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2016年1月28日木曜日

日本の弱点: 半藤一利著の昭和史(2009,平凡社)の感想

日本の弱点

半藤一利著の昭和史(2009,平凡社)を読んだ。昭和元年から昭和20年までの歴史であり、当然のことであるが太平洋戦争が主題である。歴史の流れの道筋が大変わかりやすく書かれている。歴史的事実については低空飛行で全域を見るような感じで勉強させてもらった。ここでは、最後の章「310万の死者が語りかけてくれるものは?」について、感想を書こうと思う。

半藤さんは5つの教訓を書き出している。それらは簡単に言うと:
1)国民的熱狂をつくってはいけない。
2)日本人は危機において、抽象的観念的議論に走り、理性的具体的議論ができない。
3)日本社会は蛸壺的小集団をなす傾向が強いが、参謀本部と軍令部という権力機構も小さいエリート集団が占めた。
4)国際的常識に欠ける。ボツダム宣言受諾の意思表明で戦争が終わったとおもっていた。
5)何か事が起こった時、対応はその場主義的であり大局観や複眼的思考がない。

これらはどういうことだろうか、そしてその原因はなにだろうか?以下に私の考えと感想を書く。

  1)の国民的熱狂であるが、国民はマスコミに煽られれば熱狂するだろう。これは、洋の東西を問わないと思う。真珠湾攻撃の翌日のF. ルーズベルト大統領の米国民向け演説は、まさに“卑怯者日本を叩け”の国民的熱狂を作るためのものであったと思う。国民の熱狂を、正しい方向に導くのが指導者の能力というものだろう。(追補a)

2)これは日本文化とその中で個人の持つ言語能力の低さと関連していると思う。何か事が起こったとき、言語を使った事実分析やその対策、その効果の予測などを、チームを組んで論理的に行う文化がないからである。その結果、“精神一到何事か成らざらん”というような精神論に逃げたり、“挙国一致、尽忠報国、堅忍持久”などの標語を作って、5)のその場しのぎ的対応しかできないのだと思う。

その原因の底には、儒教的倫理に縛られた日本社会の特徴があると思う。チームを仮に組んだとしても、そのメンバー個人の属する階層や年齢などで、用いる言葉や文章を含め互いの関係が予め定まっており、言語による思考と議論の余地が少ないのである。最終的には、チームの結論はトップの結論に等しくなってしまう。そして、出来の悪い政策や戦略を、幼い頃から暗唱した論語などの教科書からとった標語で飾ることになる。

また、頂点である天皇とその周辺は、国民からは遥かに遠くというより異次元の存在であったと思う。8月15日の玉音放送(これも変な言葉だ)は国民へのメッセージであった筈である。それがなぜ、あのような分かりにくい言葉であったのか? つまり、天皇は天皇の言葉しか持たない(補足1)。臣民は臣民の言葉しかもたない。大臣は大臣の言葉しかもたないのである。

天皇は英米との戦争に入る事、三国同盟を結ぶ事の危険性を十分ご存知であった。しかし、それぞれが別の言葉を話す会議では、そして、天皇が軍務を含めて行政のトップであるのかないのか分からないような政治体制の下(補足2)では、国家の暴走は最近のバス事故のように起こったのだろう。

終戦の詔勅は、天皇の言葉であり国民は翻訳して真意をくみ取る必要がある。従って、”米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス”が直ちに頭の中に入る人はむしろ稀であっただろう。

それが日本の言語環境だったし、今でもその本質はかわっていない。ルーズベルト大統領の炉辺談話とどうしても比較してしまう。

国の行政や軍のトップが、東亜新秩序や八紘一宇を叫ぶのに対して、臣下にどのように具体的且つ論理的な反論があるのか。このような標語は、臣下からは何も受け付けないと言っているのと同じなのだ。

3)蛸壺的小集団をなすのは、今でも同じである。戦前にはいうまでもなく、現在でも国家のトップ周辺を未だに明治維新に功労のあった長州族が抑えているのは何故か? それは組織が、能力や成果でその構成員を評価しないからである。それらの評価には、言語を用いた構成員の成果や能力についての定量的および定性的分析と、論理的な議論とを要するが、2)で述べた言語環境では無理である。そして今も昔も、出身地、姻戚関係、出身大学などでつくられる人間の繋がりと年功序列が、国家の指導層においても全ての人事を決めるのである。

その結果、例えばノモンハンの件で暴走した関東軍の指導者が、対英米戦争に繋がる南進論の中で指導的立場に戻るのである。(文庫版「昭和史」の、「ノモンハン事件から学ぶもの」の章pp510-536参照) 暴走の原因は、現場と企画部門の相互不信が原因である。その相互不信は、現場が本来命令する側である企画部門(参謀本部)の考えと能力(現場周辺の認識、解析、方針)に疑問をもっているからであり、その疑問は議論のない社会では決して伝わらないし、互いに解消しないのである。

4)5)は全て2)3)で述べたことによる。

半藤さんはこれらを総合し、一言で言えばと前置きをして「政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人々は、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか」(p507)と述べている。私は、自己過信というより自信を装った無責任であると思う。

補足:

1)“奏上されたものを裁可するとか”、“国務大臣は天皇を輔弼する”とか言う、天皇専用の言葉が用いられた。

2)天皇は御前会議では発言しないし、奏上されたものを裁可するだけであった。また、憲法第11条には「天皇は陸海軍を統帥する」とあるが、第55条には「国務各大臣は天皇を輔弼し、その責に任ず」とある。従って、例えば陸軍の指揮は、天皇を輔弼する陸軍大臣が執るのか、それとも天皇の下に作られた参謀本部がとるのかわかりにくい。あのような悲惨な戦争に突き進んだ原因は、““統帥権干犯を叫んで参謀本部と軍が暴走した”ことにあるとよく言われる。元々の原因は、憲法の文章が非常にわかりにくいことではないだろうか。この国では言葉はコミュニケーションの道具ではなく、人を押さえつける猿轡のように働く。そして、人は言葉に過敏に反応するのである。

追補:

a)新聞などの報道機関は、日本の場合特に低劣であった。その大本営発表の垂れ流しだけでなく、拡声器として働いた。報道機関というプライドなど求むべくも無い。その点は、今も同じだろう。

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