2014年8月26日火曜日

CO2による最近の地球温暖化を完全否定する訳ではないが

はじめに: 先日、広島の土砂崩れにより多数の死者を出した。この件、自然現象が直接原因だが、他に二つの人為的因子が存在する。一つは、危険箇所での住宅建築を許可した行政の責任であり、もう一つは、所謂地球温暖化の問題である。頻発する豪雨とそれによる土砂災害の一因はCO2による地球温暖化であるとの考えを屢々見聞きするので、今回、地球温暖化問題を基本的データを元に再考してみた。データの出所は夫々の図に示した様に、全てネット上である。
 この問題に関しては、アルゴア氏の本の極端な記述に対する批判や世界気温の急上昇を示した“ホッケースティック図”に対するデータ偽造などの疑惑から、資源の温存を狙う西欧先進国による陰謀説なども出て、地球温度上昇を二酸化炭素の増加によるとする説自体が疑惑に包まれた感があった。更に、地球物理や地球環境を専門とする学者からも地球温暖化CO2原因説に否定的な意見が出ており、私はそれに賛同してきた。それらを疑問点を解消すべく、一から少し真面目に自分の意見を作るべく、この問題を考えた。

1)IPCCの地球表面温度の観測報告と最近の温暖化停滞について
 地球温暖化(問題)としてウィキペディアで説明されているのは、地球全体の気候が温暖になる自然現象を呼ぶのでなく、近年観測されている「20世紀後半からの温暖化」である。この “20世紀後半の温暖化に関しては、人間の産業活動等に伴って排出された温室効果ガスが主因と見られ、2007年2月に国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が発行した第4次評価報告書 (AR4) によって膨大な量の学術的(科学的)知見が集約された結果、人為的な温室効果ガスが温暖化の原因である確率は9割を超えると評価されている”と書かれている。


 つまり、地球物理の方々が主張している、大きな自然現象としての気候変動とその原因とは別に、この数十年の、地球物理的には小さいが人間生活にとっては大きな意味のある地球高温化は事実であり、その主因は地下資源を燃やしたことなどで排出されるガス、特に二酸化炭素であるとかかれているのである。
 図(1)左図に幾つかの温暖化ガスについて地球温暖化効率が見積もられている。一番効果が大きいのは、従来から言われている通り、二酸化炭素である。右図の世界の気温であるが、図にあるようにこの50年に0.5度ほど上昇している。良く見ると、最近の10年ほどの平均気温は、ほぼ一定しており、これが従来の考え方と合わないとして議論されてきた。これに関しても、最近、海水へのエネルギーの流れで説明する論文が発表されている。(注1)

2)温室効果と温暖化ガス
 図(2)は、マクロな視点で地球温暖化を捉えるための、黒体輻射の法則(注2)を利用した単純化されたモデルである。問題を議論するスタートとして利用される。この図は、文部科学省のHPに記載された名古屋大松井教授の報告書から転載したものである(注3)。地球の空気を含めて黒体と考えるこのモデルでは、温暖化ガスの増加は、空気の層が厚くなることに相当する。太陽から来た可視光線などが地表で熱に変換され、元々の赤外線も加わって地球を暖める、そして平衡状態では受け取った熱は全て地球上から宇宙に放射される。その熱エネルギーの全量が変わらず、且つ上層から地表までの大気の間で、熱のやり取りが十分早いという仮定の下で地表面の温度を考えるのである。


 そこで、太陽から来るエネルギーは例えば太陽を6000度の黒体球とすると、地球に来るエネルギー放射が計算できる。  黒体輻射の放射エネルギー(R)はシュテファン=ボルツマンの法則:
 R=σT^4; σ=5.67 x 10^-8 (Wm^-2K^-4)
を用いて計算される。 そこで、地球の位置で太陽光線と直角に面する時に受け取るエネルギー1366 W/m^2(太陽定数)から、その1/4(342W/m^2)が平均的な地球表面が受ける単位時間当りのエネルギーである。そして、その内の雲や地面から直接反射された分を除いた、240 W/m^2分が吸収され、熱平衡が成立しているとすると同じ分が放出される。黒体輻射の式を地球の熱放射にも利用すると、地表の温度が図にあるように摂氏-18度になるのである。

 空気が酸素と窒素とアルゴンのみである場合、太陽エネルギーを吸収しないので、地球へ届いたエネルギーはそのまま放射される。そこで、地球表面は摂氏-18度になる(一番左)。空気に温暖化ガスがあると、それらが途中で暖められる。また、地表から放射された熱がその温暖化ガスに吸収されて地表にもどされる。その場合、反射されたエネルギーと太陽から受けたエネルギーの和が、平衡状態で放射されるエネルギーと計算される。その結果、地表からは390W/m^2の放射が起こるとすると、それは地表面の温度摂氏プラス15度に相当する(単なる観測結果と合わせているだけである)。これは地表面と空気層を温室のビニル屋根に見立てた”温室モデル”であるが、連続的に空気が存在するので当然定量的な議論としては単純化し過ぎである。

 温暖化ガスがあっても地球外放射は同じであるから、平均的な放射面が温暖化ガスの増加とともに上昇すると考えられる。平衡がなりたっておれば、上空の-18度の空気と地表面の15度の空気を仮想的に入れ替えても変化がおこらない。つまり、摂氏-18度のガスを断熱圧縮して1気圧にしたときに摂氏+15度になると解釈できる。
 図(1)は人工的に排出されたガスをリストしているが、実際には温室効果ガスの大半が水(水蒸気)である。本来脇役である筈の二酸化炭素などが、”付加的な最近の地球温暖化"であっても、その主役であることを主張するには、もう少し緻密な議論が必要である。現状では二酸化炭素濃度増を主原因として、”最近の”地球温暖化が起こっているという説は確定していない。そこで、一度原点に戻ってこの問題を考えることにする。

3)空気に含まれるガス成分の光吸収と太陽から来る光の減衰
先ず、空気成分の光透過率を示す。これは、大気物理学(Atmospheric Physics)のジョージア工科大Sokokik 教授が講義ノートとして公開したものである。

ここで、一番下の図が空気の透過率になる。可視光線は殆ど透過するが、赤外線は相当広い範囲で吸収され、その大部分が空気中で%レベルの濃度を持つ水、つまり水蒸気による吸収である。水の基本赤外吸収は3657/cm; 3756/cm;& 1595/cm(/cmはカイザーつまり1cm当りの波数)であるが、倍波吸収などにより近赤外領域まで周期性を持った強い吸収を示す(注4)。ここで、透過率の高い部分を“大気の窓”と呼ぶ。例えば、最下図の波長8〜13μの領域が代表である。吸収の大きい、つまり、透過率の小さい波長領域は、主に水の吸収によるが、4.3 μと15μ付近に二酸化炭素の吸収が、9.6μ付近にオゾンの吸収がある。その他メタンによる~3μ付近と8μ付近にもかなり強い吸収があることが解る。
 太陽のエネルギー放射曲線と地表からの熱エネルギー放射曲線: 

 図(4)は同じくSokokik教授の講義(講演)資料からとった、太陽からくる放射エネルギーの波長依存性である。破線で示したのが、6000K(絶対温度6000度;摂氏5700度)の黒体放射スペクトルである。上の実線が大気圏外でのスペクトルで、その下が地表でのスペクトルである。紫外線部分が削られているのはオゾン層での吸収だろう。斜線により影をつけた部分は、大気内のガスによる吸収で減少したエネルギー部分である。当然、そのガスは上空で加熱されることになる。  ここでは波長2.5ミクロンまでしか書かれていないので、太陽エネルギーの大部分は可視光線と波長の短い赤外線(近赤外線)であることが解る。ここで注目したいのは、水による近赤外線の大きな吸収である。地上に来るまでに、おそらく15%(後に上げる図で、全大気による吸収は約16%)くらいは吸収されている。
 上記図(3)と(4)を一つにまとめて示した図が下のもので、情報的には何も加えないが、解り易いのでのせておく。

(This figure was prepared by Robert A. Rohde for the Global Warming Art project, file Atmospheric Transmission.png.)

 図の2段目の吸収と散乱の効率を見ると、地上は光線から厚く遮蔽されていることが良くわかる。そして、水蒸気が近赤外から長波長部分を遮蔽する主なガスである。4.3μと15μ付近に炭酸ガスの吸収があるが、それがどの程度最近の人工的原因による地球温暖化に寄与しているか?が本文章のテーマである。 図上段の赤外部分の3本の線は恐らく、310K, 260K, 210Kの夫々黒体輻射を表わしているのだろう。青い部分は、”地球表面から放出された赤外線”を地球外から見たスペクトルだろう。後で説明する様に、実際に地表から大気の窓を通して放射されるのは約6%のエネルギーに過ぎない。また、人工衛星を使った観測では、上空大気からの放射がほとんどであり、このような形にはならない。

4)地球からの熱放射への温暖化ガスの影響


 図(6)上図に示されているのは、人工衛星から観測した地球からの放射スペクトルである。下図は、太平洋上熱帯地域での上空からの赤外線放射である。http://wattsupwiththat.com/2011/03/10/visualizing-the-greenhouse-effect-emission-spectra/ つまり、上のグラフが地球から出て行く赤外線のスペクトル、下のグラフが上空から地上に放射される赤外線のスペクトルである。破線は地表表面温度の黒体放射曲線とだけ書かれているが、ヴィーンの変位則から計算すると300K位である。
 下図の7μから13μまでの凹んだ部分に対応する赤外線は能率良く宇宙に放射されていること、上図の凹んだ部分から、夫々水分子(7μ、13μ以上)、オゾン(10μ)、二酸化炭素(15μ)が、括弧内に大凡の波長でしめした領域の赤外線を宇宙に逃がさないようにしていることが解る。以上は、温室効果ガスが実際に地球の温暖化に寄与していることを示している具体的な証拠であり、重要な結果だと思う。  この図及びこの図の元になった図で気になるのは、横軸である。上図をよく見れば、横軸目盛として波長(μm)が書かれているが、等間隔でも対数表示でもない。そのこと及び縦軸の単位からも解る様に、波数(/cm)が横軸であった図を左右逆転して表示したものである。注意を要するのは、一般に波長を横軸に表現された放射スペクトルと振動数(波数)を横軸に表わしたスペクトルは、ピークの位置も形も異なるということである。(注5)横軸を波数で表示したのは、二酸化炭素の効果を大きく見せたいとの意図があったと思われる。地球からの輻射曲線のピークが、丁度二酸化炭素の吸収域に来るからである。  この図を見て、二酸化炭素の重要な役割を感じるが、定量的議論がなければ近年の地球気温の温度上昇の機構だという決定的証拠にはならない。
(補足:図(6)の原図は縦軸単位を適当にとっている筈であり、科学的には問題が無いと思われる。適当とは、”X軸と曲線に挟まれた部分の積分値が、その波長範囲で観測された放射エネルギーになる”と言う意味である。2015/6/8)

5)エネルギー収支の問題 
 ここまで、IPCCの主張する人工的に放出された二酸化炭素などによる、追加的な地球温暖化とそのメカニズムを、太陽光の入射スペクトル、大気の吸収による地上でのスペクトル、そして、人工衛星で観測した上向き及び下向き放射のスペクトルなどから、考察した。ただ、実際に二酸化炭素などが地球の温暖化に著しく影響しているかどうかは、定量的な議論がなくてはならない。そこで、以下にエネルギー収支の問題を既存の図などを用い考えてみる。

   上の図(図7)はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/地球のエネルギー収支 から採った太陽から入射するエネルギーと地表から放射されるエネルギーの入射及び放射経緯である。黄色は可視光線を赤は赤外線を表わしている。本来この全てのプロセスを定量的に考察しなければ、温暖化ガスによる地球温暖化は説明できたとは言えない。大気による吸収は16%あるが、これは図3にある水による吸収が大部分だろう。また、雲による太陽光の反射が20%あるので、雲の生成と地表温度の関係も当然大きい。
 また、地球表面で吸収された太陽エネルギーの割合が、地表面の形状によっても大きくことなること、地表面から空気中へのエネルギー移動には水分の蒸発による潜熱としての移動と直接空気と地面との接触による顕熱としての移動があるが、両方とも風速に依存し、潜熱移動の場合は更に湿度(より正確には比湿と飽和比湿の差)にも依存する。これらのプロセスは、詳細に大気物理学として知られているが、その分野の専門家でも明確な答えは出せない位複雑である。(注6)
 
6)二酸化炭素など温室効果ガスの増加による地球温暖化説への反論:

 図(7)と重なるが、図(8)に示したのは、各プロセスにワット数を直接記したものである。大気と地表との放射の交換が直接書かれていて解り易い部分もあり、相補的に図7−8は用いると、現象に対する理解が進む。図(6)の上のスペクトルは、夫々大気による放射と大気の窓経由の放射の和であり、下のスペクトルは大気による放射である。図(4)の太陽からのエネルギースペクトルは、左の入射する太陽放射342Wと、一番内側のat the sea levelと図中に示されているのが、地表による吸収部分168Wである。
 以上の様に、地球の表面温度に影響するプロセスはたくさん考えられる。従って、人工的に排出された温暖化ガスによる地球温度上昇という幾分単純なモデルに対する反論は多い。その中で説得力があったのは:
(A)地球に届く宇宙線の量が、太陽の磁場が大きくなると減少する。それが大気圏の雲の発生量の減少を招き、それにより太陽エネルギーの反射量の減少が地球温暖化の進行の原因であるという説である(注7)。ただ、2003年のP. Lautらの論文(注8)により、これが否定されたと言われている。つまり、宇宙線量と低層雲の量に相関がないというのである。また、 アラスカ大学教授(地球物理)であった赤祖父俊一氏の講演によると、(B)地球温暖化は起こったとしても1度以下だろうとのことで、大した問題ではないとの話もあった。更に、地球温暖化などの問題は時間的余裕もあり、まだまだ学者の研究する領域であり、政治的問題ではないと指摘している。

7)原点に戻ってIPCC報告等に対する最も基本的な疑問点:
 もう一つ、根本的な問題が東北大名誉教授の近藤純正氏によりサジェストされている。
それは、(C)IPCCの気温のデータは確かかどうかというものである。近藤氏は明確には書かれていないが、読者にはそう伝わる:http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke04.html

 図(9)は、長野県の都市化が進んだ長野市と、都市化が進んでいない飯山市での約100年間の気温変化である。これは代表例で、他にも日本中の都道府県の都市化部と田舎部での気温データのペアが示されている。何れも都市部での温度上昇は、最近急に高くなっているが、田舎部では殆どコンスタントである。http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke04.html
 都市部では人のエネルギー消費が大きくなることのほかに、コンクリートとアスファルトで地表が覆われることが多くなり、図(8)にある潜熱によるエネルギー移動や建物が建つことによる顕熱としてのエネルギー移動の双方が小さくなる。従って、都市化の進行によって観測地点の温度が徐々に高くなるだろう。それがそのまま統計データに入っているのではないだろうか。もしもそうなら、赤祖父俊一氏の言うように二酸化炭素の大気圏での増加による温度上昇はさほど大きな値ではないことになる(注9)。
 つまり、IPCCは世界各地で比較的都市化が進んだ場所のデータを集めている可能性があるのではないかという疑問である。もしそうだとすると、この10年間、あまり気温に変化が無い理由も解ってくる。先進諸国は殆ど日本病とおなじであり、デフレに苦しみだした10年だから、都市化の拡張が抑えられる傾向にあったからである。

終わりに:
 私は、以前から二酸化炭素による地球温暖化説を疑っていた。
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/01/blog-post_23.html そして、今回、IPCCの考え方を真面目に考えてみた。その結果、図(8)にあるような多くのプロセスで地球の温度が決定され、そのプロセス一つ一つに、大気圏物理学や地球物理学という分野で、気候を含め様々な問題を研究している方々の膨大な研究があることを知った。その中に首を少し突っ込んだだけで、二酸化炭素などによる地球温暖化の進行という問題には、簡単には結論がでないことが解った。理解が進んで、難しさが解ったのである。  一点だけ簡単なことだが最も大切な点が気になった。IPCCは、温度測定ポイント近傍の都市化による温度上昇分を、地球全体の温度を見積もる際に、差し引いているかどうかである。その点について明確にすべきであるとおもう。
(追記2015/6/9:よく知られている様に、火山の大噴火により地球の寒冷化が起こる。それは、放出された微粒子が、雲が発生する際の核として働くからである。太陽光を反射する雲の量が増加すると、温暖化効果の大きい水蒸気が減少するので、その効果も考えなければならない。また、工業化で大気中に増加するのは、二酸化炭素の他に微粒子も放出され、後者は寒冷化の原因に成り得る。地球温暖化説は、よく引用される温室効果で説明出来る程簡単ではなく、非常に多く問題が絡む複雑な問題である。)
注釈:
1)最近、東大の渡辺雅浩准教授により“近年の地球温暖化の停滞は海洋熱吸収の増大によるものか”と題する発表が昨年夏になされた。Watanabe, M., et.al., Geophysical Research Letters (2013, July18)  最近の集中豪雨などは将に海水温の上昇が原因であることを考えると、非常に重要な指摘のように思われる。
2)黒体とは、どのような周波数の光も完全吸収・放出する物体である。その物体が加熱された場合プランク分布の式に従って、あらゆる周波数の電磁波(光)が放射される。プランクの式から、最大輻射の波長がその黒体の温度に逆比例するというヴィーンの変位則や、輻射エネルギーが温度の4乗に比例すると言うシュテファン・ボルツマン則などが導かれる。
3)松見豊、名古屋大太陽地球環境研究所教授 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu3/toushin/attach/1333534.htm 参照。(文部科学省科学技術・学術審議会資源調査分科会光資源委員会の報告書)
4)詳細は、J. Tennyson, et,al., Pure Appl. Chem., vol.86, pp71-83 (2014), and references therein.
5)周波数(ν=c/λ)或いは波数ν=1/λへの独立変数の変換は、(F(λ)dλ=F(ν)dν)から関数形を変換して計算する。
6)この当りの議論は、東北大学名誉教授の近藤純正氏のホームページに詳しくかかれている。http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke03.html アドレスのke03の数字を換えると違う章に飛べる。都会化による温度上昇なども論じられている。大気物理(Atmospheric physics)で検索すれば、専門家の著述がたくさんある。ただ、上記引用の図が繰り返しあらわれるのも印象的である。
7)例えば、http://www.youtube.com/watch?v=sRYXyqg770E 丸山茂徳東京工業大教授による二酸化炭素による地球温暖化説は誤りであるとの解説があった。(現在著作権の問題か何かでyoutubeで観られない)その根拠として、過去1940年から40年間CO2濃度が急激に増加しているが温暖化は全くなかったことや、地質学的データであるが、CO2濃度が現在の50倍であるにも拘らず赤道まで凍った時期があるなどの事実が紹介された。また、地球の気温を決めるメカニズムとして、1)地球表面の雲による被覆率が太陽光の反射率を決め、2)その雲の量を決めるのは、水蒸気凝縮の核となる宇宙線(宇宙から降り注ぐ放射線)の量であり、3)宇宙線量は太陽活動により変化する磁気が決めるという。 過去1000年間の太陽活動、宇宙線量、気温のデータから判るという。
8)”Solar activity and terrestrial climate: an analysis of some purported correlations”, Peter Laut, Journal of Atmospheric and Solar-Terrestrial Physics 65 (2003) 801–812
9)東京の平均気温が1度ほど低くなることになった。気象庁が観測地点を都心ではあるが公園(北の丸公園)にうつしたからである。http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H1E_T01C14A0CC1000/(注9は2014/11/30に追加)

2014年8月22日金曜日

恐ろしい中国の反日教育

 先ず、この記事を読んでもらいたい。http://www.recordchina.co.jp/a81672.html 丁寧に最後まで読めば、そこに中国の反日教育がどのようなものかはっきり書かれている。ここまで徹底しているとは正直知らなかった。あの核兵器を持ち、ミサイルを日本に向けている中国が、このような反日教育を受けた世代が成人したとき、何をするだろうか。恐ろしい。本当に恐ろしい。

 何と言う非人間的な教育をする国家だ、中国という国家は(国民とは言いません)。そしてふと、ワイルドスワンズに書かれた毛沢東の文化大革命を思い出した。自分の失敗(大躍進運動)を隠すために、自国民1000万人を犠牲にしたあの中国の”英雄”である。第二列島線以西を支配下に治めるという中国の計画は、ひょっとして日本殲滅計画かもしれない。

 教育は恐ろしい。何故なら、ライオンだって教育すれば、動物園を訪れた客と直接ふれあうことも出来るようになる。http://gigazine.net/news/20120325-argentina-zoo/ それは逆に、社会を作り協力しあう人間を、殺人鬼に変えることも出来ることを示している。中国が、そのような反日教育をしていると考えると、日本もまともな国家意識を回復して中国を注視しないと、22世紀はないかもしれない。日本は特別に強力な軍備を隠れてでも行なうべきである。


     日中友好というのは、毒を持つこの恐ろしい花のようだ

土砂災害が起こったらといって、休暇中の総理が大急ぎで何かをする必要があるか?

 安倍総理が休暇中でゴルフへ行ったが、広島の土砂災害が大きいということでゴルフを中止して官邸に然るべき指示をだしたという。http://news.aol.jp/2014/08/20/hiroshima/ この件に関して、朝からゴルフなどへ行くべきでなかったという批判が、野党から出て話題になっている。更に小笠原誠治さんが彼の人気ブログでも、同様の批判をされておられる。http://blog.livedoor.jp/columnistseiji/  

 しかし、土砂災害に関しては緊急に中央政府が動くことはなく、地方自治体の仕事である。地方自治体の関係各部署は、現在必死になって救助活動している。この様な時の消防署等の頑張りは大変素晴らしく、日本の誇るべき文化だと思う。
 一方、平時の地方自治体の対策であるが、それは十分だとは思わない。多くの地域の土砂災害ハザードマップを作成している様だが、それを広く公表しているかどうか(1)、そして、そもそもあの様な土地に建築許可や宅地開発許可を出したことが妥当だったかどうかが問われるべきである。中央政府がすることは、今回不幸にも起こってしまった土砂災害を教訓に、宅地造成のあり方やハザードマップの信頼性向上や公表の仕方などに関して議論し、地方自治体を指導すべきである。それは、当日の総理大臣の行動とは無関係である。

 数十人の命が失われたのであるから、ゴルフを中止することは、現代の政治家としては当然だと思うが、それが一時間遅いとかいうことでとやかく文句をつけることではない。喪に服する意味と頑張っている消防署員らに敬意を表する意味で、ゴルフは中止したのだから、当日の安倍総理の行動は何も文句をつけることは無いと思う。その後、中央政府の出来ることを、時間をかけて考えて欲しい。マスコミには、自分の出る幕でないし、自分が動いてもプラスにならないと明確に言う位の方が、国民の側からはむしろ頼もしく思う。

 日本近海の表面海水温度が最近相当高くなっており、集中豪雨が昔より起こり易くなっている。そこで、従来の宅地としての開発許可基準などの見直しや、類似の場所が日本中にあると思われるので、その洗い出し(2)と、その地域の住人への指導などを今後どのように行なうかなど、今回の犠牲を何とか活かして、今後の被害を防ぐことが大切だと思う。

注釈:
1)ハザードマップを公表すると、地価に影響するとして、閲覧に出かけないとみることが出来ない場合が多い。しかし、地価よりも人命を重視して、詳細をネットなどで公表すべきである。
2)大規模団地が高度成長期に日本中に作られた。そこでは、大規模な盛土などで整地されており、地滑りなどの危険性が指摘されている。私の住む地域及びその近くの大規模団地でも、この危険地域を図示した地図が作られてはいる様である。しかし、ネットで公表されていないか、公表されていても獏としか解らない形で公表しているか、どちらかで、何れにしても不十分である。

2014年8月21日木曜日

国家は大企業の下僕、国民は国家の下僕か?

 日本国は外国人労働者の受け入れを検討している。一度受け入れると、彼らは帰らない、かれらの両親や家族も呼び寄せられるだろう。つまり、移民となる。フランスやドイツでも、移民の受け入れによる様々な問題に苦しんでいる。例えば、突出した犯罪率など社会不安が増大する。おそらく、仕事における差別や、受け入れ態勢不備により、在日外国人の不満が充満し、社会が不安定化するからである。(例えば、川口マーン恵美、週刊新潮8/28号)

 現在、安倍内閣は、経済界の下僕となって、日本国の形を好ましくない方向に変えようとしているように見える。

 移民と外国人労働者は違うという自分勝手な考え方は通用しない。自分勝手とは、移民となることが解っていてもそれを誤摩化す自民党政権の屁理屈であり(1)、外国人が日本人(の若者)が嫌がる仕事だけをやってくれて、仕事が済んだら自国に引き上げてくれるという、日本国民の勝手な考え方である。その嫌な仕事をして年老いた人の老後の面倒も、日本人の老人同様に国民全体でみなければならない。また、宗教の違いや近所付き合いなどの違いなどが、コミュニティーのあり方に深く影響するが、そのようなことは議論されてないだろう。

 土木作業員や介護士などが不足しているのは、若者がそのような仕事を嫌がるからである。社会において必要な仕事を、誰かがやらねばならないのは当たり前である。日本社会が、そして、国家行政(文科省、厚生労働省、総務省)が、経済の発展に伴って若者に生じた、「自分に適した仕事がしたい」という甘えた考えをそのままにし、「働かざるもの食うべからず」という社会の原点を忘れるがままにしたことが大きな原因である。そして、大企業から労働者が必要だという声が上がれば、外国にそれを求めるべく、国家と言う国民の家の扉に、古来より厳重にかけられていた鍵を、簡単にあけようとしているのである。

 日本の文化に無知で無関心な外国人、自分達の母国での文化を持ち込もうとする外国人、そしてその労働者とともに家族や親族が、貧しい国から豊かな経済の魅力にだけ惹かれて来日するだろう。そして企業は確かに安価な単純労働を手にいれるが、彼らはその後生じる様々な行政上の困難の責任は取らない。

 日本国国民を主人公にして考えれば、労働人口の減少も、少子化も必ず問題解決の方法はある。移民を受け入れないという制限付きの国民の最大幸福を実現する、多変数を扱う数学的問題と考えれば良い(2)。従って、多くの解(パラメータ)の値は当然外国人移民を考慮に入れた場合とはことなる。その結果、若者が嫌がる仕事の労働賃金は上昇するだろう。
 要するに、社会には多くのパラメータがあり、その一つや二つ、つまり建設業や介護事業などの今後の人手不足を解消するという単純な問題として考えては困ると言っているのだ。

 安倍さんに学んでもらいたいことがある、それはエントロピー増大の原理と偏微分である。国家の扉を広く開けてしまうと、混ざってしまった人間や文化により生じた困難は、その扉を塞いでも元には戻らないのである。偏微分は本当の勾配ではないのだ。国の行政でも人生でも、多くのミスは偏微分を全微分と思ってしまう(或いは、変数の数を少なく見てしまう)ことにある。(3)

注釈:
1)中央であれ地方であれ、何か事業を始める時には、行政はプラス面を過大評価、マイナス面を過小評価して計画を発表する。年金制度や資金を使ったグリーンピア構想、熊しか通らない高速道路の建設前の利用度予測、本四架橋の利用度予測、これらの補修費の予測、などなど、行政の全てが官僚どものインチキ見積もりで計画される。最近では、オリンピックの競技場改修費の過小見積もりなどもあった。これらは、関与した公務員は左うちわで、誰の責任にもなっていない。
2)パソコンなどでモンテカルロ法的にシミュレーションすれば良い。
3)このように持って回った言い方をするのは、複雑な問題を単純化しすぎる文系の指導者への警告の気持ちがあるからである。

2014年8月19日火曜日

日本の理科離れと文部科学省のピンぼけ対策

 日本の理科離れと文部科学省のピンぼけ対策今朝のNHKニュースで、日本の子供達の理科離れが報道されていた。中国ではサイエンスが大人になっても仕事に役立つか?と言う質問に、YESと答えた人が40%強いたのだが、日本ではその半分にもならない。先進国や中国などと比較して最低である。文部科学省はその克服のために、スーパーサイエンスハイスクールを全国に200校以上作って、対策としているという。文部科学省はピンぼけカメラマンのようなものだ。
 日本での理科離れの原因を知ることは簡単である。それは、商社や金融機関の平均給与と製造業や製薬業などの平均給与とを比べてみれば解る。三菱商事の平均年収は1400万円を越えている(1)。平均である。理系の代表として日立製作所を上げると平均給与は辛うじて800万円(2)である。日本の大学の最難関である医学部を6年間をかけて卒業して、研修医などを経て、勤務医になった場合の平均給与は1100万円程度である。偏った例を上げていると思われるのは不本意だから、年収ランキングを紹介する。大手225社の平均給与の1位から8位は金融や商事会社であり、8位でも平均年収は1265万円である(3)。理系企業でも経営者などには文系の方が有利だろう。対策はスーパーサイエンスハイスクールを作ったり、理系女を増加させるためのシンポジウムを開くことではない。理系研究者などの待遇を上げることである。
 ある程度の大学に進学する力があれば、白紙の段階なら、経済学部や法学部を勧める。別に事情がないのなら、文部科学省などの企みには乗らない様に勧める。

注釈:
1)2)会社四季報による。2014年第1集(東洋経済)
3)http://kyuuryou.com/w227-2013.htmlによる。一位から順に、野村H、1488万円;以下、東京海上H、伊藤忠商事、三菱商事、三井物産、住友商事、丸紅、三井住友FG、電通、三井住友トラストH、NKSJ-H、JX−H、大和証券グループ本社、ソフトバンク、MS&AD insurance group H、16位、三菱地所(1108万円)など。Hは持ち株会社の略。これら16社の平均年収は1297.8万円、平均年齢は41.59歳、平均従業員数は2259名である。

世界史の転換点=国民国家の賞味期限

世界史の転換点=政治と経済の力関係の逆転

 ウクライナ問題は、現在の米国の株価を変化させる大きな要因である。それはそのまま日本の、そして、世界の株価に反映される。これは経済のグローバル化が政治のグローバル化よりも先に進んでいるからである。政治ではいち早く国際連盟や国際連合などで、グローバル化が始まったが、その力はほとんど目立っていない。それよりも、インターネットの普及や人の地球上での流動化の増加により、国際世論が徐々に形成され、そちらの方が政治的力としては大きいように見える。

 プーチン氏のロシア国内での支持率は80%を越えているので、古い頭で考えれば、ロシアはウクライナにおいて益々強硬になるように考えるだろう。しかし、プーチンの失脚が近いという報道が米国にあらわれた。http://markethack.net/archives/51933463.html 報道によると、クレムリンの内部ではプーチン大統領の対応の無様さが、重鎮の間でひそひそ話として広がっているという。それは、西欧諸国からの経済制裁に対して、食料品の貿易を制裁するという対抗策を持ち出したものの、経済的打撃が大きいからである。おそらく、プーチン大統領のすべきだったのは、クリミヤ併合で全て終了というサインを明確にだすべきだったのだろうと思う。

 ところで、プーチン氏の読み違いは、グローバル経済のネットワークが最早世界を支配しつつあることを、少しだけ軽視してしまったことではないだろうか。中国の周主席が、日本との関係修復を考えているのも、経済界からの圧力だろうと思う。中国と日本、そして、世界は、経済的に密にネットワーク化されており(1)、政治家からこれまでのような国家間の争いや国際的いざこざを引き起こす自由を奪いつつあるのかもしれない。

 これは世界史的には、国民国家という制度の賞味期限が切れて来ていることを意味していると思う。世界の優秀な政治家は、このウクライナの行く末を、このような観点から注視しているのではないだろうか。そして、安倍さんの方向はこの世界的傾向とは逆の方向に見える。

注釈:
1)例えば、中国のネット企業アリババは、ニューヨークでの株式上場を考えている。ところが、その株の1/3は日本のソフトバンクが持っている。そのソフトバンクは、米国の携帯電話会社スプリントの親会社である。
 また、ボーイング社の飛行機や韓国サムソンの携帯電話の部品のかなりの部分は日本製であることも周知されている。

2014年8月18日月曜日

国家意識も国民意識も薄い日本国民

 最近、生活保護費を申請した日本生まれの中国人が、申請を却下されたことを訴えていた裁判で、最高裁が外国人に受給権が無いという判断を示した。どんな難しい問題かと思って、生活保護法を読んだところ、明確に対象は国民だと書いてあった。これまで支給して来た地方自治体の公務員は、日本語が解らないのだろうか?国民でない在日外国人に生活保護費を支給して来た根拠を教えてほしいものである。住民は、地方自治体を税金の不正使用として訴えるべきではないのか。

 また、二審まではどのようにこの法律の”国民”を読んだのか?日本では、言語の拡大解釈や曖昧解釈が、憲法だけでなく至る所に存在する。その原因は:1)日本語は言語として不完全であり、伝える情報も曖昧であることを示している、2)日本人は言語で情報伝達することに或る種の不信感をもっている、のどちらか或いは両方かもしれない。もちろん、日本語が不完全な言語だとしても、厳密な論理展開が出来ないと言っているのではない。普通に生まれ育った普通の知性をもった人間にとっても、日本語で厳密に論理展開するのが困難であると言っているのである。また、言語以外の何か、それは山本七平氏の言う所の空気かもしれない、が情報伝達に使われているようだ。それらを総合して、日本語が不完全な言語であると言っているのである。

 最初に国民栄誉賞を受賞したのは、外国人であったことが、そのことを証明している。ただし、私も王選手の受賞を喜んだ一人だったが、考えてみれば不思議なことである。また、国民栄誉賞という言葉に、”国民”と”栄誉”の関係が、全く現れなくて済むところが日本語の欠陥であり(1)、それがあのような賞を外国籍の人に与えるためにつくることが可能だったのである。

 上記下級裁判所の判決が出た原因として、もう一つある。それは、日本人に国家意識に欠けていることである。国家意識の欠如は、外国と本土で境界争いをした経験が少なくとも過去2000年ほど無いことが大きな原因の一つだろう。また、国民一般は被支配者としての記憶しか無く、つまり、市民革命を経験していないので、自分達の国という意識がないのは当然である。従って、マッカーサーが日本統治に現れたときも、国民は米国と日本国という国家を意識するよりも、新しい君主という感覚で迎えたのだろう。そうでなければ、あのように敵国の将を歓迎(2)できる筈がない。

 ここで更に言及したいのは、ガダルカナルやインパール作戦で戦死した兵士のことである。殆ど補給もない状態で餓死させられた、あまりにも命が軽くあしらわれた兵士たちも、お国のためと言って出陣した筈である。しかし私は、彼らは戦闘するための言わば奴隷として国家の支配者たちによって駆り出されたのだと思う。従ってまた、彼ら兵士は日本国民として国を護るのために出陣するという意識よりも、家族や子孫の将来を護るのだという意識の方が強かったと想像する。従って、国家神道という兵士を調達する道具として創られた神社にではなく、我々日本住民が彼ら兵士の霊に直接感謝の意を捧げる墓地をつくり、そこに参拝するようにするべきだと思う。

注釈:
1)国民が与える栄誉ではないことは、当時の福田総理から授与されたことで明らか。栄誉ある国民に与える賞でないことは、外国人に与えられて事から言語学的に明らか。そうすると、”国民が栄誉を与えたいと内閣が推定する人に与える賞”という意味しか残らない。この複雑な内容を、国民栄誉賞とだけ名付けてことが済んでしまうところが、日本語の欠陥だというのである。福田賞として、福田氏のポケットマネーから1000万円ほど賞金を出せば良かったのだ。
2)たとえば、http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp/blog/2014/02/post_f109.html

2014年8月17日日曜日

韓国のいらだちの原因は慰安婦問題にではなく、日帝による併合にある

韓国のいらだちの原因は慰安婦問題にあるのではなく、大日本帝国による併合にある(1):

 慰安婦問題は、日韓関係の最重要課題の様に思っている日本人は多いと思うが、私は韓国の思惑は別の所にあると思う。それを十分理解しないと、韓国の思惑通りに日本が悪の帝国であったことにされるだろう。先日の朝日新聞の検証で明らかになったように、所謂慰安婦は現在の韓国政府が主張するような性奴隷ではなかった。しかし、韓国はこの宣伝を執拗に続けるだろう。何故なら、これにより日本に邪悪のイメージを貼付けて、それを国際社会に定着をさせたいからである。ただ、容易にわかるように、それに成功したとしても日本を貶すことが出来ても韓国(民)が得るものは何もない。私は、韓国(民)が日本に対して本当に行ないたい事が、次の段階のキャンペーンとして用意されていると思う。それは、日本による朝鮮併合を、独立国家であった朝鮮に対する邪悪な侵略として世界史に定着させることである。

 韓国の企みを以下に想像してみる。先ず、多くの少女を実質的に拉致し、女性の人権を完全に無視して、それらの少女を性奴隷として扱ったことにする。そして、この蛮行を南アフリカのアパルトヘイトや米国等の奴隷制度以上の、ドイツのホロコーストと同列の邪悪な国家的犯罪のTop Twoとして世界史に定着させる。ドイツのホロコーストはヒットラーという異常な人格に率いられた一部(ナチス)の犯行であるとされているのと比較して、日本の犯罪は国家全体の犯罪であるから、世界史に例のないことであるとする。その証拠として、戦後70年経ってもなお全ての日本人はこの件を誤摩化していることを上げる。更に中国の協力をえて、中国での大虐殺(2)を歴史に定着させ、日本帝国が世界一邪悪な国家であったことを世界史に書く。日本は最も新しい世界大戦の敗戦国なので、声の大きさでは中国に負ける。中国は、声の大きな方が正史を書くことを秦の時代から熟知している。

 そして、韓国の最終的な目的は、「日本帝国が行なった朝鮮の植民地支配は、朝鮮国への邪悪な日本帝国による犯罪であった」と世界の正史に書きたいのである。それにより、邪悪な日本国や日本国民と対照的に、「朝鮮は誇り高い国であり民族であった」としたいのであると思う。

 ここで日本の多くの人により、朝鮮は中国の属国であったではないかという反論があるだろう。しかし、中国への朝貢を、宗主国と属国の関係ではなく、外交の一つと看做せないことはないのである。歴史家の岡田英弘氏によると、朝貢冊封は中国と朝貢国との間の臣下の関係を示すのではなく、その時の中国王朝の正当性を、中国国内の諸勢力に知らしめる為に行なわれていたのだという(3)。

 そう考えると、日本による統治は過去数百年の韓国の歴史に塗られた唯一の暗黒部分となり、それを凶悪な日本の所為にして名誉ある民族の地位を確立したいのだと思う。(4)現代、専門家の権威が落ちて来ている。そして、歴史もその時の時代背景など無視して、現代の感覚で裁く姿勢が世界に通るかもしれない。また、東アジアでは日本を含めて、歴史は事実をつなぐ物語ではなく、時の王朝の正統性を主張する作り話である。司馬遷の史記も日本書紀も秦(始皇帝)と大和朝廷の正統性を主張するために創られた物語である。(5)そして、正史は定着したのち永遠に保存される。
 (8/17; 8/18/22:00編集)
  注釈:
1)これは元理系研究者の感覚で書いた意見です。素人ですから、あやまりがあるかもしれません。ご批判ください。
2)中国との連携で悪行の嵩ましと信憑性の増強を企んでいる。
3)岡田英弘著「歴史とは何か」文芸春秋2001; pp202-209 朝貢冊封体制というのは第二次世界大戦後の日本で発明されたことばだそうである。
4)言ってはいけないかもしれないが、二世三世になっても朝鮮半島の出身で日本産まれ日本育ちの方々が、日本国籍を取得しない理由も解った様な気がする。
5)「歴史とは何か」の前半部分全体参照

2014年8月16日土曜日

この国には、他の暴力から守る自衛力も脳や内臓を冒すウイルスから守る免疫力もない 

 日本の敗戦した日は韓国が独立を取り戻した日である。それを韓国人が祝うのは当たり前のことであるが、その式典(光復節)が日本国内のしかも日本の終戦記念日式典が行なわれている近くで開催されることを、腹立たしく思う。まるで、日本の敗戦を日本国内で祝っているように感じるからである。またそれだけでなく、その式典に日本の国会議員が大勢参加(http://ameblo.jp/typexr/entry-11910493335.html)したことは、国民の1人として不可解に思うと同時に尚一層腹立く思う。共産党や社民党は元々反日政党だからさもありなんと思う。そして、公明党議員の参加も、別の理由からそんなに意外感はない。これらは、普通の国の視点でみれば、独立国として独り立ちしていない日本国だと知っても、異様な光景として映る筈である。

 社民党や共産党は、未だにインターナショナルという歌を唱い、万国の労働者よ団結せよなんて言う、そんな頭で居ると思えなくもない。しかし、それは違うだろう。社会党元委員長の勝間田清一氏や今共産党で有名な志位さんかだれかの伯父さんが、ソ連のスパイであっとことがレフチェンコ事件で明らかになっている。従って、それらの政党は元々日本国に敵対する組織なのだ。そのような反母国政党の人たちが未だに、国会に席をもち、NHKの政治討論番組に顔を出す国は日本だけだろう。平和とか安全保障とかいうのなら、先ず、仮想敵国(ロシアよりも近い国々)のスパイが大勢居る可能性の高い、この国の姿を変えるところから手をつけるべきではないのか。集団的自衛権行使を可能にするように解釈改憲するなんてその後でよいし、どうせ独り立ちの日本を望のなら、それよりむしろ憲法を改訂して、名実ともに自衛軍を持つべきである(1)。そして、海外派兵などは国連の指揮下(2)に入る以外は、憲法において禁止すべきである。

 この国の人たちは、表では日本の良い所、日本人の活躍をマスコミなどで報道して、自己陶酔になり易い。そのくせ、裏では老後も経済も政治も何もかも悲観して、ひたすら節約と貯金に精を出す。それは、表でつくる人の輪に入らなければ、生きられないと感じる幼児性を持ち、未だに積極的に社会を変えるのは自分達であるという民主主義になじまず、お上と下々の関係での下々としての立場に甘んじているのである。つまり、日本国を国民国家として意識することは明治時代も戦中も無かったのではないか。そしてそのような日本国民個人個人の感覚は、そのまま日本国の性格を決めてしまう。

 独り立ちしている国はどのような国か? それは生きている人はどのようなものかを考えれば解る。自分の足で自分の考えた所に行き、自分で働き食を得る、自分の体や財産は自分で守る、そして自分に感染するバクテリアやウイルスを排除する免疫機能を持つ。しかし、現在の日本は独り立ちしていなので、経済力以外は独り立ちした国のこのような機能を殆ど持っていないし、持たなければならないと言う切実感もあまりない。その様な国で、集団的自衛権行使などを言いだすのは、むしろ恐ろしいものを感じる。いったい一人前に成長していない国家と仲間になる一人前の国は何を考えるだろうか?
 出来るだけ早くそのような国にしなければならない。そのための全く新しい政治勢力の成長を望む。米国は、論理的且つ対等に議論でき、独立した人格を感じる指導者が率いる国に日本になれば、最終的に独り立ちする日本を受け入れてくれるだろう。

注釈:
1)この際、自国領土の防衛以外に、自衛軍の行使はしないと、憲法9条の一部は温存すれば良い。自衛軍を、海外に在住の日本人や外国を航海する船舶などの保護などに用いるとした場合、その拡大解釈は軍事的行為に歯止めがかからなくなる。そして、そのような除外規定は、日本の平和国家として築き上げた信用を守ることになると思う。8/15の夜に、NHKで報道されていた討論番組、日本の平和を考えるで、日本船舶の中東などでの護衛を自衛隊が行なうなどの議論があったが、それには反対である。集団的自衛権行使は、自国領土の防衛以外には拡大すべきではない。
2)国連が、唯一の世界政府の前身であると言えるような場合における、そこの安全保障理事会或いは総会が決議する平和維持活動などである。

2014年8月14日木曜日

靖国神社(国家神道)は現在の政治と一線を画し歴史の中に戻すべき

 安倍氏が、「前回総理であった時に靖国参拝出来なかったのは、痛恨の極みであった」と言って、今期総理就任後すぐ靖国に参拝した。靖国参拝は総理にとって非常に大事なことの様だが、我々一般人とは少し感覚が異なるように思う。靖国神社とは何か?何故、総理があれほど参拝を重要視するのか?(1) 
 
 江戸時代には、武力を持つのは武士階級にかぎられていた。そして、武士階級は行政権や司法権、そして、高い地位と名誉とを、武力と不可分な形で持っていた。江戸日本は、軍事独裁国家の様に見えたが、当時の人には日本国民という感覚は殆ど無かった筈である。明治になって西欧式の所謂“国民国家”が日本に導入されたのと同時に、民衆には日本国民としての義務:納税と兵役の義務が課せられるようになった。(2)
 
 明治以降は、薩長土肥を中心とする官軍の出身者達が政府要人を占め、士官学校でのエリート武官、帝国大学創設後はそこの出身者がエリート国家公務員となり国家を率いた。ただ、徴兵制度で集められた兵士は、単に消耗品的に扱われるだけでは士気が上がらない。そこで考えられたのが、国家神道の創設とその利用である。一般の兵士も死ねば靖国に神として祀られるという“約束?”により、兵士たちは、軍や国家のエリート達により、強力な銃弾や魚雷に変身させられたのである。(3) 

   その日本帝国という東アジア初の国民国家は、当然、隣の王国よりも軍事力に優れている。何故なら、国民国家は戦争をするために作られた様なものだからである。(4)そして、韓国併合、満州国建国などで成功したように見えたが、国民国家の先輩である米国や英国などの国に敵う訳は無く、最終的には悲劇的な結果に終わった。

 ここで、安倍総理が昨年12月に参拝されたときの、談話の最初の文章を引用する。「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。」更に、「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。」と続く。

 しかし、今日の中日新聞社説にあるように、戦争時の兵士の半数は戦闘で死んだのではなく餓死したことを、そして、餓島と呼ばれたガダルカナル島、白骨街道と呼ばれたインパール作戦などで、食料補給等のないまま兵士は戦地へ送られ餓死したことを一般人は知るべきある。その多数のあまりにもその命が軽く扱われた兵士の霊が、上記総理の言葉を聞けたとしたらどう思うだろうか。「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」とは誰のことかと思う筈である。

 この靖国神社の兵士の調達と士気を維持する装置としての本質、太平洋戦争時のあまりにも軽視した兵士の命を考えると、総理や与党議員が国立墓地のように動機を偽って参拝する、今の靖国神社のあり方には賛成できない。多くの政治利用された神社同様、国家神道は過去の歴史に戻すべきである(5)。そのためには、靖国神社は現在の政治と一線を画することが重要である。
 そして、別に戦争で無くなられた多くの兵士達の霊を祀る国立墓地を新たに創り、そこに全ての戦場で死んだ兵士の霊を葬るべきであると考える。それは、千鳥ケ淵戦没者墓苑を拡充し名称変更するだけで可能である。そこに総理大臣は毎年参り、家族にとって掛替えの無い命を軽視したあの戦争を詫び、冥福を祈るべきである。補給の無い戦地に無計画に送った兵士の霊にたいして、「御英霊に尊崇の念を表わし」のような台詞を用いないで、ただひたすら先輩政治家たちの愚かさを分析して兵士の霊の前にそれを披露し、そしてその先輩の座を継ぐ者として詫びるべきであると思う。

注釈:
1)素人ですので、反対意見などを歓迎します。誤りや理解不足があるかもしれません。予めお断りしておきます。

2)江戸時代の感覚は、お上と下々の関係であって、外国人は今では宇宙人のような存在だったと思う。明治維新は外国との対抗を意識した革命であり、初めて日本国民と日本国家という“国民国家”の形が作られた。具体的には、西欧を真似て法的な統合のために憲法が作られる。そこに兵役の義務が当然のこととして記されている。そして、兵士の役割を重要視して、国家神道がつくられた。ただ、民族の迫害や大移動を経験したことの無い日本国民は、国家意識が極めて低く、今でも国民国家と言うより儒教的なお上と下々の関係がつづいていると思う。

3)日本国民という意識は武士がいなくなり明治憲法が出来たからといっても、急には出来ないだろう。従って当時の日本人には家族を守る心はあったとしても、愛国心という感覚に薄かったのではないだろうか。精神的な柱として、天皇と天皇家を祀る神道から派生させた国家神道を置いたが、いまでも日本人の精神には最も古い形の神道、自然崇拝、しかない。今も昔も、日の出の太陽に手を合わす心はあっても、天皇陛下万歳という気持ちは本音としてはなかったのではないだろうか。

4)岡田英弘著、「歴史とはなにか」p174

5)神道のご神体は山などの自然の偉大な造形である。(岡谷公二著、神社の起源と古代朝鮮)ところが、神道は8世紀初頭に天皇家の神道(天皇の権威を正当化する神道)に大きく変化する。更に、時代が下るに従って、将軍や有名な武将までを祀るようになり、神道は本来のあり方から外れて政治的道具として利用されたのである。しかし、一般兵士を祀ることは嘗ての変質した神道にも無かったし、本当は今も全く根付いていないのではないか。

2014年8月13日水曜日

今日の中日新聞社説:「普通の人々の戦争とは」ー平和主義を貫くーについて

 戦争俳句の紹介と戦争日記の紹介に重点を置いた社説である。普通の人が戦争の中でどう生き、戦場をどう感じたかを紹介している。これらは戦争の現場を感じるには良い材料だとは思う。そして、最後のパラグラフで、集団的自衛権の行使可能と閣議決定した件にふれている。「自衛の必要は当然のことながら、法律論に加え戦争と人間の直接の関係も考えねばならない。それは感情論などと容易に退けられるようなことではなく、戦争とは何か、人間とは何か、つまり私とは何者かを問うことにほかならない。」そして最後に、「戦争を議論するなら、まず直視し感じなければならないのである。」と結んでいる。

 この社説には多くの疑問を持つ。まず、”戦争を議論するなら先ず直視し、感じなければならない”という主張は、要約前半の”人間とは何か、私とは何者かを問うところから戦争を考える姿勢”と矛盾すると思う。戦争を交通事故に喩えれば、上記議論は、”交通事故を議論するなら先ず直視し、交通事故(の悲惨さ)を感じなければならない”となる。しかしそれは、交通事故とは何か、我々は何故自動車を必要とし、交通事故を避けられないか、どうすれば交通事故を減少させることが出来るか?などの根本的原因とその可能な限りの防止を考える上で、あまり参考にはならない。

 戦争を感じるために俳句や日記を引用するのは解る。しかし、上述のように、普通の人々が戦争をより切迫感を持って感じたとしても、戦争のような外交関係や高度に社会的政治的な問題を”考える”場合には、あまり意味が無いと思う。まるで普通の人は、戦争を考えないで、戦争を感じることが大切だと言っているように思える。戦争で金儲けや鬱憤ばらしを考えている少数を除いて“戦争が死ぬほど嫌い”なのは、誰も同じである。その嫌いで汚くて悲惨な光景を描くのと同時に、もっと広くそして長期的な視点で考えなければ、戦争という世界の残酷な渦に巻き込まれてしまう。あまり現場の光景ばかりに目を向けると、むしろ、頭を真っ白にしてしまい、戦争で儲ける人たちの味方をするようなことになってしまう。更にこの社説には、”戦争とは何か、人間とは何か、つまり私とは何者か”についての答えは何も書かれていない。社説は問題提起に終わってはならない。世論の先頭を行く思想を、戦争を避けるにはどうすべきかを書くべきである、たとえ、その後に続く読者がいなくとも。

 今日の社説の問題提起「戦争とは何か、人間とは何か、つまり私とは何者か?」の解答は、むしろ戦争の悲惨な場面から目を放して、大きく広く世界を見ることで簡単に得られる。戦争とは何か? それは、狭い地球の中のかぎられた資源と生産能力を奪い合う、民族間或いは宗派間の生存競争である。地球が舞台なので、個人と個人が生存競争を懸けて争う訳にはいかない。そこで、同じ民族や同じ文化、同じ宗教で集団をなして、戦争が起こるのである。つまり、戦争のエネルギーは、貧困によって生じるのである。戦争との関連で「人間とは何か」を考えた場合、「人間とは飯を食い、楽しみを持って生きなければならない生物である」に簡単に至る。そして、「私とは何か」は、その解釈の中で、自分の属する集団の運命を左右する存在である。私がナイーブな平和主義者なら、属する集団はより高い確率で戦争に巻き込まれるか、他国に隷属するかどちらかになるであろう。私が、ミクロな視点で戦争を感じ、同時に、マクロな視点で戦争の原因やそれを避ける手段を考えることが出来る人間なら、その集団(国家)はより悲惨な状態になる確率が低くなるだろう。  戦争が生存競争なら、人口が増加し続けて資源が有限ならば、避けることは出来ないという認識が容易に得られる。平和の方向として、技術の向上による生産能力の拡大と人口増加の低下があるのみである。しかしそれでも、文明の発展が不均一である間は、貧しい国同士或いは貧しい国と豊かな国の間で戦争が起こるだろう。更に、将来への経済的不安から政治的不安定、そして戦争に至る場合もあり得る。マクロな視点で戦争を考えるとこのようになる。

 ミクロな視点では、ある国での軍国主義の台頭やら、別の場所での共産思想の発生など、戦争の切っ掛けはいろいろ考えられる。しかし、マクロな視点での”戦争のエネルギーは、地球の表面での経済的不満の強さやそれを訴える人口などで表わされる”という真理を理解しなければ、”戦争が起こるのは、その地域での平和主義者が少ないからだ”というような、社民党レベルの幼稚な議論に陥ってしまうのである。我々はミクロな存在なのだから、戦争をミクロな視点で見るのは比較的容易である。しかし、マクロな視点で見て理解しなければ、戦争の防止には役立たない。世界経済や世界の政治はマクロな現象だからである。しかし、それには十分な知性が必要である。民主主義という政体をとる限り、戦争を避ける方法は、高度な技術や感覚をもって豊かな日本を築くこと、そして、我々一人一人がマクロに世界の政治と経済を考えること、そして得たマクロな情報を処理する知性を持つことである。もし、そのようなことが面倒でできななら、そのような人の考えを良く聞き、平和主義平和主義というお経を唱える人たちから一線を画することである。(1)

注釈:
1)経済や政治の理解には勿論、ミクロな情報は必要である。私はその分野でも素人だが、このミクロとマクロの視点の必要性は、株の値動きを見て取引をする人にも言えるだろう。株価利益率や資本利益率などのミクロな情報も必要だが、株価全体の動きには日々発表される世界の経済指標が大切であるし、長期に亘るその分野(会社)の将来性を見るには、世界文明の方向や、世界政治の動きが重要である。

2014年8月12日火曜日

笹井氏が小保方氏に宛てた遺書を読む;

 夕刊フジのネット版解説(8月8日)に、“笹井氏遺書から読み解く・・・小保方さんへの思い:精神科医ら分析と題する記事が掲載された(1)。しかし私には、彼ら精神科医らもほとんど中身が読めていないと思った。この遺書の内容は、“たかじんのそこまで言って委員会”でも議論されていたが、金美麗氏を除いて、レギュラー評論家達も殆ど読めていなかった。(2)

  私は、STAP細胞の件は、最初の発表からブログ等で意見を書いて来た(3)。図の不正などで論文が撤回されるべきだとの意見が共著者である山梨大の若山氏から出された時には、直ちにSTAP細胞論文は捏造データによるものだと思った。笹井氏が理研のバッジをつけて会見した時には、彼もSTAP細胞は小保方氏の方法では出来ないことが解っていたと思う。その際の笹井氏発言内容は、”データの真偽が見抜ける立場に無かったため、そのまま論文に仕上げて発表してしまったのである”であった。その場面をテレビで観て、共著者にあるまじき発言であるとコメントした。 

 あの論文は、何度かネーチャー誌などから掲載を断られたものを、何とか掲載されるレベルに改訂できないかと、理研が組織として笹井氏に依頼したと聞く。それなら、取り下げを含む再評価は、若山氏単独でマスコミに漏らすのではなく、発表の記者会見に参加したもの全てが揃って記者会見などで行なうべきであったと思う。若山氏が、論文の取り下げを言いだした際に、笹井氏と綿密な打ち合わせがあったかどうかが笹井氏の自殺を分析する際には重要なポイントだと思う。笹井氏に頭を下げて依頼した関係上、データが怪しいのであの論文を取り下げたいと言い難いのは解るが、もしその打ち合わせへの参加依頼が無かったのなら、論文完成に参加するよう依頼した理研の幹部と若山氏の無責任は責められるべきであり、場合によっては、笹井氏は罠に嵌められたとおもったかもしれない。「(私が先立つのは)あなたのせいではありません、自分をそのことで責めないでください」という文章が、その気持ちを表わしていると解釈できる。
   
 また、「夢みたいなデータを本物だとして自分の前に持って来て、一流誌の審査に通るまで協力してくれと言った人達が、捏造を疑うネット記事が出ると直ぐに、沈没船を真っ先に降りたセウォル号の船長のように、疑惑解明側にまわった」と思っているかもしれない。笹井氏が小保方氏を攻撃して“船”を降りてしまっては、女子供を残して、船長以下の男どもが皆逃げてしまうようなことになる。それに加えて、あのような論文を書いてしまった自分を、ありのままに受け入れることは彼のプライドが許さなかっただろう。

 「スタップ細胞を再現して下さい」は科学者としては子供である小保方氏への「夢は捨てないで下さい」レベルの励ましである。そのことは、それに続く「それが済んだら、新しい人生を一歩ずつ歩みなおして下さい」にしっかりと書かれている。“それ(理研の再現実験)が済んだら”は“それが不可能とわかったなら”であり、“今度こそ新しい人生を一歩ずつ歩み直して下さい”は、“あのような一足飛びに大発見しようなどと思わず、地に足をつけて一歩ずつ人生を再構築してください”である。つまり、もしそれ(スタップ細胞作成)に成功したのなら、新しい人生を歩み直す必要はない。大人の優秀な研究者として、今までの人生の延長上を堂々と歩むべきである。小保方さんを自分も責める側に廻るとしたら、自分を二流以下の科学者にしてしまう。科学者を画家に喩えれば、二流以下の画家はまがい物の絵を、ピカソの絵と鑑定してしまうかもしれないからである(4)。

   このスタップ捏造疑惑は、世界三大捏造事件として残るだろうと言われる。その責任は、1)集中して金をつぎ込めば、良い研究が出来るという政府の全く愚かな考えと、それをアベノミクスとやらの中で具体化した 2)“特定国立研究開発法人”として、理研と産総研を指定すると言う官僚の利権がらみの政策、3)それを目指した理研幹部のスタップ論文を看板に押し出そうとした浅はかな考え、それに、4)研究者として今一つの感性しか持ち合わせていないが、女性としての魅力だけは人一倍あった夢見る女性研究者などに分散して存在する。その渦の中に消えたのが、世界有数の知性であった。
   
注釈: 
1)http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140808/dms1408081538017-n2.htm 
2)10日の「たかじんのそこまで言って委員会」:小保方氏あて遺書の内容をどう思うかについて議論されていたが、レギュラーの宮崎、長谷川、加藤、竹田氏は全く理解出来ていなかった。金美麗氏が「小保方さんを庇うため」と回答されていた。「STAP細胞が再現できると思っているのなら、死ぬ必要性がない」と明確にその根拠を述べておられた。不十分だと思うが、確かな理解だと思う。兎に角、三宅さんの死後、レギュラーの質が低下して、この番組の面白みも急降下したと思う。 
3)http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/06/stap.html
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/04/stap_16.html
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/03/stap.html
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/01/stap.html
4)私もこの遺書を見るまでは、笹井氏の死の原因が今一つ解らなかった。また、笹井氏の会見の意味も十分解らなかった。小保方さんを全く責めない姿勢は、金美麗さんが(注釈2)のテレビ番組で指摘した通りだと思う。一流の画家が、偽物を売る画商の訪問を受けたら、それが付き合いの深い画商や画家の紹介だったとしても、決して庇いはしないだろう。しかし、深く腹を立てるのは、その紹介者である画商や画家の方である。
(8/12夜投稿、8/13/6:30改訂)

避難指示に従わない住民: 行政は何をして、住民はそれにどう関わるか、日本では相互に了解がなされていない。

 台風11号により高知県や三重県に大雨が降った。その結果河川の増水などでかなりの被害がでたが、幸い死傷者の数は台風に備えている時の怪我を含めて全国で数名くらいで大きくはない。しかし、三重県に出された避難指示は55万人程を対象に出された。一方、実際に非難したのはその5%にも満たない。

 つまり、行政は大変だ大変だと言っておき、被害が出ても、それに従わなかった住民の責任であるという言い訳のために、「命を守ることを第一に行動して下さい」という特別警報を乱発している様に見える。一方、住民は避難は大変だし、いつも大した情況でもないのに非難、非難と役所は言ってくると思っているのだろう。この行政不信は、この国の行政と住民の間の歯車が全く合っていないことを示している。このような情況では、本当に大変な事態になっても、その情報が住民に正しく伝わらない危険性が非常に高いと思われる。

 本来、命を守るのは住民自身であり、従ってその判断は住民にまかせるべきである。行政は、必要な情報と避難して来た住民のための最低限の準備とその体制を、整えるだけで良いのではないか。犯罪者でもない住民に対して、非難勧告とか非難指示とかいう個人の行動を束縛する言葉を用いることは、行政には相応しくないだろう。そういう文化を醸成することにより、住民も台風などの情報に敏感になり、より正しい避難行動がとれるようになると思う。

 つまり、行政とは何か、また、行政と住民自身の権利義務の範囲の明確化が日本では未だなされていないのではないか。或いは、この行政形態は、輸入品で、我国は十分使い慣れていないのかもしれない。

2014年8月10日日曜日

韓国が慰安婦像を米国に建てる行為は自爆テロに似ている

 韓国の慰安婦像設置特に米国など外国への設置は、いったいどういう目的で建立しているのだろうか。

 戦時に業者に騙されたり家族に売られたりして、戦場で兵士を対象に性の相手をさせられることは、本人達にとっては非常に悲しく、腹立たしく、また、第三者にも悲惨なことに見える。敵軍(連合国側)が攻めて来た時は、兵士とともに銃をとって戦ったとも言われるhttp://kajipon.com/kt/peace-i.html。戦死した人も多いだろうし、戦死しなくても帰国して嫌悪すべき想い出に苦しむ日々も理解可能である。しかし、慰安婦が韓国の主張するように日本国家による強制連行ではなく、主として韓国の業者により親族らから買われたり、良い仕事があるといった甘言にだまされて、集められたものであることは、8月5日の朝日新聞の訂正記事で最終的に明らかにされた。従って、いままで韓国が主張してきたような図式で、この件を理解するのは間違いである。その時代の諸国は、戦力に訴えて領域を拡大し、貧困や自国の安全に関する問題を解決しようとした。そのような情況下で、これらの方々の情況を、単に加害者:大日本帝国、被害者:慰安婦であった方々、という単純な図式で扱うことは、あまりにも無知無謀であることを、既にブログで述べた。
 従って、経済協力金として支払われた当時の韓国の国家予算の倍以上のお金の8億ドルと、日本に属する在韓資産(米国の見積もりで50億ドル以上)の放棄と引き換えに締結した日韓基本条約は、戦時のことは歴史の方向に置き、その後は将来の方向へ向いて両国の関係を考えようというものだった筈である。その時以後は、戦時の問題は特に新たに見つかったこと以外は、韓国自身の手で解決すべき事である筈である(2009年8月14日、ソール行政裁判所;http://ja.wikipedia.org/wiki/日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)。
 それにも拘らず、韓国が慰安婦像を米国などに設置する目的は、現在の政治において何らかの目的の為に、慰安婦の件を利用しているに過ぎないのではないか。過去に性を売ることを実質的に強制された自国民と、そのような情況になる様に我が子を業者に売った自国民、日本への併合を余儀なくされた無能な当時の韓国政体(李王朝)を、世界に宣伝するのは恥ではないのか。敢えてそのようなことをするのは、自国と自国民に降りかかる被害など見向きもしないで、敵を攻撃する自爆テロ的行為ではないのか。自国民と自国の歴史を侮蔑する行為を敢えてして、日本を攻撃してまで自分達の政権安泰を図るのは、利己的なテロ的行為である。

2014年8月6日水曜日

慰安婦問題:朝日新聞の検証に対する5人のコメントについて

 8月6日の朝日新聞朝刊を買って、慰安婦問題特集を読んだ。昨日の朝刊に前半が掲載され、今日はその続き及び知識人のコメントが掲載された(1)。日本側から、秦郁彦、吉美善明、小熊英二の三氏がコメントを寄せている。秦氏以外はほぼ同じ主張である。要するに、現代的視点であの戦争時のことを、女性票を得るべく行なう選挙演説のように攻撃しているのである。あと、米国から二人の寄稿があった。これも、女性の人権が無視されたことが問題であり、いつまでも日本軍による強制連行があったかどうかが問題であるなどと言っていては、世界中から反感を買うだけだという意見であった。吉美氏や小熊氏とほぼ同じ意見である。つまり、それが朝日新聞の衣替えした主張なのだろう。
 
 ここで手記を寄せた秦氏を除く4人の方々は、実際にあった事を丁寧に検証し、過去の情況を背景に考え、法理論に照らして判断するという、現在の裁判で行なわれているような手続きでもって処理しても世界には通じない、世界は”情”で動いていると言いたげである。

 秦郁彦氏によれば、前回の検証(1997/7/31)では、吉田清治氏の証言をもとに書かれた記事(1982/9から10数回)に対する評価は依然曖昧であった;しかし、今回(8/5)吉田証言を完全に虚偽だとして、それらの記事を取り消した点は評価できる;しかし、慰安婦に関する個人的犯罪を持ち込んで、議論を曖昧にしているなど、不十分な内容である;ということである。また、同じく議論を曖昧にするためか、米軍がビルマで捕虜にした慰安婦達からの尋問報告から、その境遇について、“一ヶ月に当時の金で300円-1500円の稼ぎを得て、(中略)「都会では買物も許された」”と引用したくだりを今回は落しているとのことである。 

 私は、5人の感想文を読んで、秦氏以外のものには全く同意しかねる。そももそ、この歴史的出来事を、被害者と加害者という単純な図式で理解しようとする、朝日新聞の論調に協調する二人の方々や米国の評論家二人の知性を疑う(2)。慰安婦問題になると感情的になるのかも知れないが、”厳密に真理を追求し、論理的に法を適用する”という近代文明社会の礎を、無視しているのである。韓国の方々や、手記を寄せた秦氏以外の二人の日本人の方々と米国二人、そして多くの慰安婦像設置に協力している方々に問いたい:真実と論理を最優先する近代文明社会の礎を何と考えているのか。

 秦氏が書いているように、1)日本政府或いは日本軍による強制連行があったかどうかという点、そして、2)慰安婦の日常が性の奴隷的であったかどうかの二つの点が、加害者が日本国かどうかを決めるのである。軍など公的権力による強制連行が本当に行なわれ、或いは、日常が性奴隷(3)と言える場合には、当時の日本国を継承する現在の日本国が賠償責任を負うと思う。その厳密な意味での日本国に帰する責任の根拠は、今のところ何もないことを、今回の朝日新聞を含めて全ての日本の新聞が認めたことになる。

 今回寄稿した秦氏を除く日米4人の方々の主張の中で、真実として受け入れられるのは、次の一点である。つまり、慰安婦の方々は、多くは本人の意志の確認が無いまま売られたりして集められ、人生の多くの時間を苦悩で埋められてしまっただろうという点である。その境遇は、たとえ兵士の10倍の収入があったとしても、又、町に買物に自由に行けたとしても、多くの人は悲惨であったと感じただろう。仮に、収入として得た大金の一部を、家族に送金していたとしても、慰安婦の方々は被害者であると言えなくはない。ただ、加害者は誰か?その性を買った兵士達か?戦争を吹っかけた国か、吹っかけられた喧嘩を買った国か?彼女らを売った親達か?それとも、彼女達の稼ぐ金で生活を維持した家族たちか?答えが論理的な議論の帰結として出せるのなら、出してもらいたい。その場合の加害者として日本国一国が名指しで非難される言われは無い。
 
 ただ、歴史の責任が国家にあるというのなら、その加害者は間違いなくそのとき戦争に加わっていた国家群である。その中でも、日本国家が筆頭にくるだろう。しかし、その時の日本国には現在の韓国もふくまれることも忘れてはならない。従って、韓国が一方的に日本国を非難する事ではない筈である。それにも拘らず、現在の日本国が現在の韓国に謝罪すべきと、現在の韓国民が主張するのなら、その加害者としての位置に現在の日本国民が来ることになる。それは、一日本国民として我慢がならないし、もしそうならば、韓国民を日本国民の敵として看做さなければならないだろう。(4)
 
 米国が慰安婦像を9個も設置し、慰安婦を題材にしたミュージカルをニューヨークで演じるなど、この問題に関しては非常に積極的である。私の持論であるが、米国は原爆投下の罪を無くすことは出来ないので、何かで相殺したいのである。以前から、「あのとき原爆を落さなければ、日本国民と米国軍人の命が数百万人失われていた筈だ」という言葉があった。しかし、今一つ自分達でもピンとこないので、何か別のものが欲しい。その候補として、慰安婦を考えているのだろうと思う。 

 私が強調したいのは、「真実と論理」に判断の基準をおくことが、聖書の昔から、人間が人間たる所以である。その原点に戻るべきだと思う。 

注釈: 
1)朝日新聞は購読していないので、未だ十分読んでいない。今日の新聞はスタンドで購入して読んだ。
2)政治的意図を含むと考えれば、十分知性的ではある。
3)奴隷の定義は以下のようだと理解する:強制連行で移動させられ、そこで金銭的代償なしに働かされる。働かない場合には、暴力を振るわれ、命の保証もない。
4)職もなく喰う当ても無い女性が、不本意ながら売春婦として働き、自分と家族の糧を得ることが、歴史的にも今でも現実には存在する。彼女らも人類の社会における被害者と言えなくはない。ただ、加害者として単一の存在を特定できないだけである。

2014年8月5日火曜日

理研笹井副センター長について(*1)

 理化学研究所笹井氏の自殺を、大きなショックを受けつつ聞いた。この残念な出来事の原因の一つは、理化学研究所がだらだらとこの問題を引きずったことであると思う。この件、ブログに書いた様に、首謀者を処分してさっさと幕を引くべきだった。再実験など意味がない。
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/06/stap.html
科学研究にはデータを間違って読み、誤った論文を書いてしまうことはあり得る。その場合は、論文を取り下げて、そのテーマにかんしては何もなかったことにすれば、勿論軽率さはマイナス評価の原因になるが、一応研究者としての責任を果たしたことになる。
 再現実験を監視カメラや監視員の存在下で行なうことなど、非常に愚かなことであると思う。
http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/07/blog-post_7.html
拷問にかけて、自分がインチキをやりましたと白状させようとしている様に見える。また、この問題を一年以上引きずることは、主要な共著者にはたいへんな負担になる上、研究所全体の研究能率に大きくマイナスになると思う。
 何よりも大きな損失は、笹井副センター長という日本を代表する知性を、このような形で失ったことであると思う。
 
謹んで、ご冥福をお祈りします。

*1:この件でブログを書くのは、非常につらいことである。しかし、ブログにSTAP問題を書いて来た者として、一言書く責任があると考えここに小文を掲載する次第です。

ガザ地区での悲劇から学ぶこと:異文化間の同居は困難

 昨日のひるおび(CBC)というテレビ番組であるコメンテーターが、「四国には大雨が降って大変である。しかし、パレスチナのガザ地区には爆弾が降っている」という話をしていた。  このイスラエルとパレスチナの闘いはほとんど終わることはないだろう。現代の異文化間の生存競争の一つであり、この闘いから我々は国家間の本質的関係を、そして異文化の同居の困難を学ぶべきである。「命は地球より重い」という日本の常識的な言葉が如何に軽いかを教えてくれる。過去、中東はキリスト教徒とイスラム教徒との生存競争の場であった。トルコのカッパドキアは、地下の町であるが、キリスト教徒の隠れ住んだ場所である。そこに住む人々の暮らしを、過去に戻って想像すれば良い。  我々、四方を海という何よりも強固な防御空間に囲まれた地域に済む人間は、この現実を忘れがちである。しかし、海をわたった朝鮮半島や中国の住民は、その感覚を持っている。その差を、常に念頭において、国家の対外政策は進めるべきである。  特に危急の問題は移民政策や海外労働者の受け入れに対する政府の姿勢である。これは不可逆過程であり、一度決断すれば、元にもどれない。この日本国を中国に乗っ取られる危険性は、尖閣諸島問題などではなく、移民受け入れにあると思う。カナダのバンクーバーでは、現在1/4近くが中国人だそうである。中国語の看板が遠慮なくあちこちに現れ、伝統的なイギリスとフランスからなるアイデンティティーが失われつつある。そして、香港をまねて、バンクーバーはホンクーバーと影で呼ばれているそうである。

2014年8月4日月曜日

悪をまき散らす中国と対峙すべきか? 櫻井よしこさんの外交視点に疑問

 悪をまき散らす中国と対峙すべきか? 櫻井よしこさんの外交視点に疑問 櫻井よしこさんの「悪をまき散らす中国と対峙する決断を」という記事が、週刊ポストに掲載されているらしい。今日の新聞朝刊に載った同誌の広告である。買って読む気がしないので、その表題に表わされている視点にのみコメントする(注1)。

 櫻井さんが決断を勧めているのは、当然ながら日本政府に対してなのだろう。私は、日本は中国に対して損害を被ることがあれば、その個別の件に対して言うべきことをしっかり言うだけで良いし、それしか出来ないと思う。「中国という国に対して、対峙する決断をせよ」など、何を血迷っているのかと言いたい。

 中国政府と対峙する姿勢を日本国政府がとる決断をすれば、反作用として、中国政府は日本政府に対して対峙する姿勢をとる。それは決して、両国の利益にならない。そして、強大な軍事力を持つ中国と対峙する決断をするなんて、まともな軍隊も持たない日本国に出来る相談ではない。憲法を改正して軍隊を持ち、核武装もしっかりしてから言うのなら兎も角、今の日本が櫻井さんのおっしゃる様な決断をすることは、場合によっては自殺せよと言っているに等しい。

 基本的な点で、櫻井さんは勘違いをされているのかもしれない。それは、国家と国家の関係は地球政府が出来るまでは、本質的に”野性の原理”が支配しているということである。つまり、飛び抜けて強大な力をもつ国家があって、それが他の国をどんどん侵略して行っても、罰する権威は存在しない限り、それが後世の歴史に淡々と記述されだけである。大航海時代から西欧の植民地支配に至る歴史を、後世になって裁くことになったのか?そんなことにはならない。

また、”悪”とはなにか解っておられないようだ。野性の原理が支配する空間において、生き残った存在が、滅ぼした存在に対してとった行為を、その空間に秩序と権威が出来た後世に、形容することばが”悪”なのだ。もちろん、権威が生じた以後、そのようなことは禁止される。しかし、時計の針は逆戻りをして、その悪を罰することはない。広島と長崎の原爆を忘れたのか?中国と対峙せよとおっしゃるのなら、米国からその賠償をとる手段を発表してからにしたらどうか。(注2)

 以前に、櫻井よしこさんが、靖国参拝について書いたコラムを批判したことがあった。もう一度、ここでrefer:http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.htmlして、この短い文章を終えたい。

注釈:
1)南沙諸島の一方的な領有宣言、尖閣諸島に対する対日姿勢、南シナ海でベトナムの主張を無視しての石油掘削、PM2.5のバラマキ、最近の食肉問題などを攻撃されているものと思う。全く異なっていた場合、このブログは取り消します。
2)このように書いているが、私は、米国の健全な多くの考え方を学び、日本の政治に活かすべきだと思っている。それは、独立した個人、人権と平等の原則、法と正義による支配などである。現在、日本国にとっての最も大切な同盟関係は、日米の関係であることも疑う余地はない。ただ、米国と日本の関係は、国家と国家の関係であり、基本的には利害が支配する関係であると考える。

2014年8月3日日曜日

武器輸出3原則の見直しについて;時事放談を見ての感想

 今回の時事放談のテーマは、安倍総理が日本の世界に向けた看板である、平和主義を放棄しつつあるという話の内容である。ゲストは元自民党幹部議員の古賀さんと野中さん。両ゲストは、集団的自衛権行使を解釈改憲で可能にするという閣議決定を含め、日本の平和主義放棄を、国民は不安を持って観ているという発言であった。滋賀県知事選で、国民の一部ではあるが、野党系が(と言っても、前知事派)勝利したのがその証拠であるという。
 
 私に考え方も、両議員と似ているが、「武器輸出3原則の見直し」は安倍政権の最大の愚挙であると考える。日本国も、憲法を改正して自国軍を持つべきであると思うが、その目的は自衛であり、国際紛争には拘るべきではないと思う。その姿勢を、一番安上がりな武器輸出3原則堅持で、世界に示すべきであると思う。安倍総理は、武器輸出3原則の見直しを、“同盟国に少しでも協力出来ることは良いことで、その上経済的にプラスになる”程度にしか考えてないだろう。

 世界は現在かなり流動的であり、米国が絶対的権力の地位、世界の警察官という地位から降りようとしている。そして、日本は米国のほとんど属国であることは事実であり、日米安全保障条約は米国が切るまで放棄出来ない命綱かもしれない。日本が中東などの紛争地域に出かけずに、平和主義の看板を降ろさずに済んだのは、米国自身の考え方に基づいて制定した日本国憲法があったからである。その憲法9条と平和主義を唱った前文の精神を、選挙を経ないで事実上放棄しようという、安倍政権のやり方には反対である。また、その強引な手法に反対の声を上げて、意味のある行動をとろうとしない自民党議員や公明党議員達は、完全な政治屋であることを自ら証明している。知性の無い愚かな人達である。

 平和国家というイメージは、日本の財産である。それは自国軍を持たないし他国の軍事増強には協力しないという、自縄自縛の中で造り上げた財産である。戦後70年間貫いたその姿勢を放棄することは、完全に普通の国家、徴兵性で兵士を調達する軍隊を持ち、自国の利益となれば同盟国の侵略に協力する前近代的ともいうべき国民国家の方向に、大きく舵を切ることを意味する。国民は、そして、国会議員は、安倍総理の本を再度読み直し、この知性を欠く総理に日本国を任せて良いのかを、再度考えるべきである。