2017年2月28日火曜日

地球外生命存在の可能性と地球に似た環境の惑星の存在とを関連つける愚かさ

NASAが、太陽系から比較的近いところに水が存在するかもしれない惑星を持つ恒星について発表した。その恒星は名前をトラピスト1というのだそうである。この発表について、“「地球に似た7つの惑星を発見」――NASAの発表を正しく理解するために大切なこと”と題して、ヤフーニュースが解説している。 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170228-00130944-hbolz-soci その記事の中で、この種の惑星の存在についての発表が以前からあったと断わりながら、それらと比較して今回の発表の重要性について説明している。そして、その記事の筆者は「地球外生命の有無の答えが出る日は近付いている」と書いている。(補足1)

私は、地球に似た温度や気圧の環境と水が存在する惑星が、多数宇宙に存在する可能性があるだけで、地球外生命が存在するかもと騒ぐ神経がわからない。私が考えるこの発表の大事な点は、NASAがトランプ政権下でどれだけの予算を獲得できるかという点に影響を与えるかどうかだけである。

現在の科学の知識では、生命はどの様な環境で、そして、どの様なメカニズムで発生するのかさっぱり解っていない。第一に、高度で複雑且つ精密な組織である生命の発生は、エントロピー増大の原理が支配するこの宇宙で不可能だと思う。つまり、この地球上と同じだが生物の存在しない環境が宇宙にあったとして、そこで数十億年待っても、必要な数の分子が集合して一つの原始的な生命体が生じることは、確率論としてはあり得ないだろうと思う。

従って、地球外生命の存在の問題は、信仰の問題であり、NASAの担当する科学の問題ではないだろう。生命とは、精巧な何百という化学物質の極めて高能率な合成の場であり、その量を精密に制御するシステムを持ち、外敵に対する情報収集システムに戦闘システムとか、数え切れないほどのシステムが調和的に共存する巨大複合システムである。それを記述すれば、生命以外の全宇宙を記述するよりも遥かに大きい書物になるだろう。

我々人間は、この生命体の主のように思っているが、単に一刹那の間借り人にすぎない。そして、生命の発生については何にも知らない。そんなレベルの存在が、宇宙のなかに水が存在する星が多数存在し、そして、その星の温度や圧力が地球上の値に近いかもしれないという知識を得ただけで、地球外生命が存在する可能性が高いとか低いとか、其の答えがもうすぐ出るとか言うなんて、愚かにも程がある。

補足:
1)以下にまとめる。「太陽系から39光年という、比較的近いところでの発見であること、また惑星を7つ、さらにハビタブル・ゾーン(地球上のような生物が棲むに適した領域)の中に限定しても3つも惑星が発見されたということ、更に、トラピストは赤色矮星という星で、宇宙にもっとも多く存在する星で、それらに生物が住めるような環境の惑星が共存する可能性が高いとなると、それだけこの宇宙のどこかに生命がいる可能性が増えることにもなる。
今の時点では、地球外生命がいるとは言えないが、しかし、いないとも言えず、私たちが探し続けさえすれば、いつかは見つけることができる可能性は大いにある。今はまだ、その日がいつなのか、近いのか遠いのかさえわからないし、もちろん空振りに終わる可能性もある。けれども、今回のような研究や、最新技術を使った新たな望遠鏡によるさらなる探索によって、少しずつ答えに近付いていることは間違いない。

2017年2月26日日曜日

安倍総理夫人は反日団体に利用されたのか? 森友学園騒動

安倍総理夫人は反日団体に利用されたのか?日本の官界にも、反日ネットワークがあるのでは?
(以下は全く私的な杞憂を文章にしたものです。根拠が在るわけではありません。)

森友学園騒動は、豊中市に同学園の小学校を開設すべく、国有地を異常な格安価格で購入した件である。ゴミが未処理のまま残されていて、その撤去費用を差し引いた価格であったと当局から説明があったが、ゴミの撤去費用を別途見積もっても、そのような廉価な取引価格にならないと指摘され、問題になっている。   http://www.huffingtonpost.jp/2017/02/21/moritomo-gakuen_n_14901650.html

この件が深刻なのは、安倍晋三総理の夫人が同学園の名誉校長になっていたことであり、一大スキャンダルに発展しそうな雰囲気である。その学園の教育は、小学校で教育勅語を暗誦させるなど、極端に右翼的なものだと報道されている。安倍総理は、特別な関係がないと否定しているので、一部の反日勢力が仕組んだ可能性がある。

つまり、右翼的な学校教育を広める活動に総理や総理夫人を巻き込み、その威光を暗に利用して国有地の不正売却の手続きを、近畿財務局に行わせたのではないだろうか。最初から、その後発覚することを見越して、あるいはその後報道機関にリークして、安倍内閣のスキャンダルにするつもりだったのではないだろうか。

彼らの動機であるが、安倍内閣が長期政権となる可能性が高まり、その結果日本の政治が安定し、且つ、日米の連携がより緻密になる事を嫌ったのではないだろうか。つまり、安倍総理とその怪しげな学園との親密な関係を演出し、安倍内閣を潰す計画である。

右翼には二つある。一つは日本の伝統を大事にして、それらが廃れないような日本を取り戻そうとする右翼であり、もう一つは反日右翼である。後者は、反中国や反朝鮮を過激に叫び、結果として日本と隣国の関係を悪化させ、同時に日本の国際的評判を落とすことを目的に活動する隠れ反日団体である。ヘイトスピーチでマスコミを騒がしているのは大抵後者だろう。(例えば http://www.geocities.jp/uyoku33/) 今回の異様な土地売却事件は、その反日の本質を右翼で隠した団体が、今ひとつ警戒心に欠ける総理夫人を使い、あるいは総理夫人がたまたま名誉校長であることを利用して、森友学園と財務局の間のどこかに介入して仕組んだのではないだろうか。

この件、日本の危機に発展する可能性がある。民進党議員には、我々と同じ日本の国益を第一に考える視点で、今後の国会でこの件に対応してほしい。

追加(2/27/am6:40):より詳しい解説が辛坊治郎さんの以下のサイト(動画の最初の17分間)にありました。https://www.youtube.com/watch?v=JGjJgf5j7jE

2017年2月25日土曜日

米国は北朝鮮を核保持国として承認するだろう

1)ワシントンポスト紙の配信記事によると、この3月中にでも北朝鮮は米国の元高官と両国の関係改善について話し合う予定とのことである。金正男暗殺事件がおこったので、北朝鮮代表団には未だビザは発行されていないが、3月中でなくてもこの話し合いが為され、トランプ政権との交渉に進む可能性が高い。 https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/north-korean-officials-are-preparing-to-come-to-us-for-talks-with-former-officials/2017/02/19/3f853c04-f6a8-11e6-9b3e-ed886f4f4825_story.html?utm_term=.701cf5ede211

このニュースは田中宇氏のブログで知った。田中氏の分析では、北朝鮮に核兵器の保持を認めた形で、国家としての承認と平和条約の締結が行われる可能性が高いという。(http://tanakanews.com/170223korea.php)これは非常に日本にとって危険な方向だが、米国は、元々日本を第二の台湾ぐらいにしか考えていないので、あり得る話である。

その様な北朝鮮との関係改善の道筋は、オバマ前大統領に近いと思われる、ウイリアム・J・ペリー氏(ビル・クリントン政権のときの国務長官)の論文“How to Contain North Korea”(どのように北朝鮮を封じこめるか;2016年1月)において示されている。http://www.politico.com/magazine/story/2016/01/north-korea-nuclear-weapons-contain-213516

この時オバマ大統領も、北朝鮮に米国本土までを射程に入れないレベルで核開発を止めさせ、中東などへの核兵器の輸出をしないなどの条件で、国家としての承認を考えていたのかもしれない。何十年も前に米国がやろうと思えばできた朝鮮戦争の終結である。(http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43008331.html;2016/10)。

2)これまで、北朝鮮がトラブルメーカーとして存在することは、米国の軍産共同体にとって米軍を東アジアに配備する理由となるため利益となって来たとおもう。

朝鮮戦争の引き金が、当時のアチソン国務長官の「朝鮮半島は防衛ラインの外」という発言により引かれたことも、その考えを支持する。(勿論、制海権の話だという言い訳は用意されている。) 馬渕睦夫氏が著書「国難の正体」において、これら“朝鮮戦争の不思議”について書いている。

そして、朝鮮戦争が休戦となっても、北朝鮮が国連加盟国となった後にも、米国はいっこうに戦争を終結しようとしなかったことも、上記の考えを支持する。このことについては、既に先月ブログに書いた。「北朝鮮に核兵器を開発させたのは米国である:ロイターの記事」:http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42622974.html

この米国の戦略が、日本から数十人以上の拉致被害者が出た主なる原因の一つだと思う。日本国は以上のことを知りながらかどうかわからないが、拉致被害者を取り戻すために、米国に朝鮮戦争の終結を勧めるのではなく、逆効果である制裁に協力してきたのである。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42633569.html

今となっては、北朝鮮の核兵器は近い将来米国本土を射程内にいれるだろう。いよいよ危ないという頃合いを見計らって、米国は北朝鮮との和平を考えたのである。核兵器を持たせないようなフリをしながら、米国は原発技術を北朝鮮にあたえたことも犯罪的である。

兎に角、近いうちに米国の戦略は一貫しているというように見せかけて、北朝鮮と交渉を開始するだろう。そのときに中国の協力が必須なので、一つの中国政策を承認するということを安倍総理の訪米まえに通知したのだと、田中宇氏は分析している。

北朝鮮が核兵器を持ち、最終的に韓国と併合すると、非常に厄介な国がとなりに出来る。そして、その隣の核大国中国は、武力を背景に沖縄列島や小笠原を日本から奪い取る戦略を進めるだろう。そのときの中国が用いる口実については、既に先日書いた。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43171854.html  しかし、米国の属国である日本は、米国のすることに文句をつけることなど出来ないだろう。

北朝鮮の核兵器保持を認めるということになると、国民は大騒ぎになるかもしれない。そこで、日本政府は国民を誤魔化そうとするだろう。その一つの方法は、核兵器など一日で出来るという宣伝を行うことである。実際、その宣伝を昨年何人かから聞いた。例えば安倍総理の勧めで自民党から参議院議員になった青山繁晴氏である。

かれは、youtubeでそのような動画を流したので、私が最低でも2-3年かかるとコメントを書いた。その結果、動画を削除した。(https://www.youtube.com/watch?v=ZUno2Lbrdfg)或いは、今後の戦略兵器は核兵器ではなく、もっと進んだ兵器が開発されると宣伝することである。(石原慎太郎:https://www.youtube.com/watch?v=U-z53jsnfDQ )

(冒頭の文章間違いがありました。お詫びします。26/am6:00; 以上は一国民の感想を書いただけです。其のつもりでお読みください。)

大学授業料無償化などすべきでない

1)今日の読売新聞朝刊4面の記事に関して、一言。 
自民党が大学授業料の無償化を考えている。その出発点は、安倍総理が今年一月に出した施政方針演説にある。安倍総理は、「誰もが希望すれば、高校、専修学校、大学に進学できる環境を整えなければならない」と語り、無償化に意欲を示した(読売記事)。大学無償化には3.5兆円ものお金がかかり、財源の問題で議論されているという。 

私は大学授業料無償化には反対である。それを実行すれば、大学は放漫経営に陥るだろう。今でもレベルの低く、無くても良い大学が山ほどあるのに、どうするつもりだと言いたい。日本はものづくりの国だというのなら、高校卒業後直ちに職人修行に入る人間なども必要だろう。先端技術を育てる一方、今しばらくはこの種の伝統技術の伝承にも資金を出すべきである。 

東芝やシャープの体たらくは、人作りが大事なことを示している。しかし、それは優秀な人を作ることであり、大卒の履歴を持っているが勉強などしなかったというレベルの人間を大量に作っても仕方ない。(補足1)安倍総理は、授業料を無料にするということを、経済刺激策の一つにしたいのだろうが、それは浅はかでは。財政支出はインフラ整備など、実際の投資(ある程度以上の乗数効果の望めるもの)にすべきだと思う。 

2)大学無償化よりも、大学生に勉強させることを考えるべきである。それには大学の講義をもっと面白くすることが大事である。講義を面白くするには大学教授の教育者としてのレベルを上げなければならない。レベルを上げるには、専門研究だけではなく、その学科が受け持つ全分野をしっかり教官自身が自分のものとすることが大事だ。しっかりと理解した知識だけが、学生の頭にスムースに流れ込む。(補足2)

そのため、研究と教育の分離、そして、大学と大学院の完全分離が有効だと思う。

大学や大学院での教官評価を、論文の数(論文誌のimpact factorも意味がない)で行うのも止めるべきである。論文での評価なら、論文のオリジナリティと質が大事である。それに加えて専門分野でのディベート力を評価に入れるべきである。大学などで一流の教官になることは、専門分野の研究で世界一流になるのと同程度に困難なことだと思う。 

大学は授業料をたっぷり取れば良い。それで学生を集められるような大学になるべきだ。そして、その代わり大学の特に後期課程や大学院の奨学金を充実させ、大学生にもっと勉強させることが大事だ。奨学金の選考には所属する大学と、それまでの課程の成績を判断基準にすれば良い。

補足:
1)これに関して改善しなければならないもう一つの問題点は、日本の人事のあり方がである。その原因にあるのは、労働力の流動性が極めて低いこと、更に、その根本には日本の労使関係の文化がある。つまり、日本の労使の関係は、労働の対価として賃金を支払う関係でなく、親方と家来の関係であるということである。仕事帰りの一杯は、その親分子分の関係と兄弟関係の確認である。
2)研究を優先すると、普段はせまい専門分野の中に閉じこもり、毎年授業の前に相当の準備が必要となる。資料を見ながらの講義ではスムースに知識の伝達ができないだろう。

2017年2月24日金曜日

「人を殺してみたかった」元名古屋大女子学生には極刑がふさわしい

1)殺人や殺人未遂などの罪に問われた元名古屋大女子学生(A、現在21歳)の裁判員裁判第16回公判が22日、名古屋地裁で開かれ、精神鑑定をした医師2人が出廷した。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170223-00000001-khks-soci

元女子学生のAは、昨年宗教の勧誘にきた老女を斧で殺害し逮捕された。Aは淡々と取り調べに応じ、高齢女性殺害について「人を殺し、達成感があった」と発言するなど、不可解な説明を繰り返した。また、取り調べの中で、高校生の時に人を殺してみたいという欲求が高まり、同級生らにタリウムを飲ませて殺害しようとしたと打ち明けて、二度逮捕されるなど異例の展開をたどった。

一昨日、犯人に罪の意識があったかどうかについて、検察側と弁護側双方が立てた鑑定医に対する尋問があった。検察側の医師は善悪の判断ができたという結果を、弁護側は善悪の判断ができなかったという結果をそれぞれ尋問に答える形で出した。下に読売新聞朝刊から取った鑑定のまとめを示す。


この鑑定が大事なのは、たとえ残虐な殺人でも犯人に善悪の判断ができない場合、その犯人を罰することができないと刑法38条(補足1)に書かれているからである。

ここで、弁護側の鑑定医の主張をまとめると以下のようになる。「犯行時には重度の躁状態で、衝動を抑えられなかった。発達障害のために社会性がなく、自分の意思とは無関係に「人を殺したい」という気持ちが湧く。そのような理由で善悪の判断ができなかった。」となる。

弁護側鑑定医は、論理的な考察の結果として無罪主張をしているのか?

2)先ず大事なことは、刑法にいう善悪の判断とはどういうことかについて、知ることである。(補足2)「善悪の判断ができない」という言葉の意味を考えると、①「殺人が悪として処罰の対象になるという知識がない」ということ(つまり、反社会的行為であるという知識がない)か、或いは、②「人が人を殺すことが、なぜ悪になるのかわからない」、の二つの場合がある。

②の場合は更に、②—1:自分の思想信条や宗教的見地、又は強い殺人嗜好の表明にすぎない場合と、②—2:殺人という行為は殺される側が望まないことであり、堪え難い苦痛を殺される側に与えることすらわからない、のふた通りある。刑法に於いて善悪の判断がつかない場合というのは、①且つ②—2の場合(つまり積集合)であると思う(理由は下に書く)。

刑法41条の「十四歳に満たない者の行為は、これを罰しない。」という条項は、同じ趣旨で、処罰しないケースを年齢で一律に分けた条項である。この年齢に達するまでは、精神の発達が十分でないため他人の苦痛を十分想像できない。(②—2)そのために、人を殺すことが重大な犯罪として処罰の対象となる根拠を得るに到っていないと考えられるからだと思う。善悪の判断がつかないとは、このような意味である。

3)今回の元女子学生Aの場合、「殺人が悪として処罰の対象になるという知識」はあった筈である(①に該当しない)。更に、「人は殺される時に苦痛を味わい、且つ故無く殺されることを望まない」ことを知っていた筈である(②-2にも該当しない;上図:弁護側医師の村上医師もそれには同意している)。何故なら、日本有数の名門大学に合格し、国語や社会などについて十分な学力を備えているからである。一方、Aには強い殺人願望があったという。それを「殺人が悪であるとは認識していない」と居直るのは、極めて身勝手な屁理屈である。


新聞記事によると、弁護側の医師は、「Aには自分なりの物事の定義があり、悪いことと認識していなかった」と述べた、と書かれている。(補足3)それは、上記の②—1の「自分の思想信条や宗教的見地、又は強い殺人嗜好の表明にすぎない場合」であり、Aの引き起こした殺人事件はその意味で、オームサリン事件などのテロリストやナチスのホロコーストと極めてよく似ている。

②—1として分類した、「人が人を殺すことが何故悪いのか判らない」というこれらの犯罪に対する場合、社会は(つまり国家は)テロリストから社会を防衛する姿勢で立ち向かうことになる。その戦いは戦争と殆ど同義である。それにもかかわらず、今回の犯人を日本国民として認め、殺人犯で裁くことは、むしろ温情による裁きである。

(以上は一市民の意見です。;25日朝編集)

補足:
1)刑法第38条 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。2 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。3 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。
同第39条:1.心神喪失者の行為は、罰しない。2.心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。
同41条:十四歳に満たない者の行為は、これを罰しない。
2)法律はその制定の趣旨に従って解釈しなければならない。 3)弁護士と相談してこのような意見を述べたのだろうか?

2017年2月23日木曜日

金正男を何故、キムジョンナムと呼ぶのか? 毛沢東はモータクトーと呼んでいるのに

1)馬淵睦夫氏の出演する以下の動画をみていてふしぎに思ったことがある。https://www.youtube.com/watch?v=TXlTNN-HzG8(補足1)

それは何故日本で、金正恩をキムジョンウン、金日成をキムイルスンと呼ぶのだろうか。中国の政治家に対しては、例えば、習近平はシュウキンペイと呼び、毛沢東をモウタクトウと呼ぶ。毛沢東をマオツオートンとは呼ばない。

我々日本人は知らず知らずのうちに、朝鮮半島の人に気を使い、そして、洗脳されているという証では無いだろうか。いつ頃からそのように半島の人の名前だけ特別に現地語読みに変えたのだろうか?

そう思って、検索して見ると、同じ質問をヤフーの知恵袋にした人がいた。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10112392080 この回答によると、ある韓国人が日本の法廷で、ボクではなくパクと呼ぶように要求したのが最初だという。それだけで、日本中で韓国語読みするようになるだろうか?

おそらく、マスコミ業界には朝鮮半島に気兼ねする強い空気があるからでは無いだろうか。日本国民の中は半島にそれほど気を使う空気がないのに、マスコミにだけそのような空気があるということは、半島に関する報道も日本人一般の感覚からは著しくずれていることを意味している。関係者に半島出身者が多いとか、何かトラップにかかっているとかで、マスコミ界の全体の空気が、ある種の汚染をしているのだろう。

日本のマスコミ関係者が気を使って朝鮮語読みしている状況証拠がもうひとつある。それはテレビに出演した大阪市立大学の朴一教授が、金正男など半島の人の名前を屡々「きんまさお」などと日本語読みすることである。朴一教授には、半島の人に気を使うという動機が存在しない分、客観的な態度が取れるのである。

つまり朴一教授は、日本人が朝鮮半島の人の名前を、気を使って現地語読みしていることをご存知であり、逆にそんな配慮は過剰であると思われているのだと思うのである。従って、学校等では歴史などの勉強の際に、毛沢東は「もうたくとう」、朴正煕は「ぼくせいき」と呼び、記憶するべきである。いちいちパクチョンヒと読んで覚えるようでは、まるで植民地ではないのか。

補足:
1)そこで議論されていたのは、金正男の暗殺事件および釜山に設置された慰安婦の撤去問題である。この動画中での馬淵さんの考えには全く同意できないので、ここでは議論しない。

独裁制と民主制のどちらが有利か?

1)「独裁政治は悪であり、民主政治は善である」という命題が真(YES)であるというのが常識のようだが、本当にそうだろうか?(補足1)

現在独裁国家と考えられている国として、中国や北朝鮮のほか、中東のシリア、アフリカのスーダン、コンゴ、ジンバブエなど数国と東ヨーロッパにベラルーシが存在する。中国の少数民族の弾圧や北朝鮮の粛清政治など、独裁政治には悪評がふさわしいように思われているが、そうでないケースもある。例えば数年遡れば、カダフィ大佐(補足2)の率いたリビアやニヤゾフ大統領のトルクメニスタンは独裁国だったが、産出した石油や天然ガスから得られる利益を国民に還元し、福祉国家を実現していた。

したがって、独裁国も様々であり、一様に批判するのはおかしい。一定の豊かさと時間がなければ、一般民が政治的意見をもち、それを吸い上げる代表が政治を行う民主政治など成立する筈がない。従って、他国の政治制度へ無闇に干渉することは、当然、内政不干渉の原則に反するとして批判されるべきである。(補足3)

更に、多くの民主国家は民主の仮面を被っているだけである。そして、その中の最大の国が行ってきたのが、独裁的な国際政治である。現在最悪のテロ国家と言われる北朝鮮だが、米国が話し合いに応じて、朝鮮戦争の終結と講和に応じていればずっと早い時期に、北朝鮮は核兵器抜きで中国式の国家に生まれ変わっていた可能性大である。その際、日本の拉致被害者も帰国していただろう。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/41810584.html

2)民主主義は良い制度なのか?
英国のチャーチルが「民主主義は最悪の政治制度である。ただし、他の制度を除いての話だが」と言ったといわれる。(補足4)チャーチルが政治の難しさを語ったのだろうが、自分が独裁者なら話は別だという言葉が心の中を過ぎったと思う。

もし、社会の構成員を個人ではなく国家だと考えると、つまり、国際社会のなかでの国家の繁栄と将来への生き残りが価値の尺度なら、民主主義は但し書きなしで最悪の政治制度だろう。そしてまた、”国で生きる国民とその子孫の幸福の総和を考えても答えは同じ”だろう。(補足5)

つまり、二つの互いに敵対する国があったとして、一つが独裁政治を採用し、もう一つが民主政治を選択しているとする。最後には恐らく独裁国が勝利し、民主国は滅びるだろう。その勝敗が決する最後の時点で国民の幸福度の総和をとれば、上記結論(””内)は明らかに「真」である。

世界を制覇する可能性のある中国の政治制度を考える。中国は、共産党の一党独裁国家である。政治のトップに存在するのが国家主席であり、その習近平を含めて重鎮7名(チャイナセブン)が強い発言力を持つグループである。第二位が李克強である。独裁といっても、北朝鮮の絶対王政のような独裁ではなく、トップと二番目がすれ違う時に無視する瞬間もあるという、メンバー間に批判(勢力争い)もありうる“集団指導体制”である。

共産党員になる名誉は一般民には高嶺の花であるから、上記の分類によると専制政治に近いと思う。(補足6)一般に、独裁体制は何かを決断すれば実行までの時間が短く、体制の新陳代謝など指導者の質を維持するシステムで存在すれば、有力な体制だと思う。そのために中国は、優秀な人間を党員にする狭き門を設けている。

民主主義体制下でも、民族が興亡の境目に至ると世論は沸騰して最終的に独裁に以降するのは、戦前のドイツや日本を見ればわかる。そして、その時既に時間的に余裕をなくしており、愚かな決断しかできない場合が多いのではないだろうか。

3)最終的には、純粋に民主主義体制をとるのは民族として自殺行為だと思う。それは世界では既に自明のことでは無いだろうか。つまり、米国が他国に民主主義体制を強いるのは、民族や国家の競争相手を少なくするための長期戦略であると考えられる。元々、米国は民主制という仮面を表に被り、裏に強力な諜報機関と我々には訳のわからない情報機関(シンクタンク)を組織する二重張政治制度を採用している。表の民主制が仮面にすぎないことは、多くの暗殺された大統領を思い出せばわかると思う。

ここで、ローマクラブによる “成長の限界等”の出版(1972;1992年)によっても指摘された、資源の枯渇や人口の増加により、近い将来、人類の成長の限界が来るということを思い出すべきである。地球温暖化の二酸化炭素原因説は、如何に諸外国の経済発展を抑えるかという問題意識からスタートしている。従って、もともと科学的には根拠の薄いインチキ学説であり、民主主義的先進国の作り上げた国際戦略の一つである。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/08/blog-post_26.html

また、欧米のグローバリストたちは、如何に現在から近未来において世界の経済を支配するかという視点で動いているだろう。その経済力は、地球が狭くなるに従って、弱小国の支配と衰退化に使われるだろう。そこで、モノを言うのが核兵器などの軍事力である。(補足7)(経済力と軍事力とは並行する)

そのような環境下で弱小国に落ちようとしている国は生き残るのが困難である。しかし、北朝鮮がこのまま朝鮮半島が核兵器を保持した国として残る野心を失わなず、体制を中国式に改善すれば、22世紀に地球上に生き残るのは、日本民族ではなく朝鮮民族ということになるだろう。それは工夫された独裁制が純粋な民主制に勝ることの証明となると思う。このような民主主義の仮面を被った、所謂先進国と競って生き残るには、或いは、それらの国々に優先して生き残るには、途中からこのレースに参加した国は独裁国になるべきかもしれない。

補足:

1)独裁政治とは、個人や少数の人または一つの党派が政治権力を独占する政治体制のことである。その中で絶対君主制とは、世襲の君主が独裁政治を行う政治制度である。固定的な支配層がそれ以外(被支配層)を支配する場合を専制政治という。独裁政治というばあい、国民の社会的身分に差がない。このあたりは自分の知識固めの意味もあって分かりやすく書いている。専制政治と独裁政治の境目は、支配階級が固定されているかどうかである。もし、共産党一党独裁国と言われる国家で、共産党員になれる人が世襲などでほぼ固定されているばあい、実際は専制政治的ということになる。また、社会主義人民共和国を名乗っていても、トップが世襲制と見なされれば、そして政治形態が独裁的であれば、その国は絶対君主制である。同じ独裁国でも、中国の政治は専制に近く、北朝鮮の政治は絶対王制に近い。

2)カダフィ大佐を殺害したのは、ヒラリー・クリントンの率いた米国国務省だったという説が有力である。カダフィ大佐についての日本などでも悪評は、米国等の宣伝である可能性が高いと思う。米国などがリビアの石油利権を得ることが、暗殺の動機だったといわれる。 http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-5564.html http://tanakanews.com/160301trump.htm

3)フィリピンのルテルテ大統領の麻薬関係者への非常に厳しい取り締まりを、米国などは非人道的だとして非難したが、それも内政干渉であると思う。何故なら、米国に麻薬取締が出来る訳ではない上、ルテルテ大統領の支持率が非常に高いからである。

4)チャーチルのオリジナルではなく、誰かの言葉の引用かもしれない。https://richardlangworth.com/worst-form-of-government

5)極少数の基本的人権などのルールに抵触することが独裁制の弱点だと考えられる。しかし、民主主義国の徴兵制などや闇の世界が行なっていることをかんがえると、360度の神の視点から見れば、人権無視という点でもそれほど差がないのではと思う。もちろん、ウイグル、チベット、モンゴルなどの不幸な状態は解消すべきである。しかし、民主制と独裁制を比較する場合には、民主制の旗頭の米国が行なってききたアジアや中東での政治介入も考える必要がある。そうすると、大差無いではないか。

6)ユン・チアン著のワイルド・スワン(WildSwans: Three Daughters of China)数年前に読み、感想文を書いたことがある。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/10/wild-swans.html

7)日本人の多くは、愚かにも平和と戦争を反対の概念と信じている。そして、核兵器は日本を平和に導くという論理など、驚天動地の屁理屈と受け取るだろう。情けない民族である。以下にいくつかのブログを引用する。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42722151.html; http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43129251.html

2017年2月20日月曜日

二重帳簿は人類の知恵なのか?:東芝の情けない姿を見て考える

1)東芝は日本を代表する企業の一つだが、子会社である米国のウエスティングハウス社由来の不良資産を、損金計上するタイミングを誤り不正会計処理をしていたことが明らかになった。そして、東芝の純資産は、既にマイナス(債務超過)になっており、いつ倒産してもおかしくない状況である。

不思議なのはそれでも刑事罰を問われる人が一人もいない点である。辞任すれば無罪放免では、今後もこの種の粉飾は行われるだろう。多額の退職金をもらって退職し、裏帳簿を引き継げば老後は安心という、無責任取締役がいたるところに出るだろう。もし、その後露見せず、優秀な後輩が経営を立て直してくれれば言うことがない。運悪く、露見しても経営陣の仲間と一緒にテレビカメラの前で、揃って頭を下げれば日本社会は水に流してくれる。この国は、彼らにはありがたい国である。

今回の東芝のケースは”日本病”の典型である。ホリエモンのような生意気な者は軽微な粉飾でも刑務所行きだが、遥かに大規模な会社の大規模な粉飾でも、謙虚にしておればムショ入りは避けられる。日本国は、西欧から借りたルールで社会は動いているように見えるが、いたるところに胡魔化しと不正がある。そして、司法機関の人たちも同じ最高学府出身の仲間であり、それを指摘する役割など存在しない。東アジアの他国の悪口を言う人が多いが、本質的に同じではないのか。

2)原因は以前から何度も書いている通りである。日本社会は、入口で全てが決まり、門を潜った後に能力を問われることはあまりない。この国で恵まれた待遇を受けるには、コネがなければ、高校まで懸命に努力して学歴をつけることが最も大事である。最高学府(T大学)に入れば、後は遊んでおれば良い。大学を出て会社に入れば、あとは皆仲良くチームで仕事するから大丈夫だ。これが日本の精神「和を以って貴しとなす」を具現化した近代日本の姿なのだ。(補足1)

大事なことは“仲良くすること”であり、それに気づくのは仕事で無能な者ほど早く、従って有利である。横に仲良くし、下には丁寧に接する。少し偉くなれば、朝、会社の玄関で掃除するデモンストレーションなども効果抜群だ。そうしておけば、不正などと肩苦しいことを言う奴は現れない。日本の文化では、ルールなどと言うものは非人間的なもので、幅を利かす存在ではない。なぜなら、人は生まれながらにして善だからだ。

しかしである: 
この言葉通りの純粋な生き方には、当然限界がある。所詮、それは表の世界であり、表帳簿だからだ。長い歴史を生き抜いてきた民族なら、性善説など通用しなことなど裏(本心)では百も承知である。つまり、二重帳簿を使い分けることが、生きる知恵なのだ。上記の生き方としての“仲良くすること”とは、この裏帳簿も同時に使い分けができることを意味しているのである。

その使い分けが出来ずに、裏帳簿の世界にズブズブに浸かってしまったのが、つまり粉飾決算と呼ばれて表帳簿に現れるレベルになってしまったのが、今回の東芝のケースだろう。粉飾して裏帳簿に閉じ込めるにも当然限度がある。その不良資産として計上するタイミングを逃してしまったがために、傷口を大きくしたのだ。

3)考えてみれば、二重帳簿の使い分けは人類の文化そのものではないのか?
つまり、性悪説という本質を表に出して、この高度な文明が築けれるだろうか?性善説を装い、性悪説を覆い隠すからこそこの文明が築けたのである。例えば、西欧のダンスの華麗な姿を想像するが良い。本来、性で結びついた男女の関係を見事に、美を生み出すエネルギーとして利用しているではないか。

もちろん、単に本質を覆い隠すのでは高度な文明にはつながり得ない。覆い隠すのは、虚の世界に属する布でなければならない。つまり、本質という実軸に文化という虚軸を加えて、人間だけが共有できる化の住まいが、この文明空間なのだと思う。繰り返すなら、本質を隠すだけならイチジクの葉っぱでよかったのだが、それが熊か鹿の毛皮になり、そして美しい模様をつけた絹の着物になるのが、文明社会の姿なのだ。動物としての人の本来の欲望(本質)をそのまま表に出すのでは、猿に似た雑食性哺乳動物に過ぎず、文明など発生しなかっただろう。

この人類の文化は、特有の脆さを以っている。それは一種の共同幻想なので、二種類の者に弱いのである。彼らは、両方とも裏帳簿の妙を理解しない者たちである。つまり、それを積極的に利用しようとするずる賢い人物と、それに翻弄される無能な人物である。ホリエモンは前者であり、東芝の歴代経営者は後者なのだろう。「和をもって貴しとなす」の原則が救おうとするのは、か弱い後者だけだろう。

補足:
1)電通という会社で自殺した女性が出て、問題になった時、関係者から以下のような言葉があった。「この会社で本当に能力のあるのは10人に1人であり、その1人が残り9人を食わせているのです。」それでも、多少割り増しした1人分の給与で、その優秀な人が働くのがこの日本という国なのだ。専門職の分野では、どこでもそうだろう。

2017年2月17日金曜日

北朝鮮問題を解決できるのは米国である

1)北朝鮮の金正男氏が一昨日クアラルンプールの空港でベトナムのパスポートを持つ女性に毒殺された。金正男氏は金正日氏の後継最右翼と日本で報じられた人物である。従って、この暗殺で北朝鮮の金正恩政権は一層安定化したと考える人もいるだろう。しかし、北朝鮮の国際社会からの孤立が深まり、その結果金正恩政権の寿命は縮まったのかもしれない。

国家を含めて組織の結束は縦横二つの繋がりから生じるが、今回の事件により、横に来るものを全て排斥することでしか自分とその政権を守れない金正恩の姿が、より鮮明になったと思う。つまり、今の北朝鮮には組織を守る関係は縦の繋がり、権力の糸、しかないのである。政権内で戦略を練り上げるという機能は全くなくなり、金正恩一人の能力で全てを立案処理する必要がある。人々は出世を生活の手段として望むが、有能な人間ほどある一定以上の出世を嫌うだろう。崩壊は小さなきっかけで突然起こる可能性大であると思う。崩壊の前には大爆発がつきものである。

核保持は独立国家の体制維持には絶対必要であり、我が国など周りの国には迷惑でも、北朝鮮の立場に立てば正しい選択だったと思う。しかし、核兵器は各国と話ができる状態で持っていてこそ、国家の安定に役立つ兵器である。三橋貴明氏が動画において、トランプ政権下では北朝鮮の核放棄と米国の北朝鮮承認(平和条約締結)が交換条件として釣り合い、二国間交渉が実現する可能性があると発言していた。https://www.youtube.com/watch?v=WuUqQvzSMeI&t=525s

しかし、強力な軍事力を背景に対話をしようとする北朝鮮の姿勢をを米国は非難してきた。そして、その米国の態度は軍事力が不足しているためだと考えて、ついに核兵器とそれを搭載したミサイルを保持するまでの軍事大国となった。この問題(北朝鮮の軍事的脅威の下に米国の同盟国が置かれることになったという問題)が深刻化し、解決が困難になったところで、それを中国に丸投げした。それは本来中国の問題ではないにも拘らずである。

その中国と北朝鮮の関係が、三橋氏や多くの方の言うように仮想敵国の関係になっては、北朝鮮に出口がない。米国が日本や韓国を同盟国としているのなら、なんとか北朝鮮に出口を与えるべく主体的に動くべきである。北朝鮮の状況は、日本が太平洋戦争に突っ込んだ時の状況とよく似ていると思う。あの時も日本は、米国により出口を塞がれたと思う。

トランプ氏が大統領候補であった時には、中国へ丸投げという戦略をトランプ政権が取らないことを期待した。なぜなら、それまでの政権と異なり、操り糸など完全に排除した政権の様に見えたからである。その姿が既に薄らぎ、これまでの大統領に近づきつつある様にも見えるのが残念である。

2)今朝の読売新聞朝刊の編集手帳の主は、今回暗殺を指示したと思われるあの国のトップを狂人の様に看做している。しかし、自国民の生命と安全に深く関わった国のトップを、狂人呼ばわりすることは、情況を益々悲観的な方向に導くだけである。政治評論家の多くはその点で既に失格であると思う。

自分が北朝鮮の幹部であると仮定して、北朝鮮の置かれた状況を理解した上でどうすべきかをまず考え、それを踏まえて日本側に戻って対策を考えるべきである。北朝鮮は現在、休戦中とはいえ戦争中であり、その相手は米国と韓国である。そのことすら前提として頭の中に置いて無い様では、テレビなどに出演して喋るべきではないし、新聞に記事などを書くべきではない。国民を惑わすだけである。

いつも問題が複雑になる原因は、国連軍と米軍の関係である。一昨日書いた沖縄の領有権問題も同じである。米国軍は国連軍の仮面をかぶって、責任を国連に押し付けて米国の考えのままに戦争をしてきた。朝鮮戦争も、韓国と韓国を支援する米国と北朝鮮との戦争なら話はもっと簡単であったと思う。

米国は都合が悪くなると、国連や六カ国協議の後ろに隠れて責任を回避する。今こそ、そしてトランプ大統領こそ、そのような曖昧な態度をあらため、世界の平和に貢献してもらいたい。確か、リンカーン以来の最高の大統領になると自分で宣言したのだから。

決断は難しくとも論理的には簡単である。三橋氏の言った様に、朝鮮戦争の終結と北朝鮮の承認であり、それと引き換えに核兵器の放棄を約束させることである。その話ができない相手なら、先制攻撃が唯一の解決法だと思う。その覚悟を持って、交渉すれば必ず成功すると思う。

2017年2月15日水曜日

再度沖縄の領有権について考察する

既に、この問題は2度ブログに書いている。
http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42925115.html
http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42925514.html
そこでは、サンフランシスコ平和条約の3条(補足1)と沖縄返還協定(補足2)を読むだけでは、明確な答えが見つからないと書いた。サンフランシスコ平和条約には以下のように書かれている。

“日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を、合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。”

合衆国による国連への提案がなかったので、沖縄や小笠原諸島の領有権は中途半端な状態に置かれているという見方もありうる。サンフランシスコ平和条約の第一条bに“連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する”と書かれているので、講和条約後も主権がなかった沖縄や小笠原は、この条約に於ける日本には含まれていないことになる。

そこで、引き合いに出されるのが、1962年3月19日に出された米国ケネディ大統領による声明(補足3)である。これは大統領令10713を改定するために出された大統領令11010に関する声明であり、日本の「琉球諸島に対する潜在的領有権を第二次大戦後も日本が継続して有していた」という主張に対してどの程度の根拠を与えるのかは、素人である私にはわからない。

この声明は、沖縄の米軍基地の機能を確保するための大統領令の趣旨を説明するために出された。その中に以下の文章がある。“I recognize the Ryukyus to be a part of the Japanese homeland and look forward to the day when the security interests of the free World will permit their restoration to full Japanese sovereignty.” 「私は琉球諸島が日本人の祖国の一部であると認識しており、自由な世界の安全保障上のinterestsが日本主権の完全回復を許す日を楽しみにしている。」(interestsをどう訳すか難しいので原語をそのまま残します)

サンフランシスコ平和条約に中国が署名しているわけではないので、この問題が深刻化するのを防ぐ為に、日中平和友好条約に沖縄や尖閣諸島の領有権を日本に帰属させる条項を、絶対に入れるべきだったと思う。

しかし、日中平和友好条約(および日中共同声明)には、日本の領有権の範囲は全く触れられていない。勿論、日本は沖縄や尖閣諸島の領有権を日本に帰属させる条項を入れたかった筈であるが、それが出来ていない。中国の国力が非常に脆弱であり、日本の経済援助が非常に欲しかったのだから、粘り強く交渉して何が何でもこの件を日中間で解決すべきだったと思う。

勿論、日本は当然、潜在的領有権を主張すべきであるが、それは米国との友好があって初めて可能だろう。

引用文献:
1)Treaty of Peace with Japan (サンフランシスコ平和条約)
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19510908.T1E.html
対訳版(在る方のブログより)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/sanfran.html
2)琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1972/s47-shiryou-4-1.htm
3)99 - Statement by the President Upon Signing Order Relating to the Administration of the Ryukyu Islands. March 19, 1962 http://www.presidency.ucsb.edu/ws/index.php?pid=9114
4)日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_heiwa.html
2016年11月30日記載のブログ記事を削除します。

理由は、2014・11・14に開催された露中韓の三国による国際会議「東アジアにおける安全保障と協力」での中国外務省付属国際問題研究所のゴ・シャンガン副所長の演説を、中国(PRC)の公式見解と考えたからです。

https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_11_15/94728921/
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昨日、「クレムリンメソッド」の著者である北野幸伯氏からのメイル配信により、上記会議の存在を知った。そこに記載されている中国外務省付属国際問題研究所のゴ・シャンガン副所長の演説は、ロシア及び韓国と協力して日本に対して沖縄の放棄をさせようと呼びかけるものである。日本が、このような演説を政府関係者がする国(共産党支配の中国)と同盟関係を結ぶことはあり得ないと考える。

上記サイトはロシアの報道機関のニュースであり、ロシアはこの演説を中国がロシアと韓国に向けて揚げた観測気球のように捉えているようである。中国が公式見解として発表したものではないが、上記サイトも書いているように、中国政府の考えであることは確かだろう。

第二次大戦当時、共産党支配の中国(PRC)は日本との交戦国ではなく、従って、日中共同宣言をもとに締結された1978年の日中平和有効条約の他に、講和条約を締結する理由はない。従って、上記のような考えを持つことは、中国は一切の国際法や国際的慣例を無視する国であることの表明ともとれる。(既に、南西諸島問題などで明らかであるが)

以上から、11月30日のブログ記事は、素人の意見であり読み飛ばしてほしいとかいたが、改めてここで削除の意思を明らかにしたい。

なお、沖縄の日本国への返還は、サンフランシスコ講和条約第3条の延長線上には ないので、再度、沖縄返還協定を含む関連する条約や、ケネディ大統領の日本に潜在的主権を認める声明が有れば、それなども読み直して、それについて近いうちに書きたいと思う。

2017年2月14日火曜日

日本で男女差別が深刻な理由とその解消の方法

1)Newsweek日本版に「日本と中東の男女格差はどちらが深刻か」という記事が掲載されている。川上康徳という方の「中東ニュースの現場から」というコラムの中の一つである。その記事の出だしを再録したのが、以下の文章である。 http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/11/post-23.php

ダボス会議で知られる世界経済フォーラム(WEF)が10月下旬に各国の「男女格差(ジェンダーギャップ)」を比較した今年の報告書を発表し、日本は世界144カ国中111位だった。144位までのランキングを見れば、110位以下では中東の主だった国々16カ国が並んでいる。これを見る限り、日本の男女格差は「G7最下位」どころではなく、中東レベルである。

その後ろに数ベージを費やして、イスラムでの女性進出を拒む要因として、宗教と文化の影響を書いている。そして最後に、以下の様に結んでいる。 日本では、何が、女性を政治、経済、社会から排除し、社会の発展を阻害しているのだろうか。女性の社会進出を阻む要因が明確な中東で、女性たちの話を聞いてきた経験から考えるなら、問題の所在が見えにくい日本の状況は、中東よりも深刻に思える。 つまり著者には、日本での男女差別がひどい原因が分からないようである。

一方、記事の最初の方に以下のような話を入れている。この著者が、ツイッターで「日本の男女格差は中東レベル」とつぶやいたところ、元「一部上場企業の執行役員」と名乗る人から、「利益を追求する企業にとって女性はハッキリ戦力ダウンになり企業同士がしのぎを削っている時、致命傷になりかねない」という反応があったというのである。

現場から一つの答えが提供されているのに、このコラムの著者はこの言葉以外のところで答えを探しているのである。つまり、日本の女性は平均して欧米等先進国の女性に比較して能力が低いことが原因である。(補足1)しかし、それを真正面から言えるひとは少ない。中東の女性の姿を追っても、直接答えには到達しないだろう。

2)その原因は恐らく幼児教育にあると思う。全く数値データを持ち合わせていないので、以下これまでの知識に想像を加えて書く。

西欧では日本ほど男女差別がないところを見ると、日本における男女の能力差の原因を探すのに、遺伝子のレベルにまで遡る必要はないだろう。また、学校教育では、男女殆ど同じ内容の教育をしているだろうから、現在そこには“男女差別”に関連しての問題はないと思う。従って、殆どが各家庭で行われる幼児から教育に原因を求めるべきだと思う。

子供の知識の習得は、先ず母親との接触、次に家庭での日常生活、更に外部に出て自然との接触や子供同士の交流、などという順番に対象を広げて行われるだろう。その中で、女児の外界への接触の範囲が男児に比べて狭められている可能性が高いと思う。

つまり、家族、特に母親の子供への接し方は、女児の関心の方向を家庭内に向けていると思う。それは、母親がそのような教育を受けたからであり、その根本に勿論日本文化がある。女児の関心が、社会や自然よりも日常生活に偏向させられた結果、子供同士の交流の中で男女が別々に集まることになり、その是正は為されずに子供たちは学校教育に入る。

より具体的には、例えば玩具として、女の子には人形を与え、男の子には模型の自動車を与えるなど、殆ど無意識に偏向した幼児教育が行われている。それがそのまま、幼児の関心の方向を歪めるという、フィードバックループ効果で男女の違いが形成されるのではないだろうか。(補足2)

3)どこに根本の問題があるのかを考える。
このような幼児教育の差は、日本社会に男女を子供のときから別々に育てたいという文化の反映だと思うのである。そのまた原因として、男女を分離して育てなければ性の乱れが起こりうるという恐れがあるのだと思う。つまり、究極のところ、中東と同じ動機が別の形で男女差を作っていると思う。

この点をもう少し考える。社会が高度化するに従って教育期間が長くなり、成人とみなされる年齢が高く設定されるようになる。一方、文明の発展は食糧事情などの好転を意味し、生物学的な成熟年齢がむしろ低下する。生物学的な成熟年齢から社会的な成人年齢までの間、性を分離しなければ社会は健全に維持出来ない。

この性の問題の解決法の一つとして、人間は結婚という形式を作り上げ、社会の安定が性の問題で脅かされないようにした。そして、西欧キリスト教圏では、一夫一婦制が堅持され、更に“洗練された恋愛”という文化を作り上げることにより、男女間のバリアを個人の人格の中に作り上げた。(補足3)その結果、男女は自由に同等の幼児教育を受けることが出来るようになったのではないだろうか。(補足4)一方、日本やイスラム圏では、男女間のバリアを社会の分割により作り出している。それが、この男女差別問題の根本的原因であると考える。

その社会の分割を、宗教的に行っているのがイスラム圏であり、空間的に分離しているのが日本であると思う。日本では、その準備として男児と女児の関心を別に設定して、幼児教育をしているのだろう。社会での男女の空間が別々に設定されているので、そのような教育を受けた方が人生において有利である。その社会と教育のフィードバックループが出来上がっている以上、それを破壊することが男女差別を無くする根本的方法である。

しかし、それを強引に行えば、一時期強い副作用を生じるだろう。従って、強い政治の関与がなくては出来ないだろう。

補足:
1)子供の頃の話であるが、出身県のトップの高校は10クラスで構成され、合計定員が500人だった。そのうち約350名が男性であった。この学力差を考えないで、男女差別を無くするには逆差別しかなく、それを実行すれば、例えば会社の戦力低下になるのは明らかである。
2)フィードバックループとは、原因が結果を生み、その結果がその原因を強めることになるという増幅効果である。電気回路での特定の周波数の電波を作り出す発振器は、この効果を用いている。
3)これは男女の間のバリアであると同時に人と人の間のバリアである。これは個人の自立と等価であり、それが西欧の民主主義社会をつくりあげたのである。個人の自立が民主主義の正常な機能についての必要条件であることは、例えば、小沢一郎氏の「日本改造計画」に書かれている。
4)このあたりから、考察において社会を観察した結果よりも私の想像の占める割合がおおきくなる。別の考え方が存在する可能性は勿論否定しない。

2017年2月12日日曜日

主体としての自己と客体としての自己への分裂

1)西尾幹二さんの講演を少し聞いた。https://www.youtube.com/watch?v=-UXAkzOhXUQ&t=982s その中で興味を持ったのが標題の言葉である。(27分頃から29分頃の言葉)そこで、言われたことを十分理解できたかどうかわからない。想像するに、以下のようなことだったのではないかと思う。ひょっとして知識人にとってはそれほど新しい考えではないかもしれないが、理系ゆえに新鮮だったのかもしれない。

人間の自己には二つあり、それは主体としての自己と客体としての自己である。人間はこの二つを持つ唯一の存在である。そして、主体としての自己が客体としての自己を観察し評価できる。しかし、主体としての自己については一切わからない。

ここからは私の考えだが、それについて西尾さんが話されたかどうか、確かではない。テンポが合わず、動画視聴を途中で投げ出してしまった。

主体が明確であれば、それが記述する客体も明確だろう。しかし、主体としての自己がわからないのだから、結局客体についても何もわからない筈である。唯一わかるのは主体としての自己が存在することだけである。つまり、何かについて説明できたとしても、記述した主体(自分)について何もわからないのだから、それらは全て幻想かもしれない。

他人の幻想と私の幻想が同じ場合もあるだろう。社会を作って生きていると称している人類は、皆共通の幻想を持っているのかもしれない。しかし、確かなのは考える自分だけであるから、社会やその構成員と知覚した全てが幻想かもしれない。

神が存在すれば、そして神との関係において自分が確かになれば、自己も自己の記述する他も確かな存在となる。しかし、我々は神を知らない。(補足1)死は客体としての自己の消滅だろうが、主体としての自己の消滅でないかもしれない。解脱という解放かもしれない。

2)こんなこと考えるのは、明日の飯が保証されている(と信じている)からだろう。常に生きること獲物のこと敵のことを考えている猿に似た動物に主体としての自己とか客体としての自己など存在するだろうか?

逆に、人間以外の動物だって、明日の飯が保証されて、数十世代か数百世代経過すれば、我々人間のように自己が二つに分裂するかもしれない。

想像を更に膨らませると、人類にとって明日の飯が保証されるのは農業を始めてからだと思う。(補足2)そして、明日が保証された農耕民族で、そして特に定住の傾向が強い民族において、この分裂がより明確になるのではないだろうか。つまり、同じ人間でも異なる文化圏では、この分裂の明瞭さは異なるのではないかということである。

自意識過剰とは、この主体としての自己と客体としての自己の分裂が明瞭であり、常に客体としての自己を主体としての自己が観測する結果だと思う。あまり知的でない人で利己的な人は、主体としての自己は明確だが、それが客体としての自己の存在をあまり感じないのではないだろうか。

(コメント歓迎します)

補足:
1)神とは創造主という意味であり、神道的な神のことではない。
2)聖書にあるように、善悪を知る木の実を食べた人間は、罰として自分で地から食物を得なければならなくなった。(創世記3章)善悪とは、主体として自己と客体としての自己の分裂がなければ生じない。

2017年2月11日土曜日

トランプ大統領の厚遇:日本に難問を用意したのか?

安倍総理は異例の厚遇で米国大統領に迎えられた。予め準備されていた一般的な儀式を終えて、場所をフロリダに変えることになった。厚遇は安倍総理への前払金なのだろうか。実質的な交渉が始まるのはこれからであると思う。

安倍総理との会見前に、最重要な交渉相手に誤解されては困るので、手を打った。前日に行った中国の習近平主席との電話会談である。そこで、トランプ大統領が一つの中国政策を尊重すると表明したのち、相互訪問と協力関係の構築を約束した。

台湾の蔡英文総統にした話はどこへ行ったのか? 中国が会談の大前提としていた”一つの中国政策”に理解を示すことは、国務長官のRex W Tillersonの考えだと、ニューヨークタイムズの記事には書いてある。台湾はbargainingchip(交渉材料)に使われたとある。しかし、この筋書きはキッシンジャーの訪中時に示された筋書きなのではないだろうか?

トランプ大統領の顧問であるピーター・ナバロの本「Crouching Tiger (米中もし戦わば)」の中に、対中国戦略が細かく書かれているが、そのなかには日本や台湾を見棄てることも触れられている。対中国強硬派とされているピーター・ナバロは、その様な政策は中国の脅威をより短期間におおきくするだろうと書いている。ピーター・ナバロはこの部分を書くに際して、誰を読者に想定したのだろうか?

短期的には(10年単位で)日米同盟はつづくだろう。しかし、どこかの時点で日本は、今回の台湾のように梯子を外されるだろう。日本は軍事的に独り立ちして、徐々に中国と相互理解を深める政策が取れれば良いのだが、ニクソン、キッシンジャー時代、米中間で日本を軍事大国にしないという合意があったのなら、そしてそれが生きているのなら、それは無理だろう。キッシンジャーの役割が一昨日のトランプ=習近平会談に関係していたとしたら、日本に出口は見えない。

ヒントは、ロシアとの協調関係を築くことかもしれない。ロシアの政権はともかく、ロシアの国民には反日感情はあまりないと思う。

2017年2月10日金曜日

「我々も殺人者だ」というトランプ発言について:軍事弱小国の悲劇

1)アメリカのトランプ大統領が、ロシアのプーチン大統領を高く評価していることに疑問を持つ米国人は多い。報道関係者ももちろん例外ではない。5日放映のFOXニュース(補足1)で、司会者から「プーチン氏は殺人者ではないか?」と問われて、「我々も殺人者だ。無実だと思っているのか?」とトランプ氏が答えたという。

これが反トランプの方々にとっては良い攻撃材料となっている。副大統領はロシアと良い関係を築けないか模索中であると言い訳をしているが、トランプ大統領は外交に関しては浮き上がった存在となっているらしい。

米国はこれまで、出来もしない理想論を弄び、結局中国に国際慣例を無視した行動を取られ、米国の軍事的脅威として大きく成長させてしまった。これまでの政権と異なり、米国の安全保障体制の構築を、原点から模索しているとき、従来の「プーチンは人殺しではないか」と、オバマ政権時の感覚で発言されてはイラつくのは当然だろう。

また、本音の世界では上記トランプ大統領の発言は正しいのだから、嘘だという批判はできない。ベトナム、アフガン、イラク、シリアなどでの米国の軍事介入(戦争)を考えれば、そして、それらが米国民の民主的手続きに従って作られた歴代の政権によりなされてきたのだから、米国人一人一人が殺人者と呼ばれても厳密な意味では正しい。 http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Databank/interventions.htm

その発言が一人の評論家からのものならともかく、米国の大統領から出たのだから、時代が変わったと考えざるを得ない。世界は本音の時代に入ったということだろう。つまり、従来の骨組みを破壊する“がらがらぽん”の時代には、昔の建前は問題を複雑にするだけで邪魔なのだ。数日前のブログに書いたように、建前が通用するのは政治的安定期であり、建前と本音の二重構造が暗黙の了解として出来上がっている時のみである。

2)プーチンに関しては、現在は東ウクライナでの軍事介入があるが、それよりも酷い軍事介入がなされたのが、チェチェン共和国である。(以下、ウイキペディアによる。また、佐藤優氏の以下の動画参照https://www.youtube.com/watch?v=bCsTXQhvMSk

20年ほど前ソ連崩壊後に第一次チェチェン紛争が起こった。独立を目指したチェチェンをロシアのエリティン大統領が1994年12月に4万人のロシア連邦軍を派遣し、一般市民10万人以上を殺害し弾圧した。

一旦停戦合意がなされたが、その後1999年8月にコーカサス地方における「大イスラム教国建設」を掲げるチェチェン独立派が挙兵して隣国に侵入する。プーチン指揮下のロシア軍が翌月にチェチェンに侵攻した。長いテロ戦争ののち、2009年5月にロシアは「反テロ特別治安体制」を終了すると宣言し、第二次チェチェン紛争が終結した。ロシア軍によりチェチェンの民間人20万人が犠牲になり、1/4のチェチェン人が殺されたと言われる。

このチェチェン紛争に関して、ロシアの反体制物理学者アンドレ・サハロフ博士の未亡人が、米国下院において、第一次チェチェン弾圧はエリティン大統領の再選に必要だったし、第二次チェチェン弾圧はプーチンが世論調査で順位を上げるために必要だったと、証言しているという。

なお、チェチェンは、南下してきたロシアにコーカサス戦争の後、1859年に併合された。第二次大戦中1944年に、ドイツへの協力を恐れたスターリンによりチェチェン人と隣接民族であるイングーシ人50万人がシベリアやカザフスタンに移住させられ、多くは死亡したという。

弱小な民族であるということは、なんという悲しいことか。このような例は世界史に山ほどあるだろう。そして将来、日本が中華圏に飲み込まれた時には似た悲劇が予想される。なんとか現在の厳しい現実(補足2)に国民一人一人が気づいて欲しいものである。防衛省が研究予算をつけることに歯止めをかけるべきだと、机を叩いて主張したバカ丸出しの学術会議の委員をテレビで見て、その危険性を強く感じた。(昨日のブログ参照)

3)人間の歴史は虐殺の歴史である。それらが互いに生存を賭けた戦いの中での出来事だとすれば、それが我々現在生き残っている人間の存在条件ということになるので納得するしかない。その場合、そのような行為に及んだ皇帝や絶対権力者は、生き残った側からは英雄となり、ほとんど全滅した側からは悪魔として評価されるだろう。

しかし、現在のように一人一人の投票により国家のリーダーが選ばれる時代になってからは、一票を投じた個人の責任まで厳密に考えれば議論できる。

つまり、サハロフ博士の未亡人の方が証言したように、国家のリーダーに投じたその一票が殺戮に繋がったのだから、その一票を投じた人一人一人がその殺戮の責任を分け合わなければならない。トランプ大統領はそれを本音としてストレートに言っただけである。それを聞いてオタオタするのなら、そんな質問などしなければ良いのだ。

よく引き合いに出されるのが、ヒトラーのホロコーストである。これも国民の一票で選ばれたトップが行ったことであるので、その国の国民の責任であり、ヒトラー個人とその側近に押し付けるのは、卑怯なやり方である。それも戦後制定した法律で、ナチス関係者を探し出して罰する行為は、法の不遡及という人類文化を無視した行為である。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42302353.html

親日派というレッテルを個人に貼り付けて、過去に築いた財産を没収するというとんでもない法律を作った隣国の場合は、もともと法治国家ではないので、さもありなんと思うが、ドイツがそのようなことをやるのは苦しみ紛れとはいえ、卑怯である。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%8D%E9%81%A1%E5%8F%8A

補足:
1)FOXニュースは「Fair and Balanced」と「We report, You decide」をモットーとし、中立報道を心がけていると主張している。司会者は全く社是を理解していなかったと考えるよりも、経営者のメディア王と呼ばれるマードック氏の意向により、社是など投げ捨てて反トランプ運動のネタ作りをしたのだろう。FOXニュースの司会者を含めて、米国の知識層は米国のこの100年間の軍事介入の歴史を全く知らない筈が無いからである。しかし、それが反トランプ運動に使えるとするなら、米国民一般はそれを知らないことになる。
2)トランプ政権の顧問ピーター・ナバロの本、「もし米中戦わば」の中にも、日本が中華圏に寝返るシナリオや、米国が台湾を中国に引き渡すシナリオなどが書かれている。いずれの場合も米国の国益に反すると結論されているが、それはナバロ氏個人の結論である。

2017年2月9日木曜日

日本学術会議の安全保障関連研究に対する姿勢とそれを報じた読売新聞の社説

§1:
読売新聞に昨日掲載の「科学者を縛ってはならない」と題する社説について、感想を書く。そこには、“日本学術会議の検討委員会が、安全保障に関連する研究に対して、歯止めをかける(べきだとする)中間報告をまとめた”とある。(これ以降、カッコ内は筆者が補足;補足1)“その方策として、「軍事的」な可能性(武器等に転用される可能性)のある研究について、大学等が予め「技術的・倫理的に審査する制度」を設けるよう求めている。関係学会にも、研究審査の指針策定を要請する。”と書かれている。http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20170207-OYT1T50142.html

日本学術会議は1967年に、“戦争を目的とする研究”は行わないと表明し、今回の中間報告もそれに沿ったものだと、この社説は解説している。(この“”で囲った部分は、武器や戦術等に関連する研究と解釈される。)

この社説では、”現在開発を急ぐ技術の多くは軍事と民生の両面で使えるもの(デュアルコース研究)であり、軍事利用の恐れ(可能性の意味)があるという理由で研究領域を狭めては、日本の技術力低下は避けられない”として、日本学術会議の報告を批判している。この批判自体はもっともなことであるが、「恐れ」という言葉から、社説の主は軍事利用される研究で差し当たり民生用にならないものなら、学術会議の報告、そして、1967年の表明には賛成のようである。

そう思って読み進むと、最後の方に“日本の安全保障環境が厳しさを増す中、ヂュアルコース研究を強化することは、平和を確保する観点からも国益に適う”と書いている。平和を確保することに寄与するというのは、つまり軍事利用のための研究をするという意味だろうから、どうも社説を書いている人は、ヂュアルコースの両方を支持していると解釈できる。そうすると、上に引用した「軍事利用の恐れ・・・」の文と矛盾する。どうもはっきりしない。

§2:
日本語は、もともと論理展開に向かない言語である。しかも、日本国の軍備に関する基本姿勢が不明確なこともあって、特に防衛問題を論じるときに日本語が乱れる。上記社説でも、日本学術会議の委員会メンバーと読売新聞の社説を書いた方の双方に、日本語の乱れが見られる。

その原因は、安全保障という言葉を理解せずに用いていることにある。更に遡れば、戦争と平和という言葉の意味すら、十分理解していないと思う。つまり彼らを含めて多くの日本人は、戦争と平和は相反する概念であり、平和を愛し戦争を憎む姿勢をとることが理想であると考えているようだ。更に、人間という生物においても、そして、人間が作る国家においても、それが可能であると考えているらしい。

戦争は二つの民族や国家の間での争いであり、平和とは戦争の無い状態をいう。元から右と左のような対概念ではない。自分の属する民族が他民族への隷属状態にあり不満に満ちていても、支配民族は平和だというだろう。極端な場合、被支配民族が殺されていなくなれば、そこには平和が訪れるだろう。国際社会も、その状態を平和というに違いない。従って、目指すのは平和ではなく、自分の国や民族の繁栄でなくてはならない。

歴史が教えるところによれば、二つの国の間に何かの争いがあれば、その解決は外交とその延長上の戦争によりなされてきた。(補足2)そして、自国民にとって大きな不満のない形での平和の達成は、戦争に勝つ軍事力によりなされる。

これは好戦的姿勢をとるべきだと言っているのではなく、生命体である人間が国家を作って有限の資源と面積の地球上に生きる以上、争い(そして戦争)はもともと避けられないという事を言っているのである。従って、国家の安全保障は戦争に勝てるように備えるということに厳密に等しいのである。

  日本学術会議の“戦争を目的とする研究”は行わないとの表明や、安全保障に関連する研究に対して歯止めをかけるという姿勢は、日本学術会議のメンバーが日本国や日本民族の滅亡を期待していることを意味している。もし、そうでないとすると、彼らには日本語と基礎的な歴史等の知識が欠けていることになる。 

このことに気づかない程度の知的レベルの人たちが、日本の研究者を代表する機関を構成するというのは、非常に情けないことである。それだけでなく、論理なき日本語と、日本民族の自分で考えてそれを発表することを蔑む文化がもう一つの原因だと思う。 

(16:30編集)

補足:
1)この部分は、言語表現として非常に理解しにくい文章である。安全保障に関連する研究なら、是非協力しなければならないのが普通の考えである。( )内は、中間報告だけでは何の歯止めにもならないので、筆者の意思を推測して補足したもの。
2)多分これは、クラウゼウィッツの戦争論に書かれていることだと記憶する。しかし、これはかなり文明の進んだ国の間での話であるということに注意すべきである。国家という概念が曖昧な地域では、現在の国際的ルールの下での戦争ではなく、民族間の争いは無制限の殺し合いで解決されていた。18世紀に起こったマオリ族によるモリオリ族の皆殺しと食人についてはすでに書いた。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2014/10/blog-post_5.html 東アジアでは国際法など通用しないので、マオリ族的戦争になる可能性もあり、日本は防衛を考えるときにそのことも考えておく必要がある。

2017年2月7日火曜日

本音と建前の対:その外に問題が生じた場合、人は解決できない

1)日常の会話では、“建前”は幾分軽蔑的に用いられて、“本音”が大事であると考える人が多いかもしれない。それは、“建前”という言葉は殆どの場合、“言葉の上だけの理想論”くらいの意味で用いられるからである。しかし、“建前”には元々、住宅などの建設の際、基礎の上に柱や梁・棟など主な骨組みを組み立てることという意味がある。結論を言うと、“建前”を意識することは社会性を持つことである。“建前”は人間以外の動物は持たない。(補足1)

建前は人の心の中に生じ、主に社会的空間に投影される。(補足2) 例えば、「公序良俗のルールに従う」という建前に対して、本音は「自分の欲望に従う」である。その本音を心の隅に押しやって、建前を中心に置く(スタンスを建前の近くに置く)からこそ、社会を作って人は生活できるのである。「人間、一枚皮を剥げば、欲望丸出しのケダモノだ」とよく聞く。戦場など、社会が崩壊した場面においては、その建前を脱ぎ捨てる人が多くなる。そのほか、「差別しない(男女、外見、年齢、人種、宗教などを理由に)、相手の立場に立つ、公平に行う、正義を優先する、言葉を大切にする(約束を守る)、ルールは守る」等々が現代社会の“建前”の要素として在る。

つまり、“建前”は個人を束縛するルールであり、それが“社会の骨組み”として尊重されることが社会の基礎をつくる。“建前”は人類が混沌の中から作り上げた文化の一つの表現である。(補足3)その性質上、“建前”の多くは場面が同じなら個人的にばらつくことは少ない。

2)人は社会において、何かの行動や発言が要求された時、本音と同時に建前を心の中に呼び覚まし、その間に自分の位置を決める。表題は、そのプロセスが取れない時、自分の立場を明らかにできないことを言っている。(補足4)人によって行動や発言が異なるのは、普通本音と建前が同じでも、その間に選択する自分の立つ位置が違うからである。また、その問題で議論ができる(言葉が通じる)のは、この本音と建前の一対が共通だからである。心の中のこの一対が全く異なれば、二人の間の会話は通常直ぐには成立しない。

換言すれば、一般に社会通念(建前)を大きく逸脱した行為を行う人は、大多数の人が心に浮かべる本音と建前の対が異なる場合と、本音を強引に追求する場合のふた通りがある。その行為が法に触れて処罰される場合、後者の場合には罪の意識があるが、前者のケースでは処罰される理由に納得できないだろう。

一例を挙げると、オーストラリアやアメリカにシーシェパードという団体があり、日本の捕鯨を非難して、犯罪的な行為に及ぶ事件が何度か発生した。このケースでは、日本人と彼らでは、本音と建前の対が異なるため、話が通じないのである。(補足5)

社会が急激に変化した場合、本音に対する建前が適当に創造できない場合がある。例えば、同性婚などの性の問題、安楽死などの生と死の問題などは、各人各様の“本音”が社会空間において直接衝突する。そして、終末医療や介護の現場では、殺人にまで発展する場合が少なくない。

そのような問題についても建前を作ることが可能であることを、小説「楢山節考」は示した。つまり、口減らしのための老人の遺棄を、神事として祭り上げることで解決したのである。小説では、老人を70歳になった時に楢山という高い山の頂上付近に遺棄するのだが、その村落ではそれを”楢山参り”という祝い事にしたのである。そして、「人生の名誉ある終結は楢山に参って神の懐に帰ることである」との“建前”となったのである。 

もちろん、老人の本音は生きられるだけいきたいのであり、若い者の本音は不憫だが老人が死なないと自分たちの命も儘ならないのである。主人公の「おりん」は自分から楢山参りの準備を整えて、前日には祝いの酒を集落の人に振る舞い、立派に楢山参りを達成する。しかし、隣家の老人は、最後までそれを拒否して楢山の山麓近くの谷底に捨てられる。楢山参りの後は、そのことに関しては一切口を閉じるのがルールである。http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html

3)我々は現在、文明の急激な変化を経験している。しかし、パソコンや携帯電話(スマートフォン)を手にして、インターネットに手軽にアクセスできる時代にふさわしい思考や行動の方法が身について居ない。そして、“本音と建前の対”で現実的な問題を決める習慣が破壊されつつある。個人と公(社会)の二つの空間の他に、サイバースペース (ネット空間)という新しい空間ができたのだから無理もないかもしれない。 

それと同時進行した経済のグローバル化などによる文明全体にわたる世界の大きな変化の結果、世界の政治は混乱期を迎えた。これまで、自由と人権、公正と信義、平和と軍縮、民主主義と三権分立などの言葉で、具体的問題毎に、本音と建前を想定してその間でそれぞれの国がスタンスを決める国際社会が(少なくとも先進諸国では)形成されていた。しかし、その政治文化が破壊され、国際的環境は言葉が通じない世界に成りつつあるのだろう。

それは、ツイッターなどが存在感を増すことで、建前を消失(本音と建前が融合)させたことや、これまでとは全く異なった文化圏の国々が国際社会の大きな部分を占めるようになったことなどで、世界の政治文化の再構成が必要になったのかもしれない。もっとも象徴的なのは、米国のトランプ新大統領によるポリティカルコレクトネスの無視である。 

各国は自国の国益優先という大前提というか“本音”に戻り、新しい枠組みの国際社会が出来上がるまで、話が通じない状況にある。ウエストファリア条約以後の主権国家体制の枠組みに戻らざるを得ないとしたら、そこから再度国際秩序を作り直すのでは、第三次世界大戦になってしまう可能性もあり大変である。米国は今こそ世界のリーダーとして、新しい大きな枠組みの方向(建前)を示す様、努力してほしいものだ。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43150908.html

(2月8日午前10時、後半部分編集あり) 補足:
1)本音と建前を持つのは人間だけである。社会生活の上での“建前”は通常、“公の空間でとるべき立場”である。
2)道徳と重なる部分が多い。多くの場面ごとの建前から抽象化概念化されたものは道徳的概念となる。道徳の対概念は非道徳なので、本音は建前を完全無視した言葉とも言える。
3)進化心理学は現在の人の心理を説明する学問だが、その前提は、人の心理(本音)が進化の過程で変化したと考えることである。したがって、その前提が正しければ、時代によって人の本音も徐々に変化する。
4)山本七平の実体語と空体語の対は、本音と建前の対とよく似ている。これらの関係はできれば今後考えたい。
5)日本でも生き物の命を大切にするという建前はある。しかし、「生物の命をいただいて我々人間は生きている」ので、本音としては捕獲して食料とするか売って富を得たい。一方西欧では、食料にしても何の心理的負担を生じない家畜や魚類などと違って、鯨は高度な頭脳を持った野生動物であり、それを殺すのは非人道的行為(鯨は人でないが)であると考えている。捕鯨という行為を評価する日本の物差しなど最初から無視されているのである。従って、船で体当たりする犯罪行為を行っても罪の意識など全くないだろう。
6)深沢七郎の名作である。

2017年2月4日土曜日

「米中もし戦わば」を読んで、自分の理解したこと

表題の「」内は、トランプ政権の政策顧問であるピーターナバロ氏の本の題名である。日本語翻訳版はこのタイトルで出版されたが、原題は”Crouching Tiger What China’s Militarism Means for the World”(身構えるトラ:世界にとっての中国軍国主義の意味)である。実際は、米中間で平和を維持するにはどうすれば良いかを考察している。

1)具体的には、中国が何故急速な軍備増強を行なっているか、それに対する友好国への影響、米国のとるべき戦略などについて、解説した本である。歴史的な面から見て、阿片戦争から日中戦争にかけての100年間の屈辱により中国に植えつけられた、防衛意識が背景にある。現実問題としては、中国経済を支える資源の輸送路の確保、中国の支配域とその周辺に存在する資源の確保が主な理由である。それらの確保に障害となり得る存在として、海上に存在する米国の第六艦隊(中東)や第七艦隊(アジア)、太平洋やインド洋に駐留する米軍がある。米国は仮想敵国であるという明確な判断が中国にはある。(補足1)

米国側から見て、中国は現在の覇権国である米国をアジアから追い出して、アジア地域の覇権国になるという戦略を持っていると考えられる。そして、中国の経済発展がこのまま進めば必然的に軍事大国となり、軍事予算を削減しつつある米国にとっての直接的脅威ともなり得る。もし、経済的に米国を圧倒するようになれば、世界の覇権国になり米国の深刻な脅威となる可能性もある。(補足2)

本には書かれていないが、トランプ大統領は就任演説で、孤立主義によって米国の繁栄を取り戻すと言っている。(補足3)しかし、それを徹底的に実行することはないだろう。なぜなら、軍事的には孤立主義を取るわけにはいかないからである。中国に恐怖感を抱く米国には、キューバ危機の記憶が鮮明に生きている筈だからである。つまり、米国の軍事専門家や戦略家は、中国の潜水艦がカリフォルニアの近海まで来ることを絶対に防がなければならないと考えて居る筈である。そして、中国軍に第二列島線を突破されれば、そのような危険が具体的になる。それを防ぐには、第一列島線までに中国を抑える必要がある。つまり、台湾、沖縄、日本列島は米国の防波堤である。(補足4)

トランプ大統領の演説の上記部分(補足3)は、その米国の基本戦略に触れるので、トランプ体制が続く内に、孤立主義は放棄される筈である。その第一歩が、早々と韓国と日本にマティス国防長官を派遣したことである。この本の著者を近くに置くトランプ大統領はそのことを十分承知している。

2)中国の国家としての矛盾点:
中国が軍国主義を取ることと関連して、以下の指摘をしている。それは、「中国共産党の目標は中国という国家の存続ではなく、中国共産党の存続である」(P200)こと、国民と共産党指導者とを結ぶ共産主義というイデオロギーを既に捨て去っていること、そして市場経済を取り入れて経済規模が飛躍的に大きくなる一方、大きな貧富の差が生じていること(補足5)などが、深刻な内政問題となって国家体制を不安定にしていることである。

この格差に対する不満を、内部では官憲による弾圧と外部に敵を作りナショナリズムを喚起することで体制の維持を図っている。その結果起こる米国の友好国(日本や台湾など)との摩擦を強圧的に解消するためには、強力な軍事力が必要である。また、人口14億人を静かにさせるもう一つの方法は、更に経済成長することである。

別の表現で眺めれば、中国はその都市部で先進国経済の一翼を担いながら、大多数の人口を抱える農村部を途上国型(安い労働力の供給元)としてもち、全体としては独裁国という発展途上国型の体制を維持している。独自の技術をほとんど持たない国が、都市部と共産党幹部の先進国的生活を維持するには、貧しい農村部が必要である。農村部やそこから都市に出てきた人たちの不満と外国との摩擦を“乗り切る”には、軍事と警察の強化しか答えが見つからないのだと思う。

外国に敵を必要とする一方で、外国との経済交流も必要であるという矛盾も抱えている中国は、必然的に経済交流とそれによる経済発展が平和に貢献するというこれまでの考え方が通用しない国である。

3)この本はアメリカの対中戦略に関する本であるが、第一列島線上にある日本ではより直接的に中国の脅威と対峙することになるので、その日本がその生存を賭けてとる戦略をこの本が(米国が)分析することは自然である。

日本が強力な核装備国である中国と対峙し、その平和を維持する際当然考えるのが核武装である。それは、日本が中国にとっての格好の“生贄の羊”(ナショナリズムの標的)だからである(この本では明から様にはこの指摘はされていない)。核武装は日本国の国防に大きく寄与する可能性は高いが(この点も記述されていない)、しかし、アジアの不安定化を進めて、結局米国の利益とならないと記されている。

米国の直接脅威になる前に、中国はアジア地域で覇権を確立することを考えるだろう。そのためには、中国は米国の軍隊をアジアから遠ざける戦術をとるだろう。米国の軍隊が近づけないためには、機雷などの小さいコストで大きくて高価な空母などを破壊する兵器(非対象兵器)を用いて、第二列島線から追い出す戦略をとると考えている。これは中国には負担が小さくて米国に負担の大きい、米国とその同盟国にとって厄介な戦略である。

4)孤立主義について:
経済的に余裕のない米国にとって、孤立主義の誘惑があるが、それはアジアでの米軍のプレゼンスを確かなものに保つということよりも、米国民に対して時として強い説得力を持つ。(P268)しかし、孤立主義は米国経済からアジアという世界人口の60%を占める最大の市場を奪い取る結果となるだろう。

日本は、米国がアジアから撤退するとなると、残された道の一つとして独自に核武装して中国と対立する方を選択した場合(補足7)、アジアは米軍が居る場合よりもはるかに不安定化するだろう。もう一つの選択肢として、日本(そして韓国)が中華圏となった場合、中国の勢力は非常に大きくなり、米国の脅威はさらに大きくなるだろう。何にしても、米国にとって非常に危険なことになる。上でも述べたように、トランプ大統領は孤立主義は放棄するだろう(私見です。本には直接このようには書かれていない)。

その他、台湾を中国に引き渡すことで、中国から東シナ海や南シナ海での譲歩を引き出すことが可能かについても、米国では議論されたようである。この“大取引”を行えば、アジア各国に不信感を醸成して核武装するだろうから、あまり現実的でないと結論している。

結局、力による平和以外に中国と対峙する方法はないというのが結論である。それをより有利にするためには、中国の経済発展を低く抑えることが重要である。その方法として、現在トランプ大統領が計画している、米国の法人税の大幅減税などで中国に工場を置く魅力を低減させることなどがある。トランプ大統領は経済的な政策で中国を弱める戦略をとるだろう。

以上が、私の理解したこの本の大まかな内容に若干の私見を加えたものである。“木を見て森を見ず”という言葉があるが、森を見て書いたつもりである。しかし、木の部分も当然非常に参考になる。例えば、中国本土への攻撃における戦略とか、核抑止力が本当に有効かなど、中身は具体的で詳細に書かれている。したがって、“木を見なければ、森が理解できない”のが本当のところだろう。日本人にも必読の書だと思う。

補足:
1)韓国の朴槿恵大統領を戦勝70周年記念式典に招待し、習近平の隣で閲兵した姿が鮮明に思い出される。その見せかけの親密さは、日米韓の切り崩しであり、習近平の目は米国に向けられていたことは明白である。日本の二階氏や小沢氏の大歓迎も同様であると、彼らは知るべきだと思う。
2)この点に関して、以下の指摘をしている。この経済発展の直接的契機となったのは、ビル・クリントン大統領が中国のWTO加盟を進めたことである。「米国では7万もの工場が閉鎖し、最終的に2700万人の失業者や非正規労働者を生んだ。そして、貿易赤字は年間3000億ドル以上に膨らみ、米国経済に大打撃を与えた。これほど誤った判断を下したアメリカ大統領は他にいない(筆者の要約)」と書いている。(280頁)経済発展により自由で開かれた社会になるとの期待は裏切られたのである。
3)就任演説のこの部分:We must protect ourborders from the ravages of other countries making our products, stealing ourcompanies, and destroying our jobs. Protection will lead to great prosperityand strength.私たちは、私たちの製品を作り、私たちの企業から盗み、私たちの職を破壊する外国の侵害から、この国の国境を守らなくてはならない。保護(主義)によって、繁栄と力は拡大します。
4)第一列島線を沖縄からフィリピンに引いた防衛ライン(アチソンライン)の外にある韓国には、米韓同盟に不安をもつ。第二列島線上の島々には、経済的基盤も何もないので、実質的に第一列島線が米国の大事な防衛ラインだと思う。
5)貧富の差を示す中国のジニ係数は、悪い方から世界27位の47.3%である。先進国トップはアメリカで45%(世界41位)、日本は37.9%(世界73位)でEU(30.6%; 世界117位)よりもはるかに悪い。
6)佐藤内閣の時に強引に核武装するチャンスがニクソン大統領により与えられた。それを無駄にした佐藤栄作総理は、売国奴的政治屋と言える。 http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43129251.html
7)韓国は北朝鮮との関係もあって1960年代から核武装を考えたが、1975年に米軍が守ることを条件に、米国により核保持の計画を放棄させられた。

2017年2月3日金曜日

自ら進んで恵方巻きの餌食になる人たち

1)今日は節分で豆まきをする日だが、それに加えて恵方巻きの日だそうだ。この変わった新しくできた風習が短期間に広がるような国は日本だけだろう。恵方巻きの風習は、あるコンビニ店が1998年に初めてから急激に広がったという。(ウィキペディアの恵方巻きの項参照)日本中で、ある方角(恵方)を向いて巻き寿司に黙ってかじりつく姿を想像して欲しい。なんと滑稽な光景だろうか。由緒ただしく”恵方巻き”を行う方法は以下のサイトにある。http://xn--365-4k4bodqhlg.com/archives/575.html

今日のスーパーマーケットのチラシ(読売新聞に添付)は3枚あったが、その全てに恵方巻きの宣伝が大きく掲載されていた。数年前まではこのようなことはなかったと思う。日本では、近隣が何かをやりだすと、同じことをやらないと不安になるらしい。この風習に抵抗があるひねくれ者は多分少数派だろう。

2)ずっと前の話だが、大都会の公務員住宅に住んでいた頃、子供の体格などを考えてナップサックで通学させたことがあった。交通事故などの危険性がランドセルでは高くなると考えたからである。2ヶ月も経たないうちに、周囲から変な家だと思われたらしく、ある家の奥さんから嫌味を言われた。子供のいじめに繋がっては大変と思い、ランドセルに変えざるを得なかった。何もかも横を睨んで決めるこの国の異常さを示す一例であると、以前どこかに書いた。

私は、恵方巻きや豆まき、その他の多くの日本の風習に疑問というか不快感を持っている。この種の風習が短期間に広がることに滑稽というより気味悪さを感じる。それは、誰かがある説を唱えると、日本人の多くがそれに容易に従属することを示しているからである。「まあ国民が揃って楽しむことを一つ創り出したのだから、良いではないか」という言葉は理解できるのだが、それはその他の場面で自立した個人の姿が見られる場合に限られる。

なぜ横並びになんでもしたがるのか?それは、自分の感覚や能力に自信がないからだが、それを獲得すべく努力する切迫感も持ち合わせていないのだ。そして、現状を受け入れるとか、あるいは周囲に合わせておくと言う“楽な道”を選択する。この国では、目立たないことが徳であり得なのだから。

“楽な道”の選択が可能なのは、一応豊かな環境に育ったからである。そして“切迫感がない”のは、その豊かさは祖父などの世代が血を流して得た豊かさであることなど知らないからである。近代史を一切教育されていないので、今の青壮年は世界の厳しさを理解していないのである。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42338886.html

自分に能力や感覚がないのなら、それを付けるべく努力すべきである。何もかも、一から自分の考えを組み上げようとするのが、自立した成人の姿である。こちらが恵方だと見知らぬ怪しげな人が自信ありげに言っても、その根拠を自分で考えるべきなのだ。豊かな時代が終われば、その恵方には罠があるかもしれないのだから。

3)私は無神論者ではない。しかし、既存の宗教を信じる者でもない。ただ、太陽や地球、そして、そこに生きる様々な生物の存在は奇跡であると思う。時間、空間、物質、そして何よりも自分という存在すら自分では理解できないのだから、絶対神の存在など否定できるわけがない。しかし、神が存在したとしても神は我々個人には無関心だと、私は思っている。

その一方で、自分以外の人たちが幻影ではなく、自分と同じ人間だとするなら、他の人たちが作ったことは自分にとって判断可能な範囲に含まれると信じる。歳徳神(恵方などを決める)とか古くからあるものでも、人がなんらかの都合で作ったと思われる神や、日本の多くの人格神など全てが、くだらない幻だと思っている。

賽銭を投げ入れて、木像や建物に手を合わすだけで、あるいは巻き寿司をある方向に向かって食べただけで、何か良いことが期待できるわけがない。ただし、それを考案した人には間違いなく、金銭的な利益が転がり込む。そんなことをして、そのようなことを企んだ人たちに利益をもたらして、悔しさや腹立たしさを感じないのが情けない。

この世界には、自分たちの企みを達成するために適当な情報を流し、巧みに世論を動かそうとする人が多くいる。「注文の多い料理店」なら、気付くかもしれない。しかし、注文の数を巧みに減らした料理店なら、我が国の人たちは進んで餌食になるだろう。

恵方巻きなんか小さいことでどうでも良いのだが、一言書きたかっただけである。(小言幸兵衛)

2017年2月2日木曜日

「検索で逮捕歴 削除認めず」という今朝の読売一面記載の最高裁判断、何か変だ:刑が消滅(刑法34条二)しても、ネットでの重い罰は続くのか?

1)先ず不思議に思ったのは、「逮捕歴の削除を認めず」となっていて、犯罪歴とはなっていない点である。最高裁判所の判決文でも逮捕歴という言葉が使われていて、犯罪歴という言葉はない。

最高裁決定の要旨(朝刊9面)の結論の中にも、「ウエブサイトに逮捕された事実の記事などが掲載されているとして本件検索結果の削除を求めている。」となっている。削除要求した人は、児童買春の容疑で逮捕され、2011年11月に逮捕され、12月に罰金刑に処せられている。従って、犯罪の事実はあったので、逮捕の記事は正しいので問題がないと思う人が大半だろう。

しかし、裁判所が命じたのは罰金刑であり、その逮捕を報じた記事を延々とネットに掲載されることは、事実上罰金刑よりも重い刑罰であるが、それでも良いのか?それは憲法第三十九条の規定:「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない」に違反するのではないか。

最高裁決定の要旨の結論部分の文章を一部再録すると:「児童買春した容疑で逮捕された事実は、他人にみだりに知られたくないプライバシーに属するが、児童買春が児童に対する性的搾取及び性的虐待と位置づけられており、(中略)今尚公共の利害に関する事項であると言える。」とある。

そして、「抗告人が妻子と共に生活し、罰金刑に処せられた後は一定期間犯罪を犯すことなく、民間企業で働いていることがうかがわれるなどの事情を考慮しても、逮捕された事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとは言えない。」とある。この家庭内での抗告人とその家族の苦しみを想像すれば、それが罰金よりも重い刑であるとの判断が正しいと理解できるだろう。

2)ここでこの判断のもう一つの問題を提起したい。それは刑法第6章の刑の時効及び刑の消滅の中の、第34条の二の「刑の消滅の条項」に反するのではないかという疑問である。そこには、「罰金以下の刑の執行を終わり、罰金以上の刑に処せられないで5年を経過した時には、刑の言い渡しは効力を失う(要約)」と書かれている。

つまり、履歴書の賞罰の欄を作るように提出先に言われても、この期間(5年)経過後には、その刑罰を記載する必要がないのである。つまり、今回の最高裁の判断は刑法34条の二に反するのではないだろうか?つまり、最高裁の判断が出た時点(2016年12月31日)で、その刑は消滅しているのである。

この件、読売新聞では一面トップ記事として取り上げ、9面に詳報として全面を割いて掲載し、更に3面と33面に半分以上の紙面を割いて関連記事を掲載している。三面には社説でもこの件を論じている。しかし、刑の消滅との関連を報じた部分はない。兎に角、最近の新聞は政治面でもそうだが、ほとんど読むに値しない。

法律の素人なので、謝りがあればコメントをお願いします。

江田憲司議員は売国奴的政治屋である:安倍総理への意地悪な質問

1)昨夜毎日新聞から配信されたというニュース(ヤフーニュース)によると、民進党江田議員が、自身が橋本内閣に於いて首相の秘書官をしていた時に発生した、ペルー日本大使公邸占拠事件の際、「橋本内閣では人質に犠牲者が出た場合、首相か官房長官が辞めると話していた」という話を紹介した上で、「南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されている自衛隊に死傷者が出た場合、首相辞任の覚悟があるのか」と質問した。

この衆院予算委員会(2月1日)での質問に対して、安倍晋三首相は「もとより(自衛隊の)最高指揮官の立場でそういう覚悟を持たなければいけない」と述べた。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170201-00000130-mai-pol

この江田憲司氏の質問は売国奴的である。先ず私は、①「橋本内閣では人質に犠牲者が出た場合、首相か官房長官が辞めると話していた」という話自体を疑うし、仮にそのような話があったとして、その判断に正当なる評価を与えた江田議員の資質を疑う。何故なら、「ペルー事件の責任をなぜ、日本の内閣官房が取らなければならないのか?」という問題を考えれば明らかである。事件の責任は犯人たちが負うべきであり、更に、その事件における人質の命に関して、日本の内閣官房が決定能力を持っていないからである。

従って、あの橋本龍太郎がそのような事を秘書官に言う筈がない。もし、②「ペルー大使館公邸の人質が殺されて、その責任の一端が内閣にあると言う非難が国民の間に巻き起こった場合、首相か官房長官が辞任しなければならないかもしれない」と言う話なら、橋本さんはしたかもしれない。しかし、①と②では話の内容が全然違う。(補足1) もし、万が一橋本龍太郎氏がそのような事を言ったとしても、あの国会質問で引用すべきではない。

2)上記のような質問が国会で出され、それに対して総理大臣が「もとより(自衛隊の)最高指揮官の立場でそういう覚悟を持たなければいけない」と答弁しなければならない我が国の現状を情けなく思う。

独立国で軍隊を持たない国などない。軍隊保持を禁じる憲法を持つ日本国は「自殺志願国家」である。日本国は、その憲法の改正に国民のかなりが賛成しない国なのである。一方、自衛隊は誰が見ても軍隊である。その憲法の規定と実態との乖離に平気でいられる国民が多いのは、多数の国民は政治など何も解っていないからである。日常生活で精一杯なのかもしれない。

韓国の司法判断を笑う人は多いが、日本のこの件と大差ないではないか。否、日本の司法の方が自殺志願国家で良いと認めているという点で異常ではないのか。

更に、軍隊が国際協力という形で外国に出かけそこで死傷者が出る事を、国会において内閣の命運と同レベルで論じることの異常さにうんざりである。そして、それを平然と報じる報道機関や、静かに質疑を聴く国会議員たちにもうんざりである。更に、複数の思想信条の異なる政治勢力の間を流浪しながら、野党の有力議員の座を掴み取った政治屋の議員が、堂々と国会で質問する異常さにうんざりである。http://blogos.com/article/169370/

補足:
1)①では、人質の命が奪われたことに対して官房の責任を認めて辞任することになるが、②では、官房自身ではなく国民が内閣官房に責任を帰したことになる。その国民の声が一定数になった時、国民が内閣に不信感を持ったと判断して辞任するのである。

2017年2月1日水曜日

トランプ流交渉術=気狂い男の理論?

トランプ大統領は「取引こそ芸術だ」と自著で述べているという。その芸術的取引を現在行っているのだろうが、我々には芸術には程遠く一見八方破れの戦術に見える。水攻め拷問は国防長官に諌められて止めたが、今や古くからの同盟国だった日本も、中国と同様に為替操作などの不公正貿易を行う国という一方的な烙印を押されて、今や敵に回されている感じがする。

経済評論家の上念司氏が、プロレスの試合前のマイク合戦のようなものだと言っていた。しかし、試合はもう始まっている。最近、防衛省現役の必読書と言われている、「米中もしたたかわば」(元のタイトルはクラウチングタイガー)という本に面白い記述があった。それは、Mad man’s theory(気狂い男の理論)というもので、ニクソン大統領が北ベトナムとの交渉の時に用いたそうである。つまり、気狂いじみた奴で、この辺りで手を打たないと何をするかわからないと相手に思わせる交渉術である。その戦術を今トランプ大統領が用いていると考えると、わかりやすいと思う。

当然、最初しかこの戦術が使えない。理路整然と話していた人が急にMad Man’s理論を使うわけにはいかないからである。このタイプを相手に上手く交渉をするには、この時期を外して交渉することである。今朝のテレビ番組「とくダネ」で、木村太郎氏がその対策を喋っていた。「逃げるが勝ち」だというのだ。こちらから、早々にアポイントメントをとって、会いに行くのは愚かなことだというのである。

我が安倍総理は、このことをご存知なかったようだ。実務的なことは国防長官が来日されるので、事足りる。このような情況では、向こうから声がかかるまで、じっと待っていた方が良い。声をかける側には、その時点で交渉にハンディがつくからである。