評論は間違っていると思う。最近も、広島大文学部の有元伸子氏による”三島由紀夫「金閣寺」論”があるが、「金閣寺」の中では放火の動機が十分解らないとしている(4)。その上、溝口の心理などを含めてあまり理解できていないと思う。
 もう一つ重要な点は、語り手はどの程度本心を語るのだろうか?と言う疑問である。この疑問は、芥川龍之介の「地獄変」を読んだ時にも強く感じた。後者の場合は、語り手が知りうる限りのことを語っていると考えると、訳がわからなくなる。(5)
 禅問答に戻って、ところで、そのような“意味のない問答”が何故、禅宗の修行に存在するか? “禅宗における悟りとは「生きるもの全てが本来持っている本性である仏性に気付く」ことをいう。 仏性というのは「言葉による理解を超えた範囲のことを認知する能力」のことであるとされる。 悟りは師から弟子へと伝わるが、それは言葉(ロゴス)による伝達ではなく、坐禅、公案などの感覚的、身体的体験で伝承されていく。”と上記サイトに説明されている。ここで書かれている悟りの境地も、栄養心理や病理的心理学の領域で議論されるべきことではないのか。

 因に、「金閣寺」にある解釈以外のネットで見つけた“南泉斬猫”の解釈の例をあげる。訳の解らない単語(仏性)を非論理的な言語で語ると、このようになる。それと、数学の簡単完結さとを比較してほしい。要するに、解らないことを解らないという思想(無知の知や経験主義)の発生は、論理的な言語の下でないと起こりえない。従って、東洋では産まれ得ないし、生まれなかった。これが思想においては、全く訳の判らない言葉遊び的(禅宗など;6)なものか、現実傾倒的(儒教)なものかのどちらかになってしまうのだろう。
注釈:
(1)柏木は、美と認識について以下のように言っている。「人は生を耐えるために認識という武器をもった。認識だけが世界を不変のまま、そのままの状態で変貌させるのだ。”美的なもの”は人間精神の中で、認識に委託された剰余の部分の幻影なのだ。」つまり、美は剰余的な認識であり、本質的でないと言っている。
(2)美は確かに認識の中心にはない。しかし剰余的なものというより、美は認識とその認識主体との相互作用の産物だと思う。柏木は認識とその”剰余的な一部分である美”(柏木説)を人間一般に共通のものと捉えているが、それは間違いである。柏木は、片輪故に美を畏れ、美を個人の意識として捉える余裕をなくしているのである。
(3)小説「金閣寺」で二度目に出てきた”南泉斬猫” の解釈は柏木によりなされる。そこで、柏木は「今の所、自分は南泉和尚で君は趙州だが、いつの日か、君は南泉で僕が趙州になるかもしれない。」(文庫版、155頁)と言っている。つまり、主人公溝口が猫を斬る行為に及ぶことをここで予言しているのである。美の象徴である金閣寺に放火することで、柏木の予言(かもしれないと書かれているが)が当たるのである。
(4)有元氏の論文のイントロで、「金閣を焼くという行為に関しては、従来から大きく二つの説に別れている様である。一つは、現実の金閣を焼くことによって、戦争末期のような絶対的な金閣との一体化の知覚を取り戻そうとしたと読む説であり、もう一つは、自分の内部にある金閣の絶対性を開放して、真に相対的な生に生きようとしたと解釈する説である。しかし、小説金閣寺ではこの二つの読みが並立するのを許容するように描かれているのであって、「(小説)金閣寺」内部からは主人公はどちらの方向をとったかは明らかにはされてはいない。」 私は、こんな解釈は意外であり、どちらの”これまでの説”も小説「金閣寺」が全く読めていないと思う。このような読み方をする人達は、上述の「私にとって美的なものは怨敵なのだ」といった主人公の本音をどう解釈するのか?
 また、主人公が自分の性アイデンティティーに悩むというような解釈をしているが、それは著者の三島由起夫を意識し過ぎだと思う。美しい女性を前にして不能になる主人公は、性アイデンティティーを確立していないからではなく、自分の劣等意識からである。その同じ現象が、柏木と最初の美女との交際に関して、柏木自身の告白の形で書かれている。(文庫版105頁)自慰や夢精をし、遊郭においても有為子との行為を夢想する主人公の性アイデンティティーは明白であると思う。
(5)地獄変では堀川の大殿を”善人”として語っている。しかし、本当は”悪人”である。絵師の娘を自分のものにしようとしたが強く拒否する娘を、絵師の言った「実際に見なければ描けない」の言葉を得て、絵師の前で焼き殺した。絵師は自分のプライドをかけて名作を完成して、大殿との確執に闘い勝ったのだ。その後、娘への愛を縊死と言う形で証明したのである。語り手の言葉をそのまま信じると、芸術至上主義などという解釈に至るかもしれないが、それは誤りであると思う。
 同様に、金閣寺の語り手はこの小説のもっとも鍵となる部分、「美女との行為の直前に金閣があらわれる」を正直に語っているのか解らない。全く同じプロセスを(4)に追記したように柏木が告白しているからである。正直ならば、病理心理学的観点を本小説の解釈に持ち込む必要がある。嘘を語っているのなら、柏木の告白と同様である。私は後者だと思う。 つまり、三島由紀夫は、語り手が語り得ない部分を別のケースで予め示しておく手法をもちいているのだろう。もう一例を上げれば、金閣寺の空襲での焼失を願ったが、実現しなかったので自ら放火したことのモデルは、有為子の死を願い成就することとして、始めの部分で与えられている。
(6)仏教特に原始仏教は、世界における高度に発達した宗教の片方を構成すると思う。西欧で主流なのは”創造神”の考え方であり、それに対して、東洋(東アジア)では”空”を”縁”主張する仏教が主流だと思う。その他の宗教はそれに関係する人口が仮に多くとも、”高度”とは言い難いと考える。
(7/10投稿、7/11語句の修正と注釈(2−4)の追加及び拡充;7/16注釈(5、6)を追加)
引用サイトの明示:
http://ja.wikipedia.org/wiki/公案
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html
http;//www.chusugi.jp/feature/policy/thesis/thesis201301.pdf
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q137333603;
http://ja.wikipedia.org/wiki/臨済宗;
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/832991.html;
追記)その後、サイトにこの件を議論して、三島は仏教が解っていない云々の記述がありましたので、一言:
小説は、登場人物に作者の思想を語らせる場ではありません。何故なら、登場人物はその小説上の設定にあった発言をし、思想を語るからです。

2014年7月9日水曜日

21世紀を日本国は生き抜けることができるか?

 日本国は戦後70年たっても米国の都合の良い妾である。都合が良いというのは、捨てても夜中にひっそり泣くものの結局何もできないし、何もやらないからである。そのような国に何故なったのか?それは戦後、まともな政治家は全て国際法上違法な裁判で死刑になり、その歴史に国民が出来るだけ触れないようにして、国が隠したからである。そして、国民がその時代そのものを忘れるのを待っているのである。また、優秀なるものが国会に出ない様に、一票の格差を大きくして、ほとんど田舎の農協社会から出る様に据え置いた。人の輪から孤立することを極端に嫌う文化と、論理なき言葉で頭が汚染されているのは、この田舎の有権者だけではない。最高裁判事も同様に愚劣であり、「一票の格差は違憲状態にあるが、しかし選挙結果は有効である」という、英語に訳せない理由で、その選挙制度を黙認し続けた。斯くして、共産党独裁国家に囲まれても、憲法9条を守るべきというスパイ政治家が活躍し、それに洗脳された同様の意見をもつ有権者が殆どの国になった。
 中国支配層は中国人が一億人死んでも未だ10億人残っているという考え方が出来る人たちである。毛沢東の時代の大躍進運動や文化大革命で死亡した自国民は数千万人と言われている。それでも北京の天安門広場には大きく毛氏の肖像が掲げられていることを忘れてはならない。両運動とその時の中国の情況については、ユンチャン著のワイルドスワンに詳しい。隣国に住むものの必読の書であると思う。そして、中国の李鵬が1995年頃、「30年後には日本などなくなっていますよ」とオーストラリア首相に言ったと言う話を、武藤国務大臣が当の首相から聞いたとしても、国内では大きなニュースにならないし、シリアスに受け取る人は殆どいない。そのような極限的な思考すら公に出来る中国人政治家と、テロ行為にあっても人命は地球より重いと言って、犯人に屈服する日本人政治家との差は、大きい。
 今となっては年寄りの繰り言になるが、長期政権を担った、吉田茂と佐藤栄作がもうちょっとしっかりしていたら..と思う。

ユルキャラ病は、伝染性発想欠乏症である。

 何時頃からか、日本中至る所の市や町に、ユルキャラというのが作られているらしい。ユルキャラとは、ぬいぐるみの中に人が入って演技する、マスコットキャラクターのことだという。どこもかしこもユルキャラで町おこしというのは、“アホの一つ覚え”ということばがピッタリあてはまる。今日午後4時からのL for youという番組では、”町おこしグルメ(1)”というのが特集されていて、甲府市と富士河口湖町が紹介されていた。そして、甲府市は鶏料理を宣伝しているらしく、とりのかっこうしたユルキャラが、富士川口湖町もかっぱめしの宣伝に、富士山の形をヒントにして形作ったユルキャラが出演していた。
 熊本の“くまもん”はその中で有名だが、最近国外に出て行ったが、殆ど注目されなかったということである。
 ここまで書いて、ユルキャラで検索してみておどろいた。中央官庁も都道府県庁などもユルキャラをもっていて、官庁などの存在感を国民にうったえているというのである。更に驚いたのは、ユルキャラグランプリというのがあり、何と1580ものユルキャラが応募して順位付けがされていた。  発想の豊かさが、国の豊かさに繋がるのだが、このようなアホの一つ覚え現象が起こっている様では、世も末である。将に日本国はユルキャラ病に感染しているのではないだろうか。ユルキャラで遊ぶのは、幼稚園くらいまでにしておいたらどうか?

注釈1)地元料理で町おこしも伝統的手法ではあるが、どこもかしこも付焼き刃的に創った地元料理では、発想が貧困だといわれても反論できないだろう。
(ヤフーブログに書いたものですが、”コピペ”します。)

2014年7月7日月曜日

スタップ細胞再現実験は人権蹂躙?:監視カメラと監視員の下で小保方氏を拷問にかける理研

 理研がスタップ細胞の再現実験を小保方氏にさせている。論文を取り下げたことは、スタップ細胞作成は不可能であることを、小保方氏を含めて著者が認めたことになる筈である。それなのに何故、再現実験をするのか?(1)
要するに、小保方氏に「自分が手品で作りました」と白状するように、一種の拷問にかけているのである。拷問の為の道具は、批判が法曹界や一般国民から出難い様に、首輪や鞭に代えて監視カメラと監視員を用いているだけである。
 つまり、公然と人権蹂躙を理研はやっているのである。テレビ番組の“ひるおび”で八代英輝弁護士が、ちらっと問題あるかもと言いかけたが、テレビで収入を得ている関係で発言を控えたようだ。
 スパコン“京”での無駄使いといい、今回のスタップ疑惑といい、理研は狂っているように見えてしまう。

注釈: 
(1)科学の世界は、学会発表によるものも含めて、論文が全てである。それを撤回したのだから、もし同様の実験を行なうとしたら、再現実験としてではなく、新しく研究を開始することになる。

2014年7月6日日曜日

新報道2001を見ての感想:日本は北朝鮮をソフトランディングさせることが出来る数少ない国かもしれない

 今朝7/6の新報道2001を見た。北朝鮮との拉致被害者返還交渉がテーマであった(1)。その番組で、北朝鮮で最近公開された映画の中で、悪役である米国高官に吉田茂などの日本側高官が脅され翻弄されている様子を描いている場面があった。この映画を一例として、北朝鮮の日本に対する姿勢が変わって来ているのは確かであるとの解説があった。このことに関して、京大の小倉氏が意見を述べていた。”北朝鮮が変わった云々を議論することより、日本が北朝鮮を変えなければならないのだ。そして、東アジアを政治的に安定化させるのが、日本に与えられた役割である”というような内容であったと思う。これには全く賛成である。そのように北朝鮮を変えることに着手すれば、それは同時に日本政府の政治力が試されるということになる。 

 北朝鮮が自由な国になる道は遠い。北朝鮮経済が一定の回復を示し、自国国民全てが飢えから開放されるのは未だ遠い先だろう。そして、現時点では米国はキム王朝を崩壊させるか、潰さなければ核兵器は朝鮮半島から無くならないと考えているだろう(2)。それは、西欧諸国は概ね原則主義的であり、それによるハードランディングで歴史を進めて来たからである。しかし、現在生活している国民の事を考えれば、目指すべきはソフトランディングであり、そのような柔軟で粘り強い考え方が出来るのは、日本のようなアジアの国だと思う。また、西欧留学などで外の世界を知っているキムジョンウンが、体制が続くという安心感を得れば、核兵器開発をあきらめるかもしれない。日本はその道筋をつけるように、応援できる可能性のある唯一の国だろう(3)。そしてその線に沿った一定の成果が出たなら、それを基に六カ国協議の構成国と北朝鮮との間の仲介者として日本は行動できるかもしれない。 

 国のインフラ整備などの経済発展のための投資に使うというのなら、平和条約締結に伴って経済協力金という形で多額の補償がなされるだろう。そのような道を北朝鮮がとれるなら、北朝鮮の工業化が進むだろうし、諸外国の企業もインフラ整備された北朝鮮へ、優秀で比較的安価な労働力を求めて進出するだろう(4)。核兵器は、100年後の地球上で国家が生き残るのに必要なものかもしれない。しかし、20年もたない国が100年後を考えても仕方ないだろう。その後、22世紀までの世界は新たな核兵器が不要な枠組みを考えだすかもしれない。それに懸けて、差し当たり、非核化する道をとるべきだと、説得すべきである。
 
 大体、大きな功績を上げることは、割に会わない仕事である。それを知っている政治家は少ない。安倍さんは、数少ないそのような政治家だと思う。ただ、靖国参拝の意味など十分ご存知ないように思う。どうか、優秀なるブレインを手に入れ、彼らの助けを借りて、大きな視野から政治が出来る方向に進んでもらいたいと思う。 

  ===これは、国際政治における素人の意見です。ご意見、ご指摘歓迎します。(7/6am; pm修正)===

注釈: 
1)この件については一度ブログ(5/31)に書いています。
2)核兵器の廃棄など説得出来そうにないと考える意見が圧倒的多数だからである。
3)韓国は半島統一を考えている限り、金ジョンウン体制の敵国である。朝鮮半島は、中国に対する我々には判らない複雑な感情をもっている。放送で紹介された金正日の遺書には、中国から離れるようにとあったという。張成沢氏の失脚は、金ジョンウンの中国感情を示しているのではないだろうか。米国は上述の様にそのような考え方が出来る国ではない。そして、残るのは日本だけである。日本は、多くの国民を取り戻さなければならないし、北朝鮮に国交正常化後に支払う予定の経済協力金が、北朝鮮の国家としての方向を変えるプランを支えるからである。北朝鮮がまともな国になれば、現在残る拉致問題は自動的に消滅して日本の利益にもなる。
4)このような計画は、金を出す国でないと相談に乗れない。 日本国民が拉致されたのに、何をやわなことを言っていると、叱られそうである。しかし、日本と北朝鮮は平和条約を締結していないのである。つまり、未だに戦争中であるとも考えられるのである。従って、北朝鮮の拉致行為は、戦争中、米国が日本にしたこと、ソ連が日本にしたこと、それらと比較すべきなのかもしれないのだ。そのように考えれば、自国民を拉致された責任のかなりの部分は日本国政府にあることが判る。平和条約締結後であれば、北朝鮮はそのようなことをする筈がないのである。
比較すべき例として、小野田さんをあげると良いかもしれない。小野田さんは戦後30年間、戦争を続けていたので、ルバング島住民は多くの死傷者をだすなど大変な被害を被った。しかし、小野田さんが上官の命令をまって、戦闘行為を止めたとき、フィリピンは刑事罰を課さなかった。(朝鮮総連を介して、半分国交があったという意見は当然あり得ます。従って、この譬え話はかなり割り引く必要があります。)

将来に不安を感じているアサガオの蔓

 アサガオやゴーヤを朝日よけに植えてみました。
そして、アサガオの蔓が重力の方向を的確に知覚するか?のテストをしたのが、下の写真です。

園芸店で買った円弧状のサポート棒を置いたところ、最初は上に登れますから、巻き付いて進みます。
しかし、進むに従って、水平(バックの電線の方向)に近くなってくることを知覚したアサガオの蔓は、明らかに違う方向に進もうとしています。
 これは巻き付いて進む方向での高さの変化を、正確に知覚し、この先高く登ることが可能かについて不安になっているようです。引き返す体制ですが、どうなるか観測します。

2014年7月5日土曜日

日露領土問題に対して日本庶民の持つ感覚

 北方四島(択捉、国後、色丹、歯舞)の帰属問題が、今日の週刊ニュース新書(7/5テレビ愛知、午前11:30)で放送され、今が北方四島の帰属確定と日露平和条約締結のチャンスであるとのことであった。鳩山一郎内閣のときの1956年に出された日ソ共同宣言では、平和条約締結時に歯舞、色丹の両島が日本に返還されるとの合意があった。その後日ソ関係が冷却し、ソ連は歯舞色丹両島も返還の予定は無いという態度であったが、体制が代わり日本の北方の隣国はロシア国となり、最近になってようやく領土の帰属確定と平和条約の可能性が出て来た。
 日本におけるロシアの印象は決して高くない。それは日本がポツダム宣言の受諾を通告した後に、しかも日ソ中立条約の有効期間中に、一方的に条約の破棄通告をし、ソ連軍が千島から北海道に進攻してきたからである。また、日本兵捕虜のシベリア抑留も、ほとんど全ての日本人が知っている。これらの事実が、日本におけるロシアに対する国民感情の基礎を作っていることを、ロシアは先ず知るべきである。
 ただ、ソ連最後の大統領のゴルバチョフ氏、最初のロシア大統領のエリツイン氏、更に、柔道の愛好家であるプーチン現大統領に、多くの日本人は政治家としての高い能力と信頼感を感じていると思う。その結果、ロシアへの印象は最近相当改善していると思う。特にネットにアクセスできるある程度以上の知的な層に、その傾向が強いと思う。
 更に、隣国中国が未だに共産党独裁国家であり、反日連携を韓国ととっている昨今、日本の将来におけるロシアとインドの重要度が益々意識されており、恐らく、領土帰属問題の解決と平和条約の締結、その後のロシアからの天然ガス輸入などまで、一気に進むチャンスであると思う。
 北方四島や南樺太の帰属問題に関する歴史は複雑で、我々素人には全く判らない。ただ、素人的感覚では、日本がこれまで主張して来た“ロシアは四島を一括変換すべき”とか、“四島は日本の固有の領土(外務省の公式見解)である”などの発言は今後封じて、現実的な対応をとるべきであると思う。私は、国後と択捉の間に国境線を置くのが、プーチン大統領の “引き分け”のポイントになると感じている。また、これは全くの素人考えであるが、元島民(日本)の権利主張には一定以上の配慮は出来ないこと(1)、現在のロシア住民には私的財産の保存と日本国への永住権付与などの議論が必要になるような気がする。
=これは理系人間の直感的意見です。特に最後のパラグラフに関する指摘を歓迎します。=
注釈:
1)日本国全体の国運を懸けての交渉であり、日本人旧島民の利益回復が目的ではない。

セクハラとされる女性議員に対するヤジについて:問われるべきはマスコミの報道姿勢である

 衆議院総務委員会で質問(1)に立っていた上西小百合議員に「まず自分が子どもを産まないとダメだぞ」というヤジが大西議員から飛ばされた。上西議員は「頑張ります」とヤジに答えた後、議長の注意があり、質疑が継続された。
 この一件、まるで大問題のように報道されているが、世の中の多くの問題と比較して枝葉末節の枯葉一枚程度の重要度であり、報道を繰り返すマスコミに対して、ヤジ馬根性は捨てろと言いたい。確かに男女の性差を意識的に広げるような発言なら、その国の文化の問題として取り上げなければならないし、その時の為に映像等を保存しておくべきである。しかし、この一件については議長の注意とその後慎んだであろう大西議員の態度で終わりにしてよい筈。知的レベルの低い興味本位で下らない報道を繰り返す放送局や報道機関、それに票を過剰に意識した自民党幹事長の発言など、全て非常に下らないものばかりである。
 このヤジがでた上西議員の質問と委員会での議論こそが、報道すべきことではないのか?そして、その議論が少子化に対する議論ならば、上西議員が先ず「自分が何故結婚して子供をつくる気持ちにならないのか?」(2)と自問した形跡がその質問の中に影ほども見られないのなら、「まず自分が子どもを産まないとダメだぞ」というヤジが飛ぶのは当然ではないのか。都議会での「早く結婚しろよ」という発言は全くセクハラに当たらないことは、既に指摘した(6/23;6/24本ブログサイト)。理由は、結婚は男女共通の問題であるからである。プライバシーに関するけしからんヤジというのなら、一般にはそうかもしれないが、少子化問題に絡んでの子育てをする世代への援助に関する質問だったので、上に書いた様に“質問の為の質問”レベルの質問なら、ヤジを飛ばす気持ちもわからないでもない。
 要するに、ヤジの問題よりも、質疑の内容に関する報道を充実させるのが、マスコミの役目ではないのかと言いたい。

注釈:
1)短い動画なので判り難かったが、恐らく少子化対策に関する質問だったようである。朝日新聞が4月17日の映像から探し出して報道したらしい。
2)体質として妊娠し難い人もいるので、それが原因なら不愉快になるだろう。しかし、上西議員は「頑張ります」と軽く答えて、このヤジをかわしている。

2014年7月4日金曜日

アベノミクス第三の矢:女性幹部の”積極的”登用を急ぐことは本末転倒である

 安倍内閣の第三の矢の目玉の一つが女性の積極的登用だそうである。民間企業も役員の30%位は女性にすべきであるとの考えで、決算資料に女性役員数掲載を義務づけるとの話も報道されている。そして、本日経産省と法務省に初めて女性局長が誕生した。厚労省や外務省でも新たに女性局長が誕生した。
 しかし、能力のある女性官僚が大勢いるのなら、何故今まで登用してこなかったのか?その理由を調査し明らかにして、その障害を除去することを第三の矢の目玉の一つにするのが本来のあり方である。女性を登用するという結果を目標にして、早速実施するのは本末転倒で、馬鹿げている。
 民間企業の場合、自由主義経済の我国で政府が決算資料に女性役員数を載せることなど強制するのは、全くの間違いである。会社は利潤追求が最優先課題であるから、能力がある女性役員候補がいて特に障害がないのなら、今までに登用して来た筈である。もちろん、特別な障害があるかもしれない。もしそうなら、その障害とその除去法を調査研究して、それを先ず国民に明らかにすべきである。
 安倍総理は何でも政治で解決できるとう錯覚に陥っているのではないかと疑ってしまう。

日本国もごまかしの国々東アジアの一員=野々村県会議員の不正経理疑惑は単に一つの例にすぎない=

 この2、3日、一人の兵庫県の県議が話題になっている。年間600万円の政務活動費の使途を不正経理でごまかし、一部を自分の懐にいれたのではないかとの疑惑がかかっている野々村議員である。政務活動費で年間165回の日帰り出張を繰り返したというのがである。政務活動費は政務調査費から使途変更を含めて名前が変わり、何にでも使えるために議員達の私的秘密の財布のような役割をしているらしい。年間600万円だが、使わなければ返還しなければならないので、適当に使った様にして”ねこばば”しているのだろう。
 その疑いを隠す為に、野々村議員は涙の会見を行なったのである。こんな芸当は最近の芸能人なら何時でも出来るが、それで疑いを晴らそうとする野々村議員は潔くない。警察は徹底的に調べるべきであるし、兵庫県議会もその165回の出張が野々村議員の県会議員としての活動にどのように活かされているかを議会で審議尋問などして、真相を解明するとともに、県議会議員の政務活動費の使用実態を明らかにすべきである。
 ただ、このようなごまかしは、日本ではどこにでもあることだろう。科学会でも、近い過去である平成18年に早稲田大学の松本和子教授の億単位の不正使用が明らかになり、松本教授は処分されている。特に優秀な研究者には見えなかった女性教授へ、はやりの分野で研究をやっていたという理由で多額の研究費が重点配分された結果であった(2)。何故、身の破滅につながるこのような大胆なことをやったか?それは、当時どこの大学の研究室でも、科学研究費(科研費と略称されていた)を使いきる為に、小廻りの利く業者に領収書を書いてもらい、使ったことにしていたからである。その不正経理分の研究費は、その業者に預けたことになり、翌年必要な物の購入に使うのである。ただ、松本教授の場合は規模が大きすぎて、目立ってしまったのである。
 これらのことは日本社会が、構成員を一律に縛るルールを作り、それを構成員が遵守することで、全体としてのその分野の活動度を上げようとする、西欧文化の一つを十分同化吸収していないことを示している。
 おそらく、日本全国の多くの県会議員は、程度の差があっても、野々村議員のような不正経理を行なっている筈(推定)である。1300万円以上の年俸に加えて600万円の活動費は、県という地方自治体がほとんど国の下請け位のことしかしていないだけに、高すぎると思う。あの顔をくしゃくしゃにして泣き叫ぶ野々村議員を見て、県などという地方自治体など不要ではないかと思った。

補足:
1)引用サイトの具体的記述は以下の通り: http://www.google.com/search?client=safari&rls=en&q=youtube+野々村&ie=UTF-8&oe=UTF-8
http://www.jst.go.jp/pr/info/info391/index.html
2)この事件から、文科省や安倍総理が何も学んでいないことは、例えば研究費を重点的に理化学研究所や産業技術総合研究所に配分しようとしていること(特定国立研究開発法人(仮称)の指定)や、女性の管理職への登用を逆差別的に行なおうとしていることで判る。どちらも、その分野のトータルとしての活動にはマイナスになるのである。

2014年7月3日木曜日

中国韓国の不純外交

 ”真実”を重視するという圧力下にある西欧に比べて、そのような考え方が稀薄でむしろ”利益”を重視する日本を含めた東アジア(1)が、グローバル社会の中で益々大きな力をもつことは、暗い世界を予感させる。
 習近平中国国家主席が韓国を訪問する。その中心的な確認事項の一つは、反日だろう(2)。韓国の中国との関係緊密化は不純な動機に基づいていると思う。それは、「日本による南京大虐殺と軍の強制連行による従軍慰安婦」という虚構を確認する為の儀式である。恐らく、韓国朴政権が崩壊する(辞任する)the point of no returnになるかもしれない。
 ここ20年程の間に世界経済がグローバル化するに従って、益々盛んになった中国や韓国による“日本の歴史認識”に対する攻撃であるが、それは、「日本が20世紀前半に朝鮮半島を含む大陸を侵略し、いろんな悪事をなした」という共同の歴史観に、日本も参加すべきであると言う主張である。日本は大陸を侵略したと言うことは可能でも、”いろんな悪事”については中国韓国により誇張或いは捏造されたものである。このようなことが起こりうる原因として強調したいのは、出だしに書いた様に東アジアには“歴史”において、真実を記述するという考え方が稀薄であることである(3)。そして、日本に悪のラベルを張ることに成功すれば、自ずと日本の本来受け取る利益を、中国と韓国で分け合えるからである。
  日本が為した”悪事”に関しての話に移る。最近発表された河野談話の作成経緯であるが、それが日韓が友好状態を保つ為に作られた日韓共同の捏造であったことを示している。河野談話が謝罪したのは、「戦争時に朝鮮半島で、日本軍が軍人相手の慰安婦施設の運営と一部慰安婦を強制連行で集めたということ」に対するものである。真実として、1)慰安婦と呼ばれる人たちは実際には売春婦であり、高額の報酬を受けていたこと、そして、2)日本軍による強制連行は無かったこと、が明らかになっている。この種の施設は、当時はどこにでもあり、1990年代まで韓国が米国軍の為に運営していたという驚きの事実も最近話題になっている。未だ読んでいないが、新聞広告によると今日発売の週刊新潮と週刊文春に、韓国政府は韓国内米軍基地で慰安婦(Comfort woman, 官製売春婦)施設を運営し、外貨稼ぎをしていたという記事が掲載されている筈である。当時の慰安婦100名以上により、韓国政府が告発されたのである。その訴えは恐らく裁判所により却下されるだろう。何故なら、既に数々のケースで韓国は法治国家とは言えない状態だからである(4)。南京大虐殺については、数々の書物でその虚構が指摘されている(5)。中国に詳しい石平氏はテレビで、「中国は、日本軍と毛沢東(大躍進運動や文化大革命)とを取り違えているのではないか?」と冗談を交えて、中国の捏造として説明している。
 今回、中国主席の韓国訪問において、再度「日本の歴史認識の攻撃する」という共同の姿勢を確認することになるだろう。中国と韓国とで、「反日は中韓の鎹」ということを見せつけるように確認するのである。しかし、日本の国際的評判を落すという以外に何か利益があるのだろうか?
 韓国は、今後米国は東アジアから後退し、東アジアは中国がリーダーとなる時代を想定しているのではないだろうか。そして、北朝鮮が崩壊して統一朝鮮をつくる時、中国の協力が不可欠であると考えているのかもしれない。中国は、東アジアのリーダーになるとき、日本をリーダーの一角を占めないように閉じ込める狙いがあるのでは。日本は東南アジアで中国よりも信頼されているので、中国にとっては鬱陶しい存在なのだろう。
 韓国は、米国の地位が揺らげば、次の選択として中国と関係を深めるしか、選択肢がないのだろうが、米国の世界的地位は当分揺らがないとすれば、この不純な外交はマイナスになると思う。 

注釈:
1)聖書は嘘(偽証)を強く禁じているが、論語は嘘を禁じていない。(21:30補足) 2)今夜のNHKニュースでは、北の核兵器開発に関する話があったと報道されていた。日本批判が控えられるとしたら、北朝鮮と日本の間の交渉進捗を加速したくないからだろう。(21:30補足) 3)中国最初の歴史書とされる史記には “出来事の記録”という性格はなく、晋の始皇帝の正統性を示す物語に過ぎないという。つまり、世界の歴史書の最初でありhistoryの語源ともなった“ヒストリア”とは性格が全く異なるのである。
4)対馬から盗まれ韓国に運ばれた仏像を返還する様に韓国の市民団体が訴えたが、ソウル行政裁判所はこの訴えを却下した。韓国に元々あった文化財とはいえ、盗んで取り返そうという姿勢に、法治国家のラベルはとても貼れない。(もっとも、これは程度の差はあっても東アジア全体の傾向で、日本も例外ではない)
  5)例えば、東中野修道、小林進、福永慎次郎著“南京事件「証拠写真」を検証する”草思社、2005年

2014年7月2日水曜日

集団的自衛権の行使 を可能にする憲法解釈について

 安倍内閣は、集団的自衛権を限定的に行使しうるように憲法解釈を変更し、それにそって、関連法の改正案を作り始めた。米国の考えを屢々テレビで代弁しているケビンメア氏が、土曜日の激論コロシアムで言っていたように、日米安保で米国の援軍を得ながら、米国軍への攻撃には知らん顔は通らない。

また、昨日火曜日のテレビ番組“ひるおび”で、八代英輝氏が法律的にはそのような憲法解釈変更はあり得ると言っていたので、法律の専門家でもう少し憲法9条を含めて議論してほしいが、差し当たり専門家の意見には素人は従った方が賢明である。

 ここでずっと視野を後ろに引いて、考えてみる。例えば、内閣にはかなりの確率で起こりえる日本国の危機が見えていて、それに備えるべく憲法改定或いは解釈改憲をすべきであるが、平和ボケの日本国民を相手に民主的手法で対策を講じようとしても無理である場合、どうしたら良いか。あくまで民主主義の原則に従って、国家の破滅に至ったのなら、歴史に“平和のラッパだけが残った”と書かれることでよしとするか?それとも、誤摩化してでも解釈改憲をして、危機を辛うじてクリアするべく行動するか?

 解釈改憲は誤摩化しだと思うが、民主主義も、所詮ごまかしの世界の用語である。世界中を探して、いったいどこに国民の総意を抽出して、政治を行っている国があるのか?どこにもそんな国は見当たらない。集団的自衛権行使の三条件は極めて曖昧な表現を用いているとの非難もあるが、具体的に言ってしまえば、即外交問題になる。ただ、自衛隊の活動範囲を東経120-150度の日本国周辺に限るとでも、表記できればよいと思う。

 昨日までは、「機密情報を内閣が特にもっている訳ではない」との仮定の下に、解釈改憲よりも憲法改正を議論するのが正論だと言って来たが、具体的に国会の審議に乗れば、与党を支持するしかない。

2014年7月1日火曜日

三島由紀夫著「金閣寺」の感想

(補足:この感想文は、7月10日の禅問答と小説金閣寺の前編です。是非、後半もご覧下さい。2015/1/12記す)

 小説はあまり好きではないので、ほとんど読まないが、以前から金閣寺の事が気になっていたので、読んでみた。三島由紀夫の本は、始めてである。正直言って難解な部分もあったが、自分流の解釈も加えて以下に粗筋と感想を混ぜて書く。(1)

 内容のエッセンスは、人は社会を造って行きる様に出来ているため、人から拒絶されることを過剰に恐怖する場合が多いということである。主人公は吃りであり、それが社会との関門となって一生苦しみ、やがて自分の苦悩を言わば(苦悩とバランスをとる様に)美として変化させ貯め込んだ心象としての金閣寺が大きくなり、それに耐えられなくなって実在する金閣寺に放火することになったのだと思う。

 小説はその主人公の語りで進められている。子供のころ父親から金閣寺の美しさを聞かされてはいたが、始めてみた金閣には全く美を感じなかった。金閣寺に弟子入りしたものの、孤独と特に女性関係において進歩の無い人生を、幼少期からの乗り越えられない吃りとそれによる自己嫌悪の所為にする癖から抜けられない。一方その消化しきれない心理的抑圧に耐えるため、金閣の美への憧れへ逃避することにより、辛うじて生きて行くエネルギーを得ることになる。初めて見た金閣に、全く美を感じなかったことでも判る様に、金閣への憧れは自分の停滞する人生と心理的にバランスを取るためのものである。そしていつの間にか、自分の劣等意識の証人的存在である金閣が、空襲により焼失することを願う様になる。しかし、京都への空襲は無く、金閣は戦火を逃れる。

 金閣の焼失を願う様になった経緯は、数年前の中学生のころ、密かに心を寄せた近所の女性有為子との出来事と相似的である。ある日の早朝、憧れが原因で咄嗟に自転車で出かける有為子の前に、立ちはだかったことがあった。そこで、何か言い訳をすべきところで、言葉が喉から出る直前で詰まってしまい、有為子にバカにされることになる。有為子の告げ口で、彼女の親が下宿先に抗議にきた。そして、有為子の存在は恥と劣等感の証となり、彼女の死を願うようになったのである。その後、有為子は海軍病院で知り合った兵士と恋仲になり、その兵士の子供を宿すことになる。そして、経緯の詳細は書かれていないが、その兵士が脱走兵となり、捜索する軍兵士と捜索に加わった主人公の目の前で、二人は強い絆を見せつけるように心中したのである。主人公の願いはかなえられ、自分の呪いの力を信じることになるが、この体験は主人公の劣等意識に加算され深く刻み込まれる。

 大谷大学予科で知り合いになった柏木は、内飜足でありながら、そのハンディキャップを逆に利用するほど世俗的になることで強く生きていた。その友人に何度か女性を紹介されるが、喉まで出て来た言葉が詰まってしまう吃りの症状のように、最後の段階で失敗をする。その際、金閣寺が女性との間に立ちはだかる様に表れる幻想を見る。それは劣等意識の為の失敗であっても、金閣が開き始めた自分の人生を妨害するかのような錯覚を持つ。そして、「いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ない様に、いつか必ずお前を我が者にしてやるぞ」と金閣に呼びかけることになる。

 金閣に放火することを決めてからは、そのエネルギーを得るために、金閣寺の住職に嫌われるような行動を敢えてとるようになる。また、柏木から借りた金で、生まれ故郷の方向に出奔することなどで、住職から「お前を跡継ぎにすることも考えたこともあったが、今はその気はない」という趣旨のことを言われる。その後は、坂道を転げ落ちるエネルギーで、金閣を破壊する決断をすることになる。この当りからは、私はこの本を駆け足で読むことになってしまった。

 自分の吃りというハンディキャップから、世界と自分の間に厚い壁を作ってしまった主人公は一生その壁を取り除くことができなかった。近くに鶴川という暖かい友人と柏木という内飜足というハンディキャップを乗り越え強く生きる見本を見せてくれた友人を持ちながらである。柏木は特に、そして鶴川とて同様に、思い通りにならない人生を生きていることに、全く気付かないほど自分の劣等感と常に対峙していたようである。

 最後にこの小説にたいする疑問点を書く。それは、最後に、「生きようと私は思った」と書いている点である(2)。もちろん、金閣寺放火直後に自殺する筋書きでは、放火犯の一人称で小説を書くことは矛盾しているのは判るが、金閣寺を放火しても、“私”に生きる力はわいてこない筈である。何故なら、主人公が自分を決して受け入れない社会の全てを、想像上の金閣寺に押し込んだのであり、実際の金閣寺はその象徴に過ぎないからである。金閣寺の放火は、自殺の始まりだからである(3)。

(7/1午前投稿、15:30改訂)    注釈:
1)http://ja.wikipedia.org/wiki/金閣寺_(小説) ウィキペディアに粗筋と諸氏の評価・分析が書かれている。
2)上記サイトに小林秀雄との対談として、三島自身の言葉として「殺した方がよかったですね」と書かれている。
3)この小説の至る所に、著者の人や世界にたいする理解の深さを感じる記述がある。例えば、父親の遺体を前にしたときの記述:”屍はただ見られている。私はただ見ている。見るということ、ふだん何の意識もなしにしているとおり、見るということが、こんなに生けるものの権利の証明であり、残酷さの表示でもありうるとは、私にとって鮮やかな体験だった”