2016年12月31日土曜日

資本貴族が支配する社会がどうして民主社会なのだ?

1)ここ数年、世界のいたるところで貧富の差が問題視される様になった。そしてふと、非常に豊かな者と貧困に喘ぐ者が共存するこの社会を、人々は民主社会と呼ぶのが不思議に思うようになった。民主社会とは大衆が社会の主であり、決して貴族的な者が主人でない社会のはずではないのか(補足1)。

現代社会の統治と運営が民主主義を基本的ルールとして行われているというのが、少なくとも近代化した国家の常識と思われたが、それは大きな嘘であることに人々が気付き始めた。資本貴族支配に対する反発が今後政治により吸い上げられれば、世界は大きく変化するだろう。トランプ氏の当選や英国のEU脱退を、ポピュリズム支配の結果として貶すのは旧勢力の宣伝行為であると思う。今後、少なくとも一時的には世界が混乱するだろう。その後、より平等な社会に移行するかどうかは、現代人の知性による。

2)200年ほど前までは、社会の主産業は農業であり、土地が富を産んだ。封建領主は農奴を使って富を得る権利を国王から得ていた。私の考えでは、現代社会には資本家と呼ばれる貴族とその貴族にサービスする人、それに大衆の三種類の人間がいる。貴族にサービスする人とは、マスコミであり、御用学者であり、スポーツ選手、芸能人など所謂有名人である。貧富の差があるのは、貴族社会では至極当然のことである。

大昔の貴族社会と異なるのは、国家の骨組みは政治家が中心となり維持しており、その政治家を大衆が選んでいる点である。現代の大衆が十分賢明に動けば、これまで貴族にサービスしてきた政治家を、大衆にサービスする人に変えることが出来る筈である。君主制から共和制の革命は、資本貴族社会という遷移状態を経て、これから完成するのだと思う。最初の段階では鉄砲などが道具となったが、今回はインターネットなどの情報手段が主なる武器である。

現在、情報入手と交換が容易になり、大衆の中に政治に関心を持つ人がふえてきている。その結果、米国の戦略家のブレジンスキーが正直に白状したように、政治力の大衆への移動が始まっている。氏の「100万人の政治に目覚めた人をコントロールするより、その100万人を殺す方が容易である」という過激な発言が思わず出たのは、大衆が十分な知恵を持てば、彼ら戦略家も大衆の監視の対象になり得るからである。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U

資本貴族の社会は米国製である。米国の富の半分は上位1%の人間が握る。このような社会をそのままにしておいて良いはずがない。今後数年間の間、混乱の後将来の世界の姿が見えてくるのではないだろうか。

3)何故、このような資本貴族が誕生したのか? それは、蓄積された資本が富を生み、それが資本の更なる増加を産むという、サイクルが存在するからである。ピケティの資本収益率が経済成長率より大きいという指摘は、まさに人々が資本貴族と貧困層に二分されることの指摘である。(補足2)

現在の高度経済社会は、誰のものか? 科学と技術の融合による生産性が飛躍的に向上したこの社会は、過去の人たちの努力が産み出したものであり、その相続権はすべての人が持つ。その経済活動の舞台の上で、才能豊かな人が大きな成果を得たとしても、その全てがその個人の実力に帰せられるべきではない。ましてや、その子孫に、その蓄積された資産が高率で相続されるのは、むしろ不公平である。

今後、世界各国は富の平等分配に向けて動くべきである。経済発展がすべての民のためになった時、国家は安定すると思う。その実現には知恵と世界の協力が必要である。それには、異なる国家の大衆間の協力が不可欠であり、今までそれぞれの為政者により刷り込まれた対立の原因(偏見)を乗り越える必要がある。東アジアの歴史問題などもその一つである。

この世界の動きを止めようとする勢力は、多額の金を用いて政治に干渉するだろう。したがって、個人以外の政治献金は禁止すべきである。政治は本質的に人のためにあり、法人に政治への介入を許せば、その法人に属するものの一票の価値が何倍にもなるからである。これらの改革は、創業の意欲を失わせるという意見が出るだろうが、それは正しくない。

世界の知識が共通のものに移行すれば、この動きが加速されると思う。現在の多くの国際的対立は作られたものであり、大衆の真意ではない。兎に角、世界のリーダーは今後も米国であるから、米国の改革がトランプ新大統領の元で進むことを期待したい。

補足:
1)民主社会とはdemocratic societyの翻訳である。Democraticの名詞形democracyは大衆(demos;common people)が、ルールや力(kratos)を持つ社会を意味する。蛇足だと思いますが、念のため。
2)理系人間の私にはマルクスは遠い存在であり、その有名な著作など読んでいないが、このあたりのことは既に書いてあると想像する。共産主義社会の、「能力に応じて働き、必要に応じて取る」が実現するには、高度に経済発展していることが必須である。不思議なのは、なぜ経済発展には程遠いロシアや中国で共産党支配が起こったのかということである。ソ連はXXが作ったという”陰謀論”は、本当に単なる陰謀論なのだろうか?

2016年12月29日木曜日

歴史を掘り返す韓国とは、いかなる合意もすべきではない

安倍総理は、一昨日真珠湾での慰霊式典に出席し、今後の緊密な日米協力の確認を行った。Remember Pearl Harbor やRemember Hiroshima& Nagasakiを繰り返えすのは、互いに過去に生きる人間のようで見っとも無い。過去の出来事は必然であって、誰でもその立場であれば同じ振る舞いをした可能性が高いと考えて視点を未来に転じるのが、人間の知恵である。

勿論、文化も異なりリーダーも異なるのだから、立場を交換すれば同じようにならなかった可能性も大きい。その詳細は歴史家が検証し、その成果は共通の財産とすべきである。政治は現在と未来のためにあり、過去のためにあるのではない。現在に不満があるからといって、過去を繰り返しほじくり回し、何か良いものはないかと探す姿勢は、ゴミ箱あさりのように見える。

韓国は再び、幻の慰安婦問題を取り上げて騒いでいる。一部の陰謀家ではなく国家ぐるみでそれを支援し、過去の合意も歴史家の調査結果も無視して、慰安婦像とやらを国外にばらまいている。昨日も釜山で、日本総領事館の前に学生らが像を設置して、警官ともみ合ったと報道されている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161228-00010000-houdouk-kr

これらは、実際は強制連行による戦時売春婦の調達などなかったにも関わらず、帝国日本がそのようなことに関与したことを認めた、河野談話と昨年の慰安婦合意が原因である。(補足1)

http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42574742.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42600101.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42601406.html
(以上の記事は姉妹サイトのものですが、このgoogle blog中にも韓国で検索をかければ出てきます。)

その大元にあるのが朝日新聞によるチェジュ島での強制連行をデッチ上げた記事である。勿論、これらの知識も朴裕河氏(韓国人)の「帝国の慰安婦」や月刊誌Willや文藝春秋などで得たにすぎない。戦争を知らない世代の人間が、幻とされた従軍慰安婦伝説をまるで見てきたように信じて、暴れ隣国を侮辱する行為には非常に腹がたつ。

韓国は敵国である。如何なる合意もすべきではない。日本は昨年のような合意を米国に強制されないように、国防力を備えるべきである。韓国の方々には、同じチェジュ島での歴史にこだわるのなら、島民の20%も虐殺した李承晩政権下の四三事件の保障など後始末をすることを勧める。日本にも大勢のチェジュ島島民が避難して、在日韓国人や日本人(帰化)として生きていることなど知らないのだろう。 http://www.sankei.com/premium/news/151019/prm1510190006-n1.html

補足:
1)日本と朝鮮半島の関係は、宗主国と植民地とはかなり異なる。日本は真剣に朝鮮半島のインフラ整備も考え、半島出身者も日本国軍などで昇進している。国立大学(帝国大学)の設立は、大阪や名古屋よりも先に京城に設置された。しかし、植民地的な差別はあったと思う。慰安婦の人たちは命をほとんど無駄に無くした兵士とともに、非常に苦しい思いをされたと思う。更に、半島出身者の慰安婦の方は、差別も加わって一層耐えがたい経験をされたと想像される。従って、日本政府も講和条約締結後であっても例外的に出来るだけの償いをするのは良いことだと思う。しかし、それを現在の政治に利用する韓国の姿勢は非常に卑怯であり、そのような韓国政府の姿勢が読めなかった河野洋平氏は非難されるべきである。(15:50追記)

2016年12月28日水曜日

安倍総理の真珠湾訪問を支持する(2)

安倍晋三首相が28日(日本時間)、真珠湾攻撃での犠牲者を慰霊し、二度と戦争を繰り返さない決意を表明した。時事通信配信のニュースに、この件について以下のような賛否両論が紹介されていた。

広島県の呉市海事歴史科学館館長の戸高一成さん(68)は、首相が謝罪しなかった点も「戦争はどちらかが一方的に悪いわけではない。謝罪ではなく反省するもの」と指摘した。 その一方、作家の早乙女勝元さん(84)は、演説で強調された同盟関係について「純粋な平和同盟ではなく軍事同盟だ」と懸念。日本が侵略と植民地支配を繰り広げた中国や朝鮮半島への謝罪が先ではないか」と疑問を呈した。また、上田市の無言館(戦没画学生慰霊美術館)館主の窪島誠一郎さんは、首相の演説を「謝罪を避けるという根本的な無理が、言葉の弱さにつながっている」と批判した。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161228-00000088-jij-soci

「謝罪のない和解」を早乙女さんや窪島さんは批判されているが、それは国際政治のことが何もわかっていない愚論だと思う。何故なら、謝罪を含む公的な清算は、平和条約の形で既になされており、現在行うべきは慰霊と両国の未来に向けた友好関係の確認である。謝罪を改めて行うことは歴史を掘り返すことに繋がり、歴史修正主義者の行うことである。戸高さんの言葉が正論であると思う。

人生の先輩(老齢)の方々に失礼かもしれないが、講和条約以外で「純粋な平和条約」というのは、何を目的にしたどのような条約を指しているのか分からない。また、飯窪さんの「植民地支配の謝罪が先ではないか」とおっしゃるが、既に述べたように、平和条約締結している中国や韓国に対して国家を代表する総理大臣がすべきことではない。

「謝罪」と簡単に言うが、謝罪は相手に賠償請求の権利を与えることになる。何かあれば揃って頭を下げる日本文化の感覚で、他国を相手に総理大臣に謝罪を要求する両人の意見は、厳しく否定されるべきである。

勿論、南京などで多くの人が戦争の中で犠牲になったのなら、中国に出かけて慰霊の式典に参加することは良いことだと思う。しかし、中国の当局と国民が、既に両国は平和条約を締結して和解していることを十分意識し、且つ、戸高さんのような成熟した国際的感覚を持つことが前提だと思う。

(編集、19:50)

2016年12月25日日曜日

戦争は生き残るための手段であった

大昔から現代まで、戦争は生き残るための手段であった。国民国家が出来て以来、国家が敵と味方を分ける境界となった。防衛力を持たない国家は滅び、その民族は生き残っても他民族に隷属することになる。戦争において宗教が登場する場合、それは戦いの目印の意味が大きく、教義に争いにつながるような意味などないだろう。

過去の歴史を少しでも学べば、平和主義を前面に出して滅びた民族はあるが、栄えた民族などない。ヨーローパなどのテロリズムも宗教の戦い(十字軍とイスラムとの戦い)として解釈するのは入り口である。そこで終わっては何もわかっていないことになる。

宗教は、上述のように戦争で生き残るための団結手段であり目印である。宗教戦争は外観であり、その本質は他から奪い取って生き残るという、生命界の掟が具体化した(戦争)のだと思う。

つまり、シーア派とスンニ派の違いが、それほど重大な違いなのではなく、また、キリスト教とイスラム教の教義の違いがそれほど重大なわけではなく、それらは敵と味方の色分けに過ぎないと思うのである。直前の記事を書いた動機は、そのような理解が背景にあってのことである。

平和主義は、味方を募る時には手段になるが、戦う相手には目くらましになる。日本にいる左翼と呼ばれる人たちの平和主義は後者のものである。味方になる相手と戦うことになる相手を見間違わないことが、民族が生き残るためには必須である。第二次世界大戦の時の愚を繰り返してはならないと思う。また、それよりも何よりも大事なことだが、戦う力を持たないことは、この地球上に生きる空間を確保する権利を放棄することに等しいことである。

日本の憲法改正と適当な軍備保持を、軍国主義の復活として非難する国があるとしたら、その国は日本を将来侵略すべき国、戦う予定の国と考えているのである。

テロと死に関する雑感

1)ドイツのベルリンで、チュニジアから来た男の運転する大型トラックがクリスマスマーケットに集まった買物客めがけて突っ込み、多数の死傷者を出した。ISISは今朝、犯行声明を出し、更に、その男の遺志を告げる動画を配信した。その中で、「十字軍の豚どもをやっつけろ」と語る男の姿があった。http://www.jiji.com/jc/article?k=2016122300334&g=int

また、トルコでは駐在するロシア大使が警察官により暗殺された。テレビで放映された銃撃後の男の様子は、高揚しているのだろうが狂気には程遠かった。「俺の命はここで終わる」「アレッポを忘れるな」と叫んでいた。

NHKニュースは犯人と呼んでいたが、そう呼ぶことで真実から遠ざかるような気がする。犯人というのは、社会の掟に背いた人に対する呼称であり、その社会そのものを認めない人に対してはふさわしくない。その暗殺者の行為は、犯行ではなく戦争のように見える。その一方で、死に場所と動機をISに求めた自殺にも映る。それはまた、宗教のための殉死のようにも見えなくもない。

広い心で難民を受け入れようとしたメルケル首相の悲しそうな姿が眼に浮かぶようである。空き地があるのなら、新しい人を迎え入れることもできるだろう。しかし、地球はもはや狭くなり、人を十分受け入れる余裕を無くしつつあるのではないか。その前触れのように見える。

2)人の命は儚く、死は忌み嫌うものであると考える人がほとんどである。昔、武士は死ぬべき時と場所を考えた。自分の命を民族の繁栄か何かのために使うという発想で、死を乗り越えた人たち。その死は、武士という誇りと表裏をなすと考えられる。誇り高い人がほとんど居なくなり、且つ、そのような人が嫌われる今日、死は”忌み嫌われること”以外の解釈を失った。

難民や移民を、人道的見地から受け入れようというのは簡単である。問題が深刻化すれば、テロリストを攻撃するという道が残されているのだから。テロの解決や防止を考える人たちは大勢いるが、問題が深刻化してからもそれを考え続ける人はほとんどいないだろう。対立は悲しいことだが、ある意味必然のような気がする。“自分か相手かどちらかが地球上に住む切符を争う”ということの連続が歴史を作ったのだろう。(一つ前のブログ)

3)NHKで放送されるプラネットアースの予告編を見た。それには、必死に荒れ狂う海に漁に出て、子育てのために命を賭けて餌を得るペンギンの姿などが放送されていた。ペンギンに食われる魚のことを少しでも考える人はテレビの前にほとんどいないだろう。また、目も眩むばかりの険しい土地に住むことで身を守る山羊とそれを狙う狼のような生き物も映していた。生まれて間もない子ヤギがその動物に狙われたが、子ヤギは10m以上の崖を飛び降りる力を持っていた。その子ヤギの助かった陰で、その狼のような動物の子供の飢える姿を想像する人は稀だろう。

また、他の番組で、水ダコという巨大な蛸が、10ヶ月の間何も食べずに、卵が孵るまで外敵から守り続ける姿を映していた。親蛸は、子の孵化とともにその場で死ぬのである。神は、生き物を創造して、このような悲しい姿を見たかったのだろうか?

2016年12月24日土曜日

トランプ柄の服に着替えた米国

1)個人でも国家でも理想を持たなければ暗くなる。しかし、現実を直視しなければ、やがて理想も持てないほどの悲惨を味わう。理想を語りながら、したたかに現実的に物事を処理する国家としてアメリカがある。そして、大統領は表の役割を演じているだけだということを、オバマ氏は最も解りやすく教えてくれた。

つまり米国は、理想論を表に現実論を裏に持つ二重張りのコートをきた国である。その接着財はずる賢いシンクタンクの仕事なのだろう。最近のイスラム過激派やシリア内戦の厳しい状況、それに中国の経済的台頭などが原因で、これまでの表地では国内の不満を抑えきれなくなってきた。そこで、今回着替えることになった。

因みに、中国やロシアがあまりにも強面に見えるのは、理想であった共産主義を脱ぎ捨てたまま、表に何かを身につけるに至っていないと言えるのではないだろうか。

米国は今回、表を“民主主義の伝道によりグローバルな平和を世界に広げる”という表から、“自国の繁栄を第一と考える”という最も伝統的な「表」に着替えたように見える。トランプ氏が大統領に当選した原因について、プーチンによる反クリントン情報の暴露とか、米国の没落白人達の票を集めたとか、いろんな説がある。しかし、米国に元々存在した勢力がトランプ氏を看板に取り替えることにしたと考えるべきだと思う。米国には多くのオプション(着物)が用意されていて、今回はその一つが表に出てきただけだろう。

2)大昔、地球は広かった。それが人類にとって狭いと感じられるようになり、戦争が始まった。この70年間戦争がなかったのは、科学と技術の融合により高い生産性と省エネルギーが達成され、一時的に地球が広くなったと人類が感じただけだと思う。豊かさに慣れた人間が、三食食って家に住むだけでは満足できなくなり、再び地球の狭さ富の少なさを日常的に感じるようになったのが、現在の世界なのだろう。もちろん、貧富の格差拡大もそのおおきな要因だが、主ではないと思う。

トランプ大統領は、この経済的地理的に狭く感じられるようになって、何かを排除しなければならないと考えているだろう。最初に標的になったのがイスラム圏である。テロリズムの輸出をしているというが、その製造技術は米国製であることには言及しない。しかし、トランプ氏がもっとも大きな問題だと感じているのはアジアではないだろうか。

ロシアのプーチン大統領は既にそれを読んでいる。米露の接近は、中国を再びロシアの敵にするだろう。Youtube動画の多くに見られるように、中国は没落するように感じる。しかし、それは中国だけの問題ではないことに、日本のほとんどの人は気づいていない。中国が米国の経済的政治的攻撃目標になるとしたら、日本がその手先に使われるだろう。しかし、もし中国が没落した時には、標的は日本になる可能性が大である。

既に書いたように、日本は現在英米ブロックの端に位置しているし、その延長線上以外に日本の位置を求めることは、日本国の中枢と日本国民の意思に相当の成長がなくてはあり得ない。しかしその路線は、あと30年位は許されても、その先は保障されないだろう。2050年問題、つまり、イスラム教信者がキリスト教信者の数を超えることは欧米にとって共通の大問題である。それを睨んで欧米の戦略家は必死になって、世界戦略を考えているだろう。 http://jp.wsj.com/articles/SB12451244521881693796604580557262642639100

それと同時に、欧米にとっての大問題は、米国がGDPで世界トップの座を明け渡す時である。中国を米国が攻撃の的にするのは、その意味で自然である。昔、中国共産党は、国民党と日本を戦わせ、両方を消耗させる戦略をとった。そのような戦略は常識であるが、国家が表と裏の二重張の着物をきているという常識を持たなければ、簡単にその戦略に嵌るだろう。

日本がそのようにならないように祈るが、そのためには日本にも裏地が必要である。米国が世界各国に戦略として輸出してきたのは、民主主義や人権といった表地だけであった。それは対象国の弱体化を目的としてなされたことは、今や常識だと思う。その表地は、接着剤なしでは裏地を嫌うことも米国の戦略家は熟知していた筈である。

==これは素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。==

2016年12月22日木曜日

アポロ11号は月に行っていない(まとめ)

§1:アポロ計画に対する捏造疑惑の発生とその疑惑に関するBBCとNHKの放送

1961年ケネディ大統領(当時)により、月面に有人宇宙船着陸を成功させる計画が発表された。アポロ計画では最後の17号まで合計6回の月面着陸に成功し、12人の宇宙飛行士を月面に送ったとされる。そして、1969年7月20日アポロ11号が月面着陸に初めて成功し、アームストロング船長が人類で初めて月に降り立ったということになっている。

このアポロ計画は1975年のアポロ17号を最後に終了した。その直後の1976年に、アポロ計画のロケットを設計製造した会社の技術者であるビル・ケーシング(Bill Kaysing)により、「We Never Went to the Moon」と題する本が出版された。米国NASAによる捏造説である。

BBCは2000年ビル・ケーシングの疑問などを取り上げ、独自にアポロ計画での人が月面に立ったという話は捏造ではないかという内容の番組を作った。 https://www.youtube.com/watch?v=vh_OqDj6ff8https://www.youtube.com/watch?v=vwf-k15TqIU(補足1)

 そこで提示された一般にも分かりやすい疑問点は、①風が吹いていないのに月面に立てた米国旗がはためいているように見える、②画像に映った影が平行になっていない、③月面着陸船のジェット噴射の跡が月面についていない、などである。 更に、疑惑を持つのに少し理科の知識を要するのだが、④太陽からの宇宙線に飛行士は耐えられるか、⑤月の表面にできたという鮮明な足跡はおかしいのではないか。更に、⑥月面で飛行士がジャンプする場面があるが、月の重力は地球上の6分の1だからもっと跳び上がれる筈だという疑問も重要である。 (なお、最近撮影されたものも含めて月の映像などは以下のサイトに詳しい。http://www.s-yamaga.jp/nanimono/uchu/tsuki-04.htm

NHKもこのアポロ宇宙船の疑惑を取り上げている。明確な結論を出していないが、多くの疑惑は説明可能であり、米国のアポロ計画に対する疑惑の報告は陰謀であるとの印象を与える内容である。その検証の対象となった疑問は、上記①②③の疑問と、⑦暗黒である筈の空に星が見えないという疑問である。簡単な実験をみせて、それらの現象は実際には説明可能だとしている。しかし、検証実験は疑問を出したオリジナルの画像を無視した、全く不十分なものであった。 https://www.youtube.com/watch?v=eJ2bVmtHFO4(補足2) 

BBCは正面から疑惑に対峙しているが、NHKは客観的に検証しているフリをしながら、米国NASAの擁護の目的で放送を作ったことが明白である。 

§2:頻繁に議論された一般的な疑惑とそれに対する反論 

多くの提出された疑問点には、それぞれ反論が出されている。従って、専門家はそれぞれの専門で確信を持っていたとしても、その論に一般人を説得するほどの力はなく、水掛け論に終わっている感じがする。アポロ計画はもともと政治的目的で始められたことである。従って、もし捏造であったとしても、それは専門家を騙すのが目的ではなく、一般市民を騙せれば十分である。現在のところNASAはこの件で窮地に追い込まれているとは言えない。

ここで幾つかの昔からよく引用される疑問点とそれに対する反論を振り返る。

①空気が無いのに星条旗がはためいている。この旗の動きについては、支持棒に飛行士が回転を与えているとして説明されている。それを論破するだけの再反論はない。

②写真は全て太陽光のみを光源として撮られたということだが、写真画像に写った影が平行になっていない。これには、遠方の影が水平方向に延びて見えるのは写真の場合自然であるとして説明された。この説明では不十分な写真を何枚もみたが、それがアポロ計画捏造論により作られた(捏造された)と反論されると、現在のNASAの公表データにない以上、我々一般民には再反論は不可能である。 ③月着陸船の噴射跡が月面にないのは、月表面を厚いレゴレス(砂状堆積層)が覆っているという説に矛盾する。これにはNHKは、硬い地面であったのでクレータ状の大きな跡は生じなかったと説明している。これも、月表面はもともと平面ではないので、出っ張った部分のレゴリス層は比較的薄いだろうから、高解像度の写真がなければ一般民が納得する程度の再反論は不可能である。 ④BBC発表とされる最初の動画では、バンアレン帯の放射能や月面等での太陽フレアによる放射能は宇宙飛行士の健康を害するに十分であるとして、疑惑の中心に取り上げている。プロトン粒子流や電子流は、飛行船を通過しないし、太陽風中のものや二次的に発生するX線やγ線の強度に関する確実なデータがない以上、専門家(宇宙物理学者)には直感的に判ったとしても一般には説得力はない。

⑤アポロ11号の月着陸のシンボル的な存在である、オルドリン飛行士の月面に残したとされるくっきりとした靴跡は、水分や有機物のない月面では出来ない。これに対して、月表面にはレゴリスという砂が堆積しており、靴跡ができるのだという反論があるが、これは非常に不十分な論である。NHKのNASAを擁護する番組でも最初に大写しで出てくるが、この捏造論に関しては説明もされず再反論もなく、ただ沈黙したままであった。私は最初この件で、NASAは月面着陸を捏造したと確信したが、それはたまたま真空実験を日常としていたことや界面張力が関与する現象に詳しかったからだろう。

⑥宇宙飛行士が月面でスキップする動画がアポロ計画の成果を発表する際、よく引用される。NASAのホームページ(HP)からも見ることができる。これも、軽々とスキップしているのだが、なぜ90センチくらいジャンプできないのか?という疑問には、「背中の生命維持装置が重たく、且つ、関節の折り曲げが自由でないため無理だ」という説明に再反論することはできても、大衆を説得するほどの力はない。

⑦発表された写真の空には、星が見えないという疑問も重要である。反論は、「月面は昼間であり、露出を月の昼に合わせたら星が見えないのはむしろ当然ではないか?」というものである。しかし、月よりも明るく写っている地球を見ると、解像度が十分なら(普通のレベルのフィルムなら)一等星などは当然写って然るべきである。しかし、この議論も素人にとっては押し問答に見える。

⑧この他に、アポロ17号の月を移動する際に用いられた月面移動車の動画では、車が砂を巻き上げて進む場面がある。その砂が放物線を描いて落ちていないという指摘もある。空気抵抗がなければ砂の軌道は放物線を描く筈だが、それについての反論は見つけていない。 ⑨月を有人で往復するロケット技術を持っていない。これは元々ビル・ケーシングの疑問であり、アポロ疑惑の原点であるが、これは素人向きでなくネットで見る議論ではほとんど無視されている。ただ、ケーシングはアポロ計画の早期にロケット設計制作会社を退職しているので、その後の発展については知らないという反論は存在する。ロケット操縦などの困難さについては、後で述べる。

その他に、オルドリン飛行士が月面に降りる際、月着陸線の影の中に居るにも関わらず背中が明るく写っているのはおかしいという指摘、月の岩石上にCという字が書かれているが、これは地上での撮影のためにつけられたに違いないという指摘などの疑問点がある。それらも反論が出されており、素人には水掛け論に見える。これらの疑問点とそれに対する反論はウィキペディアにまとめられて居る。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E8%A8%88%E7%94%BB%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AB%96

これらの個々の反論は一定の説得力があるように感じるが、③⑤⑧の反論が成立するには月表面に堆積したレゴリスの性質に大差がなければならない。つまり、明確に形どられた靴跡、月面車が捲き上げる砂、月着陸の時に着陸船の足が砂を被らないことやほとんど捲きあげない砂などの説明において、レゴリスの性質を場当たり的に都合よく仮定している。

§3:アポロ11号のオルドリン飛行士が月に残したとされる靴跡に関する議論

月面は真空であり、生物はいないので有機物などは存在しない。したがって、砂粒子を集めて粘土状にするには水分が必要である。真空状態の月面では砂はサラサラであり、あのように押し固めたような跡はできない。もし、踏みつけた靴と砂の間に静電気が生じたとしても、それは砂粒子間の反発力となり、一層靴跡が残りにくくなる。重力が存在する月面では、靴のあとは砂にとってエネルギーが高い状態であり、崩れて平面に近づこうとする。もちろん、完全な平面になるには砂粒子間の再配置が必要なので、ぼんやりとした靴跡は残る。地上では水との相互作用による土の凝集性がそれを妨げるので、粘土質の場所であればくっきりとした靴跡が残るが、月面では水はなくあのような跡はできない。

下の写真は、よく引用されるオルドリン飛行士の作った靴跡である。通常は上下逆に映されて居るが、ここではより状況が感覚的に把握しやすいように反転した。つまり、上(前)に深く踏み込んで出来たのだが、真空中にも関わらず靴をあげても窪みも靴跡も崩れないのである。


図(1)オルドリン飛行士が月面に残したとされる靴跡

有機物を一切含まない微細粒子状の砂を用いて、水分もない真空の部屋で実験すれば、このような靴跡は絶対にできないだろう。特に前方の大きな窪みはすぐに崩れ、くっきりとした靴の突起跡も崩れる筈である。

空気中では、砂粒子の表面はエネルギーの高い状態にあり、水分を吸着して幾分安定化(表面エネルギーが低下)する。その代わり、水の表面は大きなエネルギーを持った形で固体表面に広がる。もし近くにもう一つの砂粒子があれば、その界面に吸着した水と一緒になって、水は表面積を狭くしようとする。それが粒子間の引力となり、砂を粘土状にする理由である。

真空中では砂粒子間に働く引力はなく、靴で踏みつければ静電気を帯びて逆に反発するだろう。以上が、靴跡に関する疑惑の説明であり、これがクツガエルことはない。

§4オリジナルな疑問点:アポロ11号飛行士が見た地球の像と着陸地点(静かの海の近く)での太陽の仰角との矛盾

これまで議論されたことのない捏造の証拠になりうる矛盾点を見つけたので、以下それを記述する。NASAが現在公表している動画にApollo_intoro_720p.movというファイルがある。(動画1)それは、アポロ11号のミッションの最初から最後までを簡単に2分間で紹介した動画である。その動画は前回のブログで参考にしたものの前半とほとんど同じである。https://www.youtube.com/watch?v=3TA54Bztdvc(動画2)

動画1の内容を簡単に紹介する。ロケットの打ち上げの後、①動画27秒付近で司令船から離れた着陸船が映される。②51秒付近で着陸船から船外に出る飛行士が映される。外は夜明け前の暗さである。そこであの有名なセリフが語られる。③1分35秒(以下1:35と表記)付近から比較的明るい月表面、そして、立てられた星条旗が映される。その直後、④宇宙船は離陸し(1:48)し、2:00に半円形の地球が映し出される。

アポロ11号はすでに述べたように、1969年7月20日に月着陸する。月面船外活動時間は2h 36m 40sで、月面滞在時間は21h 31m 20s、月周回時間は59h 30m 26sである(2.5日)。着陸地点は、月の静かの海の近くであり、(北緯0度40分26.69秒、東経23度28分22.69秒)である。 ここで注目するのは動画の③で映された星条旗の影から推測される太陽の仰角と、④半円形の地球が月から観測されることの矛盾点である。


図(2)アポロ11号の月面活動の最後の方で映された星条旗と、司令船とドッキング前の月着陸船と遠方の半円形の地球

月が地球の周りを回る軌道と地球が太陽の周りを回る軌道は、下図に示すようにわずか5.14度しかずれていない。今後このズレは議論に影響しないので、地球も月も共通の平面上を周回するとする。地球の自転軸は23.44度地球の公転軸からずれて居るが、今回は地球の像は問題だが自転は問題にしないので今後無関係である。


図(3)地球の周回軌道と月の周回軌道の関係

月から半円形の地球が観測されるのは、月、地球、太陽光が、下の図のような配置になった時である。


図(4)半円形の地球が月から見える場合の配置、アポロ11号着陸地点の位置

司令船がその写真を撮る場合、東から西(時計回り)に周回しているとすると、上図では月の紙面での頂上付近で、月の地平線からのぼる上半分が明るい地球が見えることになる。動画2では、rising earthとしてそのような地球と月の地平線との関係が紹介されている。しかしどういうわけか、動画1には月の地平線が写った画面は紹介されていない。おそらく当初紹介されていた動画から削除されたのだろう。

下図は、月と地球の位置関係がどのように時間変化するかを示したダイアグラムである。太陽光は上から照射され、地球の自転も月の地球周回も反時計方向に回ると描かれている。このあたりは100%出典を信用することにする。


http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_a001.html 図(5)地球と月の太陽に照らされる部分の周期変化

動画1にある半円形の地球(宇宙船から見て上弦の地球)が、動画の最後に映されているので、月周回中の司令船から着陸船とドッキングする前に撮られたとすると(実際に動画2では、船外活動が行われたのは最大2.5日前だから、その時の月齢が4〜5日より小さいことはない。その予想される月齢が最も若い時には、着陸船の外は(動画1のアームストロング船長が月面に出る瞬間の様に)暗い可能性がある。下のその場合の予想図を示す。


図(6)半円形の地球が観測される前には、太陽の仰角は小さいことを示す図
修正:図の緯度0とあるのは、経度0の間違いです。この線は極点を通ります。以上訂正します。(2017/5/19)

月と太陽の角度は、24時間に12度しか変化しない。したがって、太陽の仰角は着陸地点の経度(上弦の地球の時の太陽の仰角)よりもかなり小さい筈である。以上から、静かの海近くでの太陽の仰角θは、数度<θ<23.5度である。しかし、船外活動の時の動画に星条旗が映し出された画面があり、この時の星条旗の影から考えられる太陽の仰角は30度以上ある。これは明らかな矛盾である。

また、アームストロング船長が船外に出た時にはほとんど暗闇であったが、それが月面活動の間に上記写真のように明るくなることはありえない。その後月面から出発直前に写真を撮ったとしても、太陽の仰角は大して変わらないはず。地球上とは違って、21時間30分の月面滞在時間に太陽は高く昇る筈はないのである。NASAは都合の悪い画面を消していった結果、動画1の様に映写時間の短いものしか残らなかったのだろう。しかし、月から見た地球の画面と星条旗の画面は消すわけにはいかないので、残したのだろう(図2)。

もし本当にアポロ11号が人を月に送ったのなら、人類の偉大な成果であり、NASAは大々的にその成果を表に出す筈である。しかし、現在アポロ計画の紹介はNASAのHPで非常に控えめに置かれている。つまり、タイトルページのmissionsをクリックし、アルファベットの中からAをクリックして、その中に現れるApolloをクリックしてようやく現れるのだ。そして、アポロ11号関係の画像資料は少ししかない。これらのことは、正史を信じるのなら非常に奇異である。恐らく、動画2の全てを含め、もっと多くの画像が嘗てNASAのHPから簡単に入手できたのではないだろうか?

§5 月面周回、月面着陸、地球帰還を成功させるのは、国際宇宙ステーションへの往来に比べて遥かに難しい

先ず、月面着陸の困難さについて考察する。この問題については、すでに以下のサイトに述べられている。この記述の内容は全くその通りだと思うので、以下この問題を概観する。 https://mirustar.blogspot.jp/2016/10/83.html

司令船と機械船及び月着陸船からなる宇宙船が、月の周回軌道に移るプロセスを考えるベースになるのは、上記サイトで自由帰還軌道と呼ばれる軌道である。月の近くまで燃料を使わない慣性飛行で来た宇宙船は、月との衝突を避ける様に月の地球周回軌道の前面をあるスピードで横切るとした場合について、以下のサイトにその軌道上での地球と月の運動がシミュレートされている。 https://mirustar.blogspot.jp/2016/08/30-wikipediafree-return-trajectory.html

月の地球周回速度は、秒速1.0 km(時速約3300km)であり、宇宙船の月の周回軌道上での速度は約1.63km/sである。横切る時に宇宙船は月の引力で加速され、そのまま月に衝突するとした場合、月の脱出速度(2.38km/s)よりも速い速度になっている筈である。

その衝突を避け、月の裏側に回った宇宙船を月の周回軌道(高度約100km;図2参照)に乗せるには、月から見て逆推進を行う必要がある。その為には、宇宙船の姿勢制御とロケット出力の調整を精密に行う必要がある。我々素人には神業に見える。しかしこの問題も、あらかじめ計算しておけば可能であるという専門家の答えを覆す能力は、我々素人にはない。

§6地球帰還における困難:

地球帰還も月着陸にも増して困難だっただろう。アポロ13号は月の周回軌道に入らなかったので、その全軌道はほとんど上記サイトにシミュレーションされた軌道で地球帰還したことになる。そして、アポロ宇宙船11号の地球帰還も、この自由帰還軌道を利用して行われたと書かれている。

しかしこの方法での帰還は、国際宇宙ステーション(ISS)からの帰還と比較して、非常に困難である。ISSは地球周回軌道にあり、そこから離れた帰還船は少しだけ減速すれば軌道は地球方向(内向き)に変化し、その後空気抵抗で減速と加熱が生じるが、断熱をして船内の温度を保つことと、パラシュートを開くタイミングだけが問題となる。軌道計算と速度計算がしかるべくされていれば、姿勢が安定している宇宙船なら計算通り進むだろう。

これと比較して、月からの帰還には二つの困難が存在する。一つはISSの高度くらいに地球へ近づく時、そのスピードは11km/秒程度と非常に高速になっていることである。ISSからの帰還における初速は8km/秒程度で、そのエネルギー(速度の二乗に比例)は月から帰還する場合の約半分である。つまり、ISSからの帰還の場合と同じ角度で地球に突っ込んだのでは、衝突して粉々になるか燃えてしまうかどちらかだろう。それを防ぐには、ISS よりもより小さい角度で地球の大気圏に入り、時間をかけて宇宙船の運動エネルギーを消費する必要がある。


図(7) 地球帰還をするための宇宙船の軌道 

上図の軌道の①や②では、再び地球から遠ざかり、しばらく楕円軌道を回転し、数日後に再び地球に再接近するだろう。この軌道を適正にとることの難しさが一点。上の図で③の経路を取ることに成功したとして、地表近くに来た時パラシュートで軟着陸できる程度に減速できているかがもう一つの問題点である。上図は大気層を1200kmとして描いた場合であり、この1/40程度の薄い層の中に大気の99%が存在することを考えると直感的には無理だと思う。

ISSからの帰還の場合は、既に述べた様に、地球を周回しながら徐々に減速することは可能である。しかし、月からの帰還船の場合、地球の大気との一回限りの相互作用でISSが減速の為に接触する空気層の距離の倍の距離をパラシュートが開く前に進まなければならない。その為にISSの場合の半分の浅い入射角を取らなければならない。それは至難の技である。本来、相当に大きな逆推進ロケットを使って減速し、地球周回軌道に一旦乗ってから、帰還するのが普通の考え方だと思う。

§7 最後に

この小文で指摘した原理的に説明困難な疑問点は、①オルドリン飛行士のくっきりとした靴跡など月面には残らないだろうという点と、②アポロ11号のミッションで、月周回中の司令船と月着陸船とのドッキング前に、半円形の地球を観測したこと(動画1には着陸船は映っていない)と、着陸地点で星条旗の影から計算した太陽の仰角とが矛盾する、の2点であった。

その他は、「非常に困難に見えるけれども、専門家の計画は非常に緻密だ」と言われれば、素人にはそれ以上立ち入ることはできない類の疑問点である。

ただ、本当に月に行ったのなら、NASAは今でも大々的にその成果を表に出すはずである。また、月に我々はいるということを明確に示す実験をやっているはずである。例えば、100mLの水をあの月面とされる広い空間でオープンにすれば、一部が蒸発して直ちに凍るだろう。そのような類の実験はたくさんある筈で、そのようなデモンストレーションをしなかったのは、月に行けなかった証拠と言えると思う。

(2017/1/2 一部語句の編集あり)

補足:
1)ネットではこれらに関して賛否両論の多くの動画が発表されている。上記BBCの番組を短く編集したらしい動画もある。 https://www.youtube.com/watch?v=MHHI87ePoqE
2)NHKはある程度説明可能な疑惑を選んで、中途半端な再現実験を行なっている。例えば、①の疑問について、旗が真空中でも支柱の回転により、長時間はためくことを高校レベルの化学実験装置を用いて見せている。それは、実験するまでもないことである。実験するのなら、同じ位の大きさの旗を用いて真空室内で実験すべきである。ただ、この様な初歩的なところで疑惑が出る様なミスをNASAがする筈がない。②と⑦の説明も極当たり前のことを言っているだけで、それで説明可能ならBBCが取りあげる筈がない。疑惑③については、月面は地上よりも硬くなっているとしてなされた。しかし、それは他の画像に砂をけって歩く宇宙飛行士の姿が写っているので、全く説得力はない。

月に関するデータ:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88

直径:3475.8 km(東西方向、赤道)、3471.3 km (南北方向);
平均密度:3.344g/cm;表面重力:1.622 m/s^2 (地球では、9.8 m/s^2)地球の1/6
脱出速度(第二宇宙速度):2.378 km/s ;月表面での周回速度(第一宇宙速度)は脱出速度の二乗を二で割り、それを1/2乗したもの;
尚、アポロ宇宙船の周回高度(h)とされる100kmくらいでは、速度は6%程小さくなる。周回速度vの二乗は回転半径(R+h)と重力加速度の積の倍である。
{v^2=2gR(1-2h/R)*(1+h/R)≈2gR(1-h/R)}
月の平均軌道速度 1.022 km/s

2016年12月18日日曜日

経済協力は平和条約締結のための雰囲気作りか?

ロシアのプーチン大統領は、「日露の経済協力が平和条約の締結に向けた雰囲気作りになる」といった。これは、「日本が十分経済協力しなければ、再びドンパチやってもいいんだぜ」という脅しと解釈できる。勿論、再度ドンパチやる気などなく、経済協力を引き出すために凄んだのだろう。そういう手を使う一派はどこの国にもいる。一度戦争で奪った領土を取り返すということは、もう一度戦争をすることを意味するのはほぼ常識なのだろう。

それにも拘らず、雰囲気という柔らかい言葉をありがたく頂戴して、回りくどい議論をしているのが、元外交官の佐藤優と自民党国会議員の鈴木宗男だと思う。「彼らの頭の中は複雑で、電源が二つあり、しかも部分的に回路がショートしている」と言われても仕方ないだろう。

プーチン大統領は、そしてほとんどのロシア人も、「日本は何故70年も前に決着のついたことをグジグジ言っているのか?」と思っているだろう。一般のロシア人は、降伏条件に同意するむねの通知をした後に、武器を持たない日本人に火事場泥棒的に襲い掛かったロシア軍のことなどほとんど知らないのだろう。中立条約を結んでいたなんてことを知っている人は、更に少ないだろう。

日本もいい加減に小さい歯舞や色丹島など諦めたらどうか。経済協力抜きで平和条約を結べば良い。相手が歯舞や色丹も返さないのに、仲良く経済協力しましょうなんて、アホを通り過ぎている。お前には、電源二つ入っているのだろうと言われても仕方ないのではないか。

一行目に書いた文章の意味(プーチンの本心)がわからないのだろうか。日本人のほとんどは、未だそれを「日露の密接な経済協力は、領土返還のための雰囲気作りだ」と読み替えているだろう。情けない。

千島列島の領有権はサンフランシスコ講和条約で放棄している。それは吉田茂の国会答弁と、それを補足する西村条約局長の「放棄した千島列島に南千島も含まれる」という答弁が明確に示している。また、歯舞色丹における行政権もGHQにより停止されて、ロシアの占領をGHQは認めている。

兎に角、あの国は奪ったものは返さないと言っているのだ。それにも拘らず、返さなければ平和条約を結ばないということは、何れ国境紛争が起こる可能性があると解され、ロシアに北方4島での軍備強化の口実を与えることになると思う。もう少し普通の感覚で考えられないものなのか?

あの国は第二の核保有国である。その国と戦う力など小指の先ほどもないのだから、のらりくらりと顔では仲良いフリをしながら、実質的に何も協力しないのが普通のやり方である。

安倍総理も甘く考えていたようであり、所詮戦後の平均的日本人の感覚を超えていないということだとおもう。旧島民の手紙をプーチンに渡すことにどれだけの意味があるのか。何がウラジミールだ。西欧文化の感覚を持っていないのだから、ファーストネームなんか使うべきではない。

プーチン政権がウィキリークスなどを用いて、トランプ氏を次期米国大統領として当選させた時に、日本に対する態度が急変したことがわかった筈だ。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/11/blog-post_15.html ロシアは、シリア問題、ウクライナ問題、米国、NATO諸国などの全ての国を念頭に置いて日本との関係を考えているが、日本は日本とロシアの二カ国関係に精々米国くらいしか考えてこなかったのではないか。

国際政治の厳しさを今こそ、日本政府と全国民は学ぶべきだと思う。

補足:
以上は日本人有権者としての愚痴です。先日のスケートグランプリシリーズで優勝したロシアのメドベージェワは日本語で日本の歌を歌っていた。一般のロシア人には、片言の日本語を覚えている人も多い。私も一時期ロシア人と共同で仕事をしたこともあり、もともと敵意はない。ロシアが独裁国からもう少し開かれた国になることを希望する。

2016年12月16日金曜日

現在進行している日露両国の平和条約締結交渉はノーマルなものなのだろうか?

1)昨日からプーチンロシア大統領の訪問についてテレビが盛んに報道している。直前の記事でも書いたように、日本ではこの問題を北方領土返還交渉のように考える人がほとんどである。安倍総理がプーチン大統領に旧島民の手紙を渡したということだが、それはこの日本の考え方と一致している。多分ロシアでは、極東経済開発問題として考える人が多いだろう。

  しかし、大事なことは日露平和条約の締結の筈である。それは第二次世界大戦で戦ったロシア(ソ連)と日本の間での本当の意味での戦争終結である。その原点を忘れているのではないのかと思ってしまう。

その原点から見て、今考えられている経済協力はどういう意味があるのか?中国(や韓国)との平和条約(基本条約)の締結の際に約束された経済協力は、戦後賠償金の意味を持っていた。日露の間で戦後賠償金の支払い義務があるのか、もし無いとロシアが言うのなら領土問題だけが残されているのではないのか。

  歯舞群島は、休戦協定後に武装解除の形で乗り込んだロシアにそのまま占領された。その後、GHQにより日本の行政権が停止された。そのようにウィキペディアには書かれている。しかし、このようなプロセスを含めて、日本がサンフランシスコ講和条約を結んだのなら、仮にソ連が署名しなかったとしても日本に領有権はないだろう。

つまり、歯舞島と色丹島については、ロシアは第二次大戦で占領したので領有権は当然ロシアにあると主張すれば、それを覆す権利は敗戦国には無いだろう。そこに異論があるのなら、将来の経済協力ではなく、そこを中心に話し合うべきではないのか。

平和条約は、従来の国際的慣習に従って戦争の清算として淡々と行うべきであると思う。取られた領土に未練がましく縋るのではなく、国際的慣習に照らして最も合理的だと思われるように帰属を決めるべきだと思う。ここまでの段階で、双方が合意に到達するのなら、平和条約締結に支障はないと思う。

しかし、経済協力が平和条約の雰囲気作りのために必要だとロシアが主張するとしたら、それは戦争状態に戻るのか経済協力するのかと言う脅しである。それは平和条約の交渉をする時の話ではない。

安倍総理の8項目経済提案も、ODAのようなものではなく、日本の私企業がロシア内でロシアの法律に従って行うことであり、相互の経済的利益を見込んでのことだとテレビなどで解説されている。そのような経済協力の約束をして、4島または2島を平和条約の締結時に引き渡してもらおうと考えるのは、ノーマルな考えでは無いと思う。

日本政府は、経済援助(ロシア側にプラス)と4島(2島)返還(ロシア側にマイナス)をかき混ぜて液状にし、それに平和条約というネタをつけて、大きな天ぷらを揚げようとしているように見える。ネタが、衣との相性が悪くて、衣がうまくネタに絡まないにも拘らず、そのようなことをしてきたため、今まで平和条約の締結が遅れたのでは無いのか。

別の言葉で言えば、経済の時間軸と政治の時間軸を別々にとりましょうと言うような、インチキの合意は後々禍根を残すことになってしまうと思う。

2) もちろん、休戦協定締結ののち、占領した土地を自分の領土だと主張することが許せないと言うのなら、それを日本側が主張するべきである。それが受け入れられないのなら平和条約締結を諦めるのなら、それは一つの決断である。その代わり、日本は防衛問題をそれに沿って考えるべきである。

これまでの日本の対露平和条約に対する姿勢は、選択項目の中にないことを必死に考えているように見える。

2016年12月15日木曜日

対露平和条約交渉を考える

1)今日ロシアのプーチン大統領一行が山口県で安倍総理と会談するようだ。日本ではこの問題を北方領土返還交渉のように考える人が多い。多分ロシアでは、極東経済開発問題として考える人が多いだろう。そのように双方が考えている限り、ゴールには到達しないだろう。

一時期日本では、面積半分で折り合いをつけるとか、二島先行返還とかの楽観論が多かった。しかし、最近のプーチン大統領の「領土交渉はしない」という発言を聞いて、ガッカリする人たちやそれでも進展があると力説する人などに分裂している。

昨日の読売新聞朝刊の一面トップは、表題“四島交渉「別の問題」”及び副題「共同経済活動 露の主導下で」という記事であった。それによると、プーチン大統領はロシア大統領府で、読売新聞東京本社の編集局長と日本テレビの解説委員長の質問に答えて、(平和条約締結の)「チャンスはある。パートナーの柔軟性にかかっている」と述べ、更に、四島の帰属問題の提起は「日ソ共同宣言の枠を超えている。全く別の話で別の問題提起だ」と、平和条約締結と関連しての国後と択捉の引渡しはあり得ないと明言した。また、安倍総理の8項目経済協力プランについては、平和条約を締結する「条件ではなく雰囲気作り」との認識を示した。

本題からずれるが、この“8項目の提案は平和条約締結の「条件ではなく雰囲気作り」だとの認識”という文章(文節)の意味がわからない。提案するだけで雰囲気作りができたのか、それを互いに実行することが雰囲気作りなのか? 肝心なところを曖昧に書いてしまう新聞社の無能さには呆れる。(補足1) しかし、多分後者の意味だろうと推測する。8項目の経済協力に合意して副題にあるようにロシア主導でそれらを実行するのが、単なる雰囲気作りなら、今回の平和条約締結はあり得ない。

多くの解説者がいうように、プーチン商店が値引き前に定価を上げているのなら、今後の安倍総理の交渉力にかかっている。しかし、プーチン大統領の本音がその言葉通りなら、こちらも諦めて、さっさと文字通りの意味でご馳走をしたのち帰ってもらうしかない。

2)どうやら、今回の平和条約締結交渉は暗礁に乗り上げることになるだろう。今回の件、日本の報道も政治も浮き足立ったことを認め、将来を考える上での参考にすべきだと思う。高い塀に囲まれていると思って安心して眠っていたが、自分の箱庭の外は厳しい冬の荒波が押しては引いているのである。つまり、今回の日露間の問題は、主に日本の問題でありロシアの問題ではないということである。また、プーチン大統領の姿勢の変化から、ロシアにとって日本は単にアメリカという獅子の尻尾に過ぎないということを再認識すべきである。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/11/blog-post_15.html

日露関係が将来どうあるべきかという問題を考えるには、まず日本が世界の中でどういう位置を占めることになるのか(占めるべきなのか)という問題に一応の答えを得ることが条件である。しかし、その答えは明確には出ないだろう。何故なら、日本国は戦後70年以上経っても、未だに「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」するとか、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する(日本国憲法前文)」とかいうレベルの国際感覚しか持たない、12歳程度の世論しかない国なのである。

終戦後の70数年間、日ソまたは日露平和条約の話は、ロシアにとってニート少年への不動産引渡交渉のような感じかもしれない。まともに平和条約締結の交渉をするためには、単独で国家としての体裁を整えることが前提だと思う。米国でトランプ氏が次期大統領に決まり、世界の政治や経済が今後グローバル化に進むという考え方が一気に後退したように思う。その代わり、世界は今後国家間でできるいくつかのブロックで構成されるようになるだろう。日本は現在英米ブロックの端に位置しているし、その延長線上以外に日本の位置を求めることは、日本国の中枢と日本国民の意思に相当の成長がなくてはあり得ない。

日本は、米国、中国、ロシアの三ヶ国の間で、どのような位置を確保できるか、わからない。三つの強国よりも二つの強国に囲まれる方がましかもしれない。ロシアが、「1年間有効期限の残った日ソ中立条約の一方的破棄、弱り切った日本への攻撃、民間人の強姦や虐殺、大量の日本人をシベリア抑留したこと」などに対して何の心理的負担が無く(ロシアの民意がプーチン大統領の言葉通りなら)、且つ日本にとって日露経済協力が必須の要件で無いのなら、あえてロシアへの経済協力に努力する必要はないような気がする。もっと言えば、日本の将来と比較して、4島問題なんてどうでも良いくらいの小さい問題なのだ。

補足:

1)“8項目の提案は平和条約締結の「条件ではなく雰囲気作り」だとの認識”という文章の中での「提案」は、「提案の実行」という意味だという声が読売新聞の方から聞こえてきそうな気がする。この種の曖昧さが日本語には非常に多い。ケントギルバートが以下のように言っていた。「私はバイリンガルなので、日本のことを書くときには日本語で書き、米国のことは英語で書く。そして、それをもう一方のメディアに送るときに翻訳する。そのとき、英語で書いた原稿を日本語にするときは簡単だが、その逆の場合はいつも難しい」と。私も日本語の特徴というか欠点をブログなどに書いてきたが、日本語の文章は、論理のロープを手繰るようにしないと誤解してしまう。

2016年12月11日日曜日

陰謀論とは何か?:朴正煕元韓国大統領暗殺事件の簡単なレビュー

1)歴史は複雑に絡んだ膨大な出来事の中から、一部を取り上げて原因と理由の論理でつなぎ合わせた物語である。したがって、歴史を書いた側の事情により、いろんな歴史が存在する。”陰謀論”とは、正史とされる歴史を編纂した権威が、ある出来事に対する異なった解釈に貼り付けるラベルだと思う。

今朝久しぶりに時事放談を見た。最初の話題は、韓国大統領の朴槿恵氏が友人のチェ・スンシルに国家機密を漏洩したとして弾劾された件であった。ゲストの石破茂氏はこの件と40年前の朴正煕元大統領暗殺事件との関連を語った。つまり、母親が殺されたあと朴槿恵に近づいたのが、チェ・スンシルの父親で、キリスト教系新興宗教の開祖である崔太敏であったが、その後両家の家族ぐるみの付き合いに発展した。そのことが大統領として適切でないと、当時KCIA部長だった金載圭が朴正煕に指摘した。しかし、全く聞き入れなかった朴正煕に立腹して暗殺したと言うのである。 政府与党の重鎮である石破茂氏がテレビ番組で言うのだから、しっかりとした情報であるだろうと私は思った。おまけに同席した仙谷由人氏も司会の御厨貴氏も何も異論を出さなかった。(補足1)

しかし、ウィキペディアには全く異なった情報が書かれていた。この事件は、学生による反政府運動に対する取り締まりが緩いと、当時KCIA部長だった金載圭が朴正煕大統領に叱責されたことが原因で、それを恨んだ金載圭が朴大統領と車智澈大統領府警護室長を射殺したと書かれている。この時、金載圭は部下に大統領府警備員(車智澈の部下)の射殺を命じている。つまりKCIAが組織的に行ったのである。

一方、日本の公安調査庁の元調査第二部長であった菅沼光弘氏の理解する朴正煕大統領暗殺事件の様相はこれらと全く異なっていた。菅沼氏が得た情報では、朴正煕大統領は中国や多くの国に核兵器が拡散していく状況下で、核武装しない国家は真の独立国家とは言えない(なり得ない)と考え、日本の協力を得て核開発を目指したこと。その姿勢が米国の逆鱗に触れて殺されたと言う。KCIA部長の金載圭は暗殺の際に、「閣下死んでいただきます。私の後ろにはアメリカがいます」と言ったと、菅沼氏はその動画で話されている。 https://www.youtube.com/watch?v=xCTfGiUpZVc&t=337s

これらの説は全く異なった話であり、真実は一つであるから、少なくとも二つは捏造された事実を用いて書いた”歴史”である。もし、この三つの説の中に真実があるとすれば、菅沼氏の紹介した説であると思う。なぜなら、ウィキペディアに記載されている事件の進行は、暗殺事件が組織的になされたことを示しているからである。つまり、組織としての明確な方針が決定されていなければ、上司といえども国家要人の暗殺を部下に命じ、それがスムースに実行されるとは思えないからである。

その後、金載圭は絞首刑となったが、彼は使い捨てにされたのだろう。金載圭にとって、その時にKCIAの部長であったことが不運だったのだろう。このケースがその後の日本の政治にも影響しているかもしれない。日本も中国が核装備した佐藤内閣の時に、核装備を検討したことがあるが、佐藤首相は簡単にそれを諦めている。(補足2)このとき、米国に日本の核武装は許さないとを刺された筈である。その時用いられたハンマーは、朴正煕暗殺事件ではなかったかと想像する。

2)朴正煕大統領暗殺の件では、真実は陰謀論の方にあると思う。政治が嘘と誤魔化しの世界である以上、正史が真実と程遠いのはあたりである。正史と真実がかなり近いのは、科学の分野くらいだろう。それでも、利害と絡んでくると捏造が出てくる。

利害とは科学者が職業として成立するようになれば、より高い給与や名誉と真実究明が競合関係になるからである。例として、STAP騒動は未だに記憶に新しい。また、国家の名誉や国際的地位などと絡んでくれば、巨大な捏造もあり得る。その意味で、ノーベル賞は科学の発展に良い影響ばかり与えるとは限らない。個人が科学研究の道へ向かう動機として、自然への興味の他に個人的で世俗的な目的となり得るからである。

「陰謀論に走ってはおしまいだ」と言って、主流派に占める自分の地位を守るのは、全く真実に興味がない世俗的な人の行為である。また国家のトップにあるものが、自分の命を第一に考えていては、矛盾だらけの正史と多くの陰謀論の国になるだろう。

(編集、12/12 7:00) 補足:
1)この番組の面白くないところは、ゲスト二人は自分の思うところを述べるだけ、司会者はそれらを聞くだけ。互いの議論も議論から浮かび上がる真実もないところである。
2)1967年12月11日、佐藤総理は衆議院予算委員会で次のように答弁した。「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないというこの核に対する三原則、その平和憲法のもと、この核に対する三原則のもと、そのもとにおいて日本の安全はどうしたらいいのか、これが私に課せられた責任でございます。」と述べた。(ウィキペディア)

2016年12月9日金曜日

日本国憲法とお経について:日本語の欠陥に関連して

1)日本語は、論理的な議論に向かない言葉である。その論理展開の不自由さを埋め合わせるように日本語に生じたのが、言葉に予め価値や意思などを含ませることである。つまり、単語一つで意思、感情、そして情報の伝達をある程度行うのである。例えば、一人称主格は英語ではI(私)だが、日本語では私の他に、俺、僕、拙者、小生、我、我輩など10数個の単語がある。その中から一つを選択した段階で、元々の意味の他に背景や感情などを伝達するのである。

単語に価値とか善悪を暗に含ませることは、日常会話でも普通に行っている。もちろん、善や悪の様に価値の尺度を直接示す言葉は英語でも何語でも存在するが、そういうことではない。例えば、「女」という単語には悪を、「女性」という単語には善悪とは無関係という価値(辞書にない共通の感覚)を植え付けているのである。

それは、NHKニュース等でよく聞く以下の文章を見ればわかる。「昨日、50歳の女が隣家に押し入り、65の女性を暴行し、全治3ヶ月の怪我を負わしました」の文章で、“女”という単語と“女性”という単語は、入れ替えることはできない。何故なら、上記のように女は悪い方に使うと決まっているからである。女という単語を使って、女性の意味を表すには「女の人」と人をつける。「人」は一般に善良なる社会人を意味するからである。従って、「人でなし」は悪い人であり、善良なる性質を失った人のことである。

辞書に記述されない価値や善悪などの意味を言葉(単語や文章)に含ませるのは、日本語に独特だと思う。この言葉の使い方は、論理展開なしに情報伝達が行えるので意思伝達の効率を上げることになる。なぜなら、「あの女」で始まる言葉を聞く人は、話手がこれからその女の人を非難することが予め解るからである。

2)この便利さは同時に危険性でもある。つまり、一旦社会に受け入れられた言葉に、人々は金縛り状態に陥ることが往往にしてあるからである。例えば現在の日本国憲法を考えてみる。用いられた単語とそれによる文章に付随した絶対的価値のため、憲法前文や9条第一項を変更することは、日本国民にはできないのである。

前文の2節目の最初の文章は、美しい単語、「平和」、「崇高」、「理想」、「公正」、「信義」などで飾られている。それらは議論を通して定められたルールではなく、ただ拝むだけの対象でしかない。憲法9条第一項も同様に、読経のように唱えるのには美しいが、論理は滅茶苦茶である。(補足1)

もう一つの日常的な例をあげる。11月中旬になるが、帰省して父親の法事に参加した。そこで何時ものように坊主は仏壇の前で経を読む。般若心経から始まり、その他に二つ念入りに読むのだが、参加者は全てその意味を知ることはない。ただ仏壇に向かって座り、こうべ(首)を垂れているだけである。頭の中では、それぞれが全く別のことを考えているに違いない。

このように、文章を聴きながらその意味を考えずに拝む習慣は、議論や討論の習慣とは同居しない。その結果、日本人に出来る議論に似た行為は、口論と喧嘩だけになってしまったのではないだろうか。

経でも憲法でも、その言葉の意味ではなく、その言葉自体が有難いのである。それを象徴する出来事として、玉音放送がある。大日本帝国(補足2)が、天皇の決断により連合国側の示した降伏の条件(ポツダム宣言)を受け入れることになった時、天皇陛下の言葉が全国放送された。多くの国民はその意味がわからなかったが、土下座して有難い天皇陛下の言葉を聞いたのである。(補足3)

3)その日本語の特徴を巧みに利用する連中が永田町にも大勢いる。強行採決という言葉がよく新聞にも掲載されるが、それを与党の横暴であると考えている人も多いだろう。しかし、「民主主義」を標榜する国家なのだから、一定の議論の後、議長の判断で採決するのは「強行」ではない。「強行採決」は「強行」という悪い意味を「採決」にかぶせることで、選挙民にあたかも与党の法案採決をまるでゴリ押しであるかの様な印象を与えるために、野党の誰かが発明したのだ。(補足4)

「陰謀論」或いは「陰謀」もそのような類の言葉である。これらの言葉にも強い負の価値が付随している。そこで、ある二つの勢力間に政治的企みがあった時、どちらかの企みに対して「陰謀」という烙印を押すことに片方が成功すれば、そこで差し当たり勝負は決する。陰謀は悪だから支持を失うからである。

例えば、ウクライナのクーデターとその後起こったクリミアの独立とロシアへの併合が国際的な問題になった時、米国がヤヌコビッチ大統領を倒すべく陰で動いたとの指摘を、日本の評論家や政治家は陰謀論の烙印を押すことで封印した。そして、米国に追従し他のG7諸国と歩調を合わせてロシア制裁に動いた。(補足5)

日本では、テレビで活躍の対米追従型の元外交官の方々が、その封印作業に大きな役割をしたと思う。その陰謀論と烙印を押された意見は、例えば馬淵睦夫氏らによりyoutubeなどで紹介されるのみで、一般のテレビ放送や新聞の報道には決して登場しなかった。

つまり、陰謀論という烙印は真実に目を向けさせないための道具として屡々用いられる。日本ではそれが極めて有効であり、米国のマスコミに話題に上ることでも、日本のマスコミには決して現れないケースが多々ある。今回の米国大統領選でトランプ氏が勝利したが、新しい体制になればロシアとの関係が見直され、上記の件も陰謀論の烙印が剥がされるだろう。

かなり以前から、アポロ宇宙船が本当に月着陸を果たし、船員が月の地面を踏んだのだろうかと言う疑惑がある。「アポロ宇宙船により人間を月に送ったという話は、米国の壮大な捏造である」との疑惑についてのyoutube動画に私もコメントをした。

そこでも、「米国の捏造ではないか?」という議論は陰謀論に分類され、日本では忌み嫌われている。NHKはその説に陰謀論の烙印を押すことに協力する内容の放送を、非常に粗雑な実験と論理で行った。すでに書いた様に、私は月の地面の残されたと言うくっきりとした靴跡と、アポロ13号乗組員が機械船の爆発事故の後、月着陸船に乗って無事帰還したことの両方に疑問を持ち、現在捏造疑惑の方を支持している。

元々善悪の衣を着た言葉の他に、凄惨な出来事を経験した人たちに悪の衣を着せられた言葉がある。例えば、「原子力」と「核」である。広島と長崎で原爆が投下されたことにより、一般市民はこれらの言葉に強い負の意味を感じることになった。前にも書いたが、論理的思考に慣れない人々は、まるで原爆が無差別殺人の犯人のような感覚から離れられないのである。それを利用して、ノーベル賞をもらった人がいる。(補足6)

(18:30加筆編集)

補足

1)9条第一項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」である。希求すれば実現するので、武力の行使は不要である。万が一希求したにもかかわらず実現しなければ、我が民族の希求に誠実さが伴わなかったことを意味する。その場合、我が民族は滅んでも仕方あるまい。

2)自国の名に大をつけるところから、この国の言葉はどこか変である。

3)朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス 日常語と全く異なる言葉で、ポツダム宣言受諾と日本が戦争に至った理由を話された。しかし、その意味が理解できなかった人が多かったというのも分かる。http://news.livedoor.com/article/detail/10471284/

4)日本の主たる野党は、マッカーサーにより反日政党として育てられたという見方が存在する。

5)元外交官の馬淵睦夫氏や外交評論家の田中宇氏らは早くから米国の介入を紹介していた。最近、オバマ大統領がそれを認めたということが、以下のサイトに述べられていようだ。 https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2015_02_03/282671141/

6)核兵器が大量無差別殺人をしたので、核兵器が憎い。そこで、「核兵器は持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を堅持すると言って、人気を得てノーベル平和賞に輝いた人がいた。しかし、「核兵器を日本に打ち込ませず」の言葉はないし、その言葉はむしろ上記三原則と対立する。あの方は、日本人の言語感覚をよく知っていて、それを用いて自分の地位を築き、結果として日本民族を裏切った卑怯者である。

2016年12月6日火曜日

安倍総理の真珠湾訪問を支持する

1)安倍総理は、12月26,27日に真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する式典に、日本の総理大臣で初めて出席することになった。これは新しい時代には、歴史に区切りをつけて新しい外交をおこなうという知恵を、改めて世界に示す(補足1)ことになると思う。

真珠湾攻撃についてはいろんな歴史的解析が存在するが、それは歴史学の問題であり、現在の政治の問題にしてはならないと思う。米国には奇襲攻撃されたという言い分があり、日本には、米国の制裁に耐えかねて先制攻撃をせざるを得なかったとか、米国は無線を傍受して正確に日本の攻撃を予め知っていたとか、の歴史家の分析がある。しかし、それは講和条約という形で、互いに乗り越えた筈の過去である。

今回の安倍総理の知恵ある決断は現実的なものであり、理想主義的な勢力(原理主義者)からは非難を受ける可能性がある。理想主義者というのは、人間の知恵や能力の限界とか複雑な世界の中に生きている現実などを十分考慮せず、言語に用意された論理とそれによる思考で”正しい方法”を導き出せば、全て解決できる筈であるし、されねばならないと信仰する勢力である。

日中国交回復の際に、周恩来が田中角栄に贈った色紙の文章は、「言必信、行必果、脛脛然小人也」(論語、子路編)の最初の6文字であった。この由来から、周恩来は日本をそして田中角栄の外交をどう見ていたかが理解できると以前のブログで書いた。それは、鬼塚英昭という人の書いた「田中角栄こそが対中国売国者である」(成甲書房、2016/3)という本から学んだこと(あるいは受け売り)である。

上記子路編の言葉は、孟子の中の文章「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」という言葉と対をなしている。その訳は、「大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすだけである」である。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42762695.html(今年4月24日のブログ)

安倍総理は、日本国民に対する義を果たすことが大人(たいじん)のなすべきことであり、それは現在と未来の日本の国民に、安全と繁栄をもたらすことであると思っておられる筈である。一旦政治的に乗り越えた筈の歴史に、政治の舞台で拘泥するのは愚かである。今我々のもつ歴史書は真実を抽出して体系化したものであると、信頼を置くのは士(学者)のやることであり、大人のすることではない。

2)トランプ氏が次期大統領になって、日露交渉におけるロシアのプーチン大統領の態度が急変した。そのことについては、ウリュカエフ大臣の逮捕のニュースの翌日にブログに書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43056082.html

その後、徐々に日露の交渉が暗礁に乗り上げる可能性が高いとか、二島返還も実現しないだろうという分析がなされるようになった。こちらの方は歴史を乗り越えていないので、過去の歴史を振り返り日本の言い分を交渉に反映させるべきだと思う。

この件、日本の世論を引っ張っている新聞などは、二島とか四島とかいう問題をあまりにも重視しすぎである。これは、大国である米国、中国、ロシアの三国の間に挟まれて、非核保有国である日本の将来の生きる空間を如何に確保するかを、第一に考えて交渉に臨むべきことなのである。日露問題は、日中問題であり、日米問題でもあるのだ。

政府筋は否定するのが当然であるが、今回の安倍総理の真珠湾での慰霊祭への参加決断は、この日露交渉の難航を予想したことも一つの大きな動機だと思う。また、次期大統領のトランプ氏と会談を早々と行うなど、オバマ大統領にとっては決して愉快なことではなかった筈である。その気持ちを払拭する意味や、オバマ大統領の広島訪問に対する返礼の意味も込めて、もうすぐ退任されるオバマ大統領への表敬が最大の動機だと思う。非常に優れた決断だと思う。

補足:
1)書くまでもないが、過去の歴史を歪曲した上で、対日本外交に利用している韓国、朝鮮、中国に対して、”歴史と正しく向き合うこと”とはどういうことかを教えることになると思う。

2016年12月3日土曜日

歌謡曲の詩と日本に残る封建的精神

1)今朝の阿川佐和子さんのトーク番組のゲストは梅沢富美男さんだった。そこで、梅沢さんの好きな曲として紹介されたのが、小椋佳の作詞作曲の「少しは私に愛を下さい」だった。https://www.youtube.com/watch?v=p5vsCdyaIII その歌(詩)が興味深く、ここで私の感想とともに紹介したい。

少しは私に愛をください。全てをあなたに捧げた私だもの。
一度も咲かずに散ってゆきそうなバラが鏡に写っているわ。少しは私に愛をください。
たまには手紙を書いてください。いつでもあなたを想う私だもの。
あなたの心のほんの片隅に私の名前を残して欲しいの。たまには手紙を書いてください。
みぞれの捨て犬、抱いて育てた優しいあなたを、想い出しているの。
少しは私に愛をください。

上記youtubeのサイトでは、小椋佳のほかに来生たかおと井上陽水が歌っている。女性が独立した人格を持たないほどの男女の従属関係を悲しく歌っている。この歌だけでなく、同種の歌詞は人気ある歌謡曲として多く存在している。例えば、都はるみの歌ったヒット曲「北の宿から」でも、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」でも、心が移った男性と従順にもそのあとを追う女の心が歌われている。そのような関係に対して両性に一定の理解がなければ、この歌詞は人気の出る歌として成立しない。女性が心底嫌うのなら、これらの曲はヒット曲とはならなかっただろう。(補足1)

2)ブレジンスキーの本に「ひ弱な花」がある。その中で、日本に残る封建的人間関係を論じている。そして、仕事場での人間関係を見て「既成の権威に対する服従がかなり徹底しており、高度な階層的秩序が広く容認されている」と指摘している。外国人には特徴的に見えることでも、当の日本人には普通にしか見えないので、未だにその慣習というか文化に変化はない。

非常に極端な人間関係を歌った上記のいくつかの詩を、伝統的権威に対する従順な日本人の姿を描いていると見るのはおそらく正しいだろう。上記の歌は、それを男女間のものとして歌ったものであるが、その精神は主従の関係にどっぷりと浸かる日本的人間関係のものである。

一例として、非常に閉鎖的な日本の労働市場を考えて見る。その根本に、「忠臣は二君に仕えず」という封建思想の変形された集団心理が存在していると考える。そして、学校(大学)を卒業後に入社した学生は、終身雇用の制度によって、会社との間に擬似的な主従関係を築くのである。その労使の関係が崩れつつあるが、依然としてそれ以外の労使関係としては、最も原始的なものしか存在しない。

このような労使関係での賃金は、成果とその報酬という関係で決まらない。その代わり、労働者は年齢とともに変化する生活経費を雇用者から受けるのである。つまり、年功序列とは主従関係の賃金体系であり、決して近代的な労使関係のそれではない。

補足:
1)女性が心底嫌うのなら、男性もそのような関係は好ましくないと考えるはずである。一般に男女の関係は、グループが生き残るプロセスの中で、仕事の分担と同時にできたと考えられる。たんなる好き嫌いの問題ではなかった筈である。

2016年12月1日木曜日

北朝鮮に対する国連安保理の制裁決議について

ニュースによると、北朝鮮の5回目の核実験を受け、国連安全保障理事会は30日午前(日本時間同日深夜)、6度目となる新たな制裁決議案を全会一致で採択した。この制裁は、北朝鮮の主要な外貨収入源である石炭輸出に上限を設定した内容で、疲弊する北朝鮮経済に打撃となると考えられている。そのほか、鉱物資源の禁輸や、船舶などの北朝鮮への輸出禁止、金融制裁、などを強化する内容である。

読売新聞によると、米国は中国に対して制裁の強化を呼びかけ、決議案を日本や韓国と協議の上で書いたという。両国とも、米国のいいなりにしか行動できないのが情けない。それが国際社会の掟なのだろうか?

この様な出口を塞いで制裁強化する姿勢では、北朝鮮の暴発を催促するようなものであると思う。米国は、北朝鮮を攻撃する口実として、日本の三沢あたりへ核ミサイルを打ち込むか、韓国に対する奇襲へと仕向けているのではと疑ってしまう。ベトナムのトンキン湾事件や日本による真珠湾攻撃と同じパターンである。 

もしそうなれば、その後、米国の核の傘の値段は暴騰し、日本や韓国から富の収奪ができる。米国の軍需産業の需要も増加して、景気浮揚の一つのエンジンになるのだろう。多少の人的被害は構わない。その大半が日本人や韓国人なら尚更だ。そんな考えが頭の片隅をよぎる。

何度も同じことを書くが、北朝鮮が一貫して要求してきたことは、現体制を認めることである。従って、朝鮮戦争を終結して米朝平和宣言の様な形で国家としての存在を認めれば、北朝鮮は核開発に向かわなかっただろう。それをせずに、制裁に次ぐ制裁で追い詰める手法は、75年前に日本国に対して行った冷酷な姿勢によく似ている。

このテーマでの最近の投稿: http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43008331.html

2016年11月30日水曜日

ネットオークションに参加しての感想

0) ここ2年ほど、ネットオークションに参加している。そこでは、ID (個人を識別する)記号を用いて参加し、実際に商品の受け渡しをする当事者以外は、個人の特定はできないので、基本的には匿名の世界である。そこでは、参加者の人間としての性質が見える。

個人は一般に利己的であるので、匿名の世界では犯罪に近い行為が横行する。ネットオークションを成立させているのが、出品者や落札者の取引後の評価である。このシステムを発明した人は、何らかの経済学賞の有資格者だと思う。

1) ネットオークションでの取引は、落札後インターネット上のメイル交換やオークションのシステム提供者が設置したメッセージ欄で行われる。品物と現金(疑似通貨を含む)を同時交換するのは、手間とコストが大きすぎるので(補足1)、通常現金を落札者から出品者に支払い、その支払いの完了を待って、出品者が品物を発送する。従って、お互いの信用がなければ、ネットオークションは成立しない。

互いの信用の確認を助けるのが上記の出品者評価システムである。ヤフーオークション(以下、ヤフオク)の場合、落札者と出品者は相互に、「非常に良い」から「非常に悪い」までの5段階で評価する。「非常に良い」と「良い」にプラス1、「悪い」と「非常に悪い」に-1点をつけ、その合計点が表示され、そして個々のコメントもみることができる。その累積した評価結果とそこで交わされた評価理由を見て、過去に正常な取引を相手が行ってきたかどうかが判断できる。

「非常に良い」を付ける基準は人によるが、参加者のほとんどがネット取引に一定の不安を持っているので、不安なく取引が終了してホッとした時、「非常によい」をつける。日本では、他人に悪い評価をすれば、評価をされた側ではなく評価する側にほぼ100%跳ね返ってくるので、多少の不満は自分で吸収してしまうことが多い。評価システムで利用価値があるのは、良い評価が全体の何%あるかという数値と、「非常に悪い」評価のコメントである。

2)私の落札者としての経験では、何らかの不都合があったケースは、10%ほどある。さらに、数日経過して催促しなければ手続きが進まないケースなど、不満に思う事例をカウントすると、全プロセス(価格面以外で)において満足であったケースは80%位である。しかし、不満な場合は評価しなかったりするので、一般に99%以下の評価の人や業者を相手にする場合、「非常に悪い」という評価をした人のコメントを読むべきである。非常に悪質であると考えられるコメントが複数あれば、取引はやめたほうが無難である。ちなみに、私の評価は100%「非常に良い」である。

不満なケースとは具体的に、品物が(海外の製造品)粗悪であった場合が数例、商品の説明になかったひび割れなどの欠陥があったケースが数例(補足2)、商品紹介欄にない欠陥を見つけたので、返品と返金で双方了解が成立したので返品したが、返金がないケース(現在催促中)が一件である。このような場合、警察に被害届を出す人もいるが、手続きが面倒であり泣き寝入りが多いだろうと想像している。(補足3)

一般に、多数出品して毎日かなりの取引を行っている業者は、信頼できる場合が多い。個人の出品者の質にはばらつきが大きい。また、評価数の少ないIDからの購入はできれば避けるべきである。その理由は、偽ブランド品を出品している様な者は、マイナス評価が一定数出るとIDを変えて登録し直すので、評価数が大きくならないのである。

3)最後にネットオークションの利点をかく。注意深く参加すれば、安価にブランド品が良いコンディションで入手できることである。最高にラッキーな例だが、新品を示すバーコードがついた英国製のコーヒーカップが国内業者の販売価格の1/5ほどで入手したことが何度かある。また、個人が出品するメリットは、不要となったものを出品し、買った価格の1/10くらいかもしれないが、無駄にしなくて済む。そのほかに、自家焙煎コーヒーを販売する場として利用している人もいる。

補足:
1)ネットオークションを開催する者が、双方から品物と現金を一旦預かって照合し、正常な取引の成立を確認後に双方に送るのが最も安全である。しかし、その場合のコストは高くなり、高価な宝石などの取引以外ではオークションは成立しないだろう。
2)商品説明に「新品のバッグで、写真の通りの良い品物です」として出品された場合、画面では良さそうに見えても実際に手に取った場合に粗悪品であるケースが何度かあった。「新品のカップとソーサーです」と説明されていても、新品は片方のみであった。しかし、商品欄に掲載された写真を再度見ると、確かに一つは明らかに中古品であった。これらのケースでも、マイナス点はつけなかった。画面をよく見、文章を読めば、それらの欠陥は予測可能だったからである。
3)この出品者は、大阪で不用品を回収する小規模な業者である。あまり関わるのは危険かもしれないので、被害届を出すかどうかについては迷っている。 追加:補足3の業者からはその後返金があった。ただ、10日位の時間がなぜ必要だったのかわからない。(2017・2・19)

日本はロシアよりも中国重視の姿勢をとるべき

トランプ氏が次期大統領に決まって直ちに、ロシアのプーチン政権は日本との平和条約締結を重視しなくなった。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43056082.html トランプ氏はこれまでの米国の対東アジアの姿勢を、変更する可能性がある。先ず、北朝鮮と韓国の間の対立は米国支配層の作り上げたものなので、http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42784357.html トランプ氏は朝鮮戦争の終結と北朝鮮の国家としての承認を行うだろう。

トランプ政権の米国は、日本にも同様の措置を進言するだろう。そして、北朝鮮が核兵器の放棄を決断すれば、日本との日朝基本条約の締結と戦後補償金の役割をする経済援助を手に、本格的な復興を計画実行できると思う。その賢明な決断を、金正恩はできる聡明さを持っていると思う(根拠はそれほどないが)。

日本の拉致被害者も希望者は全員帰国ができると思う。以下私の想像で数行書く。これまで、対米従属路線の自民党政権は拉致問題を重視するといいながら、日朝基本条約を結ぶ自由が米国より与えられなかったため、拉致被害者を救出することができなかった。また以前にも書いたが、その米国の壁を十分調査しないで、その方向に進んだのが小泉政権であり、米国の強い干渉により諦めたのだと思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43008331.html

馬淵睦夫氏は、youtube動画の中で海洋進出を強める中国と米国は本格的に対決すると言っている。しかし、それは孤立主義の方向に向かうというトランプ政権の政策だろうか? トランプ氏はイスラエルと親密な関係を構築するという記事もあり(娘夫婦はユダヤ教徒である)、キリスト教圏の米国の関心はイスラム圏であり、中国との軍事的対立を実行する余裕はないと思う。

トランプ氏は、ロシアとの関係改善を図るだろうが、それは日露の関係改善を遅らせると思う。また、今となっては、つまりトランプ政権が誕生して従来の主張通りに動けば、ロシアが日本にとっても同盟関係を強める相手でないと思う。元々、三国干渉から日露戦争、それに第二次大戦末期の火事場泥棒的行為など、ロシアは日本にとって元々敵対国になる地政学的要素が多い国ではないだろうか。その国と経済関係を深め、シベリアから極東を強大なロシア軍を配備する計画に、日本が協力するのは自殺行為かもしれない。

ロシアとの友好関係を模索する根拠は、中国と日米の対立の構図が続く場合の話であり、米中の政治的対立がなくなれば、日本も本来の路線はどこなのかと独自に模索すべきだと思う。私は、そこで出てくるのが、ロシアよりも中国との友好関係樹立だと思う(補足1)。中国が主張する尖閣諸島は元々周恩来と田中角栄の間で棚上げ密約があったと言われているので、再び棚替えにすればよい。友好関係ができれば、沖縄への進出に中国はこだわらないだろう。それはフィリピンとの友好関係が少し進んだので、中国は南沙諸島への進出を控えていることでもわかる。

日本と中国の対立の構図は、米国により作られてものであるとの意見には耳を傾けるべきである。米国の戦略を立案してきたキッシンジャーやブレジンスキーの時代は終わりつつある。ここで、本来の日中関係を150年以上遡った時点から、米国など白人キリスト教圏の洗脳戦略の影響を取り除いて考えてみるべきだと思う。

結論として今後の日本の生きる方向は、日中友好にあると思う。

==これは素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。== 補足: 1)これまではロシアを使って、中国の重石にするのが日本の戦略だったのだろうが、これからは、中国を使ってシベリアと極東を分断することで、ロシアの極東での足場を強化しないのが賢明だと思う。とにかく、終戦時のロシアの野蛮な行為を日本は忘れてはならない。それをロシアが正当に再評価しない限り、日露関係は緊密化し得ない。

2016年11月28日月曜日

TPPに関する蓮舫民進党党首の信じられない国会質問

民進党党首の蓮舫議員は、安倍総理に「トランプ次期大統領とTPPの件でどのような話をしたのですか?」という内容の質問を国会において行った。これは安倍総理を罠に引っ掛けて、安倍総理と日本国を侮辱しようとしたとしか思えない行為である。

米国との外交的な話の一切は、当然現職のオバマ大統領とすべきである。トランプ氏との会談は一有力米国市民との話であり、仮にTPPについて話しても、それは外交的話し合いではなく、安倍総理の情報収集行為に過ぎない。(補足1)

従って、その話の具体的中身については、日本の国会において正式に取り上げることではないし、安倍総理も当然そのような中身は一切言わない筈である。それにも拘らず、日本の最大野党の党首が敢えて国会でそのような質問するということは、本当に信じられない。

  聡明な蓮舫議員であるから、他に企みたあると考えるのは当然国民である我々の権利である。一言でも安倍総理が、「TPPの必要性について日本の立場から斯々然々の説明をしたが、トランプ氏から好意的な話は得られなかった」などと国会で漏らしたとすれば、日本の総理はまだ大統領となっていない人と外交をしたことになる。

安倍総理は当然何も話さない場合でも、日本の野党第一党の党首がそのような外交慣例というか民主主義政治のイロハさえ承知していない人であると宣伝することで、日本の国会を侮辱したことになる。それは自爆行為であり、まともな人はやらない。

つまり、あの国会質問は、あわよくば日米関係に亀裂を入れることが可能であると考えてなされたものであると思う。それに失敗しても、自爆的に日本の国会のレベルの低さを世界に発信して、何者かの利益を図ったことになる。あの人は他国のスパイであると疑われるのは当然だと思う。

補足: 1)詳細は、佐藤優氏が解説している。それを蓮舫議員も見ている可能性大である。https://www.youtube.com/watch?v=tE6w41CBGpw&t=587s

2016年11月25日金曜日

日本の技術や企業は世界で競争力を維持できるだろうか?

1)経済のグローバル化は、中国やインドなどの経済発展をもたらしている。逆に先進国に、デフレと貧富の差の拡大を引き起こした。仕事の面では、単純労働は発展途上国へと渡され、それ以外の仕事に人材を移さざるを得なくなった。そして、先進国には技術開発と新たな分野の創出を目指した投資など、その地位を保つための努力が強いられる。

その結果、米国は優秀な移住者を集められることもあって、技術開発の速度を早めた。それが、現在のAIやネット産業、具体的にはGoogle、インテル、アップル、アドビなどのナスダック上場企業の創立につながったのではないだろうか。日本の新規企業(分野)と比較すれば、その技術力は勝負にならないと思う。日本では既存企業が新規分野も事業拡大の形で取り込もうとしているが限界があり、枝葉的拡大に終わっている企業が多い。その結果、インチキに近い健康食品を売ったり、化粧品に手を出したりしている。サービス業として、警備や介護医療施設などへの雇用の拡大などがあっても、それは高度な新規技術などは不要な部分である。(補足1)

日本のGDPは、この20年間全く増加していない。それは上記グローバル化に乗り遅れ、受動的参加しかしていないからだと思う。その原因は、日本国全体の保守的傾向、悪く言えば、新陳代謝の欠如だと思う。相変わらず労働力の流動性が正規職で低く、高いのは非正規雇用のみとなっており、多くの優秀な人材において適材適所が成立していない。電通に就職したが仕事が合わずに自殺した、東大出身の人が良い例である。裁判所が遺族の労災認定を認めたことが話題になったが、裁判所は専門家としてのプライドを捨てて世間の攻撃を避けたのだろうと思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43005301.html 彼女の死を無駄にしないためには、労働の流動性を上げて、転職して再チャレンジができる社会にすることが肝心である。

政治も一向に独立国家に独立政府が存在するようには見えない。“集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法は憲法違反である”として、左翼と言われる反日分子が賠償を要求する裁判を起こした。反日分子を多数抱えている原因は明らかなのだが、それも何ともできずに、60年前の昔話のようなこの裁判がニュースになっている。その一方で、トランプ氏のTPP脱退表明で、日本の総理大臣はショックに近い状態である。

独自には何も考えない超保守主義では、長期のタイムスケールで起こる世界の政治経済社会の地殻変動的変化にもついてゆけない。その結果、数十年に一度のプレートテクトニクス型の地震のように、日本は試練を受ける。しかし、文化が変わらない以上超保守主義(あるいは唯我独尊思想)は不変である。

2)今期の試練は、今始まったばかりだと思う。つまり、日本では失業率は低く、大きな国内での社会問題は発生していないが、それはインドや中国などの国々が先進産業の中心的プレイヤーとして出てくるまでのことのような気がするのである。これらの国では、国内の激しい競争により優秀な人材が蓄積されるだろう。今後、巨大なこれらの国々の新規産業・新規技術への参加が本格的になれば、OECDに加盟している先進国の試練が本格化するような気がする。そこで日本は負け組に入る可能性が大きいと思うのである。

くだらない例かもしれないが、一例を挙げる。先日、日本で開発されたAI囲碁が、日本のプロ棋士の趙治勲氏(韓国籍)と対戦して敗れた。Googleらの開発した囲碁ソフトは世界トップ棋士である韓国棋士と対戦して勝ったのと二つの点で対照的である。第一にグーグルの技術力の高さが証明されたことであり、第二に対戦相手に現在のトップ棋士ではなく、日本らしく過去のBig-Nameを選んでいる点である。例えば、現在のトップ棋士である井山裕太氏が相手なら三連敗しただろう。

この囲碁ソフト開発には、日本のトップ校である東京大学が参加しているという。古色蒼然たる東京大学がグーグルに勝てるはずがないと思う。(補足2) 因みに、囲碁は中国から日本に渡ったゲームだが、仏教と同じく中国ではほとんど消滅し、日本で発達した。そして、20世紀後半に再び大陸でも盛んになり、その後21世紀になると世界ランキング上位は中国と韓国により独占されるようになった。現在、日本のトップ井山裕太氏は世界ランキングで第17位である。https://matome.naver.jp/odai/2145756362334503801富士通協賛の世界囲碁選手権では、優勝棋士が長期に渡って中国や韓国に独占された結果、2011年で中止となった。それを政治経済全般での日本の将来の地位を暗示していると感じるのはあまりにも悲観的すぎるのだろうか?

国家の財産は人間である。さしあたり大学改革から始めるのが、遠回りのようで日本改革の早道かもしれない。もし私がそれを始めるのなら、日本の国立大学を全て廃止して、民営化する。それにより国が得た金は全て奨学金基金として、貧困家庭出身の優秀な学生一定数に対し、大学納付金全額と奨学金を給付する。現在ぬるま湯に浸かっている国立大学には良い刺激になるだろうし、霞が関と癒着した大学の存在は日本のためにはならないからである。

家が貧しくとも、頑張れば日本のトップになれるという夢を、すべての子どもたちに持たせる。守りの雰囲気の中で育ち保守主義に染まった人間には、新しい発想は生まれにくい。日本一の富豪の孫正義氏がその良い例だと思う。(午後2時編集)

補足:

1) 経済評論家の三橋貴明氏は、財政出動によるインフラ整備と設備投資が経済再生の鍵だと言っている。マクロ的にはそうだろうが、ミクロの視点、例えば人材育成、労働流動性の改善、若い人の起業意欲などでの改革がなければ、財政赤字と円安インフレに向かうように思う。
2)大学ランキングでも、北京大学や清華大学は日本のトップ校よりも上位にランクされている。韓国の二つの大学、香港の二つの大学、シンガポールの大学などは、国内二位の京都大学より上位にランクされている。過去の遺産でノーベル賞を取ったと言って、喜んでいる場合ではない。http://hot-topic-news.com/THE-world-university-rankings2016-2017 日本の上位大学である国立大学の質の向上のためには、教官人事を各大学の教授会から一旦取り上げるなどの措置が必要だろう。

2016年11月21日月曜日

超保守的な日本の根元に何があるのか?

日本国は超保守的である。一度決まったことを変えるのは恐ろしく大変である。その例を下にリストするが、これらの多くは一旦出来てしまえば大異変などが起こらない限り無くならないだろう。不要あるいは不適切であるとして廃止するには、分析的思考が必要で時間を要する。また、何事にも賛成派が居るので、その論理的説得が必要である。説得には議論が前提になるが、主張はできても議論ができる人は少ない。(補足1)

すでに広く行われて居る習慣を現実即応的に変えるには、国全体という大きなスケールだけではなくミクロなスケールでの建設的議論が必要である。議論が建設的となる前提は、「意見交換の中で自分の方に論理的矛盾を発見するに至った場合には、相手に同意する」という文化である。しかし、「相手に同意することは相手に負けることである」という、東洋の狭い了見が日本人の心の中を占めている。そこで、議論は口論になり喧嘩となる。

日本人は不都合や不満を敏感に感じるが、その原因を論理立てて考えることが苦手な民族だと思う。それは個人レベルでもそうだが、集団で「議論を通して集団としての高い思考力を実現する」ことはなお一層困難である。この後者の西欧文化が、科学の発展を可能としたのである。集団には寿命がなく、それゆえ積み重ねた知識が、奇跡的な科学の発展を可能とし、それが近代文明の基礎となったのである。(補足2)

さしあたりの現状維持が延々と続き、不満の声はそれが極限に達するまで上がらない。そして、ガス爆発のように全体主義的に社会が動く可能性が大きい。

論理がない社会では、腐敗が生じる。それが作り出す大衆の不満という可燃性ガスは、全体主義とポピュリズムを爆発エネルギーとともに引き起こす。その結果、この国は全体主義的自滅をするのではないかと恐れる。そのモデル実験が、現在東京都を舞台に進行して居るようである。(補足3)

因みに、その日本民族の言語文化に最高に適合した文学として俳句がある。最近でも、夏井いつきさんの俳句番組に人気がある。俳句は論理表現を禁じ、感覚的表現に価値を置く。Logos(言葉)はLogic(論理)と同じ語源の言葉であるが、この極東の小国では、見事に西欧のものをひっくり返したような言語文化が存在する。(補足4)

以下に超保守主義の具体例を挙げる。

1)例えば:学校の制服は、学生服とセーラー服が基本であり、この数十年全く変化しない。小学生は全員ランドセルを背負って通学するという“暗黙のルール”も何十年間変化しない。小学校1年生で体の小さい子供の場合、登下校時の姿はランドセルが歩いているように見える。勉強の道具など小さい袋に入れれば、手提げであろうが布製ナップサックであろうが構わないだろうに。頑強に革製の頑強で嵩張ったリュックザックにこだわる様子は、まるで、宗教か何かと関係があるのかと思うくらいである。

小さい体にランドセルを背負えば、狭い道を通学する場合、車などに引っ掛けられる危険性が高い。相対的に大きなランドセルは、体の動きを鈍くして安全性という観点から不適切だと思う。子供の安全に過敏な母親たちにも、そのような議論はない。それは既に決まったことだからである。

歳暮とか中元とかいう習慣も、多くの日本人は義務的に続けている。定期的に同じ人に送るのは、賄賂ならそれなりに意味もあるだろう。互いにプレゼントを交換して良い関係を確認する意味もある。しかし、定期的且つ頻繁に繰り返す理由はなく、そのような行為は浪費だと思う。贈り物を製造販売輸送する業者の戦略が、その習慣を定着させたのだろう。バレンタインデーやホワイトデーの習慣も易々と業者の企みに乗せられて定着したのだろう。これらが、延々と続いているのが不思議である。

一旦出来てしまえば、よほどのことが起こらない限り、無くならない。存在理由を考えるには思考と時間が必要だが、止めた場合の冷たい眼差しは瞬間的に感じる。日本人は論理立てて考えることが苦手な分、周囲の空気の変化を敏感に感じる民族である。

2)超保守主義に関して書くなら、日本国憲法を取り上げないわけにはいかない。前文が戦争の反省文から始まるのも異常なら、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」というその後の文章について、「バカみたい」と言っても国際的には誰もバカな奴だとは思わないだろう。憲法9条第一項も馬鹿馬鹿しいし、第二項は明らかに自衛隊を持つ現状と合わない。よくもこの憲法を70年も変えずに守ってきたものだ。しかも護憲派という人たちが未だに人口の半分もいるというのは、彼らが憲法条文を読んでいないか、読んでもその意味を論理的に考える人が少ないのか、あるいは日本国籍を持つ反日分子であることを示している。

自衛隊(self-defense force)が軍事力ではないという国会答弁や裁判所の判断など、論理的に物事を考える習慣がある国ではありえない。諸国民の公正と信義に信頼を置くことを国是として、長く続いた国など歴史上存在しない。そのような文章を国家の基本法としてもち、それを誇りとしていることは、論理的に考える文化が存在しないことの直接的証明である。平和主義者のモリオリ族が、マオリ人にほとんど絶滅させられた悲劇(19世紀の出来事である)を知るべきである。しかし、それを言っても、馬耳東風だろう。

選挙制度における一票の格差も驚嘆に値する。米国大統領戦では、クリントン候補の獲得票数が100万票多いのに、トランプが大統領に当選したことが、ニュースとなっている。http://www.cnn.co.jp/usa/35091937.html 総数が1億2000万票を超える中で、100万票の差があっても尚当落が逆転したことが尋常でないと考える米国と、一票の価値に3倍の差があっても、延々と数十年その選挙制度が続く日本のコントラストは誠に凄まじい。

日本のこのような超保守主義は、何事も超越した権威が決めてきた歴史から抜け出せていないことが、もう一つの原因だろう。(補足5)その結果、権威が①上層部の指令だけでなく、②一部の企み、あるいは、③自然発生の何れによって生まれたとしても、一旦生じた権威を打ち消すことは非常に困難になったとも考えられる。しかし主なる原因は、繰り返しになるが、それらを民衆が好むからではなく、論理的思考と議論の習慣が日本文化の中にないからであると思う。(補足6)

補足:

1)原爆が憎いのか、原爆を落とした人間が憎いのか、原爆を落とせと命令した人が憎いのか、原爆を落とすことで利益を得る人間が憎いのか、原爆を落とされる状況を作った日本の政治家(関係者)が憎いのか、その整理は日本国ではほとんどまとまった形でなされていない。そして、原爆ドーム近くの資料館にあるのは、「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しませんから」という文章が刻まれた石碑である。

2)アインシュタインが1000人集まっても、近代科学(物理学)をゼロから構築することなど到底できないだろう。ギリシャ哲学などから知識を受け継いだ学会組織が、数百年間かかって近代科学を発展させたのである。そこには世界中から何十万人という英才が数十世代に亘って参加したのである。そのルールは「建設的な議論」である。

3)小池百合子知事のポピュリズムを背景にした光が、ブラックボックスの都議会と都の官僚組織を照らし出して、都政の遺伝子組み換えができるかどうかである。

4)もちろん、俳句も日本の立派な文学の一要素だと思う。短歌も俳句同様に感覚を重視する短詩であるが、より表現の幅が広い。後者のほうが歴史も長く、素晴らしい歌も多い。論理表現にも適しておれば、日本語は素晴らしいということになるのだが。

5)日本は市民革命を経験したわけではない。明治維新も上からの革命であり、一般市民は現代まで一貫して被支配者である。したがって、能動的に政治に参加する人で世襲議員以外は、世襲議員から声のかかる芸能人やスポーツ選手などの有名人のみである。それが、未だに明治維新の時の支配層を祖先に持つ人がトップである理由である。1960年や1970年の安保反対デモ等は、被支配者(被害者)としてのデモであり受動的政治参加の一つである。

6)youtubeの動画にコメントを書くと、反論が来る。ほとんどの場合、その文章には議論をするという雰囲気はなく、罵詈雑言の羅列に近い。論理的に説いても、相手側の立場や論調は全く変化しない。一回だけ、議論が成立したことがあったが、相手は博士号を持つ男性だった。https://www.youtube.com/watch?v=MHHI87ePoqE の議論を参照(Moh Korigoriが当方のペンネームで、http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43036726.htmlにその主題についての私の分析がまとめてある)

2016年11月20日日曜日

コミュニティと個人の関係の新しい姿=ある夢想

1)地域社会(コミュニティ)は日本中で崩壊の危機にある。山村地帯では人口減少により、そして、都市部特に大規模団地では段階の世代が老齢化したことなどが原因と考えられている。

高齢化社会になり、団地などでの老人の孤独死(化)は他人ごとではなく、深刻な問題である。そこで、地域社会での人の繋がりを強めようとする試みが方々で行われている。しかし、新興住宅地での空疎な人間関係は、なかなか改善しない。

これまでの試みの多くは、人は本来群れで暮らす生物であるから、行事などを催して一ヶ所に集めれば、人間関係が自然に強くなるという考えでなされてきた。しかし、先日建物内では挨拶をしないように取り決めたマンションの管理組合があったことでもわかるように、その前提は再考すべきだと思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43058446.html

つまり、人が群れで暮らすのは、文化的行動であって、遺伝子的な行動ではないと考えるべきだと思う。(補足1)人は家族などの小規模の群れを作るが、それ以外はむしろ他人に干渉されたくないという、他の動物とほとんど同じ性質(遺伝子的には)ではないのだろうか。

2)昔の地域社会では「ゆい」などの日常的協力が生産上必須であったし、武士だけでなく農民も戦闘要員だったので(「乱取り」と「明治維新の過ち」参照)、非常時の協力は生死の問題であった。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42249167.html

現在観光資源となっている祭りなどの行事は、その生死を分ける協力体制を毎年神の前で確認する意味があったと私は思う。単なるコミュティの仲良し行事ではない。つまり、多くの地方公共団体が企画しているように、人を集めるだけでコミュニティの人間関係を昔のように回復することを企画しても、それは無駄だろう。行政はセイフティネットの役割をすれば良いだろうし、それ以上は無理だろう。(補足2)

一定の協力関係を復活するとしたら、構成員達が生活上必須の何かを共有しなければならないと思う。そんなものがあるだろうか?

現在の日本は豊かである。高級な医療は受けられなくとも、一応食っていける。エネルギーを得た液体が、バラバラの分子になって気化する現象に似て、富を得た人間の集団が心理的にバラバラとなるのはむしろ自然であると言える。

3)老齢化した人たちのコミュニケーションと生活環境の回復は、やはり近代的な方向で解決するのがむしろ簡単だろう。鍵は、インターネット、ロボット、そしてドローンである。 家族関係など密接な関係を持つ人の間では、ネットTVなどで必要に応じて連絡を取ることができる。生活物資はインターネットで発注し、ドローンで受け取り、ネット決済することが可能である。必要なのは既に書いたように、ドローンポートを作るだけである。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42686197.html  ドローンに全てパソコンのように識別番号を付与すれば、不審なドローンは官憲により捕獲できる。更に、物理的な介助はロボットでかなりのところまでできるようになるだろう。

日本人は人の世話になることを過剰に気にする文化を持つ。人に迷惑をかけることはいけないと、幼少期より教え込まれる。基本的なことを全て自分でできるようになれば、むしろ、地域社会での人との接触もスムースに行くのではないだろうか。話しかけられても何か努力を要することを頼まれるのではないかと警戒する必要はないし、また、相手がそのように考えるのではないかと思って、話しかけることを自制しなくても良いからである。

補足:
1)遺伝子的に協力して生きるように出来ている生物として、例えば、軍隊蟻がある。軍隊蟻は移動する際に、自発的に一部が起伏の激しいところで橋となって、他の移動を助けたりする。それは軍隊蟻の文化ではなく、遺伝子的な性質である。
2)行政の役割として、単独では生活できなくなった個人をギリギリのところで助ける、心理的肉体的介護などである。それは経済的な面での生活保護と同類の制度として整えるべきであると思う。

2016年11月19日土曜日

放送局職員は日本人に限るべき。また、帰化人の国会議員は日本人になった経緯を明確にすべき。

NHKなど放送局の上層部に外国人がたくさんいるという情報が、馬淵睦夫さんと渡部昇一さんとの討論で明らかにされた。https://www.youtube.com/watch?v=mS34Wq1A6LI

米国の放送局には外国人は入れないという指摘もあったが、公共の電波を使う以上当然日本の国益を優先しなければならない。外国人は往々にして母国の利益の方を優先するからである。

また、外国人の身分から日本に帰化した人が国会議員になる場合、その経緯を明らかにすべきであるという意見が出された。渡部昇一さんは、3代に亘って明らかにすべきという意見を出された。

3代というのは、日本に馴染むのにそれくらいかかるという意味である。3代と言えば、「江戸に住んでいると言っても、3代続かなければ江戸っ子とは言わない」という言葉を思い出す。

この件、良い具体例を思い出した。それは、張恵子という中国系日本人の方がテレビ放送中に行った発言である。朝鮮族中国人の彼女は、元北京放送のアナウンサーで日中韓研究家を名乗っている。そして、日本のテレビにも屡登場し、中国の主張を代弁している。その張さんが日本に帰化した動機を問われた時、「ビザを取りやすい日本国籍が仕事上便利だから」と発言したのである。

民主主義国家において、その制度の維持と発展のためには、放送局を始めマスコミは客観報道に徹すべきである。朝日新聞の反日報道がひどいので調べていたら、社長が中国系であると漏らしたという話を渡部昇一さんがされていたが、なるほどと思った。

2016年11月17日木曜日

「同じマンションの住人同士は挨拶禁止」という日本の人間関係の怪

神戸のあるマンションの住民総会で、共用部分での挨拶禁止が決まったそうである。http://news.livedoor.com/article/detail/12259022/ 「子供に、知らない人に挨拶をされたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないように決めてください」という投書がそのきっかけになったということである。

1)ネットなどで上記取り決めに対して、賛否両論がだされた。また、テレビのワイドショーなどでも、タレントたちが議論したようだ。その中で、遥洋子の意見が面白い。 「挨拶をするときには「いい人」にならなければならないと持論を展開したのち、遥自身は外出先で「さんざんいい人」を演じているので、家に帰ったら一切挨拶を止めたいと思っている」と上記取り決めに賛成したのである。出演者では他にもヒロミが賛成したと、この記事には書かれている。 http://news.livedoor.com/article/detail/12289628/ 

上記の人たち(マンションの管理組合の議論を含めて)は、投書に書かれた問題を十分咀嚼しないで、議論している。それぞれが勝手に論点を決めて議論し、意見が全く噛み合っていない。つまり、投書の主は子供の安全を考えているのだとすれば、挨拶をすることで子供の安全に悪影響が出ないようにすれば良いのである。マンションの管理組合は、住人同士の親睦を図ることには賛成だとするなら、上記取り決めは「角を矯めて牛を殺す」類のものである。

例えば、投書の主の危惧を取り除くだけなら、子供には「知らない人に挨拶をされたときには、挨拶を返すだけにしてその後の相手をしない」と教えれば良い。また、マンション住民間での取り決めとしては、「子供に挨拶をしても、それ以上声をかけない」と取りきめれば、それで済む。

論点を明確にしないで迷走の末に、管理組合はバカな取り決めをやったのではないかと思う。また、その迷いの流れの延長で議論したタレントたちも、駄弁るのはできるがまともな議論はできないのだと思う。失礼!

2)殺伐とした都会の風景:
遥洋子さんやヒロミの考えは、「大人同士も挨拶もしないと取りきめれば良い」ということである。そのマンションの住人たちも、お互いに声をかけたくないので、上記投書をきっかけにして自分たちの意思に沿った取り決めをしたのかもしれない。上記の諺を用いれば、「牛は既に死んでいる」ということになる。そのマンションの住人も遥洋子さんも同じような世界に住んでいることになる。

もし、それが日本全体の風景だとすれば、この国は間違いなく潰れる方向にあるのだろう。中国やロシアが敵であり、それに備えるという議論がよくなされるが、現在の日本は当に、内憂外患に翻弄されているということになる。

遥洋子さんの考えを一言で言えば、「外で挨拶をするときには、いい人を演出しなければならないが、それは疲れる」ということだろう。どうせそれほどいい人ではないのだから、疲れるような演出を強要する日本文化の欠陥を自分が先頭に立って破壊すれば良いと思う。なぜできないのか?それは、彼女も他の人たちも真実や論理よりも個人的利益を優先するからである。

別の表現をすれば、日本には真実を重んじるという文化がないのである(補足1)。日本人は、「和を優先」しなければならないとか、「おもてなし」をしなければならないとか、心の中に蓄積するゴミを必死に隠して、表を飾るのである。

心の中では、そんな疲れる人間関係などまっぴらだという思いを抱いている。それが、孤独死やゴミ屋敷でゴネる住人を生む、日本の地域コミュニティーの抱える問題の根幹なのだ。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/04/blog-post_6.html

補足: 1)米国も政治に関しては同様である。真実は表にはなく、もっぱら裏に存在する。トランプ氏が新大統領として当選したのは、そのような米国のシステムが嫌な人が増加したからだと思う。

2016年11月15日火曜日

プーチンの変心か?

ロシアと日本の平和条約締結が遠のいたかもしれない。
ロシアのニュースによると、ロシア連邦経済発展省のアレクセイ・ウリュカエフ大臣に対して、刑事事件として捜査が開始された。同大臣は、日露の経済協力の協議で、前面に立っていた人である。http://jp.rbth.com/news/2016/11/15/647767

ロシアは現在、プーチン大統領の独裁に近い状態であり、この時期の重要閣僚の刑事捜査はプーチンの意思だと考えられる。米国の次期大統領がトランプ氏と決まり、トランプ氏の対露発言が早速効果を現した様に思う。

つまり、日露接近のロシア側の重要な動機は、ロシアの極東開発もあるかもしれないが、日米の間に楔を打ち込むことだったと思われる。次期大統領にヒラリー・クリントンがなると、米国は従来の対露姿勢をとり、米国との対決姿勢が大きな政治課題として継続する。

また、中国から多額の献金などを得ているクリントンが次期大統領となると、中国のアジアでの力が益々大きくなる。現在、ロシアは中国と親密な関係を演出しているが、中露国境で中国の力が圧倒的になることに、脅威を感じる様になる。

そのために、日本に近づいて千島だけでなく極東での経済開発を進めて、ヨーロッパから極東に亘って経済力と軍事力を持つ均一で強力なロシアを作りたい筈である。そのために歯舞と色丹の返還を行うことになっても、ロシア人の理解が得られる。

しかし、米露関係が改善し米国の経済制裁もなくなれば、日露関係の改善はそれほど急ぐことではなくなり、島の返還もロシア国内で理解を得られなくなるだろう。その様に考えられないだろうか???

2016年11月14日月曜日

国際的政治家の暴言は多極化時代の始まりを告げているのだろう

1)最近の国内外の政治において、暴言や失言が大きな影響を与えている。日本ではその失言で失脚やトラブルに巻き込まれる政治家が多い。一方、トランプ氏やフィリピンのドゥテルテ大統領の場合、「暴言」が逆に成功の鍵になった様に見える。

トランプ氏やドゥテルテ氏にも、一国のリーダーになるのだから、他の世界のリーダー同様並外れた知性がある筈である。日本のマスコミが揃ってトランプ氏の大統領当選を番狂わせといい、ドゥテルテ氏を粗野な人間の様に言ったのは、彼らマスコミ関係者に知性がかけていたからである。 日本の場合、世界に稀な社会をもつため、政治家の知性を疑うのは常識かもしれないが、世界を見る場合にはレンズを一般的なものに換える必要があると思う。つまり、この「暴言」の様な言葉の中に真実を見出さなければならないということになる。つまり、現代は過去の歴史の延長になく、新しい時代のコーナーにかかっているということだろう。

日本の内閣が、トランプ氏の次期米国大統領への当選に際して表明した「民主主義や人権、そして国際法に基づいた国家間の関係といった、基本的価値を共有する日米関係を揺るぎないものと考える」ことが、正しいのかどうかということになる。

2)民主主義、人権、男女同権や国際法などは、主に西欧が作り出した国際社会の枠組みを形容する言葉である。そしてそれらの言葉を記した旗を持って、経済のグローバル化とそれと必然として並行する政治のグローバル化を進めたのだと思う。(補足1)その方向の延長上に、未来の世界が見えなくなったのが現在という時点だと思う。

麻薬仲介人をまとめて殺すドゥテルテ大統領を、米国オバマ大統領は人権を盾に攻撃したが、それは「口先だけ介入」の多いオバマ大統領の虚しい行為だった。それに対する強い反感がドゥテルテ氏の暴言となったが、ドゥテルテ大統領の身には跳ね返って来たのは、衣を濡らす冷や水程度に終わりそうだ。また、南シナ海での岩礁を埋め立てて軍事基地を築く中国を、国際法を根拠に非難したが、習近平政権からは強い反発が帰ってきただけである。トランプ次期大統領の発言も、従来の国際的慣習を引っくり返す様な類であったが、グローバル化のフラッグシップである米国においても、非難を跳ね返して当選した。

多極化の時代が来ているのだろう。

その流れの中で、中国は東アジアの盟主となるだろう。それに対抗するために、日米同盟を命綱のように考えるのは、日本にとって非常に危険なことだろう。同盟関係でその代わりとなるのは日露なのかもしれない。しかし、ロシアと手を組むことに重きを置きすぎるのは危険である。それと同時に中国との関係改善を模索すべきであると思う。

とにかく、トランンプ氏が米国の新しい大統領に決まったが、それは外国の出来事である。もっとも大きな問題は、日本が今後どの様な戦略で国際社会の中で生きていくかということを、独自に考え実行できる様になることである。

因みに、国際法は「法」というレベルのものでは無い。以前書いた様に、「法」にはそれを定める機関や組織に「権威と権力」がなければならない。例えば国連は、世界のほとんどの国から構成されるが、統一国家的組織ではない。したがって、各国家を縛るべき国際法を持つ権威と力は、国連のどこを探しても無い。それを北朝鮮の核や拉致問題などで日本国は思い知っている筈だけれども、その感覚は霞が関という「辺境の地」には届いていない様だ。

補足:
1)スペインやポルトガルが世界を植民地化する際に、先ずイエズス会宣教師を送り込んで宗教活動をした。彼らは「愛と救い」という言葉を用いて、新大陸等の住民を感化したのだろう。それと「民主主義、人権、国際法」を並置するのは間違いだろうか?

2016年11月12日土曜日

トランプ氏が勝ったのは番狂わせだという傲慢

ウエークを見ている。最初のところで、今回のトランプ勝利を全く予想できなかったことをゲストたちが一通り喋った時。橋本五郎氏は、「今回は知識人の敗北だ」と言った。私は即座に、「あなた方は知識人ではないのだ。思い上がるな。」と心の中で言った。

つまり、日本のマスコミはまともな取材もしないで、米国支配層の希望的観測をそのまま自分の予想としていただけである。日本のマスコミの敗退であっても、知識人の敗退ではない。トランプ有利と考えて発表していた人たちが大勢いた。選挙に番狂わせなど存在しない。

前回に紹介したブログでは、米国のメジャーな報道機関もクリントン有利という情報をわざと流していると紹介していたし、選挙の数日前(11/6)にも既にトランプ有利と書いたブログを有料配信http://tanakanews.com/161106trump.php していた。報道機関に登場する人の知的レベルが低いのである。

この短文は今朝8時半に姉妹サイト2に投稿したものです。http://blogs.yahoo.co.jp/hetanonanpin/64442701.html

2016年11月10日木曜日

昨日は歴史の節目:グローバル資本主義破壊の始まりか

昨日の米国大統領選でのトランプ氏の当選は、歴史の節目の出来事のようである。資本主義経済への大衆の反乱の始まりである。1960年代の日本の学生運動のような学芸会的なものではなく、本格的な大衆の反乱である。

資本は地球全体から富を吸い取って巨大化する予定だったかもしれないが、人間は富の偏在に我慢ができなくなったのである。米国発の世界的小売企業のウォールマートの創業者から遺産を受け取った6人の子供たちは、この世で何もしないで2兆5000億円の資産を相続したという。 https://www.youtube.com/watch?v=HgUh-ktLPfU

一方、貧乏な家に生まれたなら、頭脳がかなり明晰でも大学へ行く金がない人は、奨学金で金を借りて大学に進み、どこかの段階で兵役に従事して奨学金の返金をしなければならない。何かの出来事に巻き込まれ命を失うかもしれない。無事帰還したとしても、精精中流の人間が住むところに一軒の家を持ち、一生をおえるくらいがその人生だろう。

資本主義が後期に入れば、アメリカンドリームなど宝くじに当たったような人のみが見る夢に過ぎない。

何が自由と平等の世界なのだ。その差は神が作ったのか?そうでなければ、人間の力で破壊しなければならない。それは将来、本当の意味での共産主義社会の誕生につながるかもしれないが、そんなことは大衆の念頭にない。しかし、それは歴史の流れなのだ。

歴史は大きく変わろうとしている。しかし、資本家はあらゆる手段を使って、現体制を守ろうとするだろう。ナショナリズムの利用もその一つだろうが、数兆の資産を持つ大貴族のご子息と貧乏人の子供とが、同じナショナリズムで団結するはずがないし、団結してはならない。

インターネットはこの創造的破壊のために作られたと思う。トランプはそのために何らかの寄与をしなければ、簡単に米国民に捨てられるだろう。

株価は資本により操作され、富は巨大資本により吸い上げられている

米国大統領選挙の数日前、FBIがクリントンのメイル疑惑に関して捜査を再開したことで、トランプ氏が世論調査でかなり差を縮めた。そして彼が米国大統領になるかもしれないという思惑で、株価が下がり米国ドルも下がった。トランプ氏が大統領になり、経済界へ悪影響を及ぼすであろうという予測に対して、トランプリスクという名前までついた。

ところが、トランプ氏が当選すると、今度は逆にニューヨークの株価は上昇しドル高になった。日本も昨日はトランプ優勢ということで、日経平均株価は1000円も値下がりし円も高くなったが、今日は円安が進み一転株価大幅高である。

トランプリスクはどこへ行ったのか? 

これらの株価変動は、あの悪名高い資本により作られたものだったのだろう。ワーテルローの戦いでナポレオンがイギリスに攻め込むという噂を流し、公債を空売りで暴落させた後底値で拾い、その後ナポレオンの敗退で暴騰したところで売り払って巨万の富をえた、ロスチャイルド本家次男のネイサン・ロスチャイルドを思い出す。そして、イングランド銀行(英国の中央銀行)を支配したと聞く。

ニューヨークの資本はその流れを汲むのがほとんどではないのか。米国中央銀行のFRBもその流れを汲む。その人事は米国大統領の及ぶところではない。

トランプ氏は白人ブルーカラーの不満を吸い上げて大統領選挙に買った。そして、仕事が自由貿易により奪われることが彼らが恵まれない理由だと言って、彼らの理解を得た。しかし、それは嘘である。米国は儲かっている。世界的なデフレの中で最も早い回復をし、中央銀行は更なる利上げの時期を模索しているではないか。

米国の資産の90%は1%の富裕層が持っている。毎年米国の上位10%の所得は、全体の半分を得ている。ウォールマートの創業者の遺産を継いだ6人の子供達は、一人当たり2.5兆円の資産を生まれながらにして持つという。そんな状態で、ブルーカラーが裕福になる筈がない。

米国ブルーカラーの不満は国内問題だ。それを諸外国の所為にするトランプ氏に誤魔化されてはいけない。米国人は目覚めるべきだ。この富の偏在はピケティーが指摘したことであり、そのひずみが限界に近くなった。世界はいよいよ大きな変革の時期に来ている。変革の際には常に弱いものが生贄になる。日本の政治家はそれを真剣にそして必死に考えるべきだと思う。

2016年11月9日水曜日

「意外な」米国大統領選挙結果:日本の貧弱なマスコミ報道について

A)米国大統領選挙の結果:
米国大統領選ではドナルド・トランプ氏の圧勝に終わりそうである。日本の多くの人は、この結果を意外に受け取っただろう。何故なら、日本のテレビや新聞はあの大本営発表を垂れ流した時と同様に、クリントン氏優勢と報じていたからである。しかし私には意外ではなかった。ネットなどで今回の可能性を主張した意見を多く読んだし、有料の配信サービスで受け取っている田中宇氏のブログの分析は、トランプ有利の予想だったからである。

本屋でも新刊書を前に買うのを躊躇し、アマゾンの古本をまず探す経済力しかない私が、有料ブログ配信をこの数年続けているのは、日本の新聞やテレビとは全く独立した情報を与えてくれるからである。もちろん、どんな情報でも自分の意見に取り入れる際に、自分のフィルターをかけて取り入れなければならない。その結果として、田中氏のブログにあるのは十分価値ある情報だと判断しているからである。

幾つか例をあげて、日本の報道の偏った姿を書いてみる。

B)日本でも米国の陰謀ではないかと話題になった9.11事件について日本の新聞やテレビは、米国の意向に沿って”完全に”米国と敵対するイスラム過激派の仕業として報道している。そして、日本国民のほとんどはそれを信じている。しかし、田中宇氏は米国も何らかの形で関与していると考えている。その証拠の一つは、直接的には飛行機も何もぶつかっていないWTC第7ビルが、他のビルと同じように崩壊したからである。

日本の報道番組に出てくる政治評論家は、田中氏のような人やもっと有名な孫崎享氏や馬淵睦夫氏などの意見を、陰謀論に組みする知性に欠ける人たちという烙印を押すことで、排除している。テレビ局などはもっぱらおなじ正統派、つまり彼ら米国追従派の評論家を出演させ、日本での米国の影の姿に関する議論を封殺している。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42023202.html

C) 最近コメントを書いた動画に、「アポロ宇宙船乗組員は本当に月に着陸したか?」がある。その動画は、21世紀が始まったばかりの頃に英国のBBCの放送を短く編集したものである。オリジナルなBBCの放送も動画サイトに出ているが(https://www.youtube.com/watch?v=vh_OqDj6ff8)、そこでは詳細に米国の航空宇宙局(NASA)の発表に不可解な点がいくつもあると報じている。

その数年後に日本のNHKも同じ趣旨の報道をしているが、それは完全に米国NASAを擁護する内容であった。米国は“日本の当局”を支配する存在だからである。私はこのNHKの放送を編集したと思われる動画を見て、非常に不愉快になった。あまりにもその内容が杜撰で情けなくなったからである。

NHKの放送の最初の方に、月の砂地にできたという飛行士のくっきりとできた靴跡を大写しにしているところがあるが、これは水分も有機物もない砂地にはできない靴跡だと考え、その時点でアポロ宇宙船の話は米国の捏造であると思った。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%88%B9 

捏造説を最初に出したのはアポロ計画に関係したビル・ケーシングであった。彼はロケットの設計製造会社の人であり、その疑問は「米国のロケット技術は人を月に送るのに十分ではない」であった。その点について私も考えて見た。3000トンの重量をもつサターンVロケットは、70数トンの宇宙ステーションを地表から4百数十キロ程度のところの周回軌道に乗せることに使用された。しかし、月着陸船を含むアポロ宇宙船を月に送り、再び地球に戻すことなど不可能に思えたのである。この根拠は補足に書く(補足1)。

D)結論:
兎に角、日本の国がまともな独立国になるには、報道機関が政府から独立することが先ず必要である。そのためには、日本人は、過去の歴史(近代史)から現在の政治までを頭に叩き込み、自分の頭で自分の国家のことを考えなければならないと思う。その結果できると思われる社会的文化的土壌が、不真面目なNHKを始め多くの報道機関を正常に育てるのだと思う。

補足:
1)アポロ宇宙船は推進力を与えるサービスモジュール(重さ約23トン)と司令船(重さ約5トン)からなるとウィキペディアには書いてある。地球に降りる際に、宇宙船の位置エネルギー(質量と重力と地球の半径の積)の大半(地球の自転速度の運動エネルギー分を差し引く)を逆推進により打ち消すことが必要である。それは質量あたり地表からスカイラブを打ち上げる以上のエネルギー(約2倍程度)である。月へ送るのが35トンぐらいだとして、それに3000トンのロケットが必要なのに、5トンの司令船を地球に帰還させるのに23トンのサービスモジュールで可能なのか? 
 更に、アポロ13号では月の近くまで行って事故に巻き込まれ、月着陸船で地球に帰ったという。上の議論を考えればわかるが、そんなことがどうしてできるのだろうか?

人工知能(AI)とロボットに職を奪われる人間:資本主義体制から共産主義体制への移行

=以下の文章は、ためらいながら書いた素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。コメントは歓迎します。=

1)AIを搭載することで、市内を自由に走れる自動運転車が2020年代の半ばには可能となるだろう。米国のフォードがそのように発表したという記事が先週の読売新聞経済面に掲載されていた。ポケモンGOをやりながらトラックを運転していた男が横断歩道で子供を跳ね殺した事件など交通事故の報道が多い昨今だが、自動運転車はそのような事故を起こさないだろう。車社会に大きな変化が予想される。

自動運転車との関連で最初になくなる仕事は路線バスの運転手だろう。その際に、運賃の支払いが全て電子マネーで行われるようになる。モニター用のカメラを搭載した自動運転車が街を走る日は近いと思う。それに続いて、タクシー運転手も同様になくなる。そして、自家用車の必要性も減少する可能性が大きい。自動車を持つコストに比べて、スマホなどから配車依頼した自動運転車を利用するコストの方が下がるだろう。

そのような時代には、食料調達もドローンでの配達が多くなるかもしれない。そして、各家にはドローンポートを置くことが常識になるだろう。買い物は家をはなれる動機ではなくなるだろう。そのような時代は、もうすぐそこまで来ていると思う。

2)インターネットを見ていたら、中部経済新聞の記事を人工知能が初めて作ったというニュースを見た。https://www.youtube.com/watch?v=2drThJkGSX8 現在は、データの入力が必要だろうが、AIが独自にネットから学習するようになると、人工頭脳に勝る知能を持つ人は皆無となるだろう。AIが小説を書いたという話もすでに存在する。http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1608/24/news129.html

上記のYoutubeで武田教授は、医者がなくなり病院で必要な患者を相手とする仕事は看護士だけになると発言している。医者の仕事の多くは、検査のデータや病気や体調に関する個人データから、必要な医療措置を決めることであり、それは人工知能で可能になるからである。外科医も医用ロボット(例えばダビンチ)が進化すれば、人間より上手に手術するだろう。ただし、これらを統括する医師は必要だろうが、徐々にそれも減少するだろう。

武田教授は看護士の方が必要だと言うが、その根拠としてあげた理由もそれほど説得力はない。人の情をシミュレートすることなど、ロボットには簡単なことだろう。同情や教唆までしてくれるだろう。最後まで面倒を見てくれる最高の看護士ロボットの仕事ぶりに、現在の看護士も敵わないだろう。

囲碁や将棋の世界では、天才棋士も人工知能に勝てなくなっている。特に将棋の世界では、プロがスマホで次の手をカンニングしていたことがわかり、一流棋士が出場停止になったことは、将棋の世界においてプロ棋士がもはや職業として成立する根拠がなくなったことを示している。http://www.j-cast.com/2016/10/13280636.html?p=all

もちろん、一流の人はどの分野でも一定数生き残るだろうが、生き残れる総数は徐々に減少するだろう。その代わり、AIとロボット及びそれを組み込んだ装置を設計したり生産したりする仕事が、主要な産業となる。そして、そのAI技術やロボットの誤動作を防ぐことが、産業界だけでなく政治の課題にもなるだろう。つまり、ハッキングやハッキング防止技術が国防の主要な任務の一つとなると思う。

大きな問題は労働市場が徐々にそして大きく減少することである。

3)社会はどのように変化するだろうか。
AIがなんでもこなすようになると、労働生産性は著しく上昇するだろう。そして、仕事にあり付いた人は富裕層を形成するが、仕事にあぶれた人は貧困層となる。しかし、ほとんどの人を貧困層に落としてしまっては、経済規模は縮小してしまう。そこで、政治の役割は今後益々重要になるだろう。経済学はお金を稼ぐ方法を教えるが、それを吸い上げたり分配したりする方法に関しては政治の役割である。

この変化に政治が対応できるのはしばらくの間であり、最終的には自由主義経済体制が成立しなくなると思う。なぜなら、完全雇用が手の届くところにあるという前提で、この政治経済的枠組が成立しているからである。これまで通りのやり方で資本家の存在を許すとなると、人は一握りの資本家階級、一握りの官僚、その他大勢の貧困層の3つの層に分類されるだろう。そのような社会が安定に存在できる筈がない。

如何にスムースに共産主義体制に以降するかが今後の大きな政治のテーマだと思う。あまりにも大きな問題なので、簡単には答えは出ない。

スムースな以降が可能になるプロセスも存在するかもしれない。例えば、共産主義を実現する途中段階として、全ての労働者が資本家になることである。労働者の代わりに資本家になった人々が、その企業の収益を分配することで、利益を得るのである。そうすれば、経済の縮小を防ぐことができる。つまり、会社の従業員は給与の一定の割合を自社株としてもらうことをシステム化するのである。そして退社する歳になれば、一応の生活ができるようになり、労働市場の縮小に対応できる可能性が出てくる。

この政治経済システムの変換は世界で不均一に起こる。その結果、国境はこれまで以上に大事になり、グローバル化の流れは再び100年ほど先に現れるまで消滅するだろう。移民の受け入れなど最も愚かな政治的判断である。

2016年11月7日月曜日

日本国は法治国家と言われるが、その核心は徳治国家である=正常な国際関係を築く上での本質的障壁について=

1)過去の話:

今年3月1日のブログにケントギルバート氏の「日本は連合国に無条件降伏なんかしていない」というコメントに対して、違和感があると書いた。(補足1) http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42680321.html

国体護持つまり天皇制の維持に日本政府は拘ったが、それは米国により明確に拒絶された。つまり、日本側から条件をつけた降伏ではなかった。そのため、御前会議で降伏を決断できなかった国家の重鎮たちは、天皇に決断を丸投げした。(補足2)

通常御前会議においては、天皇は責任が及ばない様に臨席するのみで発言しなかった。しかし、大日本帝国憲法では、宣戦布告や講和は天皇の大権であった(大日本帝国憲法13条)。昭和天皇は憲法13条の記載通りに終戦の決断をしたにも拘らず、普通の歴史の講義や講演では、御前会議での天皇の決断を異常な事態と解説するのが常である。

天皇は大日本帝国憲法下では、上記宣戦布告や講和の権利のほか、陸海軍を統帥する権利も持っていた。しかし、実際の国家運営は重鎮達が行なっており、軍の指揮は軍令部や参謀本部が行った。その重鎮達一部は、独善的に動いた。つまり、形式的には西欧の法治国家であったが、人治国家的にモディファイ(修飾)されていたと思う。

2)戦後及び現在の話:

今でも同じであるが、日本国において法律や憲法の持つ意味は西欧とは大きく異なると思う。つまりそれらは、高邁な目標を記した計画書や理想を掲げた看板の性格を持っている。法は屡々無視されて、政治は躊躇いながら軌道修正を行う。計画或いは理想通りに事が運ばなくても、それを批判するのは了見が狭いと言われる。それが、日本では昭和の失敗(日米開戦と敗戦)の責任が追求されない理由である。

あれだけの戦争による惨禍を経験しながら、日本国憲法は第日本帝国憲法が記載する手続きで改正され、政治的な連続性が確保されたのは何故なのか? それは、日本国は人治国家であり法治国家ではないからだと思う。つまり、「敗戦したけれども皆必死に国家の為に頑張った」という言葉で法的責任論などは吹っ飛んでしまったのである。それがまた、虚しい理想を掲げた全文を持ち、現在の軍備の状況と完全に矛盾した憲法を、70年間改正に踏み切らない理由であると思う。

最近のことであるが、所謂“生前退位”の意向が天皇陛下からオブラートに包んだように出され、実際に政治にそれに沿って動いている。宮内庁や内閣の失敗により、天皇が政治に関与できることを明確に示してしまった。この憲法違反になってしまったことの責任を、行政府に問わないのも同じ理由による。

宮内庁長官は天皇の意思をNHKが報じたにも拘らず、その様な話はないと否定した。しかし、今では何事も異常なことなど起こらなかったかの様に静かに譲位の手続きが進んでいる。本来なら宮内庁から内閣に持ち込み、話が具体化するのが筋であった。それを宮内庁はサボっていたのだと私は思う。天皇による憲法違反はあり得ない。それは、天皇は元々憲法に縛られる存在ではないからである(補足4)。

またこれも最近のことであるが、「集団的自衛権行使は憲法違反かどうか」などという、ほとんどお笑いの世界のような議論(補足3)が行われた。このようなことは、西欧の言葉と常識では形容できないだろう。何故なら、憲法無視は自衛隊を持ったところで始まっているからである。

日本国は、明治以降西欧の民主主義と法治主義を模倣しているが、日本の文化と西欧のこれらの“主義”は水と油のように異質である。西欧は言葉とそれを用いた約束(=契約)に重い地位を与えているが、日本は言葉ではなく“徳”に重い地位を置いている。その結果、西欧は人間と人間の関係、そしてその延長である国家と国家の関係を、ゼロベースで考えるが、日本は“善意”を当然の前提としてそれらを考えている。

それは日本外交、西欧的な基準での正常な国際関係の構築に大きな障壁となっているのではないだろうか。

(これは素人によるメモです。しかし、コメントがあれば是非お願いします。)

補足:

1)ケント氏は日本国民を惑わす米国人だと思って、その時の記事である。最近も、日本語が英語に比べて優れているといっている。https://www.youtube.com/watch?v=gesuqeBtJ2w 日本で職を得るために日本を褒め上がるのは有効だが、それに惑わされている日本人が多い。この人のあげた日本語の優れた点はすべて、日本語の欠点とも言える。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41614431.html

2)通常は天皇に責任が及ばない様に臨席するのみであった。しかし、大日本帝国憲法には軍隊を統帥するほか、宣戦布告や講和は天皇の大権であった。昭和天皇は憲法13条の記載通りに終戦の決断をしたにも拘らず、普通の歴史の講義や講演では、御前会議での天皇の決断を異常な事態と解説するのが常である。君主が絶対的権利を持つという憲法を持つが、それは絵に描いた餅であり、陸海軍は通常天皇の意思とは無関係に動いていたと、私は理解している。

3)憲法9条は明確に戦争と軍備を否定している。第一項に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあるが、「自衛の戦争は否定していない」という解釈が国会議員や政府要人などの意見である。自衛権の行使、つまり自衛隊による反撃は、武力の行使であることは明白である。第二項はいうまでもなく自衛隊、英語でself-defense forces、は憲法が禁じた軍隊である。「集団的自衛権の行使は、違憲であるかどうか」という議論が国会でなされていることを、西欧の方々は笑わないで聞くことができるのだろうか。

4)天皇は(国)民ではないからである。天皇の国事行為は憲法に記載されているが、それは天皇の義務ではないだろう。この辺りは、憲法学者に聞きたいところではある。あるテレビ番組で、明治天皇の玄孫であり憲法に詳しい竹田恒泰氏が、天皇が国会召集をしないことだってあり得るという発言をしたと記憶している。それは天皇制を擁護する立場の竹田氏の発言であるから、宮内庁は天皇のお考えを十分吸い上げる役割を果たさなければならないという意味であると思う。このあたりの話は難解である。

2016年11月4日金曜日

生物というものは厄介なものである

生物というのは厄介なものである。放っておけば際限なく増えて、互いに戦いを始める。そこで弱いものは駆逐され、強いものがのさばる。これは10坪ほどの自宅の空地(人は庭というかもしれない)を管理する自分の確信に近い感想である。

10㎡ほどの芝生は、雑草とミミズのせいで荒れてしまう。ミミズは芝生の中に土を盛り作り、土をアルカリ性にして芝生を枯らす。そこで、時々椿油粕を撒いて、その上に散水して泡立てる。界面活性作用か何かで苦しくなったミミズが這い出してきたところをピンセットで摘まみ上げる。今日も100匹を超えるミミズを”駆除”してその作業を終えた。 

しかし、半年ほどすれば同じようにミミズが繁殖するだろう。また、芝生には雑草が絶えず紛れ込み、ちょっと湿り気のあるところはほぼ完全に別の草に支配された。その代わり芝生は、長い茎のようなものを伸ばして、新天地を探す。それはこちらが困るので刈り取る。 

玄関の樫の木は、常に垂直方向に新芽を伸ばして、人間の目で見ればみっともない姿になるので、それを年に数回刈り取る。また、春に黄色に美しい花をつけるモッコウバラは、凄まじい勢いで枝を伸ばす。公道であれ他人の敷地であれ、空いた空間があればそこに新しい折れやすい枝を伸ばす。それも年に二、三度刈り取る。 

一昨年植えた柚子の木の若葉は、ほとんどアゲハの幼虫に食べられてしまう。春にはアゲハの幼虫と産み付けられた卵をピンセットで取り除くが、それでも緑色の保護色を持った大きな幼虫はどこかに隠れている。アゲハチョウと知ったのは、知恵袋に写真を掲載して教えてもらった結果である。アゲハ蝶を退治しているといえば、蝶よ花よと愛でる人はなんというだろうか?

「最初に強いものがのさばる」と書いたが、ミミズや樫の木など庭の生物たちにもし意識があれば、厄介な人間を見て同じ感想を漏らすだろう。


借り揃えられたサツキの中から顔を出した戸惑っているトカゲ君

2016年11月2日水曜日

小池政治塾は失敗に終わるだろう

小池都知事が政治塾を開いた。挨拶で、評論家ではなくプレイヤーになってもらうための塾だと大見得を切った。自分がプレイヤーとして、優秀かどうか疑わしいのにも関わらずにである。

豊洲問題はほとんど終わったことを掘り返す行為であり、最初から無益かつ有害な問題化だと思ってブログにも書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42953114.html その後、大阪の橋下徹氏も同様の苦労して益の少ない小池氏の行動に言及した。

オリンピック会場の問題でも、工事の受注関係の疑惑を追及するのなら良いが、会場の変更まで考えると、IOC に文句を言われるのは当たり前である。時計の針は逆回りしないのだから、過去ばっかり掘り返すのではなく、今後の善政で実力を示すべきであった。

都知事での仕事っぷりは、将来の首相候補となり得るかどうかの試金石であったが、恐らく都政すらまともに進められないような気がする。都知事選の時は応援したのだったが、今となってはがっかりである。小池政治塾も途中で解散か、そうでなくとも会場は閑散とするだろう。

2016年10月29日土曜日

核兵器保持禁止条約について(II)

法的に核兵器保持を禁止する条約案が、国連でオーストリアなどから提案された。現状では、そのような提案は無意味であるとブログに書いた。更に、例えば国連が世界政府的組織に成長したとしたら、核廃絶は可能であると書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43032112.html 

しかし、世界は多くの独立性の強い国家に別れ、国際組織は単なるお付き合いレベルである。その証拠に、国連は未だに第二次大戦の戦勝国連合の性格を強く持っている。その様な状況下で、法的拘束力を持つ核兵器禁止保持条約を提案するなんて、悪い冗談か悪意ある企みの序曲としか思えない。もし核廃絶を真面目に考えるのなら、国連改革を一歩でも前進させる方が先だろう。

また、核兵器保持を禁じる条約を締結することは、必ずしも核兵器廃絶につながらないだろう。条約に棄権した国を含め多くの国は、条約が成立してもその条約に加盟しないだろうからである。法的拘束力と言っても、現状では国連からの除名処分である。国連を構成する重要国を除名すれば、国連は消滅する。その結果、核戦争の危険性は増加するだろう。一体何を目指して、こんな提案を出したのか? 国連代表はバカでは務まらない。あり得るのは謀略である。単なる想像だが、例えば、棄権した国の一つと例えばドイツなどの国が結託して、もう一つの近い国に提案させたのかもしれない。(補足1)

核兵器がどのような状況で使われるのかを考えれば、条約など意味がないことが理解されるだろう。世界経済が停滞し、国内の不満が爆発寸前となるか爆発状態にあるかして、国家体制崩壊の瀬戸際にある核保有国が想像される。その国民の不満が核のボタンを押すきっかけとなる。その時点までに国家の中枢は、国民の不満をそらす為に仮想敵国を作り、その国の国民を動物以下の存在として刷り込んでいるだろう。標的は、その反感を醸成した相手国の人口密集地域である。核爆発の結果、100万人の命が失われるだろう。そして、核兵器を落とした国の国民は歓喜の声を上げるだろう。被災国は侵略され、その富は侵略者に分配されるだろう。

そのような緊迫した状況で、国連に何ができるのか?国連の権威に、その核保有国の指導者が生命をかけて(自国民に暗殺される危険をおかして)服従するのか?

世界政府的機構ができないのなら、その状況下で少しでも核兵器の使用から多くの保有国を遠ざける為には、その国家を窮地に追い込むことの無いようにすることがさしあたりの現実的方策である(補足2)。そして、国家間の深刻な領土を巡る対立などを芽の段階から摘み取る努力を、(できれば国連が)することが重要である。そのような地道な国際協力こそが、核兵器による悲劇を防げるのである。その為には、公平で公明な国際政治環境を作り上げることが最重要だと思う。

岩礁を埋め立てて、領土としその上に軍事基地を建設し、その上空を領空とする企みが着実に進められている。公然と国際法を無視する行為を国連はどう考えるのか?こうぜんと国際法を国連の重要メンバーが無視しているのを放置して、新たに重要な国際法的な条約を結んでどうしようというのか? 

その国の強欲はどこから生じたのか?恐らくもう一つの国の脅威だろう。国と国の境界(国際)にその様な拭い去れない脅威が存在する現状の宥和ができなくて、何が核兵器保有禁止世界条約だ。現実を無視した理想主義を前面に出すとき、ほとんどの場合裏に隠された意図が存在するのだ。

==これは素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。==

補足:
1)最近国際的に大きな話題になっていることから、世界の目を遠ざける為である。
2)国家存亡の危機にあると感じている核保有国がある。その国に対して国連の名でなされていることは、更にその国家体制の存続を脅かす制裁だけである。今回、その国は核保有禁止条約に賛成の投票をした。それは、国家の存続が国際的、つまり米国や韓国により認められれば、そして巨大核保有国からの核の脅威がなくなれば、核兵器を廃棄する用意があるという意見の表明である。つまり、核開発が本格化する前に、朝鮮戦争を終結し平和条約を締結しておけば、恐らくあの国の核開発は防止できただろう。小泉首相の時にそのチャンスがあった。それを壊したのも巨大核保持国だと疑っている。

2016年10月28日金曜日

核兵器禁止条約は核保有国の策略である

ニュースによると、国連総会第1委員会(軍縮)は27日、核兵器禁止条約など核兵器の法的禁止措置について交渉する国連会議をニューヨークで来年開くとした決議を123カ国の賛成を得て採択した。

日本や核兵器保有国の米ロ英仏など38カ国が反対し、中国など16カ国が棄権した。核開発を進める北朝鮮は賛成した。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161028-00000013-jij-int

この条約はもともと馬鹿げているので、賛成しても良かったと思うが、日本は律儀にも反対した。北朝鮮の賛成とは対照的である。そもそも、法的禁止措置なんて、翻訳の間違いかと思う位馬鹿げた話である。法には罰則が、それを加える力と権威がなくてはならないからである。国連にそんなものがあるわけない。北朝鮮に馬鹿にされている(補足1)ことからも明らかである。

核兵器禁止を法的に実現するには、核兵器を保有する国際的軍事組織を創る必要がある。しかし、そんな話はこの条約には出てこないだろう。元々馬鹿げた提案をする連中にそんなアイデアなどあるわけないからだ。

馬鹿げたというのは、核の脅威に晒された国がわざわざ自分の手足を縛るような提案をしているからである。本来、核兵器禁止条約は全核保有国が話し合い、その共同提案で出すべきである。その正論を無視してこのような提案を出しても、今後最初に核被災国が出た段階で、この条約は破棄されるだろう。その最初の被災国の最有力候補は日本である。

この提案には、ある策略を感じる。つまり、差し当たり核の脅威にない国が、一部の核保有国の策略に協力して、核保有の能力があり、且つ、今後その核保有国の政治的経済的競争相手になる可能性の高い国の手足を縛る為に出されたと考えることもできる。

どうせ核保有国は条約に参加しない。それにも拘らず、核保有国の脅威の下にある国から核の傘を奪い、核兵器保持の可能性を小さくする効果は、国際世論という”空気”を醸成することで生じる。

その条約を守らなかった核保有国を罰する側に核兵器がないことになるが、ピストルを持った強盗をピストルなしで逮捕することが可能だというのだろうか?人をバカにしたというより悪意を感じる提案である。

補足:
1)核兵器開発をせっせとしながら、賛成するのだからバカにしていると言っても良いだろう。しかし、北朝鮮はそのような条約ができて、米国や中国が核兵器を廃棄するのなら、自国も廃棄するという意思表示をしたと言うだろう。それはそれで真面目に取れるのだが、廃棄は一番後に持った国からするのだと言えば、「最初に持ったものから廃棄する義務がある」と反論し、それが通らなければ即座に反対に回るだろう。

2016年10月25日火曜日

日露関係改善が日本を救う可能性が高い:日ソ交渉に対する佐藤優氏の訳のわからない危惧

1)佐藤優氏は、最近ラジオ番組で「ロシアの日本接近の本当の目的は、シベリア開発などへの日本の協力という経済目的ではなく、米国と日本の間に楔を打ち込むことだ」と主張している。https://www.youtube.com/watch?v=CDu2WFd5avk

佐藤氏は米国の立場にたち、日露の経済協力がロシアが強大化する切っ掛けとなることを警戒しているのかもしれない。しかし、将来において米国のもっとも手強い敵となりうるのは、むしろ中国だろう。ロシアとはシリアなどで敵対しているが、経済規模などを考えると将来の脅威は中国ほどではないと思う。フィリピンなどが米国から距離をとりつつあるので、東アジアの足場としての日本の価値は米国にとって高く、日露の協力関係は、日本の利用価値を損ねることを警戒している可能性もある。 

ロシアがシベリア開発などを進めて、大きな経済力を手に入れれば、中国と並ぶ敵対国になる可能性はある。しかし、中国の封じ込めにロシアが使えると日本は考えているが、米国は考えていないのだろう。従って、限られた範囲でなら良いが広範囲の日ソ協力は米国にとって好ましくないとの危惧が、米国で大きく成りつつあるのかもしれない。

  米国に支配されてき日本は、「北方4島は固有の領土」という考えを刷り込まれてきた。それは米国が日本とロシアの間に楔を打ち込む為に行った日本国民の洗脳政策の一つだろう。何故なら、サンフランシスコ条約で千島を放棄したことは、逆戻りできない歴史的事実であり、国後と択捉は千島に含まれないというのは地理学的にみて屁理屈にしか思えないからである。 

つまり、佐藤優氏はロシアの経済力を強くするかもしれない日ソの接近を妨害する為に、そのような発言をしている様に感じる。それは中国という最大の脅威にどう対峙するかを考えている日本の利益を無視している。日本が真の独立国になるという考えを顧みず、米国と日本の間に隙間を作ってはいけないという考えを主張するのは、元外務省の佐藤優氏と宮家邦彦氏の一貫した態度だと思う。

2)一方、米国と日本の間にはずっと大きな隙間があったという考えが、孫崎享氏や馬淵睦夫氏らの考えである。米国の占領政策やその後の日本の政治的弱体化が、日本の国益を害してきたのは明らかだからである。

その米国の対日工作を陰謀と呼ぶ人もいるのは、対米従属派が長期政権を実現し、その反対に独立志向の強い政治家はどういうわけか死亡するか失脚するかして、政治の舞台から短時間で消えたことを説明するのが困難だからである。

陰謀が暴かれてしまえば、陰謀とはいわない。陰謀が暴かれていない(日本の検察にはそれを暴く熱意はないので、根拠が公にされない)から陰謀などないというのが、佐藤氏や宮家氏の姿勢である。国民は、どちらが正しいのかよく考えるべきだと思う。この件については、以前ブログに書いたので引用しておく。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42023202.html

3)話を元にもどす。ロシアはシベリアを日本と手を組むことで経済発展させて、中国の脅威に対峙するのが戦略だというのが、戦略家として有名で最近安倍総理が面会したエドワード・ルトワック氏の考えだったと思う。その点についてネットでは上念司氏が解説している。その方が説得力あると思う。 https://www.youtube.com/watch?v=k1YGSvIPHN4

つまり、ロシアにとって中国こそ最大の潜在的脅威である。上念氏の発言だったと思うが、ロシアがシベリアを失ったらポーランド2個分くらいの国になってしまうという。そんな国にロシアを弱体化できるのが、中ソ国境に膨大な人口を持つ中国だというのである。

その対中国対策を長期的視野に立って考えたなら、日本と北方領土問題を解決して経済協力を進めるべきであるとの結論に至るのは、プーチン大統領でなくても自然なことではないだろうか。

日本にとっても、南シナ海を中国が抑えたあとは、中東からのエネルギー輸送路が絶たれる可能性がある。それにも拘らず、米国は岩礁に軍事基地を建設する中国を見て見ぬ振りをした。

その後の「航行の自由作戦」なんて、オバマ大統領と習近平主席が申し合わせて行った茶番かもしれない。フィリピンのルテルテ大統領がオバマ大統領をソノバビッチと呼んだのは、中国接近止む無しと決断した時の叫び声だろう。

日ソの協力は日米関係同様に、日本の今後に非常に大事だと思う。相対的には多少変化しても、両方を実現するのが政治家の役目だと私は思う。

==== 以上は素人の考えですので、誤解などあると思われたなら、是非コメントを書いてください。====

2016年10月24日月曜日

日本国民は虚しい理想論に気づくべき

1)言葉は会話や情報伝達の道具である。その一方で相手方を攻撃する武器ともなり得る。ある言葉が情報伝達という善意の意味を持つのか、混乱を誘う武器として投げられたのかは、直ちに判断できない場合がある。

多くのイデオロギー的言葉にはその両面の意味がある。つまり、諸刃の剣である。例として、人権、民主主義、環境保護、動物愛護、男女同権(女性参画)、平和(和をもって尊しとなす)などが挙げられる。

例えば、人権という言葉が出た瞬間に、それに平伏す人たちがいる。また、人を支配するための道具として用いる人たちもいる。嘗ての社会党や社民党、そして、現在の民進党の一部の人たちには、その両方のタイプが同床異夢状態でいたし、現在も存在すると思う。

勝間田清一という人は、ソ連共産党のスパイであった。この件、ウイキペディアの記事を参照してもらえばわかることである。したがって、彼の日本における非武装中立論という理想論は、日本国に突きつけられた刃であったことになる。 https://www.youtube.com/watch?v=GWP4eoseFMU

一般民衆には、このような言葉を武器として用いるということが理解できない場合が多い。それが、これらの美しい言葉が強力な武器となりうる理由である。平和や人権は崇拝の対象であっても、武器として用いられようとは夢にも思わないのである。

2)理想論の反対は現実論である。理想論でノーベル賞をもらったのが米国のオバマ大統領であるなら、あまりにも理想論から遠いと思われて国際的に非難されているのがフィリピンのルテルテ大統領である。

そのルテルテ大統領が明日日本を訪問する。暴言で知られ、フィリピンのトランプと言われている。しかし、私は相当な戦略家だと思う。単なる暴言吐きでは一国の大統領にはなれない。彼がオバマ大統領に対して暴言を吐いたことは非常に印象的である。本音が出てしまう性格は政治の世界では損であるが、人民の支持を得るには得である。その損得には境界があり、全く本音を言わない人は民主主義の国では一流の政治家になれないと思う。

ルテルテ大統領が米国大統領に暴言を吐いたのは、オバマ大統領をはじめとして国際世論が、麻薬常習者などに対する超法規的殺害を人権無視として非難したことに対する反感が原因だろう。「人権」という言葉は、法治国家としての体裁を整えた国において意味のある言葉である。その前提が揺らいでしまっているとしたら、その国の指導者の政策にたいして「人権無視」という言葉で攻撃するのは、先進国の傲慢である。

民主主義という刃を突きつけられたアラブ諸国の混乱は記憶に新しい。その代表は、リビアのカダフィ大佐だろう。彼の善政についてはサイトを引用しておく。http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-269.htm その視点でシリアのアサド大統領を見ると、シリアの混乱の責任をアサド大統領の暴政に帰するのは無理があるとわかる。

3)ルテルテ大統領の話に戻る。彼のオバマ大統領に対する態度の裏に、彼の強引な麻薬撲滅運動に対する批判の他に、もう一つの理由があると思う。それは、米国が南シナ海に進出する中国にたいして、ふさわしい時期に何ら具体的な対策を取らなかったことだと、私は想像している。中国に南シナ海の岩礁に空港建設を許したあとで、自由の航行作戦なんて馬鹿げているとの思いだろう。

中国という大国に隣接して生きる小国の一つであるフィリピンには、取れる戦略は限られている。オバマ大統領の政策を見て、中国と真正面から対峙することは無理であると悟ったと思う。それが最近の中国との和解であり、オバマ大統領に対する暴言のもう一つの理由であると思う。

オバマ大統領は、理想論を掲げることで、米国を世界から徐々に後退させていった。その次の大統領は、現実論を掲げて世界の多極化やむなしという政策をとるだろう。安倍総理はそれをすでに計算に入れていると思う。ロシアとの和平もその一環だろう。「国後と択捉は日本固有の領土である」という愛国心を刺激する言葉は、(米国の干渉で)日本の勢力の一部が仕掛けた罠であると気づくべきである(補足1)。

補足: 1)日本国の外交は、対北朝鮮では拉致問題に、そして対ロシアでは4島一括返還論に、対韓国では竹島問題と慰安婦問題に、対中国では尖閣問題により”拉致”されている。東京裁判を批判するにも拘らず、自分ではあの戦争を総括しないで残した過去の自民党政府の負の資産であると思う。

2016年10月22日土曜日

NHKの天皇退位の意向報道が何故新聞協会賞なのだ:日本国家の本質の一端

すこし古い話になるが、天皇陛下の退位の意向を報道したNHKにたいして、新聞協会賞が授与された。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161018/k10010733781000.html

この記事、スクープというが完全に合法的プロセスによって入手されたとは思えない。本当は宮内省関係者の違法なリークを元に報道したのだろう。その報道内容について、当初宮内庁長官や次官は否定した。しかし、翌日の新聞は全て政府の関係省庁である宮内庁長官の発言よりも、NHKの報道を事実と考えて記事を書いた。まるで日本の報道機関が一枚岩となって、天皇のご意向にそって動いているかの印象を与える。クーデターはこのようにして起こるのだろうか?

以下の佐藤優氏の話をどう考えるのか? 是非聴いてもらいたい。 https://www.youtube.com/watch?v=CKATONOgKqM

佐藤氏は、「民主主義は手続きだ」と言って、この日本政治の重要事項である天皇退位がリークから始まり、いつの間にか正当な手続きに沿って進められている現状に強い違和感を感じている。婚外子がいつの間にか、母屋を乗っ取るような話であるのに、誰も疑問を呈せず着々と進められていく。なんという国なのだ、日本という国は?

新聞協会は、このNHKによるリーク報道に新聞協会賞を与え、上記疑問が具体的な動きにならないように釘をさしたのである。これは民主主義国家の中心である国会や内閣とは関係のないところで、日本政治が動いていることの証拠の一つである。新聞協会の中にも、上記企みに組みしたものがいるのかもしれない。

この件に関連するブログ記事:http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42935870.html;http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42933437.html など。

2016年10月21日金曜日

死刑廃止論について:

1)朝日新聞デジタルによると、日本弁護士連合会が「2020年までに死刑制度の廃止を目指し、終身刑の導入を検討する」という宣言を採択した。http://www.asahi.com/articles/ASJB74JGWJB7PTIL010.html この日本語は少し変だが(補足1)、それはさておき、すこしこの死刑廃止論を考えてみたい。

この件についての瀬戸内寂聴さんのコメントが話題になっている。J−CAST Newsによると、上記日弁連が福井市で開いた死刑廃止に関するシンポジウムで、以下のような発言をしたという。「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください」;「そして、殺したがるばかどもと戦ってください」http://www.j-cast.com/2016/10/08280174.html?p=all

死刑廃止論者の発言でよく聞くのが、この瀬戸内寂聴さんの最初の発言にある「人間が人間を殺すのは、一番野蛮なこと」であるから、死刑は廃止すべきであるという意見である。上記記事を信じた上で書くのだが、何故このように幼稚な発言を瀬戸内寂聴さんはされるのだろうか?

その一番野蛮なことを一番野蛮な形でやったのが、死刑を検討される犯罪者であることを忘れているのか? OECDで死刑制度を持っているのは日本だけだという死刑反対論も多いが、何故OECDが出てくるのかさっぱりわからない。しかも、OECDで中心的な米国などでは、裁判もしないで死刑同等の行政的行為がたくさんある。警官によるその場での射殺である。

2)私は凶悪な犯罪に対しては死刑もやむをえないと考えている。その理由は以下の通りである。限られた空間と資源の中で、人間は社会を造って生きている。その構造を防衛する行為として、国外の敵に対しては戦争で対決し、国内の反社会的行為には刑罰で対決しているのである。

凶悪な殺人行為を為した者にたいして死刑を執行しなければ、その家族や親族が社会に正常な形で参加できなくなる。つまり死刑は、人間と社会(公の空間)の間の信頼感を維持し、(社会の構成員である)人間が正義を信じ規律を守る社会の基本的体制を維持するための制度であることを忘れてはならない(補足2)。

死刑は被害者家族に私怨を晴らさせるためという考えもあるが、それは誤りである。犯人を死刑にしても、恨みは決して晴れないだろう。被害者家族に聞いてみればわかると思う。瀬戸内寂聴さんはそれをされていないのだろう。

もう一つの死刑廃止論者の意見に、「冤罪の可能性がある場合、死刑は取り返しがつかない刑罰である」というのがある。 こちらの意見には、一定の説得力がある。しかし、我が国ではそれを防ぐ工夫が幾つか存在しており、その確率は減少しつつある。

我が国では周知のように、死刑にはもう一段のバリアが敷かれている。法務大臣が印鑑を押さなければ、死刑執行されないという制度である。それに再審制度もあり、死刑判決を受けても再審で無罪になったケースもある。http://matome.naver.jp/odai/2139580959957165101

更に、最近は取り調べの可視化など警察や検察の捜査等について、冤罪予防の措置も取られている。したがって、冤罪で死刑執行という確率は相当下がっていると思う。その時代の流れの中で、何故死刑廃止を叫ぶのか? 私は、瀬戸内寂聴さんなどのナイーブな反対論は別にして、この問題を取り上げる中心に政治的意図があるのではないかと思う。

補足:
1)日弁連は国会議員で構成されている訳ではない。しかし、この「」内の言葉は、まるで内閣か国会を構成する人たちのような発言である。日弁連か朝日新聞か、どちらかが日本語が下手なのだろう。
2)OECDで死刑制度を持っているのは日本だけだという意見の間違いは、それぞれの国の状況を無視していることである。それと関連して、最近フィリピンのドゥテルテ大統領の麻薬撲滅を目指した殺人も、軽々に反対するのは慎むべきだと思う。「社会の防衛」という視点でみれば、 人体に対する外科手術と似ている。

2016年10月20日木曜日

北朝鮮問題:青山繁晴議員によるアントニオ猪木議員攻撃の動画について

その動画は以下のサイトに先月26日の日付でアップロードされている。 https://www.youtube.com/watch?v=-BtZ6XR8MAs  冒頭、青山氏はアントニオ猪木さんが外国人特派員協会で公演したときの発言について述べている。そん部分についてのみここで議論する。

「”拉致問題を解決できたら、我々日本人はしあわせになれますかね”というような発言されたということで、僕のところにも怒りや嘆き悲しみのメールが大量にとどきました。」

「本気で猪木さんは北朝鮮の言い分が正しいと思っていると思いますよ。僕は。」「こんな人を当選させた有権者ももう一度考えた方が良いと思う。日本維新の会の橋本さんも、石原慎太郎さんももちろん考えなければならない。当選しそうだということで、こんな人を議員にしてはいけない。この人を6年間私たち国費で支えるのですから。」


青山氏は、最初の猪木さんの発言が厳密な意味で正しく伝えられているかどうか自信はないはずである。それは「発言されたということで」という下線部の表現でわかる。そうなら、猪木さんの発言が「拉致問題を解決できただけで、我々日本人は幸せになれますかね」だったかもしれないという想像力を働かすべきである。猪木さんの発言の趣旨が、「拉致問題もあるが日本を標的にしているであろう核兵器のことを考えなくて良いですか?」であった場合、青山氏は賛成できないのだろうか。

二節目の青山発言は、典型的な独善的発言である。単眼でしか物が見えない青山氏のような人こそ、議員にふさわしくないと言いたい。私は、あまりにも青山氏の決めつけがひどいので、その動画についてのコメントした。それをここに再録する。もう一つの目で見た景色は、青山繁晴参議院議員の見た景色とは全く異なるのだ。

Mohkorigori:
アントニオ猪木さんはイラクでの人質救助に多大の貢献をしています。それに、拉致問題は大事ですが、日本外交は拉致問題に拉致されている状態です。(白井聡著、永続敗戦論)それを言ったのでしょう。北朝鮮に核兵器を持たせたのは米国です。朝鮮戦争が休戦になって、60年以上、米国は平和条約締結に動かなかったのです。米国と戦争継続状態にある北朝鮮が、核兵器にすがるのはわかります。米国の東アジアに混乱を残すという卑怯な政策をあなたは考えたことがありますか?

Mohkorigori:
拉致問題の全面解決は、小泉政権のときに邪魔が入らなければ出来たと思います。小泉さんは本気で平和条約締結と北朝鮮承認、拉致被害者全員の帰国、日朝基本条約などを考えたと思います。それを不可能にしたのはどこかの横槍だと私は思っています。素人ですが。。。その時、同行した安倍総理には詳細は知らされていなかったとどこかで読みました。

青山繁晴という人はエネルギッシュで話は面白い。しかし、もう少し広い視野を持っていると思ったら、この程度の人だった。短絡的で単眼的で、「もう一方からみてみる」という人間にしかできない思考(補足1)が出来ていない。北朝鮮が悪者で米国が悪者を退治する代官様というレベルの思考しか出来ていない。

動画に寄せられた一般のコメントをみてわかるように、わかりやすく短絡的な考えだからこそ、容易に大衆を魅了する。昔ドイツにそんな人がいた。青山氏は危険な人である。

補足:
1)「もう一方からみてみる」という思考ができるから、人間は鏡に映った像を自分であると認識できるのである。自分の不足した点や誤りについて確認できるのである。

2016年10月18日火曜日

民主主義の原則にとらわれる国は、将来生き残れない。

1)中国は宇宙開発に力を入れている。その目的は言うまでもなく、宇宙軍事基地である。米国と対立した時、宇宙基地を持つことが大きな対米圧力となる。潜水艦は将来容易に発見されるようになるかもしれない。迎撃ミサイルの性能が、クルーズミサイルでも弾道弾でも確実に撃ち落とすレベルに向上するかもしれない。そうすると、宇宙軍事基地の有無が軍事力のランクを決める。

宇宙からミサイルを撃つと、最終速度が非常に高速になる。迎撃ミサイルでうち落とすのが非常に困難になるが、仮に撃ち落としたとしても、自国の上空にプルトニュームなどの搭載物を撒き散らすことになり、その放射能からは逃れられない。中国も米国も、最終的には月面に軍事基地を築くことまで考えているだろう。

これまで、宇宙開発は宇宙の謎に挑戦するとか、無重力下での科学実験が目的だとか言って、仮面をかぶせてきた。無重力実験(補足1)などのパーフォーマンスで国民を感心させごまかすことが出来なくなれば、宇宙開発は民主国家では出来なくなるだろう。宇宙開発の目的は明らかに軍事であると解っても、中国なら進めることができる。

2)民主主義の国では大衆の意見を重視するほど衆愚政治に向かう。大衆は何もしらない。理想主義を教え込まれた大衆には、リアリズム的思考は無理である。英米などの支配層の歴史は専門家もどれだけ知っているのか疑問だし、漏れて出ない以上それを見抜くのは無理である。ジャングルのような国際政治の中での論理と、国内での法と正義の論理の使い分けなどできるわけがない。

また、最適化問題は思考に載せる空間の大きさにより全くことなる。現代という平面の中で考えたとき、今生きる人の尊い命をすくう医学の発展は人類に大きく寄与すると考えられる。しかし、時間スケールを未来に向けて伸ばし、数世代にわたる時空の中で考えた時、全く逆かもしれない。現在の生命から自然の摂理による淘汰をなくせば、将来の生命力の劣化を招く。そして、医学の現在以上の発展は人類に必ずしもプラスにならない可能性大である。

1945年8月6日に時間を固定し、空間を広島周辺に絞って考えれば、核兵器は悪の権化ということになる。しかし、広い時空と国際環境という多くの民族の歴史や思想に関係した部分まで考慮にいれれば、核兵器こそ日本を救う善の武器ということになるかもしれない。兎に角全ての問題は、一般大衆には難しすぎる。

高度な知性を持った専門家たちによるそれぞれの分野における考察とそれらを結びつけて国家の知恵とするメカニズムを作らなければ、問題の解答と対策が得られないだろう。それは時として大衆の意思を無視することになる。民主主義の下では(衆愚政治では)それができないとすれば、その国は滅びるしかないことになる。中国のような独裁国の方が、紛争の時代には有利である。2050年に日本は存在するだろうか?  昨日の 文章では、 国民に国家への参加意識を持たせるべきであるとしながら、今日の文章は民主主義を大きく修正しなければ生き残れないという話になった。昨日の話とどう橋渡しをすべきなのか? 一つの回答は質の高いエリート層をつくることだと思う。

=== これは素人のメモです。適当に読み飛ばして下さい==

補足:
1)宇宙船の中で無重力下での実験が行われている。しかし、宇宙船の中は地上とほとんど変わらない地球の重力が存在する。理系の高校生でも知っている筈のこの事実を、どれだけの人が知っているだろうか? 立花隆の宇宙(月)からの帰還という本だったと思うが、その中に宇宙旅行は大部分が慣性飛行だと書かれていた。この人も、月まで地球の重力下であり、慣性飛行などできないことをしらないのだ。

2016年10月17日月曜日

日本は民主主義国家か? 国民と国家の関係を今こそ一から考えるべき

1)民主主義国家は、現在の先進国における標準的国家体制であると考えられている。しかし、民が主(あるじ)の国家などこの世に存在するだろうか?米国や日本など多くの先進諸国は、本当に民が主の国だろうか。

民主主義国家になる前に国民国家の実現という段階を踏むケースが普通である。ここで国民国家とは、領域内の人間(奴隷は除く)を全てまとめて国民として統治する国家である。「国民国家とは何か」という論文が最近になっても発表されるくらいだから難しい議論はあるだろうがhttp://www.mt.tama.hosei.ac.jp/~ssbasis/what_is_a_natio_state.pdf、そのような議論は後の問題として、今回は上記定義をそのまま用いる。ただし、国民国家とは国民が自国への帰属意識を持つことが必要条件であると思う。

国あるいは日本国という場合、それは国土と諸財産、日本国民とその文化、日本政府を含む継続的で総合的な存在である。また、国家とは政府を中心とする国の現政治体制、国民とは日本国籍の人である(補足1)。国民国家には、国民と国家の関係によっていろんなタイプが存在する。民主主義国家は、国民が主(あるじ)である国民国家と言える。しかし、独裁者が支配する場合もあるし、一部の人間(例えば官僚組織)が支配するケースもある。明治以降の日本は、だいたい後者の国家形態であったと思う(補足2)。

昭和前期以前の日本は、その支配層の中心に天皇がいた(大日本帝国憲法第1条)。大正末期に民本主義とか大正デモクラシーなどといった国民の圧力で、天皇の臣下として国家を形成する人たちを、国民が選挙で選ぶという訳のわからない体制を導入せざるを得なくなった。国家は、ここで治安維持法を作って中和をしたのだが、それは中和を超えて反動となったと思う。革命を経ないで民主主義国家を実現しようというのは、甘い考えだろう。

2)戦争に負けた日本は、国民に甚大な犠牲があったのだから、そして従来の支配層には統治する資格が完全に無くなったのだから、一から国民主権の国家再建ができてもよかったと思う。しかし、米国占領軍とその手下として働いた自民党主流派政府は、戦争を含む昭和初期の歴史を清算せず、従来通りの支配層を温存して中途半端な国家を作った。

その結果、日本国民一般には戦争で被害を被ったという意識はあるものの、自分たちにもある筈の戦争責任の感覚は消滅し、自分たちが新しく国を造るという意識は消え失せた(補足3)。その結果、白井聡著の「永続敗戦論」にあるように、日本国が第二次大戦での敗戦を事実のままには受け入れず、ズルズルと拒否する状態を作り上げた。(補足4)http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43011728.html

そして、現在の自民党主流派は、過去の大日本帝国の時代の日本の再建を考えているのではないかとさえ疑われる。何故なら、彼らが作った憲法改正草案には、天皇を国家の元首とすると同時に、日本国軍を創生すると書かれているからである。

そのことに反対の意思を真っ先に示されたのは、他ならぬ今上天皇だったと思う。それは、国民への「早期退位を希望する」というメッセージの中で、象徴天皇という言葉を繰り返し用いられたことで推察される(補足5)。天皇という地位は、飛鳥奈良時代はともかく、平安時代から現代まで時の実力者に利用される存在だったのである。明治以降の実力者とは薩長の下級武士が作った支配層である。現在もその末裔が政府を作っている。(その体制を守るため卑怯にも、選挙制度の中に憲法違反をしてでも大きな一票の格差を置いている。https://news.nifty.com/article/domestic/society/12198-71996/

現政府は、天皇の上記意思をなるべく国民が知ることにならないように情報を操作し、「老齢故に公務が多くて負担になるので退位したい」という形で小さく閉じ込めるようにしていると疑う。

3)国家の基本は、国民の命と財産を守ることである。国民国家では、全ての国民が自国防衛のために働かなければならない。更に民主国家では、自国防衛の責任は完全に国民自身に存在する。その結果、若い時期に国に命を捧げる義務、つまり徴兵の義務、を負う。それが当然の義務であると考えるには、それにバランスする感覚として、国民の間にナショナリズム(国への帰属意識)がなければならない(補足6)。

個人にとって、自分の生命、行動の自由、言論や思想の自由などの権利保持が大切である。それら全てを失う可能性のある兵役が、国家の制度としてスムースに入り込むのは困難なことである。その義務感とナショナリズムを国民が持つことが可能になるとすれば、相応する歴史的体験の共有、或いは(教育を通して)それが国民の永続的記憶としてなければならない。

多くの民主主義を標榜する国家にそれがあるのだろうか?例えば、我が国にはそのようなものは現時点ではほとんどない(補足7)。それを作る機会が先の大戦の直後にあったが、近代史を教育から除外して、戦後も継続的に旧来の支配層が(米国の助けを借りて)その地位に就き続けるという欺瞞的行為を隠している。

憲法改正をして自国軍を持つことは、兵士が集まらなければ徴兵制を敷くことになるのだから、政府はその国民的合意を作らなければならない。それには近代史の総括とそれによる新しい国家作りをして、国民主権を国民全員で確認しなければならない。それをせずに、ごまかせばなんとかなるという考えでは、今度こそ日本国は滅び消滅することになるだろう。ごまかしの手段に天皇陛下は利用するのは罪である。また、衆愚政治に訴えるのも醜悪である。政府自民党は、その二つを利用しようとしているように思える。

=== 以上、素人の考えですので、間違いなどあればご指摘ください。====

追補:上記は民進党など既成野党が政権を担えるとは言っていません。彼らよりは安倍政権の方がよほどましだと考えています。

補足:
1)ここでの国家は、国家財政という場合の国家の意味と同じ。その資産には、日本国民や日本企業などの私有資産は含まれない。また、ここでの「国民」にはその国への帰属意識がなければならないと思う。戦前の朝鮮や台湾を併合した大日本帝国は国民国家とは言えないだろう。
2)国民国家でない国家とは、ヨーロッパ貴族が複数の民族を支配したような国家だろう。
3)広島原爆ドームにある「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しませんから」の文章がしばしば議論される。過ちとは一部支配層に暴走を許したことである。「原爆を落としたのは米国なのだから、自分たちが謝るのはおかしい」という批判が右寄りの人に多いが、彼らは何もわかっていない。この「二度と過ちは繰り返しませんから」は、今後は自分たち国民一般が政治の主人公になるという約束である。しかし、それを許さなかったのが、米国占領軍とそれに協力した自民党主流派である。
4)敗戦の結果千島列島はソ連に取られた。“取られた”を“盗られた”という権利くらいは日本にある。しかし、敗戦を事実のままに受け入れれば、北方4島は日本固有の領土などと言う非現実的なことは言わなかっただろう。米国は、尖閣諸島の領有権には明確な姿勢を示さないが、択捉や国後を日本の領土と明確に言うのは、日露間に楔を打ち込むためである。
5)憲法上、天皇は政治に関与できない。したがって、天皇のご意志を汲み取るには、発言されるに至った経緯を含め精緻な分析を要すると思う。
6)最近では徴兵制がなくなった国も多いが、それは国内に貧困層をつくることで兵の調達に苦労しなくなったからだろう。例えば米国では、大学教育に多額の金がかかって貧民層からは大学教育を受ける道がない。そこに、兵役につくと奨学金がもらえるという理由で、比較的容易に全国民に義務を課さないでも集めることができるという。
7)明治維新をあげる人もいるだろうが、それは日本国民となる人たちの体験ではない。明治維新は、薩長などによる天皇を擁したクーデターのあと、おそらく外国の書いたシナリオに沿って進められたと思う。国民のほとんどは政治への参加意欲はなく、戦後にもその意欲が育たず、現在でも被支配層のままである。被支配層にあるのは被害者意識だけである。

2016年10月15日土曜日

カツラ業界の景気と日本の中間層の景気&

1)くだらない話題かもしれないが、カツラ業界が不景気である。アデランスは経営が傾き、ファンドの支援を受けて上場廃止し再建するようだ。おそらく月曜日から公開買い付けで株価は上昇するだろう。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161015-00000003-asahi-bus_all

カツラ業界のもう一方の雄であるアートネイチャーの株価も下落を続けており、この一年間で約半値になった。第一四半期の純益は、前年度同期の1/3ほどである。カツラ業界には赤信号が灯っているようだ。

当然、カツラは生きる上に必須ではない。したがってその業界の景気は、その主な消費者である社会の中間層の景気を敏感に反映するだろう。つまり、日本の景気、特に中間層の景気は下降しているのではないだろうか。日銀の金融政策には限界があり、政府の財政による対策にも一定の効果しか期待できない。再びデフレの延長が続くような気がする。

世界の中で日本経済が活性を維持するためには、新技術や新製品などの開発能力がなければならない。精密な作業には適する日本の職人も、NC加工の発達でマイナーなところでしか評価されなくなっているのではないだろうか。

米国には未だ、アメリカンドリームがある。google, apple, microsoft, facebookなどの出現は全て米国が舞台である。日本には夢がない。一時期日本の花形であった白物家電の衰退はいうまでもないが、その中にも新型掃除機も新型扇風機などの新製品を出す余地があったが外国に取られてしまった。東芝にもそのアイデアがあったという負け惜しみが虚しい。http://irumashinjuku.net/?p=8099

2) その原因の一つとして労働力の流動性が乏しいことが考えられる。日本では、年功序列の風習が未だに人事の主流である。どの組織を取っても新鮮なアイデアが上層部に届かない。流動性のないところには夢がない。それが遠くから波及した結果、日本の受験生にも覇気がない。役人になって出世したり、医者になって病人を助けるというようなことは確かに立派だが、そのような考えの受験生が大半では、今後の日本の活力が維持できる筈がない。

世界に生きる国ならば、その文化も徐々に世界を視野に入れるようなものに変化しないといけない。人と知恵の流動性は、広い視野を獲得すれば自然と生まれるだろう。教育も、東大入学が人生の最終目的であるかのような発想は消えるだろう。全国共通テストで良い点を取ることに必死になる教育委員会なんか廃止してしまえば良い。

教育改革には母親の頭脳改革が必須である。男女共同参画などというのなら、女性もまともな知的訓練をして、水素水、ヒアルロン酸、マイナスイオンなどというインチキに引っかからない程度の常識を持てといいたい。(サントリーや味の素といった一流企業が、健康食品で稼ぐようでは、日本経済に悲観的にならざるを得ない。)

健康と安全第一、しかも子供の安全となると異常な神経に支配される。昔の武士は、「命の使い方」という視点を持っていた。それと比べると多くの現代日本の母親の精神は、極端に言えば鷹が怖いといって声を出さずに隠れている洞窟の中のネズミのそれに似ている。その一方で、外国に命をかけて仕事に従事している商社やインフラ関係の会社員も多くいるのだが、その仕事の実態などの情報は本国には流れない。

日本では、家庭内から社会一般を通して情報の流動性も極めて低い。日本にはおしゃべりの文化はあっても、対話と議論の文化は無い。論理は理屈という汚名のもとに否定される(補足1)。社会での情報の低い流動性の原因は、マスコミに社会的責任を感じる文化が無いことだと思う。

=== 一部に不快な表現がありますが、ご容赦ください。=== 補足: 1)おしゃべりはちょっと離れたところではすぐに雑音に変わる。しかし、対話(議論)により得た論理の一貫した考えと結論は、その到達距離や減衰の時定数は長い。twitterで何か意見を云うなんて、馬鹿げている。

2016年10月13日木曜日

天皇という不明瞭な存在

私は文系人間でないので、社会などに関しては素朴に見る傾向がある。その所為か、天皇という存在が非常にわかりにくい。戦前、天皇は憲法という国民との間の契約を前提とする君主であった(立憲君主制)。しかし、旧憲法一条は「大日本帝國は万世一系の天皇之を統治す」であり、憲法を改正しようと思えば、勅命により議会の決議に付さなければならない(旧憲法73条)。つまり、少なくとも形の上では絶対君主制であったのは明らかである。大正時代の普通選挙法制定などの民主主義実現の動きはあったが、治安維持法も同時期に制定された。その結果、昭和には民主主義とは逆の方向に動くことになった。

敗戦後憲法を改正したが、その手続きは大日本帝國憲法73条の手順で進められた。しかし、日本国憲法前文の最初は、「日本国民は、・・・・・・ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し、この憲法を確定する」となっている。改正の手続き(天皇の勅命で行った)と制定された憲法の内容(国民が確定した)が異なっている。とにかく、日本国憲法からしてこのような矛盾を出発点に持つことを考えれば、この国の何もかもが、論理的に一貫しないのは当然である。

その結果、太平洋戦争で甚大な被害を受けながら、絶対君主性から象徴天皇制という訳のわからない国体となった。形の上では民の意思により改憲が可能な憲法を持つ国家になったものの、そのハードルは高く設計されていた。その理由は、為政者にはほとんど透明な存在の天皇でも、その影に隠れる存在が欲しかったのだろう。巨大な存在であったマッカーサーも、本国国務省の反対意見を封じてでも、同じ理由で天皇制を残すことに拘った。

戦後日本国民は、天下り的に民主主義体制を得ることになったが、「獲得したという感覚」を持たせない為に、或いは戦争責任の追及を国民に放棄させるように、政府は近代史の教育をさせなかった。現在与党である自民党は、憲法改正によって天皇を元首としてその存在感を高めることを企んでいる。隠れる影を大きくより明確にしたいためである。

最近白井聡という人の「永続敗戦論」という本を覗いた。そこには永続敗戦とは日本が第二次大戦での敗戦を、そのまま受け入れずズルズルと拒否する状態をいう。その最も大きな原因は、波風を最小限に抑えようとする日本文化であり、占領軍もその後の政治も差し当たり波風を最小限にする為に、天皇を利用できる形で残した結果である。

現在与党である自民党が目指している憲法改正案では、天皇を象徴天皇という透明な存在から国家元首に戻そうとしている。その動機を密かにして、明確に抵抗しておられるのが、今上天皇であると思う。

追加:

今上天皇は譲位したい旨の発言を国民の前でされたが、それを実現するには本来皇室典範の改正を要する(補足1)。それは国家体制を再考することになり、普段政治を考えない国民も日本の体制を考えることになるだろう。国民に向けた放送の中で、今上天皇は多数回「象徴天皇」を強調されたことの意味を、国民は深く考えるべきである。。

天皇陛下による国民向け放送の動機について、左翼と言われる人たちは、憲法9条の改訂を遅らせる為だと解釈したが、私はそうではないと思う。天皇陛下は政治への過度な干渉はされないと思う。

天皇陛下が送りたかったメッセージは、既に自民党は憲法改正原案を公開しているのだから、国民は「それをよく読んで天皇の地位に関する条文(日本の国家体制)をしっかり考えて欲しい」ということだと思う。

自民党案では、「天皇を元首とし、君が代を国歌とする」と書かれている。本当にそれで良いのか?https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf

補足: 1)自民党と政府は、特別法で一代限りの譲位を可能にする特別法でこの問題を国民に考えさせないようにしようとしている。

2016年10月12日水曜日

言論を封じる鬱陶しい日本の空気:過労死対策について

1)「残業100時間で過労死は情けない」とするコメントを武蔵野大学(東京)の教授がインターネットのニュースサイトに投稿したことについて、同大学が10日に謝罪した。7日に電通の女性新入社員の過労自殺のニュースが配信された件との関連で、その教授の投稿に対してネット上で激しく議論されたようである。

武蔵野大などによると、7日夜「過労死等防止対策白書」の政府発表を受けてニュースサイトに、「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」などと記したという。

ネット上で「こういう人たちが労災被害者を生み出している」「死者にむち打つ発言だ」などと批判が広がったようで、その教授は8日に投稿を削除し、「つらい長時間労働を乗り切らないと会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断した」などと釈明する謝罪コメントを改めて投稿したとある。武蔵野大は10日、公式ホームページに「誠に遺憾であり、残念」などとする謝罪コメントを西本照真学長名で掲載し、その教授の処分を検討しているという。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161011-00000092-asahi-soci

2)上記教授の発言の当否を論じる前に、当該教授が 私人として行った勤務時間外における職務外の行為に対して、なぜ大学が謝罪をするのかさっぱりわからない。そして、その教授を職場である大学が処分を検討する根拠もさっぱりわからない。たとえ三流と言っても、そのような大学がこの日本国に存在することが、同じ日本人として歯がゆい限りだ。教育者として相応しくないという理由だろうが、言論の自由を封じようとする学長以下の幹部教授たちの方が教育者として相応しくない。

ここで上記教授の発言内容に関する議論に戻る。当該教授の発言は自殺した電通社員の過重時間外労働によるうつ病発生を意識したものだろう。この件、私も10月8日のブログに書いた。残業時間が一月に100時間を超えてうつ病を発生したと言われているが、私は過重時間外労働に重なって将来その会社でやっていけないと思ったのがうつ病の原因だろうと思う。その電通社員のような自殺は、なんとかなくさなければならない。そのための対策は、単に直接的な労働時間制限などのルールではダメだと思う。

日本経済の国際的競争力を維持したままでこのような悲劇を無くするには、日本の労働力市場における流動性を高めることが大事であり、より本質的な解決策であると思う。国際化の中で日本経済が生き残るには、我が国の労働力の質と量を高めなければならない。それには、適材適所を市場の中で実現する必要があるのだ。その適材適所の実現にブレーキをかけているのが、従来の労働市場のあり方である。

つまり、当該教授の「自分が請け負った仕事をプロとして完遂するという強い意識があれば、残業時間など関係ない」というのは、労働力として質と量の積の大きい労働者が会社には必要だという考えであり、一つの正論である。ここで注意しなければならないのは、プロ意識が持てるのは適材適所が実現した人のみであることである。

一方、現在の日本の労働市場は閉鎖的であるため、新卒生は4月1日付けで採用されなければ、そして一旦就職しても退職すれば、相応の再就職先を見つけるのが非常に困難になる。その日本の労働市場とそれを支える文化を改革しなければ、長時間残業によるうつ病の発生とか過労死を防ぐ根本的解決ができないのである。政府の今回の対策を読んで、おそらくそのような視点がないと当該教授はかんがえたのだろう。

上記教授の暴言と受け取られた発言は、以上のような議論に発展しなければならない。その芽を摘み取るような大学当局の処分検討は、非常に愚かである。ネットの炎上は珍しくない。それにいちいち阿る行為は、衆愚政治の始まりであり国を破滅に追いやるだろう。

2016年10月11日火曜日

北朝鮮問題の解決は米国と中国の責任である

1)昨日のBSフジ(プライムニュース)で田中均氏は、朝鮮問題の解決は韓国による吸収的合併(朝鮮統一)という形でなされるべきであると言っていた。これが小泉内閣のときの日朝平壌宣言作成に深く関わった当時の外務省アジア太平州局長の言葉である。現在の状態は、米国の意向の代弁者と言うしかない。韓国による統一などできるわけがない。同席した佐藤正久氏のいう通りだ。

核兵器の開発に成功したのは、小泉政権が終わってからだろう。朝鮮戦争休戦後既に、50年以上たってからであると思う。それまでに米国は、朝鮮戦争を終結し、半島を安定にしておくべきだったのだ。しかし、米国は国益を考え、日本や韓国などの平和安定の願望を無視して、朝鮮半島に対立を残した。そして、それを足がかりにして東アジアの支配を継続してきた。中国も緩衝地帯として北朝鮮を考えてきた。

何れにしても、米中の縄張りの境界が38度線以外に移って固定化したとき、朝鮮半島の統一が実現されるだろう。日本がそのとき緩衝地帯になるのかもしれない。緩衝地帯というのは現在の北朝鮮のように、そしてウクライナのように、常に悲惨な状態に置かれる運命にある。

もう一人の無責任な人が出演していた。武貞秀士とかいう人で、最近もアントニオ猪木の訪朝団に同行したという(多分米国の意思だったのだろう)。武貞氏は「北朝鮮の言う体制維持は、韓国の統一である」という。この人は、米国の考えの通り言っている。北朝鮮は口先だけは威勢の良いことを言っていても、相応に知識のある金正恩が、韓国統一できるなんて考えている訳がない。体制維持はキム王朝の安定的継続であると思う。

武貞氏は、トランプ氏が米国大統領になれば北朝鮮が韓国を吸収して半島を統一する可能性があると言っていた。無責任に米国の現在の支配層の指示を受けて発言しているという感じだった。流石のトランプ氏もそんなことをするはずがない。トランプ氏は北朝鮮を承認はするが、韓国と平和共存を考える筈である。その方法は、トランプ氏の発言通り韓国への核兵器貸与かもしれない。田中均と武貞秀士の二人は、米国の意思の代弁者としてなのか、発想が固定化しており、最早この問題を語る資格はないと思う。その点、佐藤氏の方はこれまで深く関わっていない分、発想が自由である。

2)この件は上記のように米国と中国に責任がある。中でも世界を支配してきた米国の責任が重いと思う。米国は、朝鮮戦争を終結して安定な国家を作り中国型の経済発展を目指したい北朝鮮と、朝鮮戦争終結の話し合いを拒否してきた。そして、6カ国協議という訳のわからない会議に丸投げして解決しないようにしてきた。今となっては、北朝鮮の核開発が進んでしまい、失敗だったと思っている可能性が高い。

北朝鮮が核保有国になる前に、北朝鮮の軟着陸のチャンスはあったと思う。小泉元総理は、朝鮮戦争の終結を米国に勧めたが、一蹴されたという。米国の意図を無視した自主外交の開始と失敗は、小泉元総理が米国と日本の本質的関係に無知だったからだと思う。小泉氏は直感力に優れていても、自民党主流派ではなく日米関係に詳しくなかったから起こったことなのだろう。そして、その後の長期政権である安倍内閣では、北朝鮮外交は拉致問題に拉致された格好になり、残っていた戦後処理の終結ができなくなってしまった。それは、戦後regimeからの脱却と虚しく演説する、安倍総理の能力のなさだと思う。(永続敗戦論、第二章参照)

もし、武貞氏のいう北朝鮮による半島の統一となれば、戦後賠償としての経済協力金は日本経済に核保持国としての恫喝を考えれば、悪影響を及ぼすレベルになるだろう。そして、日韓基本条約とその時の経済協力金は無駄金となるだろう。更に、上記のように日本は米中の緩衝地帯となり、悲惨な結末を迎えるかもしれない。そのとき仮に日露関係が順調に行っていたとしても、あの敗戦間際の状況を考えれば、ロシアは再び信用の置けない“北の熊”に変わるだろう。

北朝鮮の核は、米中にとって大した脅威ではないが、日本にとっては大きな脅威である。現状では、「北朝鮮が核保持国になった以上、日本も核軍備をせざるを得ない」という意思を米中に感じさせることが、在るとすれば唯一北朝鮮の核開発をやめさせる方法だと思う。それを日本国民は真剣に考えるべきである。トランプ氏は正論を言っている。日本も韓国も核軍備するしか、北朝鮮の核に対峙する方法は現状ではない。(おそらくトランプ氏は、北朝鮮の核よりも中国の核を念頭においたのだろう。)米国の核の傘は幻であること位、わからない者は(勝手なことは言えても実際に)外交を司る資格はない。中川昭一氏が生きていたらと思う。

====以上は素人のメモです。読み飛ばしてください。====

2016年10月10日月曜日

サイエンスを専攻するのは経済的には愚かな選択だ

ノーベル賞を日本人が連続受賞してニュースになっている。今年のノーベル生理学医学賞受賞の大隈博士の研究成果は大変レベルの高い素晴らしいものだった。autoが自分の意味で、phagyは食べるという意味であることを、日本人全てが知ったのも素晴らしい。賞金の一億円弱は、低金利時代を反映して昔に比べれば低くなったが、それでも我々には夢のような話しだ。

ところで、サイエンスの世界で日本のトップの20人くらいのノーベル賞受賞者の経済的待遇の平均は、おそらく凡庸な霞ヶ関の次官経験者より低いだろう。(ただし、米国人になった中村氏が日本人のままなら話しは別かもしれない。)

況してや、産業界のトップ20人をとれば三桁ほと違うだろう。ソフトバンクを首になったニケシュアローラは二年間で200億円以上の給与をもらっていたのだから。その首を切った親分は配当だけでも毎年その程度の収入がある。また、昔河原乞食と言われていた芸能界を取っても、トップ20人の待遇は一桁以上上だろう。

昨日のそこまで言って委員会でレギュラー出演している落語家が、「最近税務署が自分のもとにも盛んに財産調査に来ていて、何やら増税の予感がする」と言っていた。その落語家もサイエンスのトップ20人よりも経済的に恵まれているだろう。

好きなことをやっているのだから、待遇が低くても満足している筈だという意見や発言が聴こえてくるようだが、それは本音ではない。ノーベル賞を貰えば、だれでもそう言うだろう。

受験生諸君。理系は卒業後に産業界への転身や文系に鞍替えするつもりで行くのなら良い。しかし、真面目にサイエンスの研究をやろうと思うのなら貧困を覚悟の上なら兎も角、そうでないのならやめた方がよい。霞ヶ関でも文官は、技官(理系国家公務員)を小使いさんの様な目で見るのだ。

2016年10月8日土曜日

電通社員の自殺は労災か?

1)今朝の読売新聞によると、昨年12月に株式会社「電通」の新入社員が自殺した件に対して、労働基準監督署は今年9月30日に労災の認定をした。労基署は、直前1カ月の時間外労働が約105時間に達しており、長時間労働で精神障害(うつ病)を発症し自殺したと認定した。うつ病発症の根拠であるが、昨年11月頃に友人へ送ったメイルの内容などから推定したと書かれている。

労働災害は、例えばタクシードライバーが交通事故を引き起こした場合とか、架線工事中に誤って鉄塔などから落下したとか、低いが一定の確率で生じる労働中の事故や災害の補償のための制度だと思う。上司に暴力があったとか、過重な労働を強いられたというような場合は、労基法など別の制度で対応すべきではないのか。

このニュースを読んだ時、新入社員が単に電通という会社の業務に不適応だっただけではないだろうかという疑問が生じた。上司の言葉にその方のパーフォーマンスが高くないことへの言及というか非難が含まれており、残業時間が延びた理由のようだからである。人には向き不向きがあるので、もし自分に向いていない仕事なら、退職して職場を代わるのが普通ではないのか。最高学府を出たその人には、広い選択の自由があった筈である。

自殺の多くは、今後の人生における大きな不安や不満を抱えて、鬱状態から発作的に実行されると想像する。残業(過労)の問題、職場での人間関係の問題などが引き金になるかもしれないが、それが主原因になり得ないと思う。おそらく、この方の描いた自分の将来計画と自分の適正との不一致が大きかったのではないかと想像する。それなら、厚労省の基準にある個体側要因が本質的な原因であり、労災にはならないと思う。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/120427.html

2)このようなケースで労働災害を認めることは、自由社会における適材適所の機能を否定することになる。(補足1)自分で夢を持つのは自由である。しかし、自分の能力や適性を考えて、自分の進むべき道を選ぶのが社会で生きて行く上での基本である。それは、場合によってはその職場の上司に対する反論や“戦い”を通して気づく場合もあるかもしれない。

つまり、上司による叱責なら反論か甘受のどちらかだろう。甘受できない不条理と思う叱責なら、受けた側も反論や反撃をすべきだし、それが出来ず最早耐えられないと判断すれば退職するしかない。一年の浪人だと思えば、そんなにハンディーを背負うことにならない筈だ。(遺族は、パワーハラースメントを受けていたと主張したそうである。補足2)

もちろん言うのは簡単だが、実際には労働の流動性が低く、自己抑制的な振る舞いを善とするこの国では、かなり困難なのかもしれない。しかし、戦わずして自分から命を断つ人にあまりに同情的になるのは好ましくないと思う。兎に角、社会に出れば自律した個人としての行動をとるべきであるし、そのように振る舞えるような人間を育てるべく教育すべきである。原因と結果の関係を曖昧にして、あたかも天災のごとくに処理するのは日本文化的であるが改めるべきであると考える。

補足:
1)退職と就職において自由な選択をとることが、適材適所を実現する。通常、嫌な仕事は適さない仕事である場合がほとんどで、就職の段階で適材適所の人材配分が機能する。しかし、社会での評判やマスコミなどで流れる情報は、好きな仕事と”自分が就くべき(と思い込む)仕事”にズレを生じさせる場合も多い。このような状況は、学業成績に優れた人に多く出現する。例えば、医師が優れた仕事という社会での通説により、多くの優れた才能が向かない医師の仕事に就くことで浪費されていないか心配である。
2)新聞が論理的な文章を書くメディアなら、パワハラという曖昧な言葉は定義なしで使うべきではない。違法行為(暴力)なのか合法行為(助言)なのか、どちらかに割り振るべきである。結論として出された労災認定というのは公的な行為であり、それには灰色領域はない。