2015年4月30日木曜日

韓国は安倍総理の米国議会での演説において、一体何に謝罪しろと言っているのだろうか?

1)第二次大戦中、旧日本軍は戦地に売春施設を設置したことは確かだろう。そして、それが軍の移動に従って売春婦(従軍慰安婦)と伴に移動したこともまた、確かだろう。韓国を含めた当時の日本各地から(注:次のセクションをご覧下さい)そこで働く女性が集められたことも事実である。そこでの女性の立場は、給与が支払われたものの、悲惨な状況であったことは想像に難くない。従軍でなくとも、希望して売春宿で働くことを選んだ人は、あの時代でも殆どいなかっだろう。人さらい(営利目的でヒトを誘拐する者)の横行、親族による子供の売買など珍しくなかった時代、経済的理由で止むなく慰安婦になったのだろう。しかし、官憲等による慰安婦の調達(強制連行)等はなかったことは、最近ようやく定説となった。 http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html

また、韓国もベトナム戦争の時、ベトナム人慰安婦を用いたことも明らかにされている。http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国軍慰安婦 その目的も旧日本軍と同じで、戦地での性犯罪を防ぐ為だったと言われている。従って、韓国に日本を批判する資格はないと思うが、その点彼らはどう考えているのだろうか。確かに悲しい出来事であり、慰安婦にならざるを得なかった方々は非常に気の毒であると思う。しかし、経済的誘惑など問題にせず、慰安婦に絶対にならないと本人と親族が伴に強く決めた場合、強制連行がなかった以上、ならなくて済んだ筈である。貧しい時代しかも戦争下という極限状況の下のことであり、現代人にとってその状況を想像することは難しい。

この件、韓国の非難を考慮して、過去の日本のリーダー達は何度もお詫びをしている。一方、韓国と日本は1965年に平和条約(日韓基本条約)を既に締結している。更に、多額の経済協力金を韓国は受け取り、過去を清算した筈である。それから半世紀経った現在、なおも繰り返して、我々日本人のトップリーダーに跪くことを要求するのは傲慢だろう。もはやそれは過去の問題ではなく、現代に生きる我々日本人への新たな敵対行為だと言わざるを得ない。

2)韓国を日本が植民地支配したと言うが、実際には韓国は日本に国際法上合法に併合されたのである。つまり、韓国は日本の植民地ではなく日本の一部だった。その証拠に、日本の四国や中国地方に存在していない帝国大学が、韓国に設置された。日本の一部としてインフラ整備なども積極的に行なわれ、西欧諸国の植民地支配とは異なる。現在の朴韓国大統領の父親も旧日本軍の将校だった。http://ja.wikipedia.org/wiki/朴正煕 西欧型の植民地であれば、そこの人間が宗主国の軍の将校になるだろうか?それらの事実を抜きにして、”植民地”という言葉を使って日本統治を批判するのは如何なものか。

実際、国際連盟の調査団も、満州国は日本の傀儡政権が統治していると判断をしたが、韓国が日本の一部だったことには何もクレイムがなかった筈。確かに、日本から来た朝鮮総督が韓国を統治したことは、韓国人のプライドを害したと思う。しかしそれも日韓基本条約締結で、解決済みであると思う。

更に、安倍総理は米国議会で演説したのであり、日米関係に焦点をあてた内容だった筈である。そこに、明示的に韓国への謝罪がなかったという理由で、非難するのは理解に苦しむ。(5/1午前7時、編集)

タンポポの 綿毛に過去の 勇姿なし
Dandelion! Time flies

2015年4月28日火曜日

二つの政治体制(エリック・リー氏の講演)について:

4月25日(3日前)の記事で、エリック・リー氏の二つの政治体制の物語(Atale of two political systems 2.1M views Jul 2013、 http://www.ted.com/talks/eric_x_li_a_tale_of_two_political_systems/transcript?language=ja)を紹介して、そこから民主主義について考えた。そこではエリック・リー氏のこの講演を傾聴に値すると書いたが、その内容、特に中国現体制の評価については注意して読む必要があると思う。

それは、中国の現体制が現在の西欧民主主義体制と並ぶものであり、今後そこからより高いレベルへ進化する方向にあると考えるリー氏の高い評価は、現時点では疑問だということである。そして、今後20年程度経過しないと現体制の延長上に中国があるかどうかは判らないと思う。

その根拠であるが、リー氏はあたかも、現在の中国共産党内において互いに能力を競うことによって昇進者が決り、最も能力の高いものが主席にまで辿り着くという体制が出来ているかのように書いているが、その評価は高すぎると思うのである。

現在主席の周近平は、多くの候補者の中から能力に関する競争で勝ち残りトップになったのではなく、命を賭けた戦いで勝ち残ったという方が正しいと思う。つまり、平和な環境下での競争ではなく、ルールも何もない生存競争的な政治闘争の中での勝ち残りだろう。

勿論、習主席の改革により、今後法と正義の下での競争原理が国家のエリート集団に持ち込まれ、国家のトップまで公正な競争で決定される様になる可能性があるが、現時点でリー氏の言う二つのMetanarrativesという括りで、民主主義と(中国の現体制の基礎となった)共産主義という政治体制を論じるのは間違いだろう。そして、リー氏が高く評価する中国の体制が、将来に亘って成立し得ると判断される時には、中国のエリート集団は共産党員という名称では無くなっていると思う。

既に指摘したように、中国の共産党大会でも“起てうえたる者よ、今ぞ日は近し
。さめよ我がはらから、暁は来ぬ
。暴虐の鎖たつ日、旗は血に燃えて、海をへだてつ我等かいな結びゆく。いざ戦わんいざ、ふるい起ていざ
。あゝインターナショナル、我等がもの。(英語の歌詞も主旨は同じ)”の歌を演奏して、共産党大会などの公式の会合を開く

一方、寒村の民衆は飢えていても、共産党幹部は何十億円にも上る財産を築いて、米国に逃げる用意をしている。その矛盾を抱えている事実に近くで接する一般市民なら、或いは中国の広報担当でないのなら、あの様な発想の話は出来ないだろう。

2015年4月27日月曜日

東アジアでの勢力図を、中国v.s.日米という形でより鮮明に描くのは賢明ではない

===東アジアでの国際的勢力圏を、日本側から中国v.s.日米という形で鮮明にするのは賢明ではないのでは?そして70年談話では、村山談話を過去形に変えて明示的に引用したらどうか。=====

国際的な勢力図における東アジアでの境界線が、凡そ日本列島、琉球列島と中国との間を通るだろう。その境界線がより鮮明になる様に外交戦略をとることが、将来の日本の安全保障を考えた場合、有利なのか不利なのか熟慮すべきであるが、安倍総理はその答えを得ているのだろうか。最近の安倍総理の姿勢を見ると、中国と日本の間の溝を敢えて深める戦略をとっている様に見える。ニクソン大統領の時の様に、突然に”a bridge over troubled water"が架かることに、十分注意が必要だと思う。

米国議会での演説が気になるが、恐らく、バンドン会議の時と同様、先の戦争での東アジアにおける侵略と植民地支配を明示した反省の言葉は無いだろう。中国と韓国はそれを問題視しているので、仮に未来志向で平和と安定に寄与したいと言ってみても、上記勢力圏の境界が深くなるだけだろう。

村山談話などで先の戦争に関する反省は述べている。従って、再度反省の言葉を現在形で入れる必要はないだろうが、「東アジアにおける侵略と植民地支配に反省を述べた村山談話を、現政権も受け継ぐことに代わりはない」という具合に、地域を特定せずに過去形で言及すること(注1)が良いと思うが、如何だろうか。

韓国の併合は、植民地支配とは全く異なることである上に、第二次大戦とは直接関係がない。侵略かどうかは、立場によるので明示的に述べる必要はないと思う。また、戦時中の犯罪行為も平和友好条約や基本条約で解決済みと考えるので、明示的に言及する必要は無いと思う。

注釈:
1)村山談話の内、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」の、最後の”表明いたします”を過去形にして、”。。という村山談話での反省の言葉を将来に亘って引き継ぐ”と70年談話に入れては如何と言う趣旨。

==理系人間の戯言だという批判でも結構です、根拠と伴に頂ければ幸いです。==

2015年4月26日日曜日

若者の間での凶悪犯罪を考える:感情を共有出来ない人の増加

1)今朝のテレビで、痛ましいあの事件が報道されていた。ある少女が知人である少女を、金銭トラブルを理由に男性数人を使って殺し、土中に埋めたという、千葉での事件である。最近この類いの事件が増加している。

この種の事件の報道に触れる時何時も思うのは、犯人と被害者の間に殆どコミュニケーションが成立していないことである。何故なら、数万円か数百万円か知らないが、殺人及び死体遺棄の加害者と被害者になる程の事ではないので、話が通じれば何らかの別の解決法があった筈だからである。

金銭トラブルから互いに感情的になり、殺人に至ったのだろうが、その直前まで犯人側のいらだちが被害者にほとんど伝わっていないのだろう。また、犯罪行為の際、被害者側の悲惨な状況や恐怖が、その1/1000も犯人側に伝わっていない(注1)。それは、少なくとも同じ場所を共有する人同士なら、見ず知らずの間でも感情を共有するという人間本来の性質が、この若者達には存在しないことを示している。言葉を用いることが出来、且つ、感情が共有できる人間として生まれていながら、言葉を失ったライオンとシマウマの様な存在になっているのだ。

2)一般的に、言葉でコミュニケーションをとる場合、その前提として、同じ物理的且つ言語的空間に、自分達は居るという確認がなされる必要がある。それは、人間同士であるという確認、そして、コミュニケーションの目的の確認である。通常それは、両者の間に生じている雰囲気で言葉を用いずに自然進行的になされる。雰囲気或いは日本人がよく用いる“空気”は、感情の共有の別の表現である。

人は社会を作って生きる動物であるため、人と人の間には無条件に親和的感情が存在し、それを背景にして会話、つまり、コミュニケーションをとる。つまり、コミュニケーションを始める必要十分な条件は、この人と人の間に存在する親和的感情だと思う。もちろん、争いの際も悪意を持ったコミュニケーションが当事者間でなされるが、それはそれまでに積み上げた善意のコミュニケーションがあったから存在しうるのである。もし、最初から人と人の間に悪意だけが存在するのなら、例えば、他人は縄張り争いの相手でしかないのなら、言葉による応酬はなく、出会った瞬間から物理的攻撃が始まる筈である。

この人同士の感情の共有は、あらゆる文化的活動の必須条件であると思う。ドラマを観て、ある場面で貰い泣きをし、別の場面で主人公と同じ怒りを感じるのでなければ、文学も何も存在しないだろう。その感情を共有する能力を先天的に欠いているのが、サイコパスだと思う。ニューヨークでも10万人くらいサイコパスの人がいるというのだから、それに近い心理構造をもった人はそれ以上いるだろう。サイコパスの人にとっては、他人は自分の利益の為にしか存在する資格はない。

感情を共有する性質の導入は、幼少期から少年期に育児や初等教育の過程でなされると思う(注2)が、その段階で十分訓練がなされない場合、サイコパス的な人が増加するだろう。それが最近苛めなどが増加している本質的な原因だと思う。どの様にして、正常化するかは、次の機会に考えることにする。

注釈:
1)戦場などでの相手を殺さなければ、自分が殺されるという状況ではない。加害者と被害者の立場では、加害者には想像力などが働く程度に十分な心理的余裕がある筈である。
2)少年期には残酷な性質が誰にでも残っている。従って、苛めは心理的未成長な子供に起こる現象であると思う。

アゲハとさつきの間のコミュニケーション? 今朝撮った写真である。

2015年4月25日土曜日

民主主義は中国に不要か?

中国は最近、世界経済を牽引していく存在であることを主張している(注1)。人口は世界第一位でありGDPは米国に次ぐ第二位であるから、どのように動いても、世界に与える影響は大きい。ただ、その動きはトップ一人の頭脳の作用に大きく依存するという点で、民主主義国家を標榜している英米中心の世界に不気味に思われている。中国の動きを予測することは、西欧民主主義の視点では困難だからだろう。

中国は共産党一党独裁国家であり、党大会ではあの“立て飢えたるものよ”で始まるインターナショナルを演奏する国である。また、共産党宣言には、暴力革命も辞さないと書かれている。それらを放棄していない限り、中国の未来を眺める視野には、暴力的な世界(アジア)制覇までも含まれているかも知れないと疑うのである。つまり、民主主義政治とともに発展した西欧の近代的科学技術文明は、一党独裁の統一世界(アジア)を誕生させる栄養剤かもしれないと恐れる。勿論、そこでは漢民族は特別の位置を持つ。日本に過去の戦争の歴史を反芻せよというのなら、中国も自国の上記政治制度とそれが周辺国に恐怖感を与えていることを、十分反芻すべきであると思う。

以上は幾分民主主義国家の視点から観た中国像かもしれない。一方、在米中国系の投資家・評論家のエリック・X・リー氏は、国家主席に習近平がついて以来、中国の国際的地位が向上したのをみて、「いつの日か、民主主義が正当で効果的な唯一の政治的ガバナンスの形態だという考えが終わりを迎えた日としてみなされるかもしれない。」と講演で述べた。 http://www.ted.com/talks/eric_x_li_a_tale_of_two_political_systems/transcript?language=ja (最後のjpをenに入れ替えると元の英語の文章が表示される。) リー氏の講演では、共産主義と民主主義はともに20世紀に現れたMetanarrativeであるという話から始まる。metanarrativeは(metaな物語の意味(注2))、正統(ortho)ではない“全体的総合的な話”の意味であり、多くは批判的に用いられる。そして、20世紀の後半、共産主義という大きなモデルが行き詰まった様に、民主主義というもう一つのモデルも現在行き詰まっていると言う。

共産主義と民主主義は両方ともmetanarrative(s)という指摘は、私的な解釈だが、二つの主義は単なる政治システムの”骨組”に関する大きな話のレベルの概念であり、現実には、各国の民族性や文化に依存した”脳、筋肉、腱、神経”などを取り付けて、夫々違った政治システムが相応しいをとっているのだろう。民主主義が上手く働かないというのは、既にチャーチルが言った通りであるが、その言葉を西欧社会はその後反芻していない。リー氏の講演を聴いて、民主主義の欠点をどう克服するかを考えるべきだろう(注3)。

リー氏の主張を更に解釈すれば、「どの地域でも夫々独自の政治的発展があってしかるべきであり、中国はMetanarrative的な“共産主義社会”を直線的に目指して失敗した時代から、中国独自の“地に脚のついた”一党独裁体制となり、それが実績とともに現実的体制として確立した」、そして、「その体制は中国独自であるが故に、他国に輸出される訳ではない」と言いたいのだと思う。

“民主主義国家では、選挙で行政の担当者を選ぶことに対して、中国では能力で要職につく人を採用し、能力を競わせることでより高い地位に相応しい人材を選ぶ。政権の柔軟性、透明性、合法性を確保する機能を合わせ持つこと(注4)で、世界史にもう一つの統治メカニズムとして定着しつつある。一党独裁国家は権力が少数の手に掌握されることで統制がきかず腐敗が広がるという考えも、正しく無い。現在、中央政治局の25名の医院のうち、太子党出身者は5名であり、中央委員会の構成員も一般家庭出身者が増えている”と主張する。

リー氏の考え方は、傾聴に値すると思う。何故なら、同じ統治メカニズムを用いて世界に広がった組織がある。それは普通の株式会社である。株式会社の社長或いはCEOへの道は、中国での国家元首の選び方とよく似ている。逆にもし、会社のCEOを社員の選挙で選んだ場合どうなるか?その会社は恐らく、競争相手に完敗し潰れるだろう。

勿論、会社は強大な国家による法規制の下、巨大な経済の中の存在である。一方、国家は強力な法規制が無い環境下、相対的に狭い地球の中の存在である。両者の組織上の比較は、その骨組みだけにしても慎重でなくてはならない。しかし、会社経営のスタイルで国家を運営されては、民主主義の建前を維持する日本を含め西欧諸国は、中国との競争に勝てないかもしれないと思う。民主主義というmetanarrativeから出発して、日本のような官僚独裁ではなく別のシステムに発展させるべきである。(注5) 

注釈:
1)アジアインフラ投資銀行の開設など。
2)metaの意味はortho, meta, paraという3つの接頭語を理解することで可能になる。orthoは真或いは正、metaは中間、変化、総合、paraは不正、不規則などを意味する。あるorthoから、新しい orthoに移る際、中間的に現れるのが metaであり、異常で将来消え去るのがparaと考えればよいと思う。
3)実際には各国いろいろな変形した民主主義を用いている。日本は官僚独裁性を民主主義でくるんだシステムをもっている。安倍政権になってから、その姿勢が強まったと、国際政治評論家の田中宇氏は指摘している。(田中氏最新のブログ記事参照)チャーチルはひょっとして、何かのシステムを包むには民主主義は最良であると言いたかったのかもしれない。
4)上記リー氏の講演の中に、例えば次の様な記述がある。”政治学者のフランシス・フクヤマは 中国の体制を 「呼応する権威主義」と呼びました。 厳密には違いますが 的を得た捉え方と考えます。 中国で一番大きな 世論調査会社があるんですが 最大手のクライアントは どこだと思いますか? 中国政府です。” つまり、”政策は調査した民衆の要求も考慮して決定し、それを実行する際に独裁的に進める”ということになる。
5)国政政治家に立候補するための資格制度を設けるのも一つだろう。会社経営や地方行政などでの実績や政治経済社会などに関する基礎知識において一定のレベル以上の者に、立候補資格を与えるのである。 (4/25/15:45語句修正と注3の追加;4/26/7:00一部本文修正、注釈追加)

ドローンと人類の不安な関係

首相官邸屋上にドローンが放射性廃棄物とともに落下していた事件は、ドローンの利用価値と危険性について多くのことを学ぶ機会を提供した。米国アマゾンが宅配に使うということ、そして、イスラエルや米国の無人兵器などで使われていることなどで、ドローン(の有用性)は既に広く知られていたが、今回はその危険性を広く宣伝したことが注目される。

今後、緻密な法規制がなければ、恐らく、平穏な休日に庭にいた人がドローンで攻撃されるという様なことが、頻繁に起こる様になるだろう。勿論、盗撮や盗み見(注1)などの犯罪は、それより遥かに多く起こるだろう。

今回の犯罪は、原発稼働反対として行なわれたが、使われたドローン危険性は、法規制が十分でなければ、原発よりも遥かに大きいだろう。何故なら、福島で起こった様な原発事故は巨大な津波が原発を直接攻撃するという、数百年に一度レベルの事態と不十分な原発設計との組み合わせで生じたことであるのと比較して、ドローンを用いた予想される犯罪は、あらゆる場所、あらゆる時間帯において生じる可能性が高いからである。つまり、我々の日常生活のパターン、そして、人間文化にまで影響が及ぶ可能性が高い。

産業界の方々は、現時点ではその利便性と経済効果に目がくらんでいる。
しかし、我々鼠にとって、ドローンはタカである。

注釈:
1)日本中の橋梁の老朽化診断をドローンですること、日本中の寺社や城の屋根を検査することなどに、ドローンは非常に有用である。それと同じ程度に、盗撮や無人殺人機としての危険性がある。利便と危険の両方を、人間社会という視点から適正に測ることが大切なのは、ドローンも原発も同じである。そのことを理解する知性は、今回の犯人にはないだろう。しかし敢えて言う。今回の犯人はドローンの危険性を周知した点で大きな貢献を行なった。

2015年4月21日火曜日

性奴隷について韓国の認識を受け入れよと安倍総理に圧力をかけるニューヨークタイムズ

ニューヨークタイムズ社説について:

http://www.nytimes.com/2015/04/20/opinion/shinzo-abe-and-japans-history.html?ref=opinion&_r=0

ニューヨークタイムズの20日の社説が、日本の、特に安倍総理とそれをとりまく人々の歴史認識に対して社説でクレイムをつけた。その社説には、日本の残虐な植民地支配と従軍性奴隷に関する韓国と中国のキャンペーンをほぼ100%正しい歴史認識として評価し、安倍総理が予定されている米国議会での演説でその様に言及しなければ、米国議会での演説は成功しないだろうと書かれている。

クリントン大統領の時代に米国自身が大規模にドイツと日本の戦争犯罪について調査したが、性奴隷などなかったという結果を得た。(「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」)http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/11/blog-post_27.html  その米国自身の調査結果など知らんぷりで、勝手なことを言っていると思う。

言論の自由、そして、真理と正義を価値の中心に置く筈のニューヨークタイムズでも、自国政府の利益を代弁して社説を書き、日本の名誉など頭の片隅にもないのだろう。

米国を代表する新聞の社説であることを考えると、この一方的だと思われる内容が米国において、そして米国政府の対アジア外交の方針において、支持を得ていると考えられる。米国政府は競争相手の中国を中心にアジアを観ている。日本については、生殺与奪の権利を持っているので、その視野の端に入れるだけで十分ということだろう。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/02/httpheadlines.html(慰安婦問題は未解決なのか?2/15のブログ)

或いは、終戦間際に広島と長崎へ原爆を投下したことに関する罪悪感を、残虐なる日本の韓国統治と中国侵略というキャンペーンにより相対的に軽減しようとする気持ちがあり、日本に嘘の歴史認識を強要することにおいて、中国及び韓国の利益と共通しているのだろう(注1)。

しかし、安倍政権がこれらの圧力を全くの正面から対抗する形ではね除けるのは、無駄なエネルギーと多くの損害を日本国家に強いることになるだろう。従って、90度違う“虚軸方向”から(注2)、後の世において力となる作戦をとるべきである。つまり、日本国もさきの戦争を詳細に再評価する作業を開始すると宣言するのである。勿論、その際に、韓国の女性を強制連行したという事実が確認されれば、新たに賠償すると宣言すると良い。

正直な話、日本の第二次世界大戦への参加と満州から中国への侵略行為は、間違った選択であっただろう。その際、軍部の暴走に関連した人達については、個人を特定した形で責任の評価が行なわれるべきであると思う。また、戦争時であるから残虐な行為も、各所でおこなわれていた筈である。更に、戦争終結を考えないで戦争を開始し、内閣の決断として戦争終結出来なかったことは、無責任な政治体制だったことを明示している(注3)。戦後、それら責任を負うべき人たちも、一括して名誉回復させたことは、愚かなことだと思う。

今回、それらの責任問題を、国際的にも十分納得の行く陣営で、再調査し報告したらどうだろうか。安倍総理は、そのような計画を米国議会で表明したらどうかと思う。

補足1:ニューヨークタイムズの社説では、日本が韓国を占領したと書いているが、当時韓国と日本は合併した一つの国家であったで、これはおかしい。つまり、まともに歴史を勉強していないと思う。

補足2:昨年政府は国連の1996年に出された人権報告(クラスワミ報告)の修正を要請したが失敗したことで、日本政府の修正依頼に根拠が無いと結論付けている。これは、吉田清治証言や済州島での調査などを全く無視した、或いは全く勉強していないで、記事を書いていることを示している。また、国連事務総長が韓国人であり、過去にその地位を利用して日本批判したことを知らないようだ。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html 要するに彼らには真実などどうでも良いのだ。

注釈:

1)平和友好条約(日韓は基本条約)締結後に、昔のことをとり上げて問題視しても、常識で考えれば、利益にならない筈である。従って、彼らは問題があると宣伝することにより、現在の利益(自国の政権を安定させることや政権の支持率)をあげているのである。その目的から考えて、最初から結論は決っている。つまり、日本国が悪者でなければその目的は達成されないのだ。

2)虚軸方向の力とは、90度位相遅れで、時間が経過した時に実軸に来る力と言う意味である。

3)無責任体制は明治憲法に原因がある。明治憲法の規定に従って、立憲君主として活動した昭和天皇の苦労は、最近出版された本で良くわかる。半藤一利他著、「昭和天皇実録」の謎を解く、文芸春秋2015/3/20 (実録を読むのは専門家でないと無理だと思うが、この本は素人にも判り易い)

2015年4月19日日曜日

アジアインフラ投資銀行と中国の企み

中国がアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立し、米国を中心に作られた金融体制への挑戦を試みる様だ。西欧から英国が最初に参加表明したのは意外に思ったが、考えてみれば自然な成り行きかもしれない。当然、米国と緊密な連絡があっての上であるだろうし、中国中心の国際金融がもし出来るとしたら、それをより健全な方向に導くために必要だと考えたのだろう(注1)。日本は参加に慎重であるし、それが正解だと思う。

現在までに加盟を表明した国は60近い。しかしAIIGに存在する遺伝子的な大きな問題点は、中国の政治体制にある。共産党の独裁体制による政治は、その中心部に多くの腐敗を抱えている。中国は公務員を出すことに一族の繁栄がかかっているというコネ社会であり、法や正義が支配する国ではない(注2)。AIIGにおいても、国際機関の形をとりながら、中国の利益を最優先する運営を行なう可能性が非常に大きいと思う。

中国が狙っているのは、北京に本部を置くAIIGに世界から金を集め、アジア各国でのインフラ投資の行先を決定し、中国企業が優先的に落札をし、中国人労働者がそこで働き、経済的政治的利益を中国が半ば独占的に得ようとすることである。当然、決済通貨は最終的に元で行なうことで、元の地位をあげる(注3)。

更に注意を要するのは、政治的に変化する兆候のない中国相手に、政経分離の考え方で経済的に交流するのは危険だということである。つまり、中国の最終目標は独裁国家中国が世界の政治を支配することだろうと言うことである。未だに中世の政治形態(独裁国家)を維持する中国に対して、経済的視点だけで近代的な仮面を持ったAIIGに参加して、中国の政治的企みに利用されるのは、愚かなことだと思う。

中国が、チベットや内モンゴルでの他民族に対する弾圧や、毛沢東時代の歴史(注2)を内外に受け入れられる形で消化した後、AIIGのような構想が現れたのなら、日本も参加すべきである。しかし、その兆候など全く無い様に見える。現在中国が行なっているのは、二階氏や福田氏、元大使の丹羽氏などを使った、日本政治の分断工作と、沖縄翁長知事を使った日米関係の分断工作ではないのか。

ヨーロッパ諸国は、拠出金はあまり出さないで、予約チケットを買うような参加の仕方をするだろうし、中国はそれでも歓迎するだろう。しかし、日本に対しては、東シナ海での軍人の強圧的な顔と経済的連携強化という経済人のソフトな顔の二面作戦で、米国に代わって日本国の実質的支配を企む筈である。米国の東アジアでの政治は、中国の経済発展がこのまま継続するようだと、日本の歓迎する方向には向かわないだろう。

兎に角、政経を分離した政策や思考は、中国相手には危険であると思う。

注釈:

1)英国が最初に名乗りをあげたことが、米国との関係を考えると意外であると殆どのメディアや評論家は述べている。しかし、如何に英米の利害が共通では無くなりつつあるとはいえ、英国が米国と打ち合わせしなくて、しかも最初に名乗りをあげるのは異常だと思う。もし、英米の関係がそのように変質したのなら、日本は日米関係も短時間に崩壊する可能性を考えるべきである。

2)世界的ベストセラーであるワイルドスワンズには、毛沢東時代の凄まじい強圧政治が書かれている。北京大学の入学も、コネ無くては実現しないと書かれている様に、正義や法には無頓着な社会である。中国が国際社会に完全な形で受け入れられるのは、この本が中国で自由に読まれる時になってからである。

3)元は未だにドルペッグ制をとっている通貨である。為替を市場に任せるなど、中国の経済体制を国際標準に近づけてから、AIIGなどの世界的試みを行なうべきであると思う。

==これは理系人間の素人考えです。反論など歓迎します。==

2015年4月18日土曜日

張本氏による三浦カズ引退勧告でネット炎上?ー不思議な現象ー

サンデーモーニングという番組の中に、元プロ野球選手の張本氏がホスト役になって、ゲストコメンテーターと伴に一週間のスポーツを振り返るコーナーがある。先週のそのコーナーで張本氏が、48歳でも尚現役で頑張る三浦知良氏の最年長ゴールを紹介した際、「カズファンには悪いけど、もうお辞めなさい」とコメント。更に、「(J2は)野球で言えば二軍だから、二軍でがんばってもそんなに話題性もない」「若い選手に席を譲らないと。団体競技だから伸び盛りの若い選手が出られない」と理由を述べた。

それに対して、ネットでは、「サッカーの『サ』の字も知らないアンタが言う資格はない」「一生懸命頑張って結果残しているカズをけなすな」「J2が二軍と同じという発言はありえない」などと張本氏への批判がすさまじい数で飛び交い、大きな騒動へと発展したという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150413-00000026-zdn_mkt-ind

張本氏は、成績が伴っていないことを暗に指摘して、現役を退いて若いものにチャンスを与えるべきだと言ったのであり、特別なことを言った訳ではない。三浦知良が14日、張本勲氏から引退勧告をされたことについて感想を述べた http://news.livedoor.com/article/detail/10004039/

そして、「引退しなくていいと言わせてみろという思いで(張本氏が)言ってくれたと思ってやります」と追加した。張本氏は憧れの存在で「そういう方に言われるのは光栄」と語った。つまり、三浦氏も成績が伴っていないことを自覚しており、張本氏の言葉が正確に伝わっている。

その三浦氏の対応に対して、ネットでは高い評価をする向きが多い。例えば、16日の深夜のラジオ番組でサッカー経験者の岡村隆史という人が、「これに関してちょっと言わしていただきますと、ムカつきますよね」と張本氏に怒りを露わにし、「カズさんの返しが素晴らしい」とカズの対応を大絶賛したとリアルライブというサイトが紹介している。(補足1) http://npn.co.jp/article/detail/84030087/

私はこの一連の“騒動”が不思議でならない。スポーツ選手は、嘗てスター選手であっても成績が伴わなければ引退するのが当然である。三浦氏も十分な活躍が出来ていないことを認めているし、張本氏はそれを言っただけである。この異常に見える現象の理由であるが、日本のプロスポーツファンは芸能ファンと同じ感覚でプロスポーツを観ていることが考えられる。日本人の筆者には、日本はここでも世界の例外的存在の様に見える。

補足1:ただ、岡村氏は三浦氏の対応の素晴らしい所を誤解している。三浦さんの対応が素晴らしいのは、張本さんの自分の成績に関する指摘には同意したものの、”自分は未だ続ける”と言って引退勧告部分を 静かに無視したところである。


立派なつぼみも大きな樹の影では開かないかもしれない。

2015年4月13日月曜日

町内会という不思議な組織

最近町内会の総会があった。町内会は、居宅周辺約60戸が所属する任意の団体であり、法人ではない。この町内会という組織は、おそらく日本全国くまなく存在し、ほとんどの住民が家族単位で会員となっていると思われる。町内会には市からの各種補助金が交付され(補足1)、それと会費(500円/月)で毎年予算を組み、住民間の親睦を図るとともに、市の行政の末端的な役割をもっている。

町内会総会は市の施設である会館で行なわれる。そして、その会館の運営委員会は、そこを利用する幾つかの町内会の役員で組織し、その維持管理にあたっている。昨年度は防犯カメラの設置や樹木の剪定などを行なったという。会館の管理費用は市からの補助金と町内会の負担金で賄っている(補足2)。

市の行政と法人格を持たない団体である町内会や会館運営委員会の”法的関係”や金銭の受け渡しの”法的根拠”など、私にはさっぱり判らない。個人でも法人でもない町内会という組織に、市が補助金を拠出することが、真に不思議である。

今回の総会で、町内会費の剰余金がかなり多くなっているので、年二回にまとめて収める町内会費を今年は一回だけ(6ヶ月分)にすることになった。また、会長職は大変なので、謝礼として年間3万円渡すことになった。本来、このようなことは規約を改正して行なうべきだと思われるが、全て出席者の採決で決定された。

この町内会では、同居者が死亡すると、弔慰金を出すことになっている。規約によると戸主或いはその配偶者の場合は1万円、同居親族の場合は5千円である。数ヶ月前にある方の配偶者が無くなったが、誰も知ることがなかったため、弔慰金は総会後に渡し、新年度の支出とするとの報告があった。

以上が、2年前から所属することになった町内会及びその総会のほんの一部を紹介したものである。年間行事は、どの町内会にもあると思われるものである。上記決定は不思議なことではあるが、総会での動議並びに監査報告に対する採決の際、挙手をして賛意を表わした。何故なら、質問などをしないことが、昨年度の役員の労苦に報いることらしいし(補足3)、この国では全てが"粛々と進むべき"だからである。

本文章は、町内会について何の意思も感情も表明するものではない。ただ、研究者が実験系を観測して、その報告を書いたようなものである。実は私は、今後の日本社会にとって、町内会は益々必要な組織になって行くと思っている。各地にある大規模団地には、出身地の異なる人たちがランダムに住み着いている。今後高齢化に伴って、住民相互の協力が不可欠だが、その基礎としての役割を町内会は持つ筈だからである。地方公共団体は、町内会の育成に努力する必要があるが、上記実情を見ると指導的役割が果たせていないようだ。

補足:
1)市から、児童公園の管理、防犯灯やゴミ集積所の管理などを依託されている。それらに対する補助金(報酬金)は、町内会の予算の半分以上を占める。
2)前住所(別の市)では、町内会が町内会館を持っていた。詳細に書くと、所属住民は町内会館の約1/80(町内会の会員数は約80)を区分所有していた。従って、外壁塗装の経費は分担して支払ったし、毎年固定資産税も支払っていた。
3)会長への3万円の謝礼について一言だけ質問をしたが、してはいけないことだったらしい。というのも、私の質問の後に出たのが、「会長の苦労を考えると3万円位では少なすぎるくらいだ」という、質問とも何とも判らない意見であったからである。 (4/13; 同日夜修正)

大河ドラマ「花燃ゆ」の不人気

攘夷の理由がわからない:

日曜の夜放送されているNHKの看板番組「花燃ゆ」を見ている。視聴率が低く、内部でも“不穏な空気”が流れているという。 http://news.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&p=花燃ゆ+視聴率&ei=UTF-8 評価の高い作品を原作としておれば、一定の視聴率が予想できるが、このドラマの脚本はオリジナルであり、人気も始まってみなければわからないのが当然だろう。

面白くない理由は分らないでも無い。それは、松下村塾を作った秀才吉田松陰とそこに集まる秀才達が結論として出した「攘夷」とそれに至った彼らの思考の経緯がほとんど描かれていないのである。日本に外国の軍艦が多数来たこと、清国が英国の植民地となったこと、の二つの事実から、どうして攘夷が出てくるのだろうか? 現在の我々にも当時の攘夷を叫ぶ緊迫感が伝わる様に、話を作ってもらわねば人気が出ないのは当然だろう。

異国の軍艦に囲まれたことで国の将来が危うくなって来たとき、どうして“異国討つべし”なのか?異国と交易を開始すれば、何故、日本が植民地化するのか? 「清国が植民地化されたのは何故なのか?」に答えを見つけていたのか?彼らの思考の経緯が、さっぱり分らないのである。

植民地化を防ぐためには、国を富まし武装を強化することであるが、それは攘夷とは異なる。攘夷は現在の自国なら異国と戦争して勝てる可能性があるという場合には、一つの選択肢ではある。しかし、軍艦やそれに搭載された大砲を見て、日本が軍事的に劣っていることが分っていた筈である。実際、薩摩も長州もそれらの国とその後戦って大敗している。それでも尚攘夷を叫ぶ長州の秀才達は、どういう議論を行なったのか?そこに一定の回答を与えなければ、この連続番組が歴史ドラマとして成立し得ないのではないか。

異国と互角の地位を確立するには、中央集権的な国民国家の建設を行い、富国強兵を実現することが必要だった。そしてその為には、尊王&倒幕は必要だっただろう。しかし、その前段階は攘夷ではない筈である。攘夷=>尊王攘夷=>倒幕の流れは、十分な説明がなければ判りにくい。攘夷派は最初から“隠れ倒幕派”だったのかもしれない。その当たりのことは最低限、ドラマの底流に視聴者がわかるような形でなければならないと思う。

2015年4月12日日曜日

日本共産党書という不思議な政党

日本共産党山下書記局長が、昨日のテレビ番組週刊N新書(田勢康弘氏司会)に出ていた。最初の、「共産党は政権をとることが可能ですか?」という質問に、山下氏はYESと答えた。この不思議な政党の幹部に対する田瀬氏の対応は、極めて中途半端だった。
私は、日本共産党が政権をとる時代が来るとしたら、日本が中国の属国になったときだろうと思う。

共産党と言えば、「共産党宣言」や共産党の“テーマソング”というべき「インターナショナル」を思い出す。そして、共産党宣言に書かれている様に、歴史を階級闘争と捉えて、ブルジョア階級を支配者から追放するのが彼らの中心的政治思想だろう。また、インターナショナルに書かれている「立て飢えたるものよ」が、その政治的行動の核だろう。

しかし、共産党を名乗った政党が嘗て政権を握った国の実態はどうだったか。完全な独裁国家、中世的帝国だったのではないのか。現在、共産党が支配する国に中国と北朝鮮がある。中国の共産党大会でも、あの共産党の“テーマソング”である、「インターナショナル」が演奏される。また、北朝鮮でも金ジョンウンのことを皇帝ではなく、同志とよぶ。この実態と彼らの表向きの政治思想との極限的な乖離は、共産主義という政治思想は基本的なところに間違いがあるという証明ではないのか。

そして、中国共産党の首相を務めた温家宝氏とその一族は、何千億円という資産を築いたという。更に多くの共産党幹部が蓄財をしていることは、周近平氏の最近の”粛正”で明らかになっている。蓄財した共産党の幹部の多くは、米国などに資産を移しているのは今や常識である。http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20121106/239078/?rt=nocnt

先日、番組の名前は忘れたが、親が米国に買ったマンションに済み高級車に乗る中国人留学生の姿が映されていた。中国共産党幹部の子息である。そして、彼らの親の党幹部は、「起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し 醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ。。。」と共産党大会で歌うのだ。この事実を知っている国民のほとんどは、同じ政党名を持つ日本共産党を欺瞞政党であると思っている筈だ。

共産党が大切な本としている筈の「共産党宣言」も、“万国の労働者よ団結せよ”が主題である。上のインターナショナルと同じ様な意味である。山下氏が率いる日本共産党は、国民の為の政党だというのなら、過去の世界各国の共産党の歴史と今までの支配した国家の実態について、日本共産党独自で評価し公表・周知すべきである。何故なら、共産党は元々インターナショナルな政党で、世界の共産党と連携している筈だからである。もし日本共産党は、これまで各国で帝国を作った共産党とは違うのだと云うのなら、何故共産党という名前を使っているのか?その様な説明を国民にしっかりしないで、日本国の国会で議席を持っているのは有権者に失礼ではないのか。

共産党宣言の最後にこのように書かれている。「共産主義者は、その見解や目的を隠蔽することを、軽侮します。共産主義者は、その目的があらゆる現存する社会条件を暴力的に打倒することによってだけ達成できることを、公然と宣言します。支配階級は、共産主義革命に恐れおののけばよいでしょう。プロレタリアは束縛の鎖以外に失うものはありません。プロレタリアには勝ち取るべき世界があるのです。すべての諸国の労働者は、団結しよう!」

彼らは現在、この共産党宣言にある様な暴力革命を否定している。しかし、階級闘争的な政治思想に基づいて、社会主義革命を実現しようとしている。日本共産党がその綱領に書いているのは、資本家と労働者という階級の間の壁が、まるで国家と国家の壁よりも本質的であるという、あやまった歴史的視点に基づいた政治的方針である。19世紀のしかも一時期の政党だと思う。

注釈:この文章は昨日午前13時頃投稿しましたが、不十分な点が多かったため、本日(4/12)午前書き直したものです。

2015年4月10日金曜日

昨日の最高裁の判断:校庭でサッカーをしていた子供の親に責任がないのか?

小学校の校庭から蹴り出されたサッカーボールが原因で交通事故が起きた、2004年の愛媛県今治市での事故に関して、ボールを蹴った小学生(当時)の両親に賠償責任はないという判決が、9日、最高裁第一小法廷(山浦善樹裁判長)で出された。理由であるが、「日常的な行為のなかで起きた、予想できない事故について、当事者の子供の親にその賠償責任はない」とのことである。 http://www.asahi.com/articles/ASH486HS1H48UTIL03V.html

事故は小学校脇の道路で起きた。バイクに乗った80代の男性がボールをよけようとして転倒し、足を骨折。その後認知症の症状が出て、約1年半後に肺炎で死亡した。遺族が2007年、約5000万円の損害賠償を求めて提訴。二審は、ボールを蹴った当時小学生だった男性の過失を認め、「子どもを指導する義務があった」として両親に計約1100万円の賠償を命じたが、両親が上告していた。

この裁判の判決は、方々で司法の方針転換の様に報道されているが、新聞記事などを読むと(中日新聞4/10朝刊一面)、非常に微妙な問題であることが判る。この件、「子供の起こした事故の責任を、親が負うかどうかという問題で、最高裁は親に責任は無いという判断を示した」という様にとられかねない報道もあったが、それは誤解である。論点はその小学生に「原因となった行為について、事故に至る危険性の予測ができたかどうか?」である(注1)。第一審も二審も、子供に危険性の予測ができたからという理由で、民法の規定により親に賠償責任が負わされる判決が出された。今回の最高裁の判断は、「子供に危険性の予測は困難だったので、親に賠償責任は生じない」であった。つまり、本質的には、下級審とは事実認識に差があったと言うだけである。

子供がフリーキックの練習をしており(中日新聞紙上の事故のイメージ図)、ゴールの向こうは一般道であるから、ボールが一般道に出て交通の障害になることは十分考えられる。従ってサッカーゴールは、小学生の日常的なサッカー練習に於ける蹴りでは、ボールが一般道にでない様に設置されている筈であるし、学校はボールを一般道に蹴り出さない様にと指導していた筈である。この点に疑いがあれば、それは校庭管理者である学校の責任が問われることになる。更に、子供のキック力が通常のこどもよりも格段に大きかった様な場合、つまり、その小学生が一般のサッカースクールなどで訓練をしていた様な場合、校庭で練習をする場合に特別の注意が必要だったと言うことになる。その場合、その子供には特別の注意がされるべきであるし、もしそれがなかったのなら、両親などに責任の一端があると考えられる。

以上二つのケースのどれにもあたらない偶発的な事故であると、最高裁は判断したのである。

注釈:
1)危険性が予測出来たのなら、子供に過失があったことになり、子供の親が事故の賠償責任を負うことになる。

2015年4月9日木曜日

存在感のない地方議会と無投票当選

統一地方選で無投票当選が多く、それが話題になっている。そのような選挙区が多い理由は、一般県民にとって政治家への道が事実上閉ざされていることと、地方議会に強い存在理由が無い(注1)ことだと思う。日本国では地方に自治はなく、地方創成事業や地方交付金の名目で、中央が本来地方が行なうことまで支配下に置いているのが実情である。その結果、地方議会や政府の出先機関は、担当範囲が重なり無駄が多い組織になっていると思う。

地方の経済は地方に任せるのが、自己責任の原則から論理的であるし、そして効率的である。例えば、道州制を採用して、凡そ10位の地方政府をつくる。その代わり、中央政府の規模も役割も小さくする。当然、防衛や外交などの基本的部分は中央が担当する。国会は現在の1/3程度の一院制にするなどして、議員の質をあげると同時に、議論の的を絞ることを可能にするなどの改革を行なう。そのような根本的改革が必要なのではないだろうか。

選挙民に、自分達の生活に直結した問題を担当する議会の議員を選ぶという実感がなければ、立候補と投票の両方で政治参加の率は上がらない。現在のような存在感の無い県議会の議員などになろうと思う人は、そのような身分が心地よいと感じる人なのだろう。

注釈:
1)つまり、昨年度の県議会の決定事項で、県民の生活等にとって大事なことを、何か一つ思い出すことが出来るだろうか。私の場合、何もない。

2015年4月5日日曜日

政府の嘘はいけないのか?

(特定秘密保護法については過去議論したことがあります。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/12/blog-post_12.html をご覧下さい)

CBCテレビのサンデーモーニングを見た。そこで、沖縄返還交渉での密約についての話がでていた。その際に交わされた密約を、外務省女性事務官からの取材で得た毎日新聞の西山太吉記者が、社会党国会議員に漏洩した事件である。その件、女性事務官と西山記者が、国家公務員法違反で有罪になった。

この事件であるが、西山が情報目当てに既婚の外務省事務官に近づき酒を飲ませ泥酔させた上で性交渉を結び、その事実を武器にして密約の存在を入手したという。当時、その取材手法が西山記者有罪の根拠となり、市井の非難があつまった。しかし、密約の存在そのものについての審理は行なわれなかったという。この密約の存在を明らかにしたのが、当時外務省官僚で先日なくなった吉野文六氏(返還調印の年、1971年にアメリカ局長であったらしい:http://ja.wikipedia.org/wiki/吉野文六)である。

取材に応じた孫崎亨氏は、このような密約は他にもたくさんあると語っていた。また、パネラー諸氏は、このような密約に関する資料も後世に残し、一定期間後に歴史資料として公開すべきであること、更に、今後は特定保護法の存在で取材が一層困難になるという意見で一致していた。暗闇の中に日本国が入り込むことを危惧しているような雰囲気だった。また、ゲストの田中秀征氏は、「米国では一定期間後には外交資料も完全に公開しており、民主主義のレベルが日本とは異なる」とコメントしていた。

ただ、この密約の評価については、未だに聞いたことが無い。この密約が、沖縄が日本に返還されるにあたって、決定的役割を果たした筈である。この種の密約とそれを用いて沖縄返還を実現した佐藤内閣の外交、それを違法な手段で得て野党議員に漏洩した記者の行いの評価は、沖縄返還という成果(プラスの成果)及びそれらのプロセスが今後の日本の政治形態に及ぼす影響(マイナスの成果)などを、総合して判断しなければならない。それは、西山記者の司法の判断とは別の話である。

一般市民には、“民主主義政治において、密約を用いて政治的解決をするのはおかしい。或いは、密約は明らかにされるべきである。”という原理主義的な姿勢が分り易い。今回のサンデーモーニングでも、論理的に明確な発言は全てその原理主義の立場でなされていた。田中秀征氏の米国の民主主義を日本とはレベルの違うものと持ち上げる発言も、結局は上記原理主義をより正しい方向とする趣旨でなされている。

私は、もう少し現実的視点に立つべきだと思う。隣国の政治やその隣国(つまり日本など)との外交など、つまり日本の外交環境は、嘘と密約で満ちていると思う。そのなかで、日本政府だけを密約を用いたことや、情報公開を行なわなかったことで攻撃するのは間違っているかもしれないのだ。田中氏が高いレベルの民主主義の国であると評価することに異論は無いが、それは、米国の世界一と言える情報収集能力や軍事的能力、それに裏打ちされた政治能力があるから出来ることなのではないか。つまり、米国の情報公開は世界一の軍事的政治的能力の結果であり、高度な民主主義文化だけがそれを可能にしているのではないと思う。

由らしむべし知らしむべからず(よらしむべししらしむべからず)という言葉がある様に、損をしないで成果を出すことが政治家として大切なことかと思う。政治で大切なのは、“国民を飢えさせないことと、国民の自由と命を大切にすること”であり(注1)、情報公開はそれよりも低位にあることだと思う。一般国民に評価できないことで、しかも重要な交渉の積み重ねをぶちこわすような秘密漏洩は、罰せられて当然である。ただし、ルールとして一定期間後に全て公開することは無理だろうが、非公開資料も全て保存することが大事だと思う。

注釈:
1)番組の中で、式典かなにかで沖縄を訪問した俳優の菅原文太氏が、「政治で大事なことは、1。国民を飢えさせないこと;2。戦争を絶対しないこと、の二つである」と発言したことが紹介されていた。その一部変更したものである。

2015年4月4日土曜日

珊瑚より日本国民の命が大切である。沖縄県知事に対してひとこと

翁長知事の米軍基地辺野古移設へ反対する行動は、地方自治の範囲を越えていて許されない。珊瑚の命も青い海も大切だが、日米安全保障条約による日本国の防衛の方が遥か大切だ。沖縄が反対するのなら、独立運動以外に無いのであり、翁長氏はそれを知事選で主張すべきだったのだ。

勿論、日米安保体制は未来永劫続く訳ではないし、正しい国家の選択かどうかは議論を要する。しかし、その議論をするのではなく、ただ珊瑚大事だからという理由で、国家の防衛戦略に口を挟むのは、愚かな行動だ。また、沖縄の基地負担を本土並にするべきと云う意見が正当なら、地政学という学問は不要である。

今、世界の政治の大きな枠組みは、欧米民主主義諸国と中国を中心とする二つの勢力からなる。その一つの境界が中国が考えている第一列島戦であり、その上にあるのが沖縄である。その国際政治の動向は、日本国民の命と関連しており、珊瑚の問題云々で左右される問題ではない。翁長知事は、分っていない筈はない。もっと、大きな本質的な政治の枠組みから、県民と国民に訴えるべきなのだ。

補足:
日米安保体制は、過去の政治的連続性を考えて、さしあたり重要であると考えているに過ぎない。戦後レジームからの脱却は当然支持するが、その前に国家は、過去の戦争に至った経緯とその結果について総括をし、その責任者について明確にしなければならないと思う。明治憲法の下の政治体制は憲法の規定によれば君主制であり、天皇を輔弼する大臣も選挙制度はあったものの完全な普通選挙で選ばれた政治家ではない。従って過去の戦争を国民の責任に帰することはできない。

今日のテレビ番組”激論”で少年法の適用年齢と選挙権付与年齢について話をしていた。それと同時に、戦後の米国により与えられた政治枠(所謂戦後レジーム)の改正と、それに伴う国防に参加する義務の発生(つまり徴兵制の問題)について、議論をしていた様である。しかし、国はその前に過去の戦争について総括すべきであり、宿題もこなさないで次の授業に入るのは危険である。多くの若者を無駄死にさせた責任者も、神として国家神道の社に祀るような愚かなことをしながら、総括抜きにして「戦後の政治枠組みを換えなければならない」というような話を聞くのは不愉快極まりない。そこで、ほとんど別の白痴番組を見ていた。

維新の党の人材不足

維新の党から比例区で当選した上西小百合衆議院議員のスキャンダラスな行動が話題になっている。どんな人かと調べてみた。上西氏は、神戸女学院を卒業後保険会社勤務等を経て、2012年3月に維新政治塾に参加し、同年12月の選挙において比例区で当選した。そこには専攻も専門家としての実績に関する記述も何も無い。Wikipediaがさぼった訳でなく、取り立てて書くべきことが無いだけだろう。

9ヶ月の政治塾での勉強を経て、衆議院議員になったというから、大学受験レベルの勉強で国会議員になったことになる。その投資とリターンの比率は、ソフトバンクのアリババ投資並だ。孫正義氏には敬服するが、上西氏に対しては腹立たしい思いしかない。日本の有権者をここまでバカにした話は無い。

兎に角、維新の党も何処も彼処も、人材不足である。http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/create/edit_form.php?note_id=62687 二年半も前になるが、大阪維新の会から成長を始めるこの党に期待して文章を書いたことがある。 そこで述べたのは、当時維新の会の幹部であった人たちでは、今後成長した会の屋台骨を支えるには力不足だろうから、より高いレベルの人材を吸収する形での新陳代謝を期待した内容である。

重複するが全文掲載(誤り修正後)する。

大阪維新の会は国政へ乗り出し、日本維新の会を結成した。日本維新の会の今後は、如何に優秀なる人材を集め、要職に据えることで成長出来るか、それとも大阪維新の会の幹部がそのまま日本維新の会の幹部になり、成長のスパイラルのチャンスを潰すかにかかっている。

橋下大阪市長の代表はしばらく続くとしても、それ以下の大阪維新の会の幹部は、自分の本来の実力と日本維新の会の今後を考えて、謙虚に組織内での自分の役割を考えて欲しい。大阪の改革&地方自立とを目指す視点と、中央政府改革の視点は大きく異なる。後者においては、国家の役割と世界史的にみたその変遷、世界の中の日本、東アジアでの日本の地位の確保とその視点から見た現在日本の体制不備、特に、米中ソと日本との現在の関係の”深い”理解と今後のあるべき関係、などに持論を展開できる基礎力及び政治的創造力が必要である。

世界経済の今後、途上国の経済発展とエネルギー及び食料危機、科学技術の発展と人間社会との関係、などの専門的知識を持ったものから力を得る為に、それら専門家を発掘し彼らから知識を吸収できる能力など、およそ現在の大阪維新の会幹部の力でもってしては太刀打ちできないものが多い。

日本維新の会には、改革の遺伝子がある。従来の政党には、家業としての政治業を如何に保持するかという遺伝子しかない者が殆どである。久々にあらわれた貴重な改革の種である。その遺伝子が立派な日本の政党として発現し成長するには、様々な多くの人材の消化(人材選別及び教育)吸収(登用)排泄(退出)が、必要である。

現在の幹部達は、日本維新の会の中央から離れても、大阪維新の会幹部としての仕事に徹すれば良い。人間にはある人生の一場面において、大きな仕事をする時期がある。また、仮に下野して維新の会を支援する立場になったとしても、一時期にはその屋台骨を支えたという誇りは誰しも認めるものである。

今後の維新の会には、多くの名前や表から見た場合には、相容れないような団体が合流するだろう。また、そうでなければ現在の維新の会からの成長はない。それらの一見相容れない団体の中に、維新の会が成長した一年後に重要なポジションがあるかもしれない。それくらいの度量をもった人材がそろそろ幹部になるべき時期にきている。頑張って欲しい。

2015年4月2日木曜日

トヨタ燃料電池車ミライの未来は明るいか?

ミライはトヨタが市販を開始した燃料電池車である。定価が720万円程の高級車であるが、排出するのが水だけであることなどで話題になった。各種メディアは、ミライの将来は非常に明るいという感じの報道をしており、それを素直に受け取っている人が大半だろう。

しかし、水素燃料電池車と電気自動車を比較した場合、蓄電池が安価になれば後者が有利である。何故なら、家庭のコンセントで夜中に充電すれば、水素スタンドに定期的に出向いて燃料充填する必要がないからである。排ガスとして水だけというが、水素を作る際に二酸化炭素を発生する。(注1)

また、電気自動車に発電器を搭載したのが燃料電池車であると考えると、その他の比較が簡単になる。前者EVの蓄電池は大きいので、その差は蓄電池と燃料電池の製造及び維持管理のコストということになる。将来的には蓄電池の方が全てにおいて安価になると考えるのが普通だろう。

従って、しばらくはプラグイン型のハイブリッド車で大容量蓄電池の開発を待つのが良い様におもう。

この点に関して、米国の有名な投資家であるウオーレン・バフェット氏が電気自動車関連に投資していることも注目に値する。米国では、幅の広い知識で知られるバフェット氏の発言は、重みを持って受け取られている(注2)。

ウオーレン・バフェット氏やジョージ・ソロス氏など投資家は単に幸運で大金を手にしたのではなく、知識と直感力で現在の地位を得たのである(注3)。日本のマスコミはトヨタというだけで、ミライの未来を信じてしまう。日本にマスコミは一つしかないのだろうか?

注釈:
1)例えばメインな製造法である、水とメタンの反応の場合二酸化炭素を発生する。また、二酸化炭素による地球温暖化説には無理な点が多く、その発生が問題視されるのも、あと僅かの間だろう。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/08/blog-post_26.html
2)例えば、バフェット氏の連銀の利上げに関する発言さえ、マスコミに掲載される。 http://jp.reuters.com/article/companyNews/idJPL3N0WY22320150401
3)ソロス・チャートというマネタリーベースと為替レートの相関を見る図は、ジョージ・ソロスの発案である。


赤と白の木蓮である。両方とも美しく、隣り合わせにあると相乗効果で尚美しい。