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2014年8月21日木曜日

国家は大企業の下僕、国民は国家の下僕か?

 日本国は外国人労働者の受け入れを検討している。一度受け入れると、彼らは帰らない、かれらの両親や家族も呼び寄せられるだろう。つまり、移民となる。フランスやドイツでも、移民の受け入れによる様々な問題に苦しんでいる。例えば、突出した犯罪率など社会不安が増大する。おそらく、仕事における差別や、受け入れ態勢不備により、在日外国人の不満が充満し、社会が不安定化するからである。(例えば、川口マーン恵美、週刊新潮8/28号)

 現在、安倍内閣は、経済界の下僕となって、日本国の形を好ましくない方向に変えようとしているように見える。

 移民と外国人労働者は違うという自分勝手な考え方は通用しない。自分勝手とは、移民となることが解っていてもそれを誤摩化す自民党政権の屁理屈であり(1)、外国人が日本人(の若者)が嫌がる仕事だけをやってくれて、仕事が済んだら自国に引き上げてくれるという、日本国民の勝手な考え方である。その嫌な仕事をして年老いた人の老後の面倒も、日本人の老人同様に国民全体でみなければならない。また、宗教の違いや近所付き合いなどの違いなどが、コミュニティーのあり方に深く影響するが、そのようなことは議論されてないだろう。

 土木作業員や介護士などが不足しているのは、若者がそのような仕事を嫌がるからである。社会において必要な仕事を、誰かがやらねばならないのは当たり前である。日本社会が、そして、国家行政(文科省、厚生労働省、総務省)が、経済の発展に伴って若者に生じた、「自分に適した仕事がしたい」という甘えた考えをそのままにし、「働かざるもの食うべからず」という社会の原点を忘れるがままにしたことが大きな原因である。そして、大企業から労働者が必要だという声が上がれば、外国にそれを求めるべく、国家と言う国民の家の扉に、古来より厳重にかけられていた鍵を、簡単にあけようとしているのである。

 日本の文化に無知で無関心な外国人、自分達の母国での文化を持ち込もうとする外国人、そしてその労働者とともに家族や親族が、貧しい国から豊かな経済の魅力にだけ惹かれて来日するだろう。そして企業は確かに安価な単純労働を手にいれるが、彼らはその後生じる様々な行政上の困難の責任は取らない。

 日本国国民を主人公にして考えれば、労働人口の減少も、少子化も必ず問題解決の方法はある。移民を受け入れないという制限付きの国民の最大幸福を実現する、多変数を扱う数学的問題と考えれば良い(2)。従って、多くの解(パラメータ)の値は当然外国人移民を考慮に入れた場合とはことなる。その結果、若者が嫌がる仕事の労働賃金は上昇するだろう。
 要するに、社会には多くのパラメータがあり、その一つや二つ、つまり建設業や介護事業などの今後の人手不足を解消するという単純な問題として考えては困ると言っているのだ。

 安倍さんに学んでもらいたいことがある、それはエントロピー増大の原理と偏微分である。国家の扉を広く開けてしまうと、混ざってしまった人間や文化により生じた困難は、その扉を塞いでも元には戻らないのである。偏微分は本当の勾配ではないのだ。国の行政でも人生でも、多くのミスは偏微分を全微分と思ってしまう(或いは、変数の数を少なく見てしまう)ことにある。(3)

注釈:
1)中央であれ地方であれ、何か事業を始める時には、行政はプラス面を過大評価、マイナス面を過小評価して計画を発表する。年金制度や資金を使ったグリーンピア構想、熊しか通らない高速道路の建設前の利用度予測、本四架橋の利用度予測、これらの補修費の予測、などなど、行政の全てが官僚どものインチキ見積もりで計画される。最近では、オリンピックの競技場改修費の過小見積もりなどもあった。これらは、関与した公務員は左うちわで、誰の責任にもなっていない。
2)パソコンなどでモンテカルロ法的にシミュレーションすれば良い。
3)このように持って回った言い方をするのは、複雑な問題を単純化しすぎる文系の指導者への警告の気持ちがあるからである。

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