2017年5月27日土曜日

昨日のブログ記事の修正&韓国及び各国における戦時性奴隷の例

昨日のブログ記事の修正&韓国及び各国における戦時性奴隷の例昨日の記事に不十分な箇所が見つかったので、直接記事を修正することなく保存し、ここに改めて修正点とその解説を記す。

修正箇所: 3)二番目の改行後の最後の文章:
これはナチスのホロコーストと日本の慰安婦を同列に扱いたいという思惑が、米国の政治勢力の中にあることを示している。 =>これはナチスのホロコーストと日本の戦時残虐行為を同列に扱いたいという思惑が、米国の政治勢力の中にあることを示している。

理由:米国が問題にしているのは、前のIWG作成の資料の紹介するブログで書いたように、4つの残虐行為がある。それらは、1)日本のアジア一般における戦時残虐行為、2)戦争捕虜や市民労働者の虐待(mistreatment)、3)生物兵器や科学兵器に関するもの、4)所謂慰安婦に対する強制売春であった。

追加:

詳細を議論しなくなった後世を考えると、最も記憶に残るのが4)である。その為、同様の行為を行った国々は決した謝罪などしないのである。

それらの例として、韓国関係に限っても:ベトナム戦争中に韓国が行ったベトナム人女性の強制連行し性奴隷としたこと;韓国が朝鮮戦争中に置いた日本軍が設置したのと同様の売春宿を置いたこと;更に、在韓米軍の為に自国民女性に慰安婦行為を強制し、元慰安婦により告発されているなど、様々なケースがあり、どの面下げて(関西弁)日本の慰安婦制を執拗に攻撃し、慰安婦像を外国に立てているのかと言いたい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6 

また、ドイツが第二次大戦中に占領地の女性を街角から拉致し連行したケースがあるようだ。戦時売春婦(或いは性奴隷)は34000人以上いたようである。https://en.wikipedia.org/wiki/German_military_brothels_in_World_War_II 第二次大戦時の満州でのロシア軍による日本人女性を拉致して強姦したケースは、作家五木寛之さんの新聞記事でも生々しく紹介されている。 http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150804-OYT8T50215.html

2017年5月26日金曜日

韓国出身旧慰安婦の対日請求権

1)ある米国在住と思われる方のブログ記事を読み、加瀬英明氏が代表となっている「慰安婦の真実」国民運動というグループが日本にあることを知った。https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/folder/519863.html このグループの活動を非難する記事の中で、ブログの主は「真の国益という立場に立てば、日本政府に韓国政府との慰安婦補償問題の解決交渉に応じるように運動することであろう。」と書いている。私には、韓国政府が直接補償を要求する法的根拠がわからない。

勿論、「日韓両国が協力してその事実を解明すべきである」と言うのならわかる。歴史学あるいは社会学の一つとして、戦争と性の問題を研究するのは一つの学問分野になり得ると思う。東西冷戦時(補足1)やイスラム圏での内戦(補足2)などでも、多くの悲惨なケースがあったし現在も存在する。しかし、大戦前の韓国人慰安婦への補償を日本政府に要求する法的根拠は、韓国政府にはない。また、事実関係を実証しうる場合を除き、韓国の元慰安婦の方々にもないと思う。しかし、戦後に生きる我々と関係国政府は、戦争で悲惨な経験をしたその他の人たちを含め、謝罪(道義上)と補償をできるだけ行うべきであると思う。以下にそれについて私の意見を書く。素人なので、文章の内容に間違いがあれば指摘してもらいたい。

2)日韓基本条約とそれに付随する日韓請求権並びに経済協力協定で、ほとんどの両国間の補償問題は解決済みの筈である。勿論、後者の第3条には協定の執行時における紛争には、仲裁委員をたててその決定に委ねると書かれている。しかし、元慰安婦の方々がその条文の規定により補償を要求するには、慰安婦となった経緯と慰安婦としての日常において、日本軍兵士及び当時の大日本帝国政府による違法行為の立証がなければならない。

その場合立証が比較的簡単な不法行為は、官憲による強制連行ということになる。これは明確な法律違反である。また、逃亡の力による防止や行為の強制であるが、これが慰安所経営の業者によるものなら、不法性と責任(大日本帝国の)の立証はより困難な作業となる。従って、一般的な謝罪と慰安婦の方の特定以外の事実究明を必要としない形での補償を行う方が、より双方に受け入れ安い(つまり法的な複雑性がなくなる)だろう。

日本、朝鮮、台湾など多くの国から慰安婦として参加せざるを得ない情況に追い込まれ、その結果として人生を台無しにされた慰安婦の方々に対して、関係諸国がヒューマニズムの観点からお詫びの気持ちを表明し、基金を設立して道義的責任に基づく補償金を手渡すのは必要なことだろう。勿論、韓国が独自にそれらの方々に年金などを支給するのは、好ましいことだと思う。

日本政府は、韓国政府や韓国世論の意向を受けて、独自の判断でアジア女性基金を設立した。アジア女性基金は、韓国女性の他に、インドネシアでのオランダ女性を日本軍兵士が拉致し暴行したケースが戦後の軍事裁判で明らかになっているので、その被害者にも補償を行なっている。同基金は、必要と思われる補償をすませとして、2007年に解散している。

以上のように人道的見地から慰安婦に対して補償を行うのは、戦後に生きる人間としての義務だろう。そして、戦争行為以外において(戦争との関連で)悲惨な境遇に追い込まれた人たち一般にも、同じ根拠で補償を行うことが必要だろう。しかし、残念ながら、このような補償ができるほどどこも余裕がないようである。

3)戦後補償には慰安婦関連の他にも色々あると思うが、それらのケースを政治的に利用することは厳に慎むべきであると思う。慰安婦問題に関連して一部の人間が、慰安婦像と称するモニュメントを米国など外国にまで建てていることは、日本人として非常に腹立たしく思う。我々日本人には、日本国と日本国民とを侮辱するネットワークの国際的構築を目的にしている様にも感じる。何にしても、その動機は明らかに政治目的である。(補足3)

この件、米国の一部の思惑と一致する様である。つまり、米国は2000年12月にナチスの戦争犯罪資料省庁連携ワーキンググループを改組し、ナチス戦争犯罪及び日本帝国記録省庁連携グループを作った。これはナチスのホロコーストと日本の慰安婦を同列に扱いたいという思惑が、米国の政治勢力の中にあることを示している。

慰安婦問題の本来の当事者は、元慰安婦の方々と大日本帝国の軍人と彼らが所属する大日本帝国である。しかし、大日本帝国は無くなったので、現在の当事者は元慰安婦の方々とこの問題を継承した日本国政府である。韓国政府は1945年以前には存在しなかったのだから、元慰安婦の方々の現在の所属国として元慰安婦の方々の代理で権利を主張すると言う限定的な意味でのみ当事国であり得る。

つまり、韓国国民は慰安婦とその親族以外は直接の当事者ではない。従って、韓国人一般の心情は理解できるが、慰安婦問題で日本国を非難する権利(法的な)はない。 一方日本国民は、日本政府が一定の責任を持つ以上、この問題の当事者である。それ以外の第三者(例えば米国人など)などには、このケースで政治的活動をする法的根拠はないし、補償を主張する場合にも、言論の自由以外の根拠はない。(15:35; 21:25編集)

補足:
1)ベトナム戦争のとき、韓国軍がベトナム人女性を強制連行し性奴隷にした犯罪についてはよく知られている。そのほか、ウィキペディアの記事に詳しい記述がある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6
2)このケースは我々部外者には更に異常かつ悲惨に見える。詳しくは例えば、http://tocana.jp/2014/01/post_3563_3.html
3)昨年韓国の挺対協は、旧慰安婦に日本からの補償金を受け取らない様に圧力をかけた。

2017年5月24日水曜日

善と悪への分類は人により情況により変わる

先の文章の意味が支離滅裂だと仰る方がいたので、敢えて再度アブストラクトを書きます。

何が善で何が悪か、それは分類する人の都合による。つまり、その人が推奨したいのが善であり、撲滅したいのが悪である。それが全く解っていないが如く外交を展開している国が、現在世界を牛耳っている米国である。解っていないふりをしているのか、解っていないのかわからない。マッドマンの理論とビッグスティックの外交は彼らの得意技だからだ。自分たちの善悪の分類を守りたいだけかもしれない。

生物が有限の空間で生きるとき、必然として争いが生じる。AとBが争う場合、BはAにとって悪であり、AはBにとって悪である。Aの内部ではBを殲滅することが善として語られる。AとBを含む大きな視野を持つものがあったとしたら、その善と悪の分類には意味がない。つまり善悪は相対的なものである。

善は味方が団結するために味方のメンバーとその行為につけるマークであり、悪は敵を殲滅するために敵と敵の行為につけるマークにすぎない。

人類普遍の善と悪の定義が可能だと考える傲慢な連中がいる。最近良く聞く「テロは人類の敵だ」という台詞に傲慢さを感じないとしたら、それはその傲慢さによるか、知性が無いかのどちらかである。その台詞の中の「テロ」とは敵による攻撃であり、「人類」とはテロという言葉を発する自分たちとその味方のことにすぎない。

第二次大戦での民間人への残虐行為が、双方の国の軍により行われた。講和が成立した後も尚、敗戦国とその国民に対して人道に反する罪を犯した者の国とその子孫として侮辱する人がいる。善と悪が状況により相手によりことなることが解っていない身勝手な人たちと、彼らがつくる国家(政府)である。

2017年5月23日火曜日

慰安婦は残虐な性奴隷であったと、平和時に欧米が日本批難する資格を持つのか?1)

1)現在何人かと幾つかのサイトで、日本軍の慰安婦問題に関して議論している。その中には、日本軍が韓国など旧植民地の女性を性奴隷にしたと批難される方もいるし、比較的日本軍に”甘い人”もいる。客観的に記述すると、先刻投稿した米国政府の「Nazi War Crimes andJapanese Imperial Government Records Interagency Working Group」報告にあるように、強制売春でありどの程度の強制や残虐性があるかについては、未だ未解明であるということになるのだろう。

私は、慰安婦の制度にたいして、少数の元慰安婦の方の証言を信用して、性奴隷というのが実態であると、旧日本軍の行為とそれを正しく謝罪しない日本政府の姿勢を激しく批判される方に対して、「自分を事件から全く離れた場所において、悪行をひはんするのは簡単です。」と批判的な意見を返したところ、以下の反論をもらった。「自分の信念(例えばクリスチャンとして)にもとづいて、悪行を批判するのは簡単なことでしょうか?悪行が批難されるのは当然である。そうでなければどうして社会に正義をもたらすのですか?」というものである。そこで、それに対する答えを対話風に以下記述する。

2)善と悪の問題ですが、その前に日本人の宗教について一言書きます。日本人は決して無宗教ではありません。日本人は人格神を信じていませんが、自然そのものを神として崇めています。それ(神道)には教義はありませんから、日本人は誤って無宗教と言ってしまう癖があります。むしろ神道は強く日本人の心に根付いているため、本人すら気がついて居ないのです。

原爆投下の件で米国をきつく追求しないのは、自分たちが下手なことをやってしまったのも原因の一つだと感じているからです。原爆資料館の碑文をご存知かと思います。そこには、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」と書かれています。つまり、頭の何処かに天罰的であると考えている部分があるのです。分かり易く言えば、碑文を書いた人にはそのような情況に追い込まれてしまったという感覚があるのです。それと同時に、同じ程度に米国の将軍は、そしてエノラ・ゲイの搭乗員は、原爆を落とす運命というか役回りになったのだと感じているのです。しかし、断定は出来ません。

どのような悪事についても、その原因を突き止めるように(突きとめられるように)問題を明確に立てて(単純にたてて)、その犯人として一人の名を上げるという、問題の単純化には、日本人は躊躇するのです。何故そう言えるか、それは戦争責任者たちも全て戦後国民の署名で名誉回復し、靖国神社に祀ったことでおわかりかと思います。(勿論、対米戦開戦時の首相の東条英機の人気は極めて低いですが)

この非論理的な対応が良いと言っているのではありません。それではこの厳しい国際社会を生き残れないでしょう。その理由ですが、日本人は個別の問題をその時の情況など全体の運動の結果のように捉えるからだと思います。つまり、西欧の方の正義とその実現という姿勢は極端に問題を単純化し、自分勝手に回答を出していると考えるのです。

自分の信念に基いて悪行を批判する能力があるのなら、何故米国のエノラ・ゲイの搭乗員は原爆投下を拒否しなかったのですか?米国の司令官はエノラゲイの搭乗員にそのような過酷な命令を出したのですか?それともジャップという猿を退治するだけだと割り切ったのでしょうか?それでも弱者や貧しいものを擁護するキリスト教徒でしょうか?

つまり、善と悪のラベルを個人の行動につけるのは、難しいというか困難である、或いは無慈悲であると考えます。キリスト教徒のように神の判断により善と悪が決定され、その悪を犯した人間の置かれた情況が如何なるものであっても、それとは無関係であると考えることは出来ません。否、多くのキリスト教徒も実はそうはしていません。キリスト教徒であれ何教徒であれ、悪を非難しますが、自分は悪を為す立場にならないように、或いは、悪を為したと避難されない立場になるように知恵を使っているに過ぎないと思います。

そのような情況に追い込まれた時、人はあたかもコンピュータが計算した通りのように、悪を行う場合が殆どです。それが「戦争犯罪者」の真の姿です。平和な日常では明るい優しいお父さんであり、お兄さんであった人が、あの情況下で戦争犯罪者になったのです。日本人は、そのような情況は、自然の流れというか運命によりもたらされると考える傾向があります。それが他の企みによるとは考えない傾向があります。原爆資料館の記念碑の碑文にある通りです。

本当は、自分がそのような情況に追い込まれる前に注意深く情況を把握し、悪に追い込まれる情況を他人に押し付ける人が、善人の顔をして生き残っている場合が多いのです。

3)「親鸞」を書いた五木寛之さんは、終戦後南進して暴虐の限りをつくすロシア軍兵士から逃れる為に朝鮮から日本に逃げ帰ります。五木さんは無事逃げ帰れたのですが、多くの人が強姦されたり殺されたりしましたし、生き残った人も大勢がシベリアに送られて死にました。

その際、情報を早く握った軍の幹部たちは素早く逃げていたのです。そして五木さんは結論します。悪人が生き残るのだと。

現在、日本はロシアと国後島や択捉島などの共同開発の話を初めています。熊のように日本女性を強姦し、多くの日本人男性を殺すかシベリアに送った人の国を相手にしての共同開発です。何故そのような話を進めるのか?そのロシア人たちも、平和な時には優しい面白い人達であることを我々は知っているのです。

あの悪行を批難する資格があると信じる人は、すれば良いでしょう。私は心の中では、そのような資格をこの地球上の人の殆どに与えません。「心の中」とか「殆ど」とかいう言葉を用いたのは、私にはそのように決めつける自信がないからです。

補足:
1) 欧米に居る人に、欧米の韓国人日本人2世も当然含まれます。

米国省庁連携機関による慰安婦等戦争犯罪の調査結果(続)

前回紹介した”日本の戦争犯罪資料研究:小論(Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays)の全体についての簡単な紹介と第一章と第二章に書かれた慰安婦に関する部分を訳して紹介します。詳しくは原文をみてください。内容に対する責任は持ちませんが、間違いの指摘、意見等は歓迎します。

§1:全体について簡単な説明
Researching Japanese War Crimes:Introductory Essay は米国の国立情報局(NationalArchives and Records Administration;NARA)による240頁ほどの日本の戦争犯罪について書かれた解説書で、研究者が公開された戦争犯罪に関する資料を調べる時の入門書である。2006年にNARAにより公開された。

目次:第1章:イントロダクション;第2章:日本の戦争犯罪の証拠書類と研究:中間評価;第3章:日本の戦争犯罪について国立情報局で新しく公開された資料;第4章:日本の戦争犯罪に関する国立情報局資料の調査起点;第5章:アジア太平洋戦域における戦時通訳通信記録1978-1997; 第6章:没収及び差し押さえられた戦争犯罪資料の利用について、1942-1945; 第7章:没収及び差し押さえられた日本の資料の返却に関して;第8章:その他情報(正確な情報としては以下の原題を見て下さい:Chap.8 The Intelligence that Wasn’t: CIA Name Files, the U.S. Army, and IntelligenceGathering in Occupied Japan

第二章は戦争犯罪の定義に始まる。ここでは、戦争犯罪とは比較的新しい概念であるという文章から始まる。(補足1)

この資料においては、日本の戦争犯罪を4つのカテゴリーで取り上げている。1)日本のアジア一般における戦時残虐行為、2)戦争捕虜や市民労働者の虐待(mistreatment)、3)生物兵器や科学兵器に関するもの、4)所謂慰安婦に対する強制売春、である。

残虐行為として南京大虐殺についてかなりの頁を割いている。一言だけ紹介すると、「少なくとも数万という便衣兵が日本兵により上官の命令に従って殺戮された。そして、1980年代中期に日本の退役軍人の会である偕行社の代表が、この件に関して中国国民に対して謝罪をおこなった。」(原文:補足2)

§2:慰安婦問題

第1章に短い慰安婦に関する記述がある。その概略は以下の通りである。

戦場の売春宿で若い女性に売春行為を強制したとされる日本軍のシステム(慰安婦の件)を巡って、論争が特に韓国で湧き上がっている。1994年にGeorge Hicks著の“慰安婦:第二次世界大戦時における日本の野蛮な強制売春制度”(The comfort women: Japan’s Brutal Regime of Enforced Prostitutionin the Second World War II)が初めて英文でこの件を紹介し、その強制された婦人が日本に補償を求めていると書いた。1990年代の終わりになると、慰安婦の苦境が米国のフロント頁に踊りでて、婦人の権利の主唱者などが日本政府に戦争時の人権無視にたいする責任を認めるよう要求した。

第2章の最後に、“From Mass Rape to Military “Comfort Women”というセクションが設けられ、2ページほどの記述がある。その概略を以下に書く。(この部分の原文はこの翻訳文の後ろに掲載します)

中国や東南アジアでの性的暴力行為が頻繁に起き、それが日本軍の評判を貶すことになった。それに気づいた日本軍は少数の日本兵を軍法会議で処罰する一方、1932年ころから民間の業者と慰安所(comfort stations)設置の契約を行った。

連合国はこの事実を知っていたが、一件を除いて犯罪として把握して戦後裁判で裁くことはなかった。その一件とは、インドネシアにおいてオランダとその他ヨーロッパの若い婦女子を多数に対し、日本人に性的サービスを強要した事件である。この件の日本人責任者は戦後オランダ当局者により処罰された。

1970年に入り、日本の2、3人の著述家が日本帝国軍人の犯罪として取り上げた。(補足3)広く注目されるようになったのは、1990年代の始めに一人の韓国人女性が公開の場で軍での売春を強要されたと証言してからである。彼女の証言は“慰安婦”の件における活動家を元気付けた。(原文:Her account galvanized activists around the “comfort women” issue.)

初期には日本語と韓国語での著述がほとんどだったが、現在無数の英語の著述も発表されている。他の戦争犯罪を圧倒する程国際的注目を集めたのは、一つには女性に対する性暴力に関する基準と人間としての権利に対する関心が新たになったからである。(補足4;全文は後半に掲載しています。その英文をご覧ください)

最初、日本政府は公的な関与を否定していた。その後、吉見義明氏が防衛省資料館において当時の政府の直接関与を示唆する書類を発見したとして大きく報道された。彼はその後次々とそれらを一次資料集として、連合国通訳部門の報告書などを含めて発表した。一般の圧力の下、日本政府は慰安婦問題への関与を認め、私的な財源を用いて元慰安婦への償いのためのアジア女性基金(AWF)を設立した。

AWFは1996年に歴史委員会を設立し、日本、米国、オランダ、台湾から有効な資料の収集に努め、さらに歴史家にインドネシアとフィリピンの元慰安婦からの聞き取り調査を依頼した。それらの資料は複数刊の資料集及び網羅的な文献集として結実している。吉見氏によるとそれでも不十分であり、他に多くの政府資料や私的記録が失われたか未公開になっているという。例えば、麻生徹男医師の日記などが防衛省歴史資料館に保存されているが、プライバシー保護の理由で公開されていない。

慰安婦に関して、日本では未だにホットに議論されている。例えば慰安婦の数についても大きな開きがある。この件について朝鮮史の専門家でAWFの歴史委員でもある高崎宗司氏は、日本の工場へ働きに出された朝鮮人女子挺身隊員と慰安婦の区別を明確にすべきであると強調している。彼が指摘したように、多くの韓国(朝鮮)活動家がこれらを混同して、慰安婦の数を過大に見積もっている。

この件のより大きな問題は、残虐性と政府の関与がどの程度であったかということである。一部から、元慰安婦の方の証言の信ぴょう性と公衆の前での証言の動機に関する疑問が呈されている。例えば秦郁彦氏は多くの著述などで知られているが、彼は慰安婦制度は売春であり他の多くの国に見られるものと同一であるとしている。一方で、彼は他の学者から慰安婦の悲惨さを軽く見すぎていると批判されている。

4章にもこの件が少し書かれています。改めて取り上げる必要を感じた時には、それも紹介する予定です。

補足:

1)戦時国際法は、戦争を外交の範囲に含める西欧の考え方(クラウゼビッツら)に由来し、そしてジュネーブ条約やハーグ陸戦協定という条約の形で具現化している。その場合でも戦勝国側が敗戦国側を一方的に裁くには無理がある。国際法に一定の権威を与える権力が未だに不在だからである。これは、インドのパール判事の言い分であると理解している。また、「東京裁判」を国際法によって戦争犯罪を裁く裁判であると考えても、「人道に関する罪」は事後法であり、その判決に法的根拠はない。しかし、日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れている。従って、東京裁判も先の戦争に含まれると考えるのが、正しい考えだと思う。ただし、この場合その時インドとは戦争状態には無かったことになる。

2)At least tens of thousands of disarmed Chinese soldiers wereexecuted by Japanese troops a the order of their commanders. As a result, inthe mid-1980’s, a representative of the veteran group “Kaikosha” offered anapology to the Chinese people on its behalf. (p30; 第2章文献43参照)

3)千田夏光著「従軍慰安婦」双葉社1973&三一書房1978
  金一勉著「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」三一書房1976

From MassRape to Military “Comfort Women”


The rape ofChinese women by Japanese soldiers has long been identified with Japan’s waratrocities in China. Reports by American missionaries during the Rape ofNanking in late 1937 provided a glimpse into the extent of sexual violencecommitted by the Japanese Army. Numerous other incidents in China and later inSoutheast Asia further tarnished the reputation of the Japanese forces. epostwar trials, however, largely considered rape to be part of a more general violationof law or inhumane treatment, and not a war crime per se.

Japaneseauthorities were aware of the problem during the war. In fact, Japanese recordsshow that orders were issued to deal with the problem and that a small numberof Japanese soldiers had been tried by Japan’s own military courts during thewar for rape or other crimes against civilians.97 In part to reduce local resentment againstJapan and in part to prevent the spread of venereal disease among its ranks,the Japanese military contracted private vendors to set up “comfort stations”for the troops as early as 1932.

Again, thispractice was known to the Allies but no criminal charges were filed at thetrials. There was one exception. After Japan occupied the Dutch East Indies(present-day Indonesia), the Japanese military forced many youngwomen—including Dutch as well as Eurasian—into providing sexual service to theJapanese. Those Japanese responsiblewere punished by the Dutch authorities after the war on account of the abuse ofthe Dutch women.

In the 1970s, afew writers in Japan began treating the subject as a crime committed by theImperial Japanese Army.98 It was not until the early 1990s that thecase of the military “comfort women” (ianfu) began to attract wideattention, following the first public testimony of a Korean woman who had beenforced into military prostitution for the Japanese. Her account galvanizedactivists around the “comfort women” issue. Most publications on the subjectinitially appeared in Korean and Japanese. Numerous works have been alsopublished in English.99 Gathering extensive oral histories, SuZhiliang, a historian from Shanghai, published the most comprehensive work onthis topic in China and set up a Center for the Study of Chinese Comfort Womenat his university.100 In terms of scope and impact, perhaps noother Japanese war crime has reached the level of international publicity sincethe 1990s as that of the military “comfort women,” a phenomenon helped by newinterest in human rights and standards regarding sexual violence toward women.101

Initially, theJapanese government denied official involvement in the operation. YoshimiYoshiaki, a leading Japanese scholar on Japanese war crimes, made headlines bydiscovering documents in the Japanese Self-Defense Agency’s library thatsuggested direct military involvement. He went on to publish them in acollection of primary documents, which included numerous ATIS reports fromNARA.102 Underpublic pressure, the Japanese government admitted its complicity and set up theAsian Women’s Fund (AWF) to compensate former “comfort women” from privatesources. AWF established a History Committee in 1996 to gather and examinerelevant documents in archives in Japan, the United States, Holland, andTaiwan. Historians hired by the AWF also interviewed former “comfort women” inIndonesia and the Philippines. Their work resulted in a multi-volume collectionof documents and a comprehensive bibliography on the subject.103

Many are not fullysatisfied, however. As Yoshimi points out, numerous Japanese governmentdocuments were either lost or remain classified. Among them are police recordsbelonging to the former Home Ministry that allegedly had been destroyed.104 Private records,such as the journal of army doctor Aso Tetsuo, contributed much to theunderstanding of conditions in the comfort stations in China, but many othersheld by the Self-Defense Agency War History Department Library remained closedto the public for privacy reasons.105

Many issuesconcerning the “comfort women” are still hotly disputed in Japan. e number ofwomen victims remains a subject of disagreement; popular accounts frequentlygive the figure of 200,000. Takasaki Shohji, an expert on Korean history andchair of the AWF History Committee, emphasized the distinction between theKorean women’s volunteer corps (teishintai), who were sent to work infactories in Japan, and “comfort women.” As he noted, these two terms had beenconfused by many Korean activists and had led to an inflated estimate of thenumber of Korean “comfort women.”106 A bigger issue concerns the degrees ofcoercion and government involvement. Some also question the veracity of thetestimony provided by former “comfort women” as well as their motivation totestify in public. Hata Ikuhiko, for one, has taken the lead and published manyessays as well as a major work on this subject. Hata essentially equates the“comfort women” system with prostitution and finds similar practices during thewar in other countries.107 He has been criticized by other Japanesescholars for downplaying the hardship of the “comfort women.”

References:
98) Senda Kakō, Jūgun ianfu [Military comfort women] (Tokyo:Futabasha, 1973; San’ ichi
shobo, 1978; Kim Il-myon, Tenno no guntai toChōsenjin ianfu [Emperor’s army and Korean comfort women] (Tokyo: Sanichishobō, 1976).
99) In English, see George Hicks, ComfortWomen: Japan’s Brutal Regime of Enforced Prostitution in the Second World War (NewYork: Norton, 1997); Keith Howard and Korean Council for Women Drafted forMilitary Sexual Slavery by Japan, True Stories of the Korean Comfort Women (NewYork: Cassell, 1995); David Andrew Schmidt, Ianfu–The Comfort Women of theJapanese Imperial Army of the Pacific War: Broken Silence (Lewiston, NY:Edwin Mellen Press, 2000); Sangmie Choi Schellstede and Soon Mi Yu, ComfortWomen Speak: Testimony by Sex Slaves of the Japanese Military (New York:Holmes & Meier, 2001).
100) Su Zhiliang, Weianfu yanjiu [Astudy of comfort women] (Shanghai: Shanghai shudian chubanshe, 2001).

101) See Chapter 4: “Why did the US forcesignore the comfort women issue?” in Yuki Tanaka, Japan’s Comfort Women:Sexual Slavery and Prostitution During World War II and the U.S. Occupation (London:Routledge, 2001), 84–109.
102)Yoshimi Yoshiaki, Jugun ianfushiryōshū [Historical materials on the military comfort women] (Tokyo:Ōtsuki shoten, 1992).

103) Ajia Josei Kikin (AWF) comp., “Ianfu”mondai kankei bunken mokuroku [Bibliography of materials on the “comfortwomen” issue] (Tokyo: Gyōsei, 1997). It also published a collection of reportsof investigation by commissioned historians into documents relating to “comfortwomen” in 1999. In addition, an updated version of the bibliography can befound online at http://www.awf.or.jp/. See also Ōnuma Yasuaki, ed., “Ianfu”mondai to Ajia Josei Kikin [ e “comfort women” issue and the Asian Women’sFund] (Tokyo: Tōshindo, 1998).
104) Yoshimi Yoshiaki, “Sensō no kioku,sensō no kiroku: ‘Jugun ianfu’ kankei kiroku no mondai o reitoshite,” (Memoryof war, records of war) Archives no kagaku (1) (Tokyo, 2003): 276–96. AJapanese newspaper reported, however, that large quantities of Home Ministrymaterials were discovered in a building marked for demolition. Mainichishimbun (Nov. 16, 1994). Some of these documents were included in AWF, Seifuchōsa: “Jugun ianfu” mondai shiryō shūsei [Compilation ofgovernment-collected documentary materials relating to wartime “comfort women”](Tokyo: Ryūkei shosha, 1997–1998). According to Professor Nagai Kazu, thesedocuments revealed that even Japan’s local police were shocked by the operationto recruit “comfort women,” which was ordered by the military.
105) Tetsuo Aso, From Shanghai ToShanghai: e War Diary of an Imperial Japanese Army Medical O cer, 1937–1941, trans.Hal Gold (Norwalk: EastBridge Books, 2004).

106)Takasaki Sōji, “’Hantō jōshiteishintai’ ni tsuite” [Concerning the “peninsula women’s volunteer corps] in “Ianfu”mondai chōsa hōkoku [Reports of investigation into documents relating to“comfort women,”] (1999): 41–60.
107) Hata Ikuhiko, Ianfu to senjo no sei [Comfortwomen and sex in the battle eld] (Tokyo: Shinchōsha, 1999). A shorter essay ofhis has been translated into English and published as “ e Flawed UN Report,” JapanEcho (Autumn 1996), 66–73.


2017年5月21日日曜日

米国省庁連携機関による慰安婦等戦争犯罪の調査結果

このシリーズの第一回目はすでに書いた”性奴隷などなかったという米国政府の調査報告”である。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43277864.html この産経新聞の記事では信用できるかどうか分からないので、できるだけ一次資料に近づく努力をしてみたい。今回はその最初である。

上記新聞記事にはもとの史料は引用されていない。そこで検索して探したところ、それを含めた慰安婦問題に触れた米国発の記事が出て来た。それはミドルメディアの一種と思われるRocketNewsの2015年に出された記事である。それが、The IWG Report: Japanese Comfort Womenとの題で発表された記事で、以下のサイトにある。http://www.rocketnews.com/2015/03/the-iwg-report-japanese-comfort-women/

この中での記述はおおよそ客観的であり、慰安婦問題では強制連行にたいする疑問もとりあげている。次回にその概要を書きたいと思う。

その記事の中に、上記産経新聞の記事にあるオリジナルな文献の在処がかかれている。それが2000年12月にナチスの戦争犯罪資料省庁連携ワーキンググループ(Nazi War Criminal Records Interagency Working Group)から改組された、ナチス戦争犯罪及び日本帝国記録省庁連携グループ(Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group)の最終報告である。

メリーランドにある国立資料館で閲覧可能なそれらオリジナルな資料は、膨大なためIWGでは二つのガイドとなる資料を作成している。一つは”電子資料検索案内(electronic records finding aid;1717頁)"でありもう一つは”日本の戦争犯罪資料研究:小論(Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays;240頁)”である。

後者についても出来るだけ中身を紹介したいが、私の英語能力はあまり高くないので、英語が読める人は見ていただいた方が早い。ただ、キーワードで検索して見ることは簡単である。

後者のIntroductory Essayでは、慰安婦(comfort women)については24頁ヒットするが、強制連行(abduction)でヒットするのは一箇所であり、その文章は強制労働に関するののだけであった。つまり、Japanese abduction of Chinese forced laborers fromNorth China(p50)という文章だけであって、慰安婦絡みでは出てこない。

一方、finding aidの方では、comfort womenはなく、comfort girlは一つの文献が紹介されている。abductionは二箇所出て来るが、何れも韓国や中国とは無関係であり、comfort girlとは別の箇所である。売春宿(brothel)は11箇所出て来るが、これもabductionやcomfort girlとは 別のページにある。

以上、慰安婦関係で強制連行があったとする資料は無いという産経新聞の記事は信憑性があると判断される。

2017年5月18日木曜日

朝鮮問題を解決する第一歩は、米国が踏み出す義務を持つ

北朝鮮情勢の雲行きが怪しくなってきた。北朝鮮は、ICBMに一歩近づくミサイル実験をAIIBの会議が始まった時に行い、習近平の怒りを買ったということである。この北朝鮮問題だが、日本のマスコミではこれが朝鮮戦争の延長上にあることから議論をスタートすることが少ない。それは真実を報道したくないという明確な意思があるとしか思えない。つまり、マスコミはマスゴミというより国民の洗脳機関である。

朝鮮戦争の休戦協定への署名は国連軍つまり米軍、中国軍、そして北朝鮮軍のそれぞれ最高司令官の間で、1953年7月27日にされた。休戦協定であるから、「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」と規定している。しかし、「最終的な平和解決」(平和条約)は未だ成立していない。ウイキペディア参照

休戦協定の第IV条には、“平和的に朝鮮問題の解決のために、この協定が発効したのち3ヶ月以内に、関係国政府代表によるより高いレベルで、朝鮮からの外国軍の撤退などの問題解決のための協議の開始を勧告する”と書かれている。http://news.findlaw.com/cnn/docs/korea/kwarmagr072753.html

1954年4月に開かれたジュネーブでの政治会談は外国軍撤退問題で成果なく破局した。米国は休戦協定後の1953年10月に米韓相互防衛条約をむすんで、今日まで米軍が韓国に駐留している(補足1)。一方、中国は1958年10月に全軍の撤退を完了している。

また、休戦協定第二条(13節)には、損傷した装備の再配備以外には新しい武器は持ち込まないと規定されているが、アメリカはその協定を無視して、ミサイルや核兵器を持ち込み、北朝鮮代表団に、その協定を無視すると表明した。

国連安全保障理事会(1996)は、休戦協定は有効だと言いながら、現場の国連軍の名をもつ米軍は上記のように休戦協定を無視している。 https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1955-57v23p2/d240 更に、米韓両軍の大規模演習は北進を前提としており、その開催ごとに北朝鮮側は休戦協定に束縛されないと表明している。

以上のプロセスを見ると、朝鮮戦争を終結する平和協議の第一歩は米国と韓国によりなされるべきことは明確である。日本のマスコミの報道は全く偏向している。

補足:
1)休戦協定の3ヶ月以内に政府間の話し合いを開始するのではなく、休戦協定の規定とは全く逆の行動、今後も朝鮮半島に居座るという根拠を米国は創ったのである。

2017年5月16日火曜日

西欧の政治文化と慰安婦問題

1)慰安婦問題には二つの側面がある。それは歴史学的側面と政治的側面である。その両方の側面の存在を知らないと、この問題を見誤ってしまう。その過ちを犯したのが河野洋平氏であり、その慰安婦問題に対する官房長官としての氏の談話(河野談話;補足1)である。過ちとした理由は、政治家が何かについて発言するときは、その政治的側面を見てすべきだからである。

河野洋平氏は、テレビドラマの中での水戸の御老公のような姿勢が、政治家のあるべき姿だと思っているらしい愚者である。現在の国際政治は欧米の政治文化によって動いている。従って、日本という島国の政治家であっても、西欧的な意味で“政治的”に動いてもらわないと困ると思うのである。

政治は英語圏のPoliticsに相当する。その語源から想像すれば、politicsは多く立場(国、人)の衝突学のような意味だろう。単純な物体の運動でも理論的に解決できるのは二つの間であり、3つ以上の物体の相互の動きは解析的には解けない。当事者がどう動くかその動機すらわからない国際政治の場面においては、2カ国間の問題だと思っても3カ国以上が絡んでいる可能性もあり、その対処は難解である。一方的に精一杯の善意を相手にプレゼントするのは、愚物政治家のすることである。

従って、国際政治においては今後の自国と自国民の利益を第一に考えて、交渉をシミュレートすべきである。歴史にも、「勝利者の正当性を作り上げる物語である」と解釈する考え方と、「歴史は事実を元に作り上げた民族や民族間の物語である」と解釈する考えかたの二つがある。(補足2)その中の後者を本当の歴史と考え、且つ、相手方もそのように考えていると期待して、現実の政治を考えることに何の逡巡もない政治家は、害を国民に及ぼすだろう。そのように思う。

2)欧米の考え方は裁判の形式を見れば分かる。裁判では、検察側は犯罪人の悪行を精一杯主張する。そして、弁護側は殺人者の弁護でも、偶然刃物が暴れだしたのだというレベルの弁論をする。その言葉と論理を用いた両者の綱引きの様子をみて、裁判官が落とし所を探すのである。欧米の国際政治(政治文化)も同様だろう。当事国がそれぞれ己の正当性を精一杯言葉と論理(偽かも知れない)で主張して、その綱引きの結果で以て、互いの位置を決定する。

神が居る(或いは居た)西欧では、人は横並びで各人が自分の利益は自分が守るという考えを持つ。つまり個人主義の伝統を持つ(補足3)。自分たちで何かを決めるべき時には、神から与えられた言葉と論理を必死に振り回して、各人の主張をぶつけ合う。それがPoliticsだろう。

一方、人格的な神の居ない日本では、神の代行を“徳のある人間”に期待するようだ。大岡越前や水戸黄門のように、一人の人間に全知全能を期待して、揉め事の裁定を委ねるのである。そのレベルの低い政治文化の中から、自分たちが政治家として選出されているという自覚すら持てない者は、たとえ著名な政治家の家に生を受けたとしても立候補などすべきでないと思う。

3)慰安婦問題では、韓国はその国際的政治文化を学んで、精一杯のロビー活動を米国で行っている。米国が国際政治の中心であることをよく知っているからである。米国も元々、日本の戦争時の悪行を喧伝する韓国を応援する動機がある。それは、言うまでもない。

米国マスコミも精一杯それに協力している。日本の政治家や右派系の人たちは、この米国の元々持つ日本をナチスと同等に扱いたいという欲望を軽視し過ぎである。また、日本の政治家は、米国や国際社会が日本の慰安婦に関する主張を認めないのは、事実を知らないからであると考える傾向にあると思う。

ニューヨーク・タイムズが書くように(補足4)、「植民地から女性を強制連行して性奴隷にした」というストーリーに欧米が固執するのは、事実を知らないからではなく、彼ら或いは彼らを支配する層がそのように解釈したいからだと思う。その様な情況下で、“事実”をいくら宣伝しても、かれらの姿勢は変わらないだろう。

彼らの姿勢を変えるのは、彼らの将来の利益になると考えさせること、或いは、グーの音も出ないほど強力な証拠と論理でもって、日本の主張を世界中に轟かせるしかないのである。それが出来ないのなら、現実的な利益を考えて、欧米流の現実的且つ巧みな外交を行うべきである。それには軍事力も必要である。(補足5) 欧米が事実で動かず感情や利益で動く例はいくらでもある(補足6)。ごく最近のシリア爆撃でも、「アサド側がサリンを使った」とか、そして、「苦しむ子供を見て爆撃を決断した」とトランプ大統領が言ったが、まるで現行犯で黒人を射殺する白人警官の台詞にそっくりである。

勿論、米国は日本の大事な同盟国である。嫌な面も嫌いな面もあるが、言論の自由や人権を重視するという現在の国際的価値を維持している国である。それに、国家と国民を区別するという考えも頭の中心に常に置いておくことが大事であると思う。以上、政治の素人ですが、政治的に考える考え方(保守的)と原理的に考える考え方(左翼的)の両方を区別して用いるべきだとという個人用覚書です。

補足:

1)1993年8月4日、河野洋平内閣官房長官による談話。時の首相はあの宮沢熹一である。
2)岡田元次著の「歴史とは何か」に記載されている。
3)小沢一郎氏の本「日本改造計画」は個人主義が民主主義には必須であると説いている。この本を読んだあとの一時期、小沢フアンになった。
4)The New York Times, “The Opinion Pages (editorial)”, 2007/3/06
5)自国民の教育が第一かもしれない。何度も同じ話を持ち出すが、原爆が憎いのか、原爆を落とした敵が憎いのか、原爆を落とされるような戦争を行った無能な指導者が憎いのか、更に、核物質を発見した学者が憎いのか、それらの区別さえ日本人一般(B層と呼ぶひともいる)は出来ていないのである。
6)「アラブの春」は、民主主義という複雑なメカニズムを同時に組み込んで初めて機能する政治形態を、それと知りながら準備の出来ていないアラブ諸国に持ち込んで、それらの国々を混乱に導いた。それは、2050年問題(イスラム教徒数>キリスト教徒数となった時に生じる問題)やローマクラブの「成長の限界」問題の対策としての行動だろうと疑うべきだろう。その種のターゲットに勿論アジア人も含まれるだろう。それが、東アジアを混乱状態に置きたいという従来の米国支配層の考えだろうと疑っている。この考えは馬淵睦夫氏の本から学んだことである。

2017年5月11日木曜日

日本の賃金と労働市場の問題:欧米と比較して、高年齢高給与でない日本の給与体系

1)日本の賃金システムが、同一労働同一賃金の原則に基づいていないことが屡々問題視される。その原因は、日本では会社に就職するが、欧米諸国では文字通り職種を選んで就職する。つまり、日本では会社と労働者の関係が君主と家来の封建的関係にあるからである。本来の家来である正規社員が、外部から臨時に雇った職員よりも同じ仕事でも給与が高いのは当たり前である。その代わり、家来であるから、大事な時には超過勤務も厭わず多少のサービス残業も当たり前である。

同一労働でも同一賃金ではなく、当然家来としての期間が長い人間には、その忠義に応じて賃金を上げるのも至極当然のこととなる。それはまた、重要な仕事を家来にさせてもさほど給与が上げなくても良い言い訳となる。「家来にとって重要な仕事を“させてもらう”のは名誉であり、それで高い給与を要求するのは人としての出来に問題がある」という丁稚奉公時代の考え方が、未だに日本の社会通念として生きている。

そのような考えで漠然とテレビを見ていた私は、今朝のモーニングサテライトでびっくりするデータを見せられた。それは日本の給与対年齢の関係は全体としては、欧米諸国と異なって年功序列的にはなっていないというものである。そして、“ここ数年賃金が減少傾向にあるのは、高齢労働者が増加したからである”という解説者の話を聞いて、またびっくりした。解説者が示した年齢対給与のデータの一例を下の図に示した。

明らかに高齢者の賃金は米国の方が高い。この米国のような傾向は、欧州の主要国においても同様にであった。

このデータを見てから、しばらくしてデータ解析は出来た。それは、欧米諸国では仕事に対して給与を支払うという事実を考えれば当たり前である。つまり、欧米の賃金が年齢とともに上昇するのは、年齢を重ねるに従って経験を積むことで仕事の質が高くなっていくということである。

そこで、給与が44-46歳付近にピークがある日本での給与と年齢の関係を考えると、大手の会社に入ってもその年齢付近で退職することの反映であると理解される。つまり、年功序列の給与体系を維持できないので、会社等が高齢になった職員で相当する地位から溢れた人は、実質的に解雇されることを意味している。

その傾向は国家公務員でも同様である。よく引用されるケースであるが、一種採用(昔の上級甲種採用)の国家公務員で、同期が課長に出世すれば残りの人に相当するポストがないので、天下り先に去るという話である。その結果、特別優秀な鼻持ちならないと周囲には見える人間が早々と去り、凡庸な人間が最後に次官となるのである。そのような凡庸な人間がのちに政界に下る(!)ので、政治家のレベルが低いのだろう。つまり、この慣習は国家の政治にも関係する大問題なのである。

上記早期退職が大きな問題なのは、それまで蓄積した経験と知識が新しい職場で必ずしも発揮されないだろうということである。仕事をするということは、同時に技術や知恵を学ぶことであると考えれば、その損失の合計は非常に大きく、国家の発展に直接的に関係するほどの大問題である。

2)日本という国では、実績よりも名前あるいはラベルが評価される。それは、どこを見ても共通している。芸能界から政界まで、更には競争の場が国内に限られている学会でもそうだろう。(テレビでおなじみの三代目の国語学者を思い出す。)ラベルになり得るのは出身大学名であったり、所属している会社名であったり、有名な家系だったりする。

例えば、最近、日本郵政(株)が巨額(約4000億円)の損失を豪州の流通会社をあまりにも高値で買収した失敗の尻拭いのために計上した。その結果、日本郵政の株は大きく値下がりした。また既に大きな問題となっている東芝の不正経理問題の元にあるのが、米国原発大手のウエスティングハウス社の買収とその後の運営で大赤字を出したことである。この東芝のウエスティングハウス社買収の主役であった方が、驚くべきことに後に日本郵政で豪州トール社の買収の主役となった西室泰三氏である。同じ間違いで巨額の損失を出したのである。

私立の名門大を出て、名前だけがどう言う訳か巨大化して出世した方であるが、その能力は結果が証明している。もし、日本の会社と会社員の関係が仕事の成果とそれに対する報酬の関係であれば、このような方は出世しなかったのではないだろうか。能力のある人は得てして、凡庸な人を遠ざけてしまう。非凡な能力を引き上げるのは、トップが優秀であり、且つ、トップの視界が末端まで及ぶようなフラットな組織の会社である。

何故この方名前の政界にまで届いたのか?それは、日本の原子力行政との関係で官界との人間関係が大きく太くなったのだろうと想像する。しかし、その官界の側の人間が一流の方であれば、二流以下の方の名前が大きくなるわけがない。英語のことわざにある:First-rate people hire-first rate people;Second-rate people hire third-rate people. 翻訳すれば: 一流の人間は一流の人間を雇う。二流の人間は三流の人間を雇う。

しかし、日本の官界は同一労働同一賃金の原則から最も遠いところである。そして基本的に地位は、入所後の期間で決まる。そのことが、官界の人材の質を悪くしていると思う。政治と直接接点があれば、成果が直接関係する職場となり得るが、政治の質が高くないので、官界は閉じた空間となっている。それは必然的に人材の質の低下を招くのである。(補足1)

つまり、同一労働同一賃金の原則は、日本国が三流国への転落するのを防止する必須の課題だと考えられるのだ。

話がそれてしまったが、今日のように巨大化した会社は公に属すると考えるなら、同一労働同一賃金の原則は、国民みな公の空間では平等であるから、当然のことである。年齢差別も女性差別もあってはならない。

年齢が高いから高い地位につくのではない。長年の経験と知識があるから、高い地位につくのである。もし、10年かかる仕事を1年でマスターしたのなら、若い人でも堂々と高い地位につけて高い給与を支払えば良い。その下で働く高齢者も、上司として受け入れるべきである。そうならば、退社後には会社での上下の関係など無くなるのは当然である。一流会社の社員だから、或いは、一流大学に合格したから尊敬されるという馬鹿げた習慣もなくなるだろう。

それらの改革ができれば、日本は現在より遥かに風通しの良い社会になるだろう。

補足:
1)具体的には次官会議というのがあり、行政上の決定はそこでなされてきた。政治が関係するのは、その追認だけであった。最近少し変化の兆しがあるが、基本的な政治と官僚組織との力関係は変わっていない。

2017年5月10日水曜日

北朝鮮、日本、韓国:忠犬たちにとって最も厄介な存在は飼い主である

1)北朝鮮の核開発問題が緊急課題のように世界で議論されている。例えば以下のサイトの後半(1:10以降)で金慶珠と辛坊治郎が議論している。https://www.youtube.com/watch?v=NitDoBv4_-I&t=2303s そこで両人は、中国にとって北朝鮮の核兵器が脅威だと言っている。その真偽は脅威の定義次第だが、中国の外交姿勢を大きく変化させるレベルを脅威というのなら、北朝鮮の核兵器は中国の脅威ではない。勿論、軍事攻撃の抑止力になるレベルではある。

この人達が馬鹿なのか、テレビ局にその線で話をしろと言われているのかわからない。北朝鮮の核武装は、米国にとってもどの国にとっても、中国やロシアの核兵器に比較した場合、たいした脅威ではない。米中が言っているのは、核兵器を持つ身分ではないということだ。

中国の習近平が北朝鮮に圧力をかけているのは、トランプに「経済問題での米国による締め付けと北朝鮮への圧力の何方をとるのが貴国にとって得ですか」と告げられたからだろう。中国は経済で失速しつつ在るので、習近平にとって、米国による経済制裁は北朝鮮の核兵器などより遥かに恐ろしい筈である。

核兵器が脅威になるのは、狭い国であり、人の命が非常に高い国である。従って、米国にはそれなりに脅威であっても、人命の価格が低く人口密度の小さい中国ではそれほど脅威ではない。そして、日本ほど核兵器の脅威に晒された国はない。

2)日本ほど核武装を議論すべき国はない。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43272190.html 米国や中国が北朝鮮の核武装を問題にするのは、将来日本の核武装の口実を与える可能性を考えているからだ。そして、核の拡散が核保持国にとって問題なのは、それらの国の特権的地位を脅かすからである。

地球は、文明の発展、資源枯渇、そして人口増加により狭くなる。22世紀とそれ以降に生き残るには、一部を地球から篩にかけて落とさなくてはならない。その篩として、現在最有力なのが核兵器保持なのだ。ドイツがヨーロッパ連合を画策する理由は、フランスの核兵器にあり、それにより生き残りの切符を手に入れることが出来るからだ。

核保持国に、その企みを可能にするのは民主主義の輸出である。英米の支配層が、民主主義というバカが主人公の制度を世界にばら撒くのは、世界中の中小国や発展途上国を操縦する上で重要なステップである。それが、英米支配層の中心的外交政策であることはアラブの春を見れば分かることである。(補足1)中国は、英米のばら撒く民主政治が愚かな政治形態であると、既に指摘している。

人間は豊かになれば傲慢に、そして馬鹿になる。22世紀には傲慢になった人々のエネルギーを巧みに支配層が利用して、核武装国がそれ以外を好き勝手に支配することになる。法とか論理とかいうのが力を発揮するのは、権力者がそれを用いるからである。非核保有国は、力を伴わない言葉の無力さを改めて知るだろうと思う。

100年後にまともな独立国として残るのは核武装国のみだと思う。歴史が教えるのは、「正義は力」である。従って、22世紀の正義は核武装国の利己主義である。

3)サンドイッチを完成するために、元の話に戻る。
米国という国は日本にとって非常に厄介である。それは、忠犬にとって非常にやっかいな存在は飼い主であるのと同じである。同様に、北朝鮮にとって中国は非常に厄介な国である。その中国からも独立するために核武装を、しかも、中国からの経済的関係を保持したまま行ったのは、難行をやり遂げた僧の様である。

もっとも、日本の核武装よりも北朝鮮の核武装は簡単である。それは、中国にとって北朝鮮は在韓米軍との緩衝地帯であり、北朝鮮を放棄できない事情があったからである。北朝鮮が、「中国を守ってきたのは我々だ」と豪語するのは一理あるのだ。

もし、中国から独立し、韓国と対立を続けるのなら、つまり、韓国が北朝鮮の言うことを聞いて吸収合併されても良いと考えるのでなければ、北朝鮮にとって日本とロシアは大事にしなければならない筈である。勿論、文在寅が融和政策を採ってくれるのなら、日本を慰安婦問題などでいっしょに虐めて、将来の和解金の額を大きくするのは良い政策であるだろう。それも、程々にしなければならないと金正恩は考えているだろう。

文在寅はアメリカ親分に逆らって、苦しい立場になるのではないだろうか。野良犬となってしまう危険性すらあると思う。日本はその点、飼い犬の身分を弁えている。ちょっとお隣の怖いおじさんにも尻尾を振る程度のことはしているが。

こんな身分に落ちてしまったのは、戦争に負けたからである。何故負けたのか、それは日本では、公私の空間が峻別されておらず、私的な仲良しが国家のトップにつくからである。仲良しのネットワークが全体を支配する力には、全体主義社会を作ってイジメを利用するのだ。昔イジメの為に活躍したのは特高警察であった。野党は、安倍政権がそれを再度作ろうとしていると言って騒いでいるのである。今も昔も何も変わっていない。

因みに、今日の天声人語には、文在寅は朝鮮戦争のときに北朝鮮から対馬近くの離島に逃げてきた両親の下に生まれたと書いてあった。祖父母は未だに北朝鮮に残ったということである。こんな情報も日本のテレビなどには流れなかったと思う。日本のマスコミに出てくる解説者は素人なのだろうか?

補足:
1)日本の占領政策はその最初の試みなのかもしれない。英米は民主主義を標榜しているが、議会と多くのシンクタンクなどの民間機関、それに諜報機関を用いて、民主政治を骨抜きにしている。トランプの出現はその骨抜きメカニズムが働かなかったので、米国支配層とその手先はパニックに一時陥った。馬淵睦夫さんの受け売りと思われるでしょうが、田中宇さんもブログで似たようなことを言っている。

2017年5月8日月曜日

米中露は核兵器というBig Stickをもって外交を展開するPolicyを諦めるべき

1)一週間ほど前、韓国を旅行中の橋下徹前大阪市長は、「米国が北朝鮮を攻撃しようとするギリギリの局面では、韓国は猛反対するだろう。北朝鮮からの反撃に被害が甚大なので当たり前だ。それをトランプ氏は受け入れるか。ここで決めてになるのは安倍総理の意見。日本の被害も考えて反対すべき。」と書き込んでいる。

その次の日に38度近辺まで行き、そこでも韓国の人たちが普通に暮らしており、戦争の緊張感がないことをツイッターで報告している。「これが理屈じゃない勢力均衡の現実。一部の犠牲があっても仕方がないという思考をするバカは放っておこう。いかに均衡を作るかに集中しよう。日本も核ヘッジング議論から逃げてはいけない。」と書き込んだ。

この意見に賛成である。現在、北朝鮮の核兵器の脅威は存在する。そして、それは来年には、そして再来年には更に大きくなるだろう。日本と北朝鮮が対峙する可能性があり、その核兵器の脅威を日本が感じるのなら、そしてその脅威から守るためには、日本も核兵器を保持することである。そう考えないで、今後の北朝鮮の大きくなる核の脅威を考えて、1発か2発のミサイルを打ち込まれることを覚悟して、米国の北朝鮮攻撃に賛成するのは愚かなことである。

2)国家と国家の場合は、同じ公権力の下にない(補足1)ので、武力をもって互いに抑止力を持つことが、無駄な戦闘を避けるためには必要である。両者が武器を持てば、互いに自分の反撃力を信じることができ、恐怖から先制攻撃やだまし討ちなどをしなくて済むからである。

北朝鮮が危険なのは、敵となりうる国に対して、圧倒的に非力だからである。つまり弱い犬ほどよく吠えるのだ。トランプ氏が選挙期間中に、「日本も韓国も核兵器を持てば良いではないか」と言ったのは本音であり、意見を変えてしまったのはずる賢い連中の考えに譲歩せざるを得なかったからだと思う。

冷戦が終わり、共産主義を採用することが経済的失敗に繋がることが明らかになって久しい。中国が部分的ながら社会主義経済から体制を変更する切っ掛けは、米国との和平であった。それと同じ道を北朝鮮に促する意味で、米国は和平の道をとるべきである。冷戦時代のような共産圏に対する恐怖のない現在、北朝鮮と戦争を始める意味など何もない。

北朝鮮が核兵器を持った場合の脅威は、もし北朝鮮の経済が中国と同じ程度なら(人々の心に余裕が生じたら)、中国の核兵器の脅威よりもはるかに少ない。中国も米国も、北朝鮮、日本、韓国の間の緊張関係を、互いの核武装保持の容認で緩和するという決断をすべきである。自分たちだけが核武装して力の外交を展開しようという、Big Stick Policyの野心があるとしたら、それを諦める時である。

補足:
1)国連が世界の公権力になりえると考えるのは幻想である。朝鮮戦争すら国連は阻止できなかったのだから。更に、ベトナム戦争やイスラム圏での戦争など、国連は全く無力な存在であることを証明している。オバマ氏の核兵器禁止法案は、核保持国がルーズベルト流のBig Stick Policyを、非核保持国を相手に展開する可能性を確保するためのものである。

2017年5月6日土曜日

お札は政府が発行すべきか?

1)通貨を政府が発行する場合、最初の段階で従来使用されていた紙幣、つまり日銀券、を政府紙幣へ交換をしなければならない。日本の場合では、国家の債務は日銀の通貨発行量(約450兆円)から日銀所有の国債分を差し引いた額だけ増加することになる。その増加した債務と釣り合う額の資産も日銀から引き継ぐことになる。(補足1)

日銀の国債保有残高はこの4月28日の発表では375兆円あるので、昨年度末の国債残高の840兆円からそれを引くと、日本の国債残高は465兆円に減少するだろう。そのかわりに、通貨発行量分(450兆円)が新たに政府債務となる。ただ、通貨発行は銀行に利子付きで行われるので、利子分は政府の収入となるだろう。https://www.boj.or.jp/statistics/dl/loan/yaku/yaku1702.pdf

紙幣発行の非常に大きな権利は、本来債務である筈の紙幣発行により、利息をもらえるということである(勿論、利息をゼロにすることも可能である)。しかも、現在不換紙幣であるから、市中銀行は紙幣と引き換えに貴金属などを紙幣発行元に要求できない。出来るのは市中への貸出か、直接それを使って何かを購入するかである。

政府が紙幣を発行する場合の欠点は、放漫財政に陥る危険性である。良く知られているように、日本銀行が直接国債を買い取ることが財政法で禁止されているのは(財政法5条)、放漫財政を防止するのが目的である。

2)日銀は現在国家の支配下にある。それは日銀の株(額面100円x100万株=1億円)の55%は財務省保有であり、株主の権利は完全に国家の支配下にあるからである。従って、現在の国家の財政状況は上記モデルと同じであり、その健全性が日本国債の信用が高く、その金利が相当低い理由である。

政府紙幣への交換は簡単だと思う。つまり、日銀が看板を財務省の一部局に名称を変更して、日銀券を政府紙幣と今後読み換えるという法律でも作ればよいのではないかと思う。(補足2)問題はその後、政府紙幣に日銀券時代の信用が受け継がれるかどうかということである。

同じ信用が続く筈であるが、その切り替えを引き金に理由不明の円の急落がありえる。しかし、それも日本にある豊富に保有している外貨で買い支えをすれば、世界にばらまかれている日本円を安価に回収できると思う。つまり、そのような暴落はおこらないだろう。

次の問題として、放漫財政に国家が陥る場合である。その理由として、例えば軍備増強を急ぐことなどがあり得る。米国の南北戦争の時に、リンカーンが政府紙幣を発行することにしたケースなど、緊急に多額の軍費を要するような場合に政府紙幣を政治家は考えるだろう。(補足3)

急激に多額の政府支出があった場合、当然政府紙幣の価値が急激に低下する。最初はインフレが起こるが、人々はそれを計算にいれて物資やサービスの価格を設定する。その範囲では、悪影響は回復可能である。しかし、紙幣そのものへの信用が薄くなるという段階になると、経済活動の停滞を招くことになり大きなる問題となる。

以上の考察では、政治家の質が一定レベル以上なら、政府紙幣への交換は良いことの方が多いような気がする。(補足4)
(5/7・9:00 語句の編集あり。尚、以上は素人の考察です。)

補足:
1)政府以外が持つ日銀の株は、現在の時価総額366億円のうち45%分(165億円)あるだろうから、株主に株券と引き換えにその金額が渡されるだろう。純資産が相当あるとすれば、政府の日銀買収は儲かるだろう。http://money-magazine.org/8301-jojo/
2)政府以外の所有する株券は、市場価格(現在一株37000円、合計165億円)で買い上げるだけで良いと思う。気になるのは、日銀の配当は一株五円だそうで、この37000円という高い株価の理由がわからないことである。また、何故上場する必要があるのかも疑問である。
3)米国でその後政府紙幣の発行を考えた大統領にケネディがいる。不気味なのは、両者ともその後暗殺されたことである。
4)10年ほど前に、当時自民党だった亀井静香議員が政府紙幣の発行に触れたことがあった。しかし、その時には日銀券との交換ではなく、並行して一定額を発行するということだったと思う。その場合、政府紙幣はお断りということが起こり得て、混乱すると思う。

2017年5月5日金曜日

芥川龍之介の小説「薮の中」について:藪の中の真実(私の推理)

1)昨日、たまたま表題の短編を読んだ。短いので直ぐに読めたのだが、誰もが気になるのは真実はどこにあるのかということである。文学の世界でも研究の初期には真相を明らかにしようとされ、“「藪の中」を研究するということは事件の真相を明らかにしようと試みることにほぼ等しかった”とウイキペディアには書かれている。

どうもスッキリとした結論は得られなかったようで、「真実探しに意味があるのか?」という意見もあったらしい。その後、黒澤明の映画「羅生門」がこの「薮の中」を原作として作られた。そこでは、死体の第一発見者が顛末を見たと言う設定になっているという。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD#.E6.98.A0.E7.94.BB

私も明け方推理してみたが、割合簡単に結論らしきものが頭に浮かんだ。それは映画「羅生門」の筋書きとは異なる。「藪の中」と「真相」でGoogle検索して見つけたいくつかのサイトを見たが、それらの推理とも異なっていた。

「薮の中」の話の筋は以下の様である。

山科の薮の中で、夫婦が盗人(多襄丸)に襲われ、縛れれた夫の前で女房はレイプされる。翌日樵(きこり)により現場に残る夫の死骸が発見され、その近くに縄(ロープ)と櫛が落ちていた。樵の証言では、死骸の周りの草や竹の落ち葉が一面に踏み荒らされていたという。殺されたのは金沢の武弘26歳で若狭の国府の侍、女房の名は真砂で19歳である。真砂の母親の証言によると、真砂は男にも劣らぬ位に勝気な女である。また、同時に金沢の武弘を優しい気立ての男と証言している。

盗人の多襄丸は女房を載せていた馬を奪い逃走するが、途中で落馬し下級の役人(放免)に搦め捕られる。多襄丸、妻の真砂、そして巫女の口から語られる殺された武弘の死霊が事の顛末を語るが、それらは自分の立場を守るために嘘を含んでいて、当然互いに異なっている。そして、真実は「薮の中」だということになる。しかし、よく読むと、著者は謎解きの解答をしっかりと用意していると思う。そうでなければ、作品に重みが出る筈がないだろう。

私の推理では、この事件の後半部分の筋を決めたのは、被害者の女房である。レイプされたあと、口惜しさの中でもそれに支配されず、その場から生還することと今後の生き方の方策を、冷静に考えて実行したのである。

2)私の推理を書く前に、黒沢明の映画「羅生門」での筋書きを書いておく。その方が理解しやすいと思うからである。この映画では、武弘の死体の第一発見者である樵が一部始終を目撃して、語り手として登場するらしい。その証言として、以下のような筋書きがウイキペディアに書かれている。

盗人は手込めにした武士の妻に情が移り、土下座して求婚する。しばらく泣いていた妻はやがて顔を上げ、武士の縄を切り、2人に決闘を促す(つまり、決闘に勝った方の妻となるとの意思表示)(補足1)。しかし武士は、盗人の求婚を拒絶しなかった妻に愛想を尽かし、離縁を言い渡す。盗人はその武士の言動を見てためらい、考え込み、最後は武士に同調し、その場を去ろうとする。すると泣き伏せていた妻は突然笑い出し、2人のふがいなさを罵る。罵られた2人は刀を抜き、決闘を始める。しかし両人とも場慣れしておらず、無様に転げ回って闘う。辛くも盗人が優勢になり武士にとどめを刺す。しかし妻は盗人を拒み、逃げ去る。1人残された盗人も、武士を殺した恐怖心から逃げるようにその場を去った。(上記ウィキペディアの中の記述)

この筋の中で、()内に決闘に勝った方の妻となるという女の意思表示に至るプロセスは間違いだと思う。また、暫く泣いていた妻という記述と、不甲斐ない二人を見て突然に笑い出すという記述は、短い時間の心の動きとしては全く不自然である。 

私の考えた話の筋の前半は、多襄丸の白状したことと同じである。しかし、武弘と多襄丸の決闘の動機について、多襄丸は嘘をついている。つまり、「卑怯な殺し方をしたくないので、男の縄をといて“太刀打ち(決闘)をしろ”と言った」というのは、武弘の女房の真砂の策に嵌ったことを隠すための嘘である。 

多襄丸という泥棒は、人の命をなんとも思っていない。多襄丸を捕らえた放免によると、昨年も寺の後ろ山で物詣にきたらしい女房が童女と一緒にころされていたのは、この男の仕業だということだと証言している。

手籠めにされた真砂は、自分を守れなかった不甲斐なさと、自分を見る目に蔑みの表情を見て取り、夫武弘を腹立たしく思った(補足2)。そして多襄丸が自分に未練を残しているのを見て取った真砂は、多襄丸に夫を殺させその間に逃げる策を考えた。多襄丸を手が離せない状況に置くため、「決闘して勝った方に添うことにする(結婚する)」と言ったのである。その気にさせるセリフには色々あるだろう。真砂には、勝敗は見えていた筈である。

多襄丸も真砂の魅力に負けて、その策に嵌ってしまう。太刀打ちで男を刺した後、真砂がいないことに気づいた多襄丸は、とどめを刺さずに急いで彼女を探す。真砂が助けを求めに行ったに違いないと考えた多襄丸は、追っ手が来るのを恐れてその場を早々に逃げ去る。 

女房の真砂は逃げた振りをしてどこかに身を隠していたのだろう。現場に戻って、悶えている夫武弘にとどめを刺す。死霊がかたる「誰かは見えない手が胸の小刀(自分が最初自害のために刺した)を抜いた。同時に俺のくちのなかには、もう一度血潮があふれてくる」という最後の一刺しは、真砂によるものでしかありえない。

もちろん、死霊がかたる最後の自害する直前の場面で聞いた泣き声には、真砂の泣き声も混じっていた可能性はあるだろう。また、真砂の証言の中の、夫の自分を蔑んだ目で見るところまでは真実だろうが、夫を刺したのは自分だけであり、自分も後を追うつもりだったというのは嘘だと思う。

以上が私の推理である。小説にかかれた内容と矛盾する点は何もないと思う。薮の中から見える断片的な姿を繋ぎ合わせれば、真実は見える筈である。 

上記ウィキペディアの記事には、「薮の中」の研究が簡単に文献とともに紹介されている。その中には、そもそも「藪の中」は「原画」を欠いているという主張や、芥川自身が自作に否定的な発言をしているといった記述がある。これらの言葉は、私には作品に対する難癖のように思える。

なお、あらすじをより丁寧に書いて、事件の解釈をしたブログ記事を姉妹サイトにアップロードしましたので、引用します。 https://blogs.yahoo.co.jp/hetanonanpin/64628081.html

補足:(後日追加)
1)はっきり言えば、安劇場風演出である。
2)男勝りの勝気な真砂は、当時既に夫武弘を低く評価していたと思う。そして、盗人の「古墳を見つけて出土品を隠してある。それらをを安く売りたい」という話に簡単に乗ってしまう夫にある種の軽蔑感をもっていた。その証拠に、妻の真砂は道外れの出土品を隠してあるという場所には行かず、馬とともに道脇に待機している。

2017年5月3日水曜日

日本国憲法施行70周年:安倍総理の憲法改正案は極めて不十分

日本国憲法は今日3日、施行70年を迎えた。昨日、各党は現行憲法の改正に関し、声明を発表した。自民党は「改正に向けた道筋を鮮明に示すことは国民各層の願いだ」と指摘。「改正への理解促進と幅広い合意形成に向けた活動をこれまで以上に党を挙げて取り組む」という考えを、そして公明党は条項を加える立場とする声明を、それぞれ発表した。

”日本維新の会”と”日本のこころ”もそれぞれ改憲の必要性に言及している。それに対し、自由党の小沢氏は「安倍政権は憲法をないがしろにする政治姿勢を続けている」と指摘した。小沢氏は分かっているのだが、そもそも職業として政治をやっているひとであり、議席が第一の輩である。その他野党は護憲の姿勢で、たぶん他国の支配下にある政党なのだろう。https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170503-00000006-jnn-pol

今朝の読売新聞(13版)の一面に安倍総理のインタビューが掲載されており、そこには憲法9条の1,2項はそのまま残し、自衛隊に関する条文を追加することを最優先させるとかかれている。これは公明党の線に沿うことで、何とか自衛軍を憲法にかきたいのだろう。

情けない限りである。安倍総理の案なら、私は憲法改正には反対である。日本人は言葉もまともに使えないことを世界に宣伝することになるからである。今のままなら、マッカーサーに押し付けられたが、改憲の方向が一致せず、70年間手間取っているという言い訳がある。不名誉なことだが、優柔不断な国民だという批判だけで済むだろう。

しかし、改正を一度すれば、それは純粋に日本の憲法となる。安倍案では日本国は奇形児的国家に生まれ変わることになり、憲法改悪になる。憲法9条をどう読んでも、自衛隊を合憲とする解釈は不可能である。しかし、非独立国(形だけの独立国)故に、親分が自分で作った憲法を押し付けたのち、それに矛盾する自衛軍を持てと言ったのだという言い訳はあり得る。

自前の憲法を持つということは、真の独立国になるということである。憲法を改正するのなら、堂々と自衛軍を持つと書き、最高司令官として首相を置くと書くべきである。それが出来ないのなら、憲法改正などという大それたことを考えるべきでない。

これまで憲法が改正できなかったのは、国会議員が本当はその必要性が分かっていなかったからであると思う。それは国会議員の大半がレベルの低い人たちで構成されて来たからである。つまり、政治家を家業とするひとや元官僚という、自分がリスクをとる覚悟のない人が、安易に政治家になってきたのだ。

そして更に政治家の質を悪くしたのは、かれらの内の有力者が、自分の派閥の拡大を狙ってさらに知的にもレベルの低い、スポーツ選手や芸能人という人たちを政治家にしたからである。それらの中でも大規模なのは、小泉チルドレンと小沢ガールズである。

最も非難されるべきは、国家の防衛を占領軍(米軍)に任せるという致命的なあやまりを、戦後初期&独立後も吉田茂やその後の官僚政治家が続けたことである。憲法改正を本気で考えるのなら、戦中戦後の政治をゼロから総括すべきである。その過程で国民も憲法改正の必要性と方向に気づくことになるだろうと思う。

米国と北朝鮮の和解に、日本が何らかの寄与をすべきだ

1)米国のトランプ大統領は、北朝鮮の金正恩労働党委員長と適当な条件下であれば会談する用意があると発言した。その前日には金正恩氏を称賛する発言をしており、また、北朝鮮も情勢は峠を超えたと発表しているので、着地は近いと思われる。http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/01/trump-north-korea_n_16373048.html http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM01H4M_R00C17A5EA2000/

日本には拉致被害者救出という解決すべき問題がある。その解決には米朝関係の好転が必須であることを、小泉総理の時代に学んだ筈である。この絶好の機会に米朝の間に入って講和の話をすすめ、それと同時進行的に拉致問題の解決に進まなかったのは、大きな損失だろうと思う。

忘れてはならないのは、日本は朝鮮半島の歴史に深く関与した国であるということである。その朝鮮半島の最終的な和平への寄与が全く無ければ、日本は今後の東アジアでの立場を非常に弱くする筈である。(勿論、未だ最終的に北朝鮮が軟着陸するかどうか分からない。)

今月9日の韓国大統領選挙で文在寅候補が当選すると、韓国は北朝鮮への融和姿勢をとり、北朝鮮との統一の話も出てくるだろう。勿論、完全な形での統一は容易ではないので、差し当たり緩やかな同盟関係という形をとると思う。そして、その段階までに日本が北朝鮮の今後に何の関与も無かったとすれば、本来困難な融和&統一のプロセスは、韓国が北朝鮮において「反日」を大きく育て上げ、それをエネルギーにして進めることになると想像する。

「反日」は、韓国初代大統領の李承晩が作り上げたものというのが通説である。北朝鮮と韓国が揃って対日歴史の捏造と反日を国是にする可能性大である。日本にとって、憂鬱な時代が来るだろう。

2)小泉内閣のとき、拉致問題解決に向けて話が進んだ。日朝平和条約まで進む予定だったのだろうが、米国に何も相談せずにしかも北朝鮮側は非正規のチャンネルを通して行うという変則的な交渉だった。失敗は当然だろう。この件、手島龍一さんのコラムに書かれている。http://www.ryuichiteshima.com/archives/2007/a0300.php

他国民を拉致をして諜報活動に用いたという犯罪行為がテーブルに載る話なので、正規のルートで話を進めるのは難しいだろう。また、ブッシュ政権が北朝鮮の体制転覆を狙っているのではないかという金正日の猜疑心が、米国に秘密にした一つの理由だろう。しかし、それでは最終的にうまくいく筈がない。

今回のトランプ大統領はこれまでの大統領とは一味違う。安倍総理も拉致問題の解決には熱心であると言われていた。今回こそ、拉致問題の解決と日米と北朝鮮の関係改善の絶好の機会であるにも拘らず、総理は何のアクションもせず、北朝鮮がミサイルを発射するたびに「我が国に対する重大な脅威であり、断じて容認できない」と非難するだけであった。

総理は本当に拉致問題の解決をするつもりがあったのだろうか?

2017年5月1日月曜日

北朝鮮問題への対応:日本と韓国の違い

1)北朝鮮が1昨日早朝にミサイル実験を行った。昨日の読売新聞一面(14版)には、安倍総理は訪問先のロンドンで記者会見し、北朝鮮の弾道ミサイル発射について「我が国に対する重大な脅威であり、断じて容認できない」と非難したと書かれている。

「日米同盟の抑止力は不可欠だ。トランプ氏が全ての選択肢がテーブルの上にあることをことばと行動でしめしていることを高く評価する。」「国際社会が一致して圧力を強める必要がある。」安倍総理のこの姿勢で良いのだろうか。

既に何度も書いたように米国等の圧力が、北朝鮮の核兵器開発やミサイル実験を誘発してきたのは、誰でもわかることである。更に圧力が必要だというのは、北朝鮮が暴発するのを期待しているとしか思えない。このままでは“用意された選択肢”の中から、米国が武力行使で対応することになると思われる。もし武力行使をした場合、北朝鮮から日本にミサイルが打ち込まれ、数十万人という死者が出る可能性もある。安倍総理はそれでも仕方がないと考えているのだろうか。

太平洋戦争の時に、米国の経済制裁という圧力が日本の対米攻撃の原因となった。同じシナリオを米国の一部は期待しているだろう。被害の殆どは日本と韓国が受け、ダブついた兵器の消費が出来る。その代金は、何れ日本や韓国から召し上げればよい。しかし、今回韓国はその策には乗らないだろう(後述)。

2)読売新聞の世論調査では、米国の圧力を評価するという意見が過半数であるという。http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000302/20170416-OYT1T50104.html 安倍内閣の対米従属的な考えが主流の日本で、大衆はその考えに単純に追従しているだけだろう。それでも、流石に安倍総理を信頼して良いのか、日本国民の多くに迷いが生じていると思う。それが以下のもう一つの世論調査の結果である。

NHKは、最近世論調査を面談で行った。その結果によると、「憲法改正の必要がある」と答えた人の割合が43%、「必要がない」が34%であった。前回2002年の調査のときより「憲法改正が必要である」が15ポイント下がった。また、「憲法9条の改正が必要」と考える人の割合が25%であり、「改正の必要がない」が57%であった。前回2002年の調査のときより「改正の必要がある」が5ポイント減少し、「必要が無い」が5ポイント増加した。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170429/k10010966601000.html

最近の北朝鮮情勢を考えれば、そして安倍内閣の路線を素直に国民が信じているのなら、憲法9条改正を必要と考える人の割合が増加している筈である。しかし、世論調査の結果は全く逆であった。つまり、安倍総理が進めている憲法改正の動きに否定的な国民が増加しているということである。国民は日本が正式の軍隊を持てば、そして安倍内閣の路線上を日本が進めば、米国の前面にたって中国や北朝鮮に対峙することになると直感的に理解しているのだろう。

3)この100年ほどの間に急いで欧米から民主政治を輸入した国家のほとんどは、決して安定した国家の骨組みを獲得していない。例えば、韓国の民主政治も日本同様、全く法治国家の政治の体をなしていない。

西欧の民主政治は、表の理想論としての民主主義体制に加えて、裏でそれ有効にハンドリングする為の、「大衆を操作するメカニズム」を置く複合的な制度だろう。それは、大多数を占める弱者の味方であるキリスト教を統治の表看板に用いる、西欧諸国の発明だと思う。(補足1)その西欧の伝統的な政治制度から、表の理想論である民主主義だけを取り入れた(或いは、押し付けられた)国では、そのハンドリング装置(補足2)を持たないので、国家の枠組みが崩壊する危険に曝されることになる。それを埋め合わせて国家を維持するのが、欧米との同盟関係である。それは全く新しい形の変形した植民地政策だと言えないだろうか。

その結果、民主主義は西欧が用いる外交的武器となったと思う。丁度、イエズス会が携えたキリスト教が植民地支配の武器となったのと類似のパターンである。

国家の防衛と国民の安全を保障するのは、他国の攻撃を抑止する軍事的能力である。それを必死に主張している北朝鮮という国を前にして、尚日本国民は軍事力を持つための法的整備の必要性を否定している。荒海に乗り出さなければこの島は沈む。しかし、荒海を乗り切るだけの船を作り出す自信など、この国にはない。

その荒海は自然現象ではなく、ある巨大な国家の作り出したものだとしたら、自信がないのは当然だろう。安倍総理はロシアとイギリスを訪問して、昨日帰国した。戦後レジームからの脱却というキャッチフレーズは、そのあたりの事を考えているのかもしれないが、現実に日本と米国の関係を劇的に変える力には繋がらないだろう。

4)韓国の反応:

北朝鮮の動きに呼応してか、韓国の政治が急展開しようとしている。今朝のモーニングサテライトというテレビ番組で、今月前半に行われる韓国大統領候補の支持率が紹介されていた。4月30日の調査では、北朝鮮に融和的な文在寅氏が42.6%の支持を集めてトップを独走する勢いである。 http://japanese.joins.com/article/640/228640.html?servcode=200§code=200

新大統領が文氏に決まれば、米韓関係は廻角にさしかかるだろう。韓国民衆は既に、米国の策略の危険性に感づいている可能性がある。フィリピンの様に、今後韓国は米軍を追い出す可能性が高いかもしれない。

韓国は日本と違って正式な軍隊を保持している。東西冷戦の一環である朝鮮戦争での死者数は人口比で日本の第2次大戦の死者数の人口比の3倍ほどにも上った。更に、ベトナム戦争でも数千人の死者を出し、米国の世界戦略に付き合いたくないという気分が日本以上に強いだろう。

田中宇さんの今朝配信の記事(有料)では、以下のように書いている。「韓国の5月9日の大統領選挙で勝って次期大統領になりそうな文在寅(ムン・ジェイン)が、北朝鮮の核兵器開発問題に対する新手の戦略を打ち出している。新戦略案の最も注目すべき点は、韓国軍の対米従属からの離脱、つまり在韓米軍が撤退できる状況を作ることと、北が核弾頭とミサイルの開発をやめた場合の和解策を、抱き合わせにしていることだ。」(著作権の問題がありますので、これ以上は引用しません。)

米国は現在日本の同盟国である。この同盟国としての位置を維持したまま、憲法を改正して名実ともに独自軍をもった場合、より高い確率或いはより大規模に、米国と連携して(或いは米国の手先となって)北朝鮮や中国に対峙することになる筈。そのことを国民は感覚で、新しい危機として感じているのだろう。そして、その先に真の意味で日本の独立など存在しないと直感的に感じているのだろう。(以上は、素人のメモです。適当に読み飛ばしてください) 補足:
1)近代の民主政治はギリシャ時代の直接民主主義とは全く異る。議会を間に入れることで、大衆とは無関係の勢力が実質的に政治を動かすメカニズムを可能にしている。
2)既に何度か書いてきたので、ここでは書かない。日本と米国の国家組織の比較対照表を作れば自ずとわかるだろう。

2017年4月29日土曜日

今朝のウエイクの感想:北朝鮮問題の本質

1)北朝鮮の今朝のミサイル発射失敗がテレビの報道番組の話題になっている。辛坊さん、「今後アメリカがどう対応するか問題だ」と言った。本当の問題は、「日本が今後どう対応をするか」だと思うが、このレベルの人にはそんな視点はない。解説の宮家氏も橋下五郎氏も同様。米国の方にしか、頭も顔も目も向いていない。米国の新大統領のトランプに、従来と違った対応ができるだろうか。

武田邦彦さんが「大国が小国に圧力をかけるとどうなるか、戦前の日本を参考にすべきだ」と言って、米国の姿勢に疑問を呈した。それは、ゼロから考える科学者の習性から考えて当然の発言である。科学用語をもちいれば、微分法で専門家は考える癖がある。そうではなく、原点から時間積分をした結果の状態(関数)そのものをかんがえるべきだ。原点とは、近似的に近代の歴史が始まった時である。

米国の従来の対応とは、馬渕睦夫さんの“米国により作られた朝鮮戦争”で解釈でき、アジアに混乱のタネをのこして、米国が“世界の警察官”としての地位と利益を得る戦略である。アジアは(勿論日本を含めて)将来の敵と考えることが、これらの戦略の原点である。もっとも危険だった日本を骨抜きにした。今は、急激に危険な国となった中国を念頭に置いている筈。特に、中国と日本の接近は絶対に許すべきではない。それがニクソンとキッシンジャーの戦略だったと思う。https://www.youtube.com/watch?v=koEXjABGggY

ユダヤ資本家のグローバリズムは、白人プロテスタント支配の世界帝国をつくることではないだろうか。ユダヤ人資本家は、知的な人たちであり、ユダヤ教もキリスト教も含めて宗教なんか信じていない。宗教を信じるイスラムや、訳のわからない考え方というか、西洋の論理では理解不能な考え方をするアジア人が、力を持つのは困るということだろう。

それは、彼らが自分たちの視点にこだわるからである。自分たちの苦難の歴史から来た人間不信が底にあるのかもしれない。そして、一神教文化の下に育った人たちは、自分たちの知性を優れたものと考える自惚れがあるのだろう。核兵器を異なった考え方をする人や訳の分からないアジアの人たちに拡散させることは、絶対に避けねばならないと考えているだろう。その考えは、かれらの進めるグローバリズムの文字どうりの解釈とは矛盾する。つまり、グローバリズムというものの正体は、彼らの世界支配という意味だろう。

2)彼らが、北朝鮮の人間は何を考えているのか解らないというだろう。米国を主人と考える日本の多くの人たちも、アジア人であるにも拘らず、同じように「北朝鮮は何を考えているのか解らない」というだろう。しかし、70年前の自国を顧みれば瞭然と見えるにも拘らず、あえてそれを見ようとしないのだ。「米国の脅威と自国(=現在の体制)の安全」が、北朝鮮(金正恩)の頭の中身である。朝鮮戦争の正式な終結と米国、韓国、日本との講和が、北朝鮮を大人しくする方法である。トランプならそれがわかっている筈。

核兵器の完全放棄を条件にすることは、嘗ての日本に照らせば、天皇が戦犯となるかもしれない無条件降伏を条件とすることと同じである。おそらく金正恩の下ではその決断は無理だろう。金正恩は、自分の権力と命が核兵器を放棄した段階で失われることを知っているからである。従って、和平を目指すのなら核開発の凍結を条件とすべきである。

「日本も韓国も核兵器を持てば良い」とトランプは嘗て言った。それは、アメリカンファーストの考えの必然的な結果である。つまり、アメリカンファーストとは、他国に自国ファーストを許す世界体制である。従って、核兵器による国連常任理事国による世界支配という体制の放棄も意味している。同時に、ユダヤ支配層のグローバリズムも放棄することを意味している。トランプが、「おれはリンカーン以降の米国で、最高の大統領になるだろう」と言った意味はそこにあると思う。

日本が22世紀に生き残るつもりなら、トランプのアメリカンファースト路線に協力すべきである。従来のアメリカ支配層に盲従してきた日本の政治、官僚機構、報道の人たちは、自分たちの地位の喪失を恐れて、大統領候補だった時のトランプ氏をキチガイ扱いしてきたことを、国民は思い出すべきである。(素人の意見です。批判等歓迎します。)

2017年4月26日水曜日

言葉狩の政治&報道文化:社会の健全な言語空間を維持する工夫が大事

1)今村復興相は25日夜、所属する自民党・二階派のパーティーで講演し、3.11の大震災について「まだ東北で良かったものの、首都圏に近かったら莫大な被害があった」と述べた。この言葉に対する批難で日本のマスコミ周辺が沸騰状態となり、今村大臣は事実上首になった。 http://www.news24.jp/articles/2017/04/25/04359881.html

東日本大震災関連の失言が原因で辞任した大臣として他に、鉢呂経産大臣がいる。災害の結果人通りが無くなった町を「死の町」とか言って、東北被災民の神経を逆撫でしてということだ。本音を思わず言ってしまったのは失敗だが、辞任に追い込むほどのことではないと思う。勿論、本当のことでも言わない方が良い場合も多く、その判断は社会生活をする上で大事である。しかし、どちらもテレビで報道されているほどに腹を立てるのはおかしい。過敏な反応の人を選んで証言等を放送しているのだろう。

東北の人たちも、言葉使いにそんなに神経を使って欲しいわけではなかろう。それよりも、必要な支援を適切且つ迅速に行ってもらうことの方が大事ではないのか?そして、今村大臣がその最前線にあって努力をしてきたとしたら、その実績を先ず評価すべきではないだろうか。口先だけのサービスを欲しいわけではなかろうにと思う。

2)著名な政治家ほど、票を獲得することが何よりも大事だと言う。大衆から嫌われたら終わりであるから、テレビ画面に映る自分の姿と放送される言葉に極度に気を使う。一方、報道機関は、テレビなどで大衆の関心を引くことが直接業績に影響する。公共の福祉に貢献するという放送法第一条など、飯の種にはならない。その両者の相互作用の結果生まれたのが、過敏な言葉狩りの文化だと私は思う。

政治貴族出身の安倍総理は、その文化を熟知しているので、票への悪影響が確実と考えた段階で今村大臣を解任した。それは上記文化を良しとすれば当然だろう。しかし、それは政治と報道の世界のことである。政治家の片言隻句にアレルギー反応するよう、大衆を煽るのが仕事だと、報道機関の連中は考えていると思う。その特殊な世界の異常な文化を反映した出来事だろう。巨額の国有財産をただ同然に払い下げるのも、政界官界の異常な文化なら(森友学園、加計学園)、過敏な言葉狩も政治と報道機関の世界での異常な文化だと思う。

そんな言葉狩の文化を一般社会の標準にしてしまえば、大衆も誰も彼も寡黙になり、「沈黙は金」の社会が出来上がる。国民は政治家の言葉に対しもっとおおらかでよいのではないだろうか。そして、たまに羽目を外した発言が出ても、指摘はするが許容する方が住みやすい社会が出来上がるのではないだろうか。

3)一般論:
人間は社会をつくって生きており、その社会の中での人と人の様々な関係は、互いに交わす言葉で作られている。それは本音の世界ではなく、社会を作って生きるという意思の元につくられた仮想的な言葉の世界である。

プライベートな世界(時間)では、真実(本音)を言葉にすることは、心に溜まったゴミ処理のような面もあるし、放電したエネルギーのチャージアップの意味もあるだろう。このプライベートな時間で漏らした言葉まで、公的な空間に引きづり出すのは侵害行為である。派閥のパーティーがそれに相当するか分からないが、仲間内での話も准プライベートな時間である。ただし、仲間と思っていた人がそうでない場合もあるので、その際の言葉使いには一定の用心が必要である。

話は飛ぶが、最近Twitterとか言うパソコン上の道具が普及している。多くの人は、そこにプライベートな言葉遣いで、色々書き込んでいるようだ。また、youtube の動画にコメントを書くと、パソコンの前には人はいないからだろうか、礼儀を弁えないような返信が返ってくることが良くある。最近の人たちは、上記の仮想的な言葉の世界とプライベートな世界の境界を十分意識していない可能性が高い。そして、それは人々を伝統的な社会生活に不適応にする可能性が高い。

パソコンやスマホの出現により、そのような社会の悪しき流れに、人々は巻き込まれているのではないだろうか。

井上陽水の歌には面白いのが多い。その中に「青空、ひとりきり」という歌がある。その歌詞の初めの部分は、「楽しいことなら何でもやりたい。笑える場所ならどこへでもいく。悲しいひととは会いたくはない。涙のことばでぬれたくはない。青空 あの日の青空 ひとりきり」である。

社会生活をするということは、悲しいひとと会い、涙の言葉に濡れることである。特に政治家はそれが生業だろう。青空での下で一人きりになったとき、この歌を歌う自由が、プライベートな時を持つ個人の権利なのだ。それを漏れ聞いて、吊るし上げられたら、人は生きられない。しかし、社会の表でこの歌の通りに振る舞えば、社会人として失格である。

2017年4月24日月曜日

北朝鮮が軟着陸すれば、韓国ほどの反日国にはならないだろう

1)金正日の料理人を勤めた藤本という人が、金正恩と交わした会話を紹介している場面をテレビでみた。金正恩は「日本では北朝鮮の核武装をどう考えているか』と質問したので、藤本氏は「日本は被爆国ですから、核武装の評判は悪いです」と答えたという。(ぼんやりと聞いていたので、すこし、不正確かもしれません)

その瞬間、金正恩が机を叩いて、「核武装しなければ、敵(アメリカ)に攻撃される可能性が高くなるのだ」と言ったという。 この場面は、昨年に収録されたという。

藤本氏は政治の世界にはいないが、話の信憑性は誰のものよりも高いと思っている。何故なら、金正日氏の後継を決める際、評論家のほとんど全員が金正男の名前を最有力候補として挙げていた時に、藤本氏は「後継は、金正恩です」と断言したからである。また、紹介される話は自然で、作為は感じられない。 

数年前にも、藤本氏はテレビに出演して金正恩について話していたとき、以下のような会話を紹介した。金正恩は「日本での我国の評判はどうか」(”私の評判”だったかもしれない)と聞いたので、藤本氏は「残念ながら、あまり良く無いです」と答えたというのである。 

日本の評判に多少とも関心があるのは、将来のポジティブな関係を考えているからだと思う。また、彼の母親が日本出身(在日だと言われている)であることも関係があるだろう。

北朝鮮には、李承晩のように米国の手先となって、国民に悪質な対日感情を植え付けたリーダーはいなかっただろう。そのように考えると、将来的にどうしようもない敵国となるのは北朝鮮ではなく、韓国の方のような気がする。 

2)トランプ大統領には、産軍共同体の圧力を振り切って、平和的解決をしてほしいものである。朝鮮戦争の終結と講話条約締結、それが条件なら核開発の完全停止に北朝鮮は決断すると期待できる。

元ウクライナ大使の馬渕睦夫さんは、その著書「国難の正体」において明確に書いておられる。朝鮮戦争を継続するのは、アジアに混乱のタネを残すという米国の産軍共同体の戦略であると。日本は完全に米国のポチが支配しているので、そのような考えはテレビでもほとんど紹介されない。そして、馬渕さん自身もテレビから完全に締め出されている。

悪質なマスコミと米国追従派の政治家たちは、産軍共同体の支配する米国の支配層の指示のままに動いている。その洗脳から自由になるためにも、以下のような動画も見て欲しいと思う。https://www.youtube.com/watch?v=Rl7oyG4ebwk&list=PLkYcQ3720fK1WLqqyfXlnZnYP-13EEuS1(馬渕睦夫氏と今は亡き渡部昇一氏との対談です。)(16:00編集)

2017年4月23日日曜日

安倍総理のロシア訪問に期待すること:森本敏氏と櫻井よしこ氏の考え方について

1)プーチン大統領率いるロシアとの関係について、先週末のBSフジのプライムニュースで放送された、櫻井よしこさんと森本敏さんの意見をyoutubeで聞いた。 https://www.youtube.com/watch?v=YdahjwFV_4c

国際社会からの経済制裁と原油安がロシア経済を低迷させており、プーチン大統領の求心力が相当低下していることについては、両氏のおっしゃる通りだと思う。また、今回の米国によるシリア攻撃は、ロシアの威信を低下させ、プーチンの求心力も更に低下させるだろう。

両氏はシリア反体制派への化学兵器使用がアサド政権によるものだと完全に信じ、米国の爆撃を支持されている様である。しかし、人道に反する行為を処罰するつもりであっても、それが新たな人道に反する行為を産む素地をつくるのなら、何のための攻撃か分からない。両氏が完全に米国を信頼し、その全ての国際的な行動を支持していることに、私は一種の不信感を持つ。そして、同様の視点を日本の総理に求めることに、両氏が政治評論の分野で高い地位を持つだけに不満に思う。(補足1)

今回のモスクワ訪問に際して、安倍総理の対露交渉がどうあるべきかについて二人の回答を以下に書く。櫻井さんは“領土問題交渉において国際社会から非難を受けるような、安易な妥協をしない”ように期待しておられる。一方、森本氏は、“米国のようにプーチン大統領を追い込むのではなく、むしろヨーロッパとの協調の方向を勧める。また、日本を引きつけて自分の立場を強化しようと考えるだろうが、その策略に利用されないよう気をつけるべき”と言っておられる。

要するに、両氏とも安倍総理がロシア関係では何もしない方が良いと考えておられるようだ。その理由は、両氏とも米国が信頼できる相手であるから、今後とも米国との同盟関係を強める以外に何か(特に対露で)特別なことをやるのは危険だと考えておられるようだ。

2)この番組の最後に、両氏は今後の日本外交に関し総括的な提言をされている。
森本敏氏の意見:「今日の同盟は、価値観を共有する同盟ではなく、国益を共有する同盟である。いかなる場合でも、米国にきちっと注文もし、利益を共有できる最も信頼できる同盟国としての日本の位置を維持すべき。その為には、同盟を強化する更なる努力が必要だと思う。そのためにも日本は、防衛力の強化に努めるべきだ。日本が今後国際社会の中でより多くの利益を得るためにも、必要不可欠な手段である。」

櫻井よしこ氏:「表現は違うが大体森本氏の意見と同じである。(一言で言えば、)普通の民主主義の国になるべき。現在日本は普通の民主主義国ではない。憲法をみても、防衛の根本的な考え方(専守防衛)をみても、普通ではない。憲法や自衛隊法を改正してシビリアン・コントロールの下の軍事力を民主主義的手続きで持つべき。」

その後の読者の質問に回答する形で、櫻井氏は「現在のあるべき日米関係の基本的考え方はresponsibility sharing(責任分担)である。日米安保条約の範囲ではあるが、日本はより多くのことに責任を持つことが米国の日本への要請である。国際情況をみても日本がその方向で努力すべきである。米国が世界の警察官としての役割の一環で日本を護ってくれるという期待すると考えることは終わりにして、その部分は日本が独自にやらなければならない。」と答えた。(補足2)

これらは、既に書いたように完全に米国に追従する路線を、両氏は日本の取るべき道と考えられていることを示している。

3)私は以下のように考える。現在、中国と米国は互いに仮想敵国同士だが、日本との関係においては、ニクソンの時代から、或いは蒋介石時代から一貫して、米中は共通の利益を共有している。それは日本の無力化である。戦後、米国が一貫してやってきたことは、自国の利益となるような国に日本を調教することだったのではないだろうか。本当の同盟国なら、日本が普通の独立国となるのを支援する姿勢が見える筈であるが、それは無かった。(補足3)

トランプ大統領の出現で、日米関係が対等な同盟関係に成長することを期待した人はおおいだろう。しかし、昨今のトランプ大統領の様子をみると、どうも伝統的な共和党出身大統領になったように思える。そう考えると、ロシアは日本の22世紀に向けた生存にとって、鍵となる国かもしれない。 安倍総理がプーチン大統領と会談する際、北方領土の返還を直接要求するよりも、日本国民が「ロシアは信頼出来る隣国である」と感じるような両国関係の方向を示して欲しいと要求することが大事だと思う。

また、常に米国という窓からしか国際情況を眺められない日本の宿命を超えて、全く違う視点から世界を見る貴重な機会ではないかと思う。精々、プーチン大統領の視点から見た世界の姿を見聞してほしいと思う。例えば、北朝鮮問題が危機的情況にある現在、本当に北朝鮮は気違いのような指導者に率いられた国なのか、プーチン氏の考えを聞くのも良いことだろうと思う。

(補足3は翌日朝追加:これは素人の意見ですので、批判等は歓迎します)

補足:
1)米国等による経済制裁は、露によるクリミヤの併合による。しかし、この件の引き金となったウクライナでのクーデターには、米国が深く関与したという説があり、米国の言い分を100%信じる両氏の姿勢には疑問がのこる。アラブの春やイラク戦争において、米国に不正な関与があったと考えるばあい、米国の言い分を100%支持する姿勢に説得力はない。(田中宇氏のブログなど参照)
2)質問は、「アメリカは世界の警察官にもどったのでしょうか?」であった。米国が世界の警察官かどうかについては、4/20の記事を参照してください。
3)これは米国の責任ではなく、日本の責任である。米国が米国の国益を追求するのは当然である。その責任の第一は、国家体制が明治維新の革命体制から一歩も成長しなかったことが原因で大きな戦争になり、完敗してしまったことである。その第二は、吉田茂以下の戦後首相に、死を覚悟してまで日本の本来の意味での独立を考えた政治家が出なかったことである。

2017年4月21日金曜日

世襲議員が日本を潰す:一票の大きな格差は違憲であり世襲議員の巣である

中川秀直の息子がスキャンダルの主となっている。バカな男のバカな息子を議員にした広島の有権者たち。一票の格差のせいで田舎の政治に無知な連中が二世議員を多量に国会に送り込み、それが日本の政治を悪くしている。一票の格差は2倍以内なら良いということではない。限りなく1.0に近くすべきなのだ。

田舎の選挙区が無能二世議員の温床になっている。政治家がまるで家業になって、日本を悪くしている。民主主義というが、大衆の90%はB層という現状に漠然と不満を持つ知能の低い(低IQの)人たちが占めているという。その資料を選挙対策に使って大勝したのが、小泉純一郎の郵政選挙である。(補足1)

僅かな知的な連中が、経済発展と同時進行的に都会にあつめられた。一票の格差が維持されているので、田舎の票が衆愚政治を加速する結果になってしまった。衆愚化した有権者を利用して、米国のポチが日米構造協議で要求されたとおりに、民営化したのが現在の日本郵政である。

明治維新から150年経過した現在でもなお、この田舎のB層の票が薩長土肥の世襲政治家とその取り巻きを、日本の政治貴族として維持しているのだ。(補足2)米国も日本の政治家を馬鹿にしているだろう。(補足3)日本など無くなっても、痛くも痒くもない。米国の国際1.2兆ドルと一緒に消えてくれればいうことはない。北朝鮮を育てて、日本を東アジアの孤児にして、いじめれば良い。(補足4)そう考えているのだ。

「朝鮮戦争を勝ってしまおう」と言ったマッカーサーを首にして、共産国金王朝の北朝鮮を温存し、狂犬に育て上げたのは米国だ。北朝鮮は朝鮮戦争を終わり、米国と講和すれば、あんな国にはならなかった。そんなことも分からないバカが日本の政治を担っているのだ。

セメント会社を相続した政界の中枢にいる男が、米国で消費税を上げる好機だといったという。あほだ。https://news.yahoo.co.jp/pickup/6237223 彼の爺さんは、マッカーサーに協力して、結果的に日本を骨抜きにした人だ。(補足5)デフレの原因の一つが消費税増税にあると経済学者が声を揃えている。要するに漢字も経済も、何もかも分からんほどの人間なのだ。態度だけでかいのは、政治貴族の出身だからだろう。

これらの世襲政治貴族を一掃しなければ、日本の政治はよくならない。その鍵は何か?命が危うくなるので、誰も言い出さない。(11時編集)

補足:
1)2005年9月の郵政選挙の際、自民党が広告会社に作成させた企画書、「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」に出てくる概念である。議員の家系から出た小泉純一郎が選挙の際に利用した。その子供も議員の職をついで、「こども保険」とかいうアホなことを言っている。
2)明治維新は薩長土肥の下級士族たちが中心になり、恐らく英国などの支援もあって成し遂げた革命である。その薩長土肥の出身者が未だに日本の政治を牛耳っている。その明治維新後の低級な歴史の進行は、明治維新が単に倒幕であったことの証明だろう。日本の近代化という高い志を持って戦ったという司馬史観は後付の神話に違いない。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/10/blog-post_27.html
3)日中国交回復のときに、キッシンジャーが言ったという「あのジャップめ」という言葉や、マッカーサーの議会証言「日本は未だ12歳レベルだ」という言葉が何時も頭をよぎる。
4)国家間の関係は野生の原理で動く。”「傷つき弱った者を襲え」これが野生の原理だ。” 堺屋太一「世界を創った男」にそう書かれているそうです。
5)当時の価値観ではこの評価は酷いかもしれない。吉田茂が講和条約後に憲法改正しなかったのは、日本が朝鮮戦争に巻き込まれるのを防ぐためだったのだろう。その後の岸、池田、佐藤内閣あたりで、命をかけて憲法改正をしてほしかった。これらの人たちでも、現在の首脳よりは優秀ではあったと思う。なお、マッカーサーと吉田茂の憲法を巡る関係については、片岡鉄哉著「日本永久占領」が参考になった。その時書いたブログを引用します。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2016/03/blog-post_12.html

2017年4月20日木曜日

米国経済と北朝鮮問題:核脅威除去セールス

前回のブログで、“トランプ大統領は、アメリカンファーストを放棄して、伝統的な”世界の警察官としての役割を果たそうとしているように見える。しかも、何時も何故か大きな財布を携帯している警察官である“と書いた。我々は、世界の警察官という米国の役回りを素直に文字通り受け取って来たのは間違っていたのかもしれない。その本質を素直に、或いは誤って、表したのがトランプ大統領ではないのか?

1)火曜日に、韓国訪問を終えた米国のペンス副大統領が来日した。北朝鮮問題で重要な打ち合わせが目的だと思っていたが、もう一つ重要な話があったようだ。トランプ大統領の主張する、貿易不均衡解消のための日米ニ国間FTAである。米国産牛肉をオーストラリア産牛肉に取って代わらせたいとか、色んなことを考えているのだろう。そもそも、貿易不均衡を問題にするのはFTAの考え方に反しているのだが、御構い無しだ。(補足1)

昨日の読売新聞朝刊(14版)の一面では、「日米経済対話」の脇に「平和、力でのみ達成:対北圧力強化一致」が配置されていた。どちらが重要問題か、新聞社の方もわかっているようだ。この時期を逃さず、副大統領が経済対話を兼ねて(?)来たのは、最初に書いた米国の姿勢“大きな財布を携帯した世界の警察官”にふさわしい。

半世紀ほど前の話になるが、フランスのドゴール大統領が、当時の日本の総理大臣を「トランジスターのセールスマン」と揶揄したことがあった。米国は「核抑止力のセールスマン」なのかもしれない。日本は確かにトランジスターラジオを売ったが、しかし米国は核兵器を売るのでは無い。核の脅威から日本を守るというオプション付きの、農産物やGMの車である。そのオプションに効果があるかどうかは分からない。

効果を検証できる事態というのは、日本国存亡の危機である。そんなオプションに期待して、何かを約束することが日本の政治なのか? 

19日のCNNの報道では、朝鮮半島に向かっている筈の空母「カール・ビンソン」が、どう言う訳か180度逆の方向に向かっていたことが明らかになった。http://www.cnn.co.jp/world/35099993.html

トランプ米大統領はテレビ局とのインタビューで「艦隊を送り込んでいる。とても強力だ」と語り、数人の側近らも空母派遣に言及した。それに対して、北朝鮮の朝鮮中央通信(KCNA)は空母配備を「無謀な侵略行為にほかならない」と非難していた。しかし、複数の米当局者がCNNに語ったのは、「カール・ビンソンは、まずオーストラリア海軍との軍事演習を予定通りに済ませる」だった。

その後、進路を変更して日本海に向かっているということで、単にホワイトハウスと米国防総省の間に連絡ミスがあったということだそうである。しかし、この件は北朝鮮問題の本質を語っているのではないだろうか。つまり、米軍に北朝鮮からの危機なんか存在しないのであり、単に核抑止のセールスのために日本や韓国向けに必要なだけである。(補足2)

2)米国と同じ戦略を考えている国にお隣の大国がある。彼国は、北部戦区に大量の核兵器を輸送して、核の脅威を作り出している。以下に引用の動画サイトをみて欲しい。https://www.youtube.com/watch?v=vANSwCgF6ec

中国は大陸間弾道ミサイル「東風41」を量産して、大量配備するという。その動機が世界から尊敬される国になるためだということである。つまり、世界に恐怖をバラマキ、それを取り除く方法を売りつけるのである。

これら大国のセールスの本質は、パソコン画面にと時々出る画面「あなたのパソコンがウイルスに感染しています」というメッセージを思い出せば分かる。そのメッセージは駆除ソフトを売りつける為なのだ。

勿論、北朝鮮と米国の衝突という悲劇的な方向に進むことは一定の確率であり得る。しかし、何事も両面から見ることが大事だという意味で上記の文章を書いた。(補足3)  これらの問題は、日本国が独自の防衛力と核抑止力を持てば解決する。しかし、そんなものを持ってもらっては大国の商売は成り立たない。

補足:
1)石油が無いから、アラブから石油を買った国が、その同等の額でこちらの生産品を買ってもらわなければ困るというのは、明らかにおかしい。そんな理屈を通すのなら、貨幣はいらない。ブツブツ交換でよいのだ。
2)何度もブログに書いたように、米国が世界の殆どの国が行っているように、北朝鮮を承認すれば済むことである。30年前に行っていれば、日本や韓国に対する核の脅威は生じなかっただろうし、拉致被害者は出なかっただろう。
3)昨日も、北朝鮮の核実験場でバレーボールを楽しむ人たちの姿が米国の衛星画像として公表されている。

2017年4月18日火曜日

トランプは北朝鮮問題を中国に丸投げし、北朝鮮の核兵器保持を認める可能性がある。日本は核保持の論議を開始すべきである

1)アメリカンファーストを看板に大統領に当選し、選挙期間中に約束した路線上を、ひた走る様に見せながら、トランプは一定期間が過ぎた時には伝統的な米国共和党出身の大統領になるようだ。替わり身の鮮やかさは優秀なのか軽いのかわからない。

最近のトランプ大統領は、アメリカンファーストを放棄して、伝統的な”世界の警察官”としての役割を果たそうとしているように見える。しかも、何時も何故か大きな財布を携帯している警察官である。シリアやアフガンの爆撃に北朝鮮の威嚇まで、大統領候補の時からの姿勢と180度違う。

普段は見ないのだが、ベンジャミン・フルフォードの動画を見たところ、トランプが少女レイプの件で訴えられた件の延長で、彼が米国を牛耳るユダヤ人ネットワークに脅されているというのである。その所為で、トランプは180姿勢を変更して、ネオコンのシナリオで動くようになったという。

トランプを脅しているのは、Lewis Eisenbergらのユダヤ人ネットワークで、彼はイタリア大使になる予定だが上院の承認を待っている人のようだ。彼の名前をウィキペディアで見ると、アメリカの政治資金調達サークルで数十年の経験を持ち、9.11事件の時、ニューヨークの港湾局の議長であったなど、意味深な解説がなされている。

シリアの爆撃の際は、米軍が事前にロシアに知らせて、効果が出ないようにしたので、今回の件でも米軍は最悪の事態にならないように努力するだろうと、ベンジャミン・フルフォードは言っている。因みに彼が情報提供者と言っているGordon Duffは、Veterans Todayという米国の退役軍人の新聞を発行している人である。(情報提供とは新聞だけのことかもしれない。)

また、この件でトランプ氏はNSCやCIAなどの信用を失い、大統領としての寿命は短いだろうと言っているが、私はむしろ寿命が長くなるような気がする。

2)一方、国際政治評論家の田中宇さんのブログでは、このようなユダヤ系からのおどしの解釈はとっていない。そこでは、うまくネオコンと折り合いをつけて、北朝鮮の核問題を中国に押し付けるように振舞っていると解釈している。http://tanakanews.com/170416korea.htm

今回は中国が北朝鮮の核開発を抑えることに本気であり、実際15日の核実験を中止させたと書いている。その記事には、“北が15日の核実験を見送るのとほぼ同時に、米トランプ政権が「米国の目標は、北の政権転覆でない。目標は、北の最大の貿易相手国である中国の助けを借り、北に最大の圧力をかけることで、6か国協議に北が参加するように仕向け、核開発をやめさせることだ」と表明(リーク)した”と書かれている。

そのトランプの政策を見事だと書いているが、日本人である私は到底そのようには思えない。6カ国協議に参加させるというのでは、今までの繰り返しであり、中国も「のど元過ぎれば熱さ忘れる」で北朝鮮に制裁をしているフリをして時間稼ぎをして過ごし、最終的には、北朝鮮は核兵器の小型化を実現し、日本には大変な脅威となるだろう。

米国は北朝鮮がICBMを完成させたとしても、依然、軍事力に圧倒的な差があり、北朝鮮は自分からは攻撃できない。最終的には北朝鮮は核保持をしたままでソフトランディングできる可能性が大きくなってきている。実際にはもうソフトランディングしたのかもしれない。私は以前から、北朝鮮のソフトランディングを主張してきたが、それは核抜きでのものである。早期に朝鮮戦争を集結して、米国が北朝鮮を承認すれば、日本も其れに倣って承認し、その段階で拉致被害者は帰国できただろう。

つまり、この数ヶ月のやりとりで、トランプ米国大統領は、北朝鮮の金正恩もそれほど無茶なことはしないと理解し、今後は互いに過激なこともいうが、口だけで済ますという暗黙の了解ができつつある様なきがする。トランプが6カ国協議というなんの役にも立たないものに言及したことがそれを示している。

昨日、面白い動画をテレビでみた。大きな家の鉄格子の門扉の前で、家の中の犬と外部の数匹の小さい犬が激しく吠えあっている。今にも噛みつきそうな状況であるが、門扉に邪魔されている。そして、家の主がその門扉を静かに開けていくのである。だれもが、犬同士が大げんかになるかと思ってみていると、開いた部分を避けて、しばらく鉄格子を挟んで吠えあっていたが、大きく開かれるとお互いに離れていってしまったのである。

今のトランプの米国と金正恩の北朝鮮の姿を見る思いがした。戦かう訳にはいかないが、このまま静かにするのは格好が悪いので、しばらくは互いにマッドマンで行きましょうと、話し合いができたのではないのか?

3)日本は将来苦境に立たされるだろう。米国の方針は元々、日本がアジアで孤立し軍事的に無力な存在になることだろうから、その意味では、トランプは上手くやっているのだろう。韓国で左翼政権が成立すると、やがて核保持の統一朝鮮ができる可能性が高い。その朝鮮は、米国ではなく中国とより親密になるだろう。

米国は第一列島線から引き上げても何ら不都合はないので、その段階で米軍はサッサとグアム島まで引き上げる。日本が望めばTHAAD位は金儲けのために置くだろうが、元々迎撃で防衛力を維持するなんて無理な話であり、北朝鮮の核ミサイルや化学兵器ミサイルの脅威は無くならない。

統一朝鮮ができる時には、日韓基本条約を書き換えなければならないが、その際には北朝鮮の経済開発に2-3兆円むしりとられることになるだろう。その後も、慰安婦問題等の難癖を北朝鮮側でもデッチ上げてくるだろう。それを後ろで中国も南京事件などを持ち出して加担し、その動きにドイツなどヨーロッパ諸国が応援するだろう。

日本は北朝鮮が経済的苦境にあったときに、つまり、小泉政権の時に、拉致問題の解決と1兆円程度の経済協力金で、北朝鮮の承認を考えただろう。しかし、それを潰したのが米国だと思う。北朝鮮が韓国と統一し、親中国の核保持国である統一国家となったのちには、日本は朝鮮のcash dispenserのように扱われるだろう。

中国にとっては、親中国の国家が核兵器を持ったとしても、それはロシアの核兵器よりも脅威ではない。イギリスとフランスが核の脅威を意識しないのと同様である。しかし、日本にとっては朝鮮の核保持は非常に深刻である。

日本は今、この時期に核保持を検討すべきである。米国と北朝鮮にいい加減な茶番劇を演じさせたままにすべきではない。将来の日本のことを考えて、核保持を議論すべきである。それが、中国や韓国などへのメッセージとなり、核抜きの朝鮮半島が実現するだろう。そのチャンスは今しかないと思う。核保持のチャンスではなく、半島の核保持阻止のチャンスである。

2017年4月16日日曜日

テロリストには罰を受ける資格がない:罪と罰について

1)最近、善と悪についてブログを書いてきたので、最後に罪と罰について考えて見たい。

所属するグループの為になる行いが善、それに反する行いが悪だと考えるのが、前回までの結論だった。そのグループ(種族、民族、国家)内で、処罰に相当する程度の悪い行いが罪ということになる。しかし、ただそれだけの定義だと、罪と罰の関係は労働と賃金のような等価交換できる関係になり、随分と軽い感じがする。しかし、罪は元々もっと重い宗教的な意味を持つと思う。つまり、罪という言葉は、本来神の教義に反した行為に対して与えられる。

そう考えると、宗教と民族や国家といったグループとの関係を明らかにしないと罪と罰が理解できないことになる。

そこで、前回までの話を簡単に繰り返すところから思考をスタートする。善と悪は、血縁を中心としたボス支配のグループで生きる状態(自然状態)では存在せず、人が大きな多層的なグループを作るようになった時に発生すると考えた。そして、そのグループ内で生きる人に対してグループの成長と安定にプラスになる行為及びそれを形容する言葉が善であり、その逆が悪であると結論した。

多層的で大きなグループは、種族とよばれたレベルから国と言う現在の段階まで発展する。そのグループが種族と呼ばれる段階では、その寿命は人の自然寿命よりはるかに長くなるが、その運命は他の種族との争いの勝敗に依存する。種族は運命共同体であり、そのことをメンバーは強く意識している筈である。

他の種族と競争して最終的に生き残るには、リーダーには世代を超えて特別に強い指導力が必要である。そのレベルは、非常に優秀な人レベル程度ではなく、それを圧倒的に超えるレベル、つまり神のレベルである。従って、長く続いた種族の中に神話が生じ、嘗ての英雄が神として崇められるのは自然である。その神の権威の下に、リーダーの権威を置くのが世代を超えた権威を持つ秘訣である。その結果、リーダーの下す罰は、神の罰となるのである。善と悪そして罪と罰は、この様にして神の権威を得ると考えるのである。(補足1)

その段階で、リーダーの地位やグループ内の掟などは全て種族の神の権威の下に集約される。歴代のリーダーの考えが集約され、聖典となって纏められることもある。キリスト教の聖典である旧約聖書では、人が神と契約を交わし、種族のメンバーに神の掟を守るように書かれている。(補足2)

2)罪を犯した者には罰があたえられるが、罰には日本語では二つの読み方がある。バチとバツである。バチには、“罰当たり”という派生語の意味からわかるように、悪事に対して神が与えるこらしめの意味がある。バツにも、やはり教育的な意味がある。つまり、罰を与える側と受ける側に共通の絶対的な権威がなければならない。従って、罪と罰の関係は種族内部の話であり、異邦人との関係ではありえない。異邦人との間には無視、敵対、戦争、報復、駆除など、民族(種族)の神の裁きとは無関係な対応がなされる。(補足3)

刑事裁判などでよく問題にされる言葉に、“罪の意識”がある。罪の意識がない犯罪人にはふた通りある。片方は幼児であり、もう片方は現在住んでいる社会のメンバーでは無いと考える犯罪人である。幼児の場合(刑法では14歳以下)は、悪事を為しても罪の意識がないので、罰しない。そのような罪を犯さないように、今後の教育は主として家庭でなされる。罰せられないのは、今も今後もグループ内の人間であるからである。もう片方の罪の意識のない犯罪として、精神に障害のある人間の犯罪と反国家(反民族)的犯罪(テロリスト的犯罪)があり、後者には元々国内の犯罪人を裁く法律を適用する理由はない。

前者の場合、明らかに精神が未発達な場合には、幼児と同様の根拠で、然るべき場所での隔離あるいは治療が適当な措置だと考える。一方、精神的発達が正常だが、サイコパスのように特別に反社会的性格を持つ人間の場合、知識として犯罪が処罰の対象になることを承知しているのだから、罪の意識の無い場合でも、少なくとも正常人と同等かそれ以上の処分が相当である。

最近あった名古屋大女子学生による殺人事件では、犯人は殺人嗜好がつよいタイプのサイコパスだろう。この種の人間は、殺人が所謂重罰に相当する犯罪であることはわかっているのだから、罪の意識が生じない精神障害者だとして無罪を主張する根拠はない。(補足4)山から出てきた熊や異邦人テロリストのように、駆除の対象になっても良い人間なのだ。知的に問題があるのは、その判決の際に、更生に期待するという言葉をかけた裁判官と、精神障害故に無罪であると主張した弁護士である。

外国人の単純犯罪の場合には、国際条約があり、国内法によって処罰される。それは、外国人と雖も、日本国内で生活する場合は日本人の仲間と看做して処遇するからである。しかし、日本社会の破壊工作には、日本人であっても外国人であっても、罪と罰の関係で論じる根拠はない。罪と罰の関係は、日本(社会)を共通の宇(いえ)と考える体制に最高の権威を認める場合にのみ成立するからである。テロリストには罰を受ける資格がないのだ。

補足:

1)現在国家を作って生き残っている種族には、そのような超人的なリーダーシップを作り出す工夫がされていたと言える。日本(大和朝廷)の建国神話もその一つである。
2)ユダヤの種族に対して、他の種族は異邦人という言葉(日本語訳の聖書)で語られている。異邦人という言葉には“何を考えているのか全く分からない人たち”という響を、聖書の中では特に感じる。異邦人による行いは、悪であるとして排斥するか侮蔑するかどちらかである。
3)戦争が外交の一環だという考え(クラウゼウィッツの戦争論)は共通の神を持つヨーロッパにしか本来(あるいは西欧人の感覚として)適用されないだろう。また、日本の上杉と武田の戦いにおいて「敵に塩を送った」と言う話も、両者ともに日本のメンバーであることの共通理解があったからこそである。
4)「人を殺してみたかった」というセリフは、社会を根本から否定する言葉であり、法を適用する理由はない。ただ、そのようなケースに対応できる法整備がなされていないので、さしあたり最高刑で対応すべきである。

2017年4月14日金曜日

現代は、悪の遺伝子が国家を救う時代なのか?

1)前回、善悪は本質的な概念ではなく、多層的な構造を持つ社会(高度な社会)の発生と伴に生まれた文化由来のものであると書いた。生命は他の生命を食物にしたり、競争相手なら殺したりするが、それは善とか悪とかで形容できるものではない。熊が人を獲ったとしても、悪で裁く意味がない。同じように、人が、猿同様にボスが支配する小さな群れで生きていたとすれば、人にも善悪という概念は生じて居ないはずである。善悪は一体で、”野生に生きるということ”(生命活動)でしかない筈である。

その後人類が作った多層的な構造を持つ(高度に社会的な)グループ、つまり、種族、民族、そして国家と呼ばれるグループは、次のような性質を持つ。①グループの寿命は人の一生よりも長くなり、個人が命を賭ける主なる争いは、他のグループとの争い(戦争)になる;②メンバーの日常は殆どグループ内で終わる;③グループ内の統治とグループ間の折衝には、一部エリート層があたる。

このような背景で、グループ内の統治の簡素化効率化のために「善」、そしてその要素である義、和、忠、孝のような概念が教育されるようになった。そして生命活動を形成していた残りの部分は、「悪」に分けられ、悪の行為が正当性を持つのは主にグループ間の出来事に集約される。その結果我々人間は、本来一体であった「善と悪」を人の精神を構成する二つの要素のような錯覚を持つに至った。以上が前回の話を、別の角度から集約したものである。(自己認識能力の獲得との関連は前回記事に書きましたが、ここでは省略します。)

2)人の性格は教育だけで決まるのではなく、融和的な性格や攻撃的な性格などには遺伝子が関わっていると思われる。例えば、他人の痛みを全く考慮しないサイコパスの人が一定の確率で存在しているが、それはほとんど遺伝であるとの研究発表がされている。(補足1)

社会をつくることで善悪が発生し、社会が大きくなり、その内部で生きる人が大多数になるのと並行して、善を強く意識する性格の人の生存が有利になり、人の心理はその方向に誘導される。これは「進化心理学」の結論だろう。その適者生存のメカニズムにより、冷徹な性格の遺伝子はグループの構成員が増加するに従って減少するだろう。

しかし、グループの境界で他のグループと対決するには、より攻撃的で冷徹な人間の方が有利である。その境界人間に有利な遺伝子を“悪の遺伝子”と以下呼ぶ。それと反対に境界内部で生きるに有利な温厚且つ凡庸な人間の遺伝子を“善の遺伝子”である。

現在、人の運命共同体的グループは国家である。その200程の国家をメンバーとする社会を考えた場合、未だに野生の原理が支配する。つまり、善と悪が分離して、社会内を善が支配するに至っていないからである。それは、ここ数日の米国によるシリア爆撃やアフガン爆撃を見ても明らかである。(補足2)

地球は有限であるので、原始の時代には個人レベルや種族レベルでの殺し合いでヒトは自然淘汰されていたが、近代以降は国家間の戦争で淘汰される。その結果、サイコパス的に冷徹に長期的作戦をたて、敵となった国家を欺き攻撃し凋落させ、悪を用いて滅ぼす国の人間が生き残ることになる。

逆に、平和を愛する融和的な人間ばかりになった国は、将来的には滅びることになる。実際にそのような淘汰の例が19世紀にあった。ニュージランド沖の小島にモリオリ属という人たちが住んでいた。ある時、マウリ族が他のより大きな島から侵略したとき、モリオリ属は平和的な解決をしようとしたが、殆ど全員が虐殺されたのである。長い間に“悪の遺伝子(境界人間の遺伝子)”が少なくなった結果だと解釈できると思う。(ジャレド・ダイヤモンド著、「銃、病原菌、鉄」第二章参照)

3)国家や大企業(国家等)は、常に食うか食われるかの野生の空間に存在すると考えられる。国家等の争いにおいて他の国や個人を、(グループ内部に限られた)善の論理で扱っていては、その争いには勝てず、最終的には淘汰されてしまう可能性がある。また、緊急の場合にはグループの内部の人に、戦いというグループの境界を跨ぐ世界(悪の世界)に強制的に連れて出さなければならない。

戦争においては、司令官は非情な決断を下すし、そのような遺伝子を持たない人しか司令官に選べなかった国は滅びるだろう。その“悪の遺伝子”を持つ人は、流浪の民族や絶えず戦争を経験した民族に多いだろう。この“悪の遺伝子”がより強調されて存在するのがサイコパスだろう。(補足3)

ある本にサイコパス的な人の割合が西欧で4%と台湾や日本など東アジアに比較して数十倍も多いことが書かれているそうである。http://blog.midnightseminar.net/entry/2015/06/20/232909 東アジアの社会の方が、農耕民族として過ごす割合が多く、人と人の親密度が高いことがわかる。台湾や日本などは孤島であり、全体が統一された以降敵が現れる頻度が少ないので、悪の遺伝子が少ないのは進化心理学的に当然である。一方、西欧では民族の移動や民族間の抗争は有史以来頻繁に起こっていたため、サイコパス遺伝子が多く残るのだろう。

米国は流浪の民を多く抱えている。冷徹な知と“悪の遺伝子”を併せ持つ人が、政治や実業界で成功するチャンスが多い国である。それは、個が自立し自由を国是とする国だからである。それが、米国を地球上でもっとも多く、実業界や政治の世界での成功者を出し続ける国にしている理由ではないだろうか。「トランプはサイコパスか」という題目の記事が多いのは、世界が争い時期に入り、悪の遺伝子こそ民族を救うという時代なのかもしれない。http://www.independent.co.uk/news/world/americas/donald-trump-psychopath-researcher-oxford-university-kevin-dutton-a7204706.html

補足:
1)実験心理学者の調査によると、サイコパスの人が一卵性双生児の片方であった場合、全く異なった環境で育ったもう一方も同じ性質を持っているとの結果を得たという。
2)善悪の秩序は法の支配によりなされる。しかし、国際法は法としての権威を有していない。米国による中東での行為の殆どは国際法違反である。つまり、国際間は未だ野生の原理が支配している。
3)Kevin Dutton著の“The Wisdom of Psychopaths”に書かれているそうである。詳細は以下のサイトを参照:http://rocketnews24.com/2016/02/04/702271/ ここでは、1940年代に既に近代社会の成功者、例えば政治的な成功者、にはサイコパス遺伝子を持った人が多いとの説が発表されているという。(精神科医のハーヴェイ・クレックレーの説)

2017年4月12日水曜日

善と悪の話:善は「社会」と伴に作られた抽象的概念である

週初めの日曜日の「そこまで言って委員会NP」において、性善説とか性悪説を弄った議論をしていた。あまり良い議論に思えなかったので、ここに善と悪を再度考察する。このテーマについては、以前何度も議論したが、一つだけ親鸞の悪人正機説との関連でも議論した記事を引用する。議論コメントなど歓迎します。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/12/blog-post_5.html

1)生物の命は、他の生物を食物とすることにより維持再生される。食物は異種の生物である場合が多いが、同種の生物は食物とならなくても、食物獲得の競争相手となる。人も生物であり、その点において例外ではない。

善と悪は、社会の形成とともに始まったと思うのだが、その定義は簡単である。悪とは人が生存のためにとる行為のうち、他の人の利益や自由を顧みないものである。善とは悪の反対であり、社会において自己を犠牲にする行動や考え(に付けるラベル)である。社会を作らない場合、善も悪も存在しない。

ヒト(以下人と書く)が地球上で他の生物を支配出来たのは、多くの個体から形成されるグループを作ったからである。そのグループは、最初の段階ではボスによる恐怖支配の小さなものだろうが、言葉の出現と自己の相対的認識がそのグループに多層的な構造を可能にして、大きく且つ強力にした。(補足1)その成長のプロセスを獲得したグループは、何れ国家と呼べる様にまで成長するだろう。その人と人との間の協力関係を築く行為やそれを支える考え方について、抽象化されたのが“善”という概念である。その善のモデルについて、以下に具体的に説明する。

2)言葉(ロゴス)は論理を構成する道具であるから、言葉を得たことは同時に、人が自己を観測の対象とする能力を獲得したことを意味する。他の生物では自己は絶対的であり、従って観測の対象ではないので、自己犠牲も自殺もあり得ない。

自己を相対的に把握する能力を得た人間は、自分の所属する運命共同体のグループを、少なくとも自分の生命以上の存在として把握することになる。それは、そのグループの消滅は自分の命の他に、自分の血族など周囲の人の命をも亡くすることになるからである。

その段階のグループを形成するようになって初めて、自己を犠牲にして自分のグループを支えることが可能になり、「善」が生まれるのである。その善の論理と自己の相対化は、個の能力に応じた積極的なグループへの参加を即し、グループを多層的に大きく成長させた。そのグループの内部は「社会」と呼べる空間となる。その結果、メンバーはより強力で安全な「生」を享受することになる。その正のフィードバックにより、グループはやがて国家と呼べるようになり、善が人間社会に根付くことになったと考える。

自分を認識する能力は、遺伝子に書き込まれたものであるが、自分を犠牲にする協力関係(つまり善)の発生は文化である。それが遺伝子に書き込めない理由は、その反対の悪が生命にとって本質的であるからである。それはまた、自分のグループを存続させるために、他のグループに対して敵対行為をするために必要だからである。人間の歴史は、その争いの物語である。

3)敵に勝つため、グループ内部で行えば悪である行為を敵に対して行う。敵を弱める行為、殲滅する行為は、味方の生存にとって必須であり、従って善である。つまり、現在我々が持つ善悪の物差しはグループ内部では成立するが、境界を跨ぐ出来事の場合には逆転する場合が多い。つまり、善と悪は普遍的な概念でなく、グループ内部に限られるのである。

現在、善悪の成立境界として明白なのは国境である。パスポートを初めて交付してもらった人は、その中に書かれた文章から、自分の命を保障する国家という存在を改めて知ることになる。国境を越えれば、個人としての権利の保障など本来ない。

従って、国家の最重要な義務は、自国民の命の安全と行動の自由を護る(まもる)ことにある。国民の義務は、その国家を自分の能力に応じて支えることである。(補足2)

補足:
1)恐怖が支配するグループは猿など他の生物に見られる。この場合、結局決断は一匹のボスの能力で決まり、複雑な大きなグループを維持できない。それは独裁国家や全体主義国家にも見られる欠陥である。並列に知恵を並べて、そこから方針を決断する体制により初めて大きな「人間特有のグループ(社会)」を形成できる。それを支えるのは、メンバー間の自発的で持続的な「善」に基づく協力である。
2)日本海側から多くの日本人が北朝鮮に拉致された。これは北朝鮮が国家として行ったのであるから、宣戦布告なき戦争行為である。それを単に北朝鮮の犯罪と見なすごまかしがまかり通っているのは、日本国は国家の体をなしていないことの証明である。また、拉致被害者を取り返す努力をしないのは、国家の怠慢である。従って、拉致被害者の会が北朝鮮を非難するのはお門違いであり、非難すべきは国家としての義務を果たさない日本国政府である。

北朝鮮の軟着陸(核抜きでの朝鮮戦争の終結)に米、中、日は協力すべき

一昨日の李克強中国首相と河野洋平元衆議院議長との北朝鮮問題に関する会談で、李克強首相は「朝鮮半島の非核化と安定、対話による解決が必要だというのが中国の一貫した考えだ」としたうえで、「中国と日本でともにできることがある」と話し、協力の必要性を強調したということである。今朝のモーニングサテライトでは、日本政府は米国にたいして、北朝鮮攻撃の際には事前協議をするように要請したと報じていた。戦争の足跡が遠くで聞こえる。

中国は北朝鮮との関係を、朝貢国の延長の様に考えてきたと思う。その密接な北朝鮮との関係は、暴れ者北朝鮮の監視役という国際的地位を得ることに繋がったが、その役割についての国際的な評価は、北朝鮮の核開発で非常に低くなっている。また、金正恩がトップになってからは、中国は仮想敵国のように言及されている。

また、中国は北朝鮮の地下資源にたいする支配権を重要だと考えているらしい。中国はこれらの利権を一旦考慮の外において、北朝鮮問題への国際的寄与を果たして欲しい。つまり、独立国の北朝鮮を育てる方向で、米国と協議すべきだと思う。北朝鮮と米国の関係は、戦前の日米関係に似ている。米国は、北朝鮮を陰陽両面から挑発し、北朝鮮が先制攻撃するのを待っているように見える。(補足1)

米国がすべきことは、朝鮮戦争を終結して北朝鮮を承認し、平和条約を締結することである。北朝鮮は当然、核兵器の廃棄と今後持たないことと、IAEAの定期的査察に合意することである。最も難しい問題は、北朝鮮の政治体制である。金正恩が自ら敷いた恐怖政治から脱却出来るように、この平和条約締結に相当の期間を取り、そのなかで広い範囲からアドヴァイザーを受け入れさせる様にすべきだと思う。

日本ができることは、小泉政権のときに一度トライしたことだと思うが、北朝鮮の承認と基本条約の締結である。その際に、小泉政権が予定した程度の経済協力が必要だろうが、それは米国との平和条約が済んでからの問題だと思う。この時、拉致問題解決という狭い範囲に目標を定めて交渉を行ったとすれば、それは根本的なミスであり、小泉氏は無能者に違いない。

これらの筋書きは、以前にブログで指摘したように、本来なら潘基文氏が国連の事務総長であったときに、国連が調整役を行うべきだったのだが、今回は米中と北朝鮮が話をまとめるべきだと思う。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42389602.html

補足:
1)戦争は、そのまま景気刺激のための財政支出となり、米国のGDPを押し上げる。シリアへ発射したクルーズミサイルは合計50億円程度だというが、それはそのまま軍需産業の売上になり、GDPの上昇となる。今朝のモーニングサテライトでは、関係企業の株価が上昇していると言っていた。その中には、ロッキード・マーチンなど馴染みの名前があった。

追加:https://www.youtube.com/watch?v=9dpAKPNWg48 にある百田尚樹さんの解説を聞いてください。ついでに、コメント欄のMohkorigoriのコメントも読んで下さい。

2017年4月8日土曜日

保守とは何か:摘菜収のミシマの警告という本を読んだが何が言いたいのかわからなかった

1)最近、摘菜収の「ミシマの警告」という本を読んだ。副題は、”保守を偽装するB層の害毒”である。B層とは、マスコミ報道に流されやすい比較的IQの低い人たちのことである。(補足1)著者は、小泉、安倍、橋下、小池の4氏を支援する人たちの大多数をその様に(B層と)考えて、日本は破壊されつつあると言っている。

この本の前半のテーマは分かりやすく、「日本で何故健全な保守勢力が育たないか」である。読者としての私が理解したところでは、その答えは議会制民主主義の歴史に学んでいないからである。つまり西欧では、キリスト教から発生した啓蒙思想(補足2)が民主主義を生み、その欠陥を補修した形の議会主義が定着している。日本は明治以降、その結果を輸入したが、その歴史に学んでいないのである。

その辺りを、三島由紀夫の著述を引用して書いている。この前半部分は我々理系バカには勉強になるが(補足3)、後半は著者の現実離れした解析に付き合うことになる。小池東京都知事や安倍政権の批判、数年前に大阪府知事だった頃の橋下維新を攻撃するところで終わっている。

著者は直接民主主義と間接民主主義を明確に区別し、前者を民主主義、後者を議会主義と呼んでいる。三島由紀夫は議会主義を擁護する立場であったとしている。保守(主義)は、「何とかイズムを信奉しないで過去から受け継いだものを大事にして、現実的改善で対応する政治姿勢」である。

三島が議会制を擁護しようとしたというが、それが主題ならそして西欧の議会主義の歴史を考えれば、参議院の改革や一票の格差是正などに話が行くべきだがその点は何も書かれていない。この人は保守且つ改善が嫌いだからだろう。

これまでやってきた延長上に現実的な改良を加え、その範囲に答えを見いだす保守の姿勢は成熟国家にはふさわしいが、日本など西欧のものまねで議会制を導入した国では、形だけのマネに終わっており、元々十分に機能していない点が多々あると思う。

三島が真っ当な保守だとの触れ込みだが、石原慎太郎が三島に「共和制という選択はありえないですか」と聞いた時、三島は「あなたが共和制を主張したら、私はあなたを殺す」と言ったという。(P135)その姿勢は保守ではなく、国粋主義のものだろう。イデオロギーを持ち出すのは保守ではないのなら、国粋主義を持ち出す三島は保守ではないということになるが、著者はどう考えているのだろうか?

2)繰り返しになるが、保守で国家の運営ができるのは、成熟した国家且つ孤立した国家の場合である。国際社会で生きていくには、不連続的に変化する国際情勢に対応しなければならないので、革新的な政治姿勢も必要である。幕末の日本はまさにその様な状況であり、保守ではなく薩長の革命政権が天皇制を採用して国難を乗り切った。その辺りの認識はこの著者には何もない。

著者は、最近の小泉政権や安倍政権の政治、更に、大阪維新の会の政治を衆愚政治に堕落した(直接)民主主義的政治と看做している。最近の小池都政も同じ解釈で俎板に載せている。味噌も糞も一緒にした議論である。 https://www.youtube.com/watch?v=8MbURcYJGsY

原因として、保守が反共産に堕落した後、本来の保守が日本に戻っていないことをあげている。それも真実だろうが、上記のようにそれだけではない。本物の議会制が未だ一度も日本国に導入されていないと考えるべきだろう。

その処方箋を議論せずに、現状の悪口だけを並べて不平不満を言っているように感じた。その改革すべきところを真面目に議論しようとした勢力をも、保守的でないという理由だけで味噌糞に批判する姿勢には嫌悪感すら感じる。つまり、小池都政と橋下府政の区別をしていない。

橋下氏は、太田房江知事の無責任府政から引き継いだ大阪府を、財政破綻寸前から建てなおしたと私は考えている。道州制も、地域の伝統を新たに利用することで日本国に新しい生きるエネルギーを生み出すには最適だと思う。小池氏はポピュリストであるが、橋下氏を同等のポピュリストと捉えるのには反対である。

B層という知能の低い大多数の支援を受けた小泉政権や安倍政権を批判するのはわからない訳ではない。しかし、B層に阿る政権とB層をカルチベイト(cultivate)して、真っ当な政治勢力に育てようとした勢力とを一緒にするのは、東京人の傲慢である。また、この本や「アンチクリスト」の現代語訳の言葉使いの荒さから、この著者がまともな知性を備えた方には思えない。(4月9日早朝編集)

補足:
1)著者によると、2005年の郵政選挙の際、自民党が広告会社に作成させた企画書に登場する概念だそうである。(52頁)構造改革に賛成でIQの低い人たちを指す。
2)人間に共通の理性があり、その普遍性を主張する思想。フランス革命、英国の議会制民主主義や三権分立の考えは、そこから発生した。ウィキペディア参照
3)スペインの哲学者のオルテガも大衆を批判する一人である。彼は、近代化に伴い新たにエリート層として台頭し始めた専門家層、とくに「科学者」を、「近代の原始人、近代の野蛮人」と批判した。。

2017年4月6日木曜日

安倍自民党政権と天皇元首制:森友問題と教育勅語

1)最近の森友学園への国有地格安払い下げ問題は、外国にも広く報道されているという。しかし、その視点は日本の報道機関のそれとはかなり異なっている。つまり、西欧諸国の報道機関の視線の先にあるのは、教育勅語を幼稚園で教えるような学園であり、それが首相の支援を得ているかもしれない国「日本」である。(以下のCNNの解説の後半) http://edition.cnn.com/2017/03/22/asia/japan-school-scandal/

産経ニュースによると、菅官房長官は4日の記者会見において「政府として積極的に教育勅語を教育現場で活用する考えは全くない」と強調しつつ、「教育基本法の趣旨を踏まえながら、学習指導要領に沿って学校現場の判断で行うべきである。それ以上でもそれ以下でもない」と不明瞭な政府の姿勢を語った。 http://www.sankei.com/politics/news/170404/plt1704040057-n1.html

この発言は、“教育勅語を従来のように歴史教育で教えるだけでなく、それ以外の部分、例えば道徳や国語の教材として用いることも、直ちに憲法や教育基本法の精神に合致しないと決めつける訳ではない”という表明である。教育勅語の暗誦は幼児教育としては相応しいとは言えないが、教育現場一般において教育勅語を直ちに否定したくないという安倍政権の姿勢を表している。

しかし、教育勅語を歴史教育ではなく、道徳や国語の教材として用いることは、憲法の精神に違反する。何故なら、教育勅語の中心に「一旦緩急アレバ義勇公二奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ」(いざとなれば天皇の為に命を賭けて戦いなさい)と書かれているからである。そして、その姿勢は天皇の忠良なる臣民というだけでなく祖先の遺風を尊重することになると書かれている。

これらの文章は、天皇が日本国民統合の「象徴」であるとする、日本国憲法の考え方に反する。菅官房長官は、これが「憲法や教育基本法の精神に合致しないという訳ではない」とどうして言えるのか?

ここで思い出すべきは、自民党の改正憲法の草案である。その第一条には、「天皇は国家の元首である」と明記されているので、その憲法に改定された時には教育勅語は一定の位置を再度獲得することになる。つまり、官房長官の談話は、憲法改正を目指す安倍政権の姿勢を踏まえているのである。

2)民主主義という基本的価値を日本も受け入れた筈ではないのか?
最近読んだ本にニーチェのアンチクリストの現代語訳版があり、その概要と感想を数日前に書いた そこには、人間の性質や能力の優劣の分布は大きく、高度に人工的に組み上げられピラミッド型の社会において、キリスト教的な全ての人々の自由、平等、博愛といった価値を政治の世界に展開した民主主義政治は破滅への道であり、その政治体制の発明はユダヤ民族の企みであると記述してあった。(「キリスト教は邪教です」摘菜収訳、ブログ記事:https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43225234.html

英国やフランスなど西欧の歴史において、そのキリスト教文化の中で議会制民主主義の政治体制を作り上げた。その政治体制が不十分極まりないと言っても、それ以上の体制を知らない(チャーチルのことば)というのが近代の結論だったと思う。それを受け入れ、且つ、全体主義に陥った反省を込めて、近代国家として再スタートするべく制定したのが、現在の日本国憲法の筈である。

その日本国憲法に欠陥が残るとしても、それは第9条:日本国軍を持ち得ないという条文であっても、第1条:天皇が日本国民統合の象徴であるという条文ではない。それを改定して天皇を国家の元首とし、過去の精神風土の再現を目指すのは「歴史修正主義(リビジョニスト)」の名乗りを上げることではないのか。

3)国際政治において、国家の方向は善悪よりも長期的視点で見た損得で決めるべきだと思う。善悪に関して、共通の物差しは存在しないからである。従って、欧米の政治文化が今後も続くと考える以上、欧米の基本的価値である自由、平等、人権とそれに基づく民主主義を共有することは、最善という訳ではないが得であると思う。そのためには、現在の民主主義体制に至った西欧の歴史プロセスやその際に発展した政治哲学から学ぶべきだと思う。(補足1) また、不足する部分(アンチクリストにあるような)の補完に関しても欧米を見本にすれば良いと思う。

明治維新以降の日本は、西欧の進んだ科学技術と政治体制を学び実施することを急いだ。そのために、議会制民主主義という政治の形を学んだが、その成立の過程をあまり学ばなかったのではないのか。東アジア諸国は、英国やフランスで作られた現在の標準的政治体制形成のプロセスを知らないので、西欧と深刻に対立する可能性を持っている。

この地球上に生き残る文明が、西欧文明である可能性が高いとすれば、遠回りかもしれないが、西欧の政治体制の成立過程を国民の常識として持つべきだと思う。それは政治の世界における、ISO (工業製品の国際規格)のようなものだからである。

その視点から、現在自民党(多くの自民党幹部が参加している日本会議)の考える日本国憲法草案(天皇を元首とする)は、日本国の将来あるべき姿とは一致しないと思う。教育勅語の内容は、個人の自由や平等といった概念とは真正面から衝突し、輸入したはずの西欧型民主主義の精神とは一致しない。(補足2)今上天皇が天皇の地位に関係して、「象徴としての天皇のあるべき姿」を昨年の談話で何度も言われたのは、天皇を利用する政治のあり方に疑義を持たれているのだと思う。

補足:

1)社会契約説からジョン・ロックの政府二論までのところを少し”ネット勉強”をした。後者の考え方が参考になったので、以下に”超簡単に”概略を記す。(理系人間なので、このあたりには元々無知です。)
自然状態の人間集団から国家と国民の体制を作ることは、自然権(人間が生まれつき持つ権利)の一部を一旦国家に譲渡することになる。その権利を継承した立法府が国民の意思を法として作り上げ、それを行政府が実行する。それが国民の意思を十分反映しないときに、政府が支配者にならないためには、国民は抵抗権を保持しなければならない。その役割をするのが最高裁判所である。以上が、国民主権国家の具体的な形であると思う。
Common Wealth (共通の富)が国家の意味であることに注目するべきだと思う。

2)英国はUnited Kingdomであり、王国である。つまり、エリザベス女王は皇帝ではない。イギリスには国民が自由を宣言した権利の章典を不成典憲法としてもつ。天皇はEmperorであり帝国の主である。そのまま国家元首にすれば、日本帝国になるのは当然ではないか。

2017年4月5日水曜日

北朝鮮のミサイルが米国に届くかもしれないからといって、何故米国は北朝鮮を攻撃しなければならなくなったと言うのか?

日本に北朝鮮からミサイルが届くようになって久しいが、日本は北朝鮮を攻撃しなければならないとは考えていない。中国から米国にミサイルが届くようになって久しいが、米国は中国を攻撃すべきだとは言っていない。

北朝鮮が大陸間弾道ミサイルに核弾頭をつけたとしても、それを米国に打ち込むことは自殺行為だからある筈がない。金正日や金正恩をMad Manだと宣伝しても、誰が信用するのか?直接対話を拒絶している米国を対話のテーブルに招くために、核兵器開発をしていると最初から一貫して言っていたでは無いのか。

何を米国は焦っているのかわからない。米国が北朝鮮の国家承認をすれば何もかも静かになるのなら、簡単なことである。朝鮮半島を自由主義圏として統一する意思など朝鮮戦争でマッカーサーを解雇した時から一貫して無いのだから。

焦ったふりをして、北朝鮮を挑発しているだけだろう。もし、北朝鮮が先に攻撃してきた場合、真珠湾の時と同様、遠慮なく戦争ができる。ボーイングやロッキードなどの方々と肩を並べて、そんな話をしているのでは無いのか?

同盟国とそこに配備された米国軍に対する核の脅威を考えてのことなら、とっくの昔に北朝鮮に対して軍事行動をしていた筈だ。それを考えるのなら、今からでも日本や韓国に核配備をすれば済むことだ。朴正煕を暗殺したのは核開発を考えたからだという説がある。朴正煕が核開発計画に成功していたら、半島を統一した可能性が高いと思う。

この20年間の対北朝鮮政策は失敗だったなんていう発言は冗談だろう。元から、6カ国協議なんか、馬鹿げた枠組みを作って、韓国や日本が北朝鮮の核の脅威に怯えるまで時間稼ぎをしていたのだろう。

もう少しで、核の小型化が成功したところで、米国は西太平洋から引き上げるつもりだろう。それまでに一稼ぎできるのなら、それに越したことはないと、今準備をしているのだろう。最終的な目的は、要するに、日本、韓国、台湾などの経済的競争相手を潰すために、北朝鮮を育てたのでは無いだろうか。

地球は狭い。そこに繁栄できる国の数や人間の数は限られている。欧米人は、ローマクラブの成長の限界のような考えに基づいて、長期の戦略を立てている筈だ。当座の経済的利益からも、遠い将来の競争を考えても、東アジアの台頭は抑えたいと言うのが、基本戦略では無いのか。日本の対米追従の方々、どう思われますか?

2017年4月4日火曜日

主要農作物種子法の廃止法案を何の議論もなく通した衆議院

1)先月23日、衆議院は主要農作物種子法の廃止法案の質疑と即日可決を行った。このニュースは、日本共産党の機関紙である赤旗誌上を除いてほとんど報道されなかった。しかし、重要な問題を含む可能性が3月29日にアップロードされた動画上で、経済評論家の三橋貴明氏により指摘された。 https://www.youtube.com/watch?v=Gj5C-T9bQHE&lc=z13ceduygyrqgjiiw04cihoodpnhvneb3ow0k.1491198850140924

ここで主要農作物とは、稲、大麦、はだか麦、小麦及び大豆である。この法律は、主要農作物の優良な種子の生産及び普及を促進するため、種子の生産についての圃場審査その他の措置を行うことを目的とし、昭和27年に制定された。

その後、農業協同組合新聞(3月30日号)も、この法律の廃止は国民の基礎的食料である米、麦、大豆の種子を国が守るという政策を放棄するもので、種子の供給不足、外資系企業の参入による種子の支配などの懸念が生じているとの記事を掲載している。

この法律の廃止は、規制改革推進会議の議論が出発点にあるが、自民党の票田である農協が心配する様な法律を、審議もろくにしないで、即日可決するのは異常である。上記動画の紹介文(キャッチフレーズだろう)には、森友疑惑の真の目的は日本の食の安全を破壊する工作を隠す為と書かれている。

2)三橋氏の話から、この法案の廃止の背景として米国企業のロビー活動、または米国政府の圧力などの存在が推察される。

米国のバイオ関連企業にモンサント社という会社がある。ベトナム戦争の時に使われた枯葉剤の製造で有名になったこの企業は、遺伝子組み換え作物の種子の90%の世界シェアを持つ。つまり、除草剤などの農薬とそれに耐性を持つ遺伝子組み換え種子を用いる栽培法で、農業の世界支配を狙っているというのである。

実際、モンサント社の売り上げは、2005年に62億ドルだったが、2008年には110億ドル、2014年に160億ドルと増加している。この4四半期も連続して驚異的な利益増を記録している会社である。https://finance.yahoo.com/news/monsanto-mon-post-q2-earnings-134301076.html

モンサントの除草剤と遺伝子組み上げ種子を使う農業は生産性が高いが、いろんな危険性がある。一旦モンサント社式の農業を始めると、在来種を使う農業に戻れないことや、遺伝子組み換え食品の安全性は証明されていないことなどである。

種子法があればモンサント式農業は日本でできないが、そのモンサント社にとっての“障害”の一つを取り除くことになりはしないか(を目的にしているのではないか)と、三橋氏は指摘しているのである。

何故日本のマスコミは、いつも食の安全には相当神経質なのに、このニュースを報道しなかったのだろうか? マスコミが政府の米国追従姿勢を忖度したのではないかという司会者の冗談は、冗談で終わるのだろうか?

2017年4月3日月曜日

麻生副総理:北朝鮮有事警戒の呼びかけ?

3月31日の記者会見において、麻生財務相が北朝鮮情勢が緊迫していると喋ったという。何時ものように新聞には何も書いてないが、4月の米韓演習中から5月の韓国大統領選挙前までに何かが起こるだろう。https://www.youtube.com/watch?v=VIBZEJuOorA

米国の平壌爆撃、または特殊部隊の潜入、あるいは、急転直下の核廃棄と北朝鮮承認のセットとかのうちの一つ。

米国は、韓国軍と合同で朝鮮戦争を再開し、北朝鮮を占領するまで戦うというほどの覚悟はないだろう。中国の習近平は、北部戦区は十分抑えていないという説もあるので、積極的介入の約束は簡単にはできない。(昨年だったか、米中露による信託統治案が拒否されている。)中国での内紛(江沢民派と習近平)の可能性を恐れるからだ。

習近平の訪米が近い。その際、北朝鮮に援軍を送るふりや、米国避難を声高にするが、実際には何もしないという密約が中国がする最大限の譲歩だろうと思う。その見返りが、貿易不均衡の攻撃はあまりしないというのなら良いが、日本が絡んでくるのではないかと心配である。

対北朝鮮の作戦で最も簡単なのは、クーデターを工作して朝鮮内に米国の脅しを素直に聞く傀儡を作ることだが、そんなシナリオは事前には書けないだろう。やはり先ずは、特殊部隊を使った限定的な作戦だろう。その後に、誰かをトップに送り込む。ヨーロッパで大使か何かをしている金正日の腹違いの弟、金平日とか金平一とかいう人が急遽帰国して混乱を収拾するという筋書きである。

そのあと、米国と北朝鮮の和平の話し合いが始まる可能性がある。金正恩の下での米朝和解では、核兵器の廃棄までは進まないが(進まないと米国が予想していると思う)、新しく成立した北朝鮮の政府ならその線で話し合いが進む可能性がある。

ただ、特殊部隊を送り込んだ直後に金正恩の知るところとなると、ミサイルが日本の米軍基地に飛んで来たり、京城が攻撃されたりする可能性がある。それを避けるのにはもっと規模を小さくして、数人のスナイパーや無人機で金正恩が表舞台に出ざるを得ない時を狙うのが良いと考えるだろう。4月15日の金日成誕生日、4月25日の朝鮮人民軍創設記念日、5月1日のメーデーが候補だと思う。

それまでは、複数のシナリオを用意し大規模な攻撃を計画していると北朝鮮に思わせる。北朝鮮の諜報機関が、それを追いかけている間に小規模な作戦を実行するのである。素人の私が考えることは、この程度である。

2017年3月31日金曜日

ニーチェ著「アンチクリスト」の現代語訳(“キリスト教”は邪教です)の感想

1)ニーチェのアンチクリストの現代語訳を読んだ。キリスト教には乏しい知識しかないが、この本の批判に反対方向からキリスト教を眺めたような印象を持った。その批判のエッセンスは、「キリスト教は、全ての人は平等であると言う誤りを大多数を占める下層民に吹き込んだのだが、その個が平等な仮想社会は自然な人間社会を破壊するものである」ということだと思う。以下著者の考えとして私が理解したことを書く。

キリスト教をつくり布教した中心人物が、パウロである。イエスはユダヤ人の行なっていた儀式、律法の適用、お祈りなどが意味のないものであると考え、現実にとるべき行動として、“悪人に手向かうな、敵を愛し迫害する者のために祈れ、地上に富を蓄えるな”などと教えた。その生活スタイルを理解できなかった弟子たちが、十字架上で殺されたイエスについて、奇跡を起こす人や救世主であるとの話をつくり、俗受けする宗教を創りあげた。彼らが用いた、神による天地や人間の創造、あの世、復活、霊魂の不死、最後の審判などの話は全て捏造である。彼ら僧侶たちはそれらの嘘を武器に支配者となった。

パウロは、「神は世の中の弱い者を、世の中の愚かな者を、軽く見られている者を、お選びになる」と言った。キリスト教が弱者や貧者の味方をする宗教であり、それは人間の世界を暗く、貧しく、弱くした。そして、豊かに暮らし、美を賛美し、快活に自分の優れた能力を謳歌する人間、つまり強い人間を悪人(つみびと)として否定する。この人間社会の大多数を占める下層人に、上層に位置する人間の否定を教えたのである。

本来の宗教とその法典は、民族の生きる知恵の集積を、神の啓示や長い伝統として引きつぐ方法であるべきだ。キリスト教は、民族の色を持たずそれらを否定する。

2)健全な社会では、人間は自然と三つの異なるタイプに分かれる。精神が優れた人、筋肉や気性が強い人、それ以外の凡人である。凡人が大多数だが、選ばれたエリートはごく少数であり、彼らには「幸福」、「美」、「善意」などを地上に実現させたり味わったりする義務と特権がある。一方下層民には、物事を醜く捉える眼、物事の全体像に不満をいう“特権”がある。

不完全なものやレベルの低いものも世の中にはたくさんあるが、そういうものを含めて、世界の完全性は成り立つ。もっとも精神的な人間は、強者の自覚を持っている。彼らは、担う重い課題を、自分たちの特権と見なす。精神的に優れた人間は敬われるべきであるが、同時に彼らは快活で愛すべき人間である。彼らは人々(社会)を支配するが、彼らがそうしたいからではなく、彼らの存在がそもそもそういうものなのである。その下に、最も精神的な人の隣にいて、支配を行う時のゴタゴタした問題を引き受ける人が存在する。

このように人間が区別されるのは当然のことである。何故なら、高度な社会はピラミッドのようなもので、そして、広い地盤の上に築くことになるので、精神的に優れた少数の人とともに大勢の平凡な人間が必要となるからである。商業、農業、学問、芸術といった仕事は程々の能力と程々の欲望によって成り立っている。人が社会の歯車になって働くのは自然であり、何かをする能力があると感じる幸福感がそれを支えている。(労働は罰と考えるのは間違い。)

キリスト教は、悪しき平等の原理を多数の下層の人間に教え込み、この自然な社会を破壊する。ローマ帝国もキリスト教により破壊された。ルネサンスは、キリスト教の価値を退け、人間の自然な価値を取り戻す運動だったが、それを台無しにしたのがルターの宗教改革だった。カント等の哲学もキリスト教の悪しき影響の下の哲学である。

3)感想:
あの世の身分を操る権限を僧侶に持たせることは、現世に悪い影響を与えるのは当たり前である。日本の多くの人は神道の信者である。神道では神の意志を人は知り得ないので、神はただ祈るだけの対象であり、不幸に遭遇すれば諦めるしかない。また、大多数の日本人の感覚では、現世の行いの責任は現世において取るのみであり、死後の世界は現世に干渉しない。従って、日本人は本来現実的対応が取りやすい民族だと思う。

それでも、現在社会の多くの制度に、キリスト教の考え方が取り入れられている。その中で最も重要なのは、民主主義だろう。大多数の凡人が最高の決定権を持つという民主主義は、西欧諸国(キリスト教圏)において、欺瞞的な政治制度として定着している。つまり、実権をもつ一部の支配層の隠れ蓑になっている。それらの国では、民主政治にその伝統があるが、日本など欧米以外の国にはその“欺瞞”が定着していないので、政治的に成熟した国家になりえていないと思う。もしキリスト教がなかったのなら、主権者と現実の権力の乖離がこれほど大きくなかったのだろうかと考える。

ある大国が国際政治で用いる民主主義は、イエズス会の用いたキリスト教に対応するのだろう。

ニーチェがキリスト教(旧約聖書を含む)を嫌うのは、あまりにも巧妙にキリスト教の言葉ができているからだろう。創世記の記述は現代物理の考えによく似ているし、山上の垂訓の言葉は恐ろしいし美しい。創世記の天地創造の記述と現代物理のビッグバン仮説の違いは、専門家しか説明できないだろうし、山上の垂訓の言葉が“造花の美”であるとわかる知性は一般下層人にはないだろう。

この本の、「不完全なものやレベルの低いものも世の中にはたくさんあるが、そういうものを含めて、世界の完全性は成り立つ」と言う言葉は、一人の人間全体についても言えるのではないだろうか。もし、切り花の美だけを要求するような教えなら、それは本来の教え(宗教、たかい教え)ではないと思う。

<キリスト教の素養がないので、的外れかもしれませんので、批判よろしくお願いします。語句の編集あり(翌日朝)>

2017年3月26日日曜日

安倍総理を強引に弁護する自民党議員に恐怖を感じる

1)大阪府松井知事が、自分だけが悪者になるのが嫌で、安倍総理は全てを明確にすべきだ言った。政治は忖度することなのだという理屈はめちゃくちゃであることは、自分でも分かっているはず。(前回の記事)西田昌司議員や下村元文部科学大臣を始め、自民党議員は全て事実を知りながら、安倍総理とは無関係だと言い張って、大阪府に責任を押し付けているのだと思う。

西田議員の屁理屈にはうんざりする。大阪府私学審議会が、財務が極めて脆弱な森友学園の小学校開校を認可相当としたと攻めるが、それは片手落ちである。何故なら、財務局が土地を森友学園に売却するためには、大阪府の認可が必要だと大阪府に係官が出向いて圧力をかけたからである。(前々回の記事)全て首相の意向を”忖度”して、松井知事や近畿財務局などが行ったことだろう。今からでも、松井知事の反論をまともに受けて、8億円の値引きの問題を含めて全容を調査解明し、真実を国民に向けて発表すべきだ。

安倍総理が辞めれば、その麻生氏が首相になる公算が高いという。そもそも、あの件、麻生氏に近い財務省が経産省と仲の良い安倍総理を落とすために仕組んだという意見さえある。辛坊治郎氏の以下の動画の30分くらいのところを聞いてもらいたい。https://www.youtube.com/watch?v=iBIKe76R-h4 それが本当でなくとも、その様な説が相応しい世界なのだろう。人間の醜悪な面を見せられた感じである。

後に控えている人を考えれば、なんとか森友問題は収束させ、安倍総理に継続して政権を担ってもらった方が国民にとって得であると思う。(補足1)西田議員、下村元文科相、菅官房長官らをはじめ自民党幹部らは、安倍総理を助けるとしたら、事が起こる前なら遥かに簡単だった事を知るべきである。

2)自民党議員らは、不都合な真実は決して国民に明らかにしない人種である。自民党という組織はYKZAUAと同じで、皆親分が右といえば右、左といえば左を向く連中が構成員らしい。西田議員が森友問題を、大阪府の問題として地方に閉じ込めようと企む行為などは、その典型である。

つまり、日本の政治家は都合が悪くなれば嘘で塗り固めて、隠し誤魔化すのである。その背景には、彼らが世襲の政治貴族であり、一般国民とは違うのだという意識が根底にある。つまり、一般国民と共に政治を行うのだという考えが皆無である。

予算委員会で麻生氏の答弁の様子を見たが、YKZのような態度と口の聞き方である。山本一太委員長に注意されたあの態度と言動、あれが自民党政治貴族の本質なのだ。論理や真実よりも、親分を庇い盛り立てることが、彼らの至上命題なのだ。(補足2)

YKZ的組織の弱点は、親分の間違いを自分の方から指摘する人間が内部にいないことである。内閣官房の人たちや、西田議員や下村議員のように安倍総理に近い人たちは、恐らく明らかになる前にこの件が危ないと気づいた人が多かっただろうと想像する。しかし、この世界では、それが当たり前のことか、当たり前でなければ親分に対して誠意ある指摘(という憎まれ役)ができないのだ。

政治の世界は有権者の審判を受けるので、その様な組織が担当しておれば、次々に有能な人が表舞台から消えざるを得ない。それが日本において、何時までたっても政治家の質が向上しない原因だと思う。

そのように自民党議員を再評価すると、現在重要問題となっているテロ等準備罪も、戦前の治安維持法と並べて警戒されるのは当然だと思う。だいたい、東アジア全体はまともな法治国家ではない(補足3)ので、治安維持法の時と同様に自分たちの政権が危うくなれば、北朝鮮のように邪魔者は消すための武器に変化するだろう。

テロ等準備罪は米国の子分である日本政府が、米国の嫌うイスラムとの対決の前線に出る可能性を念頭に提出するのだろう。政情不安になれば、気に食わない報道関係者も捕まえるだろう。なにせ、あれほど明確な森友学園との癒着さえ、嘘で塗り固めようとするのだから。日本を彼ら政治貴族が牛耳る限り、専制主義的国家になる危険性を持っていると思う。

補足:
1)「森友学園の教育が好ましく映った時期があり、支援もした。しかし、それは誤りだった」と謝罪したのち、事の収拾をしてほしいものである。”過ちを改むるに憚ること勿れ”を政治にも持ち込まないと、全ての人材を失った後、衆愚政治で国を潰すことになるかもしれない。
2)人間の関係よりも、事実と論理(神の領域)を重視するのはキリスト教世界の特徴である。民主主義はそのような人たちの制度であるので、それを採用する以上、その文化に学ばなければならない。
3)日本では憲法9条の(馬鹿げた)条文の解釈を極限までごまかして、自衛隊という軍隊を持っている。中国には国際法という考えがなく、チンギスハーンが一時支配した土地も全て領有権があると考えているらしい。韓国は法律ではなく、2000年の恨みが政治を支配している。

2017年3月25日土曜日

森友学園問題:松井知事が爆弾発言

松井大阪府知事は、安倍総理が森友学園の問題を長引かせていると、以下のように言っている。「この問題の本質をきちっと説明できなく、わからなくしているのは、僕は皮肉にも安倍総理だと思う。忖度(そんたく)はないと強弁しすぎているんです。なぜ籠池さんが”神風が吹いてきた”と言う様に、スムーズに手続きが進んだのかという部分。これはまさに忖度だったというのを認めるのが一番だと思います」 https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20170325-00000028-nnn-pol

つまり、以下の動画でも言っているように、「忖度にも良い忖度と悪い忖度がある。国民がそのような教育を望んでいるから、あれは良い忖度だったのだ」という趣旨の主張である。誰の意向を忖度したのか今ひとつ明確でない発言だが、この場合は安倍総理の意向を忖度したのだろう。そして、安倍総理の意向が、国民の意向に沿ったものだから、大阪府や財務局などの忖度は良い忖度であり、スムーズに事を済ませたと言うのだろう。https://www.youtube.com/watch?v=MleDbmHKmyc

忖度とは人の意向を汲むことだが、政治家が国民の意向を汲む段階は、選挙の前である。それも政治の方向や具体的な課題に関して、マニフェストなどを作成する際に行うのであり、決して個々の法人や個人を優遇したり冷遇したりすることではない。当選した事で、そのマニフェストが選挙民の意向を反映した事の証明になっているのである。安倍総理も松井知事も、選挙前に幼稚園児に教育勅語を暗唱させたりする教育改革を、選挙公約にあげていなかった筈だ。ましてや、官僚にあの様な忖度する機能(能力、職能)などない。松井知事の発言は”むちゃくちゃ”である。

松井知事は、そんなこと位わかっていると思う。ただ、「安倍総理の意向を汲んで動いたのは、自分だけではなく、近畿財務局も航空局も動いたのに、なぜ自分だけがハシゴを掛けたり外したりしたと、批難されなければならないのだ」という不満のやり場がないのだろう。自分だけが悪者ではない、ハシゴの忖度を我々に期待する様に仕向けたのは安倍総理ではないか?そう言いたいのだと思う。

これは爆弾発言である。

2017年3月24日金曜日

森友学園籠池氏証人喚問:証人喚問すべきは、最近まで籠池氏の代理人だった弁護士、財務省国有財産審理官、昭恵夫人付きの官僚、大阪府知事などである

1)100万円の寄付金:
証言の信憑性をチェックする為に、昭恵夫人が講演した次週の月曜日に、籠池氏の証言にあった郵便局に100万円の入金があったかどうかを郵便局側から確認すべきだと思う。何故、その確認をしないのか不思議だ。それ以外の方法では、この発言の信憑性をチェックするのは困難である。しかしこの件、昭恵夫人と籠池氏の発言の食い違いに最終決着をつけるのは困難であり、これ以上議論するのは無駄だとおもう。

2)籠池氏が、建設用地に関する定期借地権契約期間の5倍延長(買い上げまでの期間の5倍延長)か買い取り価格を半減させる交渉を、明恵夫人(当時名誉校長)に依頼した件は重大である。財務省の国有財産審理室長よりそれらは困難であるという返答をもらい、総理大臣付き職員かFAXでその結果を籠池氏に送った(2015/10)。籠池氏の証言では、この件最初明恵夫人の携帯に電話して依頼したが、夫人は海外におられたので、総理大臣付き官僚の谷氏に連絡をとり、谷氏あてに封書で依頼した。

この件、明恵夫人は直接関わっていないとFACE BOOKか何かに書き込まれたようであるが、明恵夫人つきの官僚が財務省と交渉を行ったのは事実なので、昭恵夫人と籠池氏の関係が今日の証言にあったような関係であることは疑いない。今夜のBSフジのプライムニュースで解説者の田崎氏が「一般人による陳情であり、この件は違法でもなんでもない」と話していたが、それは違う。一般人では、この種の陳情はあり得ない。これは陳情というより交渉である。

格安の売買契約はこの交渉の結果と見るのがわかりやすい。兎に角、定期借地権設定、その賃貸料の計算、その後のゴミ処理料金8億円の計算などの根拠を、関係者を証言台に立たせて検討すべきであると思う。

3)今回の証人喚問で非常に印象的だったが、プライムニュースでだれも言及しなかったことがある。それは、中道組という建設会社の推薦で籠池氏の代理人となった弁護士が、この売買契約、ゴミ処理の契約、学校認可などに深く関わっていることである。籠池氏の証言から考えれば、買取価格の設定についての詳細は、この弁護士の方がよく知っているように思える。

証言を聞いていて、私はこの建設会社とこの弁護士が籠池氏の意向を受け、自分たちの利益も考えて脚本を書き、それに従って籠池氏や昭恵夫人が動いていたようにも見えた。なお、中道組は最初に小学校敷地のゴミ処理を請け負った建設会社であり、その後の小学校建設にも関わった。

4)この昭恵夫人が格安国有地売却問題に深く関わった件で、安倍総理が辞任すべきか? 
この問題については、プライムニュースに参加した民進党の方の意見が妥当だと思う。この件が国会で取り上げられた直後、安倍総理が国会で自身か夫人が少しでも関与していたのなら、辞任すると明言された。

あたかも国会での議論を封じるかのような態度であったので、その行為に対する真摯な謝罪をすべきだと思う。辞めるかどうかは、現在の国際情勢を考え、プロの政治家らしく国の利益を第一に考えて結論を安倍総理自身が出して欲しい。

ただ、この最初の強い封殺の姿勢は、首相自身によるこの件に関するもっと直接的な関与があったからかもしれない。それが明らかになれば、辞任も仕方ないだろうと思う。私が最初にブログに書いた時の直感はまさに、この最後の形のプロセスである。籠池氏の素性にただならぬものを感じたのである。(3/23/22:00; 3/24/6:00編集)

2017年3月23日木曜日

藤井内閣参与の農家保護の論理はおかしい

米国の次期通商代表のライトハイザー氏が「米国産農産物の市場拡大の方向として日本が第一のターゲットだ」と発言したことに関して、内閣参与の藤井聡という人が自分のフエイスブックにおいて、其のことばに反応しない日本に対して国家の体をなしていないと書いたと昨日朝のラジオ番組で言っていた。

その根拠として藤井氏は以下のように言っている:「保護貿易と自由貿易の適切なバランスが大事であり、現在の日本の貿易は過剰に自由貿易的である。何故なら日本は現在デフレだからである。更に、食の安全保証の意味からも貿易障壁を設けることで日本の農業を保護することに何の躊躇もいらない。」 https://www.youtube.com/watch?v=FVQXHqBxQDA

藤井聡という人は、政治経済のことなど何も解っていないと思う。こんなレベルの人を参与にする内閣は日本位だろう。日本がデフレなのは、国民が将来に不安をもち、預金志向が強くなり需要が縮小しているからである。自然な感覚に戻れば、需要が回復する筈である。つまり、政治の責任である。食の安全保障というが、日本の農業で生きられるのは5000万人くらい(食料の自給率から)であり、食の安全保障は旧態依然たる農家の保護ではなく、健全な貿易関係を国際社会の中で築くことである。

そのためには、日本の農業の生産性を上げて、欧米の農産物への輸入障壁を下げても、競争力を維持できるようにするのことが大切である。つまり、農業の大規模化や法人化を邪魔する障壁を無くする努力をすべきなのだ。農家の保護ではなく、農業の保護育成が大事である。何故、そのように政府は動かないか? それは、与党が民主主義を標榜しながら考えられないレベルの一票の格差を作り、農村部の票をたよりにしているからだ。

ところで安倍総理大臣は、ベルギーにおいてEUのトゥスク大統領らとの会談を前にそろって共同記者発表に臨んだ。その場で、保護主義の台頭を念頭におき、国際的な責任を共有するEUやアメリカと連携し、自由で開かれた国際秩序の維持に取り組む考えを強調した。

EUのトゥスク大統領も、安倍総理大臣との会談を前に共同記者発表に臨み、「経済力のある日本とEUがこれからも公平な世界貿易に関与していくことは非常に重要だ。EUとしては自由貿易協定の締結に向けて努力しており、近く締結されると信じている」と述べ、日本とのEPA=経済連携協定交渉の早期妥結に強い期待を示した。

つまり、この藤井という人の親分は、世界で強まりつつある保護貿易の傾向を、元の自由貿易の方向に戻そうと努力している。親分と反対のことを持論とするのなら、内閣参与なんか辞めたらどうか?

2017年3月22日水曜日

青山繁晴氏の国会質問は無視すべき:米国が北朝鮮に軍事介入しても、日本は拉致被害者救出を口実に自衛隊を派遣すべきでない

1)この3月17日に公開された動画で、安倍総理の勧めで参議院議員になった青山繁晴氏が国会質問に立った(参議院予算委員会)。そこで、米国が北朝鮮に軍事介入するとき、日本は拉致被害者の救出のために自衛隊を派遣すべきであると言っている。

青山氏は北朝鮮問題が分かっているとは思えない。金正恩がミサイルを開発して自分の国を窮地に追い込んでいるという発言も、米国の受け売りのようであり、根拠は明確ではない。この男は何者なのか。米国に知人が多いようだが、そこからの情報に踊らされているのかと思う。 https://www.youtube.com/watch?v=SdfA5ja0QRI

軍事作戦が実行された場合に備えて、拉致被害者を救うという名目で、再開された朝鮮戦争に自衛隊を参戦させようという米国の魂胆を代弁しているのだろう。日本国民に向かって米国の要請とは言いにくいが、拉致被害者の救出なら言い訳となり得る。しかし、参戦すれば日本内の米軍基地に核ミサイルが飛んでくるだろう。日本国内での一般市民の死者数は数万人規模だろうから、拉致被害者の数よりもはるかに多い。

また、国民が拉致されたことを北朝鮮のみの犯罪のように言うが、北朝鮮と国交がないので、責任の半分は国民を守れなかった日本政府にある。拉致被害者を取り返すのなら、日本から北朝鮮に宣戦布告するか講和しかない。後者をこころみて米国に潰されたのが、小泉内閣のときの日朝共同宣言とその後の国交回復の計画ではなかったのか? (補足1)

朝鮮戦争の終結は米国、北朝鮮、それに中国の問題であり、日本の問題ではない。6カ国協議は、米国の一部が朝鮮戦争を終結したくないので、棚上げにする口実だと思う。ティラーソン国務長官は、この20年間の対北朝鮮政策は間違いだったと正直に白状したのだから、今回は米国が中心になって独自に解決すべきである。(補足2)

2)米国の要請があっても、朝鮮戦争への参戦は馬鹿げている。ソールは火の海になり、日本も何万人という死者がでるだろう。日本は朝鮮戦争の再開ではなく、米国を和平へ導くべきである。核兵器の完全廃棄の要求は今や出来ないかもしれない。しかし、北朝鮮の安定を米国が保証すれば、一旦は静かになるだろう。

朝鮮半島を現状のまま安定化させるのは、日本の国益に叶う。中国も米韓同盟の勢力が国境まで近づくことを望まないし、日本にとっても中国支配下の朝鮮が釜山の先まで来ることは望ましくない。日本は独自防衛をシビリアンコントロール下で持てばよい。そのためには、天皇を国家元首とする自民党の草案を叩きだいにせず、9条第二項だけを改定する方向で出来るだけ早期に憲法改正すべきである。

米国には、北朝鮮を核保有する軍事大国に育てた責任をとってもらうべきである。その第一段階は、朝鮮戦争の終結と北朝鮮の承認であり、第二段階は在日米軍による核兵器の日本国内持ち込みを発表し、北朝鮮(本音は対中国)へのメッセージとすることである。(補足3)

補足:
1)小泉政権の時に、日朝両国は国交回復を目指した。しかし、拉致被害者の一部が一時帰国した直後、全ての話がこじれた。もし、この数名を約束を破って返さなかったのが破談の原因なら、責任は日本にある。何故なら、国交回復は信頼関係を構築するということであるから、一時帰国した人たちを北朝鮮に返さないのは、日本が相手国を信頼しないことを改めて表明したことになるからである。一部の帰国者を一旦北朝鮮に返さないことは、残りの大勢の拉致被害者を見棄てることになる。そんなことが考えられるだろうか?一時帰国者数名を返さなかったのは、何らかの原因で日朝国交回復が破談になったからだと考えられる。その原因として、米国の干渉以外になにがあるだろうか?中国の干渉なら、国民に説明がなされていると思う。なお、北朝鮮を承認していない主な国は、米国、日本、韓国である。
2)北朝鮮の軟着陸を一貫して主張してきた。その中の一つ、潘基文氏が必死になれば行えたという趣旨の投稿をしたことがある。
http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42389602.html
3)非核三原則という自分の手足を縛るような発言をし、それを自民党の党是とした佐藤栄作の行為は批判されるべきである。国家の代表的地位にある者やあった者が、ノーベル財団という一私的財団から、その在任中の政策と関連して賞を貰うということは、どこかの元大統領同様非常に愚かなことである。ノーベル財団が世界に平和をプレゼントする能力を持つのなら、話は別だが。
(11:10編集)

2017年3月21日火曜日

日本が東海の孤児とならないためにはどうすべきだろうか?

1)ティラーソン米国国務長官が中国国家主席の習近平と会談した。NHKテレビで放送されたところでは、トランプ大統領と違って紳士的であり、中国も評価&期待しているとのことだった。いつものことだが、NHKニュースは何の情報も含まない。NHKは、ティラーソン国務長官の習近平主席との話し合いで、北朝鮮問題解決について何も達成できなかったということがニュースになるとは思っていないのか、言いたくないのだろう。NHKは日本国民のための放送局なのかどうか、私にはわからない。

3月3日のブログ「北朝鮮の体制転覆は暫くないだろう」で、以下のように書いた。

これまで通り、最終的には爆発する風船を金正恩は更に大きく膨らませるだけであると思う。その風船を割るのは、おそらく中国だろう。米国はずっと前に朝鮮戦争の終結をすべきだった。東アジアに混乱の種を残すという、悪の報いは本来米国が受けるべきであるが、北朝鮮が統一朝鮮になる時、東に逃げるだけだろう。

その際に、第三次大戦にはならないと思う。米国も核戦争は望まないからである。その朝鮮有事の後、朝鮮半島は統一され中華秩序の中に入るだろう。そして、米国は東アジアに残留する力も理由もなくなり、日本は西太平洋の孤児となるだろう。中国と朝鮮にこれまで以上にいじめられ、領土と富を失うようになると思う。出来るだけ早く、日本独自の防衛政策を考えるべきであるし、そのために、国民に広く現在の脅威を、国際政治の真実を知らせるべきだと思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43190407.html

ここで、中国と統一朝鮮にいじめられる日本の姿は、韓国のパククネのこれまでとこれからの姿と相似であると思う。彼らには、論理も法による支配もよそ事である。

2)評論家の北野幸伯氏は、メイル記事でティラーソンの中国訪問で北朝鮮問題に進展はなかったと書いている。米国は北朝鮮のICBM関連技術の完成前に、核開発を止めたいのだが、その方法として中国の不介入の確約を得た上で、軍事介入して金正恩体制を崩すことを考えている。その上で、米国を中心とする米中露の信託統治にしたいのだろう。単に金正恩を倒すだけでは、何の解決にもならないからである。 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170227-00051039-gendaibiz-bus_all&p=1

そのプランが不可能だと判ったとき、トランプ大統領はどのような手を考えるだろうか? その答えは一つしかない。北朝鮮の承認と経済援助と引き換えにICBMの開発をしないと約束させることである。そして、経済援助は日本に丸投げすることになり、日朝関係の改善は小泉政権時代の段階に戻ることになる。

あの時なら、日本を核ミサイルで攻撃する能力を持たない北朝鮮が実現したかもしれないが、今は違う。日本が北朝鮮へ経済援助をする理由はない。経済協力するのなら、米国による小型核技術の完全供与を条件とすべきである。しかし、安倍政権やその他の政権では、そんなことはできそうにない。

北朝鮮はその米国の現実的な取引には乗るだろう。米国が北朝鮮を国家として承認すれば、ICBMなんか重荷になるだけで不要である。米国のトランプ大統領は元々孤立主義的であるから、ホワイトハウス自体には大きな抵抗はないだろう。小型化した核兵器は対日本や対中国の戦略として残り、北朝鮮にとって残る課題は、経済復興と合併という形での韓国併合だけである。

ティラーソンはその案を習近平には示さなかっただろう。それを示せば、習近平は悩むかもしれない。何故なら、北朝鮮との関係は江沢民派が強い北部戦区が握っており、習近平は元々この問題には弱いからである。(補足1)

3)そのような米朝講和の方向に決まった場合、日本は米国の命令で日朝講和(日朝基本条約と一兆円規模の経済協力)の話し合いを同時進行的にするだろう。その後、経済発展した北朝鮮は左傾化した韓国と統一することになると思う。

そして、米国は防衛ラインを第二列島線まで下げて、太平洋は孤児となった日本を残して、凪の時代に入るだろう。

ここまでの話に変化が生じるとしたら、日露関係しかないように思われる。昨年の11月に、進まない日露関係に苛立ち、日露関係よりも日中関係を重視すべきという記事を書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43075463.html その後、その稚拙な考えに気づいて、その記事を私の意見としては削除した(記事そのものは残した)。

朝鮮半島が中華圏の中に入り、米国が第二列島線に遠ざかれば、中国の国内政治が利用するのは反日感情である。その中毒から抜け出ることは、第三次世界大戦がない限り永久にないだろう。

もし、ロシアに民族的な反日感情がないとすれば、日露関係が唯一、日本が東海の孤児とならない鍵となる。ロシアはシベリアでの中国との長い国境を維持するためには相当の努力を要するが、それにはシベリア東部での経済開発が必須だろう。地政学的に中露関係が相互に牽制しあう関係なら、日本がその関係を安定的に保存するため協力するのは、悪い話ではないだろう。

日本は以上のような長期戦略として考える以上、国後と択捉の返還は諦めることになる。そのためには、日本政府はサンフランシスコ講和条約の内容を正しく国民に理解させる努力をする必要がある。吉田茂が国会答弁で、放棄した千島に南千島も含まれると明言していることを、国民に周知すべきである。もちろん、ロシアが今後の日露関係を考えて、国後を返還するということになれば、日露経済協力は急速に規模を大きくして進むだろう。

補足:
1)中国はこれまでの7つの戦区から5つの戦区に分けるように変更したという。(川添さんの動画参照)

2017年3月20日月曜日

政争の具にされた豊洲地下水の汚染問題

1)豊洲移転問題は、元々二つ存在した。一つは敷地の購入や建設に関係した不正があったかどうかであり、もう一つは築地から豊洲に移転すべきかどうかである。前半の問題について、不正がありそうだと小池東京都知事が考えて、それを明らかにしようとする当初の努力は評価できるだろう。(補足1)しかし、後者、つまり食の安全から考えて直ちに移転すべきではないと判断したことは間違っていた。食の安全が脅かされるという根拠は何もないからである。

都知事は、両者の区別を明確にし、最初から計画通り豊洲に移転すべきだったのだ。問題を大きくして、敷地購入や建物の建設に絡んで不正を働いたものたちを追い詰めようと考えた、政治的策略がおろかだったのだ。この問題の議論か口論かわからない騒ぎを見ていると、現在の政治の特徴が見える。つまり政治の舞台には科学も論理もない。それは有権者一般に、科学に対する知識も畏敬の念もないからである。

「豊洲から採取した水から環境基準の100 倍のベンゼンが検出された」という事実は正しいだろう。しかし、その結果から何が言えるのか。そもそも検査した水は、法に水質基準が定められた地下水なのか?そして、その検査は何の為に行ったのか(行うのか)?それらさえ明確にせずに議論(口論)し、報道機関はそれらをそのまま報道している。

繰り返しになるが、この豊洲に移転するかしないかという問題との関係で、この水質検査の結果を正しく理解する原点は、先ず何を目的に地下から水を採取し、検査しているのかを明らかにすることである。目的が定まらなければ、水の採取方法も決まらないし、その結果の評価もできない。

つまり、市場が豊洲に移転した場合、一連の検査結果から考えてどのような不都合を生じるのか、都知事は根拠を明らかにすべきである。「不安を抱く都民の気分の問題だ」というのは、あまりにも非論理的非科学的な台詞だ。また、東京都の関係者は、何故検査に供する水の採取方法を替えたのか、その根拠を論理的に説明すべきである。「もうそろそろ豊洲移転を決定したい都知事を困らせるためだ」とは言えないだろう。

2)地下水とは広義には地下に存在する水のことだが、公の場で科学的に議論する場合は帯水層よりも下部に存在し重力によって流れる水である。(補足2)単に土壌に存在する土壌水や、廃棄物処理場の土壌に含まれる保有水は、地下水とは呼ばない。環境基本法やそれに付随した文書にある水質基準は、自然環境中を循環する帯水層以下の地層中を移動する水、地下水、を対象にし、その目的は飲用に供した場合に健康を害しないことである。(補足3)

東京都が行っている豊洲土壌から採取した水の検査は、科学的には地下水と言えない土壌の保有水を対象に、検査の目的もあいまいなままに行っている可能性が高い。何故なら、地下に作った採取用の溜に流れ込んでくる水ではなく、其処に長期間滞在した水を採取し測定に供しているからである。帯水層より上の残存した廃棄物を含んだ土壌から流れ込んだ水を対象に、有害物質濃度を測定している可能性が高い。そして、その数値の意味もわからないままに騒ぎを煽っている?可能性がある。

環境基本法に付随した文書の付表に(補足3)、ベンゼンに関する基準として0.01mg/Lという数値が書かれている。その100倍とは、1mg/Lである。つまり、最近豊洲地下の埋立地から採取された保有水は、1.0ppmの濃度でベンゼンを含んでいたことになる。しかし、ベンゼンの水への溶解度は1.8g/L(15度C)であるから、その水からはベンゼンは空気中に漏れ出ることはほとんどない。従って、豊洲市場で通常の業務を行う上で何の障害にもならないだろう。

しかし、一旦築地からの移転をストップした知事は、検査の数値が大きくなる情況では、引っ越しを出来ないだろう。また、移転をストップしたのは間違いだったと謝るほどの勇気はないだろう。この問題を政争の具にした都知事の責任は大きい。

補足:

1)東京都が、豊洲の土地を瑕疵担保なして買い付けたのは、おそらく安く入手するためだろう。厳しい基準や法令を作りそれに厳格に従うと、経済的には非常に高くつく。それをかい潜って安く現実的に解決しようとすると、後で責任を問われる。体験談でもあるのだが、公務員になって一番得をする人は、あまり働かず、しかしサボらずに出勤して給与と年金をもらう人なのだ。
2)辞書(広辞苑第二版)で見ると、このように書かれている。「地下水:地層・岩石の空隙や割れ目に存在し、重力の作用によって流動する水。自由面地下水と被圧面地下水とがある。飲用・灌漑・工業用水などに利用」とある。またウィキペディアには学問的視点から地下水についての詳細な記述がある。
3)環境基本法http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H05/H05HO091.htmlやそれに付随した文書http://www.env.go.jp/kijun/tikat1.html(環境基準値が示されている)を見ても、法の目的として「地下水の水質基準を定める目的は国民の健康で文化的な生活を守るためとしか書かれていない。地下水の水質基準については、「飲用などに供する場合の基準」と何故明確に書けないのか?それが、この問題が大きくなった一つの理由だと思う。

2017年3月18日土曜日

人の評価の物差として、善悪より美醜がより普遍的だが。。。。

1)一週間ほど前に、一年以上前に書いたある事件に関するブログ記事に対し、コメントをもらった。その返事も兼ねてここに人間の行いの善悪について書く。事件とは、ある介護ヘルパーが、88歳の老人を介護する際に数千円の現金を盗んだ件である。隠しカメラを仕掛けた親族が発見し、赦しを請うヘルパーを警察に突き出し、その映像や音声データなどをテレビ局にも渡した。テレビ局で放映されたのだが、情報提供に対し謝礼を渡さなかったとの断りは特になかった。(補足1)

この件に関して、親族の行為はやりすぎではないかと書いた記事に、「ヘルパーとしての賃金ももらって、さらに窃盗までするヘルパーには、慰謝料も支払ってもらうべきです。ただの泥棒より、たちがわるい。」というコメントをもらったのである。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42650671.html#43195544 

この種の介護では、老人と二人きりになる場合がほとんどなのだから、分かりやすい所には現金を置かない工夫とか、窃盗行為を防止できるように用意していることを、予め知らせる工夫はできなかったのか?自分たちが本来するべき老人の介護を代わってしてもらっているという、本来の社会における仕事の意味を正しく理解しているとは思えなかったのである。(補足2)

勿論、その介護ヘルパーは犯罪人として警察の厄介になるのは当然だが、隠しカメラとマイクで周到に証拠をつかみ、警察に突き出す行為に“醜さ”を感じたので、裁判で弁護人となった気持ちで書いたのがそのブログの文章だった。そのコメントに対する十分な答が出来なかったことが本ブログ記事を書く動機の一つである。

更に、隣国がドイツに“北朝鮮の喜び組という性奴隷の少女”をモデルにしたような像と旧日本軍が韓国人の少女を強制連行して性奴隷にしたという嘘を書いた石碑とを建立して、日本を攻撃することに対する怒りも動機の一つである。 http://www.sankei.com/world/news/170309/wor1703090029-n1.html

2)人間の行為を形容することばに善悪や美醜がある。ある行為が善か悪かは、一般的な社会のルールに違反しているかどうかで決まる。一方、美と醜で評価する場合、必ずしも善が美に、悪が醜に対応するわけではない。

人は言うまでもなく生命体であり、生命体は他の生命を奪って生きる宿命にある。その奪われる命の中には、人のものも含まれる。限られた空間とその資源では、地球は無限の命を収容できないのである。しかし、人の命を奪うことは、当然善悪の物差しをあてれば極悪だろう。つまり、全ての人間が善の中に分類されることは不可能であり、自分が善であるとの前提で人を裁くのは愚かなことだと思う。

つまり、ある行為の主と対象となる人が異なるグループに属するばあい、更に、異なる国に属する場合、善悪は行為を評価する物差しとしては役立たない。従って、美醜の方が人の行為を評価するより普遍的な物差しと言える。

自分の近親者の介護を自分に代わって行っている介護ヘルパーに対して、その行動に猜疑心をもってカメラとマイクを仕掛け、千円札数枚を抜き取った場面の証拠をとって警察に突き出す行為は、罠を仕掛けてネズミを捕獲するような行為に見え、醜い行為に見えたのである。

また、自分たちの国の貧しい情況や戦争という極限情況に対する想像を封じて、併合されていたことに対する雪辱を果たすべく、日本を攻撃するための口実を捏造して世界の至る所に少女像と、日本人を攻撃する碑文を掲げる韓国の人たちの醜さを指摘したいのである。また、それに共鳴する振りをして、競合する日本国を引き摺り下ろそうとする西欧の醜くさも指摘したい。

3)この100年間、所謂科学技術文明の発展が人間の生きる空間を大きくした。世界大戦が終わり、平和な先進国に生じたのが、全ての人間が善を装って自由に生きられるという幻想である。その美しい幻想の時代に先進諸国で定着したのが自由主義であり民主主義ではないだろうか。その環境で産まれて生きた現在の人間たちのなかで、将来生き残れるのは早期に自分たちが生きるのは他の犠牲においてのみ可能だと気付いた人たちだろうと思う。

現在世界の歴史はそのような極点に到着している。その世界にあって22世紀に生き残れるのは、世界最強の国(米国やロシア)、現実的に対応できる絶対者が舵取りをする国(例えば中国)、そして、政治的に永い伝統を持った国家の中で保守政党が政権を握った国(英国など戦略に長けた西欧諸国)だと思う。つまり、強いものや狡いものたちが生き残れるのである。

生き残るための現実主義的考え方に対して、あくまで表の平和や人権などの論理で政府与党を攻撃するのが、革新政党と呼ばれる野党なのだろう。上記の次世紀に生き残る国は、淘汰される可能性のある国の中に(特に野党議員やマスコミ人として)、多くの諜報員を潜り込ませていると考えた方が良いと思う。その結果の一つとして、所謂革新政党に国の舵取りを任せば、国家としての道を誤る危険性が高いことを、既に国民の多くは気付いている筈である。(補足3)

現在朝鮮半島や中国が、日本の政治が混乱することを期待していて、そのように隠れたところで画策しているとしても、それは非難すべきことではなく、常識的な対応だと思う。実際に過去から現在まで日本の政治が混乱しているのは、特別な仕掛けで育てられた(P-trapやMoney-trap)人たちの活躍の結果かもしれない。

過去の非常時の出来事に対して、歴史の中に送り込み未来へ向かっての外交を約束した後にもかかわらず、人権尊重や性差廃絶など平時の善悪の基準に訴え、日本を攻撃する韓国の醜さ。それに共鳴する振りをしている西欧のずる賢さ。かれらに怒りを覚えるだけでは、そこから何も学んだことにならない。彼らは、上記歴史の転換点における生存競争において、生き残ることを真剣に考えていると考えるべきである。

結論であるが、人、人の集団、国家などの評価を行う際、思考の土俵(空間)を拡大すると、先ず善悪が役立たなくなる。そして、「生き残る」という生命の本質に関わる時、美醜も役立たずになるのである。

補足:
1)社会に警鐘を鳴らすためなら、報酬はうけとるべきでない。また、その犯罪現場がテレビ放送されたことは、加害者に対する処罰の追加に等しく私刑(憲法31条違反)に当たるので、映像や音声は警察だけに提出すべきである。
2)人間は社会を作り協力して生きている。その協力とそれへのお返しという、二人の間での協力関係を、お金を媒介にして多数の人の協力の輪に拡張したのが、労働と賃金という関係の本来の意味である。
3)社会党の党首が総理大臣になったことがある。そのときの談話が、未だに日本の政治的立場に悪影響を及ぼしているのは周知の通りである。 また、社会党元委員長、勝間田清一はコミンテルンのスパイであったと言われている。

2017年3月17日金曜日

森友学園問題、日本会議、天皇元首制の下での自衛軍保持

森友学園問題は、非常に深刻な問題を提起している。不公正な国有財産売却の問題も重要であるが、もう一つ、その学園の経営する塚本幼稚園で行われていた教育を、多くの政権与党の見学者が賞賛していたことも、それ以上に重要である。つまり、この問題に関わった人たちに共通するのは、日本会議という所謂右翼組織に参加していることである。そして、その幼稚園の教育は日本会議の本質を明確に示していると思われるのである。

具体的には、その幼稚園では教育勅語を暗唱させる教育をしており、そのことに政権中枢の議員たちは感心し歓迎しているのである。教育勅語にある、「もし危急の事態が生じたら、正義心と勇気をもって皇室の運命を助けなさい(一旦緩急あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし)」が、彼らの描く日本人のあるべき姿なのである。

その事実は、現在政権中枢にある与党メンバーの多くは、天皇は戦前の様に国家元首として日本人を束ねる存在でなければならないと考えていることを示している。そして、かれらの理想は、その天皇の権威で自分たちの統治が簡単になることなのである。これは明治維新の薩長下級士族の姿勢であり、彼らがあの戦争から何も学んでいないことを意味している。

その考えが既に発表されている自民党の憲法原案に反映されているが、それに基づいたシミュレーションの一つが塚本幼稚園での教育だったのだ。

今上天皇が“象徴としての天皇”の役割を深く考えておられることを、昨年国民へメッセージとして出された。それにもかかわらず、彼らは戦前の憲法にあるように、天皇を国家元首とする憲法草案をまとめた。

国民のほとんどは、この自民党憲法草案を読んでいないだろう。憲法改正に関しては、9条第二項の改正(自衛軍の保持)のみ強調されているが、それと天皇元首制とを組み合わせば、戦前の憲法に近くなるのである。私は、日本国は独立国として自衛軍をもち、核武装もすべきだと考えている。しかし、その軍は天皇を元首とする国家にはふさわしくない。従って、自民党原案を元に議論を開始するのなら、現在の政権による憲法改正に反対する。