注目の投稿

人類史の本流は中華秩序なのか、それとも西欧型秩序なのか

1)米国が露呈させた中国共産党政権の真の姿と日本の課題   日本が抱えている最重要な課題は、コロナ問題や拉致問題等ではなく、表題の問に対して明確な答えと姿勢を持つことである。短期的な経済的利益に囚われないで、現在が世界の歴史の方向が決定される時なのかどうかを考えるべきである。...

2015年3月5日木曜日

真善美について:定義

1)真とは

真とは真理のことである。“真理とは、言語を用いて整合的に記述した世界(過去から未来への時間的変化も含む)の、夫々の要素の命題(注1)を言う”。

“真理の定義なんて、何を今更”と考える人が大半だろう。しかし、“ことばを媒介しないで、真理は定義できない”ということから、上記のような定義に思い至った。そして、過去から未来に亘って世界に居るのはたった1人、自分だけであるとしたら、言葉は不要であり、従って真理も虚偽もないだろう。

ここで、これら命題の全体としての集合は、ことばの定義になっているとも言える。つまり、ヨハネによる福音書にある様に「はじめにことばがあった。全てはことばによって創造された。」ということになる。(1)地球は西から東に回転する;(2)太陽は東から上る;(3)北は北極星の方向である;(4)上る或いは登るは、下方から上方への移動を言う;などの命題も互いに整合的であり、真理(或いは真実)である。これらの命題は、東西南北、太陽、地球、上下、時間などの言葉の定義とも関係している。従って、言葉が存在すれば、真理という概念は必要がないと言えそうだが、虚偽(うそ)との対立概念としての必要性はある。(注2)

以上から、真理全体は人が世界の中の一員であることを確認・記述する行為として、言葉を用いて創造された命題の集合と言える。

2)善とは

善とはある社会にとって良きことである。善人と悪人については既にブログで議論した。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/12/blog-post_5.html ウイキペディアでは、善を“社会的な規範において是とされる存在、行為” http://ja.wikipedia.org/wiki/善 という定義が紹介されている。

善を宗教的な概念と考えることもあり得る(注3)。この場合は、その宗教の聖書に善と記述されたことが善であり、悪と記述されたことが悪になり、善悪の判別は容易である。

社会を特定した場合その中での善は、その社会の枠を換えることによって、悪に反転することがある。また、時間の経過により、善は悪に反転することもあり得る。人類全てを対象にした仮想的な社会を想定すると、善は“人としてのあり方”という抽象的な概念となり、上記のような反転などの揺らぎがなくなる。その場合、善なる思想や行為は、倫理学の対象となる。

3)美とは

美とは視覚や聴覚によって“良きもの”と判別した印(ラベル)である。これについても既に議論した。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/07/blog-post_56.html

広辞苑の「美」の哲学的定義によれば、“知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの”となっている(第二版、1845頁「美」)。また、美味という単語にあるように、味覚(感覚の一つではある)にまで美という概念を持ち込むこともある。更に、美しい人生の様に、ほとんど“良い”と同じ意味で用いる場合もある。これらの用い方は、個人の好みを越えて“美”が成立しないので、美の定義領域の広げ過ぎであると考える。

例えば、視覚によって美と判別される“形、色彩、動き”は、より良い機能、より深い真理、より大きな善、などを人の心の中に想起させ、快感(注4)として受け取られるものである。つまり、美とはそのような景色、絵画、写真などを形容する“一次元座標のプラス軸につけたラベル(注5)”である。

注釈:

1)つまり、A:地球は丸い;B:地球は太陽の廻りを廻る;C:地球は惑星の一つ;D:地球上に人類は生息する;E:太陽は太陽系の中心に位置する;F:太陽は恒星の一つ;G:地球は太陽の内側から数えて3番目の惑星など、地球に関する記述(命題)は無限と言って良い程多く存在する。それらは互いに矛盾すること無く、体系をなして現実に対応している。
真理の哲学的定義として、真理の整合説(他の命題と整合的な認識が真理であるとする。)や真理の対応説(「思惟」と「事物」が一致ないし対応していることが真理であるとする。)があるが、上記真理の定義はそれら既存の定義に矛盾していない上に、より進歩したものであると思う(思い込みかも)。http://ja.wikipedia.org/wiki/真理
2)上記ウイキペディアには、真理の余剰説というのがある。
    3)英語で、善はgood悪はevilである。goodはGod(神)から派生した言葉であるので、最初は宗教的に定義されたものだろう。ただ宗教(民族宗教)は、元々社会を構成員する人々の結束を目的としたと考えられ、その場合の宗教的な善は社会規範としての善に一致する。(ユダヤ教はユダヤ民族の宗教として存在する)
4)快感とは、広辞苑では「快い(こころよい)と感じること」とある。また、“快し”とは、気持ちがよい、心中にわだかまるものがない、愉快である。気分が良いなどと書かれている。一言で言えば、「再現可能であればそれを望む感覚」と言えると思う。
5)X軸は日付でY軸は価格を表わすというグラフの場合、その日付や価格をラベルと定義する。従って、ここではマイナスの美が醜ということになる。

ーーーーコメント歓迎しますーーーー

0 件のコメント:

コメントを投稿