2016年5月27日金曜日

幼児化と文明化社会:日本の崩壊を防ぐにはどうすれば良いか

最近の日本人は幼児化していると良く言われる。榊原英資氏の著作で「幼児化する日本は内側から壊れる」と題する本がある。アマゾンの内容紹介の欄に、以下のように書かれている。

物事を単純に白だ黒だと決めつけて、どちらかを一方的に攻撃する。他人は自分の思い通りに動くものだと思い込む。そうした考えを持つのは、人間の幼児化です。クレーマーの増加はその表れでしょう。それに対する企業も、しばしば『謝りすぎ』ではないでしょうか。本来リーダーであるべき政治家も、大人であるべき中高年も、最近どこかおかしい。知的な面で人々の退化が進み、日本が内側から壊れてしまうことを、いま私は危惧しています。 --著者・榊原英資氏が社会と人々を観察し、成熟とはどういうことかを論じます。

この文章が刺激となり、この問題を考えることになった。そこで、幼児化とはなにか、どのように何時から起こったのか、どうすれば克服できるのか、日本は崩壊するのかなどについて、榊原氏とは独立に考えてみる。

1)幼児化とは何か:

上記幼児化の例をまとめて一言で定義すると、幼児化とは「単純且つ利己的な性格の段階で、知的な成長が止まっている状態」と言えるだろう。幼児がこのような性格に留まるのは、保護者が存在して日常生活に支障が出ないからである。従って、幼児化にはそのような態度でもやっていける“保護者的な何か”が存在するはずである。

幼児化の代表的例として、クレーマーが挙げられている。クレーマーは幼児化の典型例なのだろうか。またその原因は何だろうか?

米国の有名なマクドナルド・コーヒー事件では、コーヒーをドライブ中に膝にこぼして火傷をした人が、マクドナルドにコーヒーが異常に熱いのにも拘らず、それが示されなかったのも一因だとクレイムをつけた。その後のマクドナルドの対応が下手であったため、合計64万ドルの賠償金を支払うようにという判決が下ったのである。実際には当事者間で和解が成立し、60万ドル以下の支払いで決着したという。

この数十万ドルを手にした人を“特に幼児化した人”とみる人は少ないだろう。しかし、クレーマーと言えるかと聞けば、イエスと答える人が大半だろう。クレイムには、正当なものと不当なものがあり、単にクレーマーが増加したから、幼児的な人が増加したとは言えない。マクドナルドを相手に数十万ドルを奪い取った人のクレイムは、我々には不当に見えるが、決して幼児化が進んだ人の仕業には見えない。

一般にクレーマーとは、無理難題を学校、会社、行政機関などに主張して、人を困らせるタイプの人を指すのだが、その要求(クレイム)の中にも正当なものもあると思う。クレーマーの代表としてよく引き合いに出されるのが、モンスターペアレントである。その例は、下のサイトにリストされている。http://matome.naver.jp/odai/2134751872420245301 モンスターペアレントらは、社会はそして学校は本来この様にあるべきだと自分で考え(決めつけ)、現実とのギャップによる不満を、正当なる手順で要求しても埒があかない為、行政や学校の担当者に直接ぶつけているのである。

ウィキペディアでモンスターペアレントの項目を見ると、一通りの説明の後、「保護者が正当な要求をしても、学校や教員が保護者を「モンスターペアレント」として敵対視することがある」という記述がある。つまり、日本社会において個人が権利を主張する範囲と義務を要求される範囲の線引きが、明確になされていないことがクレーマーの増加の一つの主な原因だと思う。つまり、学校や行政も、同様の線引きが明確でないとも言える。この現象は大人になりかけた個人と幼児のままの社会との衝突とみることさえできるのである。(補足1)

私の直感だが、おそらくクレーマーと見なされる人たちは、比較的高学歴だろうと思う。権利と義務という考えを、自分の行動に利用するにはそれなりの知識が必要だからである。また、冒頭で幼児化の本質を考えた時に、保護者に相当するものが存在するはずだと書いた。モンスターペアレントを考えた場合、それが明確に見当たらない。

我々文明社会に生きるものは全て、社会から多くの恩恵を受けて生きているのであり、それはあるべき社会の姿と現実とのギャップを埋める作業、つまりクレイムとそれに対する行政等の対応、の積み重ねで達成されたものである。つまり、モンスターは極端ではあるが、特別にクレーマーや短絡的な人が多くなったことと幼児化とを結びつけるのには違和感がある。

2)文明化は個人の幼児化ではないだろうか:

私は、モンスターペアレントの話とは関係なく、人間が幼児化していることに異論はない。文明化社会では、人が生きる上に必須の仕事のほとんどが、個人から離れて多くの専門家に委ねられる。我々が食べる牛肉は、農家が育て、専門の業者が屠殺し解体し、そして運送屋が運んでスーパーに並ぶ。鶏肉も豚肉も同様である。しかし、我々に牛を殺して解体する技術と胆力があるだろうか?

多くの人は、自動車を保有してスーパーに買い物に出かけて食料を買い、自宅のマンションや一戸建ての家に帰って食べる。しかし、我々のほとんどには、家も建てられないし、自動車の仕組みも詳細には知らない。その原料である鉄鉱石の還元法すら、ろくに知らない。

我々日本人は日本列島にすむ。この土地には昔、アイヌなど原住民が住んでいた。北海道のアイヌの方と元々沖縄に住んでいた方の遺伝子が、大和民族の遺伝子よりも互いに近いのはそれを明確に示している。http://news.mynavi.jp/news/2012/11/02/126/ 征夷大将軍とは、奈良から平安時代、原住民との戦いにおける大和朝廷側の指揮官のことである。彼らは、関東地方以北などに生活している原住民の方々を殺戮して、その土地を奪いとったのである。我々日本人はその土地に住んでいる。そうしなければ、我々の命もこの世にはなかった筈である。

同様に、現在南北アメリカに住んでいる人たちも、原住民を殺して奪い取った土地に住んでいる。16世紀初頭には9000万人いたと推定されるアメリカ大陸原住民は、17世紀には350万人になっていたという。言うまでもなく、現在世界に住んでいる人類のほとんどは、殺戮行為に生き残った者達の子孫である。(補足2)

この文明化された社会において、我々は様々な自分達が生きる為の行為のなかで、一体どれだけのことができるのか? まさに、幼児同然なのではないか。つまり、我々が文明化社会の中で生きることが、そのまま人間の幼児化であることに気がつかなければならない。幼児化は特定の個人において進行するのではなく、現代社会とそのなかに生きる市民一般の現象なのである。

従って、幼児化の全てを防ぐことは不可能でありその必要もない。しかし、幼児化している自分を自覚して、思考過程において原点へ復元する習慣を各自が持つことが、我々日本人が21世紀を超えて生き残る為には不可欠だと思う。我々はそれを自覚しているとは言えないので、社会に大きな変化が生じたとき問題になるのである。何故なら、そのような時には、原点に戻って考える必要があるからである。

日本社会の病根を探し出して対症療法的に治療することを考えるのも短期対策としては良いが、我々日本人が21世紀を超えて生き残る為には、思考の開始を原点に戻して、世界の中でどう生き残るかという戦略まで考えることが不可欠だと思う。

3)日本社会が幼児化のままであるという明確な例を以下にあげる。

最近、ユニークな議論を披露している作家に橘玲氏がいる。近く、「リベラルがうさんくさいのには理由がある」という本を出版されたらしい。その前書きがすでに橘氏のブログに引用されている。http://www.tachibana-akira.com/ その中に、日本の非武装中立の主張がどのような時代にどのような人たちによりなされてきたかが紹介されている。

1973年の長沼基地訴訟で自衛隊を違憲とした札幌地裁の裁判官は、判決文の中で「敵が日本に攻めてきた場合にどう対処するか」について、以下のように書いた:

たんに平和時における外交交渉によって外国からの侵害を未然に回避する方法のほか、危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもってこれを排除する方法、民衆が武器をもって抵抗する群民蜂起の方法、さらに、侵略国国民の財産没収とか、侵略国国民の国外追放といった例もそれにあたると認められる。

これが冗談ではなく、いわゆるリベラルな人たち(進歩的文化人とも言った)に名判決だと称賛されたとある。また、竹槍で民間人が武装してもソ連(当時の仮想敵国)などの兵隊にはかなわないだろうという当然の反論にたいして、日本を代表する経済学者(当時はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授)で、「ノーベル経済学賞にもっとも近い日本人」といわれた森嶋通夫氏は文藝春秋の中に書いた“新軍備計画”(1979年7月号)の中で、

万が一にもソ連が攻めてきた時には自衛隊は毅然として、秩序整然と降伏するより他ない。徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂うたソ連軍が殺到して惨澹たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代り政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明だと私は考える。(以下略)

と書いたという。それが冗談でしょうと言いたいのだが、後に日本社会党委員長になる石橋政嗣氏はそれに感銘を受け「無条件降伏」を前提とする非武装中立を唱えたと書かれている。

あまりにも滑稽なので長々と引用してしまったが、言いたいのは、日本を代表する学者も政治の分野では幼児状態であり、それも1970年代には重症レベルであったということである(補足3)。また、非武装中立を党の旗頭とする日本社会党(現在の社民党)が国会議席で30%前後を占めたのだから、日本社会全体がこの問題に関しても幼児的状態だったということになる。 最近の若者は、他国は森嶋先生や社会党が考えるようには、世界は甘くないだろうと考える人の方が多いと思う。その点では、むしろ幼児化が徐々に治癒しつつあると考えられる。

最初のセクションの冒頭で書いたように、幼児化には保護者役が存在するのである。このセクションに書いたケースでは、明らかに、戦後吉田茂内閣がマッカーサーと協力して始め、その後延々と70年間堅持された、日本国とアメリカ国との間の安全保障条約(1960年からは、相互協力という言葉が入る)が保護者役である。実際にはそれほどでなくとも強力だと信じる保護者(安保条約)のもとで、子供(日本国)は幼児状態に安住するのである。我々の国家が幼児状態であるとした時、日本社会に大人の“格”を期待するのは無理である。

4)現代人にできること:

各個人が幼児状態から成人方向に成長するには、各人が個人と社会の関係をゼロから理解することだと思う。つまり、社会の恩恵で我々は生きているが、その社会は我々個人が分担して動かしており、学校や行政などの社会の機関は、我々個人がそれぞれの方法で支えて行かなければならないことを、全ての国民が自覚すべきだということである。主人公はあくまでも我々国民一人一人であることを十分理解すれば、社会は自ずと大人の方向に改善するだろう。

現在の日本では大学進学率が50%を超えている。その高い知識と知的訓練を生かして、我々個人が日本国と日本社会を構成し支えていくことを、プロセス(思考上のプロセスであり、必ずしも歴史的プロセスである必要はない)を含めて原点から考えれば、我々個人の権利と義務が明確に理解されるだろう。

その思考の中には、国家の役割とそれを支える国民の義務との関係も出てくるはずである。(補足4)そこで、トマス・ホッブズをよまなければならないと考えるのは愚かなことである。本などを読むことに時間を費やすのは必要最小限にとどめるべきである。

過去の多くの民族の生存競争と栄枯盛衰を学び、欺瞞に満ちた現在の国際政治を知れば、自ずと現在の憲法前文の虚しい理想論と、二番目のセクションで述べた多くの進歩的文化人達や彼らが支援する日本社会党(現在民進党の中に吸収されている)の議員達の非武装中立論がジョークに過ぎないと思えるようになるだろう。そして、22世紀に向けた戦略的思考も、市民のなかから湧き出る様になるだろう。

補足:
1)しばしばテレビで報道されるゴミ屋敷の問題も、行政は十分対応ができていない。周囲が迷惑していることや、火事などの事故事件の可能性もあるのだから、条例がなければ早急に制定し、代執行して、代金をゴミ屋敷の住人から請求すれば良い。抵抗すれば、警察が逮捕すればいいのだ。
2)「歴史を裁くことの愚かさ」という言葉がある。この言葉は、この人類の歴史を考えれば自ずと明らかである。尚、西尾幹二氏の著作に、「歴史を裁く愚かさ」がある。
3)石橋政嗣氏は日本社会党の政治家であり、日本社会党はソ連の指示で動いていたのだから、幼児的ではなく、狡猾なのである。
4)ある本にこのような文章があった。「我が人民が餓えに苦しみ、それを解決する手段が他になければ、我が国は隣国を侵略してその領地や食料を奪う自然権がある」

2016年5月25日水曜日

小保方事件:「自然科学」の本質からの再考察

自然科学研究とは、そもそもどのような行為なのか(補足1)、そして、小保方氏のケースのどこが問題だったのかについて、再度表現を工夫して書いてみる。テレビ等で、著名なT 教授の執拗とも思える小保方論文弁護が、この文章を書く動機である。

1)自然科学研究は、自然が完全な存在であるとの仮定(補足2)のもとに、人間が理解できるモデル(記号や図面を含めた言語の集合)で再構築することを目指す行為である。その目的を達成するために、研究者は、通常学会を作ってそこに参加する。学会には既に学会員になっている人による紹介などで参加するので、一定の能力が前提となる。そのほか暗黙の資格として、自然科学の上記目的:“自然の仕組みを解明する”を共有し、学会員として活動する間(研究活動中)はその目的を最優先することである(補足3)。

研究の進行について書く: ある研究者が自然のある部分について、実験や計算結果に自分の考察を加えて、自分の考え出した自然の仕組み(モデル)を論文として発表する。それに対して、他の研究者が批判的に考察する。また、多くの場合は類似研究や延長上の研究によって検証され、その評価が定まれば論文により提出されたモデルは、次第に確かな知識として学会に定着する。

最先端分野では、いろんなモデルが提出されて、論文誌上で競争となる。しかし、最終的に残るのは、そのうちの一つである。結果として嘘であったと後で分かるモデルを論文に書いても、その時点で良い論文と評価された場合非難されないし、その評価も変わらない。ライナス・ポーリングのDNA三本鎖モデルの論文(Nature誌に掲載)もその良い例である。

現在までに得られた知識の上に、類似の部分やより詳細な部分について、上記プロセスを繰り返し、その分野全体についてのモデルをより完全なものに近づける。ただし、真実というのは神(存在するとすれば)のみが知るのであり、科学者は既存モデルを真実としては受け入れない(補足4)。また、二人の同じ専門の科学者が持つその専門分野のモデルは、根幹部分はほとんど同じだが、厳密な解釈や詳細な部分では必ずしも同一ではない。学会は、異なる考え方をもつ研究者が自由に意見を交換することで、自然への理解を深めることを目的にした集まりである。唯一共有するのは、上に“暗黙の資格”と書いたことであり、それを換言すれば「自然の前に謙虚である」ということである。

2)小保方論文のケースでは、小保方さん本人か著者の一部が、”暗黙の科学会への参加資格に反する行為”をしたことが問題であり、スタップ細胞があるかないかが問題なのではない。繰り返しになるが、「自然の理解のために研究を行い、それを発表する」ことが、研究論文を科学雑誌に投稿する唯一絶対と言っていい資格である。名声を得るとか業績を上げるとかが裏の目的としてあっても良いが、決して表の論文内容に影響してはならない。

小保方さんらのグループにその前提を犯した人がいたと、著者全員が合意し論文は撤回された。その段階で、その件は白紙であり、再現実験などを行うのは全く無意味な行為である。過去のブログで、笹井氏の遺書に関する感想を書いた時に、その点は詳細に書いているので、参考にしてほしい。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41650960.html

もっと簡単に、「インチキしたから悪いのだ」と言うだけで良いと思う。しかし、その理屈の通用しない人達がマスコミで小保方弁護をしているのである。テレビで有名な中部地方のC大学教授のT氏による小保方論文弁護の根拠は、「論文で主張が論理的に出来ておれば、その真偽と関係なく、非難する理由はない」ということのようだ。

別論文掲載の図をコピー&ペーストすることの研究倫理上の意味は、実験結果に重点がある論文と理論が主である論文で、大きく異なる。理論が主な内容の論文において、実験結果の 図が単に現象の例示的な意味で紹介される場合、その行為は論文を撤回するほどの大きな問題ではないだろう(補足5)。しかし、実験とその結果に重点がある化学や生物系の論文では、その行為は所謂インチキとみなされる。そのインチキ行為を、最終的には著者の全員が認めたのであるから、撤回されたのだ。その際に、暴力的な脅しがあったというのなら、それは刑事事件の問題であり、議論する場所が違う。

米国で類似研究がされたとかいう話も、全く関係がない。仮に、後日あの撤回された論文と同じ内容の論文が別のところから発表されても、全く関係がないのだ。

補足:
1)自然科学の元研究者としての考えです。ただし、哲学の知識はそれほどありません。
2)つまり、自然は 旧約聖書やヨハネによる福音書の冒頭に書かれているように、神により創造された完全な存在である。それ故、論理的に説明できる筈であり、怨霊などの影響を受けない。
3)最優先の意味は、世俗の目的が発表内容などに影響してはならないということである。因みに。自然科学研究は、学会に参加していなくても出来る。しかし、その成果を論文として科学雑誌に発表する段階で、学会に参加したことになる。ただし、学会員以外は投稿できない雑誌が多い。
4)真実を主張することは、その段階で宗教家の行為となる。
5)著者全員が合意の上で、Erratum(誤写などの訂正)として後日修正すべきである。

2016年5月22日日曜日

オバマ大統領の広島訪問は、米国民に日本への反感を醸成するだろう

5月10日のブログで、オバマ大統領の広島訪問は時期尚早であるという主旨の文章を書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42788957.html それは核兵器を民間人虐殺に用いた明確な国際法違反行為であるのに、謝罪もしないで空疎な言葉を話すことは、両国のどちらに対してもプラスにならないからである。

今日の読売新聞朝刊の7面に、オバマ大統領の広島訪問を契機として、「日米歴史論争の再燃の恐れ」があると指摘している。その記事の中に、「米政府は長年、退役軍人などの声を考慮し、日本の首相が先に真珠湾を訪問し、その後に大統領が広島を訪問する案を検討してきた」とある。また、「今回も国務省は安倍総理の真珠湾訪問を日本側に打診してきたが、首相官邸は断った」と書かれている。

つまり、オバマ大統領個人にとっては、今回広島を訪問してなんらかのメッセージを出すことは、過去の核兵器廃絶の言葉との整合性をとるという意味があるが、日本側には何のメリットもない。この点、10日のブログで書いたように、画期的だと速報したNHKの考えは馬鹿げていると思う。

しかも、安倍総理が真珠湾訪問の案を断わるのなら、何故オバマ大統領の広島訪問を断らなかったのか。安倍外交のミスだと思う。読売新聞は、「オバマ氏の広島訪問で、日米の友好が更に進展することは間違いない。ただ区切りがついたはずの歴史をめぐる論争を蒸し返す両刃の劍になるリスクもある。」と書いている。

日米関係の鍵は一方的に米国が握っている。この件、読売新聞の日米の友好に役に立つという予想は外れ、関係悪化の原因になるという危惧の方は当たるだろう。つまり、米国の戦略家は、トランプ氏が大統領になった際、オバマ大統領の広島訪問と安倍総理の真珠湾訪問の拒絶を、日本との関係を疎遠にするための武器として頭におくだろう。

真珠湾では民間人を殺してはいないとか、ブッシュドクトリンにあるように米国も先制攻撃を否定していないとか、ルーズベルト大統領は日本の先制攻撃を知っていたとか、日本を追い詰めたのは米国だとか、いろんな言い訳はあるだろう。しかし、問題は人口の多くを占める米国ブルーカラーや、この件で声の大きい退役軍人らがどう感じるかである。政治は論理で動くものではないと思う。

遠藤誉氏が指摘する「習近平が安倍総理を嫌う理由」について

遠藤誉さんの笑顔を武器にのし上がった習近平主席ーなぜ安倍総理を嫌うのか?という記事を読んだ。いささか古い記事だが、ちょっとコメントを書く気になった。 http://bylines.news.yahoo.co.jp/endohomare/20141112-00040673/

習近平は第二次安倍内閣に期待したが、裏切られた為に安倍総理を嫌っているというのである。遠藤さんは中国に詳しい方のようだが、上記記事は完全に中国の表の対日戦略を文字通りに理解して、まるで日本の社民党の方のような書き方をしておられる。

遠藤さんの記事の要約は以下の通りである。

“靖国参拝で激しい反日運動の原因を作った小泉内閣に変わって総理になった安倍さんが、訪問先として第一に中国を選び、胡錦濤主席と会談して、戦略的互恵関係を結んだ。その後、野田内閣の時の尖閣国有化で苛立っていた中国だが、第二次安倍内閣が成立すると、第一次安倍内閣のときの良い関係が期待され、最初大いに歓迎した。ところがその安倍首相が、第一次内閣の時とはことなり、集団的自衛権、憲法解釈改変、靖国参拝と「中国側から見た期待を裏切った」ので、期待が大きかった分失望も激しいものになった。“

このような分析は、全く素人の領域のものだと思う。何故なら、現中国政権にとっては「日本国を衰退から消滅へと導く総理が、日中友好の首相である」という事実を、全く想像すらされていないからである。優秀な中国首脳は、靖国参拝、集団的自衛権、憲法改正などは、独立国家として当然のことであるとわかっている筈である。

ただ、これらが日本攻撃の武器に仕立てる為に、中国国民には徹底した反日教育を行う一方、日本国民に対しては、社民党やA新聞などを使って、上記の独立国家として極当たり前の姿勢を軍国主義日本の復活を意味すると教育したのだと思う。

そして、これまでの日本の総理には通用していたそのような武器が、安倍総理には全く通用しないので、習近平は仏頂面を見せるしか手がないのである。まあ、最近の総理大臣の中では、最も優秀であるという証明である。新生党、新党さきがけ、日本新党、民主党などが樹立した1993年以降の衆愚政治的総理とは比較にはならないし、ガールズやチルドレンに担がれた総理大臣などとも比較にならない。

戦後の自民党政治(55年体制)と二大政党制の必要性:そこまで言って委員会での議論に対する感想

1)“そこまで言って委員会”で戦後の政党政治を振り返っていた(22日午後2時20分まで見た、名古屋地区)。戦後の政治を振り返って、55年体制が長く続いたのは何故か、日本は二大政党制が良いか、一大政党制がよいかなどとか、民進党と自民党の二大政党制はどうか、などについて喋っていた。

先ず、「戦後55年体制が長く安定に続いたのは何故か」という問題がとりあげられた。それに対しては、筆坂氏やざこば師匠の言った「経済最優先の自民党の政策で、安定した経済成長の下、国民が生活に不満が少なかったから」が妥当な答えだと思う。その答えになんとなく違和感を感じる竹田恒泰氏が、「経済最優先の路線をとる一方、国家の基本的な構造を完成するには必須の、独自防衛力の整備や憲法改正を置き去りにしてきた付けに今、苦労している(補足1)」と指摘した。この指摘も、「日本でまともな二大政党制ができなかった原因」と関係が深いと思う。

つまり、日本で二大政党制が育たなかった最大の原因は、中選挙区制などではなくマッカーサーによるパージであり、その点を参加者の方々は見逃していると思う。それまで政治に携わってきた人たちの多くは、東京裁判とパージとにより政治や行政(公務員)の舞台から追放されたのである(補足2)。残された鳩山一郎などの僅かの党人政治家たちは、マッカーサー支配下で力を持つ官僚政治家の吉田茂と吉田学校の生徒たちに合流するしか、政治参加する方法がなかったのではないだろうか。

官僚政治の基本は上層部の大筋の決定に従って、円滑に効率的に業務を進めることである。従って、大きな国家の骨組みのような問題は、官僚のそして官僚政治家たちの視野の外にある。そして、保守合同後54年間だらだらとした自民党支配の政治が続いたのだろう。その結果、国民から日本国家の骨組みである防衛や憲法を考える機会を奪い、完全に視野の外に遠ざけてしまうという、大きな負の遺産を残したのだ。

鉄は熱いうちに打てという格言の通り、後になればなるほど日本は、米国の属国としての政治体制からの脱却が困難になったのである。吉田茂は、その点をあまりにも甘く見ていたのではないだろうか。佐藤栄作に至っては、国家の骨組みをどう再生するかなどについては、視野の外にあったのではないかと疑う(補足3)。

2)二大政党制を目指した小選挙区制は小沢一郎氏が中心になって1994年に実現したが、形だけでは意味がない。生まれつきの政治屋である小沢氏は、選挙に勝つためという視点のみで候補者を選んだため、政治家の質を急激に低下させてしまった。小沢ガールズと小泉チルドレンというふざけた用語をマスコミはどのようなつもりで流行らしたのだろうか?

この政治家の質の低下を解決するため、中選挙区制に戻すべきであると竹田氏は言っていたが、既に低下してしまっている政治家の質は急には上がらない。政治家の質の向上には、なによりも国民の政治参加の意識(国家への貢献の意識)の向上が必要条件であるが、戦後70年の間にほとんど消滅してしまい、急には回復しない。私は、国会議員の定員を1/4にし、且つ一院制(定員は、現在の衆議院の1/2)にするくらいの荒療治が必要だと思う。

今年は、米国の大統領選挙の年である。「米国の若者の血をなぜ中東やアジアで流す必要があるのか?」有力候補者となったトランプ氏がこの“原点に存在する大きな問題”を指摘するのは、今世界の政治が大転換しようとしている証である(補足4)。「日本も韓国も核武装すれば良い」この発言も日本の防衛という国家の骨組みを考える上で、原点に存在する問題に対する指摘である。日本の正統派的な政治評論家は、彼の意見を馬鹿げたものだと言ってきたが、それは完全に間違っていると思う。

日本の国民の政治意識は、テレビにまともな政治評論家の顔をして出演しているこれらの人たちによって原点から遠いところ、つまり「米国への完全依存」、に連れられ閉じ込められている。今こそ原点に帰り、国家の問題をゼロから考え、日本国の将来を考える能力ある人たちを、もっと国会に送りこむべきである。

大事なことは、国民全てが国家あっての日常生活であることを学ぶことである。それが、政治の原点である。国難を前にして、町内会から市民会館レベルでの討論を、各地方自治体の主催で広範に行うのも一案として良いと思う。

3)因みに、二大政党制が機能するには、理想主義(米国では民主党)と現実主義(同じく共和党)の二大政党で議会が構成されなければならない。社民党やそれと合併する可能性の大きな民進党は、そのどちらにも入らないのである。自民党は1955年にこの理想主義政党と現実主義政党の両方が合同した。つまり、本来の多数派を形成する政治家は全て自民党政治家になってしまったのである。

党内与党と野党を含む自民党の一大政党制しか、戦後日本は採用できなかったのである。現在、安倍内閣という、久しぶりにまともな政権が成立しているので、当分は安倍さんにがんばってもらうしかないだろう。(5月23日7時に校正)

これは素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。

補足:
1)録画していないので、発言通りではなく内容を思い出して出演者の意見として「」内にいれて示しています。
2)1946年の選挙での候補者でみると、民政党の追放は壊滅的で、274人のうち264名が追放された。鳩山の自由党は43人のうち、先ず30人が追放された。しかし、鳩山の自由党は第一党になったが、そこで鳩山自身も追放されたのである。鳩山は1951年に復帰(片山鉄哉、日本永久占領 96頁)
3)非核三原則という後世まで日本の外交戦略を縛る愚かな発言をし、ノーベル賞というプライベートな利益を追求した姿勢は許し難いと思う。
4)これまで政治を動かしていたのは、一般国民ではなかった。しかし、インターネットの普及と格差拡大が、一般国民に政治意識を向上させた。米国の旧勢力は現在危機感を抱いている。それが、話題になっているブレジンスキー氏の過激な発言となったのだろう。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U

2016年5月21日土曜日

日露の政治経済協力は、ロシアが国際法を無視する国でないことを確認して進めるべき

昨夜のBSフジプライムニュースで、駐日ロシア大使と元外交官の東郷和彦氏がゲストとして参加し、日ソ関係を議論していた。領土問題では日ソ共同宣言とプーチン大統領の“引き分け”という表現についての議論などがあり、特別に新しいものはなかった。(補足1)

経済協力については、様々な具体案、樺太からのパイプラインや海底トンネルの建設なども、夢としてはいろいろあるだろう。ベルリンまで新幹線で結ぶことも将来的には可能だという大使の言葉もあった。

しかし、肝心の問題についての議論はあまりなかった。それは、ロシアは何らかの同盟関係を将来日本と持ちうる国なのかという点、そして国後択捉に存在する軍事基地をどうするのか、などである。素人の私には関係改善のどのような段階でそのような話が出るのか、わからないので、トンチンカンな意見かもしれない。しかし、日本人として一番の関心事ではないだろうか。(補足2)

現在の路線上で、将来の経済はそれほど明るくはないが、それでも国内の行政がまともであれば、全ての人間は食っていける。何もロシアの天然ガスは必須ではない。しかし、国際的な混乱がおこれば、問題は別である。その国際的な混乱時に日ソ関係がどうなるかは、両国が関係する其々の国際的同盟関係のネットワークで決まる。そこのところに何らかの洞察が与えられなければ、この平時の感覚で経済だけでの相互協力は、歯舞と色丹の返還があったとしてもすべきでない。

日本は中国に国交回復後に相当の経済協力をした。大地の子という小説に、上海沿海での大型製鉄所建設に対する日本経済界揚げての協力の様子が描かれている。更に、1970年代での松下幸之助に対する中国の歓迎と松下電気産業の技術協力も有名である。しかしそれらは、いったいどういう形で現在の日中関係に生きているのか?

つまり、長期での日ソ関係はどうなるのかについての議論無くして、近視眼的な相互協力だけのそろばん勘定は慎んだ方が良い。もちろん、経済的に親しくなるに伴って、国家間の関係も深まっていくという考えもある。しかし、それには互いにその萌芽(あるいは遺伝子)の確認があってのことだと思う。

それを占うような場面が番組の最後にあった。一般視聴者からロシア大使になされた「中国が、南シナ海や西シナ海で岩礁を埋め立てて軍事基地化していますが、この中国の姿勢を大使はどう思われますか」という質問に対する大使の答えである。それは「その問題については、中国の人が来たときに、質問してください」というものだった。

岩礁を埋め立てて自国の領土とすること、そして、その周囲に領海や排他的経済水域を主張すること、ましてや、そこに軍事基地を建設することは、現在の西欧文化圏では国際法違反である。ロシアがこの国際法違反を、関係国間の問題でありロシアは関与しないというのなら、日本とロシアは全く異なる価値観を持つ国と言わざるを得ない。そのような国と経済協力のみ拡大するのは、1971年からの対中国関係で犯した失敗を再現する可能性大だと思う。

クリミア併合の問題を西欧諸国が国際法違反だとしている。そのことから、ロシア大使は西欧型秩序維持のルールと西欧のそれを強引に利用したロシア攻撃を警戒しているのかもしれない。しかし、以前のブログで書いたように、それはウクライナでクーデターを画策したのは欧米であり、クーデターの混乱下でのクリミアの独立が有効なら、ロシアとの条約による併合も国際法に違反するとは言えないと私は思う。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/03/blog-post_22.html

大使の意見と現時点でのロシアの外見だけで、ロシアとの政治経済協力を中止するのは、日本にとっても大きな損失である。兎に角、現在のロシアは帝国ではなく、本質は近代国家であり、国際法でもって国際紛争を解決すべきだとする国であることを確認して、話を進めてほしいと思う。

補足:

1)日露問題の重要性についてはすでに本ブログサイトに投稿している。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42783129.html 

2)ソ連は、日ソ中立条約の有効期間内の同年8月8日に宣戦布告を行って対日参戦し、ポツダム宣言受諾表明後に千島を占領した。ロシアはソ連の中心国である。その時代のソ連とロシアは違うのだと、日本が信じるような何かをロシアは表現すべきである。もちろん、歯舞と色丹の返還はその一つの表現だろう。更に少なくとも、国後択捉からの軍事基地を撤収すべきであると私はおもう。サハリンと北海道に橋を渡すような事業は、互いの信頼感が強くなければあり得ないことを、この大使は分かっているのだろうかと、最後の一般読者の質問に対する答えを聞いて思った。

2016年5月20日金曜日

命に値段をつけられない日本:年間3500万円のガン治療薬の保険適用の議論

1)最近話題になっている高価格の抗がん剤がある。その新薬は小野薬品工業が製造販売する「オプジーボ」で、体重六〇キロの肺がん患者が点滴として使用すれば、年間約三千五百万円かかる。保険治療が各種ガンで可能になりつつあるが、高額療養費制度の適用でそのほとんどは国庫からの拠出になるため、保険財政の破綻は目にみえている。http://xn--kcksp5s2a1d.com/news/151214k01

辛い決断だろうが、保険適用外にするしかないだろう(補足1)。そうすると、金持ちだけが命を買うことができるという、日本人が一番嫌いな現実を突きつけられることになる。しかし、社会通念などを一旦排除して、原点に戻って考えてみれば、命の値段は有限であり、当然個人差がある。現実主義的立場にたてば、予算が限られている以上その決断は受け入れざるを得ないと思う。

目を医療制度から社会全般に転ずれば、日本にも生活ができず就職もないために、あるいは借金を抱えてしまって前途に希望を無くして、自殺する大勢の人間がいる。彼らの命の多くは、同額の3500万円を国庫が拠出すれば、助かるだろう。この場合は、オプシーボで期待される20%程度の有効性よりはるかに効果的である。http://www.nikkei.com/article/DGKKZO98555710X10C16A3TJN000/

しかし、努力をしなかったから無職になったのだとか、借金をつくったのは自己責任だと言って、冷酷にもそのような対策を拒否する意見は多いだろう。しかし、がんになったのも自己責任ではないのか? 

2)責任には、自己責任、(政府など)他の責任、それに連帯して負う連帯責任などに分けられるだろう。連帯で責任を負うべきことには、例えば会社の運営などがある。倒産すれば連帯して責任を負う。政府などの公共機関の責任で行うべきことには、国防など国民共通の利害が関係する業務がある。

がん治療の責任を、連帯責任や他者の責任に帰すことが出来ないのなら、自己責任以外にはないのではないか。つまり、病気も多くは喫煙、暴飲暴食などが原因であったり、両親から引き継いだ遺伝子が原因であったりして、広い意味での自己責任で対策を考えるべきである。

もちろん、健康保険制度に加入して積み立てているということで、どれだけ高額であっても保険金の受け取りは国家(健康保険組合)との契約で得た権利であるとの主張には一理ある。

しかし、憲法25条にある、「国民は健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」や、「国は全ての全ての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」というのも、国家と国民との契約である。其れゆえ、国家は憲法25条の国民との契約において、(労働の義務を果たす様に指導した上で)貧困を撲滅する義務がある。

ブラック企業を止めたが、その後職がなく、前途を悲観して自殺してしまうというケースも、国家の運営に一定の責任があり、簡単には自己責任で済ます訳にはいかない。そのような理由により、膨大な赤字をだしてまでオプシーボを保険適用にするよりも、失業対策や景気浮揚策、自殺防止のカウンセリングとアフターケアの充実など、その他の福祉向上にお金を使うべきだと考える。

予算は限られているのであり、最大多数の最大幸福を許された予算という束縛条件の元に解くのが政治である。その政治の原点を国民に説明して、経済的な制度とその運営ルールをつくるべきであると思う。

補足: 1)開発者の小野薬品(株)に、開発費の早期回収など諦めて、日本の医療に携わる会社の義務として安価にするよう圧力をかけるべきである。保険適用外になれば売り上げ減少になるので、一定の値下げは期待出来るはずだと思う。

2016年5月18日水曜日

核兵器禁止条約を議論させるのは、核兵器の拡散させたくない核保有国の企みである

1)NHKテレビの午後9時からのニュースにおいて、核兵器禁止条約の実現を目指す会議について報道があった。核兵器のない世界など実現するわけがないのに、このような活動をする人には、どこかの核保有国から活動資金が出ているのだろう。唯一の被曝国は核兵器禁止条約に関して寄与する義務があるという発言には、怒りさえ感じる。むしろ、核保有国が存在する限り、すべての国が核兵器を持つ権利があると考えるべきである。

もちろん、国力から考えて経済的にも技術的にも核兵器など持てない国は、核兵器禁止条約を実現しようと努力するのはわからないでもない。しかし、それも無駄な努力である。核廃絶を言いながら、米国代表を会議に送れないオバマ氏をみればわかる。弱小国は連携して核兵器の共有を目指すか、強力な核保持国を同盟国とするしかないだろう。

私は、オバマ氏が何故、あのような核兵器のない世界を目指すという演説をしたのか分からない。出来そうにない核廃絶を口にするのは、日本など核保持のポテンシャルを持つ非核保有国への牽制の意味しかない。それは核保有国のエゴイズムである。核保有国の国民とそれと強く同盟を結ぶNATO加盟国にとっては、日本や韓国が核兵器を持つことを禁止できれば、より安心だろう。

2)このケースで思い出すことがある。それはブラジルの奥地で暮らす原住民テンべ族が、最近彼らの土地を奪われるケースが多発しているとのニュースである。一昨日、AbemaTVで見た。土地の樹木を伐採され、その跡地を牧場にして他所から移住してくるのである。その一つがメジャー牧場と呼ばれていた。http://ameblo.jp/kenkoudoujou-20100119/entry-12133171646.html

政府は彼ら原住民の権利を認めているものの、違法入植者を追い出してくれない。そこで、彼らは武装して、命をかけてその土地を守るのである。命を落とす若者もいるが、土地が彼ら部族の生きるためには必須であるので、仕方がない。

核兵器禁止条約を目指して、賑やかに国連で会議を行う人たちは、この現実をどう思うのか? 原住民の銃保持は、平和的な姿勢でないと言って、攻撃するのか? オバマ氏のように、銃保持制限法を制定すべきだというのか?

英米によるグローバル化企みと日本の近代史の関係について

以下のほとんどは(とくに最初のセクション)馬渕睦夫氏の受け売りであるが、自分の頭の整理という意味で書く。

1)グローバリズム(補足1)は、人の流れと経済や政治における国境をなくするという考えである。経済のグローバリズムを進めると、製造業など既存の企業活動が人権費などの安い発展途上国へ流失し、その結果先進国では雇用減少や人件費低下などが起こり、デフレとなる。現在、EUや日本がデフレ傾向にある原因は、米国が中心になって進めた経済のグローバル化であることは明白である。

この(経済の)グローバル化は、植民地政策が国際的に許されなくなったので、その代わりに資本を途上国に投下し、安価な労働力を用いて物品を生産し、現地及び先進諸国に売りさばいて利潤を上げるという経済政策である。これは植民地政策と違って、現地の経済発展に寄与するという意味で互恵的である。(これとよく似た互恵的な経済進出として、日本の朝鮮と台湾の支配があるかもしれない。(補足2))

世界で貿易を拡大すべきだという政策とグローバリズムは似ているが、同じではない。何故なら、グローバリズムは国境の意味を無くすという明確な意図の下に一部の世界的資本が中心になって企画した策だからである。馬渕氏はその点を強調し、共産国家の建設もグローバリズム運動の一つだと言っている。 実際、ロシア革命は米国からロシアに渡った多くのユダヤ系市民を中心的勢力とし、ヤコフ・シフなどのユダヤ資本を資金源として(補足3)進められた。このニューヨークのユダヤ資本と共産党革命の関係は、アントニー・サットンという元フーバー研究所研究員によりまとめられている。(https://ja.wikipedia.org/wiki/アントニー・C・サットン;Antony C. Suttonの“WALL STREET AND THE BOLSHEVIK REVOLUTION”)また英米は、中国大陸で蒋介石に対して強力な支援を行って日本を追い出し、その後蒋介石を見捨てて毛沢東の共産革命を支援した。

このように、共産党革命を米国のユダヤ系資本が中心になって進めたということが、グロムイコ回顧録やジョセフ・マッカーシー米国上院議員(共和党)が書いた「共産中国はアメリカが作った」という本に指摘されているという。

つまり、米国の一部支配層は、最初は共産主義を使って、最近は経済のグローバル化とグローバル企業(を支配することで)を用いて世界支配を実現しようとしてきたというのである。民主主義の 模範生と米国が言及されることが多いが、米国支配層の政治的意思と米国国民一般の希望とは完全に別であり、それを可能にする巧妙なメカニズムが組み込まれているのである。

しかし、次の米国大統領候補のトランプ候補の主張は、米国の政治に市民一般の希望を取り入れるという改革を目指すというものである。そしてその主張が大きな支持を集めている事実は、米国が従来のグローバル化路線から離脱する大きな時代の流れを示しているのかもしれない。そして、日本の米国追従派評論家のトランプ氏を罵倒するような発言は、これまで米国の中心に居た勢力のための宣伝行為なのかもしれないのである。

米国でも大衆は政治に目覚めつつある。それを大統領顧問のブレジンスキーは、自分たちから実権が奪われるかもしれないと危惧して、過激な発言を思わずしている。https://www.youtube.com/watch?v=kVL7lzU44v4

2)日本における近代史:明治維新、日清日露戦争、二度の世界大戦、冷戦、グローバル化、の流れも、世界史の流れの中に完全に組み込まれている。西尾幹二氏は、これまでの歴史家と彼らが書いた歴史書は、日本史をローカルな視点でしか捉えていないという。つまり、英米露仏などが江戸末期に日本に現れたのは、世界史的な出来事の一端であるから、世界史全体を見る視点でなければ日本史もわからないというのである。

確かに、明治維新を薩長の志士という荒くれ男たちの業績にするのは、あまりにも杜撰な歴史解釈である。(本ブログでも何回かその点には触れた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42475174.html)当然、日本の近代化を英国の戦略の一環であったと考える方が自然である。また、日露戦争の勝敗を決めたのは、ヤコブ・シフによる資金貸与であることはよく知られている。それによりシフは勲一等を日本政府よりもらっている。従って、NHK大河ドラマの「竜馬が行く」や「花燃ゆ」のような理解では、日本の近代史はわからないし、日本の未来設計もできないと思う。

この近代の世界史の中心にユダヤ系資本が存在したという説は、十分説得力があるように思う。近代史専門の歴史家は、そのような大局観の存在を頭において、日本の将来のために近代史の構築をしてほしいものである(補足4)。https://www.youtube.com/watch?v=SfDaA0FfqgI

補足: 1)グローブ(globe)は地球の意味で、地球全体(つまり全世界)をその活動の範囲とすべきであるという主張をグローバリズム、グローバリズムを進めるべきだという意見の人々をグローバリストという。
2)朝鮮半島や台湾において、鉄道や道路の整備、帝国大学などの教育機関の設置など現地のインフラ整備から始めたので、日本によるこれらの国々の統治は、西欧的な意味での植民地支配ではなく、日本への同化政策である。しかし朝鮮には歓迎されなかったのかもしれない。或いは、朴正煕元大統領などが親日的であったことを考えると、韓国の反発はずる賢い後付け反発かもしれない。
3)日露戦争に関する部分、特にヤコブ・シフによる資金貸与はよく知られている。それによりシフは勲一等を日本政府よりもらっている。その延長上にロシア革命への支援があり、これにはロックフェラーが支援した(ウイキペディア参照)。 ロシアとユダヤとの関係の詳細についてかなり信頼性の高い記述は、以下のサイトに書かれている。 http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html
4)半島一利 著の昭和史を読んだのだが、西尾幹二氏らはそれをGHQ史観としてこっぴどく批判している。

2016年5月17日火曜日

意識の発生についての解釈は、未だに宗教のレベルを超えていない

意識とは自分という認識であり、ニコラス・ハンフリーは “自分の心の中を観察する能力”と同じ或いは同居するものと解釈し、それを“内なる目”と表現した。つまり、自分の心の動きを見る能力と同時(或いは伴)に、意識が発生したということになる。「意識を持つ動物にとっては、あらゆる知的動作には、それに関与する思考過程の“自覚”が伴い、あらゆる知覚にはそれに付随する感覚が、あらゆる情動には感情がともなうだろう」と書いている。しかし、これで問題、つまり、意識の起源に対する疑問が解決したようには私には思え無い。

別の表現を用いれば、問題は「他の人間が自分と同じように意識を持って生きていると言えるかどうか」である。単に自分と同じように意識をもっているかの様に動く有機ロボットかもしれないのである。昨日のNHKの番組で放送されていたが、最近の人工頭脳は自分で学習し、製作者も予測できない応答(答え)をし、感情を持つ。そのタイプの人工頭脳を搭載した車は、他の車の行動を予測して、互いにぶつからない様に移動する。それは複数の車による社会的行動とみなし得る。その人工頭脳に意識が生じていないと言えるなら、(自分でない)他の人間が有機ロボットでないとどうして言えるのか?

それが、昨日投稿の「“内なる目”について:意識の発生&善と理想主義の系譜」において、「人間は”自分”という意識を持つ動物である。その意識とは何なのか、何処で生じるのかなどについては、ほとんど永遠の謎である」と書いた理由である。そしてハンフリーもこの根本的問題には回答を与えることはできていない。

昨日のブログにも引用したが、ニーチェが「ツアラトストラ」第一部の肉体の軽蔑者という節で、「自分は全的に肉体であって、他の何者でもない。そして魂とは、肉体に属するあるもの言い表す言葉にすぎないのだ」と書いた。これが正しいのなら、犬にもネズミにも、たとえハエにも、そして、最新型のロボットにも能力に大差があるとしても意識が存在しても良いことになる。ツアラトストラの言葉を参考にして意識を定義すれば、”肉体の知覚とそれに対する応答機能に関係する部分”の名称にすぎないとなるだろうから。

ハンフリーの本“内なる目”には、デカルトが人間以外のいかなる動物にも意識の存在を否定したのは、自動的に例えば猿の様に動くロボットのようなものの存在を想定したからであると書かれている。そして、人間のみが自分の思考プロセスを見る“内なる目”が存在し、それが意識であるとしている。

しかし、グーグルのα—GOに使われ、最近の自動運転車に使われた人工頭脳は、自分(車)の計算プロセスと他の車の反応を比較して、ぶつから無い様に移動するという社会性を実現しており、ハンフリーの言う“内なる目”をもっていると言えなくもない。また、昆虫にさえ社会性のある動物として、軍隊アリなどが知られている。移動する際に、大きな窪みがあれば、一部のアリが橋のような構造を作って、他のアリの移動を助けるのである。

他の動物や高度な人工頭脳における意識の有無は、最終的には宗教を否定するニーチェと宗教を肯定するデカルトとの間の論争だと思う。ハンフリーの説も、デカルト派から派生した一派を成すのだと思う。

この問題は旧約聖書の創世記にも書かれている。あの有名なイブが蛇にだまされて”善悪を知る木の実”を食べる一場面である。「女がその木を見ると、それは食べるのに良く、目には美しく、賢くなるのには好ましいと思われたから、取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。すると、二人の目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰にまいた。」

この文章を見ると、木の実を食べる前にその木も実も見えていたのである。しかし、それを取って食べた時に、二人の目が開けて、自分たちが裸であることを知ったのである。この木の実を食べたあとに「目が開けた」と書かれていることが、意識の発生を意味しているのだと思う。要するに、意識の発生とそのプロセスなどについては、旧約聖書のレベルを超えることができていないのである。

つまり、昨日の最初に言ったとおり、意識の問題は未だに宗教の問題であり、科学的には永遠の謎のままである。

2016年5月15日日曜日

“内なる目”について:意識の発生&善と理想主義の系譜

1)人間は「自分」という意識を持つ動物である。その意識とは何なのか、何処で生じるのかなどについては、ほとんど永遠の謎である(補足1)。ニコラス・ハンフリーは、意識を“自分の心の中を観察する能力”と解釈し、それを“内なる目”と表現した。“内なる目”は出版された本のタイトルでもある(補足2)。つまり、自分の心の動きを見ることが、意識ということになる。

「意識を持つ動物にとっては、あらゆる知的動作には、それに関与する思考過程の“自覚”が伴い、あらゆる知覚にはそれに付随する感覚が、あらゆる情動には感情がともなうだろう」とハンフリーの本には書かれている(補足3)。自分という意識は、自分を外から眺め、且つ、自分の心の中をも見ることになる。内なる目は自分の全てを内部から見るため、ごまかすことは出来ない(フィルターは掛けられるが、それについては後述)。

2)人間は自殺する唯一の動物である。その根本的原因の一つは、人間は、自分とその心の動きまでも観察対象にする“内なる目”を持つことだと思う。
 人間の心には、自分とそれを取り巻く世界のイメージが投影される(補足4)。そこには重要なものは大きく、そうでないものは小さく、また、好ましいものから悍しいものまで、“色分け”されて投影されるだろう。つまり、人によって独特のフィルターがかかっているのである。通常、“内なる目”で観測された(追補参照)自分の像は中心に大きく存在する。その自分の像が耐えられないくらいに、醜悪且つ大きくなり、投影面からはみ出してしまう時、人は生き続けることが出来なくなるのだろうと思う。 

例えば犬や猫のような動物の場合、脳の中に投影した世界の図には自分は存在せず、自分は単に世界を覗く窓である。これが人間と、明確に自分という意識のないこれら動物との大きな差である。それは決して知能における差ではない。動物にも人並みの知能を持つものもいるかもしれない。因みに、コンピュータが記憶&計算能力では世界一の人間の頭脳よりも上であることを、最近の囲碁ソフトの世界チャンピオンに対する勝利が証明した。

この“内なる目”と自分の頭脳で再構成した自分と自分を取り巻く世界の投影図の中には、当然多くの人も存在する。“内なる目”は、他人の像とその動きを把握することが、社会生活をする人間にとって生存上有利であるため、進化の過程で生じたとハンフリーは考えたのである。つまり、”内なる目”は他人の心のシミュレーションのために生じたのである(補足5)。或いは、“内なる目”が生じた為にある種の猿が人間に進化した(補足6)とも言える。 

3)社会が成立する原理は個人が“利他”の精神を持つことであり、生物が生存する本能は“利己”の追求である。利他の精神を持ち、且つ、利己の本能と共存させることを可能にするのが、高度な知能と“内なる目”である。つまり、社会の構成員の全てが、内なる目で他人の考えと行動をシミュレーションすることにより、社会の中での利他を自分の利益、つまり“利己”、に転化するのである。  たとえば、自分が他を利する行動をとったとして、他の社会構成員が利己的にその恵みを受け取るだけなら、社会は壊れてしまう。従って、利他的行動は他人の考えと動きをシミュレーションしながら、行う必要がある。それが“内なる目”というシミュレーション装置が、高度な社会生活をする上で必須である理由である。

その複雑なシミュレーションを互いに繰り返して社会で生きる中で、発生した概念が“善”であり、それを元に多くのルールが積み重ねられ“人間文化”となったと思う。“善”の定義と行動の物差しとしての応用は、複雑なシミュレーションなしに社会を安定に維持できるので便利である。しかし、その一方で人間のシミュレーション能力を衰えさせる危険性がある。 

従って、“善”は人工的な概念(約束)であり、生命にとって本質的な“悪”(利己を追求すること)とは、本来真正面から対立する概念ではない。また、社会における善の体系を中心に置く政治姿勢を“理想主義”というが、それは従って“現実主義”とは真正面から対立する概念ではない。つまり、政治家にとっての原点は本来、現実主義であるべきである。 

4)“内なる目”は、醜悪なる他人だけでなく醜悪なる自分にも向けられることが多いかもしれない。醜悪な、つまり、利己的な行動は生命に本質的だからである。それを善良なる姿に変えるには、つまり社会を維持すべく紳士的(人工的(artificial))に生きる(補足7)には、エネルギーを要する。 

そのエネルギーを減少させるために、ある人はその“内なる目”に後天的な(学習の結果としての)フィルターをかけるだろう。また、ある人はそのフィルターを真っ黒にすることすらできるかもしれない(補足8)。地理的なある範囲での宗教や文化の存在は、その地域の人が独特のフィルターを”内なる目”に持つと言い換えられる。

また学校などは、教育とか暗示という言葉で形容されるフィルターを構成員に与える為の機関という面もある。例えば、軍隊における訓練などでは、”内なる目”には、極めて偏ったフィルターが掛けられるだろう。この“内なる目”という心理学的な考え方は、人間と社会を考える上で非常に便利な人間の意識のモデルである。

追補:(翌日の編集で追加)
 内なる目と意識では、意識の方が概念として広い領域を持つだろう。しかし、ここでは同一視して総合的に「内なる目」を用いる。二番目のセクションからは、ハンフリーの本を参考にして、独自の考えを書いた。

補足:

1)意識は魂の作用と考え、物質界の存在である人体と霊界の存在である魂を考える人も多い。もしそうなら、人間の意識を使って霊界が物質界に作用を及ぼすことが可能となる。現代その考えは否定されていると思う。ニーチェの言葉として、「ツアラトストラ」の第一部に「自分はどこまでも肉体であって、それ以外のなにものでもない。そして魂とは、肉体に属するあるものを言いあらわす言葉にすぎないのだ。」という文章がある。
2)内なる目、ニコラス・ハンフリー著、垂水雄二訳、紀伊国屋書店(1993); 原著はNicholas Humphrey著、“The Inner Eye”, 1986.
3)ここで、知覚と感覚を分けている。信号が脳におくられて、なんらかの感情を伴って感覚となり、思考のプロセスとともに、内なる目の対象となるのだろう。例えば、人間は何かが手に触ったという知覚を持つ。その信号は脳に送られて、手を引っ込めるとか、触ったものに攻撃を加えるとかの動作となる。しかし、刺激を受けて、それを知能で解析して行動するだけなら、その解析のプロセスを内なる目で見る必要はない。脳の視覚野に損傷を受けた人や猿は、“見たという感覚”なしに見て、その知覚情報を利用する。(pp68-72)
4)「内なる目により、心の面に自分をふくめ世界の像が投影される」という考えは、ハンフリーの本にはありません。本稿のオリジナルです。
5)チンパンジーやイルカの一種は、鏡に映る自分の像をみて、他の個体ではなく自分であると理解できる人間以外では例外的動物である。しかし、自分のこころの動きまで観察対象にはできないだろう。
6)“内なる目”は、進化論的心理学と呼ばれる分野の一つの成果である。
7)人工的とは紳士的と言い換えても良い。紳士(淑女)とは社会生活を営む人間が、生物としての本性を抑えて“内なる目”に美しく映る姿の人間である。社会とは本来無力な人間が地球上に君臨すべくつくられた人工的な構造である。そこでの人の振る舞いはアート的(artificial)でなくてはならない。ナイーブ(naïve)に振る舞えば、社会は破壊されるからである。
8)典型例を挙げる。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U この動画は、内なる目に真っ黒なフィルターを掛けた、米国の知性の姿である。

2016年5月14日土曜日

水素水はインチキ:健康食品よりもっと重要なことがある

1)このブログでも、市販の水素水に体内で発生した活性酸素を除去する能力はゼロに等しいとブログで書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42686335.html

問題は、このような商売を行政が長期間許すことである。今日の産経新聞のネット記事で、消費者庁はこの3月、「がんに効く」などとうたって水素水を販売した事業者に対して、商品の効能に関する不実告知(実際は認められていないのに告知すること)などを理由に一部業務停止命令を出したという。

しかし、販売した商品を買った人たちの損害にたいする責任をどう取るのか? 裁判すればよいだろうが、数万円程度の損害でいちいち消費者は裁判など出来無い。全く行政の怠慢である。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160514-00000526-san-life 納得でき無いのは、体内を還元雰囲気にするという類の宣伝で、販売が許されることである。

上記記事によると、水素水にはアルカリイオン水と水素ガスを直接溶かした水の両方のタイプがあるらしい。支持電解質(例えば食塩;補足1)を入れなければ、アルカリ性にならないので、陰極付近で水素がわずかに溶け込んだ苛性ソーダ水のようなものだろう。水素は疎水性なので、ほとんど水に解けず、濃度は薄いだろう。従って、そのような水素水を飲むことは苛性ソーダの薄い溶液を飲むのと同じだろう。そんなものに高い金を支払うのは馬鹿げている。

もう一つのタイプはボンベから高圧水素を吹き込むタイプらしい。前のブログにも書いたと思うが、この場合ナノメートルレベルの気泡なら、かなりの時間水中に存在するだろう。おそらく、シクロデキストリンなどの存在下では、その時間は一層伸びるだろう(補足2)。しかし、それも効果を確かめたのちでなければ、健康食品として販売すべきでないと思う。

2)消費者庁に専門的知識がないなどという言い訳はゆるされ無い。少しでも自然科学を学んだものなら、この種のものは怪しいと分かる筈である。数多く存在する独立行政法人を動員して体制を整えれば、研究時間を少しだけ融通するだけでその種の判断はできる筈である。

根本的問題は、健康食品に関する法整備が不十分なことである。効果が無いと実証されなければ、規制出来無いと考えるのではなく、効果があると実証されたもののみ、販売を許可すべきである。なぜなら、害がないという証明を厳密にしていない以上、健康にマイナスの可能性もあるからである。

不景気風が吹き出した今日、家計の節約をしながらこの種のインチキ商品を国民が買うのは、金をドブにすてるようなものであり、経済効果も全くない。勿体無い限りである。

3)更に気になるのは、昨今の健康ブームの異常さである。テレビ番組でも健康問題を扱ったものが、政治問題を扱ったものより圧倒的に多い。自分が健康であれば、日本国が不健康でも良いと考えているのだろうか? 

この10年で、世界の形が随分変化するだろう。米国は内向きになるだろうし、中国は益々東アジアの覇権を目指すだろう。韓国は中国の朝貢国的になり、台湾は中国の支配下になる可能性が高いと思う。

すでに、オーストラリアは日本への潜水艦発注を止めて、技術レベルの低いフランスから導入することで、反日を国是とする中国へ配慮した。フィリピンの新しい大統領も親中姿勢を示すだろうし、東南アジア全体も何れ、中国の衛星国的になる可能性が高い。

米国の保守派は、日本、豪州、韓国などが、対中国の覇権拡大に抵抗する勢力としたかっただろうが、豪州に日本のそうりゅう型潜水艦の発注を強く要請しなかったことから、すでに諦めたようだ。孤立する日本は、やがて中国の植民地になるという人も多くいる。ウイグルやチベットなどを見れば、それはどういう意味を持つか?

健康食品などに金と神経をつかっている場合ではないのだ。

補足:
1)電気分解するには、水が電気を通さなければならない。水の電離度が低いため、通常は水の中でイオンになる塩などを添加し、その物質を支持電解質と呼ぶ。
2)気泡は互いに融合して泡を形成するまで、水の中に存在する。従って、ナノメートルレベルの小さい気泡であれば、水分子が取り囲む形で存在し、かなり長期間水中に存在するだろう。シクロデキストリンの効果は実験したことがないので断定できないが、水中で疎水的なガス分子を抱きこむ可能性が大と予想する。

2016年5月12日木曜日

オバマ米国大統領の核廃絶と中国人民軍朱成虎中将の核兵器による地球人口削減

オバマ米国大統領は広島を訪問するが、核攻撃の謝罪はしないという。謝罪をしないということは、あの時の核兵器の使用が正当であったという米国の公式見解を支持することになる。

米国の広島と長崎へのあの核攻撃が正当であるというのなら、自国軍が圧倒的に有利な場合でも、また、たとえ非核保有国相手の戦争であっても、できるだけ自国軍兵士の犠牲を少なくするために、核兵器は必要な兵器であるということになる。

オバマ氏が唱えた、核兵器廃絶の考えは、幼稚でなければ非核保有国に核兵器を持たせないためのプロパガンダである。世界の歴史は戦争の歴史である。産業革命から近代産業の発展により地球の可住人口が著しく増加し、この70年間は平和な時代であった。しかし、世界経済の成長に限界がくれば、更に、資源枯渇などで地球の可住人口が減少すれば、中国などの多くの人口を抱えた核大国は、核兵器を使った領土拡張を行うだろう。

古くは人肉を食い(孔子なども例外ではない;ウイキべディア参照)、数千万人死んでも中国には未だたくさんの人がいるとか、女は余っているから100万人でも米国に贈るというような発言をする人が国家の幹部になっていることでもわかるように、中国の文化は他人の命を軽視する文化である。

中国軍幹部の朱成虎中将などは、核兵器で地球上の余分な人口を削減する時が来るだろうと発言している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E6%88%90%E8%99%8E 日本でそのような発言をすれば、すぐ首になるが、中国ではその発言で出世できるのである。

地球人口の削減を極秘に実行するのなら、一律に減らすのではなく、嫌なやつらと弱いやつらを処分しようと考えるのは自然なことだ。オバマ氏の核廃絶運動は、その準備ととれなくもない。なにせ、核大国は核兵器を千発単位で持ち続けるのだから。

青山繁晴氏のブログ:https://www.youtube.com/watch?v=bmD2GxbvfuA や、三橋貴明氏らのブログ:https://www.youtube.com/watch?v=ovIFA4AOK3U を参照してほしい。

コメントへの回答:2009年11月に初来日した米国オバマ大統領が当初、広島を訪問し原爆投下に対して謝罪する可能性を検討していたようである。これに対し、藪中外務事務次官(当時)が「時期尚早」と断念するようルース駐日大使(当時)に伝えていたようだ。http://pagent.seesaa.net/article/423628893.html

2016年5月10日火曜日

オバマ大統領が広島訪問して何か意味のある発言できるのか?

オバマ大統領のスタンドプレイに付き合うのは辟易だ

1)核兵器の無い世界を目指すと発言してノーベル平和賞をもらったオバマ米国大統領が、伊勢志摩サミット後に広島を訪問することになったようだ。それをNHKニュースウオッチ9(5/11/21:00)では歴史的ニュースと報じたが、それにどれだけの意味があるのか全く疑問である。米国一国だけを対象に、しかもその国家の最高指導者であるオバマ大統領が言った「銃規制を強化する」という理想論の末路を考えれば、その発言の軽さがわかる。 http://www.bbc.com/japanese/35239828

広島や長崎を訪問する前に、米国大統領にはこれらの原爆投下に関して確認することがあるはずだ。米国が核兵器を使ったことは、国際法というのが存在するとすれば、明確にそれに違反している。民間人を無差別大量虐殺したからである。米国大統領としてそれを認め、日本と国際社会に謝罪をしない(補足1)で、広島や長崎を訪問しても何にもならない。「原爆投下に対する謝罪を意味しない」という言葉は、悲惨な光景の単なる見物にしかすぎないと言うに等しい。

広島で、「原爆投下された広島の悲惨な状況を目にして、核の無い世界を実現しなければならないという思いを一層強くした」とでもいうのか。このような”第三者的口先だけの理想論”を、世界の覇権国の最高指導者たる米国大統領には言って欲しくない。また、「広島が原爆で攻撃された」と受動態で発言できるのは、米国以外の国であることを忘れてもらいたくない。米国大統領なら、能動態で言わなければならない。「我が国が広島に投下した原爆」と、はっきりと言って、その後に意味のある発言をしてもらいたい。それなら、広島を訪問する資格がある。オバマ大統領にその覚悟などあるまい。

2)G7外相会議での広島宣言と米国国務長官の広島訪問の際に、この件は議論した。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42726855.html http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/04/blog-post_66.html そこに、「核廃絶などできるわけがない。格兵器廃絶を口に出するのなら、多数の核兵器を保持している米国、ロシア、中国などが集まり、明確に廃絶プログラムを示して実行に移ってから出すべきだ」と書いた。(補足2)

日本の隣国である中国は、核大国である。その中国の朱成虎少将は、核兵器で世界人口を減少させると、平気で言える人間である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E6%88%90%E8%99%8E  毛沢東も人の命を軽視する発言を多くしているし、実際に大躍進運動や文化大革命で数千万人という自国民を殺したと言われている。中国の政治文化は、大国の中で国際法の精神から最も遠い国だろう。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42782961.html

その核大国の核兵器にたいして、日本がどう対処すれば良いのか? 広島を訪問するからには、日本の中国からの核兵器の脅威にたいして、どう対処するか言ってもらいたいものだ。もし、何も言え無いのなら、或いは「米国との安保条約があるではないか」というだけなら、それは「世界から核兵器をなくすべきだ」と同じレベルの理想論にすぎないと日本人の多くは思うだろう。きれいごとや理想論だけをいうのなら、私は米国大統領には日本の聖地である広島と長崎に行って欲しく無い。

元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏がどこか(多分youtubeだったと思う)で言ったように、近い未来は新しい中世であるのなら、近代の論理(第一次大戦後の)に拘泥していては、日本の将来はないだろう。米国のオバマ大統領の外交顧問であるあの著名なブレジンスキー氏の著作や言葉を、オバマ大統領十分知っているはずである。プレ人スキーは日本を「ひ弱な花」と言ったのは、自国の防衛が自国では全く出来ない現在の日本の状況を形容したものである。

更に、ブレジンスキー氏は「多くの人が政治に関心を持つようになり、100万人の人を説得するよりも、その100万人を殺す方が簡単だ」といった冷酷な現実主義者である。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U また、遠くない過去にブレジンスキー氏は韓国の核武装の可能性を指摘している。http://japanese.donga.com/List/3/all/27/416478/1 この新しい国際環境の時代に、ブレジンスキー氏の様な現実主義者を顧問に持つオバマ大統領が、再び日本の聖地というべき広島で空疎な理想論を吐くことは、日本敵視政策であると私は思う。

補足:
1)国際法が出来てそれが育つということは、世界の国々が国際的な共同体を意識し、国際的な価値基準を持つことになる。それは、国際紛争解決の基準を与え、それは必然的に、相手国の考えが互いに読めることになり、国際紛争を防ぐことになる。 原爆投下は、国際法を明確に無視したため、このような国際秩序の芽生えを破壊した。
2)核兵器でも何でも、拡散は物理現象であり、それに歯止めをかけるのには相当のエネルギーを要する。世界政府が出来、常備軍を持てば話は別である。その萌芽的機関として国連はあるが、未だに第二次大戦の戦勝国連合にすぎない。せめて、国連憲章を改めて、世界政府的に改革をしてみたらどうか? それも出来ないなら、オバマ大統領の広島訪問のどこが歴史的ニュースなのだ。
(5/11/7:00編集)

2016年5月9日月曜日

吉田裕著「昭和天皇の終戦史」を読んだ

表題の本は、平成に入ってから比較的若い日本の近現代史専門の方により書かれた、昭和天皇と戦争の関わりについて論じた本である。テーマの中心となるのは、大戦後の極東国際軍事裁判である。この東京裁判が、天皇の戦争責任を避けるという方針のもとに行われた日米合作の裁判であったと説得力をもって説明した本であると思う。覚書としてその内容の概略に自分の考えなどを加えてここに記す。

1)満州事変から太平洋戦争の終わりまでを15年戦争と呼ぶが、その原因としてよく言われるのが、軍部特に陸軍の暴走である。実際、A級戦犯として裁かれた28名のうち、陸軍関係者が半数以上の15名(海軍関係者3名)を占める。(補足1)日本国を破局に陥れたのは、軍部と一部の国家主義者の責任であると、日米開戦を決める御前会議の2回目まで総理大臣であった近衛文麿はマッカーサー元帥に告げている。

戦犯として逮捕される直前に近衛は自殺したが、手記が朝日新聞に公開された。そこには、天皇の決断があれば日米開戦は回避されたとする記述があった。近衛がマッカーサーにした上記話は、近衛の本音だろうが、責任逃れの意図もあっただろう(補足2)。一方、高松宮や三笠宮など昭和天皇の弟二人も天皇は退位すべきとの意見を持っていた(補足3)。高松宮と親交のあった加瀬英明が「あの戦争は陛下がお停めになろうとすれば、お停めになれた筈だ」と高松宮から聞いたという。

一方、マッカーサーの下で日本との交渉にあたったボナ・フェラーズ准将は、米内光政にGHQの方針として「戦争責任のすべてを東条に押し付けることで、天皇の免責を計るように日本側の論証に期待する」語った。したがって、「天皇は日米開戦を止めようと思えば、止められた」という発言や、「天皇は退位すべき」という発言は、GHQの方針としても好ましくなかったのである。

2)国体護持(天皇制の継続)が終戦時に最もこだわったことである。そして実際、ハルノートにその条件をつけて受諾しようとした。

ナチスドイツを裁いたニュルベルク裁判の場合、連合国米英仏ソの4大国間の連携がとられたが、東京裁判のときにはその進行と冷戦が平行したので、裁判の中心となった米国の対日宥和政策が裁判に多大の影響を及ぼすことになった。裁判長と首席検察官はマッカーサーの権限で指名されるなど、米国の国益を優先して裁判が進められた。その結果、当初第二第三の継続裁判で起訴を前提に拘束されていたA級戦犯容疑者が次々と釈放された。

また、連合軍の本土侵攻前に終戦となったので、裁判までの間に書類はほとんど焼却処分され、裁判は日本側の証言に頼ったことが、ニュルンベルク裁判と大きくことなる。米内光政からGHQの方針を聞いた宮中グループは、その対策の一環としてまとめ上げたのが「昭和天皇独白録」である。宮内省宗秩寮総裁の松平康昌、宮内大臣松平慶民、宮内省内記部長稲田周一、宮内省御用係の寺崎英成、侍従次長の木下道雄の5人が聞き取りに当たった。

明治憲法には、「天皇は国の元首にして、統治権を総攬しこの憲法の条規により之を行う」とある。そして、政治の実務は帝国議会、内閣、裁判所が行うことを定めている。行政では、憲法55条に「国務大臣は天皇を補弼し、その責に任ず」とあり、その責任は国務大臣にあると書かれている。しかし軍事については、第11条に「天皇は陸海軍を統帥す」とあり、軍令のトップには天皇が存在していたのである。

しかし、絞首刑の判決を受けた陸軍軍務局長の武藤章中将は、「日本歴史は公卿の罪悪を掩蔽して、武家の罪のみを挙示する傾きがある。大東亜戦争の責任も軍人のみが負うことになった。武人、文に疎くして歴史を書かず、日本の歴史は大抵公卿もしくはこれに類する徒が書いたのだから、はなはだしく歪曲したものと見なければならぬ」と日記に書いた。

この本を読み終わり、A級戦犯とされた人たちをも靖国に合祀する理由がわかったような気がする。それは、昭和天皇の参拝を取りやめることになった理由として引き合いに出される「富田メモ」の信憑性が疑問だということにもつながる。また、以前に櫻井よしこさんのA級戦犯合祀は当然であるという発言に反対する文章を書いたが、櫻井よしこさんは上記のような背景をご存知で、武藤中将の意見などと同様の考えをお持ちだったのかもしれない。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.html

補足:
1)終戦時陸軍大臣の阿南惟幾と、東條英機の後任として陸軍大臣になった杉山元も、生存しておれば絞首刑になったと思う。開戦時の海軍大臣の嶋田繁太郎は禁錮であり、軍令部総長の永野修身は公判中に病没した。もう一人の軍務局長の海軍中将岡敬純は日米開戦を強く主張した人物とされたが、禁錮であった。終戦時に海軍大臣を務めた米内光政は戦犯にはならなかった。
2)日米開戦を避けるべく駐米野村大使とハル国務長官のまとめた日米了解案を受けいれるという当時首相の近衛文麿が決断すれば、日米戦争は避けられた可能性があったと、半藤一利著「昭和史」第11章には書かれている。しかし、それはあくまで天皇に決断する力がなかったとする前提があってこそ成り立つ論理である。戦犯として逮捕される直前に近衛は自殺したが、手記が朝日新聞に公開された。そこには、天皇の決断があれば日米開戦は回避されたとする記述があった。近衛がマッカーサーにした上記話は、近衛の本音だろうが、責任逃れの意図もあっただろう。
3)三笠宮の発言は1946年2月27日の枢密院本会議においてなされた。しかし敗戦後の会議の記録は未公開である。

2016年5月8日日曜日

北朝鮮には北朝鮮の事情がある

なんども同じことを書くのは、日本政府やマスコミは決してそれを言わないからである。https://www.youtube.com/watch?v=aPYvFNmU6Ag 上記は辛坊治郎氏の昨日の放送だが、北朝鮮がまったくマトモな国に程遠く、更にそのトップの金正恩が無茶苦茶な人間のように、茶化しながら言っている。しかし、北朝鮮は国連に加盟し、百数十カ国から承認を得ていることや、米軍の脅威の下にあるなどのことに決して言及しない。

北朝鮮を承認していない主な国は、米国、韓国、日本である。つまり、この3国が未だに敵対しているのであり、その強力な米国や米韓連合の軍と戦争状態に戻る可能性を残しているのである。その脅威は、仮に米国が日本列島から引き上げたとした時に、日本が感じる中国の脅威である(トランプ氏の躍進を考えれば、仮になんて言っておられない)。そこで国防の方針として核開発をしているのであり、私から見れば当然の判断である。

確かに共産主義国家の建設は間違いだったと言えるだろう。しかし、一旦ある方向に走ってしまえば、そこから別の国家の枠組みの方向に軌道修正することの難しさは、日本が70年たっても非武装中立の憲法を持ちながら、立派な自衛隊という軍隊を持ち、未だに米軍を占領軍的に頂いていることでもわかるはずである。

核兵器を開発中に、朝鮮戦争の休戦協定に参加した北朝鮮、中国、米国に韓国を加えて、平和条約を結べば解決したと思う。そこで、日本とも日本北朝鮮基本条約を結び、韓国にしたような経済強力をすれば、拉致被害者も自動的に取り戻すことができたはずである。

要するに、米国はアジアに混乱の種を残し、日中韓(あるいは朝鮮)連合などという、厄介なものができないように保険をかけたのが、北朝鮮という存在だろう。中国は日米韓との干渉領域として、北朝鮮を必要としていると思う。このあたりは、馬渕さんの「国難の正体」の受け売りかもしれないが、まともに反論できないから、日本の主流派とそれに抱えられている宮家氏らの評論家、それを真似る辛坊治郎氏などは、「無茶苦茶」という言葉でごまかしているのではないのか。

2016年5月7日土曜日

日露関係改善は緊急且つ重要である

昨日、安倍首相とプーチン大統領の会談がロシアで行われた。NHKの6時のニュースによれば、新しい発想で領土問題を解決し、エネルギーなどでの経済協力の発展を考えるということである。今後事務方の交渉を行い、9月にロシアで再び会談が持たれるとのことである。現在の国際情況を考えると、日露の平和条約締結と相互経済協力は緊急の課題であり、是非解決して欲しい。

これまで日露の平和条約交渉で、話を進める上で障害になっていたのは、北方領土問題である。それは、ロシアの北方4島への投資が進む一方、北方4島の一括返還に日本がこだわる合理的理由が存在することである。しかし、安倍総理の言う新しい発想とは、北方4島の一括返還にはこだわらないということを意味していると思う。今日の情況から考えて、それは正しい選択だと思う。

もともと北方領土問題は、1945年1月のヤルタ会談で千島列島譲渡を対日参戦の条件として英米が約束し、1945年4月5日にソ連は翌年期限切れになる日ソ中立条約の延長をしない旨の通知を日本に送った。日ソ中立条約の有効期間内の同年8月8日にソ連が宣戦布告を行って対日参戦し、ポツダム宣言受諾表明後に千島を占領した。以上の経緯から、ソ連の対日参戦は日ソ中立条約に違反しているので、国際法が有効な近代の論理では、ロシアの千島占領は根拠がない。

当然、ヤルタ会談での密約を根拠にソ連が千島列島領有の正当性を主張することは、日ソ中立条約の有効期間内の対日参戦と同様、近代の論理では根拠はない。日本が受諾したポツダム宣言(補足1)には列島周辺の小島に関する詳細は書かれていないし、それに基づいたサンフランシスコ講和条約で放棄した領土に北方4島が含まれるとする根拠はない(補足2)。

しかし、元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏がどこか(多分youtubeだったと思う)で言ったように、近い未来は新しい中世であるのなら、近代の論理に拘泥していては、日本の将来はないだろう。現代は原点に戻って、0から考えるべき時である(補足3)。例えば、二島返還と国後と択捉には軍事基地を置かないなどの条件で平和条約を締結し、シベリアの天然ガス開発とその一部を日本が長期間輸入するなどの経済協定が結ばれれば良いと私は思う。

補足:
1)ベルリン郊外ポツダムにおいて、米英ソの首脳があつまり戦後処理が話され、その宣言文書(ポツダム宣言)の8項に、“日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られる”とある。
2)千島列島の領有権移動の経緯は次の通りである。
1855年の日露通好条約で、択捉島の北に両国の国境を確認し、1975年の千島樺太交換条約でそれ以北の千島を日本が得る代わりに、日本はロシアに対して樺太を放棄した。また、サンフランシスコ講和条約(ソ連は不参加)で署名各国に対して放棄を約束した領土として、「千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とある(第2条(C))が、この文の中の“近接する諸島”には、通常の言語感覚では北方4島も千島列島全体もその中に入らない。
以上から、ロシアが北方4島領有を主張する根拠は、条約を一方的に破棄して対日参戦し、奪い取り実効支配しているということ以外にはない。
3)直前のブログ参照

中国が米国に代わって覇権国になれば、世界は暗黒の時代に入るかもしれない

元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏がどこか(多分youtubeだったと思う)で言ったように、近い未来が新しい中世であるのなら、近代の論理に拘泥していては、日本の将来はないだろう。現在、日本は国際戦略を原点に戻って、0から考えるべきである。

1)経済のグローバル化による近代国際政治の枠組の破壊:
近代の国際政治の枠組みは、英国と米国の覇権の時代に生じ、維持されてきたと思う。その下部構造としての経済的側面を見ると、それは産業革命に始まり、自動車と半導体産業の発展、インターネットやスマートホンなどのディジタル産業の発展など、世界経済の英米を中心とする飛躍的な拡大であった。しかし、その経済発展の利益を独占する意図があったのかどうかはわからないが、経済を意図的にグローバル化しようとする動きが、主としてユダヤ系金融資本とその周辺により加速されたと考えられる。その結果、近代的国際政治の枠組みは破壊されることとなる可能性大であると思う。

世界人口の地球上での分布を考えれば、経済のグローバル化は、英米などヨーロッパ文化圏の価値観や宗教観を受け入れる素地のある国々以外に、経済の中心が移動することを意味する。その最初の舞台が中国大陸である。その結果、英米のグローバルな覇権の時代は終わりを告げ、少なくとも次の覇権国が現れるまで、政治的混乱を世界に引き起こすだろう。もちろん、覇権国が多民族を力で支配し隷属させるのなら、民族自決や人権などの価値も破壊される中世的暗黒の時代に入ることになる。

2)グローバル化によるデフレからの克服に米国も失敗し、米国の覇権が終わる可能性が高いが、米国次期大統領の予備選挙でトランプ氏が共和党の候補になろうとしているのは、その最初の兆候である。

経済のグローバル化は、必然的に先進国経済のデフレ化を引き起こす。デフレを克服するには、新規産業を創出して新しい雇用を産み出す以外に方法はないが、アップル、マイクロソフト、グーグルなどを創ったイノベーション能力の高い米国でも、トランプ氏の主張が受けていることでもわかるように、それも限界に近づいているのである。国内産業の低迷と貧富の差の拡大で、不満を蓄積させている米国のブルーカラーの数は増加する一途であり、その結果米国内でも政治的混乱の時代に入ったと考えられる。

米軍の駐留費用の全額を、派遣先の友好国が負担すべきであるという、トランプ氏の主張(補足1)が米国の多数の人々の支持を受けている。それが現実となれば、近い将来において米国の覇権が南北のアメリカ大陸とその周辺に後退することは確実だろう。経済のグローバル化は、米国の覇権の有効期限を短縮する働きがあることを、既に上記現象は証明したと思う。この現象を地球上空から俯瞰すれば、上記の英米を中心として発展してきた近代の枠組みの終焉プロセスであり、新しく覇権を主張する国が中国であることから、世界の中世への逆戻りの可能性が大きくなってきたのかもしれない(補足2)。

それは思い過ごしであれば良いと思うが、中国文化の特徴を考えるとどうしてもそうかんがえてしまう。つまり、中国文化では現実と現世と個人とその周辺(大家族)だけが重要な意味を持ち、パブリックとか、法とか論理とか、更に、キリスト教や仏教などには存在する“人間性”などは大きな意味を持たないと言う人もおり、その発言には一定の信頼性を感じるからである。https://www.youtube.com/watch?v=lXA9NpBqty8 (補足3)

中国が覇権を持つ領域ではどのようになるかは、チベットやウイグルを見ればわかる。既に日本が経験している、尖閣諸島周辺や小笠原周辺での(漁船の形をした)中国政府の派遣した船による暴挙や、南沙諸島や西沙諸島を占領して、軍事基地化して東南アジア諸国への覇権を確立しようとしていることなどを見れば、上記考えは的を射ているように思う。日本の中東からのシーレーンの確保も脅かされ、将来エネルギー危機が発生したときには、日本の経済は破滅に追い込まれる可能性が高い。

日本は、憲法改正したのちの核武装や、対ロシアとの関係改善など、これまでの平和ボケを緊急に治療しなければ、カルタゴのように消え去る可能性が高いと思う(補足4)。

追加:米国の覇権が東アジアから消えれば、中国がこの地域の新しい覇権国家になるだろう。中国経済は強い需要があるので、その経済発展は当分続くと思う。 豊かなれば、中国も徐々に変化するはずであるので、日本はできるだけ穏健な中国を期待し、中国をその方向に導くくらいの外交力を発揮しなければならないと思う。中国を恐れるのは賢明だが、一部の右翼のように中国を敵視する姿勢は、日本を滅ぼすことになる可能性大である。(18:00追加)

補足:
1)http://www.sankei.com/world/news/160506/wor1605060014-n1.html
2)台湾から来日した林建良氏が語る次の話は非常にショッキングである。「ある場所で中国人鳴霞という女性から聞いたが、彼女は中国で火葬場の仕事が大人気だという話であった。その理由を聞くと、火葬場で油を売っていると答えた。火葬場で屍体から油を取り出して市場で売るというのである。 http://blog.goo.ne.jp/nagatachoucafe7/e/d9d46dd79a1a90ca408f320ebc85892d
3)林建良氏は語る。1994/3/31台湾が中国への観光が解禁されたとき、台湾人24人(ガイドなど含め36人)が中国へ観光に行った。2週間くらいのスケジュールで一行は三峡を回って浙江省の境の千島湖で強盗事件にあった。犯人が中国軍であったため、政府はそれを火災事故とごまかした上、遺族の遺体との対面を渋った。その後、なんとか遺体と対面できたが、手と足が切り取られていたり、臓器がなくなっていたりするなど、著しく損傷を受けていた。台湾人に計り知れないショックを与えた。それでも遺体を連れて帰りたいと言ったが、中国は無断で荼毘に付したという。
この遺体に対する畏敬の念がないのは、近世中国だけのことだけではなく、孔孟の時代からのことである。以下のサイトに、孔子が人肉を好んで食したという記述がある。https://ja.wikipedia.org/wiki/カニバリズム
4)平和主義のモリオリ族がマオリ族に虐殺されて食べられたのは200 年前のことである。ジャレド・ダイヤモンドの銃・病原菌・鉄を読んで、これを紹介したことがある。以下のサイトにこのエピソードが紹介されているので、引用する。 http://ameblo.jp/tsuguminokazoku/entry-12048108882.html

2016年5月4日水曜日

日本国憲法改正の是非を考える

昨日は憲法記念日であった。そこでネットに現れている憲法改正の是非についての議論を2、3取り上げ考察してみた。

1)東京都公立学校教職員組合のブログでは、99歳の元ジャーナリスト武野武治さんと102歳の日野原重明さんの護憲の言葉、それぞれ「まずやらなければならないのは、近隣諸国と仲良くすること」と「いのちを守る憲法をいつまでもだいじにしてほしい」を引用して、護憲を訴えている。http://blog.goo.ne.jp/ttutokyo/e/00cd006afc8f41c6810ce80a75caf095

何故この教職員組合は、高齢の二人の意見を引用して護憲を訴えるのか? 堂々と自分たちの考えを持ち出して、主張すべきである。

武野さんには、強大な軍事をもつ近隣国にその言葉を伝えて欲しいものである。南沙諸島や西沙諸島に軍事基地をつくり、日本の将来のシーレーン確保を困難にする危険性などご存知ないはずである。また、今の憲法は確かに何人かの自衛官をベトナム戦争などで救っただろう。それは目に見えたプラスの面である。しかし、現憲法の考えで外交継続することは、日本が将来中国の支配下にはいり、チベットやウイグルのようになるだろう。今までは目に見えなかったこのような危険性については、日野原先生は考えておられないのだろう。
(中国の文化について、林建良氏の講演を見てほしい。https://www.youtube.com/watch?v=lXA9NpBqty8

一方、同じく102歳の元法務大臣の奥野誠亮さんは、「GHQがつくった憲法の前文には『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し』とある。今の世界情勢でこのような表現は笑いものだ。軍隊や非常事態規定、環境権は必要だ」と指摘。「現憲法の改正ではなく、内閣が新しい憲法案を作り、国会の多数決を経て国民投票に付せばいい」と新憲法の制定を主張されている。 http://www.sankei.com/politics/news/151120/plt1511200011-n1.html

2)憲法学者の意見もふた通りある。NHKのサイトでは、両方の意見を引用している。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160502/k10010506971000.html

憲法改正に向けた議論を進めるべきだという立場の九州大学の井上武史准教授は、「憲法が70年間変わっていないことは、その間の社会の変化を憲法がまったく捉えていないということで、改正の必要性を常に考える必要があると思う」と発言されている。現憲法に対する考え方は、奥野元法務大臣のものとほぼ等しい。

今は憲法を変えるべきではないという立場の東京大学の石川健治教授は、「今回の調査結果は、憲法を巡る議論の盛り上がりのなかで憲法を改正することへの危機感や批判意識が高まっていることを示していると思う。日本がこの70年間培ってきた立憲主義を損なうことになるのではないかということに、多くの人が気づき始めたのだと思う」と話されている。ちなみに、立憲主義とは「政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方」である。

東大石川教授の憲法学者としての意見は全く理解に苦しむ。この方は、日本がこの70年間立憲主義を培ってきたという。しかし、日本政府は、日本国憲法制定後に警察予備隊を創設し(1950)、保安隊と改組し(1952)、その後それを拡充して自衛隊とした(1954)。国際状況の厳しさが増すに従って、弾道ミサイル防衛システム、そうりゅう型潜水艦、ステルス戦闘機などを保持することなど、自衛力つまり軍事力の増強を行ってきた。そして、敵が攻めてくれば、日本国政府は自衛隊という軍隊(憲法9条がその保持を明確に否定している)を用いて戦わざるを得ない。

この立憲主義を損なっている現状を解消して、法治国家としての体裁を整えたいからこそ、憲法を改正すべきと多くの政治家は考えているのである。日本がこの70年間立憲主義を培ってきたと主張される根拠を論理的に説明すべきである。

日本国憲法(補足1)は明確に軍の保持を禁じている。自衛隊は、英語でself defense forceと訳され、その翻訳を当然のものとして日本政府は受け入れている。それでも政府は、自衛隊は憲法がその保持を禁止している軍隊でないとして、領土防衛のためにその予算を計上しているのである。石川教授は、この政府見解が全く正しく、自衛隊は軍隊ではないと主張するのか? 

昨日BSフジのプライムニュースで元文部大臣の下村議員が、防衛は国家の基本的権利であり、そのための戦力は憲法が保持を禁じている軍隊ではないと言っていた。そのような苦しい説明ではなく、憲法学者らしく正確な日本語で「日本は70年間立憲主義を培ってきた」旨の論理展開をおこなってもらいたい。

補足:
1)第9条:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2: 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本国憲法改正のためには、近代史を総括し国民の心に日本国に対する誇りを復活させるべき

昨日は憲法記念日だった。戦後マッカーサーの意志のままに制定されたのは69年前である。NHKの世論調査では、憲法改正の必要性の有無を問うアンケートでは、「有り」が27%で「無し」の31%を下回っている。「必要がない」と答えた人に理由を聞いたところ、「戦争の放棄を定めた憲法9条を守りたいから」が70%と最も多い。ふだん、憲法について考えたり話し合ったりすることがどの程度あるかを聞いたところ:「よくある」が5%、「ときどきある」が36%、「あまりない」が38%、「まったくない」が15%で、合わせて半数以上が「ない」と答えた。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160502/k10010506971000.html

憲法に関心のない人が大半であることを考えると、上記の憲法改正の必要性の有無を問うアンケート結果に意味はない。

国家が深刻にかんがえなければならないのは、国際政治の現状に対する憲法前文の不適応状態(補足1)や、日本国が自衛隊を保持するという現状と憲法9条の矛盾(補足2)の他に、この憲法に対する国民の低い関心である。憲法に関心がないということは、日本国という国家に対する関心がないことを意味するからである。その原因は何か? 

それは、日本国が国際社会を意識し、その一員として参加した明治維新以降の歴史を、日本国政府が公式に評価し、それを学校において教育しなかったことである。明治維新(江戸末期)から昭和初期の時代までの日本国の内戦を含む戦争と、それに参加し死亡した多くの国民の犠牲の意味を理解しなくては、現在の日本国への誇りや関心など国民の間に湧くわけがないのだ。

日本国政府はその時代を通した総括に恐怖を抱いているのだろう。明治維新を果たして薩長を中心とする20歳前後の下級武士が中心になって、日本独自になし得たのか、それとも英国などの干渉の結果であったのか? 明治維新の際の孝明天皇の暗殺疑惑、明治天皇の替え玉疑惑、それらに対してかなり説得力あるストーリーを展開する人が大勢いるのも事実である。(補足3)昭和の大戦も、なぜ関東軍が暴走したのか? なぜ、英米と戦争になったのか? 戦後についても、なぜ長州(山口県)出身者が日本の政治を動かし得たのか? 

以上のように考えると、近代史の総括は難事業なのかもしれない(補足4)。憲法改正のためというには遅すぎるかもしれない。しかし、近代史を総括し、その結果を教育し、そして国民たちの心の中に日本国に対する誇りを呼び戻すことは、今後日本がこの地球上に生き残るために必須の条件だろう。

補足:
1)102歳の元法務大臣の奥野誠亮さんは、「GHQがつくった憲法の前文には『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し』とある。今の世界情勢でこのような表現は笑いものだ」とこの点を指摘している。http://www.sankei.com/politics/news/151120/plt1511200011-n1.html
2)第9条2項: 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 この規定にも拘らず、日本国は自衛隊を持つ。自衛隊は英語でself defense forceと訳され、このforceは軍隊の意味であり、その翻訳を当然のものとして日本政府は受け入れている。自衛隊は、弾道ミサイル防衛システム、そうりゅう型潜水艦、ステルス戦闘機などを保持する世界的に見ても立派な軍隊である。
3)孝明天皇が暗殺されたという説も現代では意外な説であるが、明治初期には盛んに言われていたという。偽造正史の定着のように思える。明治天皇の替え玉説を否定するには、いくつかの疑問点に明確に答える必要がある。
参考:http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-255.html
4)先ず、宮内省資料などを公開することである。歴史学者が上記のような疑問点を明らかにするだろう。それを元に、公式見解を出す必要のある点については、それらを総理談話の様な形で出せば良い。

2016年5月2日月曜日

言霊信仰と教条主義

1)英雄の言葉と言霊信仰:
言霊とは言葉に宿る霊である(補足1)。言霊信仰とは、発せられた言葉に現実が影響或いは支配されると信じることである。言葉に霊が宿るのであるから、その霊の力を利用するには、その言葉を発すれば良い。日本人の多くは気がつかないレベルかもしれないが、言霊信仰を持っている。その証拠に、受験生の前では、「落ちる」という言葉を用いてはいけないし、法事などでは訳の分からない経を仏前であげて納得している。

経は、死者の霊に供養(プレゼント)する為に唱えるのである(補足2)。その際、言葉そのものに霊力があるのだから、例えば般若心経の意味など理解する必要はない。その般若心経であるが、当時の思想的英雄である釈尊(ガウタマ・シッダールタ)が弟子の舎利子に伝えた思想のエッセンスである。もっとも古くてオリジナルな仏典であるが、漢語に翻訳されているのでどこまで原語に忠実に訳されているか分からない。

釈尊でも救世主イエスでも、英雄の発した言葉には当然特別な力がある。それに従って行動することで、その英雄に導かれた大衆は大きな利益を得る。それは指導書としてまとめられ、聖なる書として常に携帯されるかもしれない。その民族は、幼少時にその言葉を暗記する為に、なんども復唱するだろう。

英雄にとっては、大事業を仕上げるための方針が頭の中に集積されている。そのエッセンスを言葉にしたのが、その聖なる書である。その英雄に続く勇者は、その聖なる言葉に自分の知的解釈を加え、具体的且つ個別にその勇者に従う大衆のための指針を作り出す。舎利子も、釈尊のことばを用いて、苦しむ衆生の迷いを取り去ることができただろう(補足3)。聖なる書の言葉を既に大衆が暗記しておれば、大衆にそれを引用して誤解なくそれらを伝達できる。

しかし、時代が下り、遠方にその聖なる言葉が伝達された場合、理解が十分でなくなり、所謂教条主義が現れる場合が多い。

2)聖典と教条主義:
教条主義とは、現場の情況や諸条件等を組み込んで、具体的で正しい指針を作り出す能力の無い者が、その何条かの聖なる言葉(教条;補足4)を、機械的・短絡的に適用する態度である。例えば、親鸞の悪人正機の説が広まった鎌倉時代、親鸞の教えを受けたことの無い人の中に「悪人が救われるというなら、積極的に悪事を為そう」という者が現れたという。これも教条主義の一つだろう。共産主義社会の建設が失敗に終わったのも、教条主義の結果であると言われる。

教条主義には言霊信仰の萌芽が見られるが、同一ではない。しかし、ありがたい教えが国を越え、何人もの解釈を経て遠くに伝達された場合、教条主義の段階で消えてしまわなければ、最終的に言霊信仰が残ると思う。例えば、仏典は最初パーリ語で書かれていたと思う。それが中国語に訳された段階で、既に論理が一部破綻している(補足5)。そして、それが日本に輸入され、言霊信仰の対象となったと思う。

マルクス主義の過激派学生の中では、弁証法の言葉や、革命とか反革命などの言葉が、言霊を伴って発せられていたと思う。論理的空間に居るという錯覚と言霊の両方に支配された人々は、ゲバルトの世界の住人となる。

3)言霊の国際的悪用について:
経済の発展により少なくとも表の世界では、民主主義という大衆化がグローバルな政治的趨勢となった。しかし、大衆には多くの前提と多くの要因、更に、歴史的経緯などを考慮した論理的考察は不可能である。そして、教条主義或いは言霊信仰と言っても良い現象が広く見られるようになった。例えば、自由、人権、環境などの言葉があたかも言霊を持つかのように、政治の表舞台の主人公となったのである。

少なくとも先進国社会において、無上と言っても良いくらいの価値を置くことで、裏の政治を操る勢力にとっても、便利な武器となり利用されている。ひと昔前には、そして、ひょっとしてちょっと先の未来世界では、更に、先進諸国からは陰となっている地球の一部では、何の価値もないものかもしれないのである(補足6)。

オーストラリアに鯨の命を日本人の命よりも重視する人たち、シーシェパードという団体に所属する人々がいる。彼らにとって環境はそれ自体で無上の価値を有する言葉であり、彼らはまさに言霊に支配されているとしか言いようがない。 また、軍国主義ということばが戦前の日本に対して用いられる時、西欧や日本以外の極東アジアの人々などにとっては、言霊で帯電させたかのように用いられている。

日本の軍国主義については、戦った相手の極東軍司令長官のマッカーサー将軍が、対日戦争とその後の朝鮮戦争の現場指揮官としての経験から、日本の戦争の動機は自衛のためであったと、米国で議会証言した。そのことでもわかる様に、その時代背景などを考慮すれば、単純に悪の権化のように言われる筋合いのものではないのである。それは、ナチスのホロコーストとは全くことなる。また、無責任な売国奴的人間が考え出した従軍慰安婦ということばも醜悪なる言霊を帯びさせて、現在もっぱら反日プロパガンダ用のことばとして用いられている(補足7)。

補足:
1)霊とは、①肉体に宿り、または肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体。たましい。霊魂;②計り知ることのできない力のあること。目に見えない不思議な力のあること、また、その本体。(広辞苑第二版)
2)死後霊は、極楽か地獄かに生前の行いの良し悪しに従って、振り分けられると考えるのだろう。経は、その霊を良き方向に清める為なのか、裁きを司る仏に対するプレゼント的なものなのかは判らない。このあたりは、西欧的論理など無用の領域である。
3)聖なる書は大抵英雄の弟子が作る。新約聖書ではマタイやヨハネなどがイエスキリストのことばを聖典にまとめた。
4)色即是空、空即是色ということばは、そのままでは集合論的に論理破綻していると思う。一切皆空、つまり、色(形ある物)全てが空(実体のない物)であるとしても、空が色の形容であるなら、このことばは論理的ではない。もし、空が色に全く等価なら、釈尊の存在は何なのか?
5)教条とは、教会が公認し、信者に信仰させる教義を、箇条として表現したもの。(広辞苑第二版)
6)アフリカではアルビノの人たちが虐殺され、その骨が売買されているという。ちょっと場所が変わるだけで、自由や人権も無力な言葉となるのだ。http://news.yahoo.co.jp/pickup/6199672
7)貧困の極限的条件と生死をかけた戦いの時代という背景でもなお、戦場の置屋の門を潜るのは自分あるいは親族の意志に基づくように徹底していた。本人が強制された事例はあるだろうが、それは置屋までの業者や親族により、更に軍人が関与している場合は犯罪的行為としてなされたことであり、日本政府や日本軍の直接関与ではない。

2016年5月1日日曜日

日本が大規模核開発に至るシナリオ(物語)

米国の核不拡散政策教育センター(NPEC)に提出した「日本の戦略兵器計画と戦略:未来のシナリオと代案」という報告書が昨年3月に公開されている(Japanese Strategic WeaponsPrograms and Strategies)。その論文付録として掲載されている、日本が大規模核開発に着手する物語を紹介する。軍事や国際政治の素人による要約なので、不十分なところが多々あると思いますが、もし、関心があれば読んでみてください。http://www.npolicy.org/article_file/Easton_Japanese-Strategic-Weapons-Scenarios_draft.pdf

(1)2020年に入り、一連の危機が起こる。それらは、米国の広範囲な抑止力に対する日本の信頼を粉砕して、東京(日本政府)はパニック状態となる。米国経済は不景気から立ち直ることができない。2016(危機的な選挙年)年に、孤立主義はワシントンを席巻する。これは世界中の市場と経済に否定的に影響を与え、油とガスの価格の引き続いて起こる急騰は、いくつかの国内要因と組み合わさり、すでに傾いている中国の経済を衰弱させる。

中国共産党指導部は、最後の手段処置として台湾で危機をつくって、衆目を国内経済失敗からそらすことに決める。中国人民解放軍(PLA)はすべての戦力を対立に備える。また、中国の治安部隊はすべての公開の集会は「台湾のスパイと反革命的な分離主義者の違法行為」であると宣言する。中国は戒厳令下に置かれる。

台湾の大統領が「1つの中国、Two Systems」フレームワークに基づく政治折衝を始めることを拒否すると、中国は最初に台湾海峡の台湾の沖合島のいくつかを砲撃し侵略する。これらの島のいくつかは、どちらの側にも比較的少ない犠牲者で占領される。しかし、中国はTungyin島(東引島;馬祖島に属する島の一つ)で予想外に激しい戦いに遭遇する。そこで、固体花崗岩島要塞をハチの巣状にするトンネルの守備を固められたネットワーク内で、台湾軍隊は戦う。

戦いの間、地元のROC(台湾)指揮官は、島の125の弾道およびクルーズミサイルならびに数百の誘導ロケットの発射を命じます。
これらは、中国側の離着陸場と海軍基地をたたきます。
中国のジェット戦闘機全機は動かなくなり、そして、いくつかの水上艦と潜水艦は港の中に沈みます。
これに加えて、攻撃のために使われている大きな水陸両用船の多くは沈む。
Tungyin島は、14、000人の人民解放軍兵士(水夫とパイロット)の死傷者の犠牲で最後は占領される。
党中央委員会の常任委員会による被害調査まで、海上封鎖の後続計画と台湾の主要な港とビーチへの侵入は停止される。

一方、上海の昆山地区(昆山市)の台湾のテクノロジー会社、銀行と投資グループはカナダ、米国、イングランドとオーストラリアへ逃げる。その結果、何百万もの中国の中流の都会に住む労働者は失業する。
中国の内部の治安部隊の堅い守りにもかかわらず、暴動と略奪は拡大上海地域(greatershanghai area)で起こる。
治安は回復されるが、その際の大規模で残忍な警察暴力に対し、市民の不信感が深まる。
数人の著名な地方の政府首脳と2人の中央の委員が、その後で追放される。

2016-2017の台湾海峡Crisisへの米国の対応が、アメリカの安全保障に頼る日本といくつかのこの地域の国々によって、不十分であったと理解される。
ホワイトハウスの反応は異常に遅かったし、1995-1996の台湾海峡危機の時と同様、日本の観測筋には太平洋の司令部は力の明白な誇示に訴える気がないように見えた。
米国太平洋軍(PACOM)は危機の間、沖縄の近くで計画的な軍事演習を中止して、「必要以上に挑発的な」ように見えることを避けるために、日本のその前に展開された軍事力を減らした。米国議会は怒っているが、China-フレンドリーな管理の弱い反応を変えることができまない。

(2)危機の頂点にある時、嘉手納空軍基地の米国陸軍少佐が渡り鳥の群れを中国の軍事ドローンと間違って防空ミサイル発射を命令したことが明らかになる。ミサイルの1つは、那覇国際空港に着いている民間の旅客ジェット機に命中しそうになった。日本の全国マスコミは、アメリカの軍隊をプロらしくなくて危険であるとのラベルを貼り始める。

数ヵ月後に、北朝鮮が絡むケースで、日米関係にさらに深刻な危機的状況が進行する。日本の警察が大阪で違法な北朝鮮のマフィア資産で何千万ドルも押収する。その報復として、一団の北朝鮮海軍特攻隊は日本海の佐渡島に対して夜間破壊活動により10人以上の沿岸警備隊員と一般人を殺します。翌朝、この内の5人は、漁船で北朝鮮に帰る途中生け捕りにされる。

東京がその囚人を解放するという平壌の要求を拒否すると、北朝鮮はいくつかのノドン弾道ミサイル発射装置を準備し、日本を核兵器で火の海にするとの脅迫を公開する。同日日本空軍は、北朝鮮が48時間以内に金沢、東京と横浜にミサイルを発射する予定であり、準備された発射装置の少なくとも1つが核兵器であることを示唆する情報を得る。日本の政府は必死に、米国軍が北朝鮮の発射装置とミサイル基地本部を先制攻撃する様に要求するが、ワシントンは迷う。米国は、日本海でイージス艦を用いた弾道ミサイル防衛システムを増強しただけである。

三日後、北朝鮮が日本に9つの通常兵器の弾道ミサイルを発射する。これらのうち、日本とアメリカのイージス艦の働きもあり、3つが日本列島上空に到達する。そのうちの2つは、東京の近くで日本のパトリオットで落とされる。しかし、一つは防衛網突破に成功し、東京圏で公共住宅に激突し、多数の一般人を殺す。この攻撃(そして、後続攻撃の脅迫)は、日本全域でパニックを生む。結局、危機はこの段階で収まるが、米国による抑止力の信憑性はひどく毀損される。日本は、ショックの状態に陥る。

数週間後に、日本の国家安全保障会議は秘密裏に用意していた核兵器開発プログラムを票決する。すぐに東京はその最初の武器、比較的低い能力の、潜水艦発射巡航ミサイル用に設計された30キロトン装置を生産する。2020年6月までには、日本は12の潜水艦発射型核巡航ミサイルを生産し、そして、計画では1年後に最初の実践配備の能力を得る。

日本政府は、米国政府に少なくとも1台の24時間警備の核装備潜水艦を持つ計画を知らせるが、アメリカの良い反応を得ることができない。米国国務長官は、中国と北朝鮮によるもう一つの危機を恐れ、「非生産的で地域安全保障のために役に立たない。潜在的に被害を誘導することもあり得る。」と私的な発言をして、日本の動きを牽制する。

日本は米国によってその提案された計画を取りやめる様に圧力をかけられる。しかし、協議進行中に、その新型潜水艦の能力の詳細は新聞にリークされる。これが、国民感情を日本政府にこのプログラムで進むことを強要するよう高める。大部分の日本市民は、将来の敵の攻撃を心から恐れる様になり、そしてまた、アメリカによる安全保障の信用は消失し、政府の計画を支持する。

さらに、北京、平壌とソウルからのうるさい抗議と、在外ビジネスマン、外交官、海外の学生に対する暴力沙汰は、一層の国産核抑止力に対する日本の市民の強い欲求を強めることになる。米国は論争の中、中立の姿勢をとろうとする。そして、それぞれの地域との同盟と協力関係が毀損されることを恐れます。しかし、結局は、すべての所でそれらに損害がでる。その米国のためらいは、ほとんど何の緊張鎮静効果も生まない。

2022年2月に、日本は無人島と北太平洋の海領土で一連の地下で水中の核実験を開始する。これらは見つけられるが、米国当局により秘密にされる。しかし、数ヵ月後に、テストの詳細は、日本のメディアにリークされる。その後すぐに、新しい巡航ミサイル潜水艦(SSG)で抑止のためのパトロールを開始する。それは、かなり変更された“そうりゅう型潜水艦”で、12本の垂直発射砲から射程1500km(930マイル)のクルーズミサイルを発射できる。これらは、プルトニウム6キログラム(13ポンド)を含め200キログラム(440ポンド)の弾頭を装備している。

乗組員の交代と補充のための時間を減少させる目的で、迅速な物資再供給のためのスペースを提供するために、いくつかの大きなハッチが装置される。これに加えて、海上にクルーの交代と再供給活動を助けるために、特別な潜水艦母艦は造られる。第2のSSGは、次の年に3番目も後年完成する。2024年までに、日本は、すべての時間に海上に少なくとも1隻のSSGを持つ体制を作り上げる。港に入る時は、頑丈なトンネル型ドックを持った総合ビルの中に繋留される。大部分の潜水艦は拠点を本州北部の大湊湾に置き、そして、いくつかは呉の潜水艦基地に配置される。

2020年代中頃までは、日本の空軍は、核ミッションのために東京政府にうまく働きかける。日本航空自衛隊は、すぐに、長射程、極超音波(マッハ5+)核巡航ミサイルを発射することができる国産の無人ステルス戦闘機を配備する。これらの航空機は三沢空軍基地の頑丈な航空機シェルター内に拠点をおき、敵の第一撃で破壊されないように、日本の他の空軍基地に頻繁に移動される。

2029年までに、日本は、約1、100の核弾頭とそれらを搭載する同数の鋭いミサイルを持つ。2020年代を通して、日本政府は共同のターゲティング(共同核戦略?)に関して米国に繰り返し提案しようとするが、ワシントンの反応は一致せず協定を結ぶことができない。アメリカの核とは良い関係であるものの(while ongood-terms with their American counterparts)、日本の発達し続ける核戦力は米国命令と支配系統からは完全に独立したままである。中国の戦略的戦力は、2020年以降急速に成長し続けている。2029年までに、北京は、日本の領域の攻撃用に、約1900の核兵器を指揮下におくようになる。

(3)中国の軍事増強による圧力は、日本政府を2033年までに中国と同程度になる様に軍備増強を加速させる。中国による核兵器と通常兵器による精度の高いknockout先制攻撃の恐れが高まる。新しい中国の無人ステルス戦闘機や宇宙船的兵器は日本の空軍基地と地上軍ミサイル駐屯軍を脅す。更に悪いことに、中国の攻撃型の原子力潜水艦と改良された対潜水艦戦闘能力は、日本の最も安全な潜水艦発射型の核抑止さえ脅かすことになる。そして、量(核兵器の量?)がずっと以前より重要になる。

第二の戦略的な脅威は、朝鮮半島から来る。北朝鮮と韓国の両国は、核兵器と移動車両(delivery vehicle)を開発して、日本を攻撃目標とすることができる様になる。しかし、半島自体が問題を抱えるので、多国間の核軍備拡大競争にまではならない。長期低落傾向のロシアの経済は、新しいシベリアの資源の発見や北極海航路で増大する海交通量によって助けられる。モスクワが北京でその戦略的なデタントを速めるとき、より多くのストレスは日本の核戦力にかけられる。

日本の核兵器開発に資金を供給することは、日本の政府財政問題になる。東京は、その戦略的な軍事力増強に、2020年のGDPの1.15%の予算から、2030年までに2.95パーセントに増やさなければならない。2020年代初期に、北朝鮮のミサイル攻撃のショックがまだ市民の心に新しかったとき、予算増加はほとんど問題でなかった。しかし、10年後には市民の感情は変わる。中国との核軍備拡大競争に終局がないこと、最先端の無人のテクノロジーの開発が主な理由で、競争が制御できない様に見えるようである。

更に条件を悪くするのは、日本の防御輸出(主に東南アジア、オーストラリアと北アメリカに)が円高のため、低下することである。そして、引退した隊員にかける経費もあり、人件費は急上昇する。長寿の日本では、これを可能にしている医学の進歩は、高価で、年輩者の経済生産性が改善しない。そして、軍人は、一般に比較的若い年齢でまだ引退する。

将来の軍縮協定の希望は日本で高いが、核武装に関係する各種ファクターはそれを困難にしている。朝鮮半島は連邦制として2030年ころには統一されるが、国造りへの集中と中国やロシアとの境界警などで、朝鮮半島は特に不安定である。さらに、北京はさらにもう一度国内政治的なパージなどが起こり、外交問題スタンスは激しく振動する。台湾は国際的にその改造された中華民国憲法の下の独立国と認められるが、中国の台湾への口出しの理由はのこされたままである。2030年代は、東アジアにおいて平和と安定性に対して見通しを得ることは困難である。