2017年11月22日水曜日

日馬富士の暴行事件について(2)

1)日馬富士が貴ノ岩を暴行した事件が話題になり、そのプロセスで依然として古い相撲協会の姿や、外国人力士の特殊性が徐々に明らかになっている。今放送中のテレビ放送のスクランブルでも話題になっているが、その中で、今回の事件はモンゴル人力士の間の派閥抗争的な面があるという新聞報道が紹介されていた。

貴乃花が現役で活躍した時期を最後に、大相撲の上位番付はモンゴル勢に占拠されている。そして、時々モンゴル勢の土俵上などでのマナーが問題になる。(補足1)それらは、大相撲を真面目に考える人には、看過できないだろう。つまり、現在大相撲は単なる人気格闘技になっているのである。その一方で、大相撲は日本古来の神事であり、その継承を使命としているが故に、日本相撲協会は公益法人となっている。

例えば、優勝力士の表彰での君が代斉唱の際、モンゴル人力士に”口パク”をやらせている。この木に竹を継ぐという状態は、相撲協会のあり方にも見られる。昔ながらの年寄制度で、引退後の力士の面倒を見るのは、限界がある。才能のある力士候補生の入門を国内で求めるには、昇進できなかった若者の再就職制度を考える必要がある。(補足2)

それらの改革を真面目に考えている代表的人物は、相撲協会内では貴乃花親方である。現在の執行部は、何もかも中途半端な状態で、古い体質のままに発展途上国や経済的に落ち込んだ東欧などから外国人を入れることで、なんとか大相撲を維持している。異なる文化の異国にあって、しかも数世紀前の古い体質のままの社会の中で生きる外国人には、ストレスも多いだろう。その様な大相撲の矛盾が、一点に集中したのが今回の事件の様な気がする。

この相撲協会にとってのピンチは、問題点を考えるチャンスでもある。その際、たたき台となる意見を出せるのが貴乃花親方だろう。時期巡業から貴乃花親方を外すなど、相撲協会は将来を考える時に欠かせない人物を除外する方向に進んでいるのは、情けない。

2)元に戻って、今回の事件の背景と動機について考察してみる。 動機は、何処か別の場所で下位力士との飲み会で、貴ノ岩が「もう、あの人たち(日馬富士や白鵬)の時代は終わった」という意味の言葉を喋り、それを聞いた力士が白鵬ら伝え、それに対して白鵬らは怒りを募らせていたというのである。(補足3)その話を翌日聞いた貴ノ岩は横綱に謝罪したと言われているが、それで治らなかったのだろう。

その後開催されたモンゴル人力士の懇親会で、日馬富士が説教をはじめたが、それを最優先しないで携帯にかかってきた電話をとって貴ノ岩が話をし始めたのが、横綱には生意気に映ったというのである。この部分だけを取り出して、前回ブログ記事を書いたが、それは一般論として正しいと議論だと思うが、この件の議論としては不十分であった。

同郷のよしみで集まった会合は、同窓会やクラス会的なものである。(補足4)そこには本来仕事場での上下関係は持ち込むべきではない。そのような現代的な考え方が、貴ノ岩にあったのではと想像する。しかし、それは古い大相撲の常識ではなかったのだろう。横綱と平幕の地位の差は、24時間中天地の差となって、力士を支配するのかもしれない。それに反発する貴ノ岩の考えは、合理的に考える貴乃花親方の考えが影響したのかもしれない。それは、モンゴル勢の中で浮いた存在であるとの指摘と一致している。

また、この件で貴乃花親方が何も語らないのも、その合理的判断が働いた結果だろう。つまり、暴行や障害事件の処理は、警察と司法であり、相撲協会ではない。相撲協会だけに、先ず協会で話し合って、収拾がつかない場合は警察の出番になるという、ローカルなルールを認めれば、「法の下の平等」という近代国家の大原則に反する。

3)貴乃花親方の相撲協会改革に期待する: 貴乃花親方が相撲協会に先ず被害の状況を報告すべきだったという池坊保子氏(相撲協会評議員)の意見がテレビ(スクランブル、ゴゴスマ)で紹介されていたが、この発言の趣旨は理解できない。その理由はすぐ上に書いた「法の下の平等」である。このような前近代的な意見しか言えない、不勉強な人間を評議員にすることに相撲協会の古い体質の一因があるのだろう。

また、スポーツ評論家の玉木氏は巡業中の出来事なので、巡業部長の貴乃花親方は責任追求されるべきだと言っていた。更に、守るべきは大相撲であるといっている。この人も池坊氏と同様に、法律も法治国家の原則も何もわかっていないレベルの人間である。巡業中だからと言っても、業務以外の時間はプライベート時間であり、その時間に街に出て生じた事件の第一の処理は、関係者個人と警察である。その後、第二の処理、つまり相撲協会でこの種の事件の防止や今回の協会としての処分を考えるのは、その結果が出たのちである。

日本の伝統としての大相撲を守るべきだと玉木氏は言うが、大相撲の古来の伝統はすでに破壊されている。つまり、異なった文化圏に育った外国人力士を大勢入門させ、その段階で相撲協会は伝統から営業優先に変化したのである。現状では、日本相撲協会の公益法人の資格を取り消すべきだと私は思う。税金を支払い、一般の法人として再出発すべきだろう。

もちろん、モンゴル人力士は優秀であり、現在では大相撲にはなくてはならない存在であるだろう。大相撲が国際的関係においても重要な役割を担っている可能性もある。日本相撲協会が国際化を含めて相撲のあり方とその組織の近代化を同時進行的に進めることができるのなら、公益法人としての役割を別の形で担うことができると思う。そのために、今回の事件を十分咀嚼してもらいたいと思う。それが出来ると思われる理事を拒否するようでは、相撲協会に将来はない。

補足:
1)プロレスの様に格下で弱いと思われる相手にも拘らず憎悪の感情を表に出した粗い相撲、懸賞金をガッツポーズで受け取る仕草、勝負が付いた後のダメ押しで相手を土俵下に突き落とすこと、などが指摘された。しかし、これは入門時の教育とその後の指導でなんとかなる問題だろう。
2)貴乃花親方は再就職の為の教習施設を考えていると昨日のテレビ放送で、あるコメンテーターが発言していた。
3)週刊誌にモンゴル人力士に派閥があるという記事が載ったと言う。貴ノ岩は他派閥の若い人に喋ってしまったのかもしれない。(全くの推測だが)
4)今回の事件の背景に、プロ格闘技に対する貴乃花親方の考え方があったのだろう。親方は、同じモンゴル出身力士であっても、互いに真剣勝負で明日にも戦う可能性があるのだから、本場所前に懇親会を開いて仲間意識を醸成するのは好ましくないと考え、貴ノ岩のその会合への出席に反対だったという。その様な考え方と、それに対してモンゴル勢の意見が割れていたこともこの事件の一因かもしれない。
その点について、野球界で活躍した長嶋一茂氏は、「真剣勝負で戦うことを前提に観客は相撲を見るのだから、その前に宴会を開いて仲良くしているのを知れば、相撲ファンは白けるだろう。プロ野球でも、シーズン中はそのようなことはしない。」と何処かで言っていた。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171117-00000045-dal-ent(このサイトは長島氏の発言を十分反映していないのですが、適当なのが見つからないので差し当たり引用します)

2017年11月19日日曜日

安倍総理のお友達優遇政治にウンザリ:基本的な問題と大きな問題

1)加計学園問題は、全国で獣医師が余っているにも拘らず、そして、その獣医学科の新設計画が不十分であるにも拘らず、安倍総理のお友達がその学園を経営しているという理由で新設認可をした疑いが濃いことである。

かなり前になるが、獣医師は足りているし、なぜ三流理科大の経営者に獣医学部新設をさせる必要があるのか、さっぱりわからないという趣旨の記事を書いた。(2017/5/24; 6/14の記事参照)

森友問題では、森友氏の処分は刑事罰まで進展しそうだが、それは森友氏とVIPとの友達関係がそれほど強くなかったからだろう。

安倍総理の支持する人たちは、弁護に詭弁を弄している。高橋洋一氏の下の発言もその一つである。学科の新設認可に関して、石破4条件を閣議設定したのだが、その4条件の成立可否に関する挙証責任が認可側にあるとして、加計学園側を支持しているのである。http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170722/soc1707220007-n1.html

石破4条件は、(1)新たな分野のニーズがある;(2)既存の大学で対応できない;(3)教授陣・施設が充実している;(4)獣医師の需給バランスに悪影響を与えない、の4つである。この4条件の内この部分が欠けていますと、新設不許可の理由として、文科省が示さなければならないのか、それとも申請側が4条件全てに合致していますと、示さなければならないのか、というのが挙証責任の問題である。

前川前文科省事務次官は、申請者側にあると発言したが、高橋洋一氏がそうではなく、文科省側にあるという意見であり、それが上記ZAKZAKの記事内容である。その中で、高橋洋一氏は、我々国民を馬鹿にしたような理屈をあげている。

それは、「4条件の挙証責任は文科省にはないという立場だ。実際、前川喜平・前文科事務次官ほか、文科省関係者はそう主張する。しかしこれは誤りだ。文科省の学部新設の認可制度は、憲法で保証されている営業の自由や職業選択の自由を制限するので、挙証責任は所管官庁の文科省にあるのだ。」というものである。

トンデモナイ屁理屈としか言いようがない。大学設置を何かの商売と混同しているようだ。大学の運営は、国家から巨額の支援金が支払われる公益事業である。申請者がこのように条件にあっていますと立証するのは、当然である。いい加減な申請書を出して、どこに不適合があるか立証しろと居直る権利は、総理の友達だとしてもない。

最近の報道では、その申請書類も相当酷いもので、その4条件に合っていないという例もかなり挙げられている。例えば、その獣医学部の“目玉施設”では、通常生体を用いるところをぬいぐるみを用いて実習するのだという。 http://news.livedoor.com/article/detail/13898064/ 高橋洋一氏には、この記事を見て、反論してほしいものだ。

そういえば、内閣官房参与という職を、お友達の失業対策に使っているという疑惑もある。その種の問題を取り扱う正規職員(大臣等)は、官房参与に任せて遊んでいれば良いということだろうか?兎に角安倍総理の権力があれば何でもできるという考え方は、どこか隣の国のトップのやり方に似ている。内閣を構成する人や、評論家までイエスマンに成り下がっている。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6261662

2) 加計問題や森友問題は、安全保障などの問題に比べて小さい問題である。しかし、日本国の政治のあり方(安倍政治のあり方)という、根本に対する問題である。この件、優れた政治評論家である馬渕睦夫氏などでも、大きな問題に目が眩むのか、何の疑念もないと言い放つ。

どんな大きな装置でも、ネジの規格が合わなければうまく組み立てられない。日本においては、公平性は政治と日本国民全との間を繋ぐネジのようなものである。森友問題と加計問題は、その国民と政治を繋ぐネジが古いアジア的なコネなのか、日本や欧米のような法令に基づく公平性なのかに疑念を抱かせる問題である。ネジが混在していては、大きな装置である国家全体の政治が組み立てられなくなると思う。それがコネなら我々庶民は政府に対して、そっぽを向くだけだ。

最高裁は、行政のすることに違法性や違憲性の判断をすることのない、サラリーマン的判事が構成しているので、この国では司法は正常に機能していない。それも、最も近い国とよく似ている。(2017/10/24の記事参照) だから、国会で追求するしか方法がない。

安全保障という大問題を持ちながら、くだらない議論をしなければならないのはこの国の不幸である。

2017年11月18日土曜日

日本が普通の国になるためには、不当な米国の日本敵視を無くさなければならない

1)米国が、西太平洋地域での覇権を失うとすれば、現在の米国の属国的な位置から静かに逃げる道を探さなければならない。もし、米国が不死鳥の様に、太平洋地域で覇権を維持出来ると考えた場合、そして、日本が米国と同盟関係を深化させることで、この地域で日米同盟を命綱的にして生き残る方針なら、その鍵になるのは米国と日本の相互理解が今までとは違った次元に深まるかどうかである。

また、仮に日米同盟を当てにしないで、生存を図る場合でも、米国と友好関係を保ちながら独自の軍事力を整備し、国家としての体制を作り上げることが大切なステップであると思う。しかしながら現在、親米国の日本は、米国にとっては仮想敵国であると思う。米国の中枢は、たとえ朝鮮が核武装しても、日本だけに核武装はさせないと考えている。つまり、キッシンジャー&ニクソンの訪中のときの密約は未だ健在だとおもわれる。(http://blog.nihon-syakai.net/blog/2007/10/493.html

米国在住の国際政治の専門家である伊藤貫氏は、2013年夏の西部邁氏との討論で米国国務省のアジア担当官の半数は、日本の憲法改正にすら反対していると言っている。https://www.youtube.com/watch?v=DLrGGEymC8Q (24分以降)その後、安倍総理や日本への印象が変化した可能性はあるが、核保持に反対する態度は変わっていないと思われる。

上記動画の中で、例えば中国と米国で太平洋を二分するという話になった場合、日本は単なる搾取の対象となる可能性大だそうである。それは、日本とロシア(ソ連)に挟まれた朝鮮の様であり、ドイツとロシア(ソ連)に挟まれたポーランドの様でもある。伊藤氏の発言によれば、米国の覇権が東アジアに残る可能性は殆どゼロであり、日本の環境は当にその方向に進んでいる。

何れのシナリオでアジアの歴史が進行するとしても、日本は近代史の総括を行い、世界の歴史認識とこれまでの日本の歴史認識のズレを客観的な視点でレビューしなければならないと思う。勿論、国が違えば歴史認識が違うのは当然である。しかしその違いは、「国家が自国の尊厳を維持し、今後の繁栄を目指すのは当然である」という観点から、他国が理解可能な範囲になくてはならない。

つまり、世界に主張可能な歴史認識を持てば、少なくとも話の通じる相手であると認識され、普通の国家となる障壁は低くなるだろうと思う。しかし現状では、日本の保守勢力の歴史認識は自分勝手なものであり、且つ、野党勢力の歴史認識は全く売国奴的であるので、何れも日本国が世界に主張すべきものではないと思う。

2)日本が世界の中で生きていく為には、世界の標準的な歴史認識の方法を持ち、それを前提にして普通の国としての要素を持つことが必須である。それら要素は、経済力、軍事力、それに固有の文化と価値観である。(上記動画での西部邁氏の解説参照)それは、一人の独立した人間の要素と同じである。しかし、現在の政権政党右派の歴史認識は、我が国国民一般のものとはずれていると思う。そして、それは江戸時代までの伝統的文化や価値観に根ざしては居ないと思う。

右派民族主義者達は“明治維新”は日本の歴史的快挙であり、その結果西欧の国民国家と同じタイプの国家が出来上がったと主張するだろう。しかし実際は、 “明治維新”の主人公である薩長土肥の武士たちと下級貴族らが天皇を利用してクーデターを起こし、新しい貴族階級を形成して作った専制の帝国主義的国家であった。そこでは、国民は国家を担うという意志のないままに、強制的に兵士として駆出された。(次のセクション参照)

つまり、暗黒の江戸時代の戸を開け、やがて新貴族になる人たちによって行われた政変を一種の市民革命であると考えるのは偽造史観であり、それを作り上げ守り通したのは、現政権までの150年間日本政府の中心にいた上記新貴族とその子孫たちであると思う。(補足1)

中国侵略からの“大東亜戦争”は、欧米列強からの防衛と大日本帝国の生存空間の拡大であったのは事実だろうし、それを現在の価値観で非難するのは可怪しいだろう。ただ、それを「西欧の植民地主義をアジアから排して、大東亜共栄圏を構築することであった」と主張するのは、説得力に乏しいと思う。そして、そのような計画は、右派の人たちの主張と違って、国民の総意に基づいたわけではなく、当時の軍事独裁政権が作成したものである。

歴史を後から裁くのは、愚かなことであると一般に言われる。それは、歴史は事実と事実をつなぐ物語であり、その物語の書き方は主観的であるのは当然であることと、判断ミスまで裁くのは神以外は不可能であるという主張が根拠だろう。その部分について裁くのは確かに愚かなことである。しかし、事実を偽って書いた歴史を裁くことは、まったく正当な行為である。

歴史認識問題で最も象徴的なのは、靖国神社に対する姿勢である。大陸侵攻も、痛々しい敗戦も、伴にその軍事独裁国家の中心人物たちが主導したのであり、その責任を負うべきである。靖国神社には、その本来責任者として弾劾されるべき人たちが軍神として祀られている。上記明治の新貴族に由来する民族主義者達(=上記右派民族主義者)が何と言おうと、普通の日本人の感覚なら、軍神として祀られる優先順位は将軍が最上位であり、佐官、尉官が続き、兵士は最下位である。従って、靖国参拝は、戦争責任者である将軍たちを崇拝すると解釈されるのは当然である。(補足2)

米国が日本との同盟を、属国と宗主国との同盟から普通の国の間の同盟に(考えを)変換する際の最大の障害は、日本の明治以来の支配層とその延長上にいる現在の上記民族主義的勢力だと思う。彼らの多くは現在、米国との同盟関係を実利の面から支持するだろう。しかし、同時に彼らはより深いところで、米国を敵視している。米国が日本を不審感を持って眺めるのは、その右派勢力から与党勢力に広がる民族主義的傾向であると思う。

つまり、日本が世界の中で生きていく為には、保守主義者一般と右派の薩長土肥歴史観に基づく民族主義者たちの区別化、つまり、分断が大切なステップだと思う。そして、新しい上記民族主義者以外の保守勢力をつくることが大事だと思う。

3)日本人に帝国を担う意識はなかった:

西欧諸国では、王族支配に反発して市民戦争を経験し、その結果として国民国家の実体と概念を対で得たが、日本はそうではない。江戸時代には、殆どの日本人は地元の殿様(=王)の下で、革命の気配など一切なく暮らしていたのである。幕末の政変は、薩摩と長州の両藩と京都の下級貴族が中心になって行った倒幕(クーデター)であり、国民が立ち上がった訳ではない。彼らは、外国の力(英国)と知識を、幕府よりもそれ(フランス)を有効に利用することに成功した。(補足3)

明治以降、日本列島の住民は、天皇の臣民という形で大日本帝国の国民として訳も分からない内に入れられた。支配層民族主義派は、それをあたかも市民革命の結果獲得したかの様に記述し、歴史の捏造をしたであった。明治維新を下級武士達が達成したという、“下級武士”という表現もその為に用いただろう。実体は、身分は兎も角、殿様の高い評価を得た武士たちであり、殿様の意思が全く働かない訳ではなかった。実際、長州の殿様は、彼らの立案した方針を「そうせい」と命令形で承認していたので、“そうせい候”と呼ばれていた。

つまり、国民国家が前提の「戦争も外交の延長である」という西欧の政治思想など国家の“主人公でない国民”に理解出来る筈はない。米国の支配者たちが考える、或いは考えたい、原爆が軍事独裁の全体主義国家を退治するために使われたという論理も、同様に理解出来るはずはなく、原爆による被災を単に天災の一種と感覚的に把握しているのである。それは、昨年広島でオバマ米国大統領と原爆被爆者との間の抱擁が証明している。その感覚は現在でも全く変わっていない。あの光景は、被災者と米国は直接の敵ではないことの一つの証明である。

つまり、日本国民の多くが「戦争だけは避けなければならない」と考えているのは、単に平和主義を採っているからだと考えるのは間違いである。そもそも国家を自分たちが構成しているという意識などなく、国家が行う外交と自分たちの生活の間の関係についても、現実的にシミュレートする頭脳の活動は全く無いのだ。つまり、戦争は上記のように日本国民にとって天災と同じであり、自分たちの意思が反映した結果だとは考えていない。(補足4)

一方、日本の上記民族主義者、つまり右翼の人たちはそうではない。彼らは、明治の政変を国民国家の創生と捉え、明治維新と呼ぶ。明治の政治を立憲君主制とし、議会は民意を繁栄したもので、過去の戦争遂行も全て日本国民の総意と考えている。そして、東京裁判で戦争犯罪人とされた全ての人の名誉回復に努力し、彼らの全てを靖国神社という国営慰霊施設を兼ねる神社に祀った。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/08/blog-post_29.html

日本の政権与党と政治評論家のかなりの人々は、この民族主義的な人たちを多く含んでいる。彼らは、靖国神社に参拝することを義務と考えているのである。しかし、それは米国が主張する対日戦略の“正当性の全て”を否定することになる。そのように米国が日本の政権与党を構成する人たちととそのブレイン達をを考える限り、米国は真の同盟国として日本を受け入れないだろう。

(以上は、理系人間のメモです。批判等歓迎します。)

補足:

1)現在の安倍総理や麻生副総理、その祖父に当たる岸信介と叔父の佐藤栄作、戦後長期政権を担当した麻生の祖父の吉田茂など、薩長土肥の侍の子孫である。勿論、これは事実の列挙であり、現在の安倍政権を批判している訳ではない。

2)右派民族主義者たちは、靖国神社を国家を守るために命を捧げた兵士たちを祀る施設であるという。しかし、敗戦に至る指揮をとり、兵士の命を消耗品の様に扱った人たちを何故祀るのかという問には、まともに答えない人が殆どである。更に、その時の国家は、日本列島の住人を真に代表したものではないにも拘らず、「日本列島の住人全てとその住処」と同一視している。

3)日本にとって幸運なのは、諸外国にとって日本は侵略する魅力に乏しい上に、軍事力としての武士は勇敢だったことである。その武士団と武士が構成する優秀な官僚団は江戸時代までに作られたものである。江戸時代を低く評価して敎育するのは、明治のクーデターを美化するためである。

4)従って、大日本帝国と当時の国民との関係は、支配者と被支配者の関係であった。敗戦後、米国マッカーサー将軍を簡単に受け入れたのは、国家の敵将であっても、国民にとっては支配者の交代に過ぎないからである。現在でも国家に対する関心は薄く、国政選挙は単に芸能人やスポーツ選手の人気投票の感覚か、幾分意識の高いレベルの国民でも、議員となるべき人間をその能力ではなく、日常生活の中でその人物の行動を想像して、より好ましい“人格”を目安にして選んでいる。

2017年11月16日木曜日

日馬富士の暴行事件について:言葉の暴力と身体的暴力

1)ここ二三日、一番話題に上っているニュースが、横綱日馬富士の貴ノ岩に対する暴行事件である。モンゴル出身力士の懇親会で、貴ノ岩が非常に失礼な言葉を横綱に対して浴びせたことが暴行に至った原因のようである。法的な処罰は、違法行為を行った日馬富士が受けることになるだろう。

この事件はテレビなどで頻繁に放送されているが、その捉え方は、相撲協会の隠蔽体質だとか、相撲協会や所属部屋の親方の責任や謝罪などに、拡散している。しかし、この件は個人的犯罪であり、今後責任問題に関係するのは、基本的には被害者と加害者の二人と、法的処分をする国家だけだと思う。相撲ファンや相撲部屋の親方の介在する余地はあまりないと思うし、そのように問題を広げるのは日本の悪習であると思う。

今朝のとくダネ!でも、司会を補佐する人間が、親方が相撲ファンにまだ謝罪していないことを問題視していたが、そもそも親方に謝罪する義務など全くない。モンゴルでも報道されており、一部にはモンゴル人の横綱が多いので、日馬富士を追放する陰謀だと言う意見を紹介しているものもあると報道されていた。兎に角、報道機関というのはどの国でも、煽って視聴率を稼ぐことばかり考えているようだ。

この国では、組織に属する人間が個人的な事件を起こした時でも、組織のお偉方が揃って頭を下げる場面がよく放送される。そのようなテレビ放送を見る度にうんざりした気分になる。普通、謝罪とは責任を認めることであり、責任を認めることはそれに対する償いの義務を負うことと捉えるだろうが、この国では問題を小さく治めるために謝罪するのである。(補足1)

この件も、手続きに従って処分をして、あとは当事者に任せることで十分だと思う。そして、今後相撲で頑張って欲しいと思う。彼ら当事者にサジェストするとすれば、今後閉鎖的な場で、アルコールは飲まない方が良い。

また、横綱もそれ以下の地位にある相撲取りも普通の人間であり、大相撲を殊更神事と考えることは時代錯誤的だろう。相撲協会が、それらの刑事事件を隠蔽することがあったとしたら、それは無くすべき古い体質だが、それを殊更相撲協会全体の問題と考えることもまた無くすべき別のタイプの古い体質である。

2)この事件だが、一方的に日馬富士の方に非があったとは言えないと思う。つまり、貴ノ岩の言葉の暴力が、日馬富士の物理的暴力となって返されたのだろう。言葉のやり取りが、傷害事件に発展したことは、彼ら二人には本意ではなく不幸なことだったと思う。

似たケースで思い出すのは、セレブ達が集まったパーティー(米国)で、デビ・スカルノ夫人によるフィリピン大統領の孫娘だったミニー・オスメニャに対する暴行事件である。https://matome.naver.jp/odai/2139040955692250701

デヴィ夫人は喧嘩の原因として、「ミニーが自分を娼婦(Whore)呼ばわりしたため」と主張したという。失礼な発言をした方はその瞬間はスッキリするだろう。しかし、それを許さないでシャンパングラスで相手を殴ったデヴィ夫人の気持ちも分かる。

現在の法制度では、そのような発言があったとしても、それを処罰する法令はない。しかし、言葉であっても、個人の尊厳を汚した人間には処罰が加えられるべきである。その場合、自分の尊厳を守る意味で国家による処罰を覚悟して、相手を殴るしか処罰の方法はない。

つまり、肉体的な暴力は絶対にいけないが、言葉の暴力はやりたい放題ではない筈である。勿論、喧嘩両成敗が正しいのだが、現行制度でも暴力を振るった方が刑事罰を受けることで、解決すれば良いと思う。ただし、その後加害者に関係する組織が他の罰を加えるには、慎重に考えることが条件である。

日馬富士と貴ノ岩のケースで説明すると、日馬富士がうける処罰は、貴ノ岩の痛みと怪我と九州場所からの欠場という損害とバランスが取れれば良いということである。それ以外のところに、大きな痕跡を残さない様にすべきだと思う。相撲協会が受ける損失など計算できない部分の責任も、事件化した日馬富士が負うべきだろうから、相撲協会が出場停止などの処分をするだろう。それだけをルールに従ってすることが、相撲協会の仕事だと思う。

因みに、言葉の暴力は現在ハラースメントという範疇に入れられている。ハラースメントだけでは法的に罰することは難しい。法的に罰せられない悪事は、普通、社会から例えば人事面での冷遇などの法的でない処分を受ける。

閉鎖空間では、そのような処分が期待できないので、ハラースメント的暴言が炎上的に連続して、最終的に物理的犯罪に至る場合が多いと思う。従って、トラブルが考えられる人の集まりは、閉鎖空間に閉じ込めないで、出来るだけオープンな空間を利用することだろう。

言葉でのハラースメントとそこから発生する上記のような事件は、完全に無くすることは不可能である。従って、言葉は場合によっては相手の尊厳を汚す暴力となること、従って、個人的な話題に関しては、相手の情況などを考えて慎重にするべきであることなど、年少時によく敎育すべきであると思う。

勿論、社会についての基礎を敎育すべきことは言うまでもない。それらは、現在の社会は独立した個人によって成り立っていること、個人の間の信頼は社会のインフラであること、言葉でも身体的なものでも、暴力はそれらを破壊することである。

(以上、17日早朝に加筆修正しました。オリジナル・バージョン(11月16日)は、https://ameblo.jp/sakizakimademo/entry-12328800176.htmlに残します。)

補足:
1)この国では多くの場合謝罪と許しがセットになっている。従って「こちらがしっかり謝罪したのに許さないあいつはけしからん」という、会話が成立する。

2017年11月14日火曜日

米中の覇権の中で日本はどう生きるか:問題点の整理

1)あるブログサイトに青木直人著「田中角栄と毛沢東」の紹介記事を見つけた。印象的なのは、日中国交回復の際の毛沢東と田中角栄との会談の様子である。すこし長くなるが、それを紹介したい。

毛沢東から招かれた時、田中角栄は護衛官抜きで、大平正芳、二階堂進とともに会った。護衛官は、一緒に行くことを主張したが、田中は「ここまで来れば煮て食われようと、焼いて食われようと、いいじゃないか」と云って、ニッコリと笑った。

毛沢東の家でのやりとりは以下のようである。相手の品定めかも知れないが、雑談的な話の後毛沢東は「田中先生、日本には4つの敵があります」と切り出した。「四つの敵」という言葉は、中国を訪問する前に行われた外務省のブリーフィングで、何度も聞いていた言葉だったから、田中は内心くどすぎると思った。「アメリカ帝国主義」、「ソ連修正主義」、「日本軍国主義」、「日本共産党宮本修正主義」の「四つの敵」は、中国革命外交のキーワードだった。(補足1)しかも、日本の軍国主義については、中国訪問の当日からさんざん説明し、中国側の理解も得たはずのテーマである。

だが、毛の口から出た「四つの敵」は田中の想像を裏切るものだったのである。指を折りながらその4つをあげた。「最初の敵はソ連です。」それから、アメリカ、ヨーロッパ、そして最後に、中国の名をあげた。(補足2)毛沢東は、田中に本音のレベルの話ができる能力をみて、それをぶつけたのである。

そして、世界中を敵に回して負けたヒットラーと東條英機を馬鹿な男と評し、「あなた方は、もう一度ヒットラーや東條の選んだ道を歩むのですか。よく考えなければいけません。世界から孤立して、自暴自棄になって自滅するのですか。アメリカ、ソ連、欧州、そして中国、この四つを同時に敵にまわすのですか」と言った。

その先の会話をブログのオーナーは推理している。「今後の世界は、アメリカ、ソ連、欧州、中国が基軸になる。この4大国は歴史的に見ても相容れず、今後とも協調しつつ対立していくだろう。そこで日本はこの4大国とどう関わり合うか、それが問題である。4大国全てと仲良くできそうにない。どちらかの陣営と連合する以外に生き延びる事ができない」と。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/phirosophy_higekisei.htm

2)毛沢東の指摘は、ソ連がロシアに変わったとしても、本質的に正しかった。日本を取り巻く情況は、現在もその時の情況と全く変わっていない。キッシンジャーが「ジャップめ」といって、日中国交樹立を悔しがったことがよく知られているが、それも毛沢東の予言した範囲内であった。しかし、その本当の意味を探らず、単にキッシンジャーを「反日ユダヤ人」ときめつけて納得して済ませている人が多い。(補足3)

日本は、田中角栄がアメリカに潰されてから、アメリカを選択したかのようにアメリカ追従を続けているが、アメリカはそのようには受け取っていない。米国に本音を聞けば、「日本が我々アメリカと組んでいると思ったとしたら、思い違いだ。日本は、単にアメリカの属国として甘えているだけだ」と言うだろう。日本経済の長期低迷を失われた20年というが、政治的には田中以降でも失われた40年である。

上記、毛沢東が田中に言った問が、北朝鮮問題を契機に45年後のこんにち、日本の喉元に突きつけられたナイフの様に不気味に姿を現した。2006年の北朝鮮の最初の核実験のときに、米国ライス国務長官が飛んできて「日本は米国が守る」と発言した時にも、目の良い人にはそのナイフは明確に見えた筈である。そして、そのライス長官の言葉を「日本は、米国の属国(敵国)にすぎません。決して、核武装はさせません」と翻訳できた筈である。

このままでは、米国が何と言おうと、米国の覇権ラインが近いうちに第二列島線まで後退するのは必至である。そこで日本のとる戦略は、米国に協力して米国圏のフロンティアになるか、北方から降りてくるロシア圏のフロンティアになるか、中国圏に入るか、それとも十分な独自防衛力を持ちどの勢力圏にも入らないか、その四つの道の中の一つだろう。しかし、どれをとってもかなり困難である。なかでも自主独立は、毛沢東の指摘通り殆ど不可能である。

国際正義と信義に基いて、非武装中立を貫くという選択は、よほどの幸運に恵まれなければ成立しないだろう。それを訴える政党やその支持者が、今でも日本に1/3位は存在する。地球上での争いは常に存在しているが、日本がその争いから避けられる位置に今後とも座り続けるという可能性はないだろう。

田中角栄なら、毛沢東の言葉を心に刻み、差し当たり米国への依存を減らすべく独自防衛の道を模索しただろう。何れかの領域の中で生き残ると決断しても、独立国としての一定の体裁を整えなければ、そこへの移行は不可能だからである。属国のまま存在し続けることもまた不可能である。属国は家畜と同様であり、売られるか、屠殺されるかしかない。日本はアメリカの愛玩動物であると思うほどの馬鹿は、流石に居ないだろう。

3)米中露の覇権が錯綜する西太平洋地域において、自主独立が許されるのならその単純さは魅力的である。しかし、上に述べた様に、そして、毛沢東が45年前に予言したように、まわりの大国に妨害され、自主独立の必須条件である独自核武装など日本には許されないだろう。(補足4) 何れにしても、米中の反対を巧みに躱しながら、憲法9条の改正から、再び国家としての威厳を取り戻す位は実現しなければ、日本に将来はないと思う。

その次に、将来の米中露の西太平洋地域における力のバランスがどのようになるかについて、日本は考えなければならない。もし、真の意味での日米同盟が構築され、且つ、日本の協力があれば、①米国が今後とも西太平洋地域で覇権を維持出来ると考えるのか;或いは、②米国は何れ第二列島線まで20年位の間に後退するのかの予測を立てる必要がある。それには、米国の能力と意思の両方を読まなければならない。

①の場合、現在の延長線上で考えれば、米国に協力して米国覇権のフロンティアになることが、活性化エネルギー(つまり超えるべき峠の高さ)が最少の道である。しかし、その場合、日本が米国と同盟関係を本質的なレベルまで深化させることが可能かどうかについて、考察する必要がある。つまり、米国が日本を仮想敵国から永久除外し、真の同盟国と考えることができるかどうかである。それは、米国が日本での核兵器の共同管理に同意できるかどうか、或いは、日本の核武装に同意出来るかという問題とほとんど同意である。

真の日米同盟には、歴史問題の克服が必要である。日本は、中国や朝鮮と歴史問題を抱えているので、相互理解が困難だと言う言葉は頻繁に聞くだろうが、日米の間の歴史問題についてはテレビや新聞ではあまり語られない。しかし、日米同盟の深化を達成するための日米間での歴史問題の克服は、中国とのそれよりも遥かに困難だと思う。

歴史問題を簡単に言えば、それは終戦前の半年間に行われた都市部空襲、中でも原爆投下に関して、日米両国間に存在する不幸な歴史である。更に、東京裁判という形での米国の日本に対する復讐劇とその判断の正当性を押し付けた戦後占領政治は、両国間関係に消し去る事ができないほどの傷を残した。それは現在、日本では乗り越えられている様に見えないことはない。しかし、米国在住の政治思想家の伊藤貫氏によると、池田内閣以降、日本政府は忘れた振りをし、経済を優先する道を選択しただけだと説明している。https://www.youtube.com/watch?v=Xx_tsuvu9i4(補足4)

②のケースでは、西太平洋の覇権を埋めるのは中国である。この場合、中国の覇権内で日本が生きる道を探し出さなければならない。そして、米国覇権内の属国的身分から、どのような身分で中国の覇権内に移動するかが問題である。その際、米国は日本から吸い取れる利益は全て吸い取ろうと努力するだろう。もし、米国が②のケースを想定しているのなら、その対日政策は既に始まっているかもしれない。

以上、問題点の整理をしたが、夫々についての考えについては、今後出来れば書いていきたい。

補足:
1)http://www.econfn.com/iwadare/page157.htmlにその4つの敵が解説されている。田中角栄は、毛沢東に本音をぶつける気にさせたのだった。
2)中国にとっては、第一の敵はアメリカ、そして、ソ連、ヨーロッパ、インドとなっただろう。
3)http://www.mag2.com/p/news/250663/2
4)伊藤貫氏の「核武装なき憲法改正は国を滅ぼす」という本に記載されているとおり、自主独立には核武装は必須である。
5)伊藤貫氏と西部邁氏の討論、「国家に必要な3つの要素」において、経済力、軍事力、価値観をあげている。価値観とは、国民が持つ形而上の価値、或いは哲学と言えるだろう。人間に必要な形而上の価値としての、独立心(independence)、尊厳或いは自尊心(degnity)、完全性(integrity)を現代の日本人忘れていると分析している。

2017年11月13日月曜日

「国際間は野生の原理が支配」を安倍総理はわかっているのか?

野生の原理は、強いものが残り弱いものは滅びるという生存競争の原則である。そこには善悪や正邪はない。国家間は、本質的にその野生の原理が支配している。国際法という申し合わせは、「法」ではない。「法」には、権威と権力が背後になければならないからである。

つまり、北朝鮮が日本国民を拉致したと、国際法違反だとか言って騒いでいる連中は、本当は何も分かっていない。自国民を守れなかった日本国が悪いのであり、取り返すべく戦わなかった日本国が悪いのだ。約束違反だという場合の根拠とすべき、日朝条約もない。国連憲章に違反すると言っても、国連軍は動いたか?動きはしない。つまり、国連は仲良しクラブに過ぎないのであり、国際法を法たらしめる権威も権力もないのだ。 

日本国民だけでなく、政治家(外国の意思で動く人を除く)も殆どが、その原理原則が判っていないようだ。政治家で、何かあると国際法を持ち出す連中は、それが判っていないことを白状しているのだが、同様に判っていない人間には気づかれないだけである。 

安倍総理が「北朝鮮へ圧力と制裁を」と国際舞台で各国首脳を説得しているのは、日本政府の発言として非常に違和感がある。それは、米国指導部の総意として、日本政府に核兵器を装備した独自軍を持っても良いという意思表示をし、それを予め国際的に明らかにしていないからである。(補足1) 

もし、米国が言うように北朝鮮が中距離核ミサイルまでを持っているのなら、日本国に北朝鮮軍とまともに戦う力などない。日本国民の1000万人が殺されても良いという覚悟を持って、米国の下働きをしているのだろうか。安倍総理はその点を十分承知していないのではないかと、国民の一人として危惧する。

トランプ大統領が、「日本は武士の国だから自分で北朝鮮を叩く可能性がある」と中国向けに言った。しかし、新聞などでは、これが重大発言のようには取り上げられていない。もし、米国が中距離までの核ミサイルを北朝鮮が既に配備していると考えているのなら、その発言は日本国民の米国への期待を裏切るものである。 

それらのことを総合すると、馬渕睦夫氏がチャネル桜などで言ってきたことは間違いだということになる。つまり、トランプは日本にとって歓迎すべき大統領ではない。そして、トランプの下で働いている様な安倍総理の発言は、日本の総理としてふさわしくないことになる。 

今回、あまり長い文章を書く気がしない。以下に引用の伊藤貫氏と西部邁氏の討論の動画を見て欲しい。伊藤貫氏の本、例えば「核武装なき憲法改正は日本を滅ぼす」(正確ではないかもしれない)などを既に読まれた方にも、推薦する。

伊藤貫「米国は中国人朝鮮人が核をもっても日本人だけは絶対ダメ」と題する動画: https://www.youtube.com/watch?v=2JV_UPDjW0U&t=651s それに伊藤貫氏の出演する同じシリーズの動画: https://www.youtube.com/watch?v=Xx_tsuvu9i4 など、勉強になる。

補足(追加:11月14日早朝)
1)ルトワック氏か誰かが、(アメリカの利益を考えて)核武装ではなく敵基地攻撃能力が大事だとテレビか何かで言っていた。しかし、それを日本人は信じてはならない。核武装は使わなくても効力を発揮するが、敵基地破壊能力は使わなくては何の効力もない。その効力の差は、前者が人民に直接恐怖を与える能力があるからだ。

2017年11月12日日曜日

米中の覇権争いと北朝鮮問題、日本の今後

1)世界には、現在二つのタイプの争い(又は戦争)がある様に見える。内戦或いは部族間闘争的なものと、覇権の戦争(争い)である。覇権の争い(以下覇権戦争)は、世界の幾つかの大国(覇権国)が、その経済圏や軍事圏の中に他国を組み込む際の争いと定義できると思う。勿論、明確に分けられないので、覇権戦争が部族間の争いとして表面に出ることもある。

覇権国間の戦争は冷戦として進む事が多いが、戦闘になれば大きな被害を覇権の境界領域で引き起こす可能性がある。北朝鮮の問題(紛争?)も、覇権戦争である朝鮮戦争が出発点であり、その延長線上で考えなければならない。何度も書いてきたが、日本の報道はその視点を無視したものが殆どであり、それは日本にとって致命的かもしれない。朝鮮半島の次は日本がその舞台となる可能性が高いからである。今回その視点で、朝鮮の部分をまとめてみたい。

改めて覇権戦争を定義すると、それは世界の幾つかの国家を舞台とする安全保障や物質及び金融経済の利益を巡る覇権国の影響範囲を巡る争いである。北朝鮮を囲む3つの覇権国は、中国、米国、ロシアである。(補足1)その中で、ロシアは現在若干オブザーバー的であり、北朝鮮問題に関係が深い主な二つの覇権国は、当然、中国と米国である。

米国が引いた覇権の境界(覇権ラインと呼ぶことにする)は、韓国、沖縄、台湾、フィリピンの西側の線であり、中国がさしあたり引いている目標とする覇権ラインは、所謂第一列島線であり、上記の東側である。北朝鮮の問題は、朝鮮戦争の続きだが、それを切っ掛けにして、この覇権ラインが現在のものから、アチソンラインに移るプロセスが始まると思うのである。
北朝鮮と韓国の対立の構図は、主に米国が第二次大戦後、東アジアを覇権の範囲と考えて作ったと考えられる。(補足2)アチソン国務長官の米国の防衛ラインは上の左図の赤い線であるという発言(補足3)で、金日成が南進したのが朝鮮戦争が始まり、最終的に現在の国境(休戦ライン)で休戦状態になった。休戦協定では確か3ヶ月以内に、高いレベルの平和条約の話し合いを始める様に要請するとなっていたが、米国はそれを無視した。

休戦から約22年経過した時、国連総会は1975年に朝鮮戦争の休戦協定を平和条約に置き換え、国連軍を解散することが望ましいと決議した(ウィキペディア参照)。国連軍というが、実質的には米軍であるので、北朝鮮は国家体制の承認を米国に要求したが、米国はイエスとは言わずに、北朝鮮問題を温存した。

米国は覇権の及ぶ範囲(以後覇権ラインと呼ぶ)の維持のために、朝鮮戦争の再開に備えるという口実で、米韓軍事同盟と在韓米軍が置かれ、毎年米韓軍事演習が繰り返されてきた。北朝鮮も強力な米韓軍に対抗して、朝鮮戦争再開に備えなければならない。それが、北朝鮮の軍備拡張の理由である。その軍備拡張に、中国やソ連は協力してきた筈である。

2)米国は、最近の急激な世界経済の膨張に伴い、覇権の及ぶ範囲を縮小せざるを得なくなった。(補足4)一方、中国は、その経済発展により覇権ラインを拡張しつつある。その結果、米国が東アジアに設けた、従来の覇権ラインが崩れ、中国の覇権ラインは近いうちに第一列島線(アチソンラインの少し東;九州から琉球諸島が線上にある)まで来るだろう。中国が目指すのは最終的に第二列島線である。小笠原諸島からグアム近辺に走る線である。(補足5)

北朝鮮の軍事的発展と米国との対立も、その様相は複雑であるが、その流れの中にある渦のようなものだと思う。つまり、中国覇権の朝鮮半島全体の包み込みプロセスの中にある。韓国は既に、中国圏に入る準備は出来ている様に思うし、沖縄に対しても中国は街宣車を走らせて、工作を進めている。沖縄県知事と韓国大統領は、同じくらい親中国の姿勢である。
上の図は、世界のGDPシェアを示している。1994年では中国は無視しうる経済規模だったが、20年後、日本のGDPは全く変化しなかったが、中国のGDPは20倍程になった。米国のGDPは3倍程に成長したが、それでも世界シェアは相当減少した。

この大きな世界経済の変化が、今回の覇権移動プロセスにあると思う。もう20年ほどすれば、日本はどのようになるのだろうか。政府は無策であり、マスコミは日本破壊工作と思われるような下らない議論と放送をし続けている。

3)複雑な北朝鮮問題のレビュー:

鄧小平(在位:1978/12/22~1989/11/9)の資本主義の導入により、中国と米国との関係が緊密化したために、中国にとって米国や韓国は取引の相手国となり、距離が近くなった。孤立感を徐々に深めて行った北朝鮮は、毎年の朝鮮戦争再開をシミュレーションした米韓軍事演習に脅される中で、当然の選択として核兵器の開発に向かった。中国やソ連(&ロシア)は、見えない様に応援しただろう。巨大な核抑止力を持っている両国に、北朝鮮の核兵器はそれほど大問題ではない。それに、独裁国家にとって、命の値段は(市民のそれも)安価である。

核兵器開発は、核拡散防止条約(NPT)を脱退したのちは可能な筈であるが、それは非核保有国(韓国や日本など)にとって脅威なので、国連でNPT脱退を思いとどまるようにと決議された。(国連決議825号;1993年)その後、地域の安定を害するとの理由で国連は国連憲章第7章に基づいて、北朝鮮に対して核兵器開発中止と制裁を決議する。(国連決議、1695、1874、2375など)(補足6)

米国は北朝鮮の核開発を止めさせるべく経済的及び軍事的圧力をかけた様に見えるが、本当は支援してきたのかもしれない。米朝枠組み合意(1994年)は、明らかに北朝鮮の核開発にプラスになっている。東アジアでのトラブルとそれに対する米国の関与は、米国の東アジアでの覇権を世界に確認させるプロセスとも考えられるからである。6カ国協議も、その為の儀式と考えれば、分かりやすい。

中国は、国連決議に違反する北朝鮮に対し、あからさまな支援が徐々にし難くなった。現在まで北朝鮮を支援してきたのは、所謂中国の江沢民派である。同派が勢力を持つ、瀋陽軍区(現在は北部戦区)の人民軍上層部は、北朝鮮利権とそれに伴う私的利益を手中に収めてきたのは想像に難くない。

金正日までは、その中国江沢民派との協力体制が出来上がっていたのだが、その次の金正恩になった時、そのパイプ役になっていた叔父の張成沢の存在が大きくなり、金正恩は自分の地位つまり命の危険を感じたと思う。

何故なら、金一家がトップを継承するのなら、長子相続の原則から、金正男が本来の相続者でなくてはならないからである。中国とのパイプ役の張成沢が金正男をトップの座におき、自分が権力を掌握しようと考えたとしてもおかしくはない。

その猜疑心もあり、金正恩は張成沢を排除するとともに、核武装を完成して国家として強い権力を持つという強績をあげ、それで自分の地位を確立したいと考えたのだろう。しかし、張成沢の粛清とそれによる中国との太いパイプの喪失、そして、国境を接する中国瀋陽軍区の人民軍上層部が徐々に習近平の支配下の者に移行するに伴い、益々孤立化を深めることになる。

その様に考えれば、金正恩のこれまでの姿勢は至極当然であり、マスコミで宣伝されているような、野蛮とか暴君という批判は全くあたらない。

4)独裁国家でも、そのトップは民衆の支持がなくては安泰ではない。自分の確かな実績をつくりたいのは、一帯一路構想やAIIB(アジアインフラ投資銀行)で中華圏の拡大を目指す習近平も同じである。一帯一路構想では、西欧諸国からも金を集めたAIIBの融資で、周辺国、例えばカザフスタン、などのインフラ整備を行い、中国の雇用と企業利益、更に、それらの国の富の収奪を考えているだろう。人民元で融資し、工事費用を人民元で回収するということは、元の基軸通貨化の最初のステップと考えられる。その構想は、非常に良くできていて、日本の行政など比較にならないレベルの戦略的能力を中国政府は持っていることを示している。

習近平にとっては、江沢民派は中国国内での大きな対抗勢力であった。その勢力圏の瀋陽軍区と北朝鮮を自分の勢力圏におさめるために、北朝鮮との関係改善も当然重要事項として考えている筈である。その一方で、経済的関係が深い米国の敵となった、金正恩を支援することは難しいだろう。

しかし、金正恩と米国、韓国、日本などが対立し消耗することは、第一列島線までの覇権域をさしあたりの目標にしている習近平にとっては大きな利益である。そう考えると、中国の北朝鮮問題に対する関与の仕方が見えてくる筈である。北戴河会議で結論されたという、“米国と北朝鮮を消耗させる様に放置する”方針を貫くのである。(今回のトランプ=習近平会談)

差し当たり、アチソンラインまでを習近平は目標とするだろう。その中国側には、韓国も台湾も尖閣諸島も含まれる。その際障害になるのは、台湾の政権と日本の政権である。更に、独立色を強めている北朝鮮の金正恩である。韓国の政権は現状で、直ちに中国の勢力圏に入りうるので、全く問題ではないと思う。(補足7)

米国の覇権は第二列島線まで後退するのは必至である。それは米軍がグアム島へ移転する計画を進めていることからも明らかである。https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM27H3O_X20C17A4EAF000/ そのような情況下で、米国も北朝鮮とまともに軍事衝突することは、避ける筈である。韓国まで中国の覇権内に入る将来を考えれば、現在の休戦ラインの維持に努力するのは無駄なことだからである。

5)日本に対する核兵器の脅威は、北朝鮮の核兵器だけに限らない。しかし、日本列島が中国の勢力圏と接する時、日本が米国の覇権ラインの維持に努力するのなら、米国はそれを助けるだろう。もし、その気がないのなら、何れ中国が言うように米中で太平洋を二分することになるだろう。つまり、第二列島線まで中国が支配するのなら、それに日本も主体的な行動をとらないのなら、敢えて北朝鮮の核兵器を取り除くために、米兵の血を流すことはないだろう。

そこで日本のとる戦略が問われる。口先だけで、米国と一緒に戦うと言ってみても、米国に対する説得力はない。米国が日本を仮想敵国から永久除外し、真の同盟国と考えることができるかどうかであり、日本がそれにふさわしく振る舞うかどうかである。もし真の同盟国になれば、核兵器の日本での共同管理に米国が同意し、中国の太平洋への進出は暫くはアチソンラインで止まるだろう。その時、朝鮮(統一朝鮮?)の歴史問題を持ち出した脅迫も、何の効果もなくなるし、米国本土の慰安婦像は全て撤去されるだろう。

日本が米国の真の同盟国になると口先で言っても、権力の中枢にいる人間が靖国神社に参ることを義務だと考えている現状では無理だと思う。つまり、明治以降の歴史のレビューが必要だと思う。それは、天皇を政治利用した明治の日本のシステムとそれを改めることが出来なかった支配層の所為で、日本が軍事独裁国となり東アジアの支配に突き進んでしまったことを誤りだと評価することである。それができれば、日本と米国の同盟関係は新しい段階となるだろう。それは、政権与党が民族主義者と別れることを決断しなければならない。

追記:5)は、日本が根本から変化すれば、米国の対日姿勢が変化すると仮定した場合です。その目星がつかなければ、9日のブログに書いた様にロシアとの関係強化しか、日本に道は残されていないかもしれない。(18:30)

補足:

1)世界には主に4つの覇権国家がある。それらは当分の間、真に独立した国家(群)として存在する。それ以外の国は、それらの中の勢力圏の中になければ、安定的に存在できない。それらは、ソ連、アメリカ、ヨーロッパ、そして中国ではないだろうか。
2)朝鮮戦争が、初代大統領に据えた李承晩の韓国と金日成の北朝鮮の間の戦争であり、それに国連軍及び中国人民軍が介入したのなら、休戦協定には形だけでも韓国軍将軍の署名がなくてはならない。しかし、韓国の将軍の名前はない。それは、国連軍の名を借りて、米国が戦争を乗取ったのか、或いは元々米国の戦争だったからではないだろうか。(最初の図参照)
3)アチソン国務長官のこの発言はうっかり言ってしまったと言う説もあるが、わざと言ったと考える方が分かりやすい。つまり、米国は朝鮮戦争を起こし、そこの現場に居座り、ソ連や中国という共産圏の見張り台を作りたかったのである。
4)覇権国は、経済圏の中心でもある。米国はその中心にふさわしく、国際決済通貨の米ドルを発行している。決済通貨は、米国中央銀行FRBの負債として発行される。FRBはそれに相当する資産(多くは米国債)を国内に保有しなければならない。世界経済が膨張すれば通貨への需要が増大し、その信用を維持するだけの経済力を持つことは困難になる。さらに、黒字国は正常な為替を維持するためには、資本を流出させることが重要だが、それに答えているのが主に米国債である。IMFが加盟国から出資を受けて、それに対応する債務証書として特別引き出し権(SDR)を分配している。それを通貨と考えれば、世界通貨的ではある。しかし、世界国家の財務省としての格がなければ、無理だろう。
5)数年前の中国漁船団によるサンゴ乱獲騒動は、小笠原諸島までの距離感を得るための演習だった可能性が高いと思う。
6)国連決議1695は、非常任理事国の日本が中心になってまとめた決議。国連憲章第7章により、制裁を含めた決議にする予定だったが、中国とソ連が拒否権を行使すると主張したため、制裁は含まれなかった。その後、決議1718,1874など制裁を含む決議がなされた。最新のは、2017年9月の2375号である。日本が中心的に活動していることに、日本国民は注目すべきである。
7)韓国の文在寅大統領は、北朝鮮を混乱なく抱き込んで、中国の友好国である統一朝鮮を作りたいのだろう。しかし、それも至難である。北朝鮮は、韓国をまともな交渉相手とは見做さないだろうし、韓国は併合の対象であっても合併の対象ではない。韓国政府の解体と韓国内での多大の犠牲を覚悟できないのなら、米国側につくしかない。

2017年11月10日金曜日

キッシンジャーの最後の仕事?

トランプ米国大統領のアジア訪問の峠は、中国の習近平との会談であった。そこでは、日本で偉そうに見えたトランプも小さく見えたのは私だけだろうか?あの歓待に目がくらんだのか、あれだけ中国の悪口を言っていたのに、今度は習近平に完全迎合である。I don’t blame chinaだそうだ。

孫娘が中国語で歌い踊る録画を人民公会堂の晩餐会でスクリーンに映し出し、晩餐会では、メラニア夫人はチャイナドレスで登場したという。まるで、朝貢しているみたいだ。

宮崎正弘氏のメルマガでは、「習近平を徹底的に持ち上げ、面子を立てて譲歩を引き出せと助言したのは、おそらくキッシンジャーであろう」と書いている。どういう譲歩なのだろう。習近平は、トランプとの共同記者会見でも明確に北朝鮮との対話路線を強調している。トランプのこれまでの姿勢が総崩れのように見える。

以前書いたように、日本人はユダヤ人に比較的親近感を持って居ても、キッシンジャーを始めとするユダヤ人は日本人には敵対心を持っているだろう。おそらく、第二次大戦に至るプロセスの中での満州での事件、シモン・カスペの誘拐殺人事件を始め、ヒトラーと同盟関係にあったことなどが原因だろう。杉原千畝を持ち上げるのは、日本帝国全体としてはユダヤ人を大切に扱った歴史を隠し矮小化するためだろう。

  キッシンジャーの反日姿勢を始め、米国支配層の根本にある反日姿勢は、そこに原因があるのかもしれない。トランプの陰に、ユダヤ人のクシュナーという娘婿の姿がちらつく。

イヴァンカが日本に来た理由がわからないといった評論家がいたが、それはクシュナーを始め、一族の中国での親密な姿勢を一部中和する意味だろう。イヴァンカが訪韓すれば、その意味が消えるので、敢えて訪韓しなかったのだろう。トランプを始め米国は、韓国はやがて北朝鮮の一部になることを黙って見ていると決めているのかもしれない。その前の一稼ぎのセールスが、アジア訪問の唯一の実質的成果なのだろう。

習近平の中国は、「新しい大国関係」を演ずるためにも、米国と安易な妥協を拒否した。トランプはやがて失脚すると思う。今回の中国訪問の様子では、無能だと決めつけられても当然である。キッシンジャーの最後の仕事は、トランプを潰すことだったかもしれない。

これは、全くの素人のメモなので、適当に読み飛ばしてください。

2017年11月9日木曜日

米国も中国も北朝鮮問題を外交の武器にしている:日本にはロシアとの関係強化しかないかも

中国は、北朝鮮問題に対して何か効果的なことをやる予定はないだろう。それは北戴河会議で、北朝鮮と米国との間は消耗戦をさせると決めたことに沿っている。米国も北朝鮮の攻撃など、自分からはやりたくはない。

トランプ大統領の「北朝鮮の脅威に適当な対処がなければ「武士の国」である日本が自ら事に当たる可能性もある」と言ったという報道はそれを示している。韓国は勿論のこと、ロシアも北朝鮮を応援するが、制裁などすることはないだろう。  http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/11/blog-post_7.html

つまり、日本だけが北朝鮮の核兵器のターゲットになりうる存在である。北朝鮮にとって、日本を脅すことに関しては何の躊躇もいらない。日本は平和ボケで、核兵器の意味すら知らない。日本人の多くは、核兵器を持つことは、戦争をして、核反撃で被爆(殺される)することだと考えている。国民の多数を支配しているのは、論理ではなく言霊だからである。 

米国はかなり北朝鮮の核兵器の小型化技術やICBMへの搭載技術などの進展情況を掴んでいるだろう。まだ、弾道ミサイルに搭載するほどの技術を得ていない可能性もある。北朝鮮危機は、トランプのBig Stickなのかもしれない。トランプ大統領は、米国からアジアに来た兵器のセールスマンなのかもしれない。習近平は商談ではこちらが上だと言わんばかりに、28兆円の商談で応じた。 

北朝鮮は、米国の現在のレベルの脅しで非核化なんか同意する筈がない。空母がウロウロしていても、何もしないことは分かっている。米国からリークされている可能性すらあるだろう。このままでは、立派な核保持国が半島に出来るだろう。 

唯一それを防ぐ可能性があるのは、日本の核兵器開発である。(日本人は、伊藤貫氏の本を勉強すべきだ。)その計画が具体化しそうになると、米国は中国と協力して圧力をかけ、日本に核保持の断念を強制するだろう。トランプも、日本と日本の政治家を馬鹿にしている。それを日本のマスコミは隠している。 

「中国の核が世界を制す」(伊藤貫)と、日本は朝鮮(統一)と中国のATMになるだろう。暗唱番号は、慰安婦と南京大虐殺など「歴史認識問題」である。恐らく、それらを避けようと思えば、唯一残された道は、ロシアとの関係強化だろう。つまり、日本がロシアカード(補足1)を保持すると米国が思えば、上記のシナリオが変わる可能性もある。

  中国とロシアは永遠の友好国たり得ないのは、地政学的に明らかである。米国は、イスラム圏とロシアを敵に廻すには中国と宥和的に成らざるを得ない。中国が日本を敵視する限り、米国は日本にとって永遠の同盟国たり得ない。(補足2)そして、これまでの70年間、米国は日本を隷属させることしか考えなかった。中国が日本と本質的に友好国になるとしたら、革命後だろうがその確率は小さいだろう。 

従って、日本にとって対米国&対中国の対策としては、当分ロシアカードしか残されていないのだろう。(補足3)ロシアが日本に対して真摯な態度をとるのなら、過去を乗り越えて関係を構築する共通のメリットがある。それは北方諸島の帰属問題を、日ソ共同宣言を遵守することで解決することだと思う。

補足:
1)ロシアカードと言う言葉が外交的に特別な意味を持つかもしれない。ここでは、ロシアとの関係強化を武器にすると言う意味で使う。
2)米国は日本と先の大戦の時に、忘れられない大罪を犯してしまった。それが過去に送られることを願っているだろう。それには二つのシナリオがある。いずれも、日本にとっては悲劇的なものである。詳細は想像してほしい。

3)それは、非常に危険な道である。そんな道しか残さなかったのは、戦後の吉田茂内閣以来の米国追従策以外、何も考えなかったのが原因だろう。
(最終編集11/10/18:15; 変更が多くなり申し訳ありませんでした。)

2017年11月8日水曜日

学校でのイジメなどの社会の病気は、個人を傲慢にした戦後教育が原因だろう

1)同朋大名誉教授の中村薫氏が中日新聞(11/7;12版15面)に無量寿経を引用する形で、最近、人間関係で互いに緊張感が不足していると書いている。お経の言葉は「汝、起ちて更に衣服を整え合掌恭敬して、無量寿仏を礼したてまつるべし。」である。

中村氏は、この言葉を引用し「互いに衣服を整え、緊張感を持って、一人ひとりが、互いの人格を敬い合う人間関係の樹立が大事だ」と説いている。

「権力におぼれ、自分たちの主張を無理やり通そうとする国会議員。また、当選のためなら無節操に党を変わる議員など、襟をただした緊張感が足りないのではないか。家庭においても、嫁姑だけでなく、親子など家族同士で憎しみあうことが増えた。」と。

なるほどと思って、ネットサーフを始めた。そうすると、このことばは有名であり幾つかの解説を見つけた。下に紹介するのは、真宗大谷派専念寺の釈祐耕住職の解説である。

お釈迦さまが、長い大無量寿経を正しい姿勢で聴聞していた阿難尊者に「あなた、それでいいですか」と注意された言葉だという。真剣に聞いているつもりでも、仏さまを忘れて、いつの間にか自分が勝手に解釈した世界に座り込んでしまう人間の習性に、「起ち上がりなさい」とおっしゃった言葉だという。 http://www.sennen-ji.jp/moty/archives/news/20160101085848.html

2)最近、個人が公の空間に出ても、独居の時と同じ感覚で、緊張感をなくし唯我独尊というか、傲慢になっているように見える場合が多い。また、現代の日本社会に、“自分らしさ”を発見し、それを前面に出して生きることにこそ然るべき人生であると考える風潮がある。そして、そのプロセスに対して“自分探し”という表現が屡々用いられる。

これら個と社会の関係において、個を過剰に評価し尊重する風潮は、個の放任となり、現代の多くの“社会病”の原因となっていると思う。これは日本だけでなく、世界的な傾向かもしれない。(補足1)

しかし、人間は高度な社会を造って生きており、そこでは野生において個が持つ要素の内、多くを社会に委ねている。そして個の要素は、個が持つべき社会に規制された部分とそれ以外の個性として広がりのある部分に分けられる。この標準的な部分をキッチリと持つ様に育った人間を紳士(淑女)と呼ぶのだろう。

初等及び中等教育で大事なのは、社会で生きられるように、社会に貢献できるように、社会に規制された部分を身につけることである。それにプラスして、個性を伸ばすこと、そしてそれを社会の成長に活かせる様に、自分を作ることだと思う。(補足2)

その為に、初等教育においては先ず敎育すべきは、緊張感をもって先生の授業を受けるという姿勢である。中等教育までは、社会の仕組みとその中で生きるという人としての初歩を徹底教育すべきである。個性を伸ばす部分では、上記社会の成り立ちと教育の目的とともに、教えるべきである。

3)イジメについて:

そのような敎育をしておれば、学校におけるイジメなどあまり起こらないだろう。新しい知識を教わるという緊張感が学校の雰囲気を支配しておれば、その緊張感は生徒の「自分勝手」を封じる筈である。

学校のクラスルームは当然のことだが、一つの社会である。その社会への貢献、社会の成長と防御などを、生徒が自ら実践するのが、義務教育での必須であるのなら、社会の崩壊であるイジメを無くすることは、教育の一環に含まれる筈である。

自分を抑え、過去の人類が築いた叡智に学ぶ姿勢を持った人間は、自分を見る目と同時に社会を見る目ももっているだろう。その基礎知識を身に着けた人間には、その社会の欠陥や不足と同時に自分の適正も見えている筈である。

「自分探し」とは、自分を知ると同時に自分の生きる社会を知ることである。従って、社会を十分学ばない者には、自分のあるべき姿など永遠に見えないだろう。(補足3)

4)現代社会は、個人が襟を正す姿勢を奪ってしまった。その原因は、恐らく戦後英米文化を誤解して導入したのが一因だろう。その原因の一つに戦後の占領政策も大きな要素だろう。何故なら、上記社会に適合し、社会に貢献し、社会を防衛する姿勢は、日本古来の姿勢であり、日本が再び大国として復興しない様にそれを徹底的に破壊したのが、WGIP(戦争犯罪情報プログラム;war guilt information program)だと思う。

自由、平等、そして人権は、近代西欧社会の大事な概念だという。しかし、それらはあくまでも社会の中の自分について、権利の側面を言ったに過ぎない。それを最大限に主張し、義務の部分を無視する様に育てられたのが、日本社会党などの左翼政党である。それをGHQは支援したことはよく知られている。(補足4)

社会の中に生きることを運命付けられた人間には、当然社会に於ける義務を負う。個人の自由は、社会のルールに従い、社会を防衛すること、他人の自由を尊重するという義務を知る人間のみの権利である。平等も、社会のルールが定める平等であり、個人が平等・不平等の決定権を持つ訳ではない。人権についても、現在の世界では国家あっての人権であるから、社会国家の安定に寄与する個人のみのものである。(補足5)

つまり、自由、平等、人権などの言葉を使う時に、社会の中の自分という視点で、それらの言葉が理解できていることが必須である。紳士淑女は個の主張においては謙虚であり、社会や国家を守るという意思と勇気を持つ筈である。(補足6)ただ、戦前の国粋主義は、国家は個人の為にあるという第一原則を無視しているので、論外である。つまり、国民全員が積極的に政治に参加し、政治家のレベルをあげることが大事である。(11月9日6:50編集)

補足:

1)世界がポピュリズムの方向に向かっていることは、それを示している。
2)戦前の国の為に身を捧げるという戦時敎育の反動と言えるだろう。しかし、長い歴史と高度な文明を持つ社会では、個人の社会への貢献なくしてはそれを維持できない。能力に限界のある個人は、自分探しよりも社会の構造やダイナミックスを学び、そこに自分を適応させる作業こそ急ぐべきことである。
3)ドイツの政治家、ワイツゼッカーの言葉「過去に目を閉ざすものは、現在に対しても盲目である」は有名だが、「世界に目を閉ざすものは、自分に対しても盲目である」とも言えるだろう。自分とは、時空4次元空間の中の原点であるから、これらは当然である。
4)GHQ民政局が、社会主義政党を支援したことはよく知られている。(ウィキペディアの55年体制参照) また、米国における社会主義者の進出、マッカーシーによる赤狩りについては文献も多い。
5)この社会、それを包含する形での国家に対して、それらを害する行動をとるものに人権はない。
6)紳士であることを目指す意思を個人に植え付けることが、教育の目的である。札幌農学校のクラーク博士の言葉を引用して、ヤフーの知恵袋に質問の形で投稿したものを引用します。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1155470071

2017年11月7日火曜日

日本は北朝鮮問題の正面に立つのは間違いである:米国と中国に任せるべき

1)トランプ大統領の東アジア諸国訪問の大きな目的の一つは北朝鮮問題であり、もう一つは対外貿易不均衡の解決だろう。その二つは、密接に関係していることは、日本に米国製軍需品を買うべきだというトランプ発言で明らかである。

大事なことは、北朝鮮の核兵器は日本にとって脅威でも、米国特にその支配層にとっては脅威ではないことを日本は知るべきである。その結果、北朝鮮の核兵器は米国にとって足枷というより、日本を始め近隣諸国との折衝の武器となっている。

そのような理解に基づけば、日本は外交関係において主な交渉窓口を米国だけとするのは非常に危険だと思う。今朝のテレビ「スッキリ」において、ロバート・キャンベル氏が言っていたように、安倍総理が機嫌よくトランプ大統領と話をして、北朝鮮問題は米国に協力しておれば大丈夫だと思っていても、中国へ行き習近平主席と話し合った途端に日本での話がひっくり返る可能性がある。

トランプ大統領は8,9月に北朝鮮が日本列島を超えて打ち上げたミサイルを日本が迎撃すべきだったと語ったという。https://jp.reuters.com/article/idJP2017110401001904 また、最近のAFPの報道によれば、「トランプ大統領は11月2日、中国に対し、北朝鮮の脅威に適当な対処がなければ「武士の国」である日本が自ら事に当たる可能性もあると警告した」という。http://www.afpbb.com/articles/-/3149247

つまり、北朝鮮を非核化させるための攻撃は日本や中国にやらせて、日本にはそのための武器を売りつけ、中国は消耗させたいということである。それは、「アメリカ第一」で国際政治を進める米国にとっては確かに賢明な方法かもしれないが、東アジア諸国にとっては迷惑な話である。何故なら、何度も本ブログで書いている(下にも書いた)ように、朝鮮戦争の終結責任、そして終結が遅れたための北朝鮮の核武装に対する責任は、米国にあるからである。

2)中国共産党の最高機関である中国共産党全国代表大会(中共党大会)が、今年10月に開かれ、新しいチャイナ7が選ばれた。李克強を除く5人の中央政治局常務委員のうち、江沢民派だったのは韓正一人だが、現在韓正氏も習近平に忠誠を誓っているという。(補足1)

その中共党大会の2ヶ月程前に、北戴河会議という長老を囲む秘密会議が慣例に従ってひらかれた。通常、そこで中共党大会での決議事項の原案が決まる。その内容について、元警視庁通訳捜査官の坂東忠信氏が、あるネット記事の内容として紹介している。 https://www.youtube.com/watch?v=4wJc3Mb5dGU&t=3213s

その信憑性についての判断は慎重でなければならないが、以下のようなものである。
1。ロシアとの関係強化し、ロシアにヨーロッパや日本など他国を近づけるな。
2。北朝鮮と米国との間は消耗戦をさせろ。飛び火してこない様にしろ。
3。インドとは今はあらそうな。

以上は実際に北戴河会議で話あわれたかどうかと関係なく、中国の姿勢として合理的であり、従って信憑性が高いと感じられる。

夫々、非常に重要であり、東アジア外交の鍵となるような項目である。ここでは、短期的に北朝鮮問題を考えるために注目すべきは2。で、中国は北朝鮮問題に積極的に関与したくないと言うことである。北朝鮮への制裁決議があっても、制裁する振りだけは十分するが、実質的には殆ど何もしないことなど、今までの中国の対応を考えると、2。は一環した中国の姿勢だと合点が行く。

この件を考える上で、朝鮮戦争の歴史を振り返ることが必須である。つまり、国連総会は1975年に朝鮮戦争の休戦協定を平和条約に置き換え、国連軍を解散することが望ましいと決議した(ウィキペディア参照)。国連軍というが、実質的には米軍であるので、北朝鮮は国家体制の承認を米国に要求したが、米国はイエスとは言わずに、北朝鮮問題を温存した。

もし、韓国を休戦協定に参加させ、その後平和条約に休戦協定を書き換えておれば、今日のような事態には至ってなかっただろう。従って、今日の北朝鮮問題は米国が解決する責任があった筈である。

中国や最近ではロシアも、北朝鮮が核大国化するのに協力したのは確かだろう。中国の動機は、上記2。にあるように、北朝鮮問題を大きくして利用することだろう。ロシアも北朝鮮に味方し、且つ、日本と協力して千島開発をするなどして、西太平洋に覇権を拡大したいのではないだろうか。

東アジアにある4つの核保持国の内、一つが制御不能だというのなら、残りの3つの核保持国がその解決に当たるべきであり、日本と韓国はその責任の外に有る筈である。それにも拘らず、日本を巻き込もうとしているトランプ米国大統領とそれに協力する安倍総理の方針は、日本国を崩壊させる最初のステップとなる可能性がある。

ここは、石破茂氏が言うように日本が核技術を持つなり、核兵器を持つなりして、独自に北朝鮮の核の脅威には屈しない体制を築くべきだという姿勢を周辺諸国に示すべきである。http://www.sankei.com/politics/news/171105/plt1711050026-n1.html そのためには、外交の表舞台では中国やロシアとも、もう少し親密な関係を築くべく演出すべきだと思う。

補足:
1)5人は、栗戦書67、汪洋62、趙楽際60、王滬寧62、韓正63である。夫々についての詳細は、ニューズウイークの記事にある。李戦書は古くからの有人で、王滬寧は前政権時から中枢で仕事をしてきた知恵袋的存在だという。中国に詳しい川添恵子氏は、この二人が習近平の両腕だと表現していた。同氏によれば、趙楽際は、習近平の祖父と趙楽際の祖父の兄弟が関係深い間だという。また、韓正は江沢民はだったが、北朝鮮利権がなく、習近平に忠誠をちかっていると言う。 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/post-8767.php

2017年11月6日月曜日

「アポロ計画陰謀論のウソ」はウソか?:ある閲覧数の多いブログ記事について

「アポロ計画陰謀論のウソ」と題するインチキブログがあったので、紹介する。https://matome.naver.jp/odai/2147856572723596101 政治的目的で書かれているようで、理系人間の私からみれば、説得力など皆無である。それでも、(アポロ計画、陰謀論)でグーグル検索すると、ウィキペディアの記事の次に出て来るので、敢えて反論する気になった。因みに、私はアポロ11号で人が月に送られて帰ってきたというのはウソであると思うので、その根拠を下の記事としてまとめた。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/12/11.html

ここで議論するnaver.jpというサイトにある記事では、怪しげな論理を使いアポロ計画で宇宙飛行士は月面に立った筈だと訴えている。箇条書きに、可怪しい(可笑しい)と思う点について少しだけ指摘しておく。

1.ブログ記事の表題「アポロ計画陰謀論のウソ」は、何か変である。アポロ計画は米国の巨大国家プロジェクトであり、陰謀ではない。

2.「今、月に行けない理由は、膨大な資金が必要だからである」と書いている。アポロ計画の予算は250億ドルで、それは現在の貨幣価値で1350億ドルになると試算し、それだけ高額な予算がかかるので、今では月に行けないというのである。しかし、アポロ計画の費用の殆どは、技術開発の費用の筈である。そこで集積された技術を再現して一度だけ月に行くのなら、アポロ計画の予算の数%の資金で可能だろう。こんな誤魔化しをするのは、政治的動機で書いたからだろうと思う。 (補足1)

3.宇宙飛行士が月着陸をしたという発表がウソであるという主張を始めたのは、“地球は球ではなく聖書にある通り平である”と主張するキリスト教の一派であると書いている。

この“アポロ計画で月に人が立った”というのは捏造であるという説で、まともに取り上げるべき最初のものは、ロケット開発の会社に勤務していたビル・ケーシングの本(1976年)だろう。そして、重要なのはそれを取り上げ且つ独自の情報を収集して「人の月面着陸は捏造である」と論じたBBCの放送である。

 ここで記事を終わっても、上記サイトの記述が科学的議論の対象たり得ないことが分かるだろう。また、ダラスでアポロ計画を始めたケネディ大統領が暗殺されたが、その時にケネディ大統領は宇宙人の存在について演説の中で喋る予定をしていたという。その意図について10月27日の本ブログに書いたが、それは「アポロ計画」を知る重要なヒントになると思う。

4.月面に残されたくっきりとした靴跡の問題については、「水も空気も存在しない月面の砂(レゴリス)は、粒が細かい上に侵食を受けていないため丸まっておらず、地球の砂に比べて非常に固まりやすい性質がある」と書いている。

月の砂“レゴリス”で実験した様な記述である。筆者が飛行士なら、その特殊な砂を1g程持って地球に帰る。何故なら、あのような靴跡は、砂粒子表面の界面張力と水の表面張力の両方が、働かなくては出来ないと考えるからである。それら界面張力の働きにより、水を介して密に接触した二つの砂粒子が容易に離れられないからである。

仮に砂粒子が丸まっていなくても、あのような靴跡は出来ない。これは物理化学的考察である。反論があるのなら、同じく物理化学的にすべきである。また、砂を靴で踏みつけた時に静電気が発生すれば、それは靴跡を崩す働きをするだろう。

5.https:www. flick.com/というアドレスにあるアポロ計画の書類を紹介している。何故、NASAのアーカイブを紹介しないのか。NASAのホームページのかなり下の方のディレクトリにアポロ計画の成果が紹介されている。しかし、データの数、写真の数は非常に貧弱であり、人類初の月面着陸という誇るべき成果にふさわしくない。

6.バン・アレン帯については、ロケットで無事通過できる可能性があると思うので、私は議論しない。

7.アポロ宇宙船の着陸跡の写真を紹介している。それに十分説得力があるのなら、アポロ計画での発表を疑う議論はなくなるだろう。しかし、写真の捏造など、だれでも出来る。また、「月の石」についての議論で、表面に微小なクレーターらしきものが見えると書かれている。しかし、このブログの筆者が屡々引用しているウィキペディアで「月の石」に関する説明を見たが、そこにはそんな写真はない。

尚、上に紹介した私のブログ記事では、NASAの発表した画像にある地球の半円形の像と、着陸地点で建てた星条旗の旗の影の長さが矛盾することを示した。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/12/11.html

補足:
1)ペンス副大統領は今年(2,017年)10月に、再び人を月に送ると表明した。http://sorae.jp/030201/2017_10_06_nasamoon.html アポロ計画後21世紀に入ったばかりの頃に一度、米国は再び月に人を送ると発表したが、中止になった。今回は是非やってもらいたい。1960年代に蓄積した知識が本物なら、予算的にも技術的にも簡単に行ける筈だ。

改憲反対集会とその中での元最高裁判事のスピーチ: 情けない日本の姿

11月3日は憲法公布から71年目にあたる。中日新聞26面(12版)によると、国会周辺で憲法9条改定に反対する集会が開かれ、元最高裁判事の浜田邦夫氏も9条改憲反対のスピーチをした。

この記事によると:
“集会では、「憲法の番人」である最高裁の判事だった弁護士、浜田邦夫さんも壇上に立ち、「民主主義、立憲主義、法の支配を守るため、国民一人一人が勇気を持って発言していくことが重要」と主張。「改憲の検討自体は反対しない。しかし、安倍政権の独裁的手法を認めるわけにはいかない。安倍政権が目指しているのは、戦争ができる普通の国。戦前の日本に戻るコースだ」と訴えた。”

この新聞は何を考えて「憲法の番人」なる言葉を、最高裁の形容に用いているのか?最高裁は長沼ナイキ事件で、自衛隊は憲法に違反するかどうかが問われた時、“統治行為論”という屁理屈で憲法判断を避けた。憲法判断を避ける裁判所をどうして「憲法の番人」と呼べるのか? (筆者は最近、最高裁の憲法判断を避ける姿勢を批判したばかりである。10月24日と 10月30日の記事参照)

この記事によれば、浜田邦夫氏は2001-2006年に最高裁判事を務め、退官後の2015年の参議院公聴会で、集団的自衛権行使容認を違憲と指摘。それに関して、「民主主義の危機に黙っていられなかった」と語ったと書かれている。

この元判事は、全く我が国と国民の安全など考えていない。何故なら、現在の日本は「民主主義、立憲主義、法の支配」を守らず、核ミサイルを我が国に向けて、「日本列島を海に沈めることもできる」と脅す国と、それよりも巨大でもっと恐ろしいかもしれない独裁国を隣国に持っていることなど、念頭にあるとは思えないからである。この元判事には、現在の憲法を堅持し、それに従った外交でどのようにして国民の生命と安全を守れるのか、答えて見ろと言いたい。

安倍政権は独裁的手法を用いると言って非難しているが、それも全くおかしい。何故なら安倍政権は、選挙で選ばれた国会議員たちにより、法に従って作られた政権だからである。3日前にも、我々日本国民により10日程前に新たに選ばれた国会議員たちにより、安倍晋三氏が再度総理大臣として適任だと確認されている。それをまるで民主主義に反する政権の様に言うのは、小学生の論理さえ持ち合わせていないか、他国の利益のために発言しているとしか思えない。

集団的自衛権行使を可能にするという憲法解釈も、国民が信任している内閣のものである。それに反対しているのなら、今回の選挙でも自民党が勝利をおさめる筈がない。

昨日の集会で、「安倍政権が目指しているのは、戦争ができる普通の国。戦前の日本に戻るコースだ」と訴えたそうだが、「戦争ができる普通の国」を目指すことのどこが悪いのか?(補足1)普通の国になるのがいけないというのは、異常な国のままでいてほしいということだろう。また、普通の国に戻ることが何故戦前の日本に戻ることなのか?何も考えないでいい加減なことを大衆の面前で喋らないでほしい。ボケているのなら、家に居ろと言いたい。

兎に角、最高裁判事がこのような人から構成されていては、まともな機能は果たさないのは当たり前だろう。非常に寂しく悲しい気持ちになる。

補足:
1)ワシントンの米戦略国際問題研究所の上級顧問である、著名な戦略家のエドワード・ルトワック氏は、「戦争にチャンスを与えよ」(訳本は2017年4月出版)と言う本を書いた。20世紀の前半までは、この本の主張でもある、「戦争は外交の一環である」という考え(クラウゼウィッツの戦争論)が世界の標準だった。そして現在でも、戦争ができる軍事力は、戦争を避ける軍事力でもあるという厳然たる事実に変わりはない。日本人の「戦争だけはしてはいけない。そのためには非武装が良い」という全くナイーブな考えなど世界に通用しない。全ての日本人は、中国の李鵬首相(当時)がオーストラリア首相が訪中の際(1993年)に言った言葉「日本は取るに足らない国である。30年程したらだいたい潰れるだろう」を反芻すべきである。

2017年11月2日木曜日

二つの宗教:自分が生きる為の宗教と他人を支配する為の宗教

宗教には表題に書いた二つのタイプがあるようだ。また、代表的な宗教は、二つの側面を持つようだ。以下は先日宗教について書いた文章の続きである。(22:45 大幅に編集しました。)

1)日本人にとって身近な宗教である神道を考えてみる。神道での二つの宗教とは、オリジナルな神道と伊勢神道(筆者の命名)である。オリジナルな神道は、自然に対する畏敬の念がそのまま宗教になったものであり、所謂アニミズムに属する。何度も取り上げて恐縮だが、深沢七郎の小説「楢山節考」の中に出てくる楢山信仰がその例である。高い山を神格化し、そこに参ることが死出の旅の始まりであるという宗教である。楢山参りは、人生設計の中にしっかりと組み込まれている。

神道を信じることは、人として生まれた自分も自然の一部であり、自然は全体として調和的に存在し動いていると信じ、感じることだと思う。それは、草木、昆虫、動物から、岩、山、川、海、空に至る自然全てに対して畏敬の念を持つことであり、日本古来の文化となって定着していると思う。

一方伊勢神道は、世界を創造した神とその子孫である天照大神の信仰である。それは、天照大神の子孫である天皇家に対する忠誠を、人々の間に醸成するという政治的意図を伴っている。原始的アニミズムに分類されるオリジナルな神道と比較して“先進的”と言えなくもない。(補足1)

伊勢神道は、天皇を国家の象徴とし国民団結の旗頭とする意味があり、それは日本人がこれまで国家を維持し生き残る上で、大きな役割を果たしただろう。しかし、靖国神社を建立し兵士を鼓舞する方向に伊勢神道を用いたのは、結果として宗教へ頼り過ぎたのではないかと思う。そして、先の大戦での大きな犠牲は、知恵と戦略に欠けた為政者の無責任の結果であることを、後の戒めとして再確認すべきだろう。その為政者まで合祀したのは、時の宮司の国民に対する裏切り行為だと思う。(政治家の靖国参拝を支持する櫻井よしこ氏を批判した文章:https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41369336.html)

現在の何かとグローバル展開される世界において、伊勢神道は日本民族の故郷であるが、そこに拘っていては日本に生きる道はないと思う。
それとは次元のことなる、他人を支配する宗教も多く発生している。それらは邪教というべきだろう。それについてはここでは触れない。

2)世界最大の宗教神は、エホバ神(ヤハヴェ神)だろう。それを信仰する宗教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。それらに於いても、濃淡の差はあるが上記の性質が“二つの側面”として存在するだろう。つまり、人が生きる為の知恵が集積された本として、聖書を見ることができる一方、特にキリスト教において、後述のように政治的に利用されやすい側面があると思う。ユダヤ教やイスラム教も、同じ宗教の人たちを率いるという政治的側面があると思う。

旧約聖書は創世記で始まる。その創造神話は、自然と人間に対する極めて深い理解が背景になければ書けないので、本当に神のことばかもしれないと思う程である。人に、それらの本質を教えてくれる、知恵の書であると思う。そして、ユダヤの歴史の部分は、やはり民族の団結を意識したものだと思う。

イエス・キリストの“ことば”は、ローマの支配下にあった人々に生きる勇気を人々にあたえただろう。そのイエス・キリストの言葉を用いて新約聖書を編纂し、新しい宗教として組織化し、強い勢力となるようにまとめ上げたのが、パウロだろう。(ウイキペディア参照)

キリスト教の一派であるイエズス会が、ローマ帝国の宗教を世界に広めたのだが、それは世界各地の植民地化プロセスの最初の役割を果たした。それはまさに宗教の政治利用だった。キリスト教は“愛”の宗教だと言われるが、他国の人や政治を堕落させる武器ともなるのだろう。(補足2)

その辺りについては、ニーチェのアンチクリストの翻訳書の一つを読んだ感想として、以前書いたことがある。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43225234.html

3)宗教は広い範囲に広がれば広がるほど、同時に政治的色彩が強くなるだろう。アニミズムの範囲の神道は、個人や集落や部族のものであるが、伊勢神道は日本国全体を制覇すると同時に、政治的色彩を強くしたと思う。それと同じく、キリストの教えもパレスチナの宗教、ローマ帝国の宗教、そして世界の宗教と対照範囲が広がるが、それぞれの段階で政治的色彩が強くなったのではないだろうか。

人間の歴史を通して、大衆が満足した時代は少ないだろう。厳しい現実の中で、絶望的な将来に向かって希望を与える言葉が、結果として二枚舌になってしまうのは不思議ではない。パウロは、「神は世の中の弱い者を、世の中の愚かな者を、軽く見られている者を、お選びになる」と言った。それは大衆の心を掴むが、神がいない以上、現実は「神は自ら助くるものを助く」(God helps those who help themselves.)ということになる。

上記パウロの言葉は、人間社会の大多数を占める下層に、上層に位置する人間の否定を教えたのである。その考えには政治的意図が含まれていると考えられる。おそらく意図的に挿入された政治的要素だろうし、世界に広がった理由の一つだろう。言葉で飾る民主主義とキリスト教は、非常に親和性があると思う。

民主主義の価値観である、自由、人権、平和、正義といった言葉で、世界を統治できるのなら理想的である。しかし、現実は利益をどうあげるかで動いているのである。そのメカニズムを熟知した世界の国々は、理想論を表にだして、現実論で動くという国際政治を採用している。それは同じ人間の中に同居している以上、二枚舌と言わなければならない。それが世界の標準であるということを理解しないナイーブな国の代表が日本である。

補足:
1)学者は、アニミズム的宗教を原始宗教に分類する。その分類に従えば、伊勢神道は先進的ということになる。時代が進み、人の集合(社会)の単位が、大家族、部族、国家と大きくなるに従って、宗教も政治的側面を持つことになる。時の経過を進歩と呼ぶ習慣に従って、アニミズムを原始的と呼ぶだけである。それは“学問的偏見”の一つだろう。
2)母親の愛は、幼い子供を育てるが、成長したあとは子供を堕落させる恐れがあるのと同様である。

2017年11月1日水曜日

孝明天皇を祀る官営神社がなかったのは何故なのか?:孝明天皇暗殺説と明治天皇すり替え説

政治を考える上で、国家の成り立ちの経緯を理解することは非常に大事である。現在とるべき政策は、将来の日本の方向を考えて定めるのだが、その為に必須なのは現在の日本が十分理解されていることである。しかし、それは日本国だけの事ではないかもしれないが、時の権力は国家の歴史を隠し、国民から正常な歴史感覚と政治における理解力と判断力を奪っている。

日本の近代を知る上で、明治維新の理解は非常に大事である。しかし、そこに大きな歴史の捏造が行われたのでは無いかという疑いが浮上している。(補足1)2年前に、それまでに読んだ本などから、明治維新について整理しブログ記事として書いた。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42241483.html

今回焦点を当てるのは、愛知県知多郡武豊町にある寂れた神社、玉鉾神社である。そこは、薩長に協力した下級貴族(岩倉具視など)に暗殺されたかもしれない、孝明天皇を祀る神社である。孝明天皇は、薩長の下級武士たちが中心となった倒幕運動において、最も邪魔な存在であった。(補足2)その創建に至る話は異常に思え、孝明天皇暗殺説や明治天皇すり替え説をサポートする情況証拠のように思えるので、ここで紹介したい。

異常だと思うのは、孝明天皇を祭祀する神社を新政府は作らなかったことであり、作ることを妨害し、そして出来た神社を冷遇したことである。新政府側が孝明天皇を祀ったのは、1940年(昭和15年)になってからであり、しかも平安神宮の祭神に加えるという形だった。それと対照的なのは、明治天皇の祭祀である。明治神宮が創建されたのは、大正9年11月1日であり、それは天皇没後8年、皇后の没後6年のことである。

孝明天皇を祀る神社が無いことを悲しんだのか、一民間人である旭形亀太郎という人が創建を願い出た。旭形亀太郎は、幕末の文久3年に宮中警備隊長になり、蛤御門の変では玉座の守備にあたった人である。(補足3)長い間の運動で漸く正式に許可されたのは、明治32年のことであった。ただし、祭祀されているのは孝明天皇だけではなく、神話時代の神が含まれているとのことである。https://ameblo.jp/zonebalance/entry-12085958158.html

玉鉾神社をグーグルマップでみると、まともな駐車場も無く、アクセスも悪いように思う。元天皇の神社であるにも拘らず、神宮と呼ばれない寂れた神社である理由は、その維持管理に国家から何の援助もなかったからだと思われる。

明治中期以降、日本の神社は社格制度で分類され、それに従って一部は国家から支援をうけた。その社格による分類は、官社、諸社、無格社である。官社は神祇官が祀る官幣社と地方官が祀る国幣社に分けられ、夫々に大、中、小に分類されていた。その中で、玉鉾神社は最低の無格社だった。無格社に支援金は出ない。(補足4)

武豊町のホームページには何の紹介記事もなく、http://www.town.taketoyo.lg.jp/contents_detail.php?co=cat&frmId=874&frmCd=4-2-10-0-0 武豊町史の中に他の神社の詳細な記事と比べて、ほとんど何も書かれていない。詳細な記述を避けていると思うのは考えすぎだろうか。http://www.geocities.jp/kamankara/text/documents/d-tak.html#玉鉾神社

これらのことを知れば、今まで不思議だったことの説明が簡単に出来ることに気づく。その一つは、明治政府に皇室祭祀の主導権が移されると、南朝関係者を祀る神社の創建・再興や贈位などが行われるようになったことである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%AD%A3%E9%96%8F%E8%AB%96 そして、後醍醐天皇の建武の新政の立役者である楠木正成の像が、現在の皇居(北朝の子孫の宮殿)外苑に設置されている理由も、はっきりと分かる。この件については、以下のブログにかなり書かれている。http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-05-24

明治天皇の即位は満年齢で14歳の時である。皇子であったときと即位した明治天皇の体格に大差があるという指摘をする記事も多い。また、何故素早く東京遷都をしたのかという疑問も、すり替え説をとれば簡単に説明できる。孝明天皇が実父でないなら、それを祀る神社を作らず、作らせず、またできた神社を厚遇しない理由も、簡単に説明可能なのである。

明治維新と呼ぶに相応しい日本の夜明けなど無かったのではないのか?江戸時代は暗黒の時代などではなかったのだろう。そして、未だに明治から昭和の時代の負の遺産が、現在の四面楚歌の日本の情況を作っているのではないのか。江戸時代は、考えてみれば、今より遥かに地方分権社会であった。(補足1)

補足:

1)「明治維新の過ち」を書いた原田伊織氏は、近代史の総括なしに日本の未来はないと言っている。そして、世界は江戸システムに向かっていると書いている。http://manet.murc.jp/thinktank/rc/quarterly/quarterly_detail/201702_16.pdf 

2)孝明天皇は江戸の官僚組織を頼りにした。そこで、薩長下級武士たちや岩倉具視などの下級貴族は、病気で数日休んだ天皇とその皇子を暗殺し、代わりに長州の田布施地方出身で長州力士隊の一人(大室寅之助)を明治天皇に仕立て上げたという説がある(有力である)。孝明天皇の毒殺説は、半島一利著「幕末史」も支持している。その本の中に、英国外交官だったアーネスト・サトウの日記には、天皇が暗殺されたと明記されているとある。(幕末史、p260)ただ、半藤氏は明治天皇になる筈だった睦仁親王については何も書いていない。

3)旭形亀太郎は力士隊に属し、蛤御門の変で玉座を護った功績により、孝明天皇より天杯等を賜った。下記サイトに、日本相撲協会の『日本相撲史中巻』に、「旭形亀太郎の盡忠」という見出しで、旭形亀太郎について記載しているとある。 https://www.degucci.com/%E5%A4%A7%E7%AB%8B%E8%80%85-%E6%97%AD%E5%BD%A2%E4%BA%80%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AE%E5%B0%BD%E5%BF%A0%E3%81%A8%E7%8E%89%E9%89%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

4)なお、太田龍著「天皇破壊史」という本には、伊藤博文が玉鉾神社に弾圧した旨の記述がある。(P108)他に文献として、落合莞爾著、「南北朝こそ日本の機密」などがある。 http://simple-art-book.blog.so-net.ne.jp/2015-05-24

2017年10月30日月曜日

安倍総理による衆議院解散は憲法違反である:日本の政治における最高裁判所の責任(2)

(追記13:00)以下は、安倍総理による衆議院解散を批判するためではなく、そのような解散に対する判断を避けてきた最高裁を批判するために書いた。

1)憲法第41条には、「国会は国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と書かれて居る。しかし、先日の安倍総理による衆議院解散は、内閣不信任案の可決などがなかったにもかかわらず行われた。従って、国権の最高機関をより下位にある内閣が、天皇を利用して(憲法7条)正当な理由もなく解散したことになり、憲法違反であると思う。

この件、理由なき解散と言われてきた。内閣に如何なる理由があったとしても、総理大臣の一存で衆議院の解散など憲法の規定によればできない。解散権は総理の大権だという与党議員の声をしばしば聞くが全くのインチキ発言である。もし、内閣が前回選挙の時に現在のような国難というべき事態を国民が考慮していないと考えて、内閣への信任を確認したいのなら、内閣信任案を与党(総理は与党の総裁である)から国会に提出し、国会の決議でそれは行われるべきだと思う。

その件についての指摘が憲法に戻って詳細に報道されないのは、この国のマスコミのレベルの低さだと思う。確かに慣例として総理大臣は衆議院を解散する権利を有するとされてきた。小泉首相のときの郵政解散も同種の解散であった。しかし、この慣例にたいして批判が強くないのは、野党議員の無知と日本の法律学者のレベルが異常に低いことが原因だろう。(補足1)

この件を憲法の条文に従って、以下復習する。衆議院の解散について記述した憲法の条文は、憲法7条と69条である。憲法7条には、天皇の国事行為に関して次のように書かれて居る。

憲法7条:天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 1。憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること;2。国会を召集すること;3。衆議院を解散すること;以下省略(他に、国務大臣の任免、栄典授与等が含まれて居る)

憲法69条には次のように書かれて居る。「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」

憲法7条によれば、解散を決定するのは、内閣である。その決定には、69条記載の国会による内閣不信任がなければならない。内閣不信任案の可決や、内閣の信任案の否決がないにもかかわらず、内閣総理大臣が天皇の国事行為の一つとして、衆議院解散を行うように助言と承認を行うのは、明らかに憲法69条に違反する。

2)内閣による衆議院の解散が、憲法69条により衆議院で内閣不信任案が可決された場合に限られるのか、それ以外の場合でも認められるのかは、古くから、憲法上の論点とされてきた。その点について議論しているブログがあった。http://ironna.jp/article/620

この衆議院で内閣の信任が否定されたことを理由にする解散(憲法69条による解散)ではなく、内閣が一方的に憲法7条を根拠に解散したことは違憲であると主張する裁判が1952年に起こされた。

その裁判は、高裁で合憲の判決が出された。その上告審で、最高裁でいわゆる統治行為論を採用し、高度に政治性のある国家行為については法律上の判断が可能であっても裁判所は審査権のそとにあるとし、違憲判断をせずに上告を棄却した。その後、憲法7条による衆議院解散が慣例化したと書かれて居る。ここでも最高裁が屁理屈を担ぎ出して責任を放棄し、日本の政治を悪くしているのである。

この国は最高裁の所為でガタガタである。以下のある法律家のブログ記事も参考になる。 http://www.seirogan.co.jp/blog/2012/11/post-47.html

(12:00編集あり)

補足:
1)以前から書いて居るが、日本の大学における文系諸学部のレベルは異常に低い。それは、文系学問での国際交流が活発ではないからだろう。日本の情実人事が無能な人間を大学教授にしているのだろう。「一級の人間は一級の人間を雇う。二級の人間は三級の人間を雇う」という法則の通りである。

2017年10月29日日曜日

ビットコインとは何か、貨幣として将来性があるのか?

1)最近ビットコインが仮想通貨の代表として話題になっている。人によっては、中央銀行の役割を奪い取るのではないかと考えているようだ。しかし、決してそのようなことはないだろう。何故なら、通貨としての本質的に重要な要素を欠いて居ると思うのである。

通貨の要素として一番重要なのは、その価値があまり変動しないと人々が信じる根拠を持って居ることである。それは、国家などの安定した大きな組織が価値を保障したり、貨幣そのものに一定の価値が信じられることである。前者が国家や中央銀行が発行する紙幣などが持つ性質であり、後者が金などが貨幣として通用する根拠である。(補足1)他に、商品等と交換する(つまり売買)際の手軽さ、送金の簡便さなども通貨の要素であるが、それは二番目以降の要素である。

その様に考えると、ビットコインにはその一番重要な要素が欠けていると思う。送金手段としての簡便性に優れて居るとしても、現在の通貨の代わりをするには、全ての人たちがビットコインに一定の価値を信じ、且つ取引の終了や貯蓄の間に、その価値が大きく変動しないことが必要がある。しかし、ビットコインの価値は大きく変動し、投機目的で売買されているのが現状である。

最初に戻るが、紙幣とは一般に国家(正確には中央銀行)がその保持者に対して、額面だけの債務があることを示す証書である。従って、紙幣(貨幣)の信用は、中央銀行(または国家)に対する信用である。(補足2)しかし、ビットコインには世界中の不特定多数がその価値を信じていても、その根拠はそのグループ内の人たちが信じているだけで、外部の人のだれにもその価値を保障する人はいないのである。

2)ビットコインでの要素技術として重要なのは、非対称鍵(補足3)を用いる暗号通信を利用していることと、ブロックチェインと呼ばれるビットコインの移動の詳細を完全に記述したしたファイルを、一般の参加者有志(ノードと呼ばれる)全員で共同管理することである。

ビットコインの利用は、次の様に進められるだろう。無料のソフト(open source)をネットからダウンロードし、それを自分のパソコンにインストールする。暗号用の自分の秘密鍵とアドレス(公開鍵となる)は、そのソフトでその順に作る。ピットコインの送金は、例えば「自分(アドレスxxxxx)の財布(ウオレット)から0.1BTCをA氏に送る」という情報を、ビットコインのネット上に公開鍵(自分のアドレス)で暗号化して投げ入れる(Broadcastという)。そのデータには自分のデジタル署名をつける。(補足4)送金手数料を一定量つけると、ネット上の仲間(peer)が早く送金処理してくれる。 http://jp.techcrunch.com/2015/03/31/bitcoin-essay/

その送金情報を、掲示板に喩えられる同種の情報のあつまりに追加する。その中からひとかたまりを一定時間毎にまとめて確認し閉じるのだが、その際に改竄ができないようにそのデータのハッシュ値(改竄検出用の要約)と呼ばれる数値を添付する。(補足5)

そのハッシュ値の計算の際に、データにランダムな数値を付け加えて、一定の条件に合う形(例えば最初に00が来るなど)になる様に、ビットコインのシステムは要請する。そのハッシュ計算に成功した者は、そのデータ(ブロック)を閉じることになる。その時点で、上記送金プロセスは終了し、送金を受けたビットコインは利用可能となる。

そのブロックを閉じた者は、一定量のビットコインを報酬として得る。この作業をマイニング(採掘)と呼ぶ。ビットコインの取引の帳簿管理の動機づけは、このマイニングと送金者が設定した手数料である。

だいたい以上のような手続きで送金が出来る様である。素人のメモなので十分ではないだろうが、参考にはなると思う。

3)現状日本国内では、現在の通貨との関連で、投機的な目的や単に送金手法として使われている。ただ、ビットコインとは送金手法として、特に政情不安な国家などからの外国送金には非常に有用である。

更に、ブロックチェインの分岐の問題がある。これは同時に複数の人がマイニングが成功したり、悪意ある人の仕業で同じブロックの後に、二つのブロックが繋がるケースである。この場合、長い方が最終的に勝ち残るが、その際短い方のブログでの採掘されたコインなどは無効となるなどの問題も大きい。https://www.crypto-currencies.jp/bitcoin/remittance/attack51.html

これは自分の勉強の為に書いたメモです。詳しい人の意見をぜひ伺いたいと思います。尚、参考書としては、上記引用サイトの他に、岩村充著“「中央銀行が終わる日」ビットコインと通貨の未来”(新潮選書、2016)を参考にしました。詳細はそれらを御覧ください。後者には、非対称鍵を用いた暗号に関する整数論から出発した解説がありますが、正直分かりにくいという印象でした。

補足:
1)他にも米などの穀物も貨幣の代わりをする。世界の経済が大きくなり、それらが一般的な意味で貨幣の役割をする時代は終わったと思う。なお、商品券や販売店が発行するポイントなども準貨幣とみなせるだろう。
2)紙幣は最初は金の預り証であった。つまり、紙幣は銀行で金と交換できた。つまり兌換紙幣であった。その後、ニクソン大統領の時に米ドルが金と切り離され、不換紙幣となった。現在、中央銀行の債務を示す証明書と考えられる。(政府の下部機関とも言える)中央銀行の主な資産は国債であるから、結局国の債務証書と考えても良い。
3)非対象鍵暗号方式は、一方で暗号化した暗号文の復元は他方の鍵でしか行えないことを特徴とする一対の鍵を用いる暗号方式である。一方の鍵を公開して(公開鍵)暗号を送る当事者のIDとし、他方の鍵を秘密として保持する。プライバシーを保護した通信や、いわゆるデジタル署名として利用できる。(補足4参照)
4)デジタル署名は、この送金データのハッシュを、送り主の秘密鍵で暗号化したものだろう。受け取ったA氏は、送金データを送り主の公開鍵(=ID)で復元、そのハッシュを計算する。それと送り主の署名を送り主の公開鍵で復元したハッシュの比較をして一致した場合、それは真正な送金手続きであることがわかる。

https://www.ipa.go.jp/security/pki/024.html

5)コンピュータ上でのデータは全て数値である。そのデータから、ハッシュ関数と呼ばれる方法で要約としての数値であるハッシュを取り出す。その数値の桁数は、データの桁数よりもはるかに小さいが、データに少しでも改竄があればハッシュが変化する。稀に、異なるデータから同じハッシュを得ることがある。データとハッシュの関係は、個人とその印鑑との関係を考えるとわかり易いと思う。

2017年10月27日金曜日

ケネディー暗殺の捜査資料等の公開差止:暗殺の背景は政府紙幣とアポロ計画?

1)トランプ大統領が、公開すると言っていたケネディー暗殺の捜査資料などが、FBIやCIAの強い要請で再び倉庫で眠ることになった。CIAの高官が、「国内外の協力者の個人情報が明らかになる可能性が高く、協力者が存命の場合は個人の名誉が損なわれる懸念が出ているためだ」と説明しているらしいが、誰が信じるのだろうか? http://www.sankei.com/world/news/171027/wor1710270019-n1.html

ケネディー暗殺の理由には、様々な推理がある。何時も最初に出てくるのが、政府紙幣を発行したことが、紙幣発行権を持って居る私的機関(つまりFRB)の人たちの反感を買ったと言う説である。それは、リンカーンも同じ理由で暗殺されたと言われて居るからである。

確かに、民間銀行が国家の紙幣を発行できると、英国ロスチャイルド家の様に膨大な利益を得られるかもしれない。しかし現在では、ドル紙幣を発行しているFRBは剰余金を国庫に納入しているし、当時でもそんなにぼろ儲けなどしていないだろう。(補足1)

理由の二つ目に、ほとんど不可能なアポロ計画に多額の国家予算をつけることに危機を感じた人たちにより、暗殺されたと言う説がある。その他に、マフィアの復習説などあるが、最初の二つの説が有力だと私は思う。https://matome.naver.jp/odai/2142000723509551501?page=2 (この最初のページに、政府紙幣発行について書かれて居る。)

2)上記サイトの記事を見ていて感じたのだが、最初の二つの説を結びつければ、真相が見えてくるような気がする。ケネディー大統領は、米国を破綻状態に導く可能性を睨みながら、ソ連に対する完全な勝利に導こうとしたのかもしれない。その様な状況下で、ケネディーを米国にとって危険な人物だと感じる人がいても当然だろう。

先ず、冷戦が厳しさを増して来た当時の国際環境を考えねばならない。ソ連が核兵器の開発に成功したのが、1949年の8月である。その後、冷戦が一層厳しさを増して来た時に大統領になったケネディーは、米国を軍事力において追い越す可能性のあるソ連に如何に対処するかで頭がいっぱいだっただろう。そこで、ミサイル開発に拍車をかける意味でアポロ計画(1961年)を発表したのである。実際に月面に人を立たせることに成功するかどうかよりも、国際世論を味方にしながら高度なミサイルを開発することが何より大事なのである。

その計画の正しさをケネディーは、1962年11月のキューバ危機を乗り越えた時、確信した筈である。そこで、アポロ計画に拍車をかける意味で、ダラスで宇宙人探索の計画を発表する予定だったのだろう。その経費が膨大になることは明らかであり、中央銀行であるFRBの協力が得られ無いことを危惧したケネディーは、政府紙幣の発行を思いついたのだろう。

それを実行したのが、1963年6月4日のことである。http://dailyrootsfinder.com/cause-of-the-kennedy-assassination/

キューバ危機から米国を救った英雄として、ケネディーは今でも讃えられて居る。しかし、ソ連との軍拡競争とその為のアポロ計画などで、政府紙幣を使いまくれば、米国が世界の基軸通貨を発行する力を失う可能性が高い。それを深刻に恐れた人は政府中枢にもいただろう。そして、紙幣発行権を失いかけたユダヤ系資本家たちも激怒していただろう。ケネディー大統領が暗殺されたのは、1964年11月22日である。もちろん、真相は誰も知らない。

3)関連したことを以下に書く。
中央銀行を政府から独立させることに、大きなメリットがある。それは、政府が放漫財政に陥ることを防ぐ役割である。日本の財政法でも、政府が国債を発行し、日本銀行に直接引き取らせることを禁止している。政府が紙幣発行権を持てば、それと同じことが簡単にできるのである。つまり、膨大な政府支出が大統領の一存で可能になるのである。

米国が世界一の覇権国であることは、誰も疑いはしない。その強力な軍事力と政治力の背景にあるのは、世界一の経済大国であることと、世界の基軸通貨である米ドルの発行権を持って居ることである。それは、覇権を運ぶ車の両輪のように互いに相補的だろう。それを失う危険性は、ソ連対策に大きな博打を打つよりも恐ろしいことだというのは、正しい考えかもしれ無い。

アポロ計画で、1969年(ケネディーの予告した最後の年)米国が発表した月面着陸はインチキの可能性が極めて高い。そのことは、すでにブログに書いた。その理由として2点あげた。一つ目は、月面の細かい砂は、真空状態であのようなくっきりしたオルドリン飛行士の靴跡を残し得無いことである。更に二つ目として、月からみた地球の像(半円形)、着陸地点、国旗の影の角度が互いに矛盾するのである。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/12/11.html

ケネディー大統領は当日ダラスで、米国は宇宙人の存在の証拠を掴んで居ると演説する予定だったということである。それは真っ赤な嘘であることは、科学的思考のできる人間なら誰でもわかる。ケネディー大統領は、アポロ計画とその軍事転用のことで頭がいっぱいだったのだろう。

あと22年間文書は封印されることになった。米国が現在の延長上にある覇権国家として存在したとしたら、公開を予定している年が来ても、更に50年封印ということになるだろう。

補足:
1)因みに、日本銀行も民間銀行である。財務省が株の多くを持って居るので、剰余金は国庫に納入して居る。株の配当はごくわずかであり、一般人が持つメリットはない。

2017年10月26日木曜日

自立国家と緩衝国家

1)世界は二つの国家や地域により形成されていると思う。自立国家と緩衝国家或いは緩衝地帯である。自立国家は、他の自立国家と衝突しないという前提で国際政治上の決定を独立的にすることが可能な国家である。一方、緩衝国家は自国の判断だけでは国際政治上の決断ができない国家である。多くの場合、戦争は自立国家の間で起り、緩衝国家や緩衝地域は自立国家の侵略などの対象となる。(補足1)

国の経済の発展は、 その国の政治的“力或いは大きさ”の増大とみなせる。従って、自立国の経済発展により、他国が受ける政治的圧力は増大するだろう。(補足2)有限な地球上で、どの国でも自立国家になれるとは限らない。緩衝国家の自立国家への“昇格”は、地域の力のバランスに影響するので、必ず多少ともトラブルを生むだろう。そのように私(素人だが)は思って居る。

北朝鮮問題は、自立国家へ脱皮することを目指す国家と、それに対する抵抗勢力との間の紛争だとみなせる。中国や米国は、北朝鮮や韓国を緩衝国として見なしているので、その点で利害が一致している。

自立国家の力が、緩衝国の半島に到着すると、逃げる方向はないので、そこで大きな圧力を生み、戦争になる。朝鮮戦争は、そのようにみなせると思う。緩衝国家の機能は、自立国家間の衝突で、両国が直接戦場にならないためのものだと言える。つまり、それらの存在は、強国つまり自立国家のエゴイズムによる。

2)緩衝国家の悲哀:

日本の隣国である朝鮮は、現在でも緩衝国家である。そして、現在の日本も緩衝国家的である。朝鮮は、中国、ロシア、そして明治以降は軍国主義大国となった日本の間の緩衝国だった。そして上記諸国や米国などの衝突の舞台となった。それは朝鮮民族の性質によるというよりも、地政学的位置によると考える方が正しいと思う。

それを風刺したのが、何度も同じ図で恐縮だが、下の図である。(補足3)
緩衝国家として一応安定するためには、自立国家としての国防を放棄しなければならない。それが、朝鮮の李王朝が独自の軍事力をあまり持たず、国防を中国に頼った理由である。軍事力を持つことは、隣の自律国家の中国と衝突することもありうるという(自律国家)の意思表明となるからである。19世紀末にロシアの脅威を感じた朝鮮が、清に応援を依頼したのが、日清戦争の理由であり、それを風刺したのが上の漫画である。

同じ理由で、日本国を緩衝国家とするのが、戦争直後からの米国の戦略であった。それに協力したのが吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘などの長期政権を誇った自民党とそのトップ達だったと思う。彼らとて、日本が自立国家となるべきだとは思っていただろうが、それには相当のエネルギーが必要なことも知っていたし、米国により知らされていた。一旦緩衝国家となった国が、自立国家となるためには多大のエネルギーと多くの犠牲を払うことになる。しかも、それは大抵失敗に終わる。北朝鮮の現在の姿だと思う。

勿論、幸運があればそれは可能かもしれない。幸運とは、これまで自立国家であった国の崩壊である。北朝鮮のチャレンジは、自律国家であった大日本帝国の崩壊と、その緩衝国家への凋落により可能となったのだと思う。

3)国家の生成と崩壊:
自立国家の生成は、一時的に周囲に力の真空状態が生じた場合などを切っ掛けとするだろう。日本の敗戦による崩壊のような場合である。そのほかにも、国家の枠組みが経済発展などの変化に追随できない場合に起こる自己崩壊も考えられる。両方が平行して起こることもあるだろう。

ソ連の崩壊は、共産党独裁という体制が世界経済の発展についていけなかった為の自己崩壊の例だろう。それと対照的に中国は政治的にも経済的にも拡大し安定して居る様に見える。それは共産党独裁を謳いながら、共産主義的政策の放棄を鄧小平が行なったからだろう。その柔軟性は、共産主義自体がもともと東洋のものではなかったからであると思う。ただ、「イデオロギーは国家が大衆を支配する道具に過ぎ無い」という考えもある。(補足4)

中国が崩壊するかどうかは、ある一つの小さいグループや個人による独裁政治が、経済発展した国の体制としてあり得るかどうかにかかっている。民衆の政治的意向と現在の政治体制の不一致は明白であるが、それを習近平は一顧だにし無い。独裁体制を維持したまま、国内に向けた力による支配と、外部への力による膨張の両方を用いて、安定した支配が可能だと考えて居るのだろう。

その路線は、中国国民にとっても、隣国にとっても大きな脅威である。一党独裁から皇帝による独裁へと向かって居る中国の姿は、中世の国家のような印象を与える。一般に、自立国家の崩壊は、多大の犠牲を伴うだろう。ベルリンの壁の崩壊やソ連崩壊のように、犠牲が比較的小さい形で進むのは奇跡的だと思う。

4)世界経済システムの崩壊:
もう一つの崩壊として危惧されるのは、国家ではないが米国のドル基軸体制である。米国政府の赤字体質は先に書いた通り、資産に比較して多額の負債と政府職員あての引当金を抱えて居る。中央銀行も日本よりは怪しげなファンド(サブプライムローンのファンド)を多額抱えて居る。
https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43416690.html
https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43424501.html

米国の財政が破綻すれば、ドルの暴落とドル基軸体制の崩壊が起こるだろう。(補足5)その場合、米国は世界に展開した米軍を維持できないので、多くの国で米国を中心とした防衛網をあてにできないようになる。 (http://diamond.jp/articles/-/2187)

ソ連の崩壊は終わったが、そのほかの世界的な国家やシステムの崩壊は日本にとって、非常に危険である。それは、独自防衛力を持たない国家の宿命である。李氏朝鮮にとって、脅威だったのはロシアの筈だったが、激動のなかで支配国になったのは日本帝国であった。日米同盟がどの程度のものかわから無い以上、中国がもし崩壊すれば、或いはドル基軸通過体制が崩壊すれば、李氏朝鮮と同じことが日本に起こりかね無いと思う。

補足:

1)勿論、簡単には二分できないので、灰色領域は当然ある。また、国家という枠組みが緩い場合は、簡単に住人が外国に漏れ出す。この考え方は、所詮モデルである。
2)中国経済の発展は、緩衝地域への膨張として現れて居る。その膨張が異常なものなら、別の理由も考えなければならない。石平氏は、習近平による神話つくりと解釈している。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43388268.html
3)日本(左)と中国(右)が朝鮮(魚)を釣る競争をしている。ロシアは横取りを狙って橋の上から眺めて居る。緩衝国家は魚である。
4)北野幸伯著「クレムリン・メソッド」世界を動かす11の原理、P324参照。この本は、世界を見る目を養ってくれると思う。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/05/blog-post_23.html
5)米国の債務はドル建なので、国債を発行できる間は財政破綻を避けることは可能である。それには、日本のような属国的な国や中央銀行であるFRBが、国債を引き受ける必要がある。より危険なのは、すでに本文引用のブログで述べたように、FRBが多額の住宅ローン担保債券を保有して居ることだろう。そのローンの破綻で、銀行の救済を必要とするような場合、更に米国債がFRB資産として積み上げられることになるのだろう。それは、ドルの信用低下になり、ドルの崩壊を危惧する声が更に大きくなるのだろう。
なお、FRBのバランスシートについては: http://www.smam-jp.com/documents/www/market/ichikawa/irepo160112.pdf

この記事全体は、素人のメモとしてお読みください。

2017年10月24日火曜日

日本の政治における最高裁判所の責任(日本再生には、歴史の再評価が不可欠)

先日の選挙では、自民党が圧勝した。これで政権はしばらく安定し、トランプ大統領の来訪に際しても、受け入れ体制に混乱はないだろう。それを期待して、小選挙区では自民党に一票を投じた。比例区では橋下氏の次回での再出馬や、片山虎之助氏を応援したい気持もあり、日本維新の会に投票した。

そして、最高裁判所の判事の国民審査であるが、中にはまともな姿勢の方もいるだろうが記憶が定かでないので、全員にバツ印を入れた。その理由は、表題に書いたように、最高裁が三権分立の原則があるにも関わらず、その責任果たして居ないからである。

1)以下、例をあげて説明する。日本の政治家のレベルが諸外国に比べて貧弱なのは、最高裁が一票の格差が大きい選挙に対して、訴訟を起こされても違憲判決を出さないのが一因である。民主主義の要諦は、すべての有権者の政治参加の権利が等しくなければならないという点にある。

産業の近代化による経済の発展により、多くの若者は都会に集まった。そして、受けた教育のレベルの平均値も都会居住者で高いだろう。それらの人は政治にも比較的関心が高い筈である。その一票を、田舎の一票よりも軽くすることで、田舎に拠点を持つ世襲政治家の選挙を有利にしてきたのである。

もし、一票の格差が大きい時に、最高裁が違憲判決を出し、選挙無効の宣言をしておれば、その歪みが早期に是正されていただろう。違憲状態とか、違憲だが選挙自体は有効という類の判決は、自分たちの地位を守るためのごまかしである。一言で言えば、最高裁は行政の下僕となっているのである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E7%A5%A8%E3%81%AE%E6%A0%BC%E5%B7%AE

もう一つの重要な例は、自衛隊の憲法判断を避ける最高裁の姿勢である。もし、自衛隊を違憲だとする判断をしておれば、政治家も自分の議席を掛けて、憲法改正に臨む気持ちになるだろうし、選挙民も防衛とは何かを真剣に考える機会を与えられるだろう。 https://ja.wikipedia.org/wiki/長沼ナイキ事件

この種の判断を裁判所が避ける理由は、“国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論(統治行為論)だろう。しかし、そんな理論は法学者の一つの学説であり、それを裁判での根拠にするのは御都合主義である。

最高裁がこの種の行政に阿る姿勢をとるのは、日本は三権分立が完全には成立していないからである。つまり、最高裁長官は内閣が指命し、判事は内閣が任命することでわかるように、司法は行政の下にある。一方、内閣総理大臣は、国会が指名するので、司法は国民から遠い存在である。

幾分失礼な言い方だが、プロ根性に乏しい最高裁長官や判事は、行政の方向を向くのは当然である。その政治形態は、明治の時代から変わって居ない。もし、大統領制が採用できておれば、三権分立は可能である。(補足1)しかし、その際には天皇は元首の地位から降りなければならない。それは、天皇の立場としては、江戸時代の形に戻ることになる。

2)江戸時代には、天皇は政治上完全に象徴的存在であった。言葉の上では、現在の制度と似ているが、“完全に”という点が異なる。つまり、将軍が国家元首であった。その制度を、日本は明治の革命で無くしてしまった。それは、薩長の下級武士が倒幕を成し遂げるには、錦の御旗の偽造と天皇の担ぎ出ししかなかったからである。

その結果、大日本帝国憲法第11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の文章が出来上がる。錦の御旗の下で戦うことを憲法に書けば、この条文となる。この“明治維新”の政治形態の欠点を知っているのは“明治の元勲”たちだが、彼らが死んだのちには、明治憲法の改正の必要性を強く感じる政治家があまり居なかったのだろう。

つまり、天皇を政治利用したのだが、もう一度江戸時代のように御簾の中深くに退いてもらう工夫をする前に、明治維新の成果に酔ってしまったのである。なぜ酔ったのか、それは自分の意思で飲んだ酒ではないからである。

つまり、明治の革命は、英国の支援のもとで英国のモノマネを実行したに過ぎない。その歴史の検証と自分の両足で立つという作業がなされないままに、日露戦争での勝利まで進んでしまった。明治38年のことである。歴史の検証は、それが辛い人が居るうちにしなければならないのだ。

ポーツマスで、なんとか講和を無事成し遂げた外相小村寿太郎を非難したのは、戦争の勝利に酔ってしまった国民である。その非難が骨身にしみてしまったのか、桂・ハリマン協定を破棄することになる。そこから、米国との戦争に進むことになる。満州での権益を否定された米国はすぐに、オレンジ計画で日本との戦争をシミュレーションしたのである。その後日本は一直線で英米の敵として破滅の道を歩むことになった。

何が言いたいのか。それは明治以降の歴史の再評価や、日本文化の特徴などを通して、自国を知ることが将来の安定した日本の基礎であるということである。何が何でも天皇を元首にするという、自民党の憲法草案などでは、日本は再生しない。

補足:

1)似た方法として、首相公選制の採用がある。しかし、首相が最高裁長官を任命したのでは、実質的に大統領である。それでも首相の任命を天皇が行うのは、どう考えてもおかしい。その制度は、天皇は首相の任命を拒否する事態を全く念頭に置いて居ないからである。天皇が人間宣言をした以上、独立した意志があると考えるのが普通だが、それを否定したことになる。もし、それでもそのような事態は全くないと信じる根拠があるとすれば、暗闇の中では正義が行われると宣言していることになる。日本の民主主義の根本的欠陥である。

2017年10月21日土曜日

宗教の発生と目的:雑感

今日は、宗教をどう考えるかについて、現在の考え方をまとめてみました。有限の知識を自分なりに活用して、一つの回答を出しているつもりです。(補足1)間違いを指摘してくださる方があれば、批判をお願いします。

1)宗教は、人が生きる道を見つけるための一般的な考え方(補足2)として創造されたと思う。その考え方は、人がどのような情況にあり、どこで人生の袋小路に入り込むかにより異る。宗教が対象とするのは、個人の場合もあるが、一定の土地に住む一群の人、つまり部族も対象にするのが普通である。勿論、人間が社会を作って生きる以上、比重に差があっても個人と集団の両方を対象とするのは、当然である。

自然の中で命には、一般にいろんな試練が待ち受けている。考えることを運命づけられた人間は、その生をどう考えれば良いのだろうか。具体的には、“死の恐怖”をどう克服するかとか、有限な食料と有限な自分の能力という拘束された条件をどう生きるかという類の問題への回答が無くては生きるのは困難になる。

その問題に対して、仏教は“色即是空”という答えを用意したと思う。形あるものは本質のない虚しいものであるという意味である。従って、形あるものに拘泥してはならない。自分の生もその一つである。本質としての精神の救いとは、形あるものへの拘泥からの解放である。滅びこそ救いであるとして、死に対する恐怖を克服する。つまり、入滅とは涅槃の境地であり、それは悟りを開いた人の死である。

形あるものは本質的でないが、本質的な永遠の存在は否定できない。それを否定してしまえば、混沌と蒙昧の中に落ちるだけだからである。もし人に精神という本質があるのなら、他の形あるものにも類似のもの、つまり本質的で永続的なものが有る筈だと考えるのは不思議ではない。

2)人よりも、人に生きる場、そして幸せと試練とを与えてくれる自然は、もっと偉大で本質的な存在である筈だと考え、それを崇拝するのがアニミズムだろう。その一つが、日本の神道である。神道では、白山や御嶽山などの偉大な自然を神として崇める。神道では他に、あらゆるものが神となる。大きな杉の木であったり、巨大な熊であったり、岩であったりする。

大きな自然災害が頻繁に発生する日本では、神道を信じている人が殆どであり、それが日本文化の基礎であると思う。この国では、言葉にも霊が宿るので、“不吉な言葉”はなるべく避ける方が無難であると、無意識に信じている人が殆どである。(補足3)無意識に信じているため、特別に他の宗教を持たない日本人は得てして、自分は無宗教だと考えがちだが、決してそうではない。

仏教とアニミズムの発生の順番は、アニミズムが先であると思うが、説明の都合で順番を逆に論じた。因みに、アニミズムと仏教を統一したような文学が、深沢七郎の名作「楢山節考」である。これについては、既に書いた。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html

3)自然やその一部である自分自身に対峙する宗教として、アニミズムや仏教を例として上に説明したつもりである。アニミズムは最も古い形の宗教であるというのは宗教学者の一致した考えのようである。一方、有史後に生じた仏教の誕生と普及には、一定の条件があり、それに合致する地域は限られるだろう。つまり、生きる上での主な問題が、自分と家族の生命維持、およびそれらの死との対峙である場合である。その四苦八苦(補足4)のみと対峙して生きるのは、世界史的には比較的恵まれた地域の人たちだろう。

例えば、農業技術などの発展と伴に、より大きなグループを作るようになると、小さな島、或いは移動や移住が比較的困難な場所では、そのグループが地域を満たすことになり、その段階でグループ外の部族や民族による日常的な襲撃は無くなる。従って、部族や民族の団結を目的とした宗教はそれらの地域では発生しなかっただろう。

一方、生きる上での一番の問題が、匪賊や他民族の襲撃である地域では、別のタイプの宗教が必要だろう。それは、自分の属する部族や民族の団結に寄与するタイプの宗教である。

広い大陸では、多少グループが大きくなったとしても他地域からの侵略略奪行為が大規模且つ一層悲惨な形になるだけで、完全に自由になる方法は、侵略者の殲滅以外にはあり得ない。そのような地域では、一人の偉大なリーダーによりその民族を束ねるための宗教が発生しただろう。

ユダヤ教がそのタイプの代表だろうと思う。大きなグループ(民族)が厳しい環境に置かれたことが、偉大なリーダーを生むことに繋がったのだろう。大きなグループであったことの証として、一般民に与えた指針が今尚類を見ないほどの偉大な聖典となっている。他宗教の信者でも、創世記の創造神話が神の啓示により書かれたと言われれば、それをなかなか否定できないだろう。(勿論、それ以前の神話や伝承に似たものがあるかもしれないが、私はその知識に欠けるので、何とも言えない。)

4)原始時代では、戦争は他の部族を殺すことであっただろう。しかし時代が進み世界史の主人公が、部族から民族、そしてそれらを超えた国家という単位になった時には、戦争の目的は他の国家を支配下に置くことに変質した。つまり、隣接部族以外には、元々不倶戴天の敵という関係では無いから、憎しみによる殲滅よりも、利益の為の支配に変質して行ったと思うのである。

そのような時代になり、支配者と被支配者の関係のなかで、被支配者であっても尊厳を保ち強く生きることを示したのがキリスト教ではないだろうか。そこで、「爾の敵を愛せよ」という“昇華された愛”が始めて示されたのだろう。この当たりについては、パウロについての解説書(補足4)を読んでから、再度考えてみたい。

因みに、日本の皇室の起源と繋がる“伊勢神道”は、オリジナルの神道を太陽神である天照大神とその子孫という神格化した英雄とを信仰する宗教に変質させたものだと思う。また、伊勢神道から生じたのが、国家神道であり靖国神社だろう。しかし、伊勢神道までは日本民族固有の宗教(補足5)だと考えても、国家神道と靖国神社とは一線を画したい。勿論、両者は非常に近いのだが、皇室は日本のシンボルであり、オリジナルな日本民族・文化の範囲内だが、靖国神社は江戸末期以降の過ちの日本史の産物であり、受け入れる必要はない。(編集18時30分)

補足:

1)知識ばかり集めて、結局多論併記型の文章しか書かない類の評論家は、道具ばかり集めて何も独創性のある研究が出来ない研究者と同じである。
2)個人の具体的な問題を対象にしていては、人生相談のファイルの様になってしまう。一般的というのは、具体的な問題に対処する考え方という意味である。
3)「言霊」というと、そんな馬鹿なと言下に否定する人が多い。それほど“深い信仰”なのである。何故、語呂合わせで日柄を決めるのですか?街角の至る所になる「ポイ捨て追放」とか、「美しい街〇〇市」とかいう看板は、何の為にあるのですか?と言っても、尚わからないだろう。 政治の分野では言霊も深刻な影響をもたらしている。現在のGHP民政局が作った憲法に「平和憲法」という名前をつけた人の作戦通り、日本は60年間憲法改正が出来なかったのである。
4)キリスト教を考える鍵は、聖書とパウロの生涯だろう。ユダヤの民を支配していたローマまで、信徒にしてしまったプロセスについて知りたいと思う。パウロと彼によるキリスト教(布教)を批判したのが、ニーチェ著の「アンチクリスト」である。
5)オリジナルな神道とは別である。オリジナルな神道は個人的なもので、朝、太陽を拝み手を合わせる老人の姿に見ることができる。伊勢神道は、お伊勢参りと皇室崇拝の日本の伝統であり、民族的なものである。

2017年10月20日金曜日

北朝鮮問題の落ち着き先は、米中露関係により決まる。日本は自律的に日米同盟を考えるべき時である

1)日本は選挙戦たけなわである。マスコミも、誰それの戦いだの予想獲得議席だのと、その話題でもちきりである。しかし、その光景はタイタニック号での船中ゲームの様に感じる。氷山が近づきつつあるのに、そんなバカな議論をしていても日本号は大丈夫なのか?

不気味に静まる金正恩と政争真っ只中の中国、その後の展開が非常に気になる。以下の動画での宮崎正弘氏の考えたシナリオは恐ろしいが、一定の説得力がある。https://www.youtube.com/watch?v=9Yh_Y9VJyIc&t=15s
それは、戦争に疲れた米国に東アジアの面倒を見る余裕はなく、中国に全てを任すのではないかというものである。

北朝鮮問題の解決を中国に任すかどうかは、米国が今後の米中露関係をどのように考えるかに強く依存する。民主党政権時代以降、クリミヤ問題などで米ロ関係は最悪である。就任直後のトランプ大統領は、どちらかと言うと中国よりもロシアとの関係を親密(補足1)に考える様子だったが、政権交代後も米国政府の路線は、北朝鮮問題の深刻化の為か従来の親中路線のままであり、ロシアとの関係も従来通りのままに見える。米国での大統領の力は思ったほど大きくなく、大統領の考えだけで米国を大きく動かすことは出来ないと解釈すべきなのか、それとも大統領の考えが変化してきたのか、どちらか分からない。

この北朝鮮問題においては、現状、米国は中国と密接に交渉するが、ロシアの力を殆ど借りようとはしない。その結果、北朝鮮は中国よりもロシアを頼りにしている様子である。

北朝鮮問題を中国に任すとは、中国の習近平政権が、北朝鮮の金正恩政権を潰して、中国の傀儡政権をそこに立て、核兵器の管理を中国がするということになると言う話である。その様な大規模な干渉を中国にやってもらうことになると、米国は現在以上に親中国的姿勢を今後取る必要がある上に、具体的な相当のメリットが中国になければならない。

宮崎氏は、その筋書きの背後にある米国の覚悟とは、韓国を見捨てて米軍が朝鮮半島から撤退することであるという。つまり、中国が朝鮮半島を完全に支配下に置くことに同意するという、大きな利権を米国が中国にプレゼントするという話である。

2)そのような大胆なことを米国はやるだろうか?
それは結果として、米国が、中国のこれまでの主張である「太平洋を米国と二分して管理しよう」という提案をそのまま飲むことになる。つまり、韓国からの米軍撤退の先にあるのは、短い時間内での東アジアからの完全撤退である。それは取り残された日本にとっては最悪のシナリオであるが、ただ宮崎氏はそこまでは言わなかった。(言うまでもないということかも)

しかし、そのシナリオは間違っている可能性がある。これから世界において米国のライバルとなるのは、ロシアではなく中国であるという視点が抜けているのではないだろうか。

冷戦が終わった後、米露或いは米中の新冷戦が始まっているという考えが、現在の国際政治の専門家の間で支配的である。現在、ロシアと中国は親密な関係にあることや、世界最強国家が米国である限り、米国対中露の対立が深刻となり、且つ、人口の大きさや中国のあからさまな米国への挑戦の姿勢などから考えて、米中の対立が新冷戦の最も大きな構造だと思う。http://www.mag2.com/p/news/316788

あからさまな挑戦とは、AIIBの創設と一帯一路構想を進めることで、「人民元」を世界(の一部)の基軸通貨としようという考えである。(補足2)そもそも、朝鮮戦争を温存してきた(補足3)のは、東西冷戦に対応するために米国の支配圏の中に日本と韓国を置くためであった。それならば、新冷戦に備えて、それを維持する筈だと思う。米国がそれを諦めるのは、米国経済が斜陽から破綻に至る時だろうと思う。

しかし、それ以上の課題が中東にあると、宮崎氏は考えているのだろう。石油が国内生産できる今、米国にとって中東が何故それほど大事なのだろうか?米国政治に大きな力を隠然と持つイスラエルとの関係かもしれない。(補足4)その当たりについては、私には良くわからない。

米国が中国との対立の姿勢を崩さないのなら、当てにするのは日本の軍事力だろう。日本は、米国の韓国を見棄てる路線、その次の日本を見棄てる路線を獲らせないようにするつもりなら、日本が中国の太平洋第一列島線以東への進出を食い止めるために積極的役割を担当する姿勢を示さなければならないだろう。それと同時に、米国との連携を失うことが日本国にとって致命的となることを、日本国民に対して明確に示さ無ければならない。
http://mikitogo.at.webry.info/200907/article_14.html
それ以外のより可能性の低い、そして、多分より危険な選択は、緊密な同盟関係の相手を米国からロシアにかえることである。それは、中国の支配下に入るのとたいして変わらないような、日本にとっては苦難の歴史となる可能性がある。中ロ関係がもし緊密であり続けるとすれば(あまりあり得ない状況かと思うが)、第二列島線の近くに線を引き、北の方をロシアの支配下におき、南西の方を中国の支配下に置くようなところまで行く可能性があると想像する。

3)何れにしても、習近平の独裁体制が誕生するのなら、これからの数十年は中国の拡大の歴史となる可能性大である。(補足5)既に、第二列島線上に基地となる場所を確保しつつあるという。グアムやパラオなどの島々にホテルなどを建設している。民間資本といっても、中国の場合は便衣兵みたいなもので、正体は共産党政府の手先だろう。北海道の土地を買い占めているのも、ヨーロッパへの北極海ルートの確保を意識しているという解説を聞くと、空恐ろしくなる。

日本の本当の情況は、常に上記のような二つの帝国的国家(補足6)を隣国に持っているということである。もう一つの世界一の大国と、それら二つの帝国との関係を日本の問題として自分で考える時代が来ている。それを北朝鮮が我々に知らせてくれたのである。その当たりの議論が、選挙というのなら、本当の政治家にしてほしいことである。短期間にそこまで日本が成長しなければ、「ひよわな花」の国は滅びる運命にあると思う。

現在の自民党にはそれが出来ない。現在の情況を考える時、江戸末期を想像してしまう。国難の時、徳川慶喜はあっさりと大政奉還した。しかしその後も、孝明天皇は江戸幕府の統治及び外交能力を高く評価して、それに頼ろうとした。確かに江戸幕府の方が圧倒的に能力が高かった。しかし、もし倒幕がなければ、近代的な国民国家はできなかっただろう。それと同じように、自民党以外は頼りないだろう。しかし、自民党が破壊されなければ、政治が上記のような根本からの思考をしないと思う。

本当は、政治のリセットが日本再生に向けた大事なプロセスのような気がするが、もうおそすぎる。蒸気船はたった4杯で太平の眠りを覚ますことができたのに、北朝鮮の核搭載ミサイルは、それにも劣る位の覚醒効果しかないのか?或いは、日本はそれほど深い眠りについているのか、それとも麻酔にかけられているのだろうか?

補足:

1)国際政治の場面では、「親密である」という言葉は、「その国と協力すれば今後多くの利益が得られる」と考えているが第一の意味だろう。そして、第二に文化的、歴史的、人種的な親近感があるという意味が加わる。そのように考えるべきだと、多くの専門家が言っていたと思う。勿論、第二の意味の方が、基礎的長期的(下部構造的)な意味があり、重要だという考えもあるだろう。
2)シルクロードに沿って、経済協力を行い、インフラ投資を国々にさせる。その工事を中国企業が請負、その支払をそれらの国々に貸し付けた元で行うのである。そこに中国人を移住させて同化させ、深部から中国の影響下にそれらの国々を置くという政策である。
3)東アジアに足場を置く理由として朝鮮戦争を必要としてきたと明言する米国要人の言葉を、本ブログで紹介した。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43411999.html
尚、マッカーサー将軍が朝鮮戦争の完全勝利を目指した作戦をトルーマン大統領に進言したが、それが都合が悪いと考えた大統領に解雇されたという。(馬渕睦夫著、「国難の正体」参照)
4)イスラエルを訪問したトランプ大統領の嘆きの壁でのパーフォーマンスは印象に深い。また、娘夫婦はユダヤ教信者である。
5)中国経済は崩壊寸前であるとの話をされる方が多い。しかし、一度経済破綻しても、共産党の一党独裁体制は変わらないだろう。
6)中国やロシアを帝国と呼ぶのは言い過ぎだろう。しかし、その色彩を明確に持つことは事実だろう。

2017年10月18日水曜日

日本の政治は、保守とリベラルの対立か?

現在の政党を保守とリベラルという区分で議論することが多い。しかし、保守とリベラルの定義を明確にした上での議論は少ない。昨日の読売新聞の論点スペシャルに、“日本の「保守」「リベラル」とは”という表題で二人の学者の方の意見をまとめた記事が掲載されている。

1)東大教授で法哲学が專門の井上達夫氏は以下のような定義をしている。 自国の伝統的な宗教や文化を守るために個人の自由や権利を制約するのが保守で、政教分離や表現の自由など市民的・政治的人権を強調するのがリベラルである。

日本の政治では、
保守の自民党は、靖国神社公式参拝、選択的夫婦別姓反対、特定秘密保護法、テロ等準備罪などに見られるように、伝統保持や秩序維持のために市民的・政治的人権をある程度制限する。それを批判するのが立憲民主以下の「リベラル野党」である。

「」付きなのは、真のリベラルが日本に無いからで、その理念を定義している。リベラリズムの根本原理は、対立する人々の公正な共生の枠組みを為す正義の理念にある。

もう一人の学者は京都大社会思想史が専攻の名誉教授、佐伯啓思氏である。佐伯氏も具体的に日本の政治における昭和からの動きを説明している。冒頭に、保守とリベラルという対決の図式で日本の政治は語られてきた。しかし今、この対立は意味を失っている。(その一つの要因なのだろう、)日本には本当の意味での保守政党がない。せめてもっと大きな枠組みで憲法や安全保障について議論がしたい。

そのように二人の学者は言っている。(この記事は、記者が聞き取りまとめたものだろう。従って、二人の学者の考えが、正しく伝達されているかには多少疑問が残る。)

2)どうやら、日本政治の対立の図式を「保守とリベラル」という枠組みで考えるのは困難な様である。自民党=保守と二人の方も考えておられるが、自民党を英語で言うと、Liberal Democratic Partyである。つまり、自民党はリベラルを名乗っている。日本に真の保守はないという佐伯氏の指摘は、保守と思われている党の党名から(1955年から)既に明らかである。

保守とは何かというと、引き合いに出されるのが、保守主義の父と言われるエドモンド・バークの考えである。私が理解した「保守」は、社会を構成している「現在の人の知恵や知識」よりも、過去から現在まで其処で生きた遥かに多くの人により作られた「現在の社会」を重視する立場である。

そこでは人が社会を作って生きてきた間に出来た自然のルールを重視する。日本では、江戸末期に外国の影響を強く受け、暫定的に国民国家体制が急いで作られた。更に、海外進出と国家の背骨まで破戒された先の戦争での敗戦あと、10年して出来たのが自由民主党である。その経緯を考えれば、日本に本当の保守など存在するわけがない。有史以来日本に自然と根付いた慣習や法律(コモン・ロー)などは全て、明治から昭和の敗戦で完全に破壊されたのである。

つまり、日本の政治は急ごしらえの国民国家と、それによる大きな歩幅での歩みと転倒を経験したあと、未だに混乱の中にあると思う。日本の政治が、本来の保守やそれに対立するリベラルを形成するには、幕末からの外国の強い影響と日本のそれによる変化を出来るだけ事実に基いて評価及び消化吸収して、独立国日本を取り戻すのが第一に必要なことである。

しかし、現在の政権と政府は、それを拒否している。それは、その間日本を指揮した人たちの後裔が未だに日本を率いいているからなのか、誤りを指摘するのは日本の伝統に反することなのか、わからない。少なくとも、日本は今尚民主国家ではない。民は口をきかないし、口をきかないのが美徳の国なのだから。

井上氏は上記のように、「保守の自民党は、靖国神社公式参拝、選択的夫婦別姓反対、特定秘密保護法、テロ等準備罪などに見られるように、伝統保持や秩序維持のために市民的・政治的人権をある程度制限する」と書いている。しかし、靖国神社や国家神道など、江戸時代の伝統的な日本には無かったのであり、それを支持する政党など従って保守でもなんでもない。靖国は、混乱の中での建造物に過ぎないと私は思う。

2017年10月17日火曜日

東アジアに定着しない西欧の政治経済文化:レベルの低い日本の政治家とレベルが高い中国の政治家

1)読売新聞10月9日の論点スペシャルで、元衆議院副議長の渡辺恒三氏が、「失敗しない政治家選びは何か」というテーマについて書いている。そこで現在の政治家のレベルの低さは、政党助成金と小選挙区制が原因だろうと書いている。政党助成金の制度は、金欲しさに五人以上集まって党をつくる様にした。小選挙区制で、議員はサラリーマンのようになり侍がいなくなったという。(補足1)前者は小さい政党に、後者は自民党議員に当てはまるだろう。

また、記事の中で、「今は地域社会で暮らしていく上で、政治家が不可欠な存在ではなくなった。昔は、町や村を歩くと、あの橋を直してくださいとか、体育館をつくってくださいとか言われた。今は全部できたので、政治家にお願いすることが減った」と書いている。 なんと言う政治家論だろうか。政治家のレベルが低いのは、今に始まったことではない。

その一方で、今朝、たまたま中国チャイナセブン(中央政治局常務委員)の王岐山(順位は6位)の経歴を調べた。元共産党幹部の息子であり(太子党)、渡辺恒三氏と血筋と言う点では似ている。しかし、その経歴の凄さと能力の高さを見ると、それと比較した日本の政治家の経歴の浅さとレベルの低さは、渡部恒三氏自身の上記評で語りきれないと感じる。

一流の経済学者の王岐山は、アジア通貨危機の際に香港や広東省全体の経済立て直しを指揮して成功させた。一帯一路構想も歴史も専門とする王岐山の影響があるとされているという。また、李克強(中央政治局常務委員の序列第2位)の秀才ぶりは夙に有名である。

日本の政治家も、安倍総理を始め中国流にいえば太子党が多い。その中に一人でも、習近平や王岐山のような下放という試練の時を経た人がいるだろうか?また、その中で実績を上げた人がいるだろうか?また、閣内に李克強のように独自に経済指数(李克強指数)を考案するようなレベルの知識人がいるだろうか?(補足2)

2)日本の政治家や財務官僚の其々幹部のレベルは、国の財政と家計との違い(補足3)さえわかっていないと、高橋洋一氏(元財務官僚)に悪口を言われる程度である。https://www.youtube.com/watch?v=sqa_zdUjov0

そのような行政トップの陣容で、サラリーマン化した国会議員たちの議論で、消費税を上げるとか上げないとか言っているのが、現在日本の政治の実態である。今朝のテレビでは、新潟4区と北海道11区の女の戦いが話題になっていた。演説の中身も本当に下らない。

一方、中国では明日から5年に一度の党大会である。習近平は権力を自分に集中すべく、これまでの主席とは違った身分に自分を置く可能性がある。一帯一路構想は、自分を毛沢東に並ぶ中国の指導者に位置づけるための神話作りのひとつだという説もある。

しかし、それでは中世への逆戻りではないかと思うが、中国で生き残ることはそれだけ困難なのだろう。中国の幹部は、一族を米国に留学などの形で逃がして、本国は出稼ぎの場所という感じである。国家の幹部が蓄財し、それを本国ではなく海外に持ち出すという状況では国の発展はない。(補足4)

中国と日本は、180度異なった国である。智者であり猛将である中国の政治家と腐敗した中国社会、遥かに劣った日本の政治家と公正さにまさる日本社会。何故、このような対局の国ができたか?それは恐らく、西欧生まれの政治経済の文化が、東アジアに受け入れられたが、定着出来ずに藻掻いている姿なのだろう。

以上、愚痴の書きなぐりのような文章でした。

補足:
1)同じ政党から一人だけ立候補するので、選挙において党内にライバルがいない。野党は非現実的でないことを言っているので、所詮ライバルになり得ない。
2)それでも、経済の中に支配層の欲と名誉があまりにも強く入り込んでおり、また、秀才の李克強や王岐山も所詮人間であり、最終的には大崩壊もあり得るだろう。素人には、中国の過剰設備、不動産バブル、信用の低い金融などの問題の規模はわからないが。
3)要するに、国の子会社的な中央銀行が貨幣の発行権を持っている。米国でも日本でも、結局貨幣という債務の裏にある資産は国債である。
4)中国には公という考え方がほとんど無い。その結果、国民は国家を信用しない。幹部も、できるだけ富と家族を海外へ移そうとする。薄煕来は、腐敗撲滅を政策に上げて習近平とトップを争ったが、習近平に破れた。その薄煕来を支持していた周永康は、周近平の不正蓄財を暴露しながら、逆に同じ罪名で周近平の手に落ちた。
http://www.recordchina.co.jp/b105578-s0-c10.html
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20140804/269590/

2017年10月15日日曜日

希望の党幹部の内部留保金課税に関する話はおかしい

一週間程前のテレビ放送で、小池百合子都知事が会社の内部留保が300兆円もあり、それに課税すべきだと言っていた。更に、「もし2%課税するとしても、6兆円の財源ができる」と数字を上げての具体的な発言であった。今朝のテレビでも、共産党の人(確か小池晃氏)が企業の内部留保が400兆円もあると言っている。だれでも一寸聞いた範囲では、そんなに金を溜め込んでいるのなら、課税すべきだと考えてしまうのではないだろうか。

そこで、少し考えてみた。内部留保金とは、会社の純益の内使わずにストックしたお金のことだが、課税などを考える場合その課税対象金額を計算するのは結構厄介だろう。何故なら、貸借対照表(BS)にはあからさまには現れないからである。

企業が、設備投資にも、配当にも、給与にも回さないで利益を溜め込んでいるというのだが、ストックされた金額はすぐには出ない。考え方としては、BSの債務の中の利益剰余金に一番近いのだろうが、利益剰余金は投資などに回しても、当然その額は変化しない。

もし、どうしても内部留保に課税するのなら、その年度の粗利益から給与など一般管理費等経費を引き、更に法人税と配当を引いた額を対象にするしかない。それから、企業規模や業種などにより調整した一定額の控除後の金額に課税をするのである。その場合、ストックに対するものではないので、希望の党の小池氏が言うような計算はできない。

希望の党の小池氏の2%でも6兆円という言葉は、企業の会計について何の知識もないか、或いは有権者を騙すための発言かのどちらかである。共産党の言う400兆円の内部留保に課税するという台詞も同様である。

確かにそのような課税を行えば、配当金や一時支給の形の給与が増加するだろう。しかし、そのような場合、企業買収や大規模投資などに向けて内部留保を蓄積するようなことが出来なくなるので、企業経営の方針に対して税務署が介入するようなことになる。日本の企業は、日本人一般と同じく将来不安を感じる経営者が多いから(補足1)、一定の金融資産を溜め込んでいるのだろう。そうなら、何かあったときに倒産などの危険性も増す。

兎に角、内部留保課税は二重課税という重要な問題がある上に、企業の体質を弱めることになる。日本がダイナミックな経済の国になるような、人材育成や規制緩和、更に、長期的には企業経営者レベルを含めた労働の流動性増加などが実現される方向への経済慣習の改質などが大事だと思う。利益が出たからと、法人税以外の方法で毎年それを吐き出させるのは、異常である。

それよりも何故、所得税に対する累進課税を考えないのか。日本のジニ係数0.379は米国を除く先進国では最も大きいと言って良い。(補足2)それを西欧諸国と同等の0.30付近まで下げる位の累進所得課税を考えるべきだと思う。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42992721.html

この方面に詳しい方の議論を是非頂きたい。

補足:
1)つまり、実力のない人が日本特有の企業文化のなかで出世して、社長などになっているということである。S-bankとかいう会社を起業した人のように、劣後債というような社債を兆円レベルで発行しても尚、高い信用と株価を実現している人は、日本の企業では非常にマイナー(優秀な)な存在である。(追記:劣後債の金額ですが、桁を間違えました。ただ、会社が発表している2018−2019年の予定額が1.1兆円です。10・15・19:00)
2)日本は、0.379で非常に高い。ドイツ0.27フランス0.31、イギリス 0.32、スウェーデン0.23など。

2017年10月14日土曜日

「藪の中」の真相:芥川龍之介の小説の粗筋と謎解き

芥川龍之介の「藪の中」の謎解です。既に下記サイトに簡単に感想を書きましたが、より詳細に謎を解き明かします。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/05/blog-post_90.html 結論は同じです。この謎がこれまで解き明かされなかったようにウィキペディアなどに書かれているのが不思議です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD#cite_note-6

§1。あらすじ:
山科の薮の中で、夫婦が盗人(多襄丸)に襲われ、縛れれた夫の前で女房はレイプされる。翌日樵(きこり)により現場に残る夫の死骸が発見され、その近くに縄(ロープ)と櫛が落ちていた。殺されたのは金沢の武弘26歳で若狭の国府の侍、女房の名は真砂で19歳である。母親の証言から、真砂は男にも劣らぬ位勝気な女である。母親は同時に金沢の武弘を優しい気立ての男と証言している。

盗人の多襄丸は女房を載せていた馬を奪い逃走するが、途中で落馬し下級の役人(放免)に搦め捕られる。多襄丸、妻の真砂、そして巫女の口から語られる殺された武弘の死霊が事の顛末を語るが、それらは自分の立場を守るために嘘を含んでいて、当然互いに異なっている。そして、真実は「薮の中」だということになる。しかし、著者は謎解きの解答を当事者の証言の中に用意している。

この出来事に関係した人たちの証言の要点を以下にかく。

A) 第一発見者の樵の証言:死骸は水干に烏帽子を被ったまま、仰向けに倒れていた。近くに縄と櫛が落ちていた。死骸の周りの草や竹の落ち葉が一面に踏み荒らされていたので、その男は殺される前によほど手痛い働きでもしたのだろう。

B) 多襄丸を捕らえた放免(下級の係官)の証言:多襄丸という男は女好きの盗人で、昨年も寺の後ろ山で物詣にきたらしい女房が童女と一緒にころされていたのは、この男の仕業だと思われている。

C) 嫗(妻の真砂の親)の証言: 男は若さの国府の侍で、26歳の金沢の武弘という気立ての優しい男である。娘の真砂は19歳で、男にも劣らない位勝気な女である。

D)多襄丸の証言:男を殺すことはわけないが、その時はできるだけ男は殺さずに、女を奪おうと決心した。二人に近づき、山の中の古墳から多くの宝をみつけ、山の中に埋めてある。安い値でよいから譲りたいといって、男をその気にさせ薮の中にさそった。そこで杉の木のあるところで素早く男を組み伏せて、杉の木に縛り付け、口の中に笹の落ち葉をいっぱい押し込んで喋れないようにした。道のところに馬とのこった女に夫が急病で倒れたから来て欲しいと連れ込んだ。

縛られた夫をみると、女は小刀を引き抜いて襲って来た。女ながら非常に手強い相手だったが、その小刀を振り落として、思いを遂げた。その場を去ろうとすると、女が縋り付き、二人の男に恥を見せるのは死ぬより辛い。どちらにしろ、生き残った方に連れ添いたいといった。そこで、その男を猛然と殺したくなった。しかし、卑怯な殺し方をしたくないとおもい、男の縄をきって太刀打ち(決闘)しろと男にいった。

私は男が倒れると同時に、女の方を振り返ったが、あの女はどこにもいなかった。ことによると、あの女は人の助けを呼ぶために薮をくぐってにげたのかもしれない。私はそう考えると、すぐさま山路に出た。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っていたので、その馬にのり逃げた。

E)女の懺悔:盗人は私を手ごめにしたあと、夫を嘲る様に笑った。思わず夫に駆け寄ろうとしたが、盗人に蹴倒された。その時夫を見ると、私を蔑む冷たい目を向けていた。それを見た時我しれず何かを叫んでその場で気を失ってしまった。気がついた時泥棒は去っており、再び夫を見た時、夫の目の色は全く変わっていなかった。「あなた、こうなった以上、もう御一緒にはいられません。私は一思いに死にます。あなたも私の恥をご覧になりましたので、お一人残すわけには参りません。」 

足元の小刀をひろい、こう夫に言いました。「ではお命を頂かせてください。私もすぐにお供します。」夫の唇の動きからその言葉を覚りました。「殺せ」と一言いったのです。夫の胸を一刺ししたあと、再び気を失いました。気を取り戻したとき、私は泣きながら、死骸の縄を解き捨てました。 そうして私はどうなったかは、申し上げる力もありません。いろいろな事もして見ましたが、死に切れませんでした。 

F)巫女の口を借りた死霊の物語:盗人は妻を手ごめにすると、腰をおろして妻を慰めだした。その間目配せして、この男のいうことを真にうけるなと伝えたいと思った。
「一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲間も折合うまい。自分の妻になる気はないか?」
何と妻は返事をしたか?「ではどこへでもつれて行って下さい。」
盗人に手を取られながら、薮の外に出ようとする時、「あの人を殺して下さい。わたくしはあの人が生きていては、あなたといっしょにはいられません」 この言葉は嵐のように、遠い闇の底へ、俺を吹落とそうとする。

それを聞いた盗人は返事をしない。そして次の瞬間、妻は竹の落ち葉の上に蹴落とされた。盗人はおれに眼をむけ、「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 俺はこの言葉だけでも、盗人の罪は赦してやりたい。妻は、俺がためらう内に、何かひとこと叫ぶが早いか、薮の奥に走り出した。盗人は咄嗟に飛びかかったが、取り逃してしまう。その後俺の縄を一箇所だけ切り、その場を去った。

あたりは静かになった。いや、まだ誰かの鳴き声がする。縄を解きながら耳を澄ますが、気がついて見れば俺自身の泣き声だったのではないか?おれは妻がのこした小刀を手に、自分の胸を刺した。 その後、日陰薄れていくなか、忍び足に俺に近づくものがある。誰か?その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口のなかには、もう一度血潮が溢れて来た。

ここまでは、事件の概略と証言の形で再構成した要約ということになる。

§2。解釈:

上記証言のうち、盗人多襄丸、女房の真砂、夫の金沢の武弘の証言が一致する部分は事実と考えられる。また、上記三人以外の人物の証言も事実と考えて良い。従って、女房が盗人に手ごめにされたこと、夫が木に縛られたこと、現場の踏み荒らした様子(証言A)から、決闘のようなことがあったことなどは、事実である。また、盗人の多襄丸は女好きで、童女も殺す位であり(証言B)、人の命を考えるというような人間ではないことも事実である。しかし、何故この夫を殺さずに真砂を手に入れようとしたか?それは、現場近くに来た時には真砂を女房にしたいと強く思ったからだろう。

真砂を手ごめにした後、多襄丸は真砂を慰めて自分の妻にしようとする。それを聞いて、真砂は「決闘して勝った方に添うことにする(結婚する)」と言ったと仮定すると全ての謎が解ける。何故、そのように言ったのか? 夫が殺されることは前後の状況から明らかであるが、その間に逃げることができると冷静に判断したのだろう。重要な点は、真砂にとっては「最低と言っていい二人の男ども」から逃げるためである。

男勝りの勝気な真砂は、事件の前に既に夫武弘を低く評価していたと考えられる。そして、盗人の「古墳を見つけて出土品を隠してあるので、それらをを安く売りたい」という話に簡単に乗ってしまう夫を、心のなかで軽蔑していた。(補足1) その軽蔑の気持ちは、女房を野盗から守るという夫の最低限の義務を果たせなかったことで、激しい怒りにまでなっていたと考えられる。 多襄丸は自分の腕に自信があったので、そして、真砂にそれを見せつけるためにその提案の飲むのである。その言葉は証言の中には現れない。夫はその言葉を聞いて女房への憎しみに狂う。死靈の言葉にそれが現れている。

男にも優る勝気な女である真砂は、盗人よりもはるかに冷静に計算付くの言葉と行動で、逃げることに成功したのだ。女房を野盗から守ることに失敗した上に、女房の恥かしめを受ける姿をみて、こともあろうか女房を蔑む男など、今後の人生には不要であると冷静に考えたのだろう。その夫の最後を見る必要があるのは女房以外には考えられない。死霊の証言の最後の部分は真実であり、そこで自分の落とした小刀を回収することになる。

その推理を頭に置いて上の証言を読むと、事件の全貌が理解できると思う。解けるように作られた謎であると私は思う。

補足:
1)その証拠に、妻の真砂は道外れの出土品を隠してあるという場所には行かず、馬とともに道脇に待機している。

2017年10月13日金曜日

今回の選挙は民進党解体だけの国際的恥さらしの選挙で終わるのか、それとも選挙後保守大再編が行われ歴史の節目を迎えることになるのか?

1)安倍総理は国難へ向かうにあたって、国民の意見を確認する意味で衆議院を解散したのだろう。その選挙戦を見ていると、野党第一党の民進党から候補者が公認されず、希望の党に多数流れたことや、党首討論での野党の貧弱な議論など、国難の真っ只中にある国の選挙だとは思えない。まるで、悲喜劇(喜悲劇と呼ぶべきか;補足1)を見ているような気がする。

更に、このような状況になっても尚、国民の関心は北朝鮮や中国の核兵器には全く向かっていない。信じられないことだが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した(憲法前文)」という文章をそのまま信じているのかもしれない。(補足2)

しかし、小池百合子氏や前原誠司氏らが、かなり真面目に日本の将来を考えて動いたという解釈もあり得る。下に引用した動画前編で26分頃からの議論だが、馬渕睦夫氏が言う様に「選挙後に希望の党なども含めた保守の再編」が行われれば、それが証明されたことになる。勿論、最初から前原氏や小池氏が最初そのように考えていたとは思えないが、選挙の結果と日本の置かれた状況から考えて、保守再編路線に導かれる可能性はかなりある。それが日本の安全保障を考えると、より良い方向だろうと思う。
(前篇)https://www.youtube.com/watch?v=vT91VGyxHzg 
(後編)https://www.youtube.com/watch?v=7TGAdW1uT7E

2)冷戦中には現実的政党としては、自民党一党しかなかった。そのため、かなり幅広い考えを持った人たちが自民党を形成してきた。冷戦の終結で社会党がなくなり、自民党からはなれるた人たちなどが集まって民主党が作られ、その後みんなの党や日本維新の会など様々な政党ができては消えるなど、政党再編がまだ終わっていないのである。

今回民進党の前原氏が党への支持があまり期待できないことが切っ掛けで、大胆な工作を行った。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43427828.html その工作を小池氏に持ちかけたことから、野党の大規模な再編がスタートし、馬渕氏の考えによれば、それが選挙後に自民党にまで及ぶだろうというのである。

元々この再編は、民進党で右派を形成していた前原氏が、民進党の左翼的政治姿勢(安保法制反対など)では、今回の選挙に勝てないと思ったことと、小池氏が元々憲法改正を考えており、前原氏とは比較的近い考えの政治家であったことが背景にあって起こったことである。それを考えると、今回の選挙により希望の党が数十人の当選者を得て、憲法改正を9条第二項の完全な書き換えという形で行うことで、世界に日本もまともな国家になりつつあるとの印象を与えるチャンスが到来するかもしれない。(補足3)

3)憲法改正の為に、国民投票で過半数を得るには、国民が夫々の属する社会において真面目に議論する事が大事である。NHKが今年3月に調査員の訪問によって行った世論調査によれば、憲法改正が必要だと答えた人の割合が43%あり、世論の動き方次第では過半数を得ることは可能である。https://www3.nhk.or.jp/news/special/kenpou70/yoron2017.html

朝日新聞など左翼系メディアに対して、同様のメディアを通しての宣伝だけでは、国民は自分の意見を持つに至らないだろう。現在もっとも有効だと私が思うのは、全国に張られた自治会ネットワークを用いて、防災訓練のような形で議論することである。そこでは、外部の人間を一切除き、純粋に住民だけで議論してもらうのが良い。危機感を持ち、十分な時間をとって議論すれば、まともな結論に至る筈である。

国民の意見をまとめるに当たって、深刻な障害となっているのは憲法学者達の反対である。日本の憲法学者の殆どが憲法9条に賛成だという、非常に奇妙な状況にある。私も既に、東大の憲法学の石川教授が、憲法9条を改正して独自軍を持つことに反対していることは、非常に奇妙なことであると既に指摘している。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/06/blog-post_21.html

上記動画の後編(三節目に引用の二つ目のサイト)で高山氏が、その理由は憲法9条に賛成しなければ、まともな憲法学者と学会に認められないからだと言っている。つまり、憲法学会が未だにGHQの洗脳政策と左翼政党支援策の影響下にあり、まともではないのである。この種の問題は、法学の学会も国際的に開かれたものとして、海外との交流を十分行っておればおこらなかっただろう。日本は、今当に大改革の時期とすべきである。

補足:
1)悲喜劇というのは、最終的にはハッピーエンドの悲劇と喜劇を融合させたフィクション作品だそうである。今回のケースは、ハッピーエンドとは思えない。
2)京都大学の哲学教授であった田中美知太郎氏が、「憲法に平和を唱え挙げて平和がもたらされるというなら、台風は日本に来てはならないと憲法に記すことだけで台風が防げるか」という趣旨の言葉を何かに書いているという。これは、この種の議論で引用される有名な言葉のようである。
3)憲法9条の第一項と第二項をそのまま残して、第三項として「自衛隊を置く」という文章を入れるという案が安倍総理によりだされている。しかし、それは明らかに第二項と矛盾する。

2017年10月11日水曜日

北朝鮮問題は、冷戦後の東アジアの秩序形成という視点で解決すべき:日本の与野党両方にその様な視点が感じられない

米国も日本もロシアも中国も、朝鮮半島の非核化には賛成である。しかし、北朝鮮が核兵器を放棄する方向に、中露は日米韓に協力しているのだろうか?どの様に交渉すれば、これら二つの強国は協力するのだろうか?

もし北朝鮮が中距離核ミサイルまで持ったまま和平の話が進み、更に韓国と統一朝鮮をつくったら、日本はどうなるのだろうか? もし、米国と北朝鮮が引くに引けずに衝突してしまったとき、自動的に参戦する日本では、一般市民多数が殺されるだろう。米国は日本を完全に防衛するというが、信頼できるのだろうか? 

問題はもっと深いところから考えないと、解くことはできないだろう。日本国民の安全を将来に亘って確保することはできないだろう。

1)今回の解散・総選挙は昨日のNHK夕方のニュース番組で言ったように、安倍総理が北朝鮮問題に対して世論の信任を得るためである。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43425617.html

従って、そこで議論すべきは、北朝鮮の脅威へどのように対処するかであり、希望の党の党首である小池氏の“消費税とその使い道”とか、立憲民主党の言う“政治を安倍独裁から取り戻そう”と言った議論は、今回の選挙のための議論としてはピント外れである。この最重要な点について積極的な議論の姿勢が感じられない両党には、その点で政権政党としての資格はないと思う。

共産党は現行憲法を守るという意見であり、それは米国との集団安全保障体制に反対であるという主張だが、具体的に北朝鮮問題をどう考えるかの議論はない。もちろん議論すれば、話し合いで解決するとしか言わないだろうから、どこか他所の国の利益を代表している印象をうける。

選挙で騒がしくなった日本では、北朝鮮問題を首相や防衛相が口にしても緊迫感はあまり感じられない。命がけで国境をまたぐ子供や女性の姿をテレビでみても、日本列島の住民は、平和は水と同様タダで手に入ると思い込んでいる。(補足1)

昨日も、北朝鮮に圧力をかけるべくB1爆撃機2機をグアム島から派遣し、韓国と合同演習を行い、その中で空対地ミサイルの発射訓練を実施した。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171011-00000005-yonh-kr

一方、朝鮮労働党創建72周年記念日の昨日、北朝鮮の党機関紙・労働新聞は1面トップに社説を掲げ、「国防工業部門では、(核開発と経済建設の)並進路線を貫徹し、核武力建設の歴史的大業を完遂しなければならない」と訴えた。しかし、その様なニュースはなぜかこの国ではもはや刺激的ではない。

現政権を担当する政党を始め、日本の政治家にはまともな知識と覚悟があるのだろうか、最近の選挙関連のニュースを見聞きして不安で一杯である。この問題に関係する政府の閣僚は、小野寺五典防衛相と河野太郎外相である。たまたまその二人が選挙応援演説する動画を見つけた。かなり長い話ができるのだが、具体的で説得力のある話はなかった。もちろん、選挙演説なので仕方がないだろう。本当はどう思っているのか、どこかで論文にできるくらいの知的準備をしてほしいものだ。https://www.youtube.com/watch?v=mtBvgFFjMzY

しかし、米朝の対立関係は益々厳しさを増しており、そのような国際環境の中で、日本国民の生命と財産を守るという点で頼りになる政治家と政党を選ばなければならない。短期的に考えざるを得ない状況なので、議論の余地などない。

2)北朝鮮問題の根幹にあるのは朝鮮戦争である:

北朝鮮が戦力増強に走る理由は朝鮮戦争が未だ終わっていないことである。毎年、米国はその戦争を念頭に韓国と合同軍事演習を行っている。その脅威が北朝鮮の金日成をして、核武装の計画に導いた。(武貞秀士氏)朝鮮戦争の休戦協定では、3ヶ月以内に関係国の政府により、外国軍の朝鮮半島からの撤収や平和条約の話し合いを進言している。(4章、項目60)https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43437466.html

実際、中国の人民軍はその進言に従って、半島から引き上げている。その進言に真摯に対応しなかったのは米国である。1975年に、国際連合総会は休戦協定を平和条約に置き換えることと国連軍を解散することが望ましく支持するとの決議案を採択した。それにも関わらず、6カ国協議という設立根拠はさっぱりわからない会議をつくって、国連の採択を無視したのは米国である。(補足2)その点を抜きにして、この問題の議論は成立し得ず、またその解決はあり得ない。

もちろん、米国にはそのような外交戦略を取る理由が存在したのだろう。何故なら、冷戦は終わったものの、東アジアではその後新たな安定した国際的秩序は達成されていない。中国は依然として、共産党一党支配の国であり、その国内の政治は欧米や日本よりも流動的である。習近平政権が、中央政治局常務委員(チャイナ7)の集団指導体制から、独裁体制に移行すべく一帯一路構想と軍拡路線を採っているとの考えもある。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43388268.html

東アジアは、政治的に不安定さを残している。そこには、異文化の異なった政治体制を持つ大国である中国の存在が、そして、現在は同盟国だが第二次大戦では非常に手強い敵国であった日本が存在し、米国はそれらの国に対して十分な信頼感を持っていないのだろう。それが、米国をして朝鮮戦争を未決の状態に冷蔵させた理由だろう。実際、東アジアに足場を置く理由として朝鮮戦争を必要としてきたと明言する米国要人の言葉を、すでにブログで紹介した。 https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43411999.html

更に、中国の専門家である河添恵子氏が言う様に、北朝鮮との国境付近(北部戦区)で江沢民派の勢力が強く、人民軍の統制に関して習近平が完全な力を有していない可能性もある。

東アジアは依然不安定である。中国を味方にして、北朝鮮問題の解決を図るという米国の戦略にも限界がある。米国は、自国がどのように東アジアで振舞ってきたかを振り返り、その中で生じた同盟国を信頼して、その安全と自立に協力してほしい。主に東アジアを動かしてきたのは米国だから、米国にできないことは何もない筈である。

3)そんな中で、ロシア外相は9日米国国務長官と電話会談した。ロシア外務省によると、ラブロフ外相は「朝鮮半島におけるいかなる緊張の高まりも容認できない」と強調し、外交的な手段のみを通して対立を解決するよう呼び掛けた。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171010-00000003-reut-kr&pos=1

この様なロシアの発言は何を意味しているのか、ロシアとのパイプがあるのなら、その真意を確かめるべきである。北朝鮮は核開発を国家の中心的プロジェクトとして考えているが、①貴国は北朝鮮の核開発を支持されますか? ②支持されないのなら、どのような外交的交渉を貴国は提案されますか?

ロシアも北朝鮮問題を政治利用する可能性もあるし、逆に問題解決に貢献できる可能性もある。ロシアを後者に導くことを日本政府は考えるべきである。中国とロシアは戦略的パートナーシップを築いていると考える向きもあるが、世界一長い国境線を有する互いに相手を一定の緊張感で眺める関係でもある。その関係が、北朝鮮に対する姿勢の差として現れている様に思う。

その両国の関係を複雑化させるのではなくより安定化させることで、日本が対露関係や対中関係をより密接で建設的な関係にできる可能性がある。その過程で日本が北朝鮮問題解決への寄与だけでなく、経済的大国で政治的未熟国の看板を返上して、一人前の国家として自立するチャンスを得る可能性もある。

北朝鮮の問題の解決において、米国との関係のみで頭が一杯だとすれば、日本国民の安全など守れないだろう。日本の政治家が、北朝鮮問題を冷戦後の新しい東アジアの安定した秩序形成という視点で考え、米国及び近隣諸国と協力して解決するように努力すべきだと思う。

安倍総理、自民党の幹部の方々には是非、この問題を深く考えてもらいたい。野党も真剣に議論に参加してもらいたいものである。(最終編集は10/12/6:30)

補足:
1) 日本では歴史に学ぶことはしない。何故なら、その過程無能な人間、失敗をした人間などが表にでるからである。無能な人間、日本を破壊に導いた人間でも、日本政府で高い地位に居た人間は、尊敬されなければならないようだ。その結果なのか、現在の政府要人の多くは、未だに倒幕勢力の末裔である。”明治維新”などそんな立派なものはなかった(原田伊織著の本)といえば、白い目で見られるだろう。日本人にとっての歴史の基礎は、悪い過去を隠すことであり、気にしないことである。
2)国連は1975年の決議のあと、1996年にも休戦協定の重視を安全保障理事会議長声明という形で出している。6者協議の第一回開催は2003年である。(ウイキペディア)

2017年10月9日月曜日

東アジアの危機から世界の未来を考えるべき:今回の選挙をきっかけにして

1)日本固有の話:
今回の衆議院解散の動機は、安倍総理が北朝鮮問題について自分のとっている現在の政策に十分自信がもてないことだろう。安倍総理はこのまま北朝鮮に対して、米国が圧力を加えることに日本も協力するしかないと考えている。しかしその結果、日本の米軍基地のある都市に核ミサイルの一つや二つ落とされるかもしれない。それを自分の決断だけではなく、国民の決断の結果としたいのだろう。

日本は、北朝鮮問題を考える時に、それを国際問題や対米国問題と考えるのではなく、先ず自国の問題として考えるべきだと以前書いた。 https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43426703.html

米国と北朝鮮の間で戦われている(現在休戦中だという考えもある)朝鮮戦争が激化し、核戦争となった時には、日本でも数十万人の被害者が出る可能性がある。しかし、日本は韓国とは違って、米国(国連軍)と北朝鮮の間で戦われている朝鮮戦争の当事国ではないにも拘らず、何故か北朝鮮の標的になるような政策を安倍総理はとっている。全く理解できない。

安倍総理は、そして多くの自民党政府関係者は、朝鮮戦争というものを全く理解していないのではないだろうか。今回のケースで朝鮮戦争の休戦協定の話が全く出てこない。その協定を無視しているのは米国であり北朝鮮ではない。そのことの理解が、全く欠けているかもしれないと危惧する。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43393197.html

つまり、休戦協定の4条60項(補足1)に書かれているように、全ての外国軍の撤退と平和協定の話し合いを、3ヶ月以内におこなうように両政府に進言する(recommend)ことに、両軍は合意しているのである。この協定の記述を無視し、朝鮮戦争を謂わば冷蔵保存してきたのは米国である。http://sankei.dreamlog.jp/archives/53005564.html

日本国民は、国際的に孤立しているのは北朝鮮であり、正義は安倍政権が協力している北朝鮮への制裁強化にあると思っていたら大間違いである。50年後には、「北朝鮮のキム王朝崩壊の際、どういうわけか当事国でない日本の愚かな政権がワザワザ紛争に巻き込まれる道を進み、自国民に数十万人の死者を出した」と歴史に残る可能性がたかい。

今回の選挙では、運動中にその点を十分議論し、国民にしっかりと選択の論点を明確にしてもらいたい。 関連するロシアの新聞スプートニクの日本語版の記事も参考になるだろう。https://jp.sputniknews.com/opinion/201710054154239/

2)世界まで視野を広げて考えて見る

現在の日本は全てにおいて米国と密接な関係にある。特に、安全保障においては米国に完全依存していると言えるだろう。さらに経済においても、基軸通貨を持つ米国に逆らっては、非常に困難な状況に陥るだろう。しかし、密接な関係を持つことは、もし両国国民の利益が共通するならば、よりプラスの方向に世界を動かせるよう、日本政府も協力できる可能性があるということを意味する。

米国は最早、日本に大きな米軍基地を多数置く根拠となっている朝鮮戦争を必要としないのではないか。(補足2)日本の防衛には、さしあたり核兵器を持ち込み日本軍(自衛隊)と共有し、その後北朝鮮を承認し平和条約を締結するのである。日米両国は、中国との間でも密接な経済関係を有しており、もはや対立を深めることは互いの利益にならない。このような視点は就任直後のトランプ大統領がもっていたものである。

しかし、米国指導部の姿勢も徐々に変わってしまった。それに日本の政治家も無責任にも無知のままに、追随している。

なぜ日本の政治家はそのように安易な方向に流されてしまうのだろうか?それは、現在の日本の政治家は、戦略的思考とコミュニケーション能力が決定的に欠けているからだろう。(補足3)日米会議や他の国際会議で、自分の考えを述べるだけではダメである。それに対する議論を何往復も行い相手を説得するか、相手と自分で新しい第3の道を発見できなければならない。

今回特に言いたいのは、戦略的思考といっても戦争に勝つという戦略だけではないということである。そのような古い戦略的思考の時代はほとんど終わっている。これからは、「紛争や戦争を如何に避けるか」を考える戦略的思考が、極めて重要だと思う。それは、核物理専攻の連中の遊びのお陰で(補足4)、兵器が人類絶滅の性能及び規模まで進歩してしまい、戦争などしてはならないからである。

そのためには、世界の標準的思考法を大きく変えなければならないと思う。それは、「敵に勝って豊かに暮らす」という西洋の思考法から徐々に、「助け合いと節約で平和に暮らす」東洋的思考法へ変化させることである。それを、世界に提案すべきであるが、そのための経済学及び政治学を若い俊秀たちは研究課題とすべきである。(補足5) 素粒子物理学など、現在ノーベル賞の対象になっているような学問の時代は終わったのだ。

補足:
1)第4章第60項. In order to ensure the peaceful settlement of theKorean question, the military Commanders of both sides hereby recommend to the Governments of the countries concerned on both sides that, within three (3)months after the Armistice Agreement is signed and becomes effective, apolitical conference of a higher level of both sides be held by representatives appointed respectively to settle through negotiation the questions of the withdrawal of all foreign forces from Korea, the peaceful settlement of the Korean question, &c. http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPKR/19530727.O1E.html

2)これは、ブッシュ(父)大統領時代の駐中国大使のジェームズ・リリーの発言である。そのあたりのことを9月17日の記事で詳細に書いた。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43411999.html

3)つまり、政治家失格の人たちが現在の日本の政治家である。

4)アインシュタインの相対性原理は、理論物理屋の遊びが過ぎた結果の産物である。それが原子爆弾や水素爆弾の原理となったのだが、それを責めるのは間違いで、むしろ人類の運命と考えるべきだろう。科学とは、もともと知的な貴族(とその支援を受ける者)が究極の真理を探究する“遊び”であった。従ってパトロンは、音楽家など芸術家と共通している。20世紀になって、科学のパトロンが貴族から国家に変わり、その発展を速めた。その結果、人類の死滅までの時間が著しく短縮だれたのである。若い俊秀は、そこから人類を救う学問と具体化を考えるべきである。

5)補足4の続きだが、従来の経済学では世間で節約が流行れば、需要縮小でデフレ気味になる。一方、拡大生産と拡大消費のスパイラルが好景気である。また、国民国家的背景では、隣国と融和的な人は、愛国心に欠けており、安全保障上政治を任せられない。それらを全て解決する政治経済理論を提出できる、アインシュタインのような天才的若人が世界には何人も居るはずだ。彼らが、再生医学とか理論物理などの分野に進まないで挑戦すれば、解ける問題だと思う。

2017年10月7日土曜日

米国ペンス副大統領は月面有人探査の計画を発表したが、2−3年後には再び撤回するだろう

読売新聞10月7日社会面に米国が有人月面探査を行うと副大統領が宣言したという。トランプ政権の宇宙戦略を検討する「国家宇宙会議」の初会合が5日開かれ、議長のペンス副大統領が月面の有人探査を目指す方針を明らかにした。

ペンス氏は「(月面に)足跡や国旗を残すだけでなく、火星やその先の宇宙探査へ向けた基地を作る」と述べ、火星探査計画を維持する姿勢も示した。ただ、月や火星への探査計画の具体的なスケジュールやコストは明らかにされなかった。

月面有人探査は2004年にブッシュ政権が提唱したが、オバマ政権が火星探査を優先させるために10年に撤回していた。

何故オバマ政権は月面有人探査の計画を撤回したのか、それは不可能だからだろう。それを誤魔化す為に火星探査を優先させるというインチキ計画を匂わせたのだろう。50年前にやったことが今簡単にできなければ、50年前の月面探査は嘘だったということになる。

約50年前のアポロ計画で、有人月面探査などできていないのではないかと、疑問を呈したのはBBC放送である。ペンス副大統領はそれに反感をもち、詳細な調査をせずにそのような計画を発表したのだろう。これも、恐らく2−3年で消える話だろう。

これまで、紹介した内容の要約:
BBCは2000年、アポロ計画に関与したビル・ケーシングの疑問などを取り上げ、アポロ計画での人が月面に立ったという話は捏造ではないかという内容の番組を作った。 https://www.youtube.com/watch?v=vh_OqDj6ff8https://www.youtube.com/watch?v=vwf-k15TqIU
私はそれを見て、その紹介と独自の考察を以下のサイトに掲載した。独自に指摘した疑問点は、くっきりとした靴跡など月面真空中ではできないだろうということと、星条旗の旗からの影の角度と宇宙船からの地球の映像が矛盾しているという2点である。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/12/11.html

追加:(10/8/10:15) 宇宙飛行士秋山豊寛氏が語った、アポロ有人探査の嘘: 秋山氏へのインタビューで、米国の捏造について説得力のある説明がなされています。http://d.hatena.ne.jp/gyou/20111229/p1

2017年10月6日金曜日

ノーベル平和賞:ICANよりもふさわしい団体が日本にある

ノルウェーのノーベル委員会は6日、2017年のノーベル平和賞を、核兵器の非合法化と廃絶を目指す国際NGOで、今年の核兵器禁止条約成立に貢献した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)に授与すると発表した。 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171006-00000082-asahi-soci

私は、この団体の努力は評価してもその成果は評価しない。それは、核兵器を持たない国と持つ予定のない国、核兵器の脅威から遠い国などで、核兵器禁止条約を締結したとしても、関係者関係国の自己満足に過ぎないと思うからである。つまり、その条約は現実問題として、核廃絶に役立たないと思うからである。

また、ノーベル委員会の決定に賛成できないのは、あの条約で核廃絶に一歩進んだという評価は、現実に核兵器の被害にあった人たち、被害に逢う危険性の高く恐怖をもっている国の人たちを、愚弄することになると思うからである。

その団体は、北朝鮮の核の脅威に晒された日本の安全保障に、少しでも貢献したのか?北朝鮮に出かけていって、核兵器の開発を止めるように提言したか?北朝鮮の核実験を批判しただけではないのか?http://www.icanw.org/campaign-news/north-korea/dprk-nuclear-test-raises-concerns-on-humanitarian-impact-of-nuclear-weapons/

米国にたいして、北朝鮮の核兵器の脅威に対して、何か出来ることを提案したのか?北朝鮮が核兵器を使うことをためらうとしたら、それは米国に強力な核兵器が存在するからではないのか。その様な核兵器の抑止効果も否定しようというのか?

ノーベル委員会は、授賞理由を「核兵器がもたらす破滅的な結果を人々に気づかせ、条約で禁止しようと草分け的な努力をしてきた」と説明したというが、それならそれを世界に昔から説明している広島と長崎の被爆者の会や、原爆資料館を作りそれを維持している広島市に授与すべきでないのか。また、小説「黒い雨」や同名の映画を政策した関係者の誰かに授与すべきだったのではないのか。

核兵器ができた以上、それは廃絶不可能である。人類は、その被害を最少にすべく、如何に核兵器と共存するかを考えるべきである。その方法として、最もふさわしいのは、権威ある国際機関が強力な核兵器を常時持ち、他国の核兵器使用に対する抑止力となることである。その国際機関の中心として、唯一の被爆国である日本が最もふさわしい。

2017年10月3日火曜日

ツイッターなどのSNSの世界は公の言論空間を破壊する

1)社会人と言葉による意思伝達のプロセス

言葉は、何かの記述や分析、意思の伝達と交渉、ルールや契約の表現などに使う。それは、物や現象、気持と感情、約束などの言語空間への投影と言える。この投影作業は言語を用いて頭を使う作業であり、面倒である。そこで様々なパターンで記号化というか簡略化が行われる。

簡単な例として、「知らない人が自分の行き先を塞いでいるので、道を空けて欲しいと依頼する場合」を考える。自分がそこを通る理由をまともな言葉で喋るのは面倒である。何故なら、現在占有されている場を開けて貰うには、自分がそこを通る事情の方が、相手が占有し続ける事情よりも客観的にみてより重要だと説得する必要があるからである。

このような場合、「すみませんが、通して下さい」という言葉で通常通してもらえる。それが可能なのは、簡略な言葉に複雑な意味を込めているからである。つまりここでの、「すみませんが」は、「①あなたがそこに居座る事情と権利は、十分承知していますが、②私の事情の方が重要ですから、③お願いします」という意味である。英語の場合も、殆ど同様の言い方で良かった記憶している。 “Excuse me, but may I get through.”とか、“Excuse me, can I get through.”と言うだろう。https://www.italki.com/question/343381

そのような簡単なやり取りで、依頼が可能な背景には、この件に関して二人の当事者が共通の言語空間に住み、共通した情況認識と生活パターンを持っていることがある。それらの基準やパターンが人類共通なのかどうか、文化圏が違えば変化するのかは、先験的には明白ではない。

上記のような極めて日常的にみられるケースでは、ほとんど世界中同様に短い表現で意思伝達可能だろう。しかし、一般的な場合には、しかも違う文化圏に属する二人の間では、上で考察した①—③のプロセスを、全て簡略化なしに行わなければならないだろう。単一文化圏の中でしか生活した経験がない人は、それを十分承知すべきである。

ここで注目してほしいのは、他人の権利に優先して、自分の権利の主張を暴力以外で可能にするのは、人類のみで可能なことである。(補足1)それが可能なのは、人間が言葉で複雑な論理を用い、同時にそれに相当する想像力を持つからである。ここで言う想像力とは、現象を精密に投影できる言語空間を持つことと不可分である。

また、我々が異なった文化を持つ国の構成員とでも、上記①—③の様なフルオプションで言語を用いれば、契約や条約等の意思伝達が可能なのは、人類の言葉は本質的に共通であるからである。つまり、投影すべき言葉空間が本質的に同じだということである。それが違えば、翻訳など不可能である。(補足2)

2)野生から社会性の獲得:ツイートは暴力で意思伝達するプロセスに類似している

一方、暴力を用いる場合は、このプロセスは極めて簡単になる。相手が弱そうなら、「おい、こら、ボケ、どけ」と吠えれば(ツイートすれば)、道を確保できるだろう。これが野生に近い社会での、つまり複雑な社会を作らない場合の、標準的な意思の伝達プロセスである。もちろん、SNSのツイートは140文字あるので、上記程短くはないが、人間社会の標準的な言語空間への投影プロセスとは異ることを知るべきである。

前セクションで書いたように、言葉をツイートではなく論理的に話すことは、人間社会の構成員として必須の要件である。それは、社会を共有しそれを共同で支えているという自覚を持つことと不可分であり、社会で生きる権利を得る為の義務である。

それが義務教育の9年間で教えるべきことである。それは、公の空間でまともな言語表現で自分の意思や意見を表現できる言語能力を持つことが必要であり、従ってそれは暴力で自分の意思を通すことを控えることの必要条件である。(勿論、十分条件ではない。)

その義務教育で必須のことが、現在十分には敎育されていない。それが、先日ネットで動画配信された高校の生徒による教師への暴行事件である。周りの生徒達のかなりの部分がその暴行の場面をみて笑っていた。このような生徒は義務教育をまともに修了しているとは言えない。そのレベルの能力が発揮できないのなら、高校ではなく別途敎育を受けるべきである。

恐らく彼らもスマホのヘビーユーザーだろう。ツイッターなどのSNSを用いているかもしれない。そこでの短い言葉のやり取りが会話だと勘違いしているのが、この種の生徒を育ててしまう一因ではないだろうか。ツイッター(そしてスマホ)などは義務教育期間は禁止すべきだと思う。

3)国際社会において国家間の関係は野生の状態に近く、国家間の交渉は力つまり武力を背景に意識してなされる。(補足3)トランプ大統領の言葉が“小さいロケットマン”と言う具合に、過激な表現になるのはツイッターを使うからであるが、国家間の交渉は本質的にこのようなものである。言葉を、国家内の社会で用いる様に丁寧に用いるのは、国家のリーダー間で一種の社会を形成するからである。しかし、それは国内での個人が形成する社会と本質的に異る。(補足4)

トランプ大統領の品性が前任者の品性に劣るとは、これだけでは決して言えない。テレビの評論家などが、トランプ大統領と金正恩のやり取りを異常なように言っているが、それを国民は誤解してはいけない。伝統的な外交においては、片手に棍棒をもちながら丁寧な言葉で相手に要求する手法(Big Stick Policy)が標準となっているからであるが、セオドア・ルーズベルトの対中米外交とトランプ大統領の対北朝鮮外交の本質は同じだと思う。

補足:

1) 一般的には、その代償として金銭が絡む場合もあるが、それは相手にかける負担が大きい場合、それを金銭に換算するだけの違いである。
2)日本語のサイトで、その研究紹介をしているのは、 http://indeep.jp/all-mankind-may-speak-the-same-language/ 
英語のサイトにも同じ趣旨の記事が掲載されている。 http://www.telegraph.co.uk/science/2016/09/12/humans-may-speak-a-universal-language-say-scientists/ このサイトでは、この研究内容の紹介とともに、米国コーネル大学でなされたと書かれている。他に, http://sciencenetlinks.com/science-news/science-updates/human-language/ などもある。
3)この初歩的な知識を持たないか、外国の利益を代表しているのか、どちかの議員が大勢日本にはいる。憲法9条改正反対を叫ぶ連中である。
4)国家の元首間で、互いにファースト・ネームで呼び合う場合がある。しかし、仮に退任後に本当の友人になるとしても、現職の間はファースト・ネームで呼び合うとしても、それはマヤカシであり、マヤカシでなければならない。私個人としては、そのようなデモンストレーションは止めて貰いたいと思っている。

2017年10月2日月曜日

民進党の事実上解党と多数の希望の党への合流の荒技は誰の発案なのか?

民進党の事実上の解党と、多くの人を希望の党が引き受けるという図式は、おそらく前原氏の予定の行動だろう。そして前原氏は、数人を除いてほとんど全員が合流できると考えていたのではないだろうか。しかし、実際に合流できるのは最大で現職議員の2/3程度であり、残りは希望の党からの出馬はできないだろう。

これが前原氏の失敗だと考えると、あまりにもバカな前原氏ということになる。一方、多くの旧社民党出身者や民主党時代からの幹部を切るという、強引且つ鮮やかな手法が前原氏の発案だとすると、優秀過ぎる。

数日前に佐藤優氏は以下のサイトで、前原氏が今回の民進党を事実上解体して、希望の党へ合流するという案の黒幕だといっている。その理由もその9月28日の動画サイトで詳細に説明している。 https://www.youtube.com/watch?v=r-YSJ54NawI&t=181s https://www.youtube.com/watch?v=Yc0XLKyaF_Y

そして佐藤氏は、「民進党員のほぼ全員が合流するだろう、そして、その選別の基準は憲法や安全保障ではなく、小池氏との人間関係だ」と言い切っている。この予測は前原氏の予測と同じであり、今日現在(10月2日)見事に外れたことがわかっている。

佐藤氏は今回の政治劇を説明するに当たって、前原氏の考え方を少年時代の家庭情況から説明している。そして、議員になってからの前原氏の考え方の変化を、佐藤氏も参加した勉強会(補足1)などから説明している。私は、この佐藤氏の説明の丁寧さには一種の不自然さを感じた。つまり、今回の政治劇の初稿は佐藤優と前原誠司の共著で完成したのではないだろうか。

しかし、その後の希望の党側の厳しい立候補者の選別については、ふたりとも全く読めていなかった。つまり、その政治劇の脚本が、小池百合子氏に“大幅修正(小池氏の言葉で言えばリセット)”されたのではないか思うのである。

そのように考えると初稿の執筆者は、政治的には無能ではないがそれほど優秀でもないことが分かる。小池氏のキャラクターが全く読めてなかったのは、若狭氏や細野氏も同じである。「希望の党」の綱領などを考えている時に、小池氏にさっと“リセット”されてしまった時の二人の表情などを見れば分かる。この後者の件については以下のサイトに書いた。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2017/09/blog-post_82.html

しかし、そこに書いた小池氏の評価は若干修正しなければならないと現在思っている。つまり、上記のような鮮やかなチャンバラ劇を考えると、小池氏が日本を変えることができる数少ない一人かもしれないと思うのである。ヒットラーのように日本を潰すかもしれないが、現在の閉塞した情況を変えるにはこれくらいの灰汁の強さがなければならないのかもしれない。

小池氏は優秀な側近を持ったことが無いようである。是非、優秀な側近を抱えて、彼らを信頼するという一回り大きな政治家になってもらいたいものである。そのためには、結党時の新人の採用がもっとも大切である。“ガラクタ政治家”を受け入れない決断は良いが、多くの人をただ批判するだけでは、自分の目が曇っているだけかもしれないことを知るべきである。

補足:
1)前原氏が議員になってからも、日本社会をどう変革するかについて2年間勉強会を開いて、それに基づいて佐藤優氏、井出英策氏と共著の本を出したという。本の題名は「分断社会ニッポン」である。

2017年10月1日日曜日

日本は、北朝鮮問題とは独立に自国の防衛を考えるべきである

1)7月28日に田原総一郎氏が安倍総理に“政治生命をかけて行ったらどうか”と勧めたことについては、前の記事に書いた。それについて話会われている動画は:https://www.youtube.com/watch?v=Upc2QUu53Ao (8:00頃から)である。(注釈1)結局、この持ちかけは6者協議の再開のようなものであり、最初からうまく行く筈はなかったのである。

その動画での話し合いに同席した武貞秀士氏は、「北朝鮮は絶対に核放棄しない。核兵器は朝鮮半島統一のために金日成が決意したことであり、それを放棄することはない」と語った。「つまり、ワシントンまで届く核ミサイルを完成すれば、米国は半島から手を引くだろう、その時半島統一ができるとかんがえているのだ」と語った。(注釈2)

その考え方も今となっては時代錯誤的だろう。現在の北朝鮮は、半島統一を行うという「攻め」の情況にあるのではなく、米国などからどのようにして体制承認を得るか等、「守り」を必死で考えている情況である。また、武貞氏は田原氏の提案が、人道的問題も含めてテーブルに付かせることなら、成功したかもしれないと言っている。しかし、本音を語った場合、拉致問題など両国にとって取るに足らないということが分かっていないと思う。(注釈3)

2)米国共和党のスタッフを10年勤めた中林美恵子氏は、「トランプの方針はオバマ政権時の政策を否定することである。オバマ政権の時になされたイランとの核合意は、イランの核開発を凍結すること、それが実行されているかについてIAEAの抜き打ち査察を受ける、と言う素晴らしい内容だが、トランプはこれでは手ぬるいという理由で廃止する意向を既に示している(9月20日現在、まだ破棄はしていない)。トランプは核保持のまま北朝鮮と和平をすることはできないのは、このイランへの政策との整合性がとれないからである」と語った。

その次に河添恵子氏が北朝鮮の核保持について、独自の解釈を示した。それは、北朝鮮が核を持つ理由は中国から朝鮮を守るためであるという。金ジョンウンは「中国は敵だ」と明言している。そして、習近平にとって大事な行事のタイミングで軍事実験をして世界を騒がせている。瀋陽軍区(現在の北部戦区)で現政権と権力争いをしている江沢民派を習近平は動かせない。朝鮮利権を持っている彼らは、そこで北朝鮮と協力して軍備増強をしているという。一方、習近平はそれら北朝鮮に近い軍人や高級官僚を制裁してきた。孫政才(この夏失脚させられた)もその一人であると考えても良い。

河添恵子さんの最後の言葉は非常に興味深い(本当かどうかはわからないが)。それは、「トランプは北朝鮮に非常に強い態度で臨んでいるというタカ派のイメージを国民に示しながら、実際にはオバマと同じく何もしないという政策をとっている」という解釈である。(注釈4)

この問題がわかりにくいのは、日本にとって非常に重要な国際問題ではあるが、米国や中国にとっては、国内問題と複雑に絡んでいることである。そして両国にとっては、国内問題の方が大きいのかもしれないのだ。そのと位に、思考の幅を広げて日本は対策を考えるべきである。

つまり、米国に協力するというスタンスではなく、独自に防衛力を整備するという考え方こそ、現在政府に必要な姿勢だろう。

注釈:
1)一流と言われる人たちの意見が、それぞれかなり中途半端な知識に基づいていることがわかって、この動画はたいへん面白い。
2)昔その主旨の論文を書いたと、自分の業績を紹介されている。
3)人も国も建前で語り、本音で行動する。
4)もちろん、偶発的に北朝鮮が混乱してミサイルを発射したような場合、戦いが始まる可能性はある。あるいは、それを米国が待っているという説も有力である。

2017年9月30日土曜日

安倍総理が解散総選挙をする理由

1)安倍総理が解散総選挙をする理由は一つだけである。総理はこれからの北朝鮮危機に向かって、従来の安倍路線で良いのかと国民に問うているのである。それを安倍総理は遠慮がちに解散の動機の二番目に言っている。それを正しく指摘しているのは、9月28日公開された以下の動画での木村太郎氏である。https://www.youtube.com/watch?v=J5iOr9EnhzQ

この動画の中で、安藤優子というキャスターは何もわかっていないことを暴露している。また、政治評論家の伊藤惇夫氏も(3:13頃)「北朝鮮の脅威を選挙に利用するのはおかしい」と言っている。この伊藤惇夫という人は旧社会党系の人物なのかもしれない。

現在、野党がこの解散総選挙を批判しているセリフ「解散の動機は加計隠しだ」というのも、全くおかしい。そのようなことを言う野党の議員が、国会議員であり続けることを許すべきではない。

安倍さんの考え方はすでに国会でも(当然テレビ等でも)何度も出ている。憲法を改正して、米国と協力していざとなれば戦うということである。このアメリカに追従する路線をとる場合、日本にも最悪の場合であるが数十万人の死者がでるかもしれない。日本はその覚悟を問われているのである。

それと全くことなる対応もある。それは、中距離核を保持したままの北朝鮮と講和することを、日本が主張する道である。その場合は、更に二つのケースが考えられる。米国がそれでも北朝鮮制裁の軍事行動をとる場合と、日本の主張通りに最終的に核保持の北朝鮮と講和する場合である。先の場合、日本が米国の軍事行動に協力しなければ、日米同盟は崩れる。また、戦闘での死者は出ないかもしれないが、北朝鮮の崩壊と難民の流入や日本国内でのテロなどで、相当の被害がでるだろう。

後のケース、つまり、北朝鮮と現状での講和を主張する勢力の力(スーザン・ライスなど)が増し、ホワイトハウスもそれに同意した場合である。それでも、日米同盟は長期的に崩れる可能性が大きいと思う。

朝鮮半島は短期間のうちに一国二制度の連合国のような形になるだろうし、最終的には核兵器を持った統一朝鮮ができるだろう。その結果、日本は核兵器を持つ朝鮮に、捏造した慰安婦問題などでゆすられ続ける運命を背負うことになる。更に、中国が絡んでくれば、日本はチベットのような存在になる可能性が大きい。

それを防ぐには、最低でも日本は核の共有という形を米国に要請するしかない。より良いシナリオは、日本も核保持国となる道である。それは、中川昭一氏が目指した道であるが、米国は信頼できない国という烙印を日本に押して、拒否するだろう。(補足1)

それら大きく分けて二つの間の選択問題について(補足2)、国民は前回選挙では考慮していないはずだ。つまり、それが解散の動機であり、その本音がストレートに言えないところが、日本の病気(戦後、マッカーサーと彼に協力した吉田茂らの所為だろう)である。解散の動機をストレートに言えば選挙に負けると安倍総理は考えたのである。

解散総選挙の動機について、木村太郎氏と同じ趣旨の話をやはり動画で経済評論家の高橋洋一氏が言っている。https://www.youtube.com/watch?v=RV1tKFqEprY 桜SOTVを運営する水島総氏がキャストとして放送している何時ものネット放送である。

そこでは安倍総理の消費税の使い道の話は取ってつけたものであり、消費税などあげる必要もないと明確に言っている。その主張は、三橋貴明氏も独自講座を開いて啓蒙活動をしている内容と同じである。

2)小池氏は元防衛大臣であり、北朝鮮問題に関しては安倍総理とそれほど違った考え方を持っていないと思う。今回の選挙で希望の党が勝って過半数を取る様になれば、彼女が総理になるべきだろう。そのためには都知事を辞任して、衆議院選挙に立候補しなければならない。(補足3)

しかし、小池氏が立候補すれば、都政を投げ出したという批判により、「希望の党」は選挙に負けて50議席もとれないだろう。つまり、「希望の党」は現時点では、小池氏がこだわる憲法と安全保障の問題において、日本に希望を与えられない。

「希望の党」には「日本維新の会」などとともに日本の第二党を創るべく、政党としての核をしっかりと保ってもらいたい。今回の選挙で民進党のいい加減な連中を多数抱え込んでは、第二の民進党になるだけである。

補足:

1)米中国交回復の際、ニクソン(キッシンジャー)と周恩来の間で日本には核を持たせないとする密約がなされたという。
2)第3の選択として、社民党系の人が主張する現憲法を守る道がある。それは、自らの選択で中国をトップとする東アジアのヒエラルキーにおいて、統一朝鮮の下でひたすら両国に奉仕する国になる道である。
3)これまで、小池新党には否定的なことを書いてきたが、無視できない情況になってきたので、これからはより良い方向を目指して欲しいという姿勢でブログに書く。現在公表している考え方は、これまで支持してきた橋下徹氏の作った「日本維新の会」と都合で取り込んだ反原発を除いては同じである。反原発は小池氏の本音ではない可能性が大きいと思う。特に、核戦略上重要だという環境になれば、姿勢は変わるだろう。加計問題などで安倍総理を批判してきたが、小池氏の豊洲問題も同じ類と考えられないこともない。