2016年11月30日水曜日

ネットオークションに参加しての感想

0) ここ2年ほど、ネットオークションに参加している。そこでは、ID (個人を識別する)記号を用いて参加し、実際に商品の受け渡しをする当事者以外は、個人の特定はできないので、基本的には匿名の世界である。そこでは、参加者の人間としての性質が見える。

個人は一般に利己的であるので、匿名の世界では犯罪に近い行為が横行する。ネットオークションを成立させているのが、出品者や落札者の取引後の評価である。このシステムを発明した人は、何らかの経済学賞の有資格者だと思う。

1) ネットオークションでの取引は、落札後インターネット上のメイル交換やオークションのシステム提供者が設置したメッセージ欄で行われる。品物と現金(疑似通貨を含む)を同時交換するのは、手間とコストが大きすぎるので(補足1)、通常現金を落札者から出品者に支払い、その支払いの完了を待って、出品者が品物を発送する。従って、お互いの信用がなければ、ネットオークションは成立しない。

互いの信用の確認を助けるのが上記の出品者評価システムである。ヤフーオークション(以下、ヤフオク)の場合、落札者と出品者は相互に、「非常に良い」から「非常に悪い」までの5段階で評価する。「非常に良い」と「良い」にプラス1、「悪い」と「非常に悪い」に-1点をつけ、その合計点が表示され、そして個々のコメントもみることができる。その累積した評価結果とそこで交わされた評価理由を見て、過去に正常な取引を相手が行ってきたかどうかが判断できる。

「非常に良い」を付ける基準は人によるが、参加者のほとんどがネット取引に一定の不安を持っているので、不安なく取引が終了してホッとした時、「非常によい」をつける。日本では、他人に悪い評価をすれば、評価をされた側ではなく評価する側にほぼ100%跳ね返ってくるので、多少の不満は自分で吸収してしまうことが多い。評価システムで利用価値があるのは、良い評価が全体の何%あるかという数値と、「非常に悪い」評価のコメントである。

2)私の落札者としての経験では、何らかの不都合があったケースは、10%ほどある。さらに、数日経過して催促しなければ手続きが進まないケースなど、不満に思う事例をカウントすると、全プロセス(価格面以外で)において満足であったケースは80%位である。しかし、不満な場合は評価しなかったりするので、一般に99%以下の評価の人や業者を相手にする場合、「非常に悪い」という評価をした人のコメントを読むべきである。非常に悪質であると考えられるコメントが複数あれば、取引はやめたほうが無難である。ちなみに、私の評価は100%「非常に良い」である。

不満なケースとは具体的に、品物が(海外の製造品)粗悪であった場合が数例、商品の説明になかったひび割れなどの欠陥があったケースが数例(補足2)、商品紹介欄にない欠陥を見つけたので、返品と返金で双方了解が成立したので返品したが、返金がないケース(現在催促中)が一件である。このような場合、警察に被害届を出す人もいるが、手続きが面倒であり泣き寝入りが多いだろうと想像している。(補足3)

一般に、多数出品して毎日かなりの取引を行っている業者は、信頼できる場合が多い。個人の出品者の質にはばらつきが大きい。また、評価数の少ないIDからの購入はできれば避けるべきである。その理由は、偽ブランド品を出品している様な者は、マイナス評価が一定数出るとIDを変えて登録し直すので、評価数が大きくならないのである。

3)最後にネットオークションの利点をかく。注意深く参加すれば、安価にブランド品が良いコンディションで入手できることである。最高にラッキーな例だが、新品を示すバーコードがついた英国製のコーヒーカップが国内業者の販売価格の1/5ほどで入手したことが何度かある。また、個人が出品するメリットは、不要となったものを出品し、買った価格の1/10くらいかもしれないが、無駄にしなくて済む。そのほかに、自家焙煎コーヒーを販売する場として利用している人もいる。

補足:
1)ネットオークションを開催する者が、双方から品物と現金を一旦預かって照合し、正常な取引の成立を確認後に双方に送るのが最も安全である。しかし、その場合のコストは高くなり、高価な宝石などの取引以外ではオークションは成立しないだろう。
2)商品説明に「新品のバッグで、写真の通りの良い品物です」として出品された場合、画面では良さそうに見えても実際に手に取った場合に粗悪品であるケースが何度かあった。「新品のカップとソーサーです」と説明されていても、新品は片方のみであった。しかし、商品欄に掲載された写真を再度見ると、確かに一つは明らかに中古品であった。これらのケースでも、マイナス点はつけなかった。画面をよく見、文章を読めば、それらの欠陥は予測可能だったからである。
3)この出品者は、大阪で不用品を回収する小規模な業者である。あまり関わるのは危険かもしれないので、被害届を出すかどうかについては迷っている。 追加:補足3の業者からはその後返金があった。ただ、10日位の時間がなぜ必要だったのかわからない。(2017・2・19)

日本はロシアよりも中国重視の姿勢をとるべき

トランプ氏が次期大統領に決まって直ちに、ロシアのプーチン政権は日本との平和条約締結を重視しなくなった。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43056082.html トランプ氏はこれまでの米国の対東アジアの姿勢を、変更する可能性がある。先ず、北朝鮮と韓国の間の対立は米国支配層の作り上げたものなので、http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42784357.html トランプ氏は朝鮮戦争の終結と北朝鮮の国家としての承認を行うだろう。

トランプ政権の米国は、日本にも同様の措置を進言するだろう。そして、北朝鮮が核兵器の放棄を決断すれば、日本との日朝基本条約の締結と戦後補償金の役割をする経済援助を手に、本格的な復興を計画実行できると思う。その賢明な決断を、金正恩はできる聡明さを持っていると思う(根拠はそれほどないが)。

日本の拉致被害者も希望者は全員帰国ができると思う。以下私の想像で数行書く。これまで、対米従属路線の自民党政権は拉致問題を重視するといいながら、日朝基本条約を結ぶ自由が米国より与えられなかったため、拉致被害者を救出することができなかった。また以前にも書いたが、その米国の壁を十分調査しないで、その方向に進んだのが小泉政権であり、米国の強い干渉により諦めたのだと思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43008331.html

馬淵睦夫氏は、youtube動画の中で海洋進出を強める中国と米国は本格的に対決すると言っている。しかし、それは孤立主義の方向に向かうというトランプ政権の政策だろうか? トランプ氏はイスラエルと親密な関係を構築するという記事もあり(娘夫婦はユダヤ教徒である)、キリスト教圏の米国の関心はイスラム圏であり、中国との軍事的対立を実行する余裕はないと思う。

トランプ氏は、ロシアとの関係改善を図るだろうが、それは日露の関係改善を遅らせると思う。また、今となっては、つまりトランプ政権が誕生して従来の主張通りに動けば、ロシアが日本にとっても同盟関係を強める相手でないと思う。元々、三国干渉から日露戦争、それに第二次大戦末期の火事場泥棒的行為など、ロシアは日本にとって元々敵対国になる地政学的要素が多い国ではないだろうか。その国と経済関係を深め、シベリアから極東を強大なロシア軍を配備する計画に、日本が協力するのは自殺行為かもしれない。

ロシアとの友好関係を模索する根拠は、中国と日米の対立の構図が続く場合の話であり、米中の政治的対立がなくなれば、日本も本来の路線はどこなのかと独自に模索すべきだと思う。私は、そこで出てくるのが、ロシアよりも中国との友好関係樹立だと思う(補足1)。中国が主張する尖閣諸島は元々周恩来と田中角栄の間で棚上げ密約があったと言われているので、再び棚替えにすればよい。友好関係ができれば、沖縄への進出に中国はこだわらないだろう。それはフィリピンとの友好関係が少し進んだので、中国は南沙諸島への進出を控えていることでもわかる。

日本と中国の対立の構図は、米国により作られてものであるとの意見には耳を傾けるべきである。米国の戦略を立案してきたキッシンジャーやブレジンスキーの時代は終わりつつある。ここで、本来の日中関係を150年以上遡った時点から、米国など白人キリスト教圏の洗脳戦略の影響を取り除いて考えてみるべきだと思う。

結論として今後の日本の生きる方向は、日中友好にあると思う。

==これは素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。== 補足: 1)これまではロシアを使って、中国の重石にするのが日本の戦略だったのだろうが、これからは、中国を使ってシベリアと極東を分断することで、ロシアの極東での足場を強化しないのが賢明だと思う。とにかく、終戦時のロシアの野蛮な行為を日本は忘れてはならない。それをロシアが正当に再評価しない限り、日露関係は緊密化し得ない。

2016年11月28日月曜日

TPPに関する蓮舫民進党党首の信じられない国会質問

民進党党首の蓮舫議員は、安倍総理に「トランプ次期大統領とTPPの件でどのような話をしたのですか?」という内容の質問を国会において行った。これは安倍総理を罠に引っ掛けて、安倍総理と日本国を侮辱しようとしたとしか思えない行為である。

米国との外交的な話の一切は、当然現職のオバマ大統領とすべきである。トランプ氏との会談は一有力米国市民との話であり、仮にTPPについて話しても、それは外交的話し合いではなく、安倍総理の情報収集行為に過ぎない。(補足1)

従って、その話の具体的中身については、日本の国会において正式に取り上げることではないし、安倍総理も当然そのような中身は一切言わない筈である。それにも拘らず、日本の最大野党の党首が敢えて国会でそのような質問するということは、本当に信じられない。

  聡明な蓮舫議員であるから、他に企みたあると考えるのは当然国民である我々の権利である。一言でも安倍総理が、「TPPの必要性について日本の立場から斯々然々の説明をしたが、トランプ氏から好意的な話は得られなかった」などと国会で漏らしたとすれば、日本の総理はまだ大統領となっていない人と外交をしたことになる。

安倍総理は当然何も話さない場合でも、日本の野党第一党の党首がそのような外交慣例というか民主主義政治のイロハさえ承知していない人であると宣伝することで、日本の国会を侮辱したことになる。それは自爆行為であり、まともな人はやらない。

つまり、あの国会質問は、あわよくば日米関係に亀裂を入れることが可能であると考えてなされたものであると思う。それに失敗しても、自爆的に日本の国会のレベルの低さを世界に発信して、何者かの利益を図ったことになる。あの人は他国のスパイであると疑われるのは当然だと思う。

補足: 1)詳細は、佐藤優氏が解説している。それを蓮舫議員も見ている可能性大である。https://www.youtube.com/watch?v=tE6w41CBGpw&t=587s

2016年11月25日金曜日

日本の技術や企業は世界で競争力を維持できるだろうか?

1)経済のグローバル化は、中国やインドなどの経済発展をもたらしている。逆に先進国に、デフレと貧富の差の拡大を引き起こした。仕事の面では、単純労働は発展途上国へと渡され、それ以外の仕事に人材を移さざるを得なくなった。そして、先進国には技術開発と新たな分野の創出を目指した投資など、その地位を保つための努力が強いられる。

その結果、米国は優秀な移住者を集められることもあって、技術開発の速度を早めた。それが、現在のAIやネット産業、具体的にはGoogle、インテル、アップル、アドビなどのナスダック上場企業の創立につながったのではないだろうか。日本の新規企業(分野)と比較すれば、その技術力は勝負にならないと思う。日本では既存企業が新規分野も事業拡大の形で取り込もうとしているが限界があり、枝葉的拡大に終わっている企業が多い。その結果、インチキに近い健康食品を売ったり、化粧品に手を出したりしている。サービス業として、警備や介護医療施設などへの雇用の拡大などがあっても、それは高度な新規技術などは不要な部分である。(補足1)

日本のGDPは、この20年間全く増加していない。それは上記グローバル化に乗り遅れ、受動的参加しかしていないからだと思う。その原因は、日本国全体の保守的傾向、悪く言えば、新陳代謝の欠如だと思う。相変わらず労働力の流動性が正規職で低く、高いのは非正規雇用のみとなっており、多くの優秀な人材において適材適所が成立していない。電通に就職したが仕事が合わずに自殺した、東大出身の人が良い例である。裁判所が遺族の労災認定を認めたことが話題になったが、裁判所は専門家としてのプライドを捨てて世間の攻撃を避けたのだろうと思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43005301.html 彼女の死を無駄にしないためには、労働の流動性を上げて、転職して再チャレンジができる社会にすることが肝心である。

政治も一向に独立国家に独立政府が存在するようには見えない。“集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法は憲法違反である”として、左翼と言われる反日分子が賠償を要求する裁判を起こした。反日分子を多数抱えている原因は明らかなのだが、それも何ともできずに、60年前の昔話のようなこの裁判がニュースになっている。その一方で、トランプ氏のTPP脱退表明で、日本の総理大臣はショックに近い状態である。

独自には何も考えない超保守主義では、長期のタイムスケールで起こる世界の政治経済社会の地殻変動的変化にもついてゆけない。その結果、数十年に一度のプレートテクトニクス型の地震のように、日本は試練を受ける。しかし、文化が変わらない以上超保守主義(あるいは唯我独尊思想)は不変である。

2)今期の試練は、今始まったばかりだと思う。つまり、日本では失業率は低く、大きな国内での社会問題は発生していないが、それはインドや中国などの国々が先進産業の中心的プレイヤーとして出てくるまでのことのような気がするのである。これらの国では、国内の激しい競争により優秀な人材が蓄積されるだろう。今後、巨大なこれらの国々の新規産業・新規技術への参加が本格的になれば、OECDに加盟している先進国の試練が本格化するような気がする。そこで日本は負け組に入る可能性が大きいと思うのである。

くだらない例かもしれないが、一例を挙げる。先日、日本で開発されたAI囲碁が、日本のプロ棋士の趙治勲氏(韓国籍)と対戦して敗れた。Googleらの開発した囲碁ソフトは世界トップ棋士である韓国棋士と対戦して勝ったのと二つの点で対照的である。第一にグーグルの技術力の高さが証明されたことであり、第二に対戦相手に現在のトップ棋士ではなく、日本らしく過去のBig-Nameを選んでいる点である。例えば、現在のトップ棋士である井山裕太氏が相手なら三連敗しただろう。

この囲碁ソフト開発には、日本のトップ校である東京大学が参加しているという。古色蒼然たる東京大学がグーグルに勝てるはずがないと思う。(補足2) 因みに、囲碁は中国から日本に渡ったゲームだが、仏教と同じく中国ではほとんど消滅し、日本で発達した。そして、20世紀後半に再び大陸でも盛んになり、その後21世紀になると世界ランキング上位は中国と韓国により独占されるようになった。現在、日本のトップ井山裕太氏は世界ランキングで第17位である。https://matome.naver.jp/odai/2145756362334503801富士通協賛の世界囲碁選手権では、優勝棋士が長期に渡って中国や韓国に独占された結果、2011年で中止となった。それを政治経済全般での日本の将来の地位を暗示していると感じるのはあまりにも悲観的すぎるのだろうか?

国家の財産は人間である。さしあたり大学改革から始めるのが、遠回りのようで日本改革の早道かもしれない。もし私がそれを始めるのなら、日本の国立大学を全て廃止して、民営化する。それにより国が得た金は全て奨学金基金として、貧困家庭出身の優秀な学生一定数に対し、大学納付金全額と奨学金を給付する。現在ぬるま湯に浸かっている国立大学には良い刺激になるだろうし、霞が関と癒着した大学の存在は日本のためにはならないからである。

家が貧しくとも、頑張れば日本のトップになれるという夢を、すべての子どもたちに持たせる。守りの雰囲気の中で育ち保守主義に染まった人間には、新しい発想は生まれにくい。日本一の富豪の孫正義氏がその良い例だと思う。(午後2時編集)

補足:

1) 経済評論家の三橋貴明氏は、財政出動によるインフラ整備と設備投資が経済再生の鍵だと言っている。マクロ的にはそうだろうが、ミクロの視点、例えば人材育成、労働流動性の改善、若い人の起業意欲などでの改革がなければ、財政赤字と円安インフレに向かうように思う。
2)大学ランキングでも、北京大学や清華大学は日本のトップ校よりも上位にランクされている。韓国の二つの大学、香港の二つの大学、シンガポールの大学などは、国内二位の京都大学より上位にランクされている。過去の遺産でノーベル賞を取ったと言って、喜んでいる場合ではない。http://hot-topic-news.com/THE-world-university-rankings2016-2017 日本の上位大学である国立大学の質の向上のためには、教官人事を各大学の教授会から一旦取り上げるなどの措置が必要だろう。

2016年11月21日月曜日

超保守的な日本の根元に何があるのか?

日本国は超保守的である。一度決まったことを変えるのは恐ろしく大変である。その例を下にリストするが、これらの多くは一旦出来てしまえば大異変などが起こらない限り無くならないだろう。不要あるいは不適切であるとして廃止するには、分析的思考が必要で時間を要する。また、何事にも賛成派が居るので、その論理的説得が必要である。説得には議論が前提になるが、主張はできても議論ができる人は少ない。(補足1)

すでに広く行われて居る習慣を現実即応的に変えるには、国全体という大きなスケールだけではなくミクロなスケールでの建設的議論が必要である。議論が建設的となる前提は、「意見交換の中で自分の方に論理的矛盾を発見するに至った場合には、相手に同意する」という文化である。しかし、「相手に同意することは相手に負けることである」という、東洋の狭い了見が日本人の心の中を占めている。そこで、議論は口論になり喧嘩となる。

日本人は不都合や不満を敏感に感じるが、その原因を論理立てて考えることが苦手な民族だと思う。それは個人レベルでもそうだが、集団で「議論を通して集団としての高い思考力を実現する」ことはなお一層困難である。この後者の西欧文化が、科学の発展を可能としたのである。集団には寿命がなく、それゆえ積み重ねた知識が、奇跡的な科学の発展を可能とし、それが近代文明の基礎となったのである。(補足2)

さしあたりの現状維持が延々と続き、不満の声はそれが極限に達するまで上がらない。そして、ガス爆発のように全体主義的に社会が動く可能性が大きい。

論理がない社会では、腐敗が生じる。それが作り出す大衆の不満という可燃性ガスは、全体主義とポピュリズムを爆発エネルギーとともに引き起こす。その結果、この国は全体主義的自滅をするのではないかと恐れる。そのモデル実験が、現在東京都を舞台に進行して居るようである。(補足3)

因みに、その日本民族の言語文化に最高に適合した文学として俳句がある。最近でも、夏井いつきさんの俳句番組に人気がある。俳句は論理表現を禁じ、感覚的表現に価値を置く。Logos(言葉)はLogic(論理)と同じ語源の言葉であるが、この極東の小国では、見事に西欧のものをひっくり返したような言語文化が存在する。(補足4)

以下に超保守主義の具体例を挙げる。

1)例えば:学校の制服は、学生服とセーラー服が基本であり、この数十年全く変化しない。小学生は全員ランドセルを背負って通学するという“暗黙のルール”も何十年間変化しない。小学校1年生で体の小さい子供の場合、登下校時の姿はランドセルが歩いているように見える。勉強の道具など小さい袋に入れれば、手提げであろうが布製ナップサックであろうが構わないだろうに。頑強に革製の頑強で嵩張ったリュックザックにこだわる様子は、まるで、宗教か何かと関係があるのかと思うくらいである。

小さい体にランドセルを背負えば、狭い道を通学する場合、車などに引っ掛けられる危険性が高い。相対的に大きなランドセルは、体の動きを鈍くして安全性という観点から不適切だと思う。子供の安全に過敏な母親たちにも、そのような議論はない。それは既に決まったことだからである。

歳暮とか中元とかいう習慣も、多くの日本人は義務的に続けている。定期的に同じ人に送るのは、賄賂ならそれなりに意味もあるだろう。互いにプレゼントを交換して良い関係を確認する意味もある。しかし、定期的且つ頻繁に繰り返す理由はなく、そのような行為は浪費だと思う。贈り物を製造販売輸送する業者の戦略が、その習慣を定着させたのだろう。バレンタインデーやホワイトデーの習慣も易々と業者の企みに乗せられて定着したのだろう。これらが、延々と続いているのが不思議である。

一旦出来てしまえば、よほどのことが起こらない限り、無くならない。存在理由を考えるには思考と時間が必要だが、止めた場合の冷たい眼差しは瞬間的に感じる。日本人は論理立てて考えることが苦手な分、周囲の空気の変化を敏感に感じる民族である。

2)超保守主義に関して書くなら、日本国憲法を取り上げないわけにはいかない。前文が戦争の反省文から始まるのも異常なら、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」というその後の文章について、「バカみたい」と言っても国際的には誰もバカな奴だとは思わないだろう。憲法9条第一項も馬鹿馬鹿しいし、第二項は明らかに自衛隊を持つ現状と合わない。よくもこの憲法を70年も変えずに守ってきたものだ。しかも護憲派という人たちが未だに人口の半分もいるというのは、彼らが憲法条文を読んでいないか、読んでもその意味を論理的に考える人が少ないのか、あるいは日本国籍を持つ反日分子であることを示している。

自衛隊(self-defense force)が軍事力ではないという国会答弁や裁判所の判断など、論理的に物事を考える習慣がある国ではありえない。諸国民の公正と信義に信頼を置くことを国是として、長く続いた国など歴史上存在しない。そのような文章を国家の基本法としてもち、それを誇りとしていることは、論理的に考える文化が存在しないことの直接的証明である。平和主義者のモリオリ族が、マオリ人にほとんど絶滅させられた悲劇(19世紀の出来事である)を知るべきである。しかし、それを言っても、馬耳東風だろう。

選挙制度における一票の格差も驚嘆に値する。米国大統領戦では、クリントン候補の獲得票数が100万票多いのに、トランプが大統領に当選したことが、ニュースとなっている。http://www.cnn.co.jp/usa/35091937.html 総数が1億2000万票を超える中で、100万票の差があっても尚当落が逆転したことが尋常でないと考える米国と、一票の価値に3倍の差があっても、延々と数十年その選挙制度が続く日本のコントラストは誠に凄まじい。

日本のこのような超保守主義は、何事も超越した権威が決めてきた歴史から抜け出せていないことが、もう一つの原因だろう。(補足5)その結果、権威が①上層部の指令だけでなく、②一部の企み、あるいは、③自然発生の何れによって生まれたとしても、一旦生じた権威を打ち消すことは非常に困難になったとも考えられる。しかし主なる原因は、繰り返しになるが、それらを民衆が好むからではなく、論理的思考と議論の習慣が日本文化の中にないからであると思う。(補足6)

補足:

1)原爆が憎いのか、原爆を落とした人間が憎いのか、原爆を落とせと命令した人が憎いのか、原爆を落とすことで利益を得る人間が憎いのか、原爆を落とされる状況を作った日本の政治家(関係者)が憎いのか、その整理は日本国ではほとんどまとまった形でなされていない。そして、原爆ドーム近くの資料館にあるのは、「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しませんから」という文章が刻まれた石碑である。

2)アインシュタインが1000人集まっても、近代科学(物理学)をゼロから構築することなど到底できないだろう。ギリシャ哲学などから知識を受け継いだ学会組織が、数百年間かかって近代科学を発展させたのである。そこには世界中から何十万人という英才が数十世代に亘って参加したのである。そのルールは「建設的な議論」である。

3)小池百合子知事のポピュリズムを背景にした光が、ブラックボックスの都議会と都の官僚組織を照らし出して、都政の遺伝子組み換えができるかどうかである。

4)もちろん、俳句も日本の立派な文学の一要素だと思う。短歌も俳句同様に感覚を重視する短詩であるが、より表現の幅が広い。後者のほうが歴史も長く、素晴らしい歌も多い。論理表現にも適しておれば、日本語は素晴らしいということになるのだが。

5)日本は市民革命を経験したわけではない。明治維新も上からの革命であり、一般市民は現代まで一貫して被支配者である。したがって、能動的に政治に参加する人で世襲議員以外は、世襲議員から声のかかる芸能人やスポーツ選手などの有名人のみである。それが、未だに明治維新の時の支配層を祖先に持つ人がトップである理由である。1960年や1970年の安保反対デモ等は、被支配者(被害者)としてのデモであり受動的政治参加の一つである。

6)youtubeの動画にコメントを書くと、反論が来る。ほとんどの場合、その文章には議論をするという雰囲気はなく、罵詈雑言の羅列に近い。論理的に説いても、相手側の立場や論調は全く変化しない。一回だけ、議論が成立したことがあったが、相手は博士号を持つ男性だった。https://www.youtube.com/watch?v=MHHI87ePoqE の議論を参照(Moh Korigoriが当方のペンネームで、http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43036726.htmlにその主題についての私の分析がまとめてある)

2016年11月20日日曜日

コミュニティと個人の関係の新しい姿=ある夢想

1)地域社会(コミュニティ)は日本中で崩壊の危機にある。山村地帯では人口減少により、そして、都市部特に大規模団地では段階の世代が老齢化したことなどが原因と考えられている。

高齢化社会になり、団地などでの老人の孤独死(化)は他人ごとではなく、深刻な問題である。そこで、地域社会での人の繋がりを強めようとする試みが方々で行われている。しかし、新興住宅地での空疎な人間関係は、なかなか改善しない。

これまでの試みの多くは、人は本来群れで暮らす生物であるから、行事などを催して一ヶ所に集めれば、人間関係が自然に強くなるという考えでなされてきた。しかし、先日建物内では挨拶をしないように取り決めたマンションの管理組合があったことでもわかるように、その前提は再考すべきだと思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43058446.html

つまり、人が群れで暮らすのは、文化的行動であって、遺伝子的な行動ではないと考えるべきだと思う。(補足1)人は家族などの小規模の群れを作るが、それ以外はむしろ他人に干渉されたくないという、他の動物とほとんど同じ性質(遺伝子的には)ではないのだろうか。

2)昔の地域社会では「ゆい」などの日常的協力が生産上必須であったし、武士だけでなく農民も戦闘要員だったので(「乱取り」と「明治維新の過ち」参照)、非常時の協力は生死の問題であった。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42249167.html

現在観光資源となっている祭りなどの行事は、その生死を分ける協力体制を毎年神の前で確認する意味があったと私は思う。単なるコミュティの仲良し行事ではない。つまり、多くの地方公共団体が企画しているように、人を集めるだけでコミュニティの人間関係を昔のように回復することを企画しても、それは無駄だろう。行政はセイフティネットの役割をすれば良いだろうし、それ以上は無理だろう。(補足2)

一定の協力関係を復活するとしたら、構成員達が生活上必須の何かを共有しなければならないと思う。そんなものがあるだろうか?

現在の日本は豊かである。高級な医療は受けられなくとも、一応食っていける。エネルギーを得た液体が、バラバラの分子になって気化する現象に似て、富を得た人間の集団が心理的にバラバラとなるのはむしろ自然であると言える。

3)老齢化した人たちのコミュニケーションと生活環境の回復は、やはり近代的な方向で解決するのがむしろ簡単だろう。鍵は、インターネット、ロボット、そしてドローンである。 家族関係など密接な関係を持つ人の間では、ネットTVなどで必要に応じて連絡を取ることができる。生活物資はインターネットで発注し、ドローンで受け取り、ネット決済することが可能である。必要なのは既に書いたように、ドローンポートを作るだけである。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42686197.html  ドローンに全てパソコンのように識別番号を付与すれば、不審なドローンは官憲により捕獲できる。更に、物理的な介助はロボットでかなりのところまでできるようになるだろう。

日本人は人の世話になることを過剰に気にする文化を持つ。人に迷惑をかけることはいけないと、幼少期より教え込まれる。基本的なことを全て自分でできるようになれば、むしろ、地域社会での人との接触もスムースに行くのではないだろうか。話しかけられても何か努力を要することを頼まれるのではないかと警戒する必要はないし、また、相手がそのように考えるのではないかと思って、話しかけることを自制しなくても良いからである。

補足:
1)遺伝子的に協力して生きるように出来ている生物として、例えば、軍隊蟻がある。軍隊蟻は移動する際に、自発的に一部が起伏の激しいところで橋となって、他の移動を助けたりする。それは軍隊蟻の文化ではなく、遺伝子的な性質である。
2)行政の役割として、単独では生活できなくなった個人をギリギリのところで助ける、心理的肉体的介護などである。それは経済的な面での生活保護と同類の制度として整えるべきであると思う。

2016年11月19日土曜日

放送局職員は日本人に限るべき。また、帰化人の国会議員は日本人になった経緯を明確にすべき。

NHKなど放送局の上層部に外国人がたくさんいるという情報が、馬淵睦夫さんと渡部昇一さんとの討論で明らかにされた。https://www.youtube.com/watch?v=mS34Wq1A6LI

米国の放送局には外国人は入れないという指摘もあったが、公共の電波を使う以上当然日本の国益を優先しなければならない。外国人は往々にして母国の利益の方を優先するからである。

また、外国人の身分から日本に帰化した人が国会議員になる場合、その経緯を明らかにすべきであるという意見が出された。渡部昇一さんは、3代に亘って明らかにすべきという意見を出された。

3代というのは、日本に馴染むのにそれくらいかかるという意味である。3代と言えば、「江戸に住んでいると言っても、3代続かなければ江戸っ子とは言わない」という言葉を思い出す。

この件、良い具体例を思い出した。それは、張恵子という中国系日本人の方がテレビ放送中に行った発言である。朝鮮族中国人の彼女は、元北京放送のアナウンサーで日中韓研究家を名乗っている。そして、日本のテレビにも屡登場し、中国の主張を代弁している。その張さんが日本に帰化した動機を問われた時、「ビザを取りやすい日本国籍が仕事上便利だから」と発言したのである。

民主主義国家において、その制度の維持と発展のためには、放送局を始めマスコミは客観報道に徹すべきである。朝日新聞の反日報道がひどいので調べていたら、社長が中国系であると漏らしたという話を渡部昇一さんがされていたが、なるほどと思った。

2016年11月17日木曜日

「同じマンションの住人同士は挨拶禁止」という日本の人間関係の怪

神戸のあるマンションの住民総会で、共用部分での挨拶禁止が決まったそうである。http://news.livedoor.com/article/detail/12259022/ 「子供に、知らない人に挨拶をされたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないように決めてください」という投書がそのきっかけになったということである。

1)ネットなどで上記取り決めに対して、賛否両論がだされた。また、テレビのワイドショーなどでも、タレントたちが議論したようだ。その中で、遥洋子の意見が面白い。 「挨拶をするときには「いい人」にならなければならないと持論を展開したのち、遥自身は外出先で「さんざんいい人」を演じているので、家に帰ったら一切挨拶を止めたいと思っている」と上記取り決めに賛成したのである。出演者では他にもヒロミが賛成したと、この記事には書かれている。 http://news.livedoor.com/article/detail/12289628/ 

上記の人たち(マンションの管理組合の議論を含めて)は、投書に書かれた問題を十分咀嚼しないで、議論している。それぞれが勝手に論点を決めて議論し、意見が全く噛み合っていない。つまり、投書の主は子供の安全を考えているのだとすれば、挨拶をすることで子供の安全に悪影響が出ないようにすれば良いのである。マンションの管理組合は、住人同士の親睦を図ることには賛成だとするなら、上記取り決めは「角を矯めて牛を殺す」類のものである。

例えば、投書の主の危惧を取り除くだけなら、子供には「知らない人に挨拶をされたときには、挨拶を返すだけにしてその後の相手をしない」と教えれば良い。また、マンション住民間での取り決めとしては、「子供に挨拶をしても、それ以上声をかけない」と取りきめれば、それで済む。

論点を明確にしないで迷走の末に、管理組合はバカな取り決めをやったのではないかと思う。また、その迷いの流れの延長で議論したタレントたちも、駄弁るのはできるがまともな議論はできないのだと思う。失礼!

2)殺伐とした都会の風景:
遥洋子さんやヒロミの考えは、「大人同士も挨拶もしないと取りきめれば良い」ということである。そのマンションの住人たちも、お互いに声をかけたくないので、上記投書をきっかけにして自分たちの意思に沿った取り決めをしたのかもしれない。上記の諺を用いれば、「牛は既に死んでいる」ということになる。そのマンションの住人も遥洋子さんも同じような世界に住んでいることになる。

もし、それが日本全体の風景だとすれば、この国は間違いなく潰れる方向にあるのだろう。中国やロシアが敵であり、それに備えるという議論がよくなされるが、現在の日本は当に、内憂外患に翻弄されているということになる。

遥洋子さんの考えを一言で言えば、「外で挨拶をするときには、いい人を演出しなければならないが、それは疲れる」ということだろう。どうせそれほどいい人ではないのだから、疲れるような演出を強要する日本文化の欠陥を自分が先頭に立って破壊すれば良いと思う。なぜできないのか?それは、彼女も他の人たちも真実や論理よりも個人的利益を優先するからである。

別の表現をすれば、日本には真実を重んじるという文化がないのである(補足1)。日本人は、「和を優先」しなければならないとか、「おもてなし」をしなければならないとか、心の中に蓄積するゴミを必死に隠して、表を飾るのである。

心の中では、そんな疲れる人間関係などまっぴらだという思いを抱いている。それが、孤独死やゴミ屋敷でゴネる住人を生む、日本の地域コミュニティーの抱える問題の根幹なのだ。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/04/blog-post_6.html

補足: 1)米国も政治に関しては同様である。真実は表にはなく、もっぱら裏に存在する。トランプ氏が新大統領として当選したのは、そのような米国のシステムが嫌な人が増加したからだと思う。

2016年11月15日火曜日

プーチンの変心か?

ロシアと日本の平和条約締結が遠のいたかもしれない。
ロシアのニュースによると、ロシア連邦経済発展省のアレクセイ・ウリュカエフ大臣に対して、刑事事件として捜査が開始された。同大臣は、日露の経済協力の協議で、前面に立っていた人である。http://jp.rbth.com/news/2016/11/15/647767

ロシアは現在、プーチン大統領の独裁に近い状態であり、この時期の重要閣僚の刑事捜査はプーチンの意思だと考えられる。米国の次期大統領がトランプ氏と決まり、トランプ氏の対露発言が早速効果を現した様に思う。

つまり、日露接近のロシア側の重要な動機は、ロシアの極東開発もあるかもしれないが、日米の間に楔を打ち込むことだったと思われる。次期大統領にヒラリー・クリントンがなると、米国は従来の対露姿勢をとり、米国との対決姿勢が大きな政治課題として継続する。

また、中国から多額の献金などを得ているクリントンが次期大統領となると、中国のアジアでの力が益々大きくなる。現在、ロシアは中国と親密な関係を演出しているが、中露国境で中国の力が圧倒的になることに、脅威を感じる様になる。

そのために、日本に近づいて千島だけでなく極東での経済開発を進めて、ヨーロッパから極東に亘って経済力と軍事力を持つ均一で強力なロシアを作りたい筈である。そのために歯舞と色丹の返還を行うことになっても、ロシア人の理解が得られる。

しかし、米露関係が改善し米国の経済制裁もなくなれば、日露関係の改善はそれほど急ぐことではなくなり、島の返還もロシア国内で理解を得られなくなるだろう。その様に考えられないだろうか???

2016年11月14日月曜日

国際的政治家の暴言は多極化時代の始まりを告げているのだろう

1)最近の国内外の政治において、暴言や失言が大きな影響を与えている。日本ではその失言で失脚やトラブルに巻き込まれる政治家が多い。一方、トランプ氏やフィリピンのドゥテルテ大統領の場合、「暴言」が逆に成功の鍵になった様に見える。

トランプ氏やドゥテルテ氏にも、一国のリーダーになるのだから、他の世界のリーダー同様並外れた知性がある筈である。日本のマスコミが揃ってトランプ氏の大統領当選を番狂わせといい、ドゥテルテ氏を粗野な人間の様に言ったのは、彼らマスコミ関係者に知性がかけていたからである。 日本の場合、世界に稀な社会をもつため、政治家の知性を疑うのは常識かもしれないが、世界を見る場合にはレンズを一般的なものに換える必要があると思う。つまり、この「暴言」の様な言葉の中に真実を見出さなければならないということになる。つまり、現代は過去の歴史の延長になく、新しい時代のコーナーにかかっているということだろう。

日本の内閣が、トランプ氏の次期米国大統領への当選に際して表明した「民主主義や人権、そして国際法に基づいた国家間の関係といった、基本的価値を共有する日米関係を揺るぎないものと考える」ことが、正しいのかどうかということになる。

2)民主主義、人権、男女同権や国際法などは、主に西欧が作り出した国際社会の枠組みを形容する言葉である。そしてそれらの言葉を記した旗を持って、経済のグローバル化とそれと必然として並行する政治のグローバル化を進めたのだと思う。(補足1)その方向の延長上に、未来の世界が見えなくなったのが現在という時点だと思う。

麻薬仲介人をまとめて殺すドゥテルテ大統領を、米国オバマ大統領は人権を盾に攻撃したが、それは「口先だけ介入」の多いオバマ大統領の虚しい行為だった。それに対する強い反感がドゥテルテ氏の暴言となったが、ドゥテルテ大統領の身には跳ね返って来たのは、衣を濡らす冷や水程度に終わりそうだ。また、南シナ海での岩礁を埋め立てて軍事基地を築く中国を、国際法を根拠に非難したが、習近平政権からは強い反発が帰ってきただけである。トランプ次期大統領の発言も、従来の国際的慣習を引っくり返す様な類であったが、グローバル化のフラッグシップである米国においても、非難を跳ね返して当選した。

多極化の時代が来ているのだろう。

その流れの中で、中国は東アジアの盟主となるだろう。それに対抗するために、日米同盟を命綱のように考えるのは、日本にとって非常に危険なことだろう。同盟関係でその代わりとなるのは日露なのかもしれない。しかし、ロシアと手を組むことに重きを置きすぎるのは危険である。それと同時に中国との関係改善を模索すべきであると思う。

とにかく、トランンプ氏が米国の新しい大統領に決まったが、それは外国の出来事である。もっとも大きな問題は、日本が今後どの様な戦略で国際社会の中で生きていくかということを、独自に考え実行できる様になることである。

因みに、国際法は「法」というレベルのものでは無い。以前書いた様に、「法」にはそれを定める機関や組織に「権威と権力」がなければならない。例えば国連は、世界のほとんどの国から構成されるが、統一国家的組織ではない。したがって、各国家を縛るべき国際法を持つ権威と力は、国連のどこを探しても無い。それを北朝鮮の核や拉致問題などで日本国は思い知っている筈だけれども、その感覚は霞が関という「辺境の地」には届いていない様だ。

補足:
1)スペインやポルトガルが世界を植民地化する際に、先ずイエズス会宣教師を送り込んで宗教活動をした。彼らは「愛と救い」という言葉を用いて、新大陸等の住民を感化したのだろう。それと「民主主義、人権、国際法」を並置するのは間違いだろうか?

2016年11月12日土曜日

トランプ氏が勝ったのは番狂わせだという傲慢

ウエークを見ている。最初のところで、今回のトランプ勝利を全く予想できなかったことをゲストたちが一通り喋った時。橋本五郎氏は、「今回は知識人の敗北だ」と言った。私は即座に、「あなた方は知識人ではないのだ。思い上がるな。」と心の中で言った。

つまり、日本のマスコミはまともな取材もしないで、米国支配層の希望的観測をそのまま自分の予想としていただけである。日本のマスコミの敗退であっても、知識人の敗退ではない。トランプ有利と考えて発表していた人たちが大勢いた。選挙に番狂わせなど存在しない。

前回に紹介したブログでは、米国のメジャーな報道機関もクリントン有利という情報をわざと流していると紹介していたし、選挙の数日前(11/6)にも既にトランプ有利と書いたブログを有料配信http://tanakanews.com/161106trump.php していた。報道機関に登場する人の知的レベルが低いのである。

この短文は今朝8時半に姉妹サイト2に投稿したものです。http://blogs.yahoo.co.jp/hetanonanpin/64442701.html

2016年11月10日木曜日

昨日は歴史の節目:グローバル資本主義破壊の始まりか

昨日の米国大統領選でのトランプ氏の当選は、歴史の節目の出来事のようである。資本主義経済への大衆の反乱の始まりである。1960年代の日本の学生運動のような学芸会的なものではなく、本格的な大衆の反乱である。

資本は地球全体から富を吸い取って巨大化する予定だったかもしれないが、人間は富の偏在に我慢ができなくなったのである。米国発の世界的小売企業のウォールマートの創業者から遺産を受け取った6人の子供たちは、この世で何もしないで2兆5000億円の資産を相続したという。 https://www.youtube.com/watch?v=HgUh-ktLPfU

一方、貧乏な家に生まれたなら、頭脳がかなり明晰でも大学へ行く金がない人は、奨学金で金を借りて大学に進み、どこかの段階で兵役に従事して奨学金の返金をしなければならない。何かの出来事に巻き込まれ命を失うかもしれない。無事帰還したとしても、精精中流の人間が住むところに一軒の家を持ち、一生をおえるくらいがその人生だろう。

資本主義が後期に入れば、アメリカンドリームなど宝くじに当たったような人のみが見る夢に過ぎない。

何が自由と平等の世界なのだ。その差は神が作ったのか?そうでなければ、人間の力で破壊しなければならない。それは将来、本当の意味での共産主義社会の誕生につながるかもしれないが、そんなことは大衆の念頭にない。しかし、それは歴史の流れなのだ。

歴史は大きく変わろうとしている。しかし、資本家はあらゆる手段を使って、現体制を守ろうとするだろう。ナショナリズムの利用もその一つだろうが、数兆の資産を持つ大貴族のご子息と貧乏人の子供とが、同じナショナリズムで団結するはずがないし、団結してはならない。

インターネットはこの創造的破壊のために作られたと思う。トランプはそのために何らかの寄与をしなければ、簡単に米国民に捨てられるだろう。

株価は資本により操作され、富は巨大資本により吸い上げられている

米国大統領選挙の数日前、FBIがクリントンのメイル疑惑に関して捜査を再開したことで、トランプ氏が世論調査でかなり差を縮めた。そして彼が米国大統領になるかもしれないという思惑で、株価が下がり米国ドルも下がった。トランプ氏が大統領になり、経済界へ悪影響を及ぼすであろうという予測に対して、トランプリスクという名前までついた。

ところが、トランプ氏が当選すると、今度は逆にニューヨークの株価は上昇しドル高になった。日本も昨日はトランプ優勢ということで、日経平均株価は1000円も値下がりし円も高くなったが、今日は円安が進み一転株価大幅高である。

トランプリスクはどこへ行ったのか? 

これらの株価変動は、あの悪名高い資本により作られたものだったのだろう。ワーテルローの戦いでナポレオンがイギリスに攻め込むという噂を流し、公債を空売りで暴落させた後底値で拾い、その後ナポレオンの敗退で暴騰したところで売り払って巨万の富をえた、ロスチャイルド本家次男のネイサン・ロスチャイルドを思い出す。そして、イングランド銀行(英国の中央銀行)を支配したと聞く。

ニューヨークの資本はその流れを汲むのがほとんどではないのか。米国中央銀行のFRBもその流れを汲む。その人事は米国大統領の及ぶところではない。

トランプ氏は白人ブルーカラーの不満を吸い上げて大統領選挙に買った。そして、仕事が自由貿易により奪われることが彼らが恵まれない理由だと言って、彼らの理解を得た。しかし、それは嘘である。米国は儲かっている。世界的なデフレの中で最も早い回復をし、中央銀行は更なる利上げの時期を模索しているではないか。

米国の資産の90%は1%の富裕層が持っている。毎年米国の上位10%の所得は、全体の半分を得ている。ウォールマートの創業者の遺産を継いだ6人の子供達は、一人当たり2.5兆円の資産を生まれながらにして持つという。そんな状態で、ブルーカラーが裕福になる筈がない。

米国ブルーカラーの不満は国内問題だ。それを諸外国の所為にするトランプ氏に誤魔化されてはいけない。米国人は目覚めるべきだ。この富の偏在はピケティーが指摘したことであり、そのひずみが限界に近くなった。世界はいよいよ大きな変革の時期に来ている。変革の際には常に弱いものが生贄になる。日本の政治家はそれを真剣にそして必死に考えるべきだと思う。

2016年11月9日水曜日

「意外な」米国大統領選挙結果:日本の貧弱なマスコミ報道について

A)米国大統領選挙の結果:
米国大統領選ではドナルド・トランプ氏の圧勝に終わりそうである。日本の多くの人は、この結果を意外に受け取っただろう。何故なら、日本のテレビや新聞はあの大本営発表を垂れ流した時と同様に、クリントン氏優勢と報じていたからである。しかし私には意外ではなかった。ネットなどで今回の可能性を主張した意見を多く読んだし、有料の配信サービスで受け取っている田中宇氏のブログの分析は、トランプ有利の予想だったからである。

本屋でも新刊書を前に買うのを躊躇し、アマゾンの古本をまず探す経済力しかない私が、有料ブログ配信をこの数年続けているのは、日本の新聞やテレビとは全く独立した情報を与えてくれるからである。もちろん、どんな情報でも自分の意見に取り入れる際に、自分のフィルターをかけて取り入れなければならない。その結果として、田中氏のブログにあるのは十分価値ある情報だと判断しているからである。

幾つか例をあげて、日本の報道の偏った姿を書いてみる。

B)日本でも米国の陰謀ではないかと話題になった9.11事件について日本の新聞やテレビは、米国の意向に沿って”完全に”米国と敵対するイスラム過激派の仕業として報道している。そして、日本国民のほとんどはそれを信じている。しかし、田中宇氏は米国も何らかの形で関与していると考えている。その証拠の一つは、直接的には飛行機も何もぶつかっていないWTC第7ビルが、他のビルと同じように崩壊したからである。

日本の報道番組に出てくる政治評論家は、田中氏のような人やもっと有名な孫崎享氏や馬淵睦夫氏などの意見を、陰謀論に組みする知性に欠ける人たちという烙印を押すことで、排除している。テレビ局などはもっぱらおなじ正統派、つまり彼ら米国追従派の評論家を出演させ、日本での米国の影の姿に関する議論を封殺している。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42023202.html

C) 最近コメントを書いた動画に、「アポロ宇宙船乗組員は本当に月に着陸したか?」がある。その動画は、21世紀が始まったばかりの頃に英国のBBCの放送を短く編集したものである。オリジナルなBBCの放送も動画サイトに出ているが(https://www.youtube.com/watch?v=vh_OqDj6ff8)、そこでは詳細に米国の航空宇宙局(NASA)の発表に不可解な点がいくつもあると報じている。

その数年後に日本のNHKも同じ趣旨の報道をしているが、それは完全に米国NASAを擁護する内容であった。米国は“日本の当局”を支配する存在だからである。私はこのNHKの放送を編集したと思われる動画を見て、非常に不愉快になった。あまりにもその内容が杜撰で情けなくなったからである。

NHKの放送の最初の方に、月の砂地にできたという飛行士のくっきりとできた靴跡を大写しにしているところがあるが、これは水分も有機物もない砂地にはできない靴跡だと考え、その時点でアポロ宇宙船の話は米国の捏造であると思った。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E5%AE%87%E5%AE%99%E8%88%B9 

捏造説を最初に出したのはアポロ計画に関係したビル・ケーシングであった。彼はロケットの設計製造会社の人であり、その疑問は「米国のロケット技術は人を月に送るのに十分ではない」であった。その点について私も考えて見た。3000トンの重量をもつサターンVロケットは、70数トンの宇宙ステーションを地表から4百数十キロ程度のところの周回軌道に乗せることに使用された。しかし、月着陸船を含むアポロ宇宙船を月に送り、再び地球に戻すことなど不可能に思えたのである。この根拠は補足に書く(補足1)。

D)結論:
兎に角、日本の国がまともな独立国になるには、報道機関が政府から独立することが先ず必要である。そのためには、日本人は、過去の歴史(近代史)から現在の政治までを頭に叩き込み、自分の頭で自分の国家のことを考えなければならないと思う。その結果できると思われる社会的文化的土壌が、不真面目なNHKを始め多くの報道機関を正常に育てるのだと思う。

補足:
1)アポロ宇宙船は推進力を与えるサービスモジュール(重さ約23トン)と司令船(重さ約5トン)からなるとウィキペディアには書いてある。地球に降りる際に、宇宙船の位置エネルギー(質量と重力と地球の半径の積)の大半(地球の自転速度の運動エネルギー分を差し引く)を逆推進により打ち消すことが必要である。それは質量あたり地表からスカイラブを打ち上げる以上のエネルギー(約2倍程度)である。月へ送るのが35トンぐらいだとして、それに3000トンのロケットが必要なのに、5トンの司令船を地球に帰還させるのに23トンのサービスモジュールで可能なのか? 
 更に、アポロ13号では月の近くまで行って事故に巻き込まれ、月着陸船で地球に帰ったという。上の議論を考えればわかるが、そんなことがどうしてできるのだろうか?

人工知能(AI)とロボットに職を奪われる人間:資本主義体制から共産主義体制への移行

=以下の文章は、ためらいながら書いた素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。コメントは歓迎します。=

1)AIを搭載することで、市内を自由に走れる自動運転車が2020年代の半ばには可能となるだろう。米国のフォードがそのように発表したという記事が先週の読売新聞経済面に掲載されていた。ポケモンGOをやりながらトラックを運転していた男が横断歩道で子供を跳ね殺した事件など交通事故の報道が多い昨今だが、自動運転車はそのような事故を起こさないだろう。車社会に大きな変化が予想される。

自動運転車との関連で最初になくなる仕事は路線バスの運転手だろう。その際に、運賃の支払いが全て電子マネーで行われるようになる。モニター用のカメラを搭載した自動運転車が街を走る日は近いと思う。それに続いて、タクシー運転手も同様になくなる。そして、自家用車の必要性も減少する可能性が大きい。自動車を持つコストに比べて、スマホなどから配車依頼した自動運転車を利用するコストの方が下がるだろう。

そのような時代には、食料調達もドローンでの配達が多くなるかもしれない。そして、各家にはドローンポートを置くことが常識になるだろう。買い物は家をはなれる動機ではなくなるだろう。そのような時代は、もうすぐそこまで来ていると思う。

2)インターネットを見ていたら、中部経済新聞の記事を人工知能が初めて作ったというニュースを見た。https://www.youtube.com/watch?v=2drThJkGSX8 現在は、データの入力が必要だろうが、AIが独自にネットから学習するようになると、人工頭脳に勝る知能を持つ人は皆無となるだろう。AIが小説を書いたという話もすでに存在する。http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1608/24/news129.html

上記のYoutubeで武田教授は、医者がなくなり病院で必要な患者を相手とする仕事は看護士だけになると発言している。医者の仕事の多くは、検査のデータや病気や体調に関する個人データから、必要な医療措置を決めることであり、それは人工知能で可能になるからである。外科医も医用ロボット(例えばダビンチ)が進化すれば、人間より上手に手術するだろう。ただし、これらを統括する医師は必要だろうが、徐々にそれも減少するだろう。

武田教授は看護士の方が必要だと言うが、その根拠としてあげた理由もそれほど説得力はない。人の情をシミュレートすることなど、ロボットには簡単なことだろう。同情や教唆までしてくれるだろう。最後まで面倒を見てくれる最高の看護士ロボットの仕事ぶりに、現在の看護士も敵わないだろう。

囲碁や将棋の世界では、天才棋士も人工知能に勝てなくなっている。特に将棋の世界では、プロがスマホで次の手をカンニングしていたことがわかり、一流棋士が出場停止になったことは、将棋の世界においてプロ棋士がもはや職業として成立する根拠がなくなったことを示している。http://www.j-cast.com/2016/10/13280636.html?p=all

もちろん、一流の人はどの分野でも一定数生き残るだろうが、生き残れる総数は徐々に減少するだろう。その代わり、AIとロボット及びそれを組み込んだ装置を設計したり生産したりする仕事が、主要な産業となる。そして、そのAI技術やロボットの誤動作を防ぐことが、産業界だけでなく政治の課題にもなるだろう。つまり、ハッキングやハッキング防止技術が国防の主要な任務の一つとなると思う。

大きな問題は労働市場が徐々にそして大きく減少することである。

3)社会はどのように変化するだろうか。
AIがなんでもこなすようになると、労働生産性は著しく上昇するだろう。そして、仕事にあり付いた人は富裕層を形成するが、仕事にあぶれた人は貧困層となる。しかし、ほとんどの人を貧困層に落としてしまっては、経済規模は縮小してしまう。そこで、政治の役割は今後益々重要になるだろう。経済学はお金を稼ぐ方法を教えるが、それを吸い上げたり分配したりする方法に関しては政治の役割である。

この変化に政治が対応できるのはしばらくの間であり、最終的には自由主義経済体制が成立しなくなると思う。なぜなら、完全雇用が手の届くところにあるという前提で、この政治経済的枠組が成立しているからである。これまで通りのやり方で資本家の存在を許すとなると、人は一握りの資本家階級、一握りの官僚、その他大勢の貧困層の3つの層に分類されるだろう。そのような社会が安定に存在できる筈がない。

如何にスムースに共産主義体制に以降するかが今後の大きな政治のテーマだと思う。あまりにも大きな問題なので、簡単には答えは出ない。

スムースな以降が可能になるプロセスも存在するかもしれない。例えば、共産主義を実現する途中段階として、全ての労働者が資本家になることである。労働者の代わりに資本家になった人々が、その企業の収益を分配することで、利益を得るのである。そうすれば、経済の縮小を防ぐことができる。つまり、会社の従業員は給与の一定の割合を自社株としてもらうことをシステム化するのである。そして退社する歳になれば、一応の生活ができるようになり、労働市場の縮小に対応できる可能性が出てくる。

この政治経済システムの変換は世界で不均一に起こる。その結果、国境はこれまで以上に大事になり、グローバル化の流れは再び100年ほど先に現れるまで消滅するだろう。移民の受け入れなど最も愚かな政治的判断である。

2016年11月7日月曜日

日本国は法治国家と言われるが、その核心は徳治国家である=正常な国際関係を築く上での本質的障壁について=

1)過去の話:

今年3月1日のブログにケントギルバート氏の「日本は連合国に無条件降伏なんかしていない」というコメントに対して、違和感があると書いた。(補足1) http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42680321.html

国体護持つまり天皇制の維持に日本政府は拘ったが、それは米国により明確に拒絶された。つまり、日本側から条件をつけた降伏ではなかった。そのため、御前会議で降伏を決断できなかった国家の重鎮たちは、天皇に決断を丸投げした。(補足2)

通常御前会議においては、天皇は責任が及ばない様に臨席するのみで発言しなかった。しかし、大日本帝国憲法では、宣戦布告や講和は天皇の大権であった(大日本帝国憲法13条)。昭和天皇は憲法13条の記載通りに終戦の決断をしたにも拘らず、普通の歴史の講義や講演では、御前会議での天皇の決断を異常な事態と解説するのが常である。

天皇は大日本帝国憲法下では、上記宣戦布告や講和の権利のほか、陸海軍を統帥する権利も持っていた。しかし、実際の国家運営は重鎮達が行なっており、軍の指揮は軍令部や参謀本部が行った。その重鎮達一部は、独善的に動いた。つまり、形式的には西欧の法治国家であったが、人治国家的にモディファイ(修飾)されていたと思う。

2)戦後及び現在の話:

今でも同じであるが、日本国において法律や憲法の持つ意味は西欧とは大きく異なると思う。つまりそれらは、高邁な目標を記した計画書や理想を掲げた看板の性格を持っている。法は屡々無視されて、政治は躊躇いながら軌道修正を行う。計画或いは理想通りに事が運ばなくても、それを批判するのは了見が狭いと言われる。それが、日本では昭和の失敗(日米開戦と敗戦)の責任が追求されない理由である。

あれだけの戦争による惨禍を経験しながら、日本国憲法は第日本帝国憲法が記載する手続きで改正され、政治的な連続性が確保されたのは何故なのか? それは、日本国は人治国家であり法治国家ではないからだと思う。つまり、「敗戦したけれども皆必死に国家の為に頑張った」という言葉で法的責任論などは吹っ飛んでしまったのである。それがまた、虚しい理想を掲げた全文を持ち、現在の軍備の状況と完全に矛盾した憲法を、70年間改正に踏み切らない理由であると思う。

最近のことであるが、所謂“生前退位”の意向が天皇陛下からオブラートに包んだように出され、実際に政治にそれに沿って動いている。宮内庁や内閣の失敗により、天皇が政治に関与できることを明確に示してしまった。この憲法違反になってしまったことの責任を、行政府に問わないのも同じ理由による。

宮内庁長官は天皇の意思をNHKが報じたにも拘らず、その様な話はないと否定した。しかし、今では何事も異常なことなど起こらなかったかの様に静かに譲位の手続きが進んでいる。本来なら宮内庁から内閣に持ち込み、話が具体化するのが筋であった。それを宮内庁はサボっていたのだと私は思う。天皇による憲法違反はあり得ない。それは、天皇は元々憲法に縛られる存在ではないからである(補足4)。

またこれも最近のことであるが、「集団的自衛権行使は憲法違反かどうか」などという、ほとんどお笑いの世界のような議論(補足3)が行われた。このようなことは、西欧の言葉と常識では形容できないだろう。何故なら、憲法無視は自衛隊を持ったところで始まっているからである。

日本国は、明治以降西欧の民主主義と法治主義を模倣しているが、日本の文化と西欧のこれらの“主義”は水と油のように異質である。西欧は言葉とそれを用いた約束(=契約)に重い地位を与えているが、日本は言葉ではなく“徳”に重い地位を置いている。その結果、西欧は人間と人間の関係、そしてその延長である国家と国家の関係を、ゼロベースで考えるが、日本は“善意”を当然の前提としてそれらを考えている。

それは日本外交、西欧的な基準での正常な国際関係の構築に大きな障壁となっているのではないだろうか。

(これは素人によるメモです。しかし、コメントがあれば是非お願いします。)

補足:

1)ケント氏は日本国民を惑わす米国人だと思って、その時の記事である。最近も、日本語が英語に比べて優れているといっている。https://www.youtube.com/watch?v=gesuqeBtJ2w 日本で職を得るために日本を褒め上がるのは有効だが、それに惑わされている日本人が多い。この人のあげた日本語の優れた点はすべて、日本語の欠点とも言える。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41614431.html

2)通常は天皇に責任が及ばない様に臨席するのみであった。しかし、大日本帝国憲法には軍隊を統帥するほか、宣戦布告や講和は天皇の大権であった。昭和天皇は憲法13条の記載通りに終戦の決断をしたにも拘らず、普通の歴史の講義や講演では、御前会議での天皇の決断を異常な事態と解説するのが常である。君主が絶対的権利を持つという憲法を持つが、それは絵に描いた餅であり、陸海軍は通常天皇の意思とは無関係に動いていたと、私は理解している。

3)憲法9条は明確に戦争と軍備を否定している。第一項に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあるが、「自衛の戦争は否定していない」という解釈が国会議員や政府要人などの意見である。自衛権の行使、つまり自衛隊による反撃は、武力の行使であることは明白である。第二項はいうまでもなく自衛隊、英語でself-defense forces、は憲法が禁じた軍隊である。「集団的自衛権の行使は、違憲であるかどうか」という議論が国会でなされていることを、西欧の方々は笑わないで聞くことができるのだろうか。

4)天皇は(国)民ではないからである。天皇の国事行為は憲法に記載されているが、それは天皇の義務ではないだろう。この辺りは、憲法学者に聞きたいところではある。あるテレビ番組で、明治天皇の玄孫であり憲法に詳しい竹田恒泰氏が、天皇が国会召集をしないことだってあり得るという発言をしたと記憶している。それは天皇制を擁護する立場の竹田氏の発言であるから、宮内庁は天皇のお考えを十分吸い上げる役割を果たさなければならないという意味であると思う。このあたりの話は難解である。

2016年11月4日金曜日

生物というものは厄介なものである

生物というのは厄介なものである。放っておけば際限なく増えて、互いに戦いを始める。そこで弱いものは駆逐され、強いものがのさばる。これは10坪ほどの自宅の空地(人は庭というかもしれない)を管理する自分の確信に近い感想である。

10㎡ほどの芝生は、雑草とミミズのせいで荒れてしまう。ミミズは芝生の中に土を盛り作り、土をアルカリ性にして芝生を枯らす。そこで、時々椿油粕を撒いて、その上に散水して泡立てる。界面活性作用か何かで苦しくなったミミズが這い出してきたところをピンセットで摘まみ上げる。今日も100匹を超えるミミズを”駆除”してその作業を終えた。 

しかし、半年ほどすれば同じようにミミズが繁殖するだろう。また、芝生には雑草が絶えず紛れ込み、ちょっと湿り気のあるところはほぼ完全に別の草に支配された。その代わり芝生は、長い茎のようなものを伸ばして、新天地を探す。それはこちらが困るので刈り取る。 

玄関の樫の木は、常に垂直方向に新芽を伸ばして、人間の目で見ればみっともない姿になるので、それを年に数回刈り取る。また、春に黄色に美しい花をつけるモッコウバラは、凄まじい勢いで枝を伸ばす。公道であれ他人の敷地であれ、空いた空間があればそこに新しい折れやすい枝を伸ばす。それも年に二、三度刈り取る。 

一昨年植えた柚子の木の若葉は、ほとんどアゲハの幼虫に食べられてしまう。春にはアゲハの幼虫と産み付けられた卵をピンセットで取り除くが、それでも緑色の保護色を持った大きな幼虫はどこかに隠れている。アゲハチョウと知ったのは、知恵袋に写真を掲載して教えてもらった結果である。アゲハ蝶を退治しているといえば、蝶よ花よと愛でる人はなんというだろうか?

「最初に強いものがのさばる」と書いたが、ミミズや樫の木など庭の生物たちにもし意識があれば、厄介な人間を見て同じ感想を漏らすだろう。


借り揃えられたサツキの中から顔を出した戸惑っているトカゲ君

2016年11月2日水曜日

小池政治塾は失敗に終わるだろう

小池都知事が政治塾を開いた。挨拶で、評論家ではなくプレイヤーになってもらうための塾だと大見得を切った。自分がプレイヤーとして、優秀かどうか疑わしいのにも関わらずにである。

豊洲問題はほとんど終わったことを掘り返す行為であり、最初から無益かつ有害な問題化だと思ってブログにも書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42953114.html その後、大阪の橋下徹氏も同様の苦労して益の少ない小池氏の行動に言及した。

オリンピック会場の問題でも、工事の受注関係の疑惑を追及するのなら良いが、会場の変更まで考えると、IOC に文句を言われるのは当たり前である。時計の針は逆回りしないのだから、過去ばっかり掘り返すのではなく、今後の善政で実力を示すべきであった。

都知事での仕事っぷりは、将来の首相候補となり得るかどうかの試金石であったが、恐らく都政すらまともに進められないような気がする。都知事選の時は応援したのだったが、今となってはがっかりである。小池政治塾も途中で解散か、そうでなくとも会場は閑散とするだろう。