2016年12月31日土曜日

資本貴族が支配する社会がどうして民主社会なのだ?

1)ここ数年、世界のいたるところで貧富の差が問題視される様になった。そしてふと、非常に豊かな者と貧困に喘ぐ者が共存するこの社会を、人々は民主社会と呼ぶのが不思議に思うようになった。民主社会とは大衆が社会の主であり、決して貴族的な者が主人でない社会のはずではないのか(補足1)。

現代社会の統治と運営が民主主義を基本的ルールとして行われているというのが、少なくとも近代化した国家の常識と思われたが、それは大きな嘘であることに人々が気付き始めた。資本貴族支配に対する反発が今後政治により吸い上げられれば、世界は大きく変化するだろう。トランプ氏の当選や英国のEU脱退を、ポピュリズム支配の結果として貶すのは旧勢力の宣伝行為であると思う。今後、少なくとも一時的には世界が混乱するだろう。その後、より平等な社会に移行するかどうかは、現代人の知性による。

2)200年ほど前までは、社会の主産業は農業であり、土地が富を産んだ。封建領主は農奴を使って富を得る権利を国王から得ていた。私の考えでは、現代社会には資本家と呼ばれる貴族とその貴族にサービスする人、それに大衆の三種類の人間がいる。貴族にサービスする人とは、マスコミであり、御用学者であり、スポーツ選手、芸能人など所謂有名人である。貧富の差があるのは、貴族社会では至極当然のことである。

大昔の貴族社会と異なるのは、国家の骨組みは政治家が中心となり維持しており、その政治家を大衆が選んでいる点である。現代の大衆が十分賢明に動けば、これまで貴族にサービスしてきた政治家を、大衆にサービスする人に変えることが出来る筈である。君主制から共和制の革命は、資本貴族社会という遷移状態を経て、これから完成するのだと思う。最初の段階では鉄砲などが道具となったが、今回はインターネットなどの情報手段が主なる武器である。

現在、情報入手と交換が容易になり、大衆の中に政治に関心を持つ人がふえてきている。その結果、米国の戦略家のブレジンスキーが正直に白状したように、政治力の大衆への移動が始まっている。氏の「100万人の政治に目覚めた人をコントロールするより、その100万人を殺す方が容易である」という過激な発言が思わず出たのは、大衆が十分な知恵を持てば、彼ら戦略家も大衆の監視の対象になり得るからである。https://www.youtube.com/watch?v=Gc9rsvBIh9U

資本貴族の社会は米国製である。米国の富の半分は上位1%の人間が握る。このような社会をそのままにしておいて良いはずがない。今後数年間の間、混乱の後将来の世界の姿が見えてくるのではないだろうか。

3)何故、このような資本貴族が誕生したのか? それは、蓄積された資本が富を生み、それが資本の更なる増加を産むという、サイクルが存在するからである。ピケティの資本収益率が経済成長率より大きいという指摘は、まさに人々が資本貴族と貧困層に二分されることの指摘である。(補足2)

現在の高度経済社会は、誰のものか? 科学と技術の融合による生産性が飛躍的に向上したこの社会は、過去の人たちの努力が産み出したものであり、その相続権はすべての人が持つ。その経済活動の舞台の上で、才能豊かな人が大きな成果を得たとしても、その全てがその個人の実力に帰せられるべきではない。ましてや、その子孫に、その蓄積された資産が高率で相続されるのは、むしろ不公平である。

今後、世界各国は富の平等分配に向けて動くべきである。経済発展がすべての民のためになった時、国家は安定すると思う。その実現には知恵と世界の協力が必要である。それには、異なる国家の大衆間の協力が不可欠であり、今までそれぞれの為政者により刷り込まれた対立の原因(偏見)を乗り越える必要がある。東アジアの歴史問題などもその一つである。

この世界の動きを止めようとする勢力は、多額の金を用いて政治に干渉するだろう。したがって、個人以外の政治献金は禁止すべきである。政治は本質的に人のためにあり、法人に政治への介入を許せば、その法人に属するものの一票の価値が何倍にもなるからである。これらの改革は、創業の意欲を失わせるという意見が出るだろうが、それは正しくない。

世界の知識が共通のものに移行すれば、この動きが加速されると思う。現在の多くの国際的対立は作られたものであり、大衆の真意ではない。兎に角、世界のリーダーは今後も米国であるから、米国の改革がトランプ新大統領の元で進むことを期待したい。

補足:
1)民主社会とはdemocratic societyの翻訳である。Democraticの名詞形democracyは大衆(demos;common people)が、ルールや力(kratos)を持つ社会を意味する。蛇足だと思いますが、念のため。
2)理系人間の私にはマルクスは遠い存在であり、その有名な著作など読んでいないが、このあたりのことは既に書いてあると想像する。共産主義社会の、「能力に応じて働き、必要に応じて取る」が実現するには、高度に経済発展していることが必須である。不思議なのは、なぜ経済発展には程遠いロシアや中国で共産党支配が起こったのかということである。ソ連はXXが作ったという”陰謀論”は、本当に単なる陰謀論なのだろうか?

2016年12月29日木曜日

歴史を掘り返す韓国とは、いかなる合意もすべきではない

安倍総理は、一昨日真珠湾での慰霊式典に出席し、今後の緊密な日米協力の確認を行った。Remember Pearl Harbor やRemember Hiroshima& Nagasakiを繰り返えすのは、互いに過去に生きる人間のようで見っとも無い。過去の出来事は必然であって、誰でもその立場であれば同じ振る舞いをした可能性が高いと考えて視点を未来に転じるのが、人間の知恵である。

勿論、文化も異なりリーダーも異なるのだから、立場を交換すれば同じようにならなかった可能性も大きい。その詳細は歴史家が検証し、その成果は共通の財産とすべきである。政治は現在と未来のためにあり、過去のためにあるのではない。現在に不満があるからといって、過去を繰り返しほじくり回し、何か良いものはないかと探す姿勢は、ゴミ箱あさりのように見える。

韓国は再び、幻の慰安婦問題を取り上げて騒いでいる。一部の陰謀家ではなく国家ぐるみでそれを支援し、過去の合意も歴史家の調査結果も無視して、慰安婦像とやらを国外にばらまいている。昨日も釜山で、日本総領事館の前に学生らが像を設置して、警官ともみ合ったと報道されている。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161228-00010000-houdouk-kr

これらは、実際は強制連行による戦時売春婦の調達などなかったにも関わらず、帝国日本がそのようなことに関与したことを認めた、河野談話と昨年の慰安婦合意が原因である。(補足1)

http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42574742.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42600101.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42601406.html
(以上の記事は姉妹サイトのものですが、このgoogle blog中にも韓国で検索をかければ出てきます。)

その大元にあるのが朝日新聞によるチェジュ島での強制連行をデッチ上げた記事である。勿論、これらの知識も朴裕河氏(韓国人)の「帝国の慰安婦」や月刊誌Willや文藝春秋などで得たにすぎない。戦争を知らない世代の人間が、幻とされた従軍慰安婦伝説をまるで見てきたように信じて、暴れ隣国を侮辱する行為には非常に腹がたつ。

韓国は敵国である。如何なる合意もすべきではない。日本は昨年のような合意を米国に強制されないように、国防力を備えるべきである。韓国の方々には、同じチェジュ島での歴史にこだわるのなら、島民の20%も虐殺した李承晩政権下の四三事件の保障など後始末をすることを勧める。日本にも大勢のチェジュ島島民が避難して、在日韓国人や日本人(帰化)として生きていることなど知らないのだろう。 http://www.sankei.com/premium/news/151019/prm1510190006-n1.html

補足:
1)日本と朝鮮半島の関係は、宗主国と植民地とはかなり異なる。日本は真剣に朝鮮半島のインフラ整備も考え、半島出身者も日本国軍などで昇進している。国立大学(帝国大学)の設立は、大阪や名古屋よりも先に京城に設置された。しかし、植民地的な差別はあったと思う。慰安婦の人たちは命をほとんど無駄に無くした兵士とともに、非常に苦しい思いをされたと思う。更に、半島出身者の慰安婦の方は、差別も加わって一層耐えがたい経験をされたと想像される。従って、日本政府も講和条約締結後であっても例外的に出来るだけの償いをするのは良いことだと思う。しかし、それを現在の政治に利用する韓国の姿勢は非常に卑怯であり、そのような韓国政府の姿勢が読めなかった河野洋平氏は非難されるべきである。(15:50追記)

2016年12月28日水曜日

安倍総理の真珠湾訪問を支持する(2)

安倍晋三首相が28日(日本時間)、真珠湾攻撃での犠牲者を慰霊し、二度と戦争を繰り返さない決意を表明した。時事通信配信のニュースに、この件について以下のような賛否両論が紹介されていた。

広島県の呉市海事歴史科学館館長の戸高一成さん(68)は、首相が謝罪しなかった点も「戦争はどちらかが一方的に悪いわけではない。謝罪ではなく反省するもの」と指摘した。 その一方、作家の早乙女勝元さん(84)は、演説で強調された同盟関係について「純粋な平和同盟ではなく軍事同盟だ」と懸念。日本が侵略と植民地支配を繰り広げた中国や朝鮮半島への謝罪が先ではないか」と疑問を呈した。また、上田市の無言館(戦没画学生慰霊美術館)館主の窪島誠一郎さんは、首相の演説を「謝罪を避けるという根本的な無理が、言葉の弱さにつながっている」と批判した。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161228-00000088-jij-soci

「謝罪のない和解」を早乙女さんや窪島さんは批判されているが、それは国際政治のことが何もわかっていない愚論だと思う。何故なら、謝罪を含む公的な清算は、平和条約の形で既になされており、現在行うべきは慰霊と両国の未来に向けた友好関係の確認である。謝罪を改めて行うことは歴史を掘り返すことに繋がり、歴史修正主義者の行うことである。戸高さんの言葉が正論であると思う。

人生の先輩(老齢)の方々に失礼かもしれないが、講和条約以外で「純粋な平和条約」というのは、何を目的にしたどのような条約を指しているのか分からない。また、飯窪さんの「植民地支配の謝罪が先ではないか」とおっしゃるが、既に述べたように、平和条約締結している中国や韓国に対して国家を代表する総理大臣がすべきことではない。

「謝罪」と簡単に言うが、謝罪は相手に賠償請求の権利を与えることになる。何かあれば揃って頭を下げる日本文化の感覚で、他国を相手に総理大臣に謝罪を要求する両人の意見は、厳しく否定されるべきである。

勿論、南京などで多くの人が戦争の中で犠牲になったのなら、中国に出かけて慰霊の式典に参加することは良いことだと思う。しかし、中国の当局と国民が、既に両国は平和条約を締結して和解していることを十分意識し、且つ、戸高さんのような成熟した国際的感覚を持つことが前提だと思う。

(編集、19:50)

2016年12月25日日曜日

戦争は生き残るための手段であった

大昔から現代まで、戦争は生き残るための手段であった。国民国家が出来て以来、国家が敵と味方を分ける境界となった。防衛力を持たない国家は滅び、その民族は生き残っても他民族に隷属することになる。戦争において宗教が登場する場合、それは戦いの目印の意味が大きく、教義に争いにつながるような意味などないだろう。

過去の歴史を少しでも学べば、平和主義を前面に出して滅びた民族はあるが、栄えた民族などない。ヨーローパなどのテロリズムも宗教の戦い(十字軍とイスラムとの戦い)として解釈するのは入り口である。そこで終わっては何もわかっていないことになる。

宗教は、上述のように戦争で生き残るための団結手段であり目印である。宗教戦争は外観であり、その本質は他から奪い取って生き残るという、生命界の掟が具体化した(戦争)のだと思う。

つまり、シーア派とスンニ派の違いが、それほど重大な違いなのではなく、また、キリスト教とイスラム教の教義の違いがそれほど重大なわけではなく、それらは敵と味方の色分けに過ぎないと思うのである。直前の記事を書いた動機は、そのような理解が背景にあってのことである。

平和主義は、味方を募る時には手段になるが、戦う相手には目くらましになる。日本にいる左翼と呼ばれる人たちの平和主義は後者のものである。味方になる相手と戦うことになる相手を見間違わないことが、民族が生き残るためには必須である。第二次世界大戦の時の愚を繰り返してはならないと思う。また、それよりも何よりも大事なことだが、戦う力を持たないことは、この地球上に生きる空間を確保する権利を放棄することに等しいことである。

日本の憲法改正と適当な軍備保持を、軍国主義の復活として非難する国があるとしたら、その国は日本を将来侵略すべき国、戦う予定の国と考えているのである。

テロと死に関する雑感

1)ドイツのベルリンで、チュニジアから来た男の運転する大型トラックがクリスマスマーケットに集まった買物客めがけて突っ込み、多数の死傷者を出した。ISISは今朝、犯行声明を出し、更に、その男の遺志を告げる動画を配信した。その中で、「十字軍の豚どもをやっつけろ」と語る男の姿があった。http://www.jiji.com/jc/article?k=2016122300334&g=int

また、トルコでは駐在するロシア大使が警察官により暗殺された。テレビで放映された銃撃後の男の様子は、高揚しているのだろうが狂気には程遠かった。「俺の命はここで終わる」「アレッポを忘れるな」と叫んでいた。

NHKニュースは犯人と呼んでいたが、そう呼ぶことで真実から遠ざかるような気がする。犯人というのは、社会の掟に背いた人に対する呼称であり、その社会そのものを認めない人に対してはふさわしくない。その暗殺者の行為は、犯行ではなく戦争のように見える。その一方で、死に場所と動機をISに求めた自殺にも映る。それはまた、宗教のための殉死のようにも見えなくもない。

広い心で難民を受け入れようとしたメルケル首相の悲しそうな姿が眼に浮かぶようである。空き地があるのなら、新しい人を迎え入れることもできるだろう。しかし、地球はもはや狭くなり、人を十分受け入れる余裕を無くしつつあるのではないか。その前触れのように見える。

2)人の命は儚く、死は忌み嫌うものであると考える人がほとんどである。昔、武士は死ぬべき時と場所を考えた。自分の命を民族の繁栄か何かのために使うという発想で、死を乗り越えた人たち。その死は、武士という誇りと表裏をなすと考えられる。誇り高い人がほとんど居なくなり、且つ、そのような人が嫌われる今日、死は”忌み嫌われること”以外の解釈を失った。

難民や移民を、人道的見地から受け入れようというのは簡単である。問題が深刻化すれば、テロリストを攻撃するという道が残されているのだから。テロの解決や防止を考える人たちは大勢いるが、問題が深刻化してからもそれを考え続ける人はほとんどいないだろう。対立は悲しいことだが、ある意味必然のような気がする。“自分か相手かどちらかが地球上に住む切符を争う”ということの連続が歴史を作ったのだろう。(一つ前のブログ)

3)NHKで放送されるプラネットアースの予告編を見た。それには、必死に荒れ狂う海に漁に出て、子育てのために命を賭けて餌を得るペンギンの姿などが放送されていた。ペンギンに食われる魚のことを少しでも考える人はテレビの前にほとんどいないだろう。また、目も眩むばかりの険しい土地に住むことで身を守る山羊とそれを狙う狼のような生き物も映していた。生まれて間もない子ヤギがその動物に狙われたが、子ヤギは10m以上の崖を飛び降りる力を持っていた。その子ヤギの助かった陰で、その狼のような動物の子供の飢える姿を想像する人は稀だろう。

また、他の番組で、水ダコという巨大な蛸が、10ヶ月の間何も食べずに、卵が孵るまで外敵から守り続ける姿を映していた。親蛸は、子の孵化とともにその場で死ぬのである。神は、生き物を創造して、このような悲しい姿を見たかったのだろうか?

2016年12月24日土曜日

トランプ柄の服に着替えた米国

1)個人でも国家でも理想を持たなければ暗くなる。しかし、現実を直視しなければ、やがて理想も持てないほどの悲惨を味わう。理想を語りながら、したたかに現実的に物事を処理する国家としてアメリカがある。そして、大統領は表の役割を演じているだけだということを、オバマ氏は最も解りやすく教えてくれた。

つまり米国は、理想論を表に現実論を裏に持つ二重張りのコートをきた国である。その接着財はずる賢いシンクタンクの仕事なのだろう。最近のイスラム過激派やシリア内戦の厳しい状況、それに中国の経済的台頭などが原因で、これまでの表地では国内の不満を抑えきれなくなってきた。そこで、今回着替えることになった。

因みに、中国やロシアがあまりにも強面に見えるのは、理想であった共産主義を脱ぎ捨てたまま、表に何かを身につけるに至っていないと言えるのではないだろうか。

米国は今回、表を“民主主義の伝道によりグローバルな平和を世界に広げる”という表から、“自国の繁栄を第一と考える”という最も伝統的な「表」に着替えたように見える。トランプ氏が大統領に当選した原因について、プーチンによる反クリントン情報の暴露とか、米国の没落白人達の票を集めたとか、いろんな説がある。しかし、米国に元々存在した勢力がトランプ氏を看板に取り替えることにしたと考えるべきだと思う。米国には多くのオプション(着物)が用意されていて、今回はその一つが表に出てきただけだろう。

2)大昔、地球は広かった。それが人類にとって狭いと感じられるようになり、戦争が始まった。この70年間戦争がなかったのは、科学と技術の融合により高い生産性と省エネルギーが達成され、一時的に地球が広くなったと人類が感じただけだと思う。豊かさに慣れた人間が、三食食って家に住むだけでは満足できなくなり、再び地球の狭さ富の少なさを日常的に感じるようになったのが、現在の世界なのだろう。もちろん、貧富の格差拡大もそのおおきな要因だが、主ではないと思う。

トランプ大統領は、この経済的地理的に狭く感じられるようになって、何かを排除しなければならないと考えているだろう。最初に標的になったのがイスラム圏である。テロリズムの輸出をしているというが、その製造技術は米国製であることには言及しない。しかし、トランプ氏がもっとも大きな問題だと感じているのはアジアではないだろうか。

ロシアのプーチン大統領は既にそれを読んでいる。米露の接近は、中国を再びロシアの敵にするだろう。Youtube動画の多くに見られるように、中国は没落するように感じる。しかし、それは中国だけの問題ではないことに、日本のほとんどの人は気づいていない。中国が米国の経済的政治的攻撃目標になるとしたら、日本がその手先に使われるだろう。しかし、もし中国が没落した時には、標的は日本になる可能性が大である。

既に書いたように、日本は現在英米ブロックの端に位置しているし、その延長線上以外に日本の位置を求めることは、日本国の中枢と日本国民の意思に相当の成長がなくてはあり得ない。しかしその路線は、あと30年位は許されても、その先は保障されないだろう。2050年問題、つまり、イスラム教信者がキリスト教信者の数を超えることは欧米にとって共通の大問題である。それを睨んで欧米の戦略家は必死になって、世界戦略を考えているだろう。 http://jp.wsj.com/articles/SB12451244521881693796604580557262642639100

それと同時に、欧米にとっての大問題は、米国がGDPで世界トップの座を明け渡す時である。中国を米国が攻撃の的にするのは、その意味で自然である。昔、中国共産党は、国民党と日本を戦わせ、両方を消耗させる戦略をとった。そのような戦略は常識であるが、国家が表と裏の二重張の着物をきているという常識を持たなければ、簡単にその戦略に嵌るだろう。

日本がそのようにならないように祈るが、そのためには日本にも裏地が必要である。米国が世界各国に戦略として輸出してきたのは、民主主義や人権といった表地だけであった。それは対象国の弱体化を目的としてなされたことは、今や常識だと思う。その表地は、接着剤なしでは裏地を嫌うことも米国の戦略家は熟知していた筈である。

==これは素人のメモです。適当に読み飛ばしてください。==

2016年12月22日木曜日

アポロ11号は月に行っていない(まとめ)

§1:アポロ計画に対する捏造疑惑の発生とその疑惑に関するBBCとNHKの放送

1961年ケネディ大統領(当時)により、月面に有人宇宙船着陸を成功させる計画が発表された。アポロ計画では最後の17号まで合計6回の月面着陸に成功し、12人の宇宙飛行士を月面に送ったとされる。そして、1969年7月20日アポロ11号が月面着陸に初めて成功し、アームストロング船長が人類で初めて月に降り立ったということになっている。

このアポロ計画は1975年のアポロ17号を最後に終了した。その直後の1976年に、アポロ計画のロケットを設計製造した会社の技術者であるビル・ケーシング(Bill Kaysing)により、「We Never Went to the Moon」と題する本が出版された。米国NASAによる捏造説である。

BBCは2000年ビル・ケーシングの疑問などを取り上げ、独自にアポロ計画での人が月面に立ったという話は捏造ではないかという内容の番組を作った。 https://www.youtube.com/watch?v=vh_OqDj6ff8https://www.youtube.com/watch?v=vwf-k15TqIU(補足1)

 そこで提示された一般にも分かりやすい疑問点は、①風が吹いていないのに月面に立てた米国旗がはためいているように見える、②画像に映った影が平行になっていない、③月面着陸船のジェット噴射の跡が月面についていない、などである。 更に、疑惑を持つのに少し理科の知識を要するのだが、④太陽からの宇宙線に飛行士は耐えられるか、⑤月の表面にできたという鮮明な足跡はおかしいのではないか。更に、⑥月面で飛行士がジャンプする場面があるが、月の重力は地球上の6分の1だからもっと跳び上がれる筈だという疑問も重要である。 (なお、最近撮影されたものも含めて月の映像などは以下のサイトに詳しい。http://www.s-yamaga.jp/nanimono/uchu/tsuki-04.htm

NHKもこのアポロ宇宙船の疑惑を取り上げている。明確な結論を出していないが、多くの疑惑は説明可能であり、米国のアポロ計画に対する疑惑の報告は陰謀であるとの印象を与える内容である。その検証の対象となった疑問は、上記①②③の疑問と、⑦暗黒である筈の空に星が見えないという疑問である。簡単な実験をみせて、それらの現象は実際には説明可能だとしている。しかし、検証実験は疑問を出したオリジナルの画像を無視した、全く不十分なものであった。 https://www.youtube.com/watch?v=eJ2bVmtHFO4(補足2) 

BBCは正面から疑惑に対峙しているが、NHKは客観的に検証しているフリをしながら、米国NASAの擁護の目的で放送を作ったことが明白である。 

§2:頻繁に議論された一般的な疑惑とそれに対する反論 

多くの提出された疑問点には、それぞれ反論が出されている。従って、専門家はそれぞれの専門で確信を持っていたとしても、その論に一般人を説得するほどの力はなく、水掛け論に終わっている感じがする。アポロ計画はもともと政治的目的で始められたことである。従って、もし捏造であったとしても、それは専門家を騙すのが目的ではなく、一般市民を騙せれば十分である。現在のところNASAはこの件で窮地に追い込まれているとは言えない。

ここで幾つかの昔からよく引用される疑問点とそれに対する反論を振り返る。

①空気が無いのに星条旗がはためいている。この旗の動きについては、支持棒に飛行士が回転を与えているとして説明されている。それを論破するだけの再反論はない。

②写真は全て太陽光のみを光源として撮られたということだが、写真画像に写った影が平行になっていない。これには、遠方の影が水平方向に延びて見えるのは写真の場合自然であるとして説明された。この説明では不十分な写真を何枚もみたが、それがアポロ計画捏造論により作られた(捏造された)と反論されると、現在のNASAの公表データにない以上、我々一般民には再反論は不可能である。 ③月着陸船の噴射跡が月面にないのは、月表面を厚いレゴレス(砂状堆積層)が覆っているという説に矛盾する。これにはNHKは、硬い地面であったのでクレータ状の大きな跡は生じなかったと説明している。これも、月表面はもともと平面ではないので、出っ張った部分のレゴリス層は比較的薄いだろうから、高解像度の写真がなければ一般民が納得する程度の再反論は不可能である。 ④BBC発表とされる最初の動画では、バンアレン帯の放射能や月面等での太陽フレアによる放射能は宇宙飛行士の健康を害するに十分であるとして、疑惑の中心に取り上げている。プロトン粒子流や電子流は、飛行船を通過しないし、太陽風中のものや二次的に発生するX線やγ線の強度に関する確実なデータがない以上、専門家(宇宙物理学者)には直感的に判ったとしても一般には説得力はない。

⑤アポロ11号の月着陸のシンボル的な存在である、オルドリン飛行士の月面に残したとされるくっきりとした靴跡は、水分や有機物のない月面では出来ない。これに対して、月表面にはレゴリスという砂が堆積しており、靴跡ができるのだという反論があるが、これは非常に不十分な論である。NHKのNASAを擁護する番組でも最初に大写しで出てくるが、この捏造論に関しては説明もされず再反論もなく、ただ沈黙したままであった。私は最初この件で、NASAは月面着陸を捏造したと確信したが、それはたまたま真空実験を日常としていたことや界面張力が関与する現象に詳しかったからだろう。

⑥宇宙飛行士が月面でスキップする動画がアポロ計画の成果を発表する際、よく引用される。NASAのホームページ(HP)からも見ることができる。これも、軽々とスキップしているのだが、なぜ90センチくらいジャンプできないのか?という疑問には、「背中の生命維持装置が重たく、且つ、関節の折り曲げが自由でないため無理だ」という説明に再反論することはできても、大衆を説得するほどの力はない。

⑦発表された写真の空には、星が見えないという疑問も重要である。反論は、「月面は昼間であり、露出を月の昼に合わせたら星が見えないのはむしろ当然ではないか?」というものである。しかし、月よりも明るく写っている地球を見ると、解像度が十分なら(普通のレベルのフィルムなら)一等星などは当然写って然るべきである。しかし、この議論も素人にとっては押し問答に見える。

⑧この他に、アポロ17号の月を移動する際に用いられた月面移動車の動画では、車が砂を巻き上げて進む場面がある。その砂が放物線を描いて落ちていないという指摘もある。空気抵抗がなければ砂の軌道は放物線を描く筈だが、それについての反論は見つけていない。 ⑨月を有人で往復するロケット技術を持っていない。これは元々ビル・ケーシングの疑問であり、アポロ疑惑の原点であるが、これは素人向きでなくネットで見る議論ではほとんど無視されている。ただ、ケーシングはアポロ計画の早期にロケット設計制作会社を退職しているので、その後の発展については知らないという反論は存在する。ロケット操縦などの困難さについては、後で述べる。

その他に、オルドリン飛行士が月面に降りる際、月着陸線の影の中に居るにも関わらず背中が明るく写っているのはおかしいという指摘、月の岩石上にCという字が書かれているが、これは地上での撮影のためにつけられたに違いないという指摘などの疑問点がある。それらも反論が出されており、素人には水掛け論に見える。これらの疑問点とそれに対する反論はウィキペディアにまとめられて居る。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E8%A8%88%E7%94%BB%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AB%96

これらの個々の反論は一定の説得力があるように感じるが、③⑤⑧の反論が成立するには月表面に堆積したレゴリスの性質に大差がなければならない。つまり、明確に形どられた靴跡、月面車が捲き上げる砂、月着陸の時に着陸船の足が砂を被らないことやほとんど捲きあげない砂などの説明において、レゴリスの性質を場当たり的に都合よく仮定している。

§3:アポロ11号のオルドリン飛行士が月に残したとされる靴跡に関する議論

月面は真空であり、生物はいないので有機物などは存在しない。したがって、砂粒子を集めて粘土状にするには水分が必要である。真空状態の月面では砂はサラサラであり、あのように押し固めたような跡はできない。もし、踏みつけた靴と砂の間に静電気が生じたとしても、それは砂粒子間の反発力となり、一層靴跡が残りにくくなる。重力が存在する月面では、靴のあとは砂にとってエネルギーが高い状態であり、崩れて平面に近づこうとする。もちろん、完全な平面になるには砂粒子間の再配置が必要なので、ぼんやりとした靴跡は残る。地上では水との相互作用による土の凝集性がそれを妨げるので、粘土質の場所であればくっきりとした靴跡が残るが、月面では水はなくあのような跡はできない。

下の写真は、よく引用されるオルドリン飛行士の作った靴跡である。通常は上下逆に映されて居るが、ここではより状況が感覚的に把握しやすいように反転した。つまり、上(前)に深く踏み込んで出来たのだが、真空中にも関わらず靴をあげても窪みも靴跡も崩れないのである。


図(1)オルドリン飛行士が月面に残したとされる靴跡

有機物を一切含まない微細粒子状の砂を用いて、水分もない真空の部屋で実験すれば、このような靴跡は絶対にできないだろう。特に前方の大きな窪みはすぐに崩れ、くっきりとした靴の突起跡も崩れる筈である。

空気中では、砂粒子の表面はエネルギーの高い状態にあり、水分を吸着して幾分安定化(表面エネルギーが低下)する。その代わり、水の表面は大きなエネルギーを持った形で固体表面に広がる。もし近くにもう一つの砂粒子があれば、その界面に吸着した水と一緒になって、水は表面積を狭くしようとする。それが粒子間の引力となり、砂を粘土状にする理由である。

真空中では砂粒子間に働く引力はなく、靴で踏みつければ静電気を帯びて逆に反発するだろう。以上が、靴跡に関する疑惑の説明であり、これがクツガエルことはない。

§4オリジナルな疑問点:アポロ11号飛行士が見た地球の像と着陸地点(静かの海の近く)での太陽の仰角との矛盾

これまで議論されたことのない捏造の証拠になりうる矛盾点を見つけたので、以下それを記述する。NASAが現在公表している動画にApollo_intoro_720p.movというファイルがある。(動画1)それは、アポロ11号のミッションの最初から最後までを簡単に2分間で紹介した動画である。その動画は前回のブログで参考にしたものの前半とほとんど同じである。https://www.youtube.com/watch?v=3TA54Bztdvc(動画2)

動画1の内容を簡単に紹介する。ロケットの打ち上げの後、①動画27秒付近で司令船から離れた着陸船が映される。②51秒付近で着陸船から船外に出る飛行士が映される。外は夜明け前の暗さである。そこであの有名なセリフが語られる。③1分35秒(以下1:35と表記)付近から比較的明るい月表面、そして、立てられた星条旗が映される。その直後、④宇宙船は離陸し(1:48)し、2:00に半円形の地球が映し出される。

アポロ11号はすでに述べたように、1969年7月20日に月着陸する。月面船外活動時間は2h 36m 40sで、月面滞在時間は21h 31m 20s、月周回時間は59h 30m 26sである(2.5日)。着陸地点は、月の静かの海の近くであり、(北緯0度40分26.69秒、東経23度28分22.69秒)である。 ここで注目するのは動画の③で映された星条旗の影から推測される太陽の仰角と、④半円形の地球が月から観測されることの矛盾点である。


図(2)アポロ11号の月面活動の最後の方で映された星条旗と、司令船とドッキング前の月着陸船と遠方の半円形の地球

月が地球の周りを回る軌道と地球が太陽の周りを回る軌道は、下図に示すようにわずか5.14度しかずれていない。今後このズレは議論に影響しないので、地球も月も共通の平面上を周回するとする。地球の自転軸は23.44度地球の公転軸からずれて居るが、今回は地球の像は問題だが自転は問題にしないので今後無関係である。


図(3)地球の周回軌道と月の周回軌道の関係

月から半円形の地球が観測されるのは、月、地球、太陽光が、下の図のような配置になった時である。


図(4)半円形の地球が月から見える場合の配置、アポロ11号着陸地点の位置

司令船がその写真を撮る場合、東から西(時計回り)に周回しているとすると、上図では月の紙面での頂上付近で、月の地平線からのぼる上半分が明るい地球が見えることになる。動画2では、rising earthとしてそのような地球と月の地平線との関係が紹介されている。しかしどういうわけか、動画1には月の地平線が写った画面は紹介されていない。おそらく当初紹介されていた動画から削除されたのだろう。

下図は、月と地球の位置関係がどのように時間変化するかを示したダイアグラムである。太陽光は上から照射され、地球の自転も月の地球周回も反時計方向に回ると描かれている。このあたりは100%出典を信用することにする。


http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_a001.html 図(5)地球と月の太陽に照らされる部分の周期変化

動画1にある半円形の地球(宇宙船から見て上弦の地球)が、動画の最後に映されているので、月周回中の司令船から着陸船とドッキングする前に撮られたとすると(実際に動画2では、船外活動が行われたのは最大2.5日前だから、その時の月齢が4〜5日より小さいことはない。その予想される月齢が最も若い時には、着陸船の外は(動画1のアームストロング船長が月面に出る瞬間の様に)暗い可能性がある。下のその場合の予想図を示す。


図(6)半円形の地球が観測される前には、太陽の仰角は小さいことを示す図

月と太陽の角度は、24時間に12度しか変化しない。したがって、太陽の仰角は着陸地点の経度(上弦の地球の時の太陽の仰角)よりもかなり小さい筈である。以上から、静かの海近くでの太陽の仰角θは、数度<θ<23.5度である。しかし、船外活動の時の動画に星条旗が映し出された画面があり、この時の星条旗の影から考えられる太陽の仰角は30度以上ある。これは明らかな矛盾である。

また、アームストロング船長が船外に出た時にはほとんど暗闇であったが、それが月面活動の間に上記写真のように明るくなることはありえない。その後月面から出発直前に写真を撮ったとしても、太陽の仰角は大して変わらないはず。地球上とは違って、21時間30分の月面滞在時間に太陽は高く昇る筈はないのである。NASAは都合の悪い画面を消していった結果、動画1の様に映写時間の短いものしか残らなかったのだろう。しかし、月から見た地球の画面と星条旗の画面は消すわけにはいかないので、残したのだろう(図2)。

もし本当にアポロ11号が人を月に送ったのなら、人類の偉大な成果であり、NASAは大々的にその成果を表に出す筈である。しかし、現在アポロ計画の紹介はNASAのHPで非常に控えめに置かれている。つまり、タイトルページのmissionsをクリックし、アルファベットの中からAをクリックして、その中に現れるApolloをクリックしてようやく現れるのだ。そして、アポロ11号関係の画像資料は少ししかない。これらのことは、正史を信じるのなら非常に奇異である。恐らく、動画2の全てを含め、もっと多くの画像が嘗てNASAのHPから簡単に入手できたのではないだろうか?

§5 月面周回、月面着陸、地球帰還を成功させるのは、国際宇宙ステーションへの往来に比べて遥かに難しい

先ず、月面着陸の困難さについて考察する。この問題については、すでに以下のサイトに述べられている。この記述の内容は全くその通りだと思うので、以下この問題を概観する。 https://mirustar.blogspot.jp/2016/10/83.html

司令船と機械船及び月着陸船からなる宇宙船が、月の周回軌道に移るプロセスを考えるベースになるのは、上記サイトで自由帰還軌道と呼ばれる軌道である。月の近くまで燃料を使わない慣性飛行で来た宇宙船は、月との衝突を避ける様に月の地球周回軌道の前面をあるスピードで横切るとした場合について、以下のサイトにその軌道上での地球と月の運動がシミュレートされている。 https://mirustar.blogspot.jp/2016/08/30-wikipediafree-return-trajectory.html

月の地球周回速度は、秒速1.0 km(時速約3300km)であり、宇宙船の月の周回軌道上での速度は約1.63km/sである。横切る時に宇宙船は月の引力で加速され、そのまま月に衝突するとした場合、月の脱出速度(2.38km/s)よりも速い速度になっている筈である。

その衝突を避け、月の裏側に回った宇宙船を月の周回軌道(高度約100km;図2参照)に乗せるには、月から見て逆推進を行う必要がある。その為には、宇宙船の姿勢制御とロケット出力の調整を精密に行う必要がある。我々素人には神業に見える。しかしこの問題も、あらかじめ計算しておけば可能であるという専門家の答えを覆す能力は、我々素人にはない。

§6地球帰還における困難:

地球帰還も月着陸にも増して困難だっただろう。アポロ13号は月の周回軌道に入らなかったので、その全軌道はほとんど上記サイトにシミュレーションされた軌道で地球帰還したことになる。そして、アポロ宇宙船11号の地球帰還も、この自由帰還軌道を利用して行われたと書かれている。

しかしこの方法での帰還は、国際宇宙ステーション(ISS)からの帰還と比較して、非常に困難である。ISSは地球周回軌道にあり、そこから離れた帰還船は少しだけ減速すれば軌道は地球方向(内向き)に変化し、その後空気抵抗で減速と加熱が生じるが、断熱をして船内の温度を保つことと、パラシュートを開くタイミングだけが問題となる。軌道計算と速度計算がしかるべくされていれば、姿勢が安定している宇宙船なら計算通り進むだろう。

これと比較して、月からの帰還には二つの困難が存在する。一つはISSの高度くらいに地球へ近づく時、そのスピードは11km/秒程度と非常に高速になっていることである。ISSからの帰還における初速は8km/秒程度で、そのエネルギー(速度の二乗に比例)は月から帰還する場合の約半分である。つまり、ISSからの帰還の場合と同じ角度で地球に突っ込んだのでは、衝突して粉々になるか燃えてしまうかどちらかだろう。それを防ぐには、ISS よりもより小さい角度で地球の大気圏に入り、時間をかけて宇宙船の運動エネルギーを消費する必要がある。


図(7) 地球帰還をするための宇宙船の軌道 

上図の軌道の①や②では、再び地球から遠ざかり、しばらく楕円軌道を回転し、数日後に再び地球に再接近するだろう。この軌道を適正にとることの難しさが一点。上の図で③の経路を取ることに成功したとして、地表近くに来た時パラシュートで軟着陸できる程度に減速できているかがもう一つの問題点である。上図は大気層を1200kmとして描いた場合であり、この1/40程度の薄い層の中に大気の99%が存在することを考えると直感的には無理だと思う。

ISSからの帰還の場合は、既に述べた様に、地球を周回しながら徐々に減速することは可能である。しかし、月からの帰還船の場合、地球の大気との一回限りの相互作用でISSが減速の為に接触する空気層の距離の倍の距離をパラシュートが開く前に進まなければならない。その為にISSの場合の半分の浅い入射角を取らなければならない。それは至難の技である。本来、相当に大きな逆推進ロケットを使って減速し、地球周回軌道に一旦乗ってから、帰還するのが普通の考え方だと思う。

§7 最後に

この小文で指摘した原理的に説明困難な疑問点は、①オルドリン飛行士のくっきりとした靴跡など月面には残らないだろうという点と、②アポロ11号のミッションで、月周回中の司令船と月着陸船とのドッキング前に、半円形の地球を観測したこと(動画1には着陸船は映っていない)と、着陸地点で星条旗の影から計算した太陽の仰角とが矛盾する、の2点であった。

その他は、「非常に困難に見えるけれども、専門家の計画は非常に緻密だ」と言われれば、素人にはそれ以上立ち入ることはできない類の疑問点である。

ただ、本当に月に行ったのなら、NASAは今でも大々的にその成果を表に出すはずである。また、月に我々はいるということを明確に示す実験をやっているはずである。例えば、100mLの水をあの月面とされる広い空間でオープンにすれば、一部が蒸発して直ちに凍るだろう。そのような類の実験はたくさんある筈で、そのようなデモンストレーションをしなかったのは、月に行けなかった証拠と言えると思う。

(2017/1/2 一部語句の編集あり)

補足:
1)ネットではこれらに関して賛否両論の多くの動画が発表されている。上記BBCの番組を短く編集したらしい動画もある。 https://www.youtube.com/watch?v=MHHI87ePoqE
2)NHKはある程度説明可能な疑惑を選んで、中途半端な再現実験を行なっている。例えば、①の疑問について、旗が真空中でも支柱の回転により、長時間はためくことを高校レベルの化学実験装置を用いて見せている。それは、実験するまでもないことである。実験するのなら、同じ位の大きさの旗を用いて真空室内で実験すべきである。ただ、この様な初歩的なところで疑惑が出る様なミスをNASAがする筈がない。②と⑦の説明も極当たり前のことを言っているだけで、それで説明可能ならBBCが取りあげる筈がない。疑惑③については、月面は地上よりも硬くなっているとしてなされた。しかし、それは他の画像に砂をけって歩く宇宙飛行士の姿が写っているので、全く説得力はない。

月に関するデータ:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%88

直径:3475.8 km(東西方向、赤道)、3471.3 km (南北方向);
平均密度:3.344g/cm;表面重力:1.622 m/s^2 (地球では、9.8 m/s^2)地球の1/6
脱出速度(第二宇宙速度):2.378 km/s ;月表面での周回速度(第一宇宙速度)は脱出速度の二乗を二で割り、それを1/2乗したもの;
尚、アポロ宇宙船の周回高度(h)とされる100kmくらいでは、速度は6%程小さくなる。周回速度vの二乗は回転半径(R+h)と重力加速度の積の倍である。
{v^2=2gR(1-2h/R)*(1+h/R)≈2gR(1-h/R)}
月の平均軌道速度 1.022 km/s

2016年12月18日日曜日

経済協力は平和条約締結のための雰囲気作りか?

ロシアのプーチン大統領は、「日露の経済協力が平和条約の締結に向けた雰囲気作りになる」といった。これは、「日本が十分経済協力しなければ、再びドンパチやってもいいんだぜ」という脅しと解釈できる。勿論、再度ドンパチやる気などなく、経済協力を引き出すために凄んだのだろう。そういう手を使う一派はどこの国にもいる。一度戦争で奪った領土を取り返すということは、もう一度戦争をすることを意味するのはほぼ常識なのだろう。

それにも拘らず、雰囲気という柔らかい言葉をありがたく頂戴して、回りくどい議論をしているのが、元外交官の佐藤優と自民党国会議員の鈴木宗男だと思う。「彼らの頭の中は複雑で、電源が二つあり、しかも部分的に回路がショートしている」と言われても仕方ないだろう。

プーチン大統領は、そしてほとんどのロシア人も、「日本は何故70年も前に決着のついたことをグジグジ言っているのか?」と思っているだろう。一般のロシア人は、降伏条件に同意するむねの通知をした後に、武器を持たない日本人に火事場泥棒的に襲い掛かったロシア軍のことなどほとんど知らないのだろう。中立条約を結んでいたなんてことを知っている人は、更に少ないだろう。

日本もいい加減に小さい歯舞や色丹島など諦めたらどうか。経済協力抜きで平和条約を結べば良い。相手が歯舞や色丹も返さないのに、仲良く経済協力しましょうなんて、アホを通り過ぎている。お前には、電源二つ入っているのだろうと言われても仕方ないのではないか。

一行目に書いた文章の意味(プーチンの本心)がわからないのだろうか。日本人のほとんどは、未だそれを「日露の密接な経済協力は、領土返還のための雰囲気作りだ」と読み替えているだろう。情けない。

千島列島の領有権はサンフランシスコ講和条約で放棄している。それは吉田茂の国会答弁と、それを補足する西村条約局長の「放棄した千島列島に南千島も含まれる」という答弁が明確に示している。また、歯舞色丹における行政権もGHQにより停止されて、ロシアの占領をGHQは認めている。

兎に角、あの国は奪ったものは返さないと言っているのだ。それにも拘らず、返さなければ平和条約を結ばないということは、何れ国境紛争が起こる可能性があると解され、ロシアに北方4島での軍備強化の口実を与えることになると思う。もう少し普通の感覚で考えられないものなのか?

あの国は第二の核保有国である。その国と戦う力など小指の先ほどもないのだから、のらりくらりと顔では仲良いフリをしながら、実質的に何も協力しないのが普通のやり方である。

安倍総理も甘く考えていたようであり、所詮戦後の平均的日本人の感覚を超えていないということだとおもう。旧島民の手紙をプーチンに渡すことにどれだけの意味があるのか。何がウラジミールだ。西欧文化の感覚を持っていないのだから、ファーストネームなんか使うべきではない。

プーチン政権がウィキリークスなどを用いて、トランプ氏を次期米国大統領として当選させた時に、日本に対する態度が急変したことがわかった筈だ。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/11/blog-post_15.html ロシアは、シリア問題、ウクライナ問題、米国、NATO諸国などの全ての国を念頭に置いて日本との関係を考えているが、日本は日本とロシアの二カ国関係に精々米国くらいしか考えてこなかったのではないか。

国際政治の厳しさを今こそ、日本政府と全国民は学ぶべきだと思う。

補足:
以上は日本人有権者としての愚痴です。先日のスケートグランプリシリーズで優勝したロシアのメドベージェワは日本語で日本の歌を歌っていた。一般のロシア人には、片言の日本語を覚えている人も多い。私も一時期ロシア人と共同で仕事をしたこともあり、もともと敵意はない。ロシアが独裁国からもう少し開かれた国になることを希望する。

2016年12月16日金曜日

現在進行している日露両国の平和条約締結交渉はノーマルなものなのだろうか?

1)昨日からプーチンロシア大統領の訪問についてテレビが盛んに報道している。直前の記事でも書いたように、日本ではこの問題を北方領土返還交渉のように考える人がほとんどである。安倍総理がプーチン大統領に旧島民の手紙を渡したということだが、それはこの日本の考え方と一致している。多分ロシアでは、極東経済開発問題として考える人が多いだろう。

  しかし、大事なことは日露平和条約の締結の筈である。それは第二次世界大戦で戦ったロシア(ソ連)と日本の間での本当の意味での戦争終結である。その原点を忘れているのではないのかと思ってしまう。

その原点から見て、今考えられている経済協力はどういう意味があるのか?中国(や韓国)との平和条約(基本条約)の締結の際に約束された経済協力は、戦後賠償金の意味を持っていた。日露の間で戦後賠償金の支払い義務があるのか、もし無いとロシアが言うのなら領土問題だけが残されているのではないのか。

  歯舞群島は、休戦協定後に武装解除の形で乗り込んだロシアにそのまま占領された。その後、GHQにより日本の行政権が停止された。そのようにウィキペディアには書かれている。しかし、このようなプロセスを含めて、日本がサンフランシスコ講和条約を結んだのなら、仮にソ連が署名しなかったとしても日本に領有権はないだろう。

つまり、歯舞島と色丹島については、ロシアは第二次大戦で占領したので領有権は当然ロシアにあると主張すれば、それを覆す権利は敗戦国には無いだろう。そこに異論があるのなら、将来の経済協力ではなく、そこを中心に話し合うべきではないのか。

平和条約は、従来の国際的慣習に従って戦争の清算として淡々と行うべきであると思う。取られた領土に未練がましく縋るのではなく、国際的慣習に照らして最も合理的だと思われるように帰属を決めるべきだと思う。ここまでの段階で、双方が合意に到達するのなら、平和条約締結に支障はないと思う。

しかし、経済協力が平和条約の雰囲気作りのために必要だとロシアが主張するとしたら、それは戦争状態に戻るのか経済協力するのかと言う脅しである。それは平和条約の交渉をする時の話ではない。

安倍総理の8項目経済提案も、ODAのようなものではなく、日本の私企業がロシア内でロシアの法律に従って行うことであり、相互の経済的利益を見込んでのことだとテレビなどで解説されている。そのような経済協力の約束をして、4島または2島を平和条約の締結時に引き渡してもらおうと考えるのは、ノーマルな考えでは無いと思う。

日本政府は、経済援助(ロシア側にプラス)と4島(2島)返還(ロシア側にマイナス)をかき混ぜて液状にし、それに平和条約というネタをつけて、大きな天ぷらを揚げようとしているように見える。ネタが、衣との相性が悪くて、衣がうまくネタに絡まないにも拘らず、そのようなことをしてきたため、今まで平和条約の締結が遅れたのでは無いのか。

別の言葉で言えば、経済の時間軸と政治の時間軸を別々にとりましょうと言うような、インチキの合意は後々禍根を残すことになってしまうと思う。

2) もちろん、休戦協定締結ののち、占領した土地を自分の領土だと主張することが許せないと言うのなら、それを日本側が主張するべきである。それが受け入れられないのなら平和条約締結を諦めるのなら、それは一つの決断である。その代わり、日本は防衛問題をそれに沿って考えるべきである。

これまでの日本の対露平和条約に対する姿勢は、選択項目の中にないことを必死に考えているように見える。

2016年12月15日木曜日

対露平和条約交渉を考える

1)今日ロシアのプーチン大統領一行が山口県で安倍総理と会談するようだ。日本ではこの問題を北方領土返還交渉のように考える人が多い。多分ロシアでは、極東経済開発問題として考える人が多いだろう。そのように双方が考えている限り、ゴールには到達しないだろう。

一時期日本では、面積半分で折り合いをつけるとか、二島先行返還とかの楽観論が多かった。しかし、最近のプーチン大統領の「領土交渉はしない」という発言を聞いて、ガッカリする人たちやそれでも進展があると力説する人などに分裂している。

昨日の読売新聞朝刊の一面トップは、表題“四島交渉「別の問題」”及び副題「共同経済活動 露の主導下で」という記事であった。それによると、プーチン大統領はロシア大統領府で、読売新聞東京本社の編集局長と日本テレビの解説委員長の質問に答えて、(平和条約締結の)「チャンスはある。パートナーの柔軟性にかかっている」と述べ、更に、四島の帰属問題の提起は「日ソ共同宣言の枠を超えている。全く別の話で別の問題提起だ」と、平和条約締結と関連しての国後と択捉の引渡しはあり得ないと明言した。また、安倍総理の8項目経済協力プランについては、平和条約を締結する「条件ではなく雰囲気作り」との認識を示した。

本題からずれるが、この“8項目の提案は平和条約締結の「条件ではなく雰囲気作り」だとの認識”という文章(文節)の意味がわからない。提案するだけで雰囲気作りができたのか、それを互いに実行することが雰囲気作りなのか? 肝心なところを曖昧に書いてしまう新聞社の無能さには呆れる。(補足1) しかし、多分後者の意味だろうと推測する。8項目の経済協力に合意して副題にあるようにロシア主導でそれらを実行するのが、単なる雰囲気作りなら、今回の平和条約締結はあり得ない。

多くの解説者がいうように、プーチン商店が値引き前に定価を上げているのなら、今後の安倍総理の交渉力にかかっている。しかし、プーチン大統領の本音がその言葉通りなら、こちらも諦めて、さっさと文字通りの意味でご馳走をしたのち帰ってもらうしかない。

2)どうやら、今回の平和条約締結交渉は暗礁に乗り上げることになるだろう。今回の件、日本の報道も政治も浮き足立ったことを認め、将来を考える上での参考にすべきだと思う。高い塀に囲まれていると思って安心して眠っていたが、自分の箱庭の外は厳しい冬の荒波が押しては引いているのである。つまり、今回の日露間の問題は、主に日本の問題でありロシアの問題ではないということである。また、プーチン大統領の姿勢の変化から、ロシアにとって日本は単にアメリカという獅子の尻尾に過ぎないということを再認識すべきである。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/11/blog-post_15.html

日露関係が将来どうあるべきかという問題を考えるには、まず日本が世界の中でどういう位置を占めることになるのか(占めるべきなのか)という問題に一応の答えを得ることが条件である。しかし、その答えは明確には出ないだろう。何故なら、日本国は戦後70年以上経っても、未だに「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」するとか、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する(日本国憲法前文)」とかいうレベルの国際感覚しか持たない、12歳程度の世論しかない国なのである。

終戦後の70数年間、日ソまたは日露平和条約の話は、ロシアにとってニート少年への不動産引渡交渉のような感じかもしれない。まともに平和条約締結の交渉をするためには、単独で国家としての体裁を整えることが前提だと思う。米国でトランプ氏が次期大統領に決まり、世界の政治や経済が今後グローバル化に進むという考え方が一気に後退したように思う。その代わり、世界は今後国家間でできるいくつかのブロックで構成されるようになるだろう。日本は現在英米ブロックの端に位置しているし、その延長線上以外に日本の位置を求めることは、日本国の中枢と日本国民の意思に相当の成長がなくてはあり得ない。

日本は、米国、中国、ロシアの三ヶ国の間で、どのような位置を確保できるか、わからない。三つの強国よりも二つの強国に囲まれる方がましかもしれない。ロシアが、「1年間有効期限の残った日ソ中立条約の一方的破棄、弱り切った日本への攻撃、民間人の強姦や虐殺、大量の日本人をシベリア抑留したこと」などに対して何の心理的負担が無く(ロシアの民意がプーチン大統領の言葉通りなら)、且つ日本にとって日露経済協力が必須の要件で無いのなら、あえてロシアへの経済協力に努力する必要はないような気がする。もっと言えば、日本の将来と比較して、4島問題なんてどうでも良いくらいの小さい問題なのだ。

補足:

1)“8項目の提案は平和条約締結の「条件ではなく雰囲気作り」だとの認識”という文章の中での「提案」は、「提案の実行」という意味だという声が読売新聞の方から聞こえてきそうな気がする。この種の曖昧さが日本語には非常に多い。ケントギルバートが以下のように言っていた。「私はバイリンガルなので、日本のことを書くときには日本語で書き、米国のことは英語で書く。そして、それをもう一方のメディアに送るときに翻訳する。そのとき、英語で書いた原稿を日本語にするときは簡単だが、その逆の場合はいつも難しい」と。私も日本語の特徴というか欠点をブログなどに書いてきたが、日本語の文章は、論理のロープを手繰るようにしないと誤解してしまう。

2016年12月11日日曜日

陰謀論とは何か?:朴正煕元韓国大統領暗殺事件の簡単なレビュー

1)歴史は複雑に絡んだ膨大な出来事の中から、一部を取り上げて原因と理由の論理でつなぎ合わせた物語である。したがって、歴史を書いた側の事情により、いろんな歴史が存在する。”陰謀論”とは、正史とされる歴史を編纂した権威が、ある出来事に対する異なった解釈に貼り付けるラベルだと思う。

今朝久しぶりに時事放談を見た。最初の話題は、韓国大統領の朴槿恵氏が友人のチェ・スンシルに国家機密を漏洩したとして弾劾された件であった。ゲストの石破茂氏はこの件と40年前の朴正煕元大統領暗殺事件との関連を語った。つまり、母親が殺されたあと朴槿恵に近づいたのが、チェ・スンシルの父親で、キリスト教系新興宗教の開祖である崔太敏であったが、その後両家の家族ぐるみの付き合いに発展した。そのことが大統領として適切でないと、当時KCIA部長だった金載圭が朴正煕に指摘した。しかし、全く聞き入れなかった朴正煕に立腹して暗殺したと言うのである。 政府与党の重鎮である石破茂氏がテレビ番組で言うのだから、しっかりとした情報であるだろうと私は思った。おまけに同席した仙谷由人氏も司会の御厨貴氏も何も異論を出さなかった。(補足1)

しかし、ウィキペディアには全く異なった情報が書かれていた。この事件は、学生による反政府運動に対する取り締まりが緩いと、当時KCIA部長だった金載圭が朴正煕大統領に叱責されたことが原因で、それを恨んだ金載圭が朴大統領と車智澈大統領府警護室長を射殺したと書かれている。この時、金載圭は部下に大統領府警備員(車智澈の部下)の射殺を命じている。つまりKCIAが組織的に行ったのである。

一方、日本の公安調査庁の元調査第二部長であった菅沼光弘氏の理解する朴正煕大統領暗殺事件の様相はこれらと全く異なっていた。菅沼氏が得た情報では、朴正煕大統領は中国や多くの国に核兵器が拡散していく状況下で、核武装しない国家は真の独立国家とは言えない(なり得ない)と考え、日本の協力を得て核開発を目指したこと。その姿勢が米国の逆鱗に触れて殺されたと言う。KCIA部長の金載圭は暗殺の際に、「閣下死んでいただきます。私の後ろにはアメリカがいます」と言ったと、菅沼氏はその動画で話されている。 https://www.youtube.com/watch?v=xCTfGiUpZVc&t=337s

これらの説は全く異なった話であり、真実は一つであるから、少なくとも二つは捏造された事実を用いて書いた”歴史”である。もし、この三つの説の中に真実があるとすれば、菅沼氏の紹介した説であると思う。なぜなら、ウィキペディアに記載されている事件の進行は、暗殺事件が組織的になされたことを示しているからである。つまり、組織としての明確な方針が決定されていなければ、上司といえども国家要人の暗殺を部下に命じ、それがスムースに実行されるとは思えないからである。

その後、金載圭は絞首刑となったが、彼は使い捨てにされたのだろう。金載圭にとって、その時にKCIAの部長であったことが不運だったのだろう。このケースがその後の日本の政治にも影響しているかもしれない。日本も中国が核装備した佐藤内閣の時に、核装備を検討したことがあるが、佐藤首相は簡単にそれを諦めている。(補足2)このとき、米国に日本の核武装は許さないとを刺された筈である。その時用いられたハンマーは、朴正煕暗殺事件ではなかったかと想像する。

2)朴正煕大統領暗殺の件では、真実は陰謀論の方にあると思う。政治が嘘と誤魔化しの世界である以上、正史が真実と程遠いのはあたりである。正史と真実がかなり近いのは、科学の分野くらいだろう。それでも、利害と絡んでくると捏造が出てくる。

利害とは科学者が職業として成立するようになれば、より高い給与や名誉と真実究明が競合関係になるからである。例として、STAP騒動は未だに記憶に新しい。また、国家の名誉や国際的地位などと絡んでくれば、巨大な捏造もあり得る。その意味で、ノーベル賞は科学の発展に良い影響ばかり与えるとは限らない。個人が科学研究の道へ向かう動機として、自然への興味の他に個人的で世俗的な目的となり得るからである。

「陰謀論に走ってはおしまいだ」と言って、主流派に占める自分の地位を守るのは、全く真実に興味がない世俗的な人の行為である。また国家のトップにあるものが、自分の命を第一に考えていては、矛盾だらけの正史と多くの陰謀論の国になるだろう。

(編集、12/12 7:00) 補足:
1)この番組の面白くないところは、ゲスト二人は自分の思うところを述べるだけ、司会者はそれらを聞くだけ。互いの議論も議論から浮かび上がる真実もないところである。
2)1967年12月11日、佐藤総理は衆議院予算委員会で次のように答弁した。「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まないというこの核に対する三原則、その平和憲法のもと、この核に対する三原則のもと、そのもとにおいて日本の安全はどうしたらいいのか、これが私に課せられた責任でございます。」と述べた。(ウィキペディア)

2016年12月9日金曜日

日本国憲法とお経について:日本語の欠陥に関連して

1)日本語は、論理的な議論に向かない言葉である。その論理展開の不自由さを埋め合わせるように日本語に生じたのが、言葉に予め価値や意思などを含ませることである。つまり、単語一つで意思、感情、そして情報の伝達をある程度行うのである。例えば、一人称主格は英語ではI(私)だが、日本語では私の他に、俺、僕、拙者、小生、我、我輩など10数個の単語がある。その中から一つを選択した段階で、元々の意味の他に背景や感情などを伝達するのである。

単語に価値とか善悪を暗に含ませることは、日常会話でも普通に行っている。もちろん、善や悪の様に価値の尺度を直接示す言葉は英語でも何語でも存在するが、そういうことではない。例えば、「女」という単語には悪を、「女性」という単語には善悪とは無関係という価値(辞書にない共通の感覚)を植え付けているのである。

それは、NHKニュース等でよく聞く以下の文章を見ればわかる。「昨日、50歳の女が隣家に押し入り、65の女性を暴行し、全治3ヶ月の怪我を負わしました」の文章で、“女”という単語と“女性”という単語は、入れ替えることはできない。何故なら、上記のように女は悪い方に使うと決まっているからである。女という単語を使って、女性の意味を表すには「女の人」と人をつける。「人」は一般に善良なる社会人を意味するからである。従って、「人でなし」は悪い人であり、善良なる性質を失った人のことである。

辞書に記述されない価値や善悪などの意味を言葉(単語や文章)に含ませるのは、日本語に独特だと思う。この言葉の使い方は、論理展開なしに情報伝達が行えるので意思伝達の効率を上げることになる。なぜなら、「あの女」で始まる言葉を聞く人は、話手がこれからその女の人を非難することが予め解るからである。

2)この便利さは同時に危険性でもある。つまり、一旦社会に受け入れられた言葉に、人々は金縛り状態に陥ることが往往にしてあるからである。例えば現在の日本国憲法を考えてみる。用いられた単語とそれによる文章に付随した絶対的価値のため、憲法前文や9条第一項を変更することは、日本国民にはできないのである。

前文の2節目の最初の文章は、美しい単語、「平和」、「崇高」、「理想」、「公正」、「信義」などで飾られている。それらは議論を通して定められたルールではなく、ただ拝むだけの対象でしかない。憲法9条第一項も同様に、読経のように唱えるのには美しいが、論理は滅茶苦茶である。(補足1)

もう一つの日常的な例をあげる。11月中旬になるが、帰省して父親の法事に参加した。そこで何時ものように坊主は仏壇の前で経を読む。般若心経から始まり、その他に二つ念入りに読むのだが、参加者は全てその意味を知ることはない。ただ仏壇に向かって座り、こうべ(首)を垂れているだけである。頭の中では、それぞれが全く別のことを考えているに違いない。

このように、文章を聴きながらその意味を考えずに拝む習慣は、議論や討論の習慣とは同居しない。その結果、日本人に出来る議論に似た行為は、口論と喧嘩だけになってしまったのではないだろうか。

経でも憲法でも、その言葉の意味ではなく、その言葉自体が有難いのである。それを象徴する出来事として、玉音放送がある。大日本帝国(補足2)が、天皇の決断により連合国側の示した降伏の条件(ポツダム宣言)を受け入れることになった時、天皇陛下の言葉が全国放送された。多くの国民はその意味がわからなかったが、土下座して有難い天皇陛下の言葉を聞いたのである。(補足3)

3)その日本語の特徴を巧みに利用する連中が永田町にも大勢いる。強行採決という言葉がよく新聞にも掲載されるが、それを与党の横暴であると考えている人も多いだろう。しかし、「民主主義」を標榜する国家なのだから、一定の議論の後、議長の判断で採決するのは「強行」ではない。「強行採決」は「強行」という悪い意味を「採決」にかぶせることで、選挙民にあたかも与党の法案採決をまるでゴリ押しであるかの様な印象を与えるために、野党の誰かが発明したのだ。(補足4)

「陰謀論」或いは「陰謀」もそのような類の言葉である。これらの言葉にも強い負の価値が付随している。そこで、ある二つの勢力間に政治的企みがあった時、どちらかの企みに対して「陰謀」という烙印を押すことに片方が成功すれば、そこで差し当たり勝負は決する。陰謀は悪だから支持を失うからである。

例えば、ウクライナのクーデターとその後起こったクリミアの独立とロシアへの併合が国際的な問題になった時、米国がヤヌコビッチ大統領を倒すべく陰で動いたとの指摘を、日本の評論家や政治家は陰謀論の烙印を押すことで封印した。そして、米国に追従し他のG7諸国と歩調を合わせてロシア制裁に動いた。(補足5)

日本では、テレビで活躍の対米追従型の元外交官の方々が、その封印作業に大きな役割をしたと思う。その陰謀論と烙印を押された意見は、例えば馬淵睦夫氏らによりyoutubeなどで紹介されるのみで、一般のテレビ放送や新聞の報道には決して登場しなかった。

つまり、陰謀論という烙印は真実に目を向けさせないための道具として屡々用いられる。日本ではそれが極めて有効であり、米国のマスコミに話題に上ることでも、日本のマスコミには決して現れないケースが多々ある。今回の米国大統領選でトランプ氏が勝利したが、新しい体制になればロシアとの関係が見直され、上記の件も陰謀論の烙印が剥がされるだろう。

かなり以前から、アポロ宇宙船が本当に月着陸を果たし、船員が月の地面を踏んだのだろうかと言う疑惑がある。「アポロ宇宙船により人間を月に送ったという話は、米国の壮大な捏造である」との疑惑についてのyoutube動画に私もコメントをした。

そこでも、「米国の捏造ではないか?」という議論は陰謀論に分類され、日本では忌み嫌われている。NHKはその説に陰謀論の烙印を押すことに協力する内容の放送を、非常に粗雑な実験と論理で行った。すでに書いた様に、私は月の地面の残されたと言うくっきりとした靴跡と、アポロ13号乗組員が機械船の爆発事故の後、月着陸船に乗って無事帰還したことの両方に疑問を持ち、現在捏造疑惑の方を支持している。

元々善悪の衣を着た言葉の他に、凄惨な出来事を経験した人たちに悪の衣を着せられた言葉がある。例えば、「原子力」と「核」である。広島と長崎で原爆が投下されたことにより、一般市民はこれらの言葉に強い負の意味を感じることになった。前にも書いたが、論理的思考に慣れない人々は、まるで原爆が無差別殺人の犯人のような感覚から離れられないのである。それを利用して、ノーベル賞をもらった人がいる。(補足6)

(18:30加筆編集)

補足

1)9条第一項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」である。希求すれば実現するので、武力の行使は不要である。万が一希求したにもかかわらず実現しなければ、我が民族の希求に誠実さが伴わなかったことを意味する。その場合、我が民族は滅んでも仕方あるまい。

2)自国の名に大をつけるところから、この国の言葉はどこか変である。

3)朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス 日常語と全く異なる言葉で、ポツダム宣言受諾と日本が戦争に至った理由を話された。しかし、その意味が理解できなかった人が多かったというのも分かる。http://news.livedoor.com/article/detail/10471284/

4)日本の主たる野党は、マッカーサーにより反日政党として育てられたという見方が存在する。

5)元外交官の馬淵睦夫氏や外交評論家の田中宇氏らは早くから米国の介入を紹介していた。最近、オバマ大統領がそれを認めたということが、以下のサイトに述べられていようだ。 https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2015_02_03/282671141/

6)核兵器が大量無差別殺人をしたので、核兵器が憎い。そこで、「核兵器は持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を堅持すると言って、人気を得てノーベル平和賞に輝いた人がいた。しかし、「核兵器を日本に打ち込ませず」の言葉はないし、その言葉はむしろ上記三原則と対立する。あの方は、日本人の言語感覚をよく知っていて、それを用いて自分の地位を築き、結果として日本民族を裏切った卑怯者である。

2016年12月6日火曜日

安倍総理の真珠湾訪問を支持する

1)安倍総理は、12月26,27日に真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊する式典に、日本の総理大臣で初めて出席することになった。これは新しい時代には、歴史に区切りをつけて新しい外交をおこなうという知恵を、改めて世界に示す(補足1)ことになると思う。

真珠湾攻撃についてはいろんな歴史的解析が存在するが、それは歴史学の問題であり、現在の政治の問題にしてはならないと思う。米国には奇襲攻撃されたという言い分があり、日本には、米国の制裁に耐えかねて先制攻撃をせざるを得なかったとか、米国は無線を傍受して正確に日本の攻撃を予め知っていたとか、の歴史家の分析がある。しかし、それは講和条約という形で、互いに乗り越えた筈の過去である。

今回の安倍総理の知恵ある決断は現実的なものであり、理想主義的な勢力(原理主義者)からは非難を受ける可能性がある。理想主義者というのは、人間の知恵や能力の限界とか複雑な世界の中に生きている現実などを十分考慮せず、言語に用意された論理とそれによる思考で”正しい方法”を導き出せば、全て解決できる筈であるし、されねばならないと信仰する勢力である。

日中国交回復の際に、周恩来が田中角栄に贈った色紙の文章は、「言必信、行必果、脛脛然小人也」(論語、子路編)の最初の6文字であった。この由来から、周恩来は日本をそして田中角栄の外交をどう見ていたかが理解できると以前のブログで書いた。それは、鬼塚英昭という人の書いた「田中角栄こそが対中国売国者である」(成甲書房、2016/3)という本から学んだこと(あるいは受け売り)である。

上記子路編の言葉は、孟子の中の文章「孟子曰、大人者言不必信、行不必果、惟義所在」という言葉と対をなしている。その訳は、「大人(たいじん)は言うことを必ずしも実行しない。またやっている事業を必ずしも貫徹しない。ただ、義のあるところに従ってなすだけである」である。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42762695.html(今年4月24日のブログ)

安倍総理は、日本国民に対する義を果たすことが大人(たいじん)のなすべきことであり、それは現在と未来の日本の国民に、安全と繁栄をもたらすことであると思っておられる筈である。一旦政治的に乗り越えた筈の歴史に、政治の舞台で拘泥するのは愚かである。今我々のもつ歴史書は真実を抽出して体系化したものであると、信頼を置くのは士(学者)のやることであり、大人のすることではない。

2)トランプ氏が次期大統領になって、日露交渉におけるロシアのプーチン大統領の態度が急変した。そのことについては、ウリュカエフ大臣の逮捕のニュースの翌日にブログに書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43056082.html

その後、徐々に日露の交渉が暗礁に乗り上げる可能性が高いとか、二島返還も実現しないだろうという分析がなされるようになった。こちらの方は歴史を乗り越えていないので、過去の歴史を振り返り日本の言い分を交渉に反映させるべきだと思う。

この件、日本の世論を引っ張っている新聞などは、二島とか四島とかいう問題をあまりにも重視しすぎである。これは、大国である米国、中国、ロシアの三国の間に挟まれて、非核保有国である日本の将来の生きる空間を如何に確保するかを、第一に考えて交渉に臨むべきことなのである。日露問題は、日中問題であり、日米問題でもあるのだ。

政府筋は否定するのが当然であるが、今回の安倍総理の真珠湾での慰霊祭への参加決断は、この日露交渉の難航を予想したことも一つの大きな動機だと思う。また、次期大統領のトランプ氏と会談を早々と行うなど、オバマ大統領にとっては決して愉快なことではなかった筈である。その気持ちを払拭する意味や、オバマ大統領の広島訪問に対する返礼の意味も込めて、もうすぐ退任されるオバマ大統領への表敬が最大の動機だと思う。非常に優れた決断だと思う。

補足:
1)書くまでもないが、過去の歴史を歪曲した上で、対日本外交に利用している韓国、朝鮮、中国に対して、”歴史と正しく向き合うこと”とはどういうことかを教えることになると思う。

2016年12月3日土曜日

歌謡曲の詩と日本に残る封建的精神

1)今朝の阿川佐和子さんのトーク番組のゲストは梅沢富美男さんだった。そこで、梅沢さんの好きな曲として紹介されたのが、小椋佳の作詞作曲の「少しは私に愛を下さい」だった。https://www.youtube.com/watch?v=p5vsCdyaIII その歌(詩)が興味深く、ここで私の感想とともに紹介したい。

少しは私に愛をください。全てをあなたに捧げた私だもの。
一度も咲かずに散ってゆきそうなバラが鏡に写っているわ。少しは私に愛をください。
たまには手紙を書いてください。いつでもあなたを想う私だもの。
あなたの心のほんの片隅に私の名前を残して欲しいの。たまには手紙を書いてください。
みぞれの捨て犬、抱いて育てた優しいあなたを、想い出しているの。
少しは私に愛をください。

上記youtubeのサイトでは、小椋佳のほかに来生たかおと井上陽水が歌っている。女性が独立した人格を持たないほどの男女の従属関係を悲しく歌っている。この歌だけでなく、同種の歌詞は人気ある歌謡曲として多く存在している。例えば、都はるみの歌ったヒット曲「北の宿から」でも、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」でも、心が移った男性と従順にもそのあとを追う女の心が歌われている。そのような関係に対して両性に一定の理解がなければ、この歌詞は人気の出る歌として成立しない。女性が心底嫌うのなら、これらの曲はヒット曲とはならなかっただろう。(補足1)

2)ブレジンスキーの本に「ひ弱な花」がある。その中で、日本に残る封建的人間関係を論じている。そして、仕事場での人間関係を見て「既成の権威に対する服従がかなり徹底しており、高度な階層的秩序が広く容認されている」と指摘している。外国人には特徴的に見えることでも、当の日本人には普通にしか見えないので、未だにその慣習というか文化に変化はない。

非常に極端な人間関係を歌った上記のいくつかの詩を、伝統的権威に対する従順な日本人の姿を描いていると見るのはおそらく正しいだろう。上記の歌は、それを男女間のものとして歌ったものであるが、その精神は主従の関係にどっぷりと浸かる日本的人間関係のものである。

一例として、非常に閉鎖的な日本の労働市場を考えて見る。その根本に、「忠臣は二君に仕えず」という封建思想の変形された集団心理が存在していると考える。そして、学校(大学)を卒業後に入社した学生は、終身雇用の制度によって、会社との間に擬似的な主従関係を築くのである。その労使の関係が崩れつつあるが、依然としてそれ以外の労使関係としては、最も原始的なものしか存在しない。

このような労使関係での賃金は、成果とその報酬という関係で決まらない。その代わり、労働者は年齢とともに変化する生活経費を雇用者から受けるのである。つまり、年功序列とは主従関係の賃金体系であり、決して近代的な労使関係のそれではない。

補足:
1)女性が心底嫌うのなら、男性もそのような関係は好ましくないと考えるはずである。一般に男女の関係は、グループが生き残るプロセスの中で、仕事の分担と同時にできたと考えられる。たんなる好き嫌いの問題ではなかった筈である。

2016年12月1日木曜日

北朝鮮に対する国連安保理の制裁決議について

ニュースによると、北朝鮮の5回目の核実験を受け、国連安全保障理事会は30日午前(日本時間同日深夜)、6度目となる新たな制裁決議案を全会一致で採択した。この制裁は、北朝鮮の主要な外貨収入源である石炭輸出に上限を設定した内容で、疲弊する北朝鮮経済に打撃となると考えられている。そのほか、鉱物資源の禁輸や、船舶などの北朝鮮への輸出禁止、金融制裁、などを強化する内容である。

読売新聞によると、米国は中国に対して制裁の強化を呼びかけ、決議案を日本や韓国と協議の上で書いたという。両国とも、米国のいいなりにしか行動できないのが情けない。それが国際社会の掟なのだろうか?

この様な出口を塞いで制裁強化する姿勢では、北朝鮮の暴発を催促するようなものであると思う。米国は、北朝鮮を攻撃する口実として、日本の三沢あたりへ核ミサイルを打ち込むか、韓国に対する奇襲へと仕向けているのではと疑ってしまう。ベトナムのトンキン湾事件や日本による真珠湾攻撃と同じパターンである。 

もしそうなれば、その後、米国の核の傘の値段は暴騰し、日本や韓国から富の収奪ができる。米国の軍需産業の需要も増加して、景気浮揚の一つのエンジンになるのだろう。多少の人的被害は構わない。その大半が日本人や韓国人なら尚更だ。そんな考えが頭の片隅をよぎる。

何度も同じことを書くが、北朝鮮が一貫して要求してきたことは、現体制を認めることである。従って、朝鮮戦争を終結して米朝平和宣言の様な形で国家としての存在を認めれば、北朝鮮は核開発に向かわなかっただろう。それをせずに、制裁に次ぐ制裁で追い詰める手法は、75年前に日本国に対して行った冷酷な姿勢によく似ている。

このテーマでの最近の投稿: http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43008331.html