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2015年9月1日火曜日

苛めの防止&人としての基本

1)以前に苛めを防止するには、その中身により暴行罪や脅迫罪という刑法の存在を現場の教師や生徒自身に教えることが大事であると書いた。つまり、法的に無力な教師ではなく、出番があれば警察に出てもらうことが、大切である。

”虐められている子供も、安全な生活を営む権利を持つ”ということを幼少期より、学校で教育することが大切である。それは道徳や倫理という類いのものではない。社会の恩恵を受ける条件として、その保持と実行が強制される基本的ルールである。その基本的ルールを守ることが出来なければ、社会からの恩恵と保護を受けることが出来ない存在となることを教えるべきである。

道徳は、人の道及び徳である。それは人として生きる前提が整っている人間に対して、より多くの社会への貢献とその為の人格形成を教える。しかし、最初にその前提部分、つまり“野獣ではなく人として生きること”を、確実に教えるべきである。

2)昨今、小さいボートに乗って、政情不安定な北アフリカから、命懸けでイタリアやギリシャに逃れる人が増加している。ユーロ圏では、年間数十万人に達する難民をどう受入れるかは、ギリシャの財政危機以上の難問として議論されている。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150829/k10010208491000.html

日本では当然の様に受け取られている生存の権利を、難民になって地中海を彷徨うアフリカの人たちは持っていない。我々日本人は、当たり前だと思っている生存の権利は、本当は大きな財産である。つまり、健康で文化的な生活を営む権利(憲法25条)は、我々日本人が日本人として産まれた瞬間に贈られる特別な財産であることを明確に意識すべきである。

それは特権であるから、それに対応する義務も意識しなければならない。その義務の一つが、他人の権利を踏みにじる野獣ではなく、生存の権利を他人にも認める人(ヒト)として生きることである(注釈1)。

3)特権はその上に座しているだけでは保持できないのは、真理であり歴史も教えている。国防と同様、軍備を揃え、日々特権保持の訓練をすることが大切である。

一人で荒野に生きる時には、権利も義務もない。ただ、戦って獲物を得て生きる。それが生き物である人間の原点であり、その遺伝子は我々人間が等しく持っている筈である。集団で生きるときに始めて、他の個体との境界をどう決めるかという問題が生じ、そこに権利と義務が生じる。権利は相手に自分の生命を主張し、義務は相手の生命を認めるという、裏表の関係がある(注釈2)。

自分もこの世のこの空間で生きるのだという主張が原点であり、それが”生命の逞しさ”である(注釈3)。権利や義務は、長い時間をかけて主張し認めあうが、我々は動物と同じ様に、瞬間瞬間とその連続を生きなければならない。そこでは、”戦って生きる”という生命としての基本が必須要件である。

人は、その生命としての基本(野性)と、社会で生きる人としての基本の両方を、バランスをとって持たなければならない。長い歴史の中で、野性を抑える方向で人は文明を築いて来た。そのため、集団で生きる人としての基本のみを意識しがちである。個性にばらつきのある子供達を教育する時、この両方のバランスを教師が自覚して、教育に当たる必要がある。人として戦う気概を育てるのも教育だと思う。

注釈:

1)もう一つの重要な義務は、国内の公共の諸案件と正常な外交関係を持てるよう、国家の政治に貢献することである。
2)集団で生きる様になると、集団と集団との境界も問題となる。そこに、人類は更に高度な権利と義務関係を生み出して来た。それらが人間の文化であり、その構築過程が歴史であると考える。
3)“逞しさ”を他人への親切やその能力の様に教える人もいるが、それは柱が出来上がった上の枝葉の領域のことである。

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