2017年5月31日水曜日

憲法改正を急ぐべき:だから町内会レベルで憲法を考えようではないか

元ウクライナ大使の馬渕睦夫氏による憲法改正に向けた安倍案の説明があった。その動画サイトはhttps://www.youtube.com/watch?v=ux-dO-5Arucである。
安倍案は、9条の二項を残して9条三項に自衛隊の存在に関する文言を加えるという提案である。自民党の中でもどういう文言を第三項に入れるのか想像できないという意見もある(石波茂氏がそう言っていたと記憶する)。馬渕氏はこの件で動かないメディアを批判しているが、それは9条二項を残せば改憲する意味をどう議論して良いのか、分からないからだと思う。 

この動画の中で、馬渕氏は憲法の上に国体があると言って居るが、ちょっと同意できない。国体が憲法の上にあるというより、国体を規定する文章が憲法であるというべきである。憲法は、「日本という国はこのような国です」と内外に宣言する文書だから、しっかりと論理明快な文で書くべきであり、訳の分からない憲法を制定する一方で超法規的措置で課題の解決をするという政治を繰り返すのは、日本は無原則で訳の分からない国であると内外に宣伝することになる。そのような国を国際社会は信用しない。 

従って、私は憲法9条第二項を全面改定した憲法案をつくり、それを国会に出して議論し裁決すべきだと思う。この緊急時にそれを否決する連中は、他国のスパイという正体がバレる可能性が高い(議論の中で与党はそのように正体をあばくべき; 補足1)。そしてその現場(国会)を国民に見せるべきである。

野党も門前払いに失敗すれば、次にはその国民の評価が暴落する危険性を考えて、まともな議論に参加するだろう。 日本の政治家なら、この国難に際して命をかけて、国民に憲法改正の必要性を説明し、賛成するように説得すべきである。そのプロセスを、例えば二度程度繰り返せば、きっと憲法改正をまともな形で出来ると思う。その意味で、この北朝鮮問題という国難をチャンスと捉えるべきである。 

野党が反対するのは別に驚くべきことではない。そんな野党を国民が選んできたことの方が驚くべきことである。それは、与党もそれ相応に頼りなかったと言うことである。従って、馬渕氏の野党批判は間違っていると思う。憲法をこれまで放置したのは与党自民党の責任である。吉田内閣の時(サンフランシスコ条約後)とか、岸、池田、佐藤、田中内閣の時に憲法改正を言い出せなかったのは、米国の支配下のもとでの軍隊保持は、朝鮮戦争やベトナム戦争への参加を余儀なくされるからであると推測される。

しかし、その危険性が去った中曽根内閣の時、政治基盤がしっかりしていたのだから、総理の椅子など気にせず、せめて国民に憲法を考える場をつくるべきだったのだ。つまり、駄目でも国会に提出し、議論すべきだったと思う。そうしておけば、次に長期政権を築く実力のあった小泉内閣のときに改正できたかもしれない。この二人の首相の怠慢は腹立たしい。 

この大問題を国会で考えるのと同時に、国民にも考えることを具体的に要求したら如何か。そのために、日本全国に張り巡らされている自治会組織を使うと良いと思う。現在、町内会では地方自治体の指導で防災訓練をしている。今や地震以上に被害を受ける可能性が高いのが、北朝鮮による攻撃ではないだろうか。 

この際、結論への誘導をしないで、憲法を考える集会を町内会レベルで組織するように指導したらどうか。憲法に関する客観的な資料だけ用意して配布し、あとは自由に議論して貰えば良い。町内会レベルの話し合いでも、きっと常識的考えが生き残る筈である。その結果、憲法9条二項の廃止に賛成する世論が形成されると思う。 (編集17:30)

補足:
1)戦後の野党第一党の日本社会党委員長の勝間田清一はKGBのスパイであった。(ウィキペディア参照)その延長上にある社民党が未だに国会に議席を保有しているのは驚くべきことである。

「象徴民主制?」を採用している英米と民主主義の毒に苦しむ日本

1)日本では、象徴天皇制を採用している。つまり、憲法第一条:天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であり、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。占領軍がこの文言を日本国憲法に採用したのは、既に“象徴としての主権”という考え方を知っていたからだろう。そして、それは英米が“象徴としての民主制”を採用していたからだろうと思う。

民主政治の評価に関しては、チャーチルの議会での演説がよく知られている。 「多くの政治形態がこれまで試みられてきたし、これからも罪と悲しみのこの世界で試みられるだろう。民主主義が万能且つ完全であるとよそおうことは誰にも出来ない。事実、これまで試みられた政治体制を除けば、民主主義は最悪の政治形態と言われている」下院演説 (November 11, 1947)(補足1)

この演説文を、「民主主義はこれまでの政治体制の中で最良だが、それでも多くの困難を持っている」と解釈している人がいるが、それは間違いである。この文章を素直に読めば、単に「民主主義は厄介な政治制度だ」と言っているに過ぎない。「民主主義より優れた政治体制が過去には有った」という命題を全く否定していないからである。

この種の話術に簡単に引っかかってしまうのが、人間なのだろう。「チャーチル 民主主義」で検索すると、ウィキペディアの記事として上記文章と似た“チャーチルの言葉”が出てくるが、誤訳である。(補足2)この演説で「よそおう(pretend)」という単語を用いる時、チャーチルは上記「象徴民主制」を考え、自分は既にそれを採用していると自覚していたと思う。

英米では、政治家にとっての演説の重要性が日本よりはるかに高い。それは象徴民主制の演出(民主主義がベストであるとのpretension)上必要だからである。オバマ前米国大統領の上手な演説には、真実を隠すだけの能力がある。例えば、「核保有国は恐怖の論理から逃れ、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」という広島演説などその典型である。どうせ大衆には記憶力がないので、その場その場で適当に美しい演説をしておけば、象徴民主制が維持できるのである。

自由と平等を旗頭に、開放的な社会を目指すというのも、おきまりの文言である。大衆には、彼ら為政者の心地よい住処である現実から、反対の方向を指差して美しく演説すれば良いのだ。不自由で不平等な現実は言うまでもない。英米が情報面で閉鎖的であることも、言うまでもない。強力なCIA、MI5、 MI6などの諜報機関(スパイ組織)を持っていることがその証拠である。

2)5月初旬の文在寅氏が選挙に勝って大統領になる前のニュース解説が、昨日動画配信された。それは、西岡力氏のチャネル桜かなにかでの発言であり、以下のサイトで視聴できる。 https://www.youtube.com/watch?v=Q8MRYxe0wyU&t=860s この中で西岡さんは北朝鮮危機に関して、日本に全く危機感がないことを憂いておられる。その記事に私は以下のような書き込みをした。

全く同感です。日本独自の防衛戦略を立てるべきだと思います。米国は無傷で北朝鮮を潰せますが、日本では多くの死者がでることになります。しかも、朝鮮戦争では日本は当事国ではありません。この点で日本と米国は利害が一致しません。日本の政権は米国の後追いしかしません。 日本は独自に防衛を考えるべきですし、核軍備なども考えるべきです。しかし、日本人は残念ながら馬鹿です。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43296137.html

引用サイトは、昨日書いた記事(姉妹サイト)である。韓国を訪問した日本人(橋下徹氏&他にも)は、日本同様に危機感のないソールの町の気配を報告している。この事実は、大衆は国家の危機に対するセンサーを持ち合わせていないことを示している。しかし、一旦危機感を持つと、そのセンサーはノイズばかりを拾って、大衆は発狂し国家は全体主義に陥ってしまうのだ。

大衆は国家という概念すら理解していないのだから、民主主義を押し付けることは最悪の政治形態をその国に植え付けることを意味している。ニーチェが言ったように、民主主義とはキリスト教の悪影響でできた政治体制なのだろう。そのお家元では、遠の昔にその制度の欠陥を克服するために、裏の支配組織を完成している。つまり、英米の政治形態は「象徴民主制」である。 日本が憲法9条2項を廃止して、自衛軍の保持を宣言し、それに核兵器の持ち込みも検討すべきだと西岡氏は力説している。それは一定の知能があれば、当然の話なのだが、多数決を当然のこととする民主主義に阻まれてできないのが現状である。その原因の一つに、国会に多くのスパイがいることが挙げられる。米国議会にもマッカーシーが明らかにしたように、共産党支持者とスパイが紛れ込んでいたのだから、日本なら当然である。実際、公党の委員長で勲一等の受賞者である勝間田清一がKGBのスパイだったことが明らかにされている。それでも、この民主主義と平和主義に毒された国ではスパイ活動を防止する法律が最近ようやく国会を通過したばかりである。

そこで、欧米の民主主義的先進国では、裏の支配組織に諜報機関をしっかり持ち、(日本の現状がそうであるように)外国のスパイが国会議員に紛れていれば、その身辺には必ず醜聞があるのだから(無ければ捏造でもして)次回選挙で葬るなどの対策をする。私の想像では:英米は、何処かから流れる資金を使ってシンクタンクが政策&戦略を立案し、それを元に支配層政治家が国民にアナウンスし、議会で可決して執行する。最後の最高機関は議論するだろうが、大筋を外すことなどしない。つまり、象徴としての民主主義政治を採用しているのである。

西岡さんが歯ぎしりしても、スパイに話が通じてもバカな大衆には話は通じない。米国の占領政治の果実を今我々は味わっているのだ。毒に満ちた果実である。ああ、やはり森友問題にも、加計問題にもこの際、目を閉じるか。。。

補足:
1)Many forms of Government have been tried, and will be tried in this world of sin and woe. No one pretends that democracy is perfect or all-wise. Indeed it has been said that democracy is the worst form of Government except for all those other forms that have been tried from time to time...
2)これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。 https://ja.wikiquote.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9 私が誤訳としたのは、この最後の文を敢えて二つの文章に訳したところである。(追加:17:00)

2017年5月30日火曜日

日本の対中国&対米戦略:百田さんのカエルの楽園論議に思う。

1)百田さんが中心の以下の動画を見た。https://www.youtube.com/watch?v=eZac-l-C5-U 日本の脆弱な防衛体制とそれをかえるべく憲法改訂の話がでている。憲法改訂は当然必要であるから、公明党への配慮とか最初から小さく目標設定するのではなく、本来がこうあるべきだと線でまとめて一度国民の前に出すべきだと思う。否決されたときに、再び対策を考えれば良い。

その中で、このままでは日本が消滅の危機を迎えるとして、百田尚樹&石平のコンビが考えたシミュレーションが紹介されている。中国の尖閣侵略が始まったものの、自衛隊が憲法9条を意識して俊敏に動かないので(補足1)、米軍の支援が得られずにあっというまに尖閣諸島を完全支配される。そこに2、3年で中国の大軍事基地ができる。中国軍との万が一の衝突を避けるべく米軍はガム島に全面的に退却する。そして、沖縄は中国の傘下にはいり、日米安保は、(役に立たないという日本側の考えと、世界の警察官ではないという米国のもともとの考えにより:この部分追加)解消される。

その後、自衛隊の解体へと百田さんの話はすすむ。兎に角その時点では、日本の中国支配は中国の裁量の範囲にあるだろう。現在の日本人には戦う気概などないからである。この日本崩壊のシナリオは一つの筋が通った話だが、それに完全には囚われてはいけないと思う。

2)この動画の中の日米関係に対する考え方が基本的におかしいと思う。従来の米国の路線を単純に、日米同盟関係と米中対立関係と捉えるのは正しくないと思う。本当は:中国と米国の対立はそんなに続かない。中国は米国の本来の敵であっても、米国が最初に滅ぶ国と考えているのは日本ではないだろうか。勿論、中国に滅させるのである。日本人は中国を恨みながら、米国に恩義を感じながら滅びるだろう。(補足2)

単純に考えても、中国か日本かという選択の問題になったとき、米国にとって簡単で且つ損害が少ないのは日本を切り捨てることである。日中国交回復の時のこと、キッシンジャーが言ったというセリフを忘れてはならないと思う。

日本の人たちは馬渕睦夫さんの考え方をもっと勉強すべきだと思う。それによれば、戦後の米国の戦略は、日本を非軍事化するかわりに安保条約で米国の軍事力依存症にして、日本を弱体化するものであった。そして、中国、北朝鮮、韓国、日本をバラバラにすることが、米国の基本戦略だろう。慰安婦問題で日韓がお互いに腹を立てているのも、そもそも米国が李承晩をアメリカから韓国大統領に据えたからである。朝鮮戦争の不思議も、半島の分割がもともとの米国の戦略であると考えると分かる。

中国の脅威が迫っているが、その対策を従来の日米安保を強化する路線で行おうというのでは、日本は米軍依存症から脱却はできない。それでは滅びまでの時間を多少のばすことはできても、命を救うことにはならないだろう。問題設定を、中国の脅威から日本をどう守るかではなく、どうやって中国や米国の強い反対を押し切って、日本が再軍備を実現するかに切り替えるべきである。そう考えると、中国、日本、米国の関係をどう考えるかは、前者の問題意識の場合とは異なる筈である。

米国からの独立と独自軍の保持は簡単ではない。しかし、トランプ大統領の時ならできるかもしれない。米国との信頼関係を保ちながら、中国に「日本は、本当はアジアの国なのだ」と思わせることが、独自軍の保持と拡大には大事であると思う。チャンスを逃さず、核武装(独自核開発、あるいは米国の核兵器の日本国内移送)までやってしまうべきだと思う(極秘でもなんでも構わない)。

3)憲法改正について、国民の合意を得るまでには、間に合わないかもしれないが、歴史教育から日本改造を始めるべきである。その中心を明治以降の歴史に置く。しかも、薩長が陰惨なクーデターを天皇の政治利用により成功させたという、真実にそって教育すべきである(補足3)。昭和史も、自分に都合の良いところだけ取るのではなく、あくまで史実にそって教えるべきである。

トランプ大統領は米国が世界を設計するという考え方をとらないので、彼との信頼関係を強力にすることが大事であると思う。その信頼関係を用いて、米国の犬でなくなった時、正常な対中国関係を作れるだろう。日本の軍備増強は、日本が(米国の犬ではなく)独自の国家であると見えれば、それほど中国の脅威ではないだろう。その結果、憲法改正と独自軍保持が国際的な波風をあまり大きくすることなく可能になると思う。日本が成長すれば、米国と中国の政治的距離は日本というバッファを挟んで遠くなり、本当の意味での米国の国益にも繋がる。このくらいのことができなければ、日本には22世紀を繁栄のうちに迎えることはできないだろう。天才的なリーダーが望まれる。

因みに、北朝鮮を非難している連中はバカである。なぜなら、北朝鮮は危ない橋を渡ってはいるが、米国と中国の両方から独立した国家を建設しつつあるのだから。(もちろん、日本にとっては手本にはならないだろう)

北朝鮮問題を考える時に、同時に考えるべきことは、未だに米国(国連軍の名目)と戦争中であるということである。米国が休戦協定を先に破り韓国に兵を常駐させ、年に一度戦争再開に備えて大規模な米韓軍事演習を行っている事実を、忘れてはいけない。日本のテレビに出る評論家たちは、そのことを忘れているのか、米国のスパイなのか知らないが、そのことをほとんど言わない。日本には大勢の米国のスパイがいることを忘れてはいけないと思う。

補足:

1)よく考えられているモデルでは、先ず漁民を装った兵士が暴風を避けて島に避難する。その次に正規軍が漁民の救助ということで尖閣に停泊し、そのまま実効支配するというプロセスである。この時、憲法9条になれた自衛隊は戦う機会をみつけられないままに実効支配されてしまう危険性が極めて高い。つまり、漁民漂着の段階で銃撃することが、今の憲法下で自衛隊にできるかというと、普通の感覚では疑いが生じる。
2)このような戦略も、米国全体というより支配する一部の考え方だと思う。複雑な米国だからいろんな勢力があると思うし、更に国民となるとあまり多くを知らないと思う。
3)薩長は天皇を利用したのであって、天皇の下に集合したのではない。過度な右翼的姿勢は道を誤る。我々すべてが天照大神の子孫ではない。単一民族思想は国も硬くするかもしれないが、脆くする。

2017年5月28日日曜日

加計学園疑惑に対する官房長官のもみ消し発言は恐怖政治的である&獣医師は不足していない

1)加計学園の今治市での獣医学部設置要求に関して、早期開学は総理の意向であるとして早期許可を要求する文書が存在したと、前川前文部事務次官が暴露した。暴露と書いたのは、菅官房長官が疑惑の否定を裏付ける発言をしたのではなく、逆に情報提供者である前川前次官の人格否定ともとれない発言をしたからである。

この種のやり方は、国家のトップにある内閣総理大臣に行政上不適切な行為があったのではないかと考える者を、門前払いする時にとる方法であり、政治評論家の誰か(サンデーモーニングの寺島実郎氏と記憶する)が言っていたが、恐怖政治を敷く際に用いる方法である。そして、この種の否定の仕方を、我々はすでに森友学園騒動で見ている。

この件について、日本を代表する新聞である読売新聞は5月26日朝刊で、前川前事務次官の発言とそれに対する官邸の反論を詳細に報じている。それらは、前川氏の人格を否定する官房長官の発言の再録を含めて、大本営発表を垂れ流したかのような内容であった。

2)内閣官房の前川前文部事務次官の攻撃の内容:

菅官房長官は、前川前次官が出会い系サイトに出入りしていたことについて、「教育行政の最高責任者がそうした店に出入りし、小遣いをわたすことは到底考えられない」と切り捨て、返す刀で「そのような(加計学園の獣医学部設立申請を急ぎ許可する様に依頼する内容の)文書の存在は確認できない」と否定したのである。(下の図参照)官房長官は相手側をスパッと二度切ったつもりだろうが、その刀は自分自身にも深手を負わすことに気がついていない様だ。

「教育行政のトップが出入りしては行けない場所」とは、社会的に忌避されるべき場所の意味だろう。しかし、そのような場所で働いている人も嘗て教育行政の中で育ち、同じ日本国の行政サービスを受ける権利をもった人間であることを、官房長官は考えただろうか。噂されるように犯罪的なことが行われているというのが国民的常識であるからこそ、「教育行政のトップが、その地位にふさわしくない場所に出入りしていた」と非難出来るのだろう。

もしそうなら、行政全般のトップである内閣は、どうしてそれを放置してきたのか?まるで自分たちの埒外というような発言をする資格があるのか?

日本の内閣は、そのようなところに出入りする人たちのリストをつくり、政権批判が出たときに、そのリストと照合して批判者が含まれていれば、それを暴露することで、政権維持を図っているのではないのか?官房長官の行為は、加計学園の獣医学部設立の許認可のプロセスを正規の姿から歪めたことを示している。正規のプロセスを踏むことができないが故に、官房長官は間違った方法で強引にもみ消そうとしたのだろう。

3)獣医師は不足しているか?

読売新聞26日第13版二面の記事によれば、獣医師会が獣医師は不足していないとして、同学部の新設には反対している。2014年時点で、獣医師免許保持者は39100人いるが、そのうちペットの獣医師が15200人、農家の家畜を見る獣医師が7700人いる。全体の3割が製薬会社や行政で関連業務についているが、一割は獣医師に無関係な場所で生きているという。(読売2017/5/26朝刊13版2面)

この分布は、獣医師免許保持者は既に必要以上存在することを示している。それどころか、獣医師の免許を持ちながら“動物の医者”として仕事をしている人は全体の六割にも満たないのである。非常に近い免許として人間を対象とした医師免許がある。医師免許を持っている者のうち、医師として働くことを希望したものはほぼ全員がその希望を満たせることが、以下の情報から類推できる。(上記獣医師のケースのような統計が見当たらなかった。)

日本医師会は、結婚後に医療現場に戻る人のための女性医師バンクをつくった。女性の医師免許保持者は7-8万人程度以上(医師数の30%)いるが、その登録数僅かで約2200名である。https://www.jmawdbk.med.or.jp/ つまり、免許保持者のほとんどは希望すれば医師として働くことが可能であることを示している。

4)受験生にたいし獣医師の現実を教育すべきである:

読売新聞2017/5/26朝刊第13版二面に重要な指摘がある。それは獣医師免許保持者で人気がある就職先はペットのための医院であるが、ペットの医師となれるのは獣医師免許を取得した者の半分にも満たないことである。

つまり、獣医学科を目指す高校生は、動物好きの子供達が主であり、動物の健康を維持するための仕事を目指して獣医学科に入学するのである。しかし、元々獣医は家畜が対象であり、良質の食肉や鶏卵などを得るため仕事なのである。つまり、動物を愛する仕事としての獣医師は最近の仕事なのである。

岡山理科大学(加計学園)が獣医学部設立を考えるのは、獣医学科の人気に乗じて学生を大勢集め、大学の経営を安定化させたいのだろう。獣医学科の人気は、その入学試験の難易度でわかる。例えば、地方にある鳥取大、鹿児島大、山口大などの獣医学科でも、その入試難易度は大都市の旧帝大の理工系よりもむしろ高く、京都大学の農学部と同程度である。http://www.toshin-hensachi.com/rank/?course=12

更に、唯一独立した学部として存在する北海道大学の獣医学部の難易度は、理工系のトップクラスであり、地方の国立大医学部よりも難関である。この人気は獣医師が“動物のお医者さん”という誤解に基づくと私は考えている。不足しているとしたら、動物を食肉として育てるための獣医であるから、その充足は獣医学科の新設ではなく、受験生に獣医という仕事の現実を正しく教育して、獣医学科受験の意志と将来の仕事との差を無くすることである。

つまり、文科省への獣医学部新設の要請は、まともな動機からでているとは思えない。

2017年5月27日土曜日

昨日のブログ記事の修正&韓国及び各国における戦時性奴隷の例

昨日のブログ記事の修正&韓国及び各国における戦時性奴隷の例昨日の記事に不十分な箇所が見つかったので、直接記事を修正することなく保存し、ここに改めて修正点とその解説を記す。

修正箇所: 3)二番目の改行後の最後の文章:
これはナチスのホロコーストと日本の慰安婦を同列に扱いたいという思惑が、米国の政治勢力の中にあることを示している。 =>これはナチスのホロコーストと日本の戦時残虐行為を同列に扱いたいという思惑が、米国の政治勢力の中にあることを示している。

理由:米国が問題にしているのは、前のIWG作成の資料の紹介するブログで書いたように、4つの残虐行為がある。それらは、1)日本のアジア一般における戦時残虐行為、2)戦争捕虜や市民労働者の虐待(mistreatment)、3)生物兵器や科学兵器に関するもの、4)所謂慰安婦に対する強制売春であった。

追加:

詳細を議論しなくなった後世を考えると、最も記憶に残るのが4)である。その為、同様の行為を行った国々は決した謝罪などしないのである。

それらの例として、韓国関係に限っても:ベトナム戦争中に多数のベトナム人女性を強制連行し性奴隷としたこと;朝鮮戦争中に日本軍が設置したのと同様の売春宿を置いたこと;更に、在韓米軍の為に自国民女性に慰安婦行為を強制し、その元慰安婦により告発されているなど、様々なケースがあり、どの面下げて(関西弁)日本の慰安婦制を執拗に攻撃し、慰安婦像を外国に立てているのかと言いたい。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6 

また、ドイツが第二次大戦中に占領地の女性を街角から拉致し連行したケースがあるようだ。戦時売春婦(或いは性奴隷)は34000人以上いたようである。https://en.wikipedia.org/wiki/German_military_brothels_in_World_War_II 第二次大戦時の満州でのロシア軍による日本人女性を拉致して強姦したケースは、作家五木寛之さんの新聞記事でも生々しく紹介されている。 http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150804-OYT8T50215.html

2017年5月26日金曜日

韓国出身旧慰安婦の対日請求権

1)ある米国在住と思われる方のブログ記事を読み、加瀬英明氏が代表となっている「慰安婦の真実」国民運動というグループが日本にあることを知った。https://blogs.yahoo.co.jp/kiko10da/folder/519863.html このグループの活動を非難する記事の中で、ブログの主は「真の国益という立場に立てば、日本政府に韓国政府との慰安婦補償問題の解決交渉に応じるように運動することであろう。」と書いている。私には、韓国政府が直接補償を要求する法的根拠がわからない。

勿論、「日韓両国が協力してその事実を解明すべきである」と言うのならわかる。歴史学あるいは社会学の一つとして、戦争と性の問題を研究するのは一つの学問分野になり得ると思う。東西冷戦時(補足1)やイスラム圏での内戦(補足2)などでも、多くの悲惨なケースがあったし現在も存在する。しかし、大戦前の韓国人慰安婦への補償を日本政府に要求する法的根拠は、韓国政府にはない。また、事実関係を実証しうる場合を除き、韓国の元慰安婦の方々にもないと思う。しかし、戦後に生きる我々と関係国政府は、戦争で悲惨な経験をしたその他の人たちを含め、謝罪(道義上)と補償をできるだけ行うべきであると思う。以下にそれについて私の意見を書く。素人なので、文章の内容に間違いがあれば指摘してもらいたい。

2)日韓基本条約とそれに付随する日韓請求権並びに経済協力協定で、ほとんどの両国間の補償問題は解決済みの筈である。勿論、後者の第3条には協定の執行時における紛争には、仲裁委員をたててその決定に委ねると書かれている。しかし、元慰安婦の方々がその条文の規定により補償を要求するには、慰安婦となった経緯と慰安婦としての日常において、日本軍兵士及び当時の大日本帝国政府による違法行為の立証がなければならない。

その場合立証が比較的簡単な不法行為は、官憲による強制連行ということになる。これは明確な法律違反である。また、逃亡の力による防止や行為の強制であるが、これが慰安所経営の業者によるものなら、不法性と責任(大日本帝国の)の立証はより困難な作業となる。従って、一般的な謝罪と慰安婦の方の特定以外の事実究明を必要としない形での補償を行う方が、より双方に受け入れ安い(つまり法的な複雑性がなくなる)だろう。

日本、朝鮮、台湾など多くの国から慰安婦として参加せざるを得ない情況に追い込まれ、その結果として人生を台無しにされた慰安婦の方々に対して、関係諸国がヒューマニズムの観点からお詫びの気持ちを表明し、基金を設立して道義的責任に基づく補償金を手渡すのは必要なことだろう。勿論、韓国が独自にそれらの方々に年金などを支給するのは、好ましいことだと思う。

日本政府は、韓国政府や韓国世論の意向を受けて、独自の判断でアジア女性基金を設立した。アジア女性基金は、韓国女性の他に、インドネシアでのオランダ女性を日本軍兵士が拉致し暴行したケースが戦後の軍事裁判で明らかになっているので、その被害者にも補償を行なっている。同基金は、必要と思われる補償をすませとして、2007年に解散している。

以上のように人道的見地から慰安婦に対して補償を行うのは、戦後に生きる人間としての義務だろう。そして、戦争行為以外において(戦争との関連で)悲惨な境遇に追い込まれた人たち一般にも、同じ根拠で補償を行うことが必要だろう。しかし、残念ながら、このような補償ができるほどどこも余裕がないようである。

3)戦後補償には慰安婦関連の他にも色々あると思うが、それらのケースを政治的に利用することは厳に慎むべきであると思う。慰安婦問題に関連して一部の人間が、慰安婦像と称するモニュメントを米国など外国にまで建てていることは、日本人として非常に腹立たしく思う。我々日本人には、日本国と日本国民とを侮辱するネットワークの国際的構築を目的にしている様にも感じる。何にしても、その動機は明らかに政治目的である。(補足3)

この件、米国の一部の思惑と一致する様である。つまり、米国は2000年12月にナチスの戦争犯罪資料省庁連携ワーキンググループを改組し、ナチス戦争犯罪及び日本帝国記録省庁連携グループを作った。これはナチスのホロコーストと日本の慰安婦を同列に扱いたいという思惑が、米国の政治勢力の中にあることを示している。

慰安婦問題の本来の当事者は、元慰安婦の方々と大日本帝国の軍人と彼らが所属する大日本帝国である。しかし、大日本帝国は無くなったので、現在の当事者は元慰安婦の方々とこの問題を継承した日本国政府である。韓国政府は1945年以前には存在しなかったのだから、元慰安婦の方々の現在の所属国として元慰安婦の方々の代理で権利を主張すると言う限定的な意味でのみ当事国であり得る。

つまり、韓国国民は慰安婦とその親族以外は直接の当事者ではない。従って、韓国人一般の心情は理解できるが、慰安婦問題で日本国を非難する権利(法的な)はない。 一方日本国民は、日本政府が一定の責任を持つ以上、この問題の当事者である。それ以外の第三者(例えば米国人など)などには、このケースで政治的活動をする法的根拠はないし、補償を主張する場合にも、言論の自由以外の根拠はない。(15:35; 21:25編集)

補足:
1)ベトナム戦争のとき、韓国軍がベトナム人女性を強制連行し性奴隷にした犯罪についてはよく知られている。そのほか、ウィキペディアの記事に詳しい記述がある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6
2)このケースは我々部外者には更に異常かつ悲惨に見える。詳しくは例えば、http://tocana.jp/2014/01/post_3563_3.html
3)昨年韓国の挺対協は、旧慰安婦に日本からの補償金を受け取らない様に圧力をかけた。

2017年5月24日水曜日

善と悪への分類は人により情況により変わる

先の文章の意味が支離滅裂だと仰る方がいたので、敢えて再度アブストラクトを書きます。

何が善で何が悪か、それは分類する人の都合による。つまり、その人が推奨したいのが善であり、撲滅したいのが悪である。それが全く解っていないが如く外交を展開している国が、現在世界を牛耳っている米国である。解っていないふりをしているのか、解っていないのかわからない。マッドマンの理論とビッグスティックの外交は彼らの得意技だからだ。自分たちの善悪の分類を守りたいだけかもしれない。

生物が有限の空間で生きるとき、必然として争いが生じる。AとBが争う場合、BはAにとって悪であり、AはBにとって悪である。Aの内部ではBを殲滅することが善として語られる。AとBを含む大きな視野を持つものがあったとしたら、その善と悪の分類には意味がない。つまり善悪は相対的なものである。

善は味方が団結するために味方のメンバーとその行為につけるマークであり、悪は敵を殲滅するために敵と敵の行為につけるマークにすぎない。

人類普遍の善と悪の定義が可能だと考える傲慢な連中がいる。最近良く聞く「テロは人類の敵だ」という台詞に傲慢さを感じないとしたら、それはその傲慢さによるか、知性が無いかのどちらかである。その台詞の中の「テロ」とは敵による攻撃であり、「人類」とはテロという言葉を発する自分たちとその味方のことにすぎない。

第二次大戦での民間人への残虐行為が、双方の国の軍により行われた。講和が成立した後も尚、敗戦国とその国民に対して人道に反する罪を犯した者の国とその子孫として侮辱する人がいる。善と悪が状況により相手によりことなることが解っていない身勝手な人たちと、彼らがつくる国家(政府)である。

2017年5月23日火曜日

慰安婦は残虐な性奴隷であったと、平和時に欧米が日本批難する資格を持つのか?1)

1)現在何人かと幾つかのサイトで、日本軍の慰安婦問題に関して議論している。その中には、日本軍が韓国など旧植民地の女性を性奴隷にしたと批難される方もいるし、比較的日本軍に”甘い人”もいる。客観的に記述すると、先刻投稿した米国政府の「Nazi War Crimes andJapanese Imperial Government Records Interagency Working Group」報告にあるように、強制売春でありどの程度の強制や残虐性があるかについては、未だ未解明であるということになるのだろう。

私は、慰安婦の制度にたいして、少数の元慰安婦の方の証言を信用して、性奴隷というのが実態であると、旧日本軍の行為とそれを正しく謝罪しない日本政府の姿勢を激しく批判される方に対して、「自分を事件から全く離れた場所において、悪行をひはんするのは簡単です。」と批判的な意見を返したところ、以下の反論をもらった。「自分の信念(例えばクリスチャンとして)にもとづいて、悪行を批判するのは簡単なことでしょうか?悪行が批難されるのは当然である。そうでなければどうして社会に正義をもたらすのですか?」というものである。そこで、それに対する答えを対話風に以下記述する。

2)善と悪の問題ですが、その前に日本人の宗教について一言書きます。日本人は決して無宗教ではありません。日本人は人格神を信じていませんが、自然そのものを神として崇めています。それ(神道)には教義はありませんから、日本人は誤って無宗教と言ってしまう癖があります。むしろ神道は強く日本人の心に根付いているため、本人すら気がついて居ないのです。

原爆投下の件で米国をきつく追求しないのは、自分たちが下手なことをやってしまったのも原因の一つだと感じているからです。原爆資料館の碑文をご存知かと思います。そこには、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」と書かれています。つまり、頭の何処かに天罰的であると考えている部分があるのです。分かり易く言えば、碑文を書いた人にはそのような情況に追い込まれてしまったという感覚があるのです。それと同時に、同じ程度に米国の将軍は、そしてエノラ・ゲイの搭乗員は、原爆を落とす運命というか役回りになったのだと感じているのです。しかし、断定は出来ません。

どのような悪事についても、その原因を突き止めるように(突きとめられるように)問題を明確に立てて(単純にたてて)、その犯人として一人の名を上げるという、問題の単純化には、日本人は躊躇するのです。何故そう言えるか、それは戦争責任者たちも全て戦後国民の署名で名誉回復し、靖国神社に祀ったことでおわかりかと思います。(勿論、対米戦開戦時の首相の東条英機の人気は極めて低いですが)

この非論理的な対応が良いと言っているのではありません。それではこの厳しい国際社会を生き残れないでしょう。その理由ですが、日本人は個別の問題をその時の情況など全体の運動の結果のように捉えるからだと思います。つまり、西欧の方の正義とその実現という姿勢は極端に問題を単純化し、自分勝手に回答を出していると考えるのです。

自分の信念に基いて悪行を批判する能力があるのなら、何故米国のエノラ・ゲイの搭乗員は原爆投下を拒否しなかったのですか?米国の司令官はエノラゲイの搭乗員にそのような過酷な命令を出したのですか?それともジャップという猿を退治するだけだと割り切ったのでしょうか?それでも弱者や貧しいものを擁護するキリスト教徒でしょうか?

つまり、善と悪のラベルを個人の行動につけるのは、難しいというか困難である、或いは無慈悲であると考えます。キリスト教徒のように神の判断により善と悪が決定され、その悪を犯した人間の置かれた情況が如何なるものであっても、それとは無関係であると考えることは出来ません。否、多くのキリスト教徒も実はそうはしていません。キリスト教徒であれ何教徒であれ、悪を非難しますが、自分は悪を為す立場にならないように、或いは、悪を為したと避難されない立場になるように知恵を使っているに過ぎないと思います。

そのような情況に追い込まれた時、人はあたかもコンピュータが計算した通りのように、悪を行う場合が殆どです。それが「戦争犯罪者」の真の姿です。平和な日常では明るい優しいお父さんであり、お兄さんであった人が、あの情況下で戦争犯罪者になったのです。日本人は、そのような情況は、自然の流れというか運命によりもたらされると考える傾向があります。それが他の企みによるとは考えない傾向があります。原爆資料館の記念碑の碑文にある通りです。

本当は、自分がそのような情況に追い込まれる前に注意深く情況を把握し、悪に追い込まれる情況を他人に押し付ける人が、善人の顔をして生き残っている場合が多いのです。

3)「親鸞」を書いた五木寛之さんは、終戦後南進して暴虐の限りをつくすロシア軍兵士から逃れる為に朝鮮から日本に逃げ帰ります。五木さんは無事逃げ帰れたのですが、多くの人が強姦されたり殺されたりしましたし、生き残った人も大勢がシベリアに送られて死にました。

その際、情報を早く握った軍の幹部たちは素早く逃げていたのです。そして五木さんは結論します。悪人が生き残るのだと。

現在、日本はロシアと国後島や択捉島などの共同開発の話を初めています。熊のように日本女性を強姦し、多くの日本人男性を殺すかシベリアに送った人の国を相手にしての共同開発です。何故そのような話を進めるのか?そのロシア人たちも、平和な時には優しい面白い人達であることを我々は知っているのです。

あの悪行を批難する資格があると信じる人は、すれば良いでしょう。私は心の中では、そのような資格をこの地球上の人の殆どに与えません。「心の中」とか「殆ど」とかいう言葉を用いたのは、私にはそのように決めつける自信がないからです。

補足:
1) 欧米に居る人に、欧米の韓国人日本人2世も当然含まれます。

米国省庁連携機関による慰安婦等戦争犯罪の調査結果(続)

前回紹介した”日本の戦争犯罪資料研究:小論(Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays)の全体についての簡単な紹介と第一章と第二章に書かれた慰安婦に関する部分を訳して紹介します。詳しくは原文をみてください。内容に対する責任は持ちませんが、間違いの指摘、意見等は歓迎します。

§1:全体について簡単な説明
Researching Japanese War Crimes:Introductory Essay は米国の国立情報局(NationalArchives and Records Administration;NARA)による240頁ほどの日本の戦争犯罪について書かれた解説書で、研究者が公開された戦争犯罪に関する資料を調べる時の入門書である。2006年にNARAにより公開された。

目次:第1章:イントロダクション;第2章:日本の戦争犯罪の証拠書類と研究:中間評価;第3章:日本の戦争犯罪について国立情報局で新しく公開された資料;第4章:日本の戦争犯罪に関する国立情報局資料の調査起点;第5章:アジア太平洋戦域における戦時通訳通信記録1978-1997; 第6章:没収及び差し押さえられた戦争犯罪資料の利用について、1942-1945; 第7章:没収及び差し押さえられた日本の資料の返却に関して;第8章:その他情報(正確な情報としては以下の原題を見て下さい:Chap.8 The Intelligence that Wasn’t: CIA Name Files, the U.S. Army, and IntelligenceGathering in Occupied Japan

第二章は戦争犯罪の定義に始まる。ここでは、戦争犯罪とは比較的新しい概念であるという文章から始まる。(補足1)

この資料においては、日本の戦争犯罪を4つのカテゴリーで取り上げている。1)日本のアジア一般における戦時残虐行為、2)戦争捕虜や市民労働者の虐待(mistreatment)、3)生物兵器や科学兵器に関するもの、4)所謂慰安婦に対する強制売春、である。

残虐行為として南京大虐殺についてかなりの頁を割いている。一言だけ紹介すると、「少なくとも数万という便衣兵が日本兵により上官の命令に従って殺戮された。そして、1980年代中期に日本の退役軍人の会である偕行社の代表が、この件に関して中国国民に対して謝罪をおこなった。」(原文:補足2)

§2:慰安婦問題

第1章に短い慰安婦に関する記述がある。その概略は以下の通りである。

戦場の売春宿で若い女性に売春行為を強制したとされる日本軍のシステム(慰安婦の件)を巡って、論争が特に韓国で湧き上がっている。1994年にGeorge Hicks著の“慰安婦:第二次世界大戦時における日本の野蛮な強制売春制度”(The comfort women: Japan’s Brutal Regime of Enforced Prostitutionin the Second World War II)が初めて英文でこの件を紹介し、その強制された婦人が日本に補償を求めていると書いた。1990年代の終わりになると、慰安婦の苦境が米国のフロント頁に踊りでて、婦人の権利の主唱者などが日本政府に戦争時の人権無視にたいする責任を認めるよう要求した。

第2章の最後に、“From Mass Rape to Military “Comfort Women”というセクションが設けられ、2ページほどの記述がある。その概略を以下に書く。(この部分の原文はこの翻訳文の後ろに掲載します)

中国や東南アジアでの性的暴力行為が頻繁に起き、それが日本軍の評判を貶すことになった。それに気づいた日本軍は少数の日本兵を軍法会議で処罰する一方、1932年ころから民間の業者と慰安所(comfort stations)設置の契約を行った。

連合国はこの事実を知っていたが、一件を除いて犯罪として把握して戦後裁判で裁くことはなかった。その一件とは、インドネシアにおいてオランダとその他ヨーロッパの若い婦女子を多数に対し、日本人に性的サービスを強要した事件である。この件の日本人責任者は戦後オランダ当局者により処罰された。

1970年に入り、日本の2、3人の著述家が日本帝国軍人の犯罪として取り上げた。(補足3)広く注目されるようになったのは、1990年代の始めに一人の韓国人女性が公開の場で軍での売春を強要されたと証言してからである。彼女の証言は“慰安婦”の件における活動家を元気付けた。(原文:Her account galvanized activists around the “comfort women” issue.)

初期には日本語と韓国語での著述がほとんどだったが、現在無数の英語の著述も発表されている。他の戦争犯罪を圧倒する程国際的注目を集めたのは、一つには女性に対する性暴力に関する基準と人間としての権利に対する関心が新たになったからである。(補足4;全文は後半に掲載しています。その英文をご覧ください)

最初、日本政府は公的な関与を否定していた。その後、吉見義明氏が防衛省資料館において当時の政府の直接関与を示唆する書類を発見したとして大きく報道された。彼はその後次々とそれらを一次資料集として、連合国通訳部門の報告書などを含めて発表した。一般の圧力の下、日本政府は慰安婦問題への関与を認め、私的な財源を用いて元慰安婦への償いのためのアジア女性基金(AWF)を設立した。

AWFは1996年に歴史委員会を設立し、日本、米国、オランダ、台湾から有効な資料の収集に努め、さらに歴史家にインドネシアとフィリピンの元慰安婦からの聞き取り調査を依頼した。それらの資料は複数刊の資料集及び網羅的な文献集として結実している。吉見氏によるとそれでも不十分であり、他に多くの政府資料や私的記録が失われたか未公開になっているという。例えば、麻生徹男医師の日記などが防衛省歴史資料館に保存されているが、プライバシー保護の理由で公開されていない。

慰安婦に関して、日本では未だにホットに議論されている。例えば慰安婦の数についても大きな開きがある。この件について朝鮮史の専門家でAWFの歴史委員でもある高崎宗司氏は、日本の工場へ働きに出された朝鮮人女子挺身隊員と慰安婦の区別を明確にすべきであると強調している。彼が指摘したように、多くの韓国(朝鮮)活動家がこれらを混同して、慰安婦の数を過大に見積もっている。

この件のより大きな問題は、残虐性と政府の関与がどの程度であったかということである。一部から、元慰安婦の方の証言の信ぴょう性と公衆の前での証言の動機に関する疑問が呈されている。例えば秦郁彦氏は多くの著述などで知られているが、彼は慰安婦制度は売春であり他の多くの国に見られるものと同一であるとしている。一方で、彼は他の学者から慰安婦の悲惨さを軽く見すぎていると批判されている。

4章にもこの件が少し書かれています。改めて取り上げる必要を感じた時には、それも紹介する予定です。

補足:

1)戦時国際法は、戦争を外交の範囲に含める西欧の考え方(クラウゼビッツら)に由来し、そしてジュネーブ条約やハーグ陸戦協定という条約の形で具現化している。その場合でも戦勝国側が敗戦国側を一方的に裁くには無理がある。国際法に一定の権威を与える権力が未だに不在だからである。これは、インドのパール判事の言い分であると理解している。また、「東京裁判」を国際法によって戦争犯罪を裁く裁判であると考えても、「人道に関する罪」は事後法であり、その判決に法的根拠はない。しかし、日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れている。従って、東京裁判も先の戦争に含まれると考えるのが、正しい考えだと思う。ただし、この場合その時インドとは戦争状態には無かったことになる。

2)At least tens of thousands of disarmed Chinese soldiers wereexecuted by Japanese troops a the order of their commanders. As a result, inthe mid-1980’s, a representative of the veteran group “Kaikosha” offered anapology to the Chinese people on its behalf. (p30; 第2章文献43参照)

3)千田夏光著「従軍慰安婦」双葉社1973&三一書房1978
  金一勉著「天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦」三一書房1976

From MassRape to Military “Comfort Women”


The rape ofChinese women by Japanese soldiers has long been identified with Japan’s waratrocities in China. Reports by American missionaries during the Rape ofNanking in late 1937 provided a glimpse into the extent of sexual violencecommitted by the Japanese Army. Numerous other incidents in China and later inSoutheast Asia further tarnished the reputation of the Japanese forces. epostwar trials, however, largely considered rape to be part of a more general violationof law or inhumane treatment, and not a war crime per se.

Japaneseauthorities were aware of the problem during the war. In fact, Japanese recordsshow that orders were issued to deal with the problem and that a small numberof Japanese soldiers had been tried by Japan’s own military courts during thewar for rape or other crimes against civilians.97 In part to reduce local resentment againstJapan and in part to prevent the spread of venereal disease among its ranks,the Japanese military contracted private vendors to set up “comfort stations”for the troops as early as 1932.

Again, thispractice was known to the Allies but no criminal charges were filed at thetrials. There was one exception. After Japan occupied the Dutch East Indies(present-day Indonesia), the Japanese military forced many youngwomen—including Dutch as well as Eurasian—into providing sexual service to theJapanese. Those Japanese responsiblewere punished by the Dutch authorities after the war on account of the abuse ofthe Dutch women.

In the 1970s, afew writers in Japan began treating the subject as a crime committed by theImperial Japanese Army.98 It was not until the early 1990s that thecase of the military “comfort women” (ianfu) began to attract wideattention, following the first public testimony of a Korean woman who had beenforced into military prostitution for the Japanese. Her account galvanizedactivists around the “comfort women” issue. Most publications on the subjectinitially appeared in Korean and Japanese. Numerous works have been alsopublished in English.99 Gathering extensive oral histories, SuZhiliang, a historian from Shanghai, published the most comprehensive work onthis topic in China and set up a Center for the Study of Chinese Comfort Womenat his university.100 In terms of scope and impact, perhaps noother Japanese war crime has reached the level of international publicity sincethe 1990s as that of the military “comfort women,” a phenomenon helped by newinterest in human rights and standards regarding sexual violence toward women.101

Initially, theJapanese government denied official involvement in the operation. YoshimiYoshiaki, a leading Japanese scholar on Japanese war crimes, made headlines bydiscovering documents in the Japanese Self-Defense Agency’s library thatsuggested direct military involvement. He went on to publish them in acollection of primary documents, which included numerous ATIS reports fromNARA.102 Underpublic pressure, the Japanese government admitted its complicity and set up theAsian Women’s Fund (AWF) to compensate former “comfort women” from privatesources. AWF established a History Committee in 1996 to gather and examinerelevant documents in archives in Japan, the United States, Holland, andTaiwan. Historians hired by the AWF also interviewed former “comfort women” inIndonesia and the Philippines. Their work resulted in a multi-volume collectionof documents and a comprehensive bibliography on the subject.103

Many are not fullysatisfied, however. As Yoshimi points out, numerous Japanese governmentdocuments were either lost or remain classified. Among them are police recordsbelonging to the former Home Ministry that allegedly had been destroyed.104 Private records,such as the journal of army doctor Aso Tetsuo, contributed much to theunderstanding of conditions in the comfort stations in China, but many othersheld by the Self-Defense Agency War History Department Library remained closedto the public for privacy reasons.105

Many issuesconcerning the “comfort women” are still hotly disputed in Japan. e number ofwomen victims remains a subject of disagreement; popular accounts frequentlygive the figure of 200,000. Takasaki Shohji, an expert on Korean history andchair of the AWF History Committee, emphasized the distinction between theKorean women’s volunteer corps (teishintai), who were sent to work infactories in Japan, and “comfort women.” As he noted, these two terms had beenconfused by many Korean activists and had led to an inflated estimate of thenumber of Korean “comfort women.”106 A bigger issue concerns the degrees ofcoercion and government involvement. Some also question the veracity of thetestimony provided by former “comfort women” as well as their motivation totestify in public. Hata Ikuhiko, for one, has taken the lead and published manyessays as well as a major work on this subject. Hata essentially equates the“comfort women” system with prostitution and finds similar practices during thewar in other countries.107 He has been criticized by other Japanesescholars for downplaying the hardship of the “comfort women.”

References:
98) Senda Kakō, Jūgun ianfu [Military comfort women] (Tokyo:Futabasha, 1973; San’ ichi
shobo, 1978; Kim Il-myon, Tenno no guntai toChōsenjin ianfu [Emperor’s army and Korean comfort women] (Tokyo: Sanichishobō, 1976).
99) In English, see George Hicks, ComfortWomen: Japan’s Brutal Regime of Enforced Prostitution in the Second World War (NewYork: Norton, 1997); Keith Howard and Korean Council for Women Drafted forMilitary Sexual Slavery by Japan, True Stories of the Korean Comfort Women (NewYork: Cassell, 1995); David Andrew Schmidt, Ianfu–The Comfort Women of theJapanese Imperial Army of the Pacific War: Broken Silence (Lewiston, NY:Edwin Mellen Press, 2000); Sangmie Choi Schellstede and Soon Mi Yu, ComfortWomen Speak: Testimony by Sex Slaves of the Japanese Military (New York:Holmes & Meier, 2001).
100) Su Zhiliang, Weianfu yanjiu [Astudy of comfort women] (Shanghai: Shanghai shudian chubanshe, 2001).

101) See Chapter 4: “Why did the US forcesignore the comfort women issue?” in Yuki Tanaka, Japan’s Comfort Women:Sexual Slavery and Prostitution During World War II and the U.S. Occupation (London:Routledge, 2001), 84–109.
102)Yoshimi Yoshiaki, Jugun ianfushiryōshū [Historical materials on the military comfort women] (Tokyo:Ōtsuki shoten, 1992).

103) Ajia Josei Kikin (AWF) comp., “Ianfu”mondai kankei bunken mokuroku [Bibliography of materials on the “comfortwomen” issue] (Tokyo: Gyōsei, 1997). It also published a collection of reportsof investigation by commissioned historians into documents relating to “comfortwomen” in 1999. In addition, an updated version of the bibliography can befound online at http://www.awf.or.jp/. See also Ōnuma Yasuaki, ed., “Ianfu”mondai to Ajia Josei Kikin [ e “comfort women” issue and the Asian Women’sFund] (Tokyo: Tōshindo, 1998).
104) Yoshimi Yoshiaki, “Sensō no kioku,sensō no kiroku: ‘Jugun ianfu’ kankei kiroku no mondai o reitoshite,” (Memoryof war, records of war) Archives no kagaku (1) (Tokyo, 2003): 276–96. AJapanese newspaper reported, however, that large quantities of Home Ministrymaterials were discovered in a building marked for demolition. Mainichishimbun (Nov. 16, 1994). Some of these documents were included in AWF, Seifuchōsa: “Jugun ianfu” mondai shiryō shūsei [Compilation ofgovernment-collected documentary materials relating to wartime “comfort women”](Tokyo: Ryūkei shosha, 1997–1998). According to Professor Nagai Kazu, thesedocuments revealed that even Japan’s local police were shocked by the operationto recruit “comfort women,” which was ordered by the military.
105) Tetsuo Aso, From Shanghai ToShanghai: e War Diary of an Imperial Japanese Army Medical O cer, 1937–1941, trans.Hal Gold (Norwalk: EastBridge Books, 2004).

106)Takasaki Sōji, “’Hantō jōshiteishintai’ ni tsuite” [Concerning the “peninsula women’s volunteer corps] in “Ianfu”mondai chōsa hōkoku [Reports of investigation into documents relating to“comfort women,”] (1999): 41–60.
107) Hata Ikuhiko, Ianfu to senjo no sei [Comfortwomen and sex in the battle eld] (Tokyo: Shinchōsha, 1999). A shorter essay ofhis has been translated into English and published as “ e Flawed UN Report,” JapanEcho (Autumn 1996), 66–73.


2017年5月21日日曜日

米国省庁連携機関による慰安婦等戦争犯罪の調査結果

このシリーズの第一回目はすでに書いた”性奴隷などなかったという米国政府の調査報告”である。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43277864.html この産経新聞の記事では信用できるかどうか分からないので、できるだけ一次資料に近づく努力をしてみたい。今回はその最初である。

上記新聞記事にはもとの史料は引用されていない。そこで検索して探したところ、それを含めた慰安婦問題に触れた米国発の記事が出て来た。それはミドルメディアの一種と思われるRocketNewsの2015年に出された記事である。それが、The IWG Report: Japanese Comfort Womenとの題で発表された記事で、以下のサイトにある。http://www.rocketnews.com/2015/03/the-iwg-report-japanese-comfort-women/

この中での記述はおおよそ客観的であり、慰安婦問題では強制連行にたいする疑問もとりあげている。次回にその概要を書きたいと思う。

その記事の中に、上記産経新聞の記事にあるオリジナルな文献の在処がかかれている。それが2000年12月にナチスの戦争犯罪資料省庁連携ワーキンググループ(Nazi War Criminal Records Interagency Working Group)から改組された、ナチス戦争犯罪及び日本帝国記録省庁連携グループ(Nazi War Crimes and Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group)の最終報告である。

メリーランドにある国立資料館で閲覧可能なそれらオリジナルな資料は、膨大なためIWGでは二つのガイドとなる資料を作成している。一つは”電子資料検索案内(electronic records finding aid;1717頁)"でありもう一つは”日本の戦争犯罪資料研究:小論(Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essays;240頁)”である。

後者についても出来るだけ中身を紹介したいが、私の英語能力はあまり高くないので、英語が読める人は見ていただいた方が早い。ただ、キーワードで検索して見ることは簡単である。

後者のIntroductory Essayでは、慰安婦(comfort women)については24頁ヒットするが、強制連行(abduction)でヒットするのは一箇所であり、その文章は強制労働に関するののだけであった。つまり、Japanese abduction of Chinese forced laborers fromNorth China(p50)という文章だけであって、慰安婦絡みでは出てこない。

一方、finding aidの方では、comfort womenはなく、comfort girlは一つの文献が紹介されている。abductionは二箇所出て来るが、何れも韓国や中国とは無関係であり、comfort girlとは別の箇所である。売春宿(brothel)は11箇所出て来るが、これもabductionやcomfort girlとは 別のページにある。

以上、慰安婦関係で強制連行があったとする資料は無いという産経新聞の記事は信憑性があると判断される。

2017年5月18日木曜日

朝鮮問題を解決する第一歩は、米国が踏み出す義務を持つ

北朝鮮情勢の雲行きが怪しくなってきた。北朝鮮は、ICBMに一歩近づくミサイル実験をAIIBの会議が始まった時に行い、習近平の怒りを買ったということである。この北朝鮮問題だが、日本のマスコミではこれが朝鮮戦争の延長上にあることから議論をスタートすることが少ない。それは真実を報道したくないという明確な意思があるとしか思えない。つまり、マスコミはマスゴミというより国民の洗脳機関である。

朝鮮戦争の休戦協定への署名は国連軍つまり米軍、中国軍、そして北朝鮮軍のそれぞれ最高司令官の間で、1953年7月27日にされた。休戦協定であるから、「最終的な平和解決が成立するまで朝鮮における戦争行為とあらゆる武力行使の完全な停止を保証する」と規定している。しかし、「最終的な平和解決」(平和条約)は未だ成立していない。ウイキペディア参照

休戦協定の第IV条には、“平和的に朝鮮問題の解決のために、この協定が発効したのち3ヶ月以内に、関係国政府代表によるより高いレベルで、朝鮮からの外国軍の撤退などの問題解決のための協議の開始を勧告する”と書かれている。http://news.findlaw.com/cnn/docs/korea/kwarmagr072753.html

1954年4月に開かれたジュネーブでの政治会談は外国軍撤退問題で成果なく破局した。米国は休戦協定後の1953年10月に米韓相互防衛条約をむすんで、今日まで米軍が韓国に駐留している(補足1)。一方、中国は1958年10月に全軍の撤退を完了している。

また、休戦協定第二条(13節)には、損傷した装備の再配備以外には新しい武器は持ち込まないと規定されているが、アメリカはその協定を無視して、ミサイルや核兵器を持ち込み、北朝鮮代表団に、その協定を無視すると表明した。

国連安全保障理事会(1996)は、休戦協定は有効だと言いながら、現場の国連軍の名をもつ米軍は上記のように休戦協定を無視している。 https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1955-57v23p2/d240 更に、米韓両軍の大規模演習は北進を前提としており、その開催ごとに北朝鮮側は休戦協定に束縛されないと表明している。

以上のプロセスを見ると、朝鮮戦争を終結する平和協議の第一歩は米国と韓国によりなされるべきことは明確である。日本のマスコミの報道は全く偏向している。

補足:
1)休戦協定の3ヶ月以内に政府間の話し合いを開始するのではなく、休戦協定の規定とは全く逆の行動、今後も朝鮮半島に居座るという根拠を米国は創ったのである。

2017年5月16日火曜日

西欧の政治文化と慰安婦問題

1)慰安婦問題には二つの側面がある。それは歴史学的側面と政治的側面である。その両方の側面の存在を知らないと、この問題を見誤ってしまう。その過ちを犯したのが河野洋平氏であり、その慰安婦問題に対する官房長官としての氏の談話(河野談話;補足1)である。過ちとした理由は、政治家が何かについて発言するときは、その政治的側面を見てすべきだからである。

河野洋平氏は、テレビドラマの中での水戸の御老公のような姿勢が、政治家のあるべき姿だと思っているらしい愚者である。現在の国際政治は欧米の政治文化によって動いている。従って、日本という島国の政治家であっても、西欧的な意味で“政治的”に動いてもらわないと困ると思うのである。

政治は英語圏のPoliticsに相当する。その語源から想像すれば、politicsは多く立場(国、人)の衝突学のような意味だろう。単純な物体の運動でも理論的に解決できるのは二つの間であり、3つ以上の物体の相互の動きは解析的には解けない。当事者がどう動くかその動機すらわからない国際政治の場面においては、2カ国間の問題だと思っても3カ国以上が絡んでいる可能性もあり、その対処は難解である。一方的に精一杯の善意を相手にプレゼントするのは、愚物政治家のすることである。

従って、国際政治においては今後の自国と自国民の利益を第一に考えて、交渉をシミュレートすべきである。歴史にも、「勝利者の正当性を作り上げる物語である」と解釈する考え方と、「歴史は事実を元に作り上げた民族や民族間の物語である」と解釈する考えかたの二つがある。(補足2)その中の後者を本当の歴史と考え、且つ、相手方もそのように考えていると期待して、現実の政治を考えることに何の逡巡もない政治家は、害を国民に及ぼすだろう。そのように思う。

2)欧米の考え方は裁判の形式を見れば分かる。裁判では、検察側は犯罪人の悪行を精一杯主張する。そして、弁護側は殺人者の弁護でも、偶然刃物が暴れだしたのだというレベルの弁論をする。その言葉と論理を用いた両者の綱引きの様子をみて、裁判官が落とし所を探すのである。欧米の国際政治(政治文化)も同様だろう。当事国がそれぞれ己の正当性を精一杯言葉と論理(偽かも知れない)で主張して、その綱引きの結果で以て、互いの位置を決定する。

神が居る(或いは居た)西欧では、人は横並びで各人が自分の利益は自分が守るという考えを持つ。つまり個人主義の伝統を持つ(補足3)。自分たちで何かを決めるべき時には、神から与えられた言葉と論理を必死に振り回して、各人の主張をぶつけ合う。それがPoliticsだろう。

一方、人格的な神の居ない日本では、神の代行を“徳のある人間”に期待するようだ。大岡越前や水戸黄門のように、一人の人間に全知全能を期待して、揉め事の裁定を委ねるのである。そのレベルの低い政治文化の中から、自分たちが政治家として選出されているという自覚すら持てない者は、たとえ著名な政治家の家に生を受けたとしても立候補などすべきでないと思う。

3)慰安婦問題では、韓国はその国際的政治文化を学んで、精一杯のロビー活動を米国で行っている。米国が国際政治の中心であることをよく知っているからである。米国も元々、日本の戦争時の悪行を喧伝する韓国を応援する動機がある。それは、言うまでもない。

米国マスコミも精一杯それに協力している。日本の政治家や右派系の人たちは、この米国の元々持つ日本をナチスと同等に扱いたいという欲望を軽視し過ぎである。また、日本の政治家は、米国や国際社会が日本の慰安婦に関する主張を認めないのは、事実を知らないからであると考える傾向にあると思う。

ニューヨーク・タイムズが書くように(補足4)、「植民地から女性を強制連行して性奴隷にした」というストーリーに欧米が固執するのは、事実を知らないからではなく、彼ら或いは彼らを支配する層がそのように解釈したいからだと思う。その様な情況下で、“事実”をいくら宣伝しても、かれらの姿勢は変わらないだろう。

彼らの姿勢を変えるのは、彼らの将来の利益になると考えさせること、或いは、グーの音も出ないほど強力な証拠と論理でもって、日本の主張を世界中に轟かせるしかないのである。それが出来ないのなら、現実的な利益を考えて、欧米流の現実的且つ巧みな外交を行うべきである。それには軍事力も必要である。(補足5) 欧米が事実で動かず感情や利益で動く例はいくらでもある(補足6)。ごく最近のシリア爆撃でも、「アサド側がサリンを使った」とか、そして、「苦しむ子供を見て爆撃を決断した」とトランプ大統領が言ったが、まるで現行犯で黒人を射殺する白人警官の台詞にそっくりである。

勿論、米国は日本の大事な同盟国である。嫌な面も嫌いな面もあるが、言論の自由や人権を重視するという現在の国際的価値を維持している国である。それに、国家と国民を区別するという考えも頭の中心に常に置いておくことが大事であると思う。以上、政治の素人ですが、政治的に考える考え方(保守的)と原理的に考える考え方(左翼的)の両方を区別して用いるべきだとという個人用覚書です。

補足:

1)1993年8月4日、河野洋平内閣官房長官による談話。時の首相はあの宮沢熹一である。
2)岡田元次著の「歴史とは何か」に記載されている。
3)小沢一郎氏の本「日本改造計画」は個人主義が民主主義には必須であると説いている。この本を読んだあとの一時期、小沢フアンになった。
4)The New York Times, “The Opinion Pages (editorial)”, 2007/3/06
5)自国民の教育が第一かもしれない。何度も同じ話を持ち出すが、原爆が憎いのか、原爆を落とした敵が憎いのか、原爆を落とされるような戦争を行った無能な指導者が憎いのか、更に、核物質を発見した学者が憎いのか、それらの区別さえ日本人一般(B層と呼ぶひともいる)は出来ていないのである。
6)「アラブの春」は、民主主義という複雑なメカニズムを同時に組み込んで初めて機能する政治形態を、それと知りながら準備の出来ていないアラブ諸国に持ち込んで、それらの国々を混乱に導いた。それは、2050年問題(イスラム教徒数>キリスト教徒数となった時に生じる問題)やローマクラブの「成長の限界」問題の対策としての行動だろうと疑うべきだろう。その種のターゲットに勿論アジア人も含まれるだろう。それが、東アジアを混乱状態に置きたいという従来の米国支配層の考えだろうと疑っている。この考えは馬淵睦夫氏の本から学んだことである。

2017年5月11日木曜日

日本の賃金と労働市場の問題:欧米と比較して、高年齢高給与でない日本の給与体系

1)日本の賃金システムが、同一労働同一賃金の原則に基づいていないことが屡々問題視される。その原因は、日本では会社に就職するが、欧米諸国では文字通り職種を選んで就職する。つまり、日本では会社と労働者の関係が君主と家来の封建的関係にあるからである。本来の家来である正規社員が、外部から臨時に雇った職員よりも同じ仕事でも給与が高いのは当たり前である。その代わり、家来であるから、大事な時には超過勤務も厭わず多少のサービス残業も当たり前である。

同一労働でも同一賃金ではなく、当然家来としての期間が長い人間には、その忠義に応じて賃金を上げるのも至極当然のこととなる。それはまた、重要な仕事を家来にさせてもさほど給与が上げなくても良い言い訳となる。「家来にとって重要な仕事を“させてもらう”のは名誉であり、それで高い給与を要求するのは人としての出来に問題がある」という丁稚奉公時代の考え方が、未だに日本の社会通念として生きている。

そのような考えで漠然とテレビを見ていた私は、今朝のモーニングサテライトでびっくりするデータを見せられた。それは日本の給与対年齢の関係は全体としては、欧米諸国と異なって年功序列的にはなっていないというものである。そして、“ここ数年賃金が減少傾向にあるのは、高齢労働者が増加したからである”という解説者の話を聞いて、またびっくりした。解説者が示した年齢対給与のデータの一例を下の図に示した。

明らかに高齢者の賃金は米国の方が高い。この米国のような傾向は、欧州の主要国においても同様にであった。

このデータを見てから、しばらくしてデータ解析は出来た。それは、欧米諸国では仕事に対して給与を支払うという事実を考えれば当たり前である。つまり、欧米の賃金が年齢とともに上昇するのは、年齢を重ねるに従って経験を積むことで仕事の質が高くなっていくということである。

そこで、給与が44-46歳付近にピークがある日本での給与と年齢の関係を考えると、大手の会社に入ってもその年齢付近で退職することの反映であると理解される。つまり、年功序列の給与体系を維持できないので、会社等が高齢になった職員で相当する地位から溢れた人は、実質的に解雇されることを意味している。

その傾向は国家公務員でも同様である。よく引用されるケースであるが、一種採用(昔の上級甲種採用)の国家公務員で、同期が課長に出世すれば残りの人に相当するポストがないので、天下り先に去るという話である。その結果、特別優秀な鼻持ちならないと周囲には見える人間が早々と去り、凡庸な人間が最後に次官となるのである。そのような凡庸な人間がのちに政界に下る(!)ので、政治家のレベルが低いのだろう。つまり、この慣習は国家の政治にも関係する大問題なのである。

上記早期退職が大きな問題なのは、それまで蓄積した経験と知識が新しい職場で必ずしも発揮されないだろうということである。仕事をするということは、同時に技術や知恵を学ぶことであると考えれば、その損失の合計は非常に大きく、国家の発展に直接的に関係するほどの大問題である。

2)日本という国では、実績よりも名前あるいはラベルが評価される。それは、どこを見ても共通している。芸能界から政界まで、更には競争の場が国内に限られている学会でもそうだろう。(テレビでおなじみの三代目の国語学者を思い出す。)ラベルになり得るのは出身大学名であったり、所属している会社名であったり、有名な家系だったりする。

例えば、最近、日本郵政(株)が巨額(約4000億円)の損失を豪州の流通会社をあまりにも高値で買収した失敗の尻拭いのために計上した。その結果、日本郵政の株は大きく値下がりした。また既に大きな問題となっている東芝の不正経理問題の元にあるのが、米国原発大手のウエスティングハウス社の買収とその後の運営で大赤字を出したことである。この東芝のウエスティングハウス社買収の主役であった方が、驚くべきことに後に日本郵政で豪州トール社の買収の主役となった西室泰三氏である。同じ間違いで巨額の損失を出したのである。

私立の名門大を出て、名前だけがどう言う訳か巨大化して出世した方であるが、その能力は結果が証明している。もし、日本の会社と会社員の関係が仕事の成果とそれに対する報酬の関係であれば、このような方は出世しなかったのではないだろうか。能力のある人は得てして、凡庸な人を遠ざけてしまう。非凡な能力を引き上げるのは、トップが優秀であり、且つ、トップの視界が末端まで及ぶようなフラットな組織の会社である。

何故この方名前の政界にまで届いたのか?それは、日本の原子力行政との関係で官界との人間関係が大きく太くなったのだろうと想像する。しかし、その官界の側の人間が一流の方であれば、二流以下の方の名前が大きくなるわけがない。英語のことわざにある:First-rate people hire-first rate people;Second-rate people hire third-rate people. 翻訳すれば: 一流の人間は一流の人間を雇う。二流の人間は三流の人間を雇う。

しかし、日本の官界は同一労働同一賃金の原則から最も遠いところである。そして基本的に地位は、入所後の期間で決まる。そのことが、官界の人材の質を悪くしていると思う。政治と直接接点があれば、成果が直接関係する職場となり得るが、政治の質が高くないので、官界は閉じた空間となっている。それは必然的に人材の質の低下を招くのである。(補足1)

つまり、同一労働同一賃金の原則は、日本国が三流国への転落するのを防止する必須の課題だと考えられるのだ。

話がそれてしまったが、今日のように巨大化した会社は公に属すると考えるなら、同一労働同一賃金の原則は、国民みな公の空間では平等であるから、当然のことである。年齢差別も女性差別もあってはならない。

年齢が高いから高い地位につくのではない。長年の経験と知識があるから、高い地位につくのである。もし、10年かかる仕事を1年でマスターしたのなら、若い人でも堂々と高い地位につけて高い給与を支払えば良い。その下で働く高齢者も、上司として受け入れるべきである。そうならば、退社後には会社での上下の関係など無くなるのは当然である。一流会社の社員だから、或いは、一流大学に合格したから尊敬されるという馬鹿げた習慣もなくなるだろう。

それらの改革ができれば、日本は現在より遥かに風通しの良い社会になるだろう。

補足:
1)具体的には次官会議というのがあり、行政上の決定はそこでなされてきた。政治が関係するのは、その追認だけであった。最近少し変化の兆しがあるが、基本的な政治と官僚組織との力関係は変わっていない。

2017年5月10日水曜日

北朝鮮、日本、韓国:忠犬たちにとって最も厄介な存在は飼い主である

1)北朝鮮の核開発問題が緊急課題のように世界で議論されている。例えば以下のサイトの後半(1:10以降)で金慶珠と辛坊治郎が議論している。https://www.youtube.com/watch?v=NitDoBv4_-I&t=2303s そこで両人は、中国にとって北朝鮮の核兵器が脅威だと言っている。その真偽は脅威の定義次第だが、中国の外交姿勢を大きく変化させるレベルを脅威というのなら、北朝鮮の核兵器は中国の脅威ではない。勿論、軍事攻撃の抑止力になるレベルではある。

この人達が馬鹿なのか、テレビ局にその線で話をしろと言われているのかわからない。北朝鮮の核武装は、米国にとってもどの国にとっても、中国やロシアの核兵器に比較した場合、たいした脅威ではない。米中が言っているのは、核兵器を持つ身分ではないということだ。

中国の習近平が北朝鮮に圧力をかけているのは、トランプに「経済問題での米国による締め付けと北朝鮮への圧力の何方をとるのが貴国にとって得ですか」と告げられたからだろう。中国は経済で失速しつつ在るので、習近平にとって、米国による経済制裁は北朝鮮の核兵器などより遥かに恐ろしい筈である。

核兵器が脅威になるのは、狭い国であり、人の命が非常に高い国である。従って、米国にはそれなりに脅威であっても、人命の価格が低く人口密度の小さい中国ではそれほど脅威ではない。そして、日本ほど核兵器の脅威に晒された国はない。

2)日本ほど核武装を議論すべき国はない。https://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/43272190.html 米国や中国が北朝鮮の核武装を問題にするのは、将来日本の核武装の口実を与える可能性を考えているからだ。そして、核の拡散が核保持国にとって問題なのは、それらの国の特権的地位を脅かすからである。

地球は、文明の発展、資源枯渇、そして人口増加により狭くなる。22世紀とそれ以降に生き残るには、一部を地球から篩にかけて落とさなくてはならない。その篩として、現在最有力なのが核兵器保持なのだ。ドイツがヨーロッパ連合を画策する理由は、フランスの核兵器にあり、それにより生き残りの切符を手に入れることが出来るからだ。

核保持国に、その企みを可能にするのは民主主義の輸出である。英米の支配層が、民主主義というバカが主人公の制度を世界にばら撒くのは、世界中の中小国や発展途上国を操縦する上で重要なステップである。それが、英米支配層の中心的外交政策であることはアラブの春を見れば分かることである。(補足1)中国は、英米のばら撒く民主政治が愚かな政治形態であると、既に指摘している。

人間は豊かになれば傲慢に、そして馬鹿になる。22世紀には傲慢になった人々のエネルギーを巧みに支配層が利用して、核武装国がそれ以外を好き勝手に支配することになる。法とか論理とかいうのが力を発揮するのは、権力者がそれを用いるからである。非核保有国は、力を伴わない言葉の無力さを改めて知るだろうと思う。

100年後にまともな独立国として残るのは核武装国のみだと思う。歴史が教えるのは、「正義は力」である。従って、22世紀の正義は核武装国の利己主義である。

3)サンドイッチを完成するために、元の話に戻る。
米国という国は日本にとって非常に厄介である。それは、忠犬にとって非常にやっかいな存在は飼い主であるのと同じである。同様に、北朝鮮にとって中国は非常に厄介な国である。その中国からも独立するために核武装を、しかも、中国からの経済的関係を保持したまま行ったのは、難行をやり遂げた僧の様である。

もっとも、日本の核武装よりも北朝鮮の核武装は簡単である。それは、中国にとって北朝鮮は在韓米軍との緩衝地帯であり、北朝鮮を放棄できない事情があったからである。北朝鮮が、「中国を守ってきたのは我々だ」と豪語するのは一理あるのだ。

もし、中国から独立し、韓国と対立を続けるのなら、つまり、韓国が北朝鮮の言うことを聞いて吸収合併されても良いと考えるのでなければ、北朝鮮にとって日本とロシアは大事にしなければならない筈である。勿論、文在寅が融和政策を採ってくれるのなら、日本を慰安婦問題などでいっしょに虐めて、将来の和解金の額を大きくするのは良い政策であるだろう。それも、程々にしなければならないと金正恩は考えているだろう。

文在寅はアメリカ親分に逆らって、苦しい立場になるのではないだろうか。野良犬となってしまう危険性すらあると思う。日本はその点、飼い犬の身分を弁えている。ちょっとお隣の怖いおじさんにも尻尾を振る程度のことはしているが。

こんな身分に落ちてしまったのは、戦争に負けたからである。何故負けたのか、それは日本では、公私の空間が峻別されておらず、私的な仲良しが国家のトップにつくからである。仲良しのネットワークが全体を支配する力には、全体主義社会を作ってイジメを利用するのだ。昔イジメの為に活躍したのは特高警察であった。野党は、安倍政権がそれを再度作ろうとしていると言って騒いでいるのである。今も昔も何も変わっていない。

因みに、今日の天声人語には、文在寅は朝鮮戦争のときに北朝鮮から対馬近くの離島に逃げてきた両親の下に生まれたと書いてあった。祖父母は未だに北朝鮮に残ったということである。こんな情報も日本のテレビなどには流れなかったと思う。日本のマスコミに出てくる解説者は素人なのだろうか?

補足:
1)日本の占領政策はその最初の試みなのかもしれない。英米は民主主義を標榜しているが、議会と多くのシンクタンクなどの民間機関、それに諜報機関を用いて、民主政治を骨抜きにしている。トランプの出現はその骨抜きメカニズムが働かなかったので、米国支配層とその手先はパニックに一時陥った。馬淵睦夫さんの受け売りと思われるでしょうが、田中宇さんもブログで似たようなことを言っている。

2017年5月8日月曜日

米中露は核兵器というBig Stickをもって外交を展開するPolicyを諦めるべき

1)一週間ほど前、韓国を旅行中の橋下徹前大阪市長は、「米国が北朝鮮を攻撃しようとするギリギリの局面では、韓国は猛反対するだろう。北朝鮮からの反撃に被害が甚大なので当たり前だ。それをトランプ氏は受け入れるか。ここで決めてになるのは安倍総理の意見。日本の被害も考えて反対すべき。」と書き込んでいる。

その次の日に38度近辺まで行き、そこでも韓国の人たちが普通に暮らしており、戦争の緊張感がないことをツイッターで報告している。「これが理屈じゃない勢力均衡の現実。一部の犠牲があっても仕方がないという思考をするバカは放っておこう。いかに均衡を作るかに集中しよう。日本も核ヘッジング議論から逃げてはいけない。」と書き込んだ。

この意見に賛成である。現在、北朝鮮の核兵器の脅威は存在する。そして、それは来年には、そして再来年には更に大きくなるだろう。日本と北朝鮮が対峙する可能性があり、その核兵器の脅威を日本が感じるのなら、そしてその脅威から守るためには、日本も核兵器を保持することである。そう考えないで、今後の北朝鮮の大きくなる核の脅威を考えて、1発か2発のミサイルを打ち込まれることを覚悟して、米国の北朝鮮攻撃に賛成するのは愚かなことである。

2)国家と国家の場合は、同じ公権力の下にない(補足1)ので、武力をもって互いに抑止力を持つことが、無駄な戦闘を避けるためには必要である。両者が武器を持てば、互いに自分の反撃力を信じることができ、恐怖から先制攻撃やだまし討ちなどをしなくて済むからである。

北朝鮮が危険なのは、敵となりうる国に対して、圧倒的に非力だからである。つまり弱い犬ほどよく吠えるのだ。トランプ氏が選挙期間中に、「日本も韓国も核兵器を持てば良いではないか」と言ったのは本音であり、意見を変えてしまったのはずる賢い連中の考えに譲歩せざるを得なかったからだと思う。

冷戦が終わり、共産主義を採用することが経済的失敗に繋がることが明らかになって久しい。中国が部分的ながら社会主義経済から体制を変更する切っ掛けは、米国との和平であった。それと同じ道を北朝鮮に促する意味で、米国は和平の道をとるべきである。冷戦時代のような共産圏に対する恐怖のない現在、北朝鮮と戦争を始める意味など何もない。

北朝鮮が核兵器を持った場合の脅威は、もし北朝鮮の経済が中国と同じ程度なら(人々の心に余裕が生じたら)、中国の核兵器の脅威よりもはるかに少ない。中国も米国も、北朝鮮、日本、韓国の間の緊張関係を、互いの核武装保持の容認で緩和するという決断をすべきである。自分たちだけが核武装して力の外交を展開しようという、Big Stick Policyの野心があるとしたら、それを諦める時である。

補足:
1)国連が世界の公権力になりえると考えるのは幻想である。朝鮮戦争すら国連は阻止できなかったのだから。更に、ベトナム戦争やイスラム圏での戦争など、国連は全く無力な存在であることを証明している。オバマ氏の核兵器禁止法案は、核保持国がルーズベルト流のBig Stick Policyを、非核保持国を相手に展開する可能性を確保するためのものである。

2017年5月6日土曜日

お札は政府が発行すべきか?

1)通貨を政府が発行する場合、最初の段階で従来使用されていた紙幣、つまり日銀券、を政府紙幣へ交換をしなければならない。日本の場合では、国家の債務は日銀の通貨発行量(約450兆円)から日銀所有の国債分を差し引いた額だけ増加することになる。その増加した債務と釣り合う額の資産も日銀から引き継ぐことになる。(補足1)

日銀の国債保有残高はこの4月28日の発表では375兆円あるので、昨年度末の国債残高の840兆円からそれを引くと、日本の国債残高は465兆円に減少するだろう。そのかわりに、通貨発行量分(450兆円)が新たに政府債務となる。ただ、通貨発行は銀行に利子付きで行われるので、利子分は政府の収入となるだろう。https://www.boj.or.jp/statistics/dl/loan/yaku/yaku1702.pdf

紙幣発行の非常に大きな権利は、本来債務である筈の紙幣発行により、利息をもらえるということである(勿論、利息をゼロにすることも可能である)。しかも、現在不換紙幣であるから、市中銀行は紙幣と引き換えに貴金属などを紙幣発行元に要求できない。出来るのは市中への貸出か、直接それを使って何かを購入するかである。

政府が紙幣を発行する場合の欠点は、放漫財政に陥る危険性である。良く知られているように、日本銀行が直接国債を買い取ることが財政法で禁止されているのは(財政法5条)、放漫財政を防止するのが目的である。

2)日銀は現在国家の支配下にある。それは日銀の株(額面100円x100万株=1億円)の55%は財務省保有であり、株主の権利は完全に国家の支配下にあるからである。従って、現在の国家の財政状況は上記モデルと同じであり、その健全性が日本国債の信用が高く、その金利が相当低い理由である。

政府紙幣への交換は簡単だと思う。つまり、日銀が看板を財務省の一部局に名称を変更して、日銀券を政府紙幣と今後読み換えるという法律でも作ればよいのではないかと思う。(補足2)問題はその後、政府紙幣に日銀券時代の信用が受け継がれるかどうかということである。

同じ信用が続く筈であるが、その切り替えを引き金に理由不明の円の急落がありえる。しかし、それも日本にある豊富に保有している外貨で買い支えをすれば、世界にばらまかれている日本円を安価に回収できると思う。つまり、そのような暴落はおこらないだろう。

次の問題として、放漫財政に国家が陥る場合である。その理由として、例えば軍備増強を急ぐことなどがあり得る。米国の南北戦争の時に、リンカーンが政府紙幣を発行することにしたケースなど、緊急に多額の軍費を要するような場合に政府紙幣を政治家は考えるだろう。(補足3)

急激に多額の政府支出があった場合、当然政府紙幣の価値が急激に低下する。最初はインフレが起こるが、人々はそれを計算にいれて物資やサービスの価格を設定する。その範囲では、悪影響は回復可能である。しかし、紙幣そのものへの信用が薄くなるという段階になると、経済活動の停滞を招くことになり大きなる問題となる。

以上の考察では、政治家の質が一定レベル以上なら、政府紙幣への交換は良いことの方が多いような気がする。(補足4)
(5/7・9:00 語句の編集あり。尚、以上は素人の考察です。)

補足:
1)政府以外が持つ日銀の株は、現在の時価総額366億円のうち45%分(165億円)あるだろうから、株主に株券と引き換えにその金額が渡されるだろう。純資産が相当あるとすれば、政府の日銀買収は儲かるだろう。http://money-magazine.org/8301-jojo/
2)政府以外の所有する株券は、市場価格(現在一株37000円、合計165億円)で買い上げるだけで良いと思う。気になるのは、日銀の配当は一株五円だそうで、この37000円という高い株価の理由がわからないことである。また、何故上場する必要があるのかも疑問である。
3)米国でその後政府紙幣の発行を考えた大統領にケネディがいる。不気味なのは、両者ともその後暗殺されたことである。
4)10年ほど前に、当時自民党だった亀井静香議員が政府紙幣の発行に触れたことがあった。しかし、その時には日銀券との交換ではなく、並行して一定額を発行するということだったと思う。その場合、政府紙幣はお断りということが起こり得て、混乱すると思う。

2017年5月5日金曜日

芥川龍之介の小説「薮の中」の感想:藪の中の真実(私の推理)

1)昨日、たまたま表題の短編を読んだ。短いので直ぐに読めたのだが、誰もが気になるのは真実はどこにあるのかということである。文学の世界でも研究の初期には真相を明らかにしようとされ、“「藪の中」を研究するということは事件の真相を明らかにしようと試みることにほぼ等しかった”とウイキペディアには書かれている。

どうもスッキリとした結論は得られなかったようで、「真実探しに意味があるのか?」という意見もあったらしい。その後、黒澤明の映画「羅生門」がこの「薮の中」を原作として作られた。そこでは、死体の第一発見者が顛末を見たと言う設定になっているという。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%AA%E3%81%AE%E4%B8%AD#.E6.98.A0.E7.94.BB

私も明け方推理してみたが、割合簡単に結論らしきものが頭に浮かんだ。それは映画「羅生門」の筋書きとは異なる。「藪の中」と「真相」でGoogle検索して見つけたいくつかのサイトを見たが、それらの推理とも異なっていた。

「薮の中」の話の筋は以下の様である。

山科の薮の中で、夫婦が盗人(多襄丸)に襲われ、縛れれた夫の前で女房はレイプされる。翌日樵(きこり)により現場に残る夫の死骸が発見され、その近くに縄(ロープ)と櫛が落ちていた。樵の証言では、死骸の周りの草や竹の落ち葉が一面に踏み荒らされていたという。殺されたのは金沢の武弘26歳で若狭の国府の侍、女房の名は真砂で19歳である。真砂の母親の証言によると、真砂は男にも劣らぬ位に勝気な女である。また、同時に金沢の武弘を優しい気立ての男と証言している。

盗人の多襄丸は女房を載せていた馬を奪い逃走するが、途中で落馬し下級の役人(放免)に搦め捕られる。多襄丸、妻の真砂、そして巫女の口から語られる殺された武弘の死霊が事の顛末を語るが、それらは自分の立場を守るために嘘を含んでいて、当然互いに異なっている。そして、真実は「薮の中」だということになる。しかし、よく読むと、著者は謎解きの解答をしっかりと用意していると思う。そうでなければ、作品に重みが出る筈がないだろう。

私の推理では、この事件の後半部分の筋を決めたのは、被害者の女房である。レイプされたあと、口惜しさの中でもそれに支配されず、その場から生還することと今後の生き方の方策を、冷静に考えて実行したのである。

2)私の推理を書く前に、黒沢明の映画「羅生門」での筋書きを書いておく。その方が理解しやすいと思うからである。この映画では、武弘の死体の第一発見者である樵が一部始終を目撃して、語り手として登場するらしい。その証言として、以下のような筋書きがウイキペディアに書かれている。

盗人は手込めにした武士の妻に情が移り、土下座して求婚する。しばらく泣いていた妻はやがて顔を上げ、武士の縄を切り、2人に決闘を促す(つまり、決闘に勝った方の妻となるとの意思表示)(補足1)。しかし武士は、盗人の求婚を拒絶しなかった妻に愛想を尽かし、離縁を言い渡す。盗人はその武士の言動を見てためらい、考え込み、最後は武士に同調し、その場を去ろうとする。すると泣き伏せていた妻は突然笑い出し、2人のふがいなさを罵る。罵られた2人は刀を抜き、決闘を始める。しかし両人とも場慣れしておらず、無様に転げ回って闘う。辛くも盗人が優勢になり武士にとどめを刺す。しかし妻は盗人を拒み、逃げ去る。1人残された盗人も、武士を殺した恐怖心から逃げるようにその場を去った。(上記ウィキペディアの中の記述)

この筋の中で、()内に決闘に勝った方の妻となるという女の意思表示に至るプロセスは間違いだと思う。また、暫く泣いていた妻という記述と、不甲斐ない二人を見て突然に笑い出すという記述は、短い時間の心の動きとしては全く不自然である。 

私の考えた話の筋の前半は、多襄丸の白状したことと同じである。しかし、武弘と多襄丸の決闘の動機について、多襄丸は嘘をついている。つまり、「卑怯な殺し方をしたくないので、男の縄をといて“太刀打ち(決闘)をしろ”と言った」というのは、武弘の女房の真砂の策に嵌ったことを隠すための嘘である。 

多襄丸という泥棒は、人の命をなんとも思っていない。多襄丸を捕らえた放免によると、昨年も寺の後ろ山で物詣にきたらしい女房が童女と一緒にころされていたのは、この男の仕業だということだと証言している。

手籠めにされた真砂は、自分を守れなかった不甲斐なさと、自分を見る目に蔑みの表情を見て取り、夫武弘を腹立たしく思った(補足2)。そして多襄丸が自分に未練を残しているのを見て取った真砂は、多襄丸に夫を殺させその間に逃げる策を考えた。多襄丸を手が離せない状況に置くため、「決闘して勝った方に添うことにする(結婚する)」と言ったのである。その気にさせるセリフには色々あるだろう。真砂には、勝敗は見えていた筈である。

多襄丸も真砂の魅力に負けて、その策に嵌ってしまう。太刀打ちで男を刺した後、真砂がいないことに気づいた多襄丸は、とどめを刺さずに急いで彼女を探す。真砂が助けを求めに行ったに違いないと考えた多襄丸は、追っ手が来るのを恐れてその場を早々に逃げ去る。 

女房の真砂は逃げた振りをしてどこかに身を隠していたのだろう。現場に戻って、悶えている夫武弘にとどめを刺す。死霊がかたる「誰かは見えない手が胸の小刀(自分が最初自害のために刺した)を抜いた。同時に俺のくちのなかには、もう一度血潮があふれてくる」という最後の一刺しは、真砂によるものでしかありえない。

もちろん、死霊がかたる最後の自害する直前の場面で聞いた泣き声には、真砂の泣き声も混じっていた可能性はあるだろう。また、真砂の証言の中の、夫の自分を蔑んだ目で見るところまでは真実だろうが、夫を刺したのは自分だけであり、自分も後を追うつもりだったというのは嘘だと思う。

以上が私の推理である。小説にかかれた内容と矛盾する点は何もないと思う。薮の中から見える断片的な姿を繋ぎ合わせれば、真実は見える筈である。 

上記ウィキペディアの記事には、「薮の中」の研究が簡単に文献とともに紹介されている。その中には、そもそも「藪の中」は「原画」を欠いているという主張や、芥川自身が自作に否定的な発言をしているといった記述がある。これらの言葉は、私には作品に対する難癖のように思える。

補足:(後日追加)
1)はっきり言えば、安劇場風演出である。
2)男勝りの勝気な真砂は、当時既に夫武弘を低く評価していたと思う。そして、盗人の「古墳を見つけて出土品を隠してある。それらをを安く売りたい」という話に簡単に乗ってしまう夫にある種の軽蔑感をもっていた。その証拠に、妻の真砂は道外れの出土品を隠してあるという場所には行かず、馬とともに道脇に待機している。

2017年5月3日水曜日

日本国憲法施行70周年:安倍総理の憲法改正案は極めて不十分

日本国憲法は今日3日、施行70年を迎えた。昨日、各党は現行憲法の改正に関し、声明を発表した。自民党は「改正に向けた道筋を鮮明に示すことは国民各層の願いだ」と指摘。「改正への理解促進と幅広い合意形成に向けた活動をこれまで以上に党を挙げて取り組む」という考えを、そして公明党は条項を加える立場とする声明を、それぞれ発表した。

”日本維新の会”と”日本のこころ”もそれぞれ改憲の必要性に言及している。それに対し、自由党の小沢氏は「安倍政権は憲法をないがしろにする政治姿勢を続けている」と指摘した。小沢氏は分かっているのだが、そもそも職業として政治をやっているひとであり、議席が第一の輩である。その他野党は護憲の姿勢で、たぶん他国の支配下にある政党なのだろう。https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170503-00000006-jnn-pol

今朝の読売新聞(13版)の一面に安倍総理のインタビューが掲載されており、そこには憲法9条の1,2項はそのまま残し、自衛隊に関する条文を追加することを最優先させるとかかれている。これは公明党の線に沿うことで、何とか自衛軍を憲法にかきたいのだろう。

情けない限りである。安倍総理の案なら、私は憲法改正には反対である。日本人は言葉もまともに使えないことを世界に宣伝することになるからである。今のままなら、マッカーサーに押し付けられたが、改憲の方向が一致せず、70年間手間取っているという言い訳がある。不名誉なことだが、優柔不断な国民だという批判だけで済むだろう。

しかし、改正を一度すれば、それは純粋に日本の憲法となる。安倍案では日本国は奇形児的国家に生まれ変わることになり、憲法改悪になる。憲法9条をどう読んでも、自衛隊を合憲とする解釈は不可能である。しかし、非独立国(形だけの独立国)故に、親分が自分で作った憲法を押し付けたのち、それに矛盾する自衛軍を持てと言ったのだという言い訳はあり得る。

自前の憲法を持つということは、真の独立国になるということである。憲法を改正するのなら、堂々と自衛軍を持つと書き、最高司令官として首相を置くと書くべきである。それが出来ないのなら、憲法改正などという大それたことを考えるべきでない。

これまで憲法が改正できなかったのは、国会議員が本当はその必要性が分かっていなかったからであると思う。それは国会議員の大半がレベルの低い人たちで構成されて来たからである。つまり、政治家を家業とするひとや元官僚という、自分がリスクをとる覚悟のない人が、安易に政治家になってきたのだ。

そして更に政治家の質を悪くしたのは、かれらの内の有力者が、自分の派閥の拡大を狙ってさらに知的にもレベルの低い、スポーツ選手や芸能人という人たちを政治家にしたからである。それらの中でも大規模なのは、小泉チルドレンと小沢ガールズである。

最も非難されるべきは、国家の防衛を占領軍(米軍)に任せるという致命的なあやまりを、戦後初期&独立後も吉田茂やその後の官僚政治家が続けたことである。憲法改正を本気で考えるのなら、戦中戦後の政治をゼロから総括すべきである。その過程で国民も憲法改正の必要性と方向に気づくことになるだろうと思う。

米国と北朝鮮の和解に、日本が何らかの寄与をすべきだ

1)米国のトランプ大統領は、北朝鮮の金正恩労働党委員長と適当な条件下であれば会談する用意があると発言した。その前日には金正恩氏を称賛する発言をしており、また、北朝鮮も情勢は峠を超えたと発表しているので、着地は近いと思われる。http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/01/trump-north-korea_n_16373048.html http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM01H4M_R00C17A5EA2000/

日本には拉致被害者救出という解決すべき問題がある。その解決には米朝関係の好転が必須であることを、小泉総理の時代に学んだ筈である。この絶好の機会に米朝の間に入って講和の話をすすめ、それと同時進行的に拉致問題の解決に進まなかったのは、大きな損失だろうと思う。

忘れてはならないのは、日本は朝鮮半島の歴史に深く関与した国であるということである。その朝鮮半島の最終的な和平への寄与が全く無ければ、日本は今後の東アジアでの立場を非常に弱くする筈である。(勿論、未だ最終的に北朝鮮が軟着陸するかどうか分からない。)

今月9日の韓国大統領選挙で文在寅候補が当選すると、韓国は北朝鮮への融和姿勢をとり、北朝鮮との統一の話も出てくるだろう。勿論、完全な形での統一は容易ではないので、差し当たり緩やかな同盟関係という形をとると思う。そして、その段階までに日本が北朝鮮の今後に何の関与も無かったとすれば、本来困難な融和&統一のプロセスは、韓国が北朝鮮において「反日」を大きく育て上げ、それをエネルギーにして進めることになると想像する。

「反日」は、韓国初代大統領の李承晩が作り上げたものというのが通説である。北朝鮮と韓国が揃って対日歴史の捏造と反日を国是にする可能性大である。日本にとって、憂鬱な時代が来るだろう。

2)小泉内閣のとき、拉致問題解決に向けて話が進んだ。日朝平和条約まで進む予定だったのだろうが、米国に何も相談せずにしかも北朝鮮側は非正規のチャンネルを通して行うという変則的な交渉だった。失敗は当然だろう。この件、手島龍一さんのコラムに書かれている。http://www.ryuichiteshima.com/archives/2007/a0300.php

他国民を拉致をして諜報活動に用いたという犯罪行為がテーブルに載る話なので、正規のルートで話を進めるのは難しいだろう。また、ブッシュ政権が北朝鮮の体制転覆を狙っているのではないかという金正日の猜疑心が、米国に秘密にした一つの理由だろう。しかし、それでは最終的にうまくいく筈がない。

今回のトランプ大統領はこれまでの大統領とは一味違う。安倍総理も拉致問題の解決には熱心であると言われていた。今回こそ、拉致問題の解決と日米と北朝鮮の関係改善の絶好の機会であるにも拘らず、総理は何のアクションもせず、北朝鮮がミサイルを発射するたびに「我が国に対する重大な脅威であり、断じて容認できない」と非難するだけであった。

総理は本当に拉致問題の解決をするつもりがあったのだろうか?

2017年5月1日月曜日

北朝鮮問題への対応:日本と韓国の違い

1)北朝鮮が1昨日早朝にミサイル実験を行った。昨日の読売新聞一面(14版)には、安倍総理は訪問先のロンドンで記者会見し、北朝鮮の弾道ミサイル発射について「我が国に対する重大な脅威であり、断じて容認できない」と非難したと書かれている。

「日米同盟の抑止力は不可欠だ。トランプ氏が全ての選択肢がテーブルの上にあることをことばと行動でしめしていることを高く評価する。」「国際社会が一致して圧力を強める必要がある。」安倍総理のこの姿勢で良いのだろうか。

既に何度も書いたように米国等の圧力が、北朝鮮の核兵器開発やミサイル実験を誘発してきたのは、誰でもわかることである。更に圧力が必要だというのは、北朝鮮が暴発するのを期待しているとしか思えない。このままでは“用意された選択肢”の中から、米国が武力行使で対応することになると思われる。もし武力行使をした場合、北朝鮮から日本にミサイルが打ち込まれ、数十万人という死者が出る可能性もある。安倍総理はそれでも仕方がないと考えているのだろうか。

太平洋戦争の時に、米国の経済制裁という圧力が日本の対米攻撃の原因となった。同じシナリオを米国の一部は期待しているだろう。被害の殆どは日本と韓国が受け、ダブついた兵器の消費が出来る。その代金は、何れ日本や韓国から召し上げればよい。しかし、今回韓国はその策には乗らないだろう(後述)。

2)読売新聞の世論調査では、米国の圧力を評価するという意見が過半数であるという。http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000302/20170416-OYT1T50104.html 安倍内閣の対米従属的な考えが主流の日本で、大衆はその考えに単純に追従しているだけだろう。それでも、流石に安倍総理を信頼して良いのか、日本国民の多くに迷いが生じていると思う。それが以下のもう一つの世論調査の結果である。

NHKは、最近世論調査を面談で行った。その結果によると、「憲法改正の必要がある」と答えた人の割合が43%、「必要がない」が34%であった。前回2002年の調査のときより「憲法改正が必要である」が15ポイント下がった。また、「憲法9条の改正が必要」と考える人の割合が25%であり、「改正の必要がない」が57%であった。前回2002年の調査のときより「改正の必要がある」が5ポイント減少し、「必要が無い」が5ポイント増加した。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170429/k10010966601000.html

最近の北朝鮮情勢を考えれば、そして安倍内閣の路線を素直に国民が信じているのなら、憲法9条改正を必要と考える人の割合が増加している筈である。しかし、世論調査の結果は全く逆であった。つまり、安倍総理が進めている憲法改正の動きに否定的な国民が増加しているということである。国民は日本が正式の軍隊を持てば、そして安倍内閣の路線上を日本が進めば、米国の前面にたって中国や北朝鮮に対峙することになると直感的に理解しているのだろう。

3)この100年ほどの間に急いで欧米から民主政治を輸入した国家のほとんどは、決して安定した国家の骨組みを獲得していない。例えば、韓国の民主政治も日本同様、全く法治国家の政治の体をなしていない。

西欧の民主政治は、表の理想論としての民主主義体制に加えて、裏でそれ有効にハンドリングする為の、「大衆を操作するメカニズム」を置く複合的な制度だろう。それは、大多数を占める弱者の味方であるキリスト教を統治の表看板に用いる、西欧諸国の発明だと思う。(補足1)その西欧の伝統的な政治制度から、表の理想論である民主主義だけを取り入れた(或いは、押し付けられた)国では、そのハンドリング装置(補足2)を持たないので、国家の枠組みが崩壊する危険に曝されることになる。それを埋め合わせて国家を維持するのが、欧米との同盟関係である。それは全く新しい形の変形した植民地政策だと言えないだろうか。

その結果、民主主義は西欧が用いる外交的武器となったと思う。丁度、イエズス会が携えたキリスト教が植民地支配の武器となったのと類似のパターンである。

国家の防衛と国民の安全を保障するのは、他国の攻撃を抑止する軍事的能力である。それを必死に主張している北朝鮮という国を前にして、尚日本国民は軍事力を持つための法的整備の必要性を否定している。荒海に乗り出さなければこの島は沈む。しかし、荒海を乗り切るだけの船を作り出す自信など、この国にはない。

その荒海は自然現象ではなく、ある巨大な国家の作り出したものだとしたら、自信がないのは当然だろう。安倍総理はロシアとイギリスを訪問して、昨日帰国した。戦後レジームからの脱却というキャッチフレーズは、そのあたりの事を考えているのかもしれないが、現実に日本と米国の関係を劇的に変える力には繋がらないだろう。

4)韓国の反応:

北朝鮮の動きに呼応してか、韓国の政治が急展開しようとしている。今朝のモーニングサテライトというテレビ番組で、今月前半に行われる韓国大統領候補の支持率が紹介されていた。4月30日の調査では、北朝鮮に融和的な文在寅氏が42.6%の支持を集めてトップを独走する勢いである。 http://japanese.joins.com/article/640/228640.html?servcode=200§code=200

新大統領が文氏に決まれば、米韓関係は廻角にさしかかるだろう。韓国民衆は既に、米国の策略の危険性に感づいている可能性がある。フィリピンの様に、今後韓国は米軍を追い出す可能性が高いかもしれない。

韓国は日本と違って正式な軍隊を保持している。東西冷戦の一環である朝鮮戦争での死者数は人口比で日本の第2次大戦の死者数の人口比の3倍ほどにも上った。更に、ベトナム戦争でも数千人の死者を出し、米国の世界戦略に付き合いたくないという気分が日本以上に強いだろう。

田中宇さんの今朝配信の記事(有料)では、以下のように書いている。「韓国の5月9日の大統領選挙で勝って次期大統領になりそうな文在寅(ムン・ジェイン)が、北朝鮮の核兵器開発問題に対する新手の戦略を打ち出している。新戦略案の最も注目すべき点は、韓国軍の対米従属からの離脱、つまり在韓米軍が撤退できる状況を作ることと、北が核弾頭とミサイルの開発をやめた場合の和解策を、抱き合わせにしていることだ。」(著作権の問題がありますので、これ以上は引用しません。)

米国は現在日本の同盟国である。この同盟国としての位置を維持したまま、憲法を改正して名実ともに独自軍をもった場合、より高い確率或いはより大規模に、米国と連携して(或いは米国の手先となって)北朝鮮や中国に対峙することになる筈。そのことを国民は感覚で、新しい危機として感じているのだろう。そして、その先に真の意味で日本の独立など存在しないと直感的に感じているのだろう。(以上は、素人のメモです。適当に読み飛ばしてください) 補足:
1)近代の民主政治はギリシャ時代の直接民主主義とは全く異る。議会を間に入れることで、大衆とは無関係の勢力が実質的に政治を動かすメカニズムを可能にしている。
2)既に何度か書いてきたので、ここでは書かない。日本と米国の国家組織の比較対照表を作れば自ずとわかるだろう。