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2015年7月19日日曜日

戦後70年・日本の肖像を観た

(1)NHKで放送されているニッポンの肖像戦後70年を観た。そして、学生達が60年安保に反対した理由を、ゲストの田原総一朗氏の証言が教えてくれた。それは、「安保反対デモに私も参加していたが、吉田安保(改訂前)と岸安保(改訂後)を読み比べた事はなく、その違いを知らなかった。私だけでなく、他の参加者も大多数は知らなかった。旧安保では、米軍は日本の何処にでも基地が置けるという様な酷いものであり、結局岸政権の安保改定は正しかったのだ」というものだ。

東条内閣の閣僚(商工大臣)であった岸信介への嫌悪感が、安保改訂に反対した理由のようだ。国民には戦争への強い嫌悪があり、岸信介は戦争を引きずっている様に見えたのだ。

因に、岸信介の描いていた憲法改訂への筋書きは、岸の退陣により二度と表には出てこなかった。その後の総理である池田は元々吉田茂の後継者であり、経済政策だけだった。岸信介は国民の一歩前を進む政治を目指したが、弟の佐藤栄作、中曽根康弘の長期政権でも、国民の後を追うことに終始したのだ。

民主主義体制における一流の政治家は、国民と伴に考える態度で、国民の一歩前を歩くだろう。

戦争直後の経済優先は、正しい選択だっただろう。しかし、佐藤栄作や中曽根康弘の時代には、日本は経済回復へのレール上を既にひた走っており、憲法改定を議論すべきだった。憲法改訂の必要性は知っていたが、議論を開始する程度の決断さえ出来ないレベルの政治家(=政治屋)だったことになる。

(2)太平洋戦争は、日本統治の権威が、天皇と政府と軍の間の空間に浮遊し、明確な意志のもとに遂行されたのではないと思う。殆どの日本人は、戦争に巻き込まれたという感覚を持っており、従って誰も責任をとる気持ちなどなく、日本独自の戦争総括は一切なされていない。国民は煽動され、官憲に支配されて、戦地に向かった。戦争が終わった時の国民の感覚は、巨大な自然災害が去ったというものだったと思う。外国を交渉すべき相手と考える明確な政治主体があれば、あの戦争はなかったのではないのか。結果として、昭和版尊王攘夷運動を、全国民に強いたのではなかったのか?

外国(人)を交渉相手と言うより、まるで天災をひき起す未知の生物のように捉えた、幕末の尊王攘夷運動の延長上にあの戦争があったという考え方がある(原田伊織著「明治維新と言う過ち」)。長州の”志士”達の考え方とは違って、江戸幕府はしたたかに外交を行い、江戸庶民は外国人にも気後れを感じさせなかったらしい。井上勝生著の「幕末・維新」には、「(欧米人に対する)嫌悪と警戒のイメージは、近代の文明開化以降に生み出されたものである」(第三章、p101)と書かれている。

幕末から昭和までの歴史資料を、全て掘り出して、出来るだけ多くの歴史学者、社会学者、政治学者などに研究議論してもらい、この期間の歴史の総括を行ってもらいたいものである。

(素人の素朴な感覚で書いたものです。批判等歓迎します。)

1 件のコメント:

  1. 私もあの番組を見た。田原氏同様安保の内容など知るよしも無く、只戦争反対と同義語のように安保反対を叫んだ当時の学生で、わたしはあった。今、憲法改正を叫んでいるが。

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