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2015年12月23日水曜日

井上陽水の歌

昨夜は就寝の時間を延ばして、NHKで陽水の語りと歌を聞いた。久しぶりに見た姿には、普通の人と同じような年輪の重なりがあった。

リバーサイドホテルやとまどうペリカンのような今までの陽水音楽の他に、最近歌うことになった“あの素晴らしい愛をもう一度”のような音楽も紹介されていた。その歌を紹介する時の陽水の語りは、「コーヒーとかコーラとかが好きだとか、ウイスキーとか日本酒がいいとか、人によって色んな好きな飲み物があるでしょう。この歳になると、やっぱりいいのは、麦茶とか白湯とかですよね」であった。

つまり、飲み物に対する嗜好を引き合いに出して、これまでの陽水音楽と比較して、「あの素晴らしい愛をもう一度」を麦茶のような、本当に水分を欲する人たちの共通項的な飲み物に喩えていた(補足1)。

陽水の歌(詩)には、色彩があり、光があり、流れる時間を感じる。リバーサイドホテルの歌詞:“チエックインなら寝顔を見せるだけ、部屋のドアは金属のメタルで、洒落たテレビのプラグは抜いてあり、二人きりでも気持ちは交い合う ベッドの中で魚になったあと 川に浮かんだプールでひと泳ぎ”では、日本語文法や論理を無視して、ホテルの描写から二人の間に流れる時間を、見事に描いて他人に伝達する。

論理の伝達が言語の最も大切な役割であるが、それは普通の文章のことであり詩ではない。井上陽水には、日本語の文法や言葉の論理をあえて無視することで、色と光と時間を描き歌う特別の才能がある。別の表現では、「陽水は音楽を作ってそれを歌って飯を食っているのではなく、音楽家&歌手という人間なのだ」ということになるだろう(補足2)。テレビで見る、何かを恥じらう様なシャイな態度は、その裏にある自信を隠している様にも見える。

放送には出てこなかった陽水の歌には、傘がない、カナリヤ、紙飛行機、氷の世界、心模様、人生が二度あれば、など他にもたくさん素晴らしい曲がある。「人生が二度あれば」では、“父の湯のみ茶碗は欠けている それにお茶を入れて飲んでいる 湯のみに写る 自分の顔をじっと見ている 人生が二度あれば”と歌う。これまでの父親の苦労とそれを観る作者、自分を育ててくれた感謝の気持ちが、溢れるように伝わってくる。

昨夜のNHKの番組は、飛び抜けたそして異質なシンガーソングライターであるがゆえに、紅白歌合戦に出られない(でたくない)井上陽水という歌手とそのファンに対するNHKの示した礼儀のような気がする。 https://ja.wikipedia.org/wiki/井上陽水

補足:

1)大ヒット曲「あの素晴らしい愛をもう一度」であるが、“あの時同じ花をみて美しいと言った二人の心と心が今はもう通わない あの素晴らしい愛をもう一度”の詩には、失礼ながら聴くひとに伝達するものは白湯のように薄い。一方、陽水の歌に「愛は君」というのがある。“愛は空 愛は海 愛は鳥 愛は花 愛は星 愛は風 愛は君 君の笑顔が僕は好きだよ 僕はとってもあいしているよ”と歌うこの曲を聴くと、陽水の歌う“愛”とはどのようなものか、直接心に響くように伝達される。

2)政治家でも、飯を食う手段つまり職業としている人たちには、国家の行く末よりも選挙という自分の行く末の方が大事になる。その姿勢を前大阪市長の橋下さんが批判していた。陶芸家で銘を入れない作家がいると聞いた(河井寛次郎だったか、鑑定団の中島誠之助さんが紹介していたと思う)。これも、職業としての陶芸家ではなく、陶芸家として生きることを主張しているように思う。本当に国家のレベルを上げるようなひとを育てるには、そのような専門家としてのプライドが持てる社会と文化の国でないといけない。文化でも経済でも、その本質はデフレスパイラルである。つまり悪貨は良貨を駆逐し、結局悪人が生き残るのが世の常なのである。良いスパイラルをつくるには、英雄が必要である。

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